―――舞闘少女全開スバル空回りが少し強くなって、友達ができた日のお話。



「いっくよー! 投げるね、ティア!」

 時空管理局第四陸士訓練校に響く元気な掛け声。冬の寒さにも負けぬエネルギーに満ちたその声は、訓練校名物の一つ。

「スバルちょっと待ちなさい加減……きゃぁあああああっ!?」

 そしてまた、硬い冬の空気を切り裂くような絶叫もまた、訓練校名物だった。
 通称、凸まな板。
 何が凸でどこがまな板なのかは察して欲しい。ヒントは乙女の悩み所。

「あ、ごめんティア今助けるよっ」

 言うやいなや、両足に装着したデバイスを起動させ、クラウチングスタートの態勢に入る少女。そうすれば彼女が履いたブーツ――自作のローラーブレード型デバイス――が、発進直前のF−1マシンのような唸り声を上げる。

「ダッシュ! アーンド……」

 弾けるようにして初動を開始し、爆ぜ吹く風よりも速く大地を走る少女は、

「……ブースト!」

 刹那より前の自分よりも疾く高く空を翔上る!

「きゃーっち!」

 空中で、自らが投げ飛ばした―――ティアと呼んだ―――少女を抱き抱え、満円の笑みを浮かべる少女―――彼女の名はスバルと呼ばれていた―――は、安心したようにため息をもらす。

「ありが……」

 ティアナは礼を言おうとして、止めた。そも投げ飛ばしたのがスバルだと言うことに気付いたからではない。むしろもっと重大な疑問点を見つけたからだ。

「スバル……って、空飛べないわよね……?」

 二人は現在、空の中。

「あ」

 飛べなければ、落ちるしかなかった。

「い……っきゃぁあああああっ!」

 重力に引かれ地面へ向けて真っ逆さまに落ちる二人。きっと、無情とはこういう時に使う言葉さ。

「ぎゃぁあああああっ!? 痛い痛い痛い腰打ったぁっ!?」

 おおよそ乙女らしからぬ絶叫を上げる二人。実は毎度の光景で、

「……あんたといると、いつもこう」

 打った箇所をさすりながらため息をつくティアナと、

「ご……ごめんね」

 冷や汗を垂らしながら苦笑いをするスバル。

「いいわ。あんただって、一生懸命やったんでしょう?」
「実は狙ってやりました」
「なぁんですってぇええええ!」
「嘘ですごめんなさいっ」

 音を超え、光となって誤るスバル。そして謝る。そんな光景もまた、いつものこと。

「……まったく。次はちゃんとやりなさいよ?」

 スバルに苦笑いを向けるティアナ。不思議と怒っている様子は無い。いつものことだから慣れた、というわけではない。

「うん……!」

 二人は、パートナーだから。

「それじゃ、もう一度いくわよ?」

 そして、硬い絆で結ばれた親友だから。

「うん! 魔力……全開っ!」
「ってだから加減きゃぁあああああっ!?」


 そう、初めて分かりあえた“あの日”から――――――ずっと。





〜舞闘少女全開スバル〜





 時は、一年前に遡る。新暦72年、ミッドチルダ北部第四陸士訓練校に二人の少女が入学した。カートリッジシステムを搭載したミッド式デバイスを使うティアナ・ランスターと、リボルバーナックルとローラーブーツという変則的なベルカ式デバイスを使うスバル・ナカジマである。二人は同室になり、またパートナーとなって訓練に当たることとなったのだが……。

「いいかげんにしてよ。あんた、訓練を遊びと思ってるんじゃないでしょうね」

 怒気を孕んだ鋭い声が晴天の下に響き渡る。まだ年若い少女の声ではあるが、聞く者を威圧し挫き倒す迫力に満ちていた。

「ご……ごめん……」

 本当に申し訳ないという気持ちを表情いっぱいに浮かべる少女は、糾弾される側。眉間に突き立てられるように指された指に圧されるようにして半歩後ろに引き下がった。

「その言葉も何度も聞いたわよ。知ってる? これで10回目。二桁達成よ」

 ずい、と開いた半歩分のスペースを詰められ、攻め立てられる少女は心臓を鷲づかみされたような錯覚を覚えた。そう、とにかく胸が苦しい。恐怖ではない胸の苦しさ。それは、心苦しいとでも言えばいいのだろうか。

「はいはーい、おめでとー! ……なんて言うわけないでしょーがっ。聞いてるの、ね? あんた、本当に反省してるの?」

 悪いのは自分だ。同じ失敗を繰り返す自分だ。その失敗に彼女を巻き込んで、共に罰を受けさせてしまっている自分だ。

「……ごめん」

 どうしようもなく弱くて、情けなくて、人に迷惑までかけてしまう……駄目な、自分だ。

「もういいわ。どうせ、来週には解消される組み合わせだもの。それまでは我慢してあげる」

 けど、と。少女は言葉を続ける。

「それ以降はあたしに関わらないで」

 きっぱりと突きつけたのは、絶縁の言葉。はっきりとした拒絶の意思。

「え……あ……ぅ……」

 何かを言おうとして、けれど伝えるための表現を思いつくことができず口をまごつかせることしかできぬ少女の姿を肯定と受け取ったのか、それとも既に関わる気は無いのか。スバル・ナカジマを糾弾していた少女、ティアナ・ランスターは訓練場へと戻ってしまう。去り行く彼女の背を追ってスバルは一言掛けようとするが、やはり言うべき言葉を見つけられず未遂に終わってしまう。

「あたし達、ルームメイトなのに…………」

 関わらない、なんてことはできるはずがない。同じ部屋で生活しているのだから。いっそ、部屋を変えてもらおうか? そんな考えが脳裏を過ぎって

「だめ」

 即座に否定する。逃げちゃ、駄目なんだ。そうしてしまえば、彼女と和解できる機会は永久に失われてしまう。今、苦しいけど。本当は顔を合わせるのだって、同じ場所にいるのだって心苦しいけど……駄目なんだ。スバルは、自分にそう言い聞かせる。

「……あたしは弱いから、情けないから、だから」

 苦しいことから逃げ出さない、辛いことを投げ出さない。弱いままでいたくないから。情けないままでいたくないから。それに、なにより

「あの人みたいに、なりたいから」

 一年以上経った今でも色褪せない、自分、皆を助けてくれたあの人の姿を追って。

「あたし、逃げないよ」

 上手くやれればきっとランスターさんだって認めてくれるはずだもん。自分にそう言い、聞かせ、よし! との掛け声とともに小さな握り拳を作る。ぎゅっ、と握って決意を秘める。それは、目指す目標ができた時からのスバルの癖。

「がんばろうね、あたし」

 こうやって、自分にエールを送る。少しでも頑張れるように。自分に誓ったことを、守れるように。

「パートナーの自由選択は来週の月曜日から。それまでに……なんとか」

 今日は水曜日で、土日は休みだから……訓練は2日分と少し。現実的に考えれば、あそこまで入った亀裂を元に戻すのは不可能だろうと思う。それ、でも。

「……がんばろうね、あたし」

 まだ、諦めない。彼女との縁を諦めたくなかった。自分の弱さを克服するとか、そういうのを抜きにしても…………スバルは、

「ローラーブーツセット! レディー―――………」

 どうするかを決めれば後は前に向かって走るだけだ。この靴をデバイスに選んだのは、そんな生き方を目指しているからかもしれない。振り返る暇なんて無い、前に向けてまっすぐと進む、そんな生き方を。

「………―――ゴーッ!」

 ま、そのせいで今ひとつ考えが足りずに空回りするのが彼女なのだが。

「え? あ、ちょ、止ま、止まらないぃいいいいいいいいいっ!?」

 スバル・ナカジマ、12歳。この数日後、彼女に思いもよらない出来事が降りかかる。それは小さな事件。けれど、彼女にとっては決して小さくなんてない出来事。

「きゃー………―――ッ!?」

 その日、スバル・ナカジマに2つの試練が舞い降りる。





      ◇      ◇      ◇      ◇





 結果から言うと、奇跡が起こった。金曜が終わるまでの二日と少し。訓練で失敗らしい失敗もせず、それどころか教官に誉められもした。

「……戦闘の相性だけはいいみたいね」

 少なくとも、ティアナからスバルに話し掛けるほどには、だ。この二日で戦闘訓練が始まったことは、スバルにとって非常に大きな幸運となったようだ。

「ランスターさん射撃のおかげだよっ。みんなが攻撃しようとしたら全部撃って止めちゃうんだもん」

 実際、ティアナの射撃は巧かった。拳銃型という特異なデバイスをよく操り、魔導師の攻撃魔法を悉く発動前に止めてみせた。

「けど、あんたも凄かった……」

 現実味のない物事をなぞる…まるで昨日見た夢を思い出すようにして話すティアナの瞳は、どこか遠く、虚ろに近いものがある。

「実はね、憧れてる人がいるんだ。一年ずっとその人に追い付きたくて自主練してて……」
「戦闘訓練ばっかりになった、と?」

 懐かしい過去を夢見がちな瞳で語るスバルに対し、いつのまにやら現実に戻ってきたティアナが鋭い突っ込みを入れる。

「わぅぅぅぅぅ……」

 スバルは、鳴くしかなかった。まるで子犬のような鳴き声を上げたスバル。そんな彼女の耳に、誰かの笑い声が聞こえた。……それが誰かなど、論じるまでもない。

「ふふふ。あたしが練習メニューを組んであげる。たった一年、しかも自己流であれだけ動けるようになったんだもの。キチンとしたメニューさえあればすぐに他のこともできるようになるわよ」

 笑い声に続いた提案は、スバルを硬直させるのに充分すぎるほどだった。

「…………わ、わふ?」

 どうにも状況を理解できぬスバルに対し、ティアナは更に言葉を続ける。

「もうしばらくはコンビでいてあげる。けど、あたしの作ったメニューをこなすことが条件よ?」

 口を大きく開けっぱなしに、目を丸くしているスバル。間抜けって、きっとこういう状態のことを言う。そんな彼女の反応に苦笑いを漏らしたティアナの声で、スバルはようやく現実へと帰ってくる。

「……うん! 大丈夫、あたし丈夫だからっ。頑張るよ、ランスターさん!」

 尻尾があればパタパタ振るだろう、元気な返事つきで。

 …………。

 今、ここに! スバル・ナカジマはワンコと認定されたぁっ! 嘘ですごめんなさいっ。

「ティアナでいいわ。あたしもスバルって呼ぶから」

 出会った頃からは想像もつかない、柔らんだ表情で微笑むティアナ。彼女に釣られて笑顔になったスバルは、もう一度元気よく答えた。

「……うん!」

 この日、2人は今までのことが嘘のように打ち解ける。夜が明けるまで話し込み、起きたら一緒に買い物に行こうという約束までした。本当に、奇跡のよう。





     ◇     ◇     ◇     ◇





 起きないから“奇跡”だと、人は言う。

 けれど、それでも起きるから“奇跡”という言葉は存在するのだ。

 “奇跡”はこのように、絶望的な状況から人を救ってみせる。

 そして


「実は男の子っぽい服しかもっていませんで…………」
「スバル、見るからに“ボクっ娘”って感じだものね」
「“ボクっ娘”?」
「……知らないなら気にしないで」
「あ、うん」
「ね、スバル」
「うん?」
「買い物、めいっぱい女の子らしい服を選んであげるわ」
「え? ちょ、や、その、恥ずかしいかなー……って」
「そんなんで好きな男の子ができた時どうするのよ?」
「それはまぁー……あたしにはまだ早いよ」
「ふふふ。さて、どうかしらね」
「わぅぅぅぅ…………」


 奇跡は時に、容易に人を引き裂いてみせる。





      ◇      ◇      ◇      ◇





 人がごった返す休日の繁華街。絶賛家族サービス中の親子連れや、デートに足を運んできたカップル、そして友達同士で遊びに来た人々がひしめく中を掻き分けるようにして突き進む2人組の姿があった。
 一人はティアナ・ランスター。彼女は私服に手提げ鞄と軽装だ。
 一方のスバル・ナカジマはやはり私服ではあったがその背にはリュックサックを背負っていた。

「あーっ! 何で今日に限ってこんなに人が多いわけっ!?」

 大通りには屋台が出ていて、そこかしこからはまつりばやしが聞こえてくる。そして、右を向けば人、左を向けば人、後ろを向けば人、前を向けば人の壁。

「ま、まあ、今日はお祭りみたいだから仕方ないよ」

 今にもキシャー! とでも吠えそうにボルテージが上がった相方をなだめるスバル。ヘトヘトのティアナに対し普段と変わらぬ様子の彼女は、意外と大物なのかもしれない。

「元気出して楽しもう、ランスターさ……ティアナ? ほら、目当ての服屋さんってあそこだよね?」

 呼んでしまった言い慣れた名を慌てて訂正するスバル。彼女が指差す300m程先には、ミッドチルダ中にチェーン店を構える有名な服屋の看板が見える。

「別に言い直さなくてもいいわよ…………」

 それはつまり、まだ300mは人波を掻き分けなければいけないということで。ティアナの眼前には厚い人垣が立ちはだかっていて。

「キシャー!」

 キレた。

「わ、わ、わっ!? え、えーっと……えいっ!」

 キシャキシャと年頃の乙女らしからぬ声を上げるティアナの手を取るスバル。

「キィイイイシャァアアッ! …………って、え?」

 つまり、ティアナの手を握るスバル。

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、手、手、手、つな、つない、つないで……きゃっ!?」

 ティアナは、狼狽する。繋がった掌から伝わる温もりだとか、天下の往来でこんなことをするなんてカップルみたいだと思ってドキドキしたからだとか。
 そんな、思春期な理由じゃなくて。
 繋いだ手に、ぐんっと引っ張られる。ティアナの脳裏に警報が鳴り響いた。

「いっくよー!」

 衝撃のファーストなんとか。

「ひ……っ。いやぁああああああああっ!?」

 かくして、300mの人垣を飛び越える2人。舞い上がった空の上からは、祭りの様子がよく見える。いくつもの屋台や、遠くでぶつかり合う喧嘩御輿の姿を見て、

「今日は私もアンタもスカートなのに何やってんのよこのバカァアアアアアッ!」

 絶叫しながら、落下した。

「とーちゃーく! えへへ」

 そんなティアナの魂の叫びなんて聞いていなかったかのように、にこにこ笑うスバル。そして、対象的に表情を引きつらせてへたりこむティアナ。

「やっぱりこいつは……あほの子よ」

 余談に、なるが。
 彼女達が空を駆けた時に流れる雲を観察していた青年はこう証言している。

「ピンクと……バックプリント」

 何が、とは語らなかったが。





      ◇      ◇      ◇      ◇





 スバルは、思う。

「ランスターさんははいぢわるだー……」

 彼女がスバルに選んで持ってくる服は、ことごとくがフリフリかピンク。彼女が着れば似合うと思うけど、自分が着ても猫に小判だ。馬の耳に念仏だ。馬子に衣装を着せても見栄えなんてよくならないよ!
 何故か機嫌が悪いティアナに弄ばれ、体力おばけのスバルもそろそろ憔悴していた。
 どこにあったんだか、試着室でピンクのふりふりドレスを着たまま……がっくりと肩を落とす。

「うー……うーうー……。……あれ?」

 ふと、視界に小さな女の子が目に入った。女性向けの服屋に女の子がいることは何ら特筆すべき事柄ではないが、その女の子は少々様子が異なっていた。
 きょろきょろと店の中を見渡しているのに、その視線は服に向かっていない。まるで誰かを探しているようだ。
 フロア内を足早に掛けていること、店内にいる人の顔を確認するように視線を巡らしていることからも人探しをしていることは確実だろう。

「迷子かな?」

 スバルは迷わなかった。試着室を出て女の子に駆け寄る。着慣れないひらひらのドレスは歩き辛いが、そんなことは思慮の外に押しやっていた。
 困っている誰かがいるなら放っておくわけにはいかない。相変わらず忙しなく首を巡らしている女の子に声を掛けた。

「えっと……誰かを探しているのかな?」
「まあ、お姉さま!」

 会話がまるで噛み合わなかった。困ったスバルが首を傾げる。
 だが、女の子は困惑したスバルの様子に気づかずハイテンションでマシンガンのように喋り出していた。

わたくし、ずっとお姉さまを探しておりましたの。私の理想ぴったりな、天上無敵に華美荘厳で絶対可憐なお姉さまを! 貴女、私のお姉さまになってくれませんことっ!」

 ずずいっと詰め寄られるスバル。背筋に嫌な汗が流れる。明らかに厄介事に首を突っ込んでいた。
 少女の妙な迫力に気圧され、知らず知らずのうちに後退さっていく。

「私、お姉さまという存在にずっと憧れていたんですのっ! 貴女は私の理想にぴったりですわ。だから、引き受けてくださいましっ!」

 流石の空回りスバルも電波相手では分が悪かった。

「え、えーっと……えっと。えーっと……」

 返答に窮して口ごもる。視線を彷徨わせるが助けになるようなものは見つからずほとほと困り果てた。
 少女の目が爛々と輝いていたことがスバルの困惑に拍車を掛けていた。
 とにかく、断らないといけない。そう思い口を開くと、

「あんた、試着した服のまま立ち歩いちゃダメじゃない。って、その子、誰。知り合い?」

 ふりふりの衣装を両手に抱えたティアナがやってきた。また着せ替え人形にさせられると辟易しそうになるが、彼女は助け船。なんとかこのチャンスに乗ろうと―――とりあえず、首を横に振った。
 首を傾げるティアナ。

「くきー!」

 そんな彼女に、少女が吼えた。

「ちょっと貴女、私のお姉さまの何なんですの! 恋人? 恋人ですわね! くきー! よくもお姉さまをー!」

 勘違いとよく分からない怒りの矛先を向けられたティアナは溜め息一つ。抱えていた衣装をスバルに預けると少女の頭を引っぱたいた。
 とても、良い音が鳴った。

「黙りなさい。あと、こいつとは訓練校でのパートナーってだけなんだから誤解を受けそうな言葉は連呼しないの」

 ぴしゃりと言い放つと少女は黙り込んだ。しばらくは気丈にティアナを睨んでいたが、やがて勢いを失い、目尻に涙を浮かべた。
 表情が崩れる。

「ふ、ふえ〜ん!? おぼえてやがれですわーっ!」

 そのまま捨てセリフを残して走り去っていく少女。徹頭徹尾の超展開に目を丸くするスバルと表情にやや翳が差すティアナ。
 流石に泣き出してしまうとは思わなかったのだろう。ティアナは少女を追いかけようと一歩を踏み出すが、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。

「あー…………」
「ランスターさん?」
「ティアナよ」

 反射的にぺしりとスバルの額を叩くと彼女の腕から衣装をひったくる。またファッションショーだと恐れおののくスバルだが、ティアナは彼女に背を向けてしまった。
 ぽつり、一言。

「戻してくるわね」

 去り行く背中はずいぶんと落ち込んでいるように見えて。スバルはティアナに声を掛けようとした。
 けれど、開きかけた口が言葉を発することは無かった。
 躊躇ってしまったのだ。
 まだ名前で呼べない―――友達になりたい―――人に、なんて言葉をかければいいのか分からなかった。

「う〜……わきゅん」

 スバルは肩を落とすと試着室に戻っていったのだった。





      ◇      ◇      ◇      ◇





 2着ばかりの服を買ってデパートを出た。ざわざわ騒がしい街中で2人の間だけが水を打ったように静かだった。上手く会話が切り出せない。なんだかお互いがお互いに遠慮をしてしまっているような、間合いを探りあっているような、静寂。
 街を見渡せば色々な物があってそれこそ会話のタネなんて尽きないはずなのにスバルとティアナに言葉は無かった。
 こんな時、スバルはいつも自分の勇気の無さを呪う。気楽な一言さえ発すれば恐いようで気さくなティアナは合わせてくれるはずだ。それが分かっているのに、ただの一言を発せない。先ほどのことをまだ気にしている様子のティアナは口火を切れないだろうから、自分から話さなければならないのに。
 勇気を出せ、と胸の内で呟いた。
 星の光みたいなあの人に少しでも近づくんだ、と自分を奮い立たせた。

「あ、あのさっ!」
「……何?」

 とりあえず出オチ。言葉だけ振って、その先は考えてない。思い立ったら―――気が弱くなる前に―――即、行動。勇気が足りない自分ががんばるための、これがスバルなりの努力の形。
 ティアナが返事を返してくれたことに喜びつつ、スバルは話題を考えた。いくつかの言葉が踊り、その1つがかちりと嵌る。それは自分は教えたのに、彼女のそれはまだ知らないことだ。

「あのさ! ランス……じゃなかった、ティアナはどうして魔導師になろうと思っ―――ッ!?」

 ティアナは並々ならぬ向上心を訓練にぶつけていた。きっと、彼女は確固たる理由を持って訓練に臨んでいる。ずっと気になっていたことだったから、いっその機会に訪ねてみたのだが。
 瞬間、スバルの背筋に氷刃が滑り落ちたような悪寒が走った。

「恨み言をぶつけてやるためよ」

 その短い言葉に込められた憎悪は一日いちじつのものではなく昔年からの堆積をして中身に怨念を詰め込んでいた。
 スバルの背筋が震える。ティアナを直視できない。ぎらついた眼光が、恐ろしい。

「管理局の魔導師になればもう一度アイツに会えると思ったのよ。あの白い悪魔に」

 それはスバルが何よりも聞きたくない言葉だった。

「私が誰より軽蔑する―――高町なのはに」

 言葉を失ったスバルは、その時、呼吸すら忘れて呆然としていた。ティアナは確かに『高町なのは』と言った。彼女の口振りから察するに、その『高町なのは』は時空管理局の魔導師なのだろう。白い悪魔との異名を持っているようだ。
 知っている。その『高町なのは』は知っている。どうしようもないほど知ってしまっている。だって、その人は弱虫のスバル・ナカジマに勇気の心を抱かせてくれた人なのだ。
 スバル・ナカジマは高町なのはを尊敬している。

「……て、ごめんなさいね。なんか怯えさせちゃった?」

 ティアナ・ランスターは高町なのはを軽蔑している―――?

「わ、う……あう……」

 彼女の言葉を豪胆に受け入れられる強さがあればどんなに楽だっただろうか。
 どれだけ利発な少女になろうとしても心根が繊細なスバルにはショックが強すぎて、ただ頷くことさえできなかった。
 後退る。誰かとぶつかった。ポケットの中にあったモノが落ちた。
 ぱさり、中身が開かれた。

「うん? スバル、何か落とした……わ…………」

 硬直したスバルの変わりにソレを拾おうと屈んだティアナ。彼女の目線は開かれたソレに挟まれた写真に釘付けになってしまった。
 そこにあるのは、雑誌から切り抜いた高町なのはの写真だ。
 弱気になるといつも勇気を貰う、スバルのお守りだ。

「スバル、あんた」

 不幸にもティアナの思考中に一本の糸が繋がる。
 数日前のスバルのセリフと写真が結びついていた。

 ―――実はね、憧れてる人がいるんだ。

 憧れの人を追いかけた。それが、スバルが魔導師になった理由だ。では、その憧れの人は誰か?
 答えはティアナの視線の先にあった。

「そうなのね」

 ティアナの視線がスバルに向いた。スバルは、小さな悲鳴を上げた。高町なのはに向けられていた憎悪が、今は眼光に乗ってスバルに突き刺さっていた。
 もう、ティアナの顔に、スバルに沢山の衣装を持ってきて着せ替え人形のようにして遊んでいた時のような楽しさの色は少しも無かった。

「あんたはそうなのね……!」

 『あんた』と呼ばれた。もう二度と『スバル』と呼んではもらえないと思った。
 友達にはなれなかったな、と。そんな言葉が胸に落ちた。

「コンビは解消ね。部屋も変えてもらいましょう」

 短く告げるとティアナはスバルに背を向けた。雑踏の中に消えていく。
 スバルは引き止める声を上げたくて―――けれど、やっぱり勇気が無くて。
 友達になりたかった少女の姿を見失ってしまうと雑踏の中に呆然と立ちつくした。





      ◇      ◇      ◇      ◇





 喧騒に包まれた街中をとぼとぼ歩くスバル。右手にはティアナが選んでくれた服が詰まった買い物袋を、左手には高町なのはの写真が入った財布を。
 高町なのはは引っ込み思案で弱虫だったスバルに光を見せてくれた人だった。炎に包まれた空港から自分を助け出してくれた魔導師に憧れを抱き、スバルは彼女のようになりたいと願って魔導師を目指した。
 今のスバルがあるのは高町なのはのおかげで―――ティアナ・ランスターと出会えたのだって彼女のおかげだ。
 なのに、高町なのはに憧れていたからティアナと仲良くなる機会は永遠に失われた。
 いつか誰かが、運命の女神は意地悪な諧謔心の持ち主だと言っていた。
 当時はその言葉の意味を理解することはできなかったが、今なら解るような気がした。

「もう、だめだよね」

 つまるところ、運命は皮肉で出来ている。

「仲良くなんてなれないよね」

 賑やかな街中から逃げるように人通りの少ない場所を目指して歩くスバル。胸中を押し潰す陰鬱はひどく重く涙腺を弛め涙を溢れさせた。
 ルームメイトだったのに、同じ部屋で暮らしていたのに、きちんと会話できたのは昨日が最初。2人で出かけたのは今日が初めて。そして、最後。
 きっと訓練校の寮に帰ったら彼女は荷物を引き上げる準備を終えていて、もしかしたら挨拶さえなく別の部屋に移ってしまうかもしれない。
 彼女の瞳にあった憎悪は尋常ならざるものだった。何故彼女があそこまで高町なのはを恨んでいるかは、分からない。
 そして聞く機会も無いだろう。

「でも」

 歩き疲れて、心が疲れていて、立ち止まった。騒がしいはずの雑踏が聞こえてこない。心が閉じている。何も聞きたくない心境だから、音が聞こえてこないのだろう。ぽろぽろと零れ落ちる涙を拭うこともせず呟く。

「友達になりたかったよ……!」

 小さな、なのに切実な叫びは誰にも届かない。胸が締め付けられたように苦しかった。勇気があれば、彼女を呼び止める勇気さえあれば、あるいはこんな想いはしなかったのかもしれない。
 恨めしい。
 いくじなしの自分がただひたすらに恨めしい。
 涙が枯れない。いつまでもいつまでもあとからあとから溢れて零れて流れて落ちる。

「ティアナ、なんて呼べないんだよね。もう……」

 呆然と呟くスバル。
 失意にある彼女は―――しかし、耳に飛び込んできたある音に顔を上げた。
 視界を滲ませる涙を拭って音源を捜す。気のせいであって欲しいと思いながら。
 しかしてそれを、見つけてしまった。
 巨大な放水装置を組み込んだ消火用特殊車輌、いわゆる消防車を。

「火事だ……!」

 サイレンをかき鳴らす消防車を追い駆けた。脳裏には空港火災が浮かんでいた。
 人間の波を掻き分けて走るスバル。ほどなくして煙を上げる建物が見えた。
 ティアナと服を買ったデパートだ。
 野次馬を掻き分けて前に出る。既に、先に到着していたらしい消防車が放水を開始していたが、火の勢いが強い。また回りの速い火に苦戦していた。
 幸いにしてほどんどの人間は避難しているという。他人事ながら胸を撫で下ろすスバルだが―――幸か不幸か、彼女はその声を聞いた。
 はっとなってデパートを見上げる。既に炎に包まれた――火元の――四階の一階上、五階の窓から助けを求めている少女がいた。遠めには分かり辛いが服屋でスバルを『お姉さま』と言っていた少女だ。
 スバルは周囲を見渡した。だが求めたもの、はしご車の姿が無い。
 人が多すぎて車が思うように移動できていない、という消防隊員の怒声が聞こえた。
 息を呑むスバル。デパートを包む火の勢いは強く火元のすぐ上の階にいる少女は非常に危険な状態にあるだろう。
 不安げな少女の顔が見えた。
 過去、炎に取り残された恐怖がよみがえった。

「……あんた、こんなとこで何してんのよ」

 後ろから声を掛けられ振り返る。ティアナ・ランスターがそこにいた。彼女は走ってきたのだろう、肩で息をしていた。
 思わず言葉を失いかけるが、ごうごうと燃える炎の音がスバルを現実に繋ぎ止めた。

「あの、火事があったから……」
「野次馬ってわけ?」

 それでも言葉はたどたどしい。険の篭ったティアナの詰問に首を振ると次の言葉に詰まった。

「野次馬じゃないなら何なのよ。まさか、あの子を助けに行くつもり?」

 ティアナの言葉は幸いだった。助ける、という言葉に頷く。
 スバルのそんな頼りない仕草にティアナは呆れてみせた。

「あんたじゃ無理よ。だって、」
「む、無理じゃないよ!」
「足が震えてるのに?」

 息が詰まった。
 ゆっくりと下を見る。両足ががくがくと震えていた。
 ごうごうと燃え盛る炎の音が、1人取り残された少女の姿が、スバルに空港火災の記憶を思い起こさせる。
 真っ赤な色の炎はスバルの―――心に根付いた恐怖トラウマ

「そこにいなさいよいくじなし。私はちょっと行ってくるから」

 手提げ鞄から拳銃型のデバイスを取り出すティアナ。消火作業に当たる消防隊員の隙を伺っている。間隙を突いて飛び出すつもりなのだろう。―――はしご車が来る気配が、まったく無いから。
 スバルは何かを喋ろうとして、けれどその言葉は喉に絡み付いて外に出なかった。足が竦む。恐怖に心が砕かれる。炎が、恐い。

「ま…………」

 恐い、けど―――。

「待って!」

 ―――炎の中にいる恐怖はもっと大きいんだって、知っている!

「あたしも行くよ! あたしは行かなきゃいけないんだよ……!」
「震えてたくせに?」
「怖くてもなんでも! だってあたしはなのはさんみたいになりたくて―――あたしを空港火災から助け出してくれたあの人みたいになりたくて魔導師になったんだよ!」
「…………空港火災って、去年の?」
「うん」

 まだ怯えが残りながらも膝の震えを止めたスバルを見やり、ティアナは問う。

「あんた、空港火災の時にアイツに助けられたの?」
「うん」
「あんたはアイツみたいになりたいの?」
「うん」
「あんたは―――アイツになりたいの?」

 最後の問いにだけ、スバルは首を振って否定した。

「あたしはなのはさんになりたいんじゃないよ。怖くて怖くて泣き出しちゃいそうになってる誰かを助ける魔法使いになりたいんだ」

 真っ直ぐティアナを見つめるスバルの目。そこに映る真実の色。
 それを信じたティアナは破顔した。

「いいわ。私はアイツのことは嫌いだけどあんたの―――ううん、スバルの心は信じてあげる」

 スバルは思わずまた泣きだしそうになった。
 助けを待っている子がいることを思い出して、ぐっと堪える。

「うん。よろしくね、ティアナ!」
「はい、よろしく」

 笑みを浮かべると背負っていたリュックサックの中身を取り出す。魔力駆動の自作ローラーブレードとリボルバーナックルだ。
 ブレードを穿き、ナックルをはめ、買った服はリュックサックの中にしまう。
 2人はデパートを見やった。相変わらず勢いの強い炎に消防隊は手を焼いている。急がなければならない。
 スバルとティアナは目を見合わせると頷いた。

「じゃあ、あたしがティアナをお姫様ダッコして中に突入しよう!」
「アホかっ!」
「わきゅん!?」

 そしてスバルは殴られた。

「で、でもでもブレードで走れるあたしの方はずっと速いよ……?」
「それはそうなのよね。あー、うーん」
「やっぱりお姫様ダッコ〜……」
「ええい、スバル、リュックを貸しなさい!」
「へ、う、うん」

 スバルのリュックをひったくると自分の手提げ鞄もその中に放り込み、背負うティアナ。
 彼女はスバルの肩に手を掛けると言った。

「確かにブレードで走った方が速いのは道理だわ。だから、おんぶなら我慢してあげるわよ……! りょ、両手使えるし!」
「うん!」

 顔を赤くしたティアナを嬉しそうに担ぐスバル。消防隊員の隙を見計らいブレードを作動させる。
 レーシングカーのような唸り声を上げ回転するブレードの内蔵動力機エンジン
 風が吹いた。一瞬、火の勢いが強くなる。消防隊員達の意識が炎に向いた。
 スバル―――と彼女が背負ったティアナ―――は、遅れて上がった制止の声を振り切りデパートに飛び込んだ。





      ◇      ◇      ◇      ◇





 デパートの中を疾走するスバル。煙を吸い込まないようにティアナにハンカチを口に当ててもらいながら、まずは火元下の三階までを駆け抜けていく。
 火災警報器のけたたましいベル音がやかましい。
 それは思わず、だったのだろうか。ぽつりとティアナが呟いた。

「私もね、火事に遭ったことがあるのよ。家族旅行の時だった」

 ティアナはとても大事なことを話そうとしてくれている。それが分かったからスバルは口を挟もうとしなかった。
 フロアは広い。まだ一階を抜け終わらない。

「父さんが忙しい人でね、家族揃って出かけるのは久々だったわ。すごく嬉しかった 。私、はしゃいでた」

 無言のスバルにティアナは語る。階段ではおんぶを止め駆け上がった。2人分の足音が無人のフロアに響く。

「それが、私の楽しかった最後の思い出。そしてたぶん、最初の地獄。明日には帰るって日に大きなホテルの最上階で夕飯を食べたのよ。夜景が綺麗だったわ。地上の星っていうのはああいう光景を言うんでしょうね」

 ティアナの声とローラーブレードの走行音、そして火災警報器のベルの音。
 一番小さな音はティアナの声なのに、どんな音よりもスバルに届いたのはティアナの声だった。

「ホテルで火事が起こったわ。私達は逃げ遅れて最上階に取り残された。綺麗だって思ってた夜景は、もうぜんぜんそんな風に思えなくなったわ。だって届かないほど離れてるから星なのよ? そんな地上の星に飛び込んだら死んじゃうじゃない? でも、あの時はエレベーターも階段も使えなくなって、飛び降りるしかなくて」

 そろそろ四階だ。
 先を見れば炎の影が映っていた。

「空を飛んで助けに来てくれたのが高町なのはだったわ。他にも魔導師はいっぱいいたけど、私達家族を助けに来てくれたのはアイツだった。アイツはまず意識が朦朧としていた私を抱えて地上に連れていったわ。そして父さん達を助けにホテルの屋上に戻る時に『あなたの家族は絶対に助けるよ』って言った。アイツは父さん達を助けに飛んだわ。私は煙を吸い込みすぎててて、すぐに病院に運ばれたわ」

 四階の踊り場にさしかかった。
 踊り場ですら炎に包まれていた。スプリンクラーが作動して火を消そうとしているが、炎の勢いを減じられている気配は無い。強すぎる炎はもしかしてデパートの構造に何か欠陥でもあるのかと首を傾げつつ。
 2人は頷きあった。

「そして、家族は誰一人として帰ってこなかった。ただそれだけの話よ」

 炎を突っ切り五階に上がるしかない。この様子では踊り場から五階、そして次の踊り場まで炎に包まれているかもしれない。火元は階段の近くなのだろうか。
 スバルの胸中に、燃え盛る炎を前にして恐怖が訪れた。でも、ティアナの手前強がった
 たぶん、ここで挫けたら今度こそ絶縁状を叩きつけられてしまう。

「私、嘘つきは嫌いなの。スバルは嘘ついたりしないわよね?」

 瞳に―――どこか、がらんどうのような―――瞳に、なんだか不安のような色を浮かべたティアナ。
 弱々しい眼光を受けてスバルは頷いた。しっかりと頷いた。
 言葉を嘘にしない、という決意を固めながら。

「うん! ほら、行くよティアナ。あの子を助けないと」
「ええ、そうね!」

 炎は恐い。やっぱり恐い。
 でも、と思う。
 スバルはもう泣いているだけの子供じゃない。泣いている子供を助けられる魔導師だ。
 防御魔法を展開する。全身を包むようなバリアタイプの防御魔法だ。

「強行突破、いっくよー!」
「あんまり気合入れすぎて転ぶんじゃないわよ!」
「うん! ―――わきゅっ!?」
「言わんこっちゃない!?」

 出足一番で転びそうになったところをティアナに支えられつつ、炎に包まれた階段を突っ切る。
 あまり錬度の高くない防御魔法では思うような耐熱効果を得られず異様なほどの発汗があった。じりじりと焼かれているような不快感がある。だが、肌を見れば綺麗なものだ。防御魔法はちゃんと自分を守ってくれている。
 いける、と呟いた。そう信じるために。

「よし、五階に出た。あの子を探すわよ!」
「うん!」

 やってみればあっけなく炎を抜け出た。まとわりついた火の粉を払うと空港火災の恐怖がどこか遠くへ消えた。
 階段からその手を伸ばそうとしている炎を一瞥するとすぐに少女を探す作業に取り掛かる。声を上げて彼女に呼びかけるが返事が無い。煙にやられたのかもしれない。
 記憶を頼りに少女が助けを求めていた窓の位置を割り出す。果たしてその場所に……彼女はいた。
 フロアの真ん中で視線を左右に廻らせていたティアナを呼ぶ。案の定、少女は煙を吸い込みすぎて気を失っていた。
 危険だ。

「ねえ、ティアナ。この子、同じルートを引き返して持つと思う?」
「厳しいと思うわ。たぶん時間が掛かりすぎるし、何より炎の壁を抜けられない」

 ティアナの冷静な意見に―――スバルは、困った。

「ど、どうしよう!? 勢いで来たはいいけど引き返せないよ!?」
「…………アホ犬」

 すっぱーんという音がほぼ無人のフロアに響き渡った。

「私のデバイスのアンカーガンを使いましょ。あんたがこの子を抱えてくれる?」
「うん。えっと、それでティアナに抱きつけばいいのかな?」
「そうね」
「揉みしだけばいいんだよね!」
「どこをよっ! どこをっ!」

 すぱんっ、すぱんっと続けて小気味良い音が響く。どうにも緊張感の足りない2人だった。
 スバルは何度か頭を摩ると昏倒した少女を抱える。幼い少女は体重こそ軽かったが、それが命の重さかと思うと途端にずしりと感じられた。

「ってー、思ったんだけど。この子を抱えながらティアナに抱きつくって難易度高いよね!?」
「私もあんたのこと抱きしめててあげるから、がんばって」
「う、うー。わきゅ、がんばる」

 窓から外を見やる2人。眼下には消火活動を続ける消防隊や野次馬の姿が見えた。はしご車の姿は、やはり無い。

「こっち」
「あ、ちょっと待ってよ!」

 大通りに面した窓に背を向けると走るティアナ。遅れて続くスバル。
 やってきたのは大通り側とは逆側に設置されたはめ殺しの窓だ。すぐ前には隣のデパートが聳え立っていた。

「スバル」
「わきゅ?」
「割って」
「不良への逃避行!?」
「いいから!」
「う、うん」

 ナックルを叩き付けて硝子を砕く。けたたましい音が響いた。
 ティアナは割れた窓から顔を出すと下を覗く。炎が吹き上がっている様子は無い。

「目の前のビルの壁にアンカーを打ち込むわ。ここならずり落ちそうになってもちょっと身体を伸ばせばそれでつっかえられるから、大通り側から降りるより安全だと思う」
「おお、流石ティアナだ!」
「はいはい。じゃあ、あんたはその子をしっかりと抱いててね」

 スバルの賞賛を軽く聞き流してアンカーを打ち込む。確かな手ごたえに満足するとスバルに抱きつくよう促した。
 細身のくせに意外と力強いな、なんて思った。

「じゃ、降りるわよ」
「うん!」

 アンカーを支えに降りていくスバルとティアナ。彼女達の足は意外なほどあっけなく地上に辿り着いたのだった。





      ◇      ◇      ◇      ◇





 少女を消防隊に引き渡し、ティアナが待つ、デパートを挟んで大通りの裏側に戻ってきたスバル。開口一番彼女は疑問を口にした。

「ねー。救急車で運ばれてくあの子についていかなくてもよかったの?」
「たぶん、訓練校の先生に怒られるでしょうからね」
「そ、そうなのかな!?」
「ほら。私たち、消防隊の人の声を無視して勝手なことしたわけじゃない?」
「そっかー……そうだよねー」
「ま、あとでお見舞いくらいは行きましょ。……って、なに。表彰でも期待した?」
「そ、そういうわけじゃないよ!?」
「ふふ。どうだかね」

 無人になったデパートを後にする2人。
 彼女達の間には買い物に出かけた時と同じ―――あるいは、それ以上に―――親密な空気があった。
 嬉しいなあ、と頬を弛ませるスバル。だが、彼女はあることに気づいて悲しそうな顔をした。

「雨に打たれた子犬みたいな顔してどうしたのよ? やっぱり表彰されたかったわけ?」
「そ、そうじゃなくてー……。あの、リュックサック」
「へ?」

 ティアナは背負っていたスバルのリュックサックを肩から下ろした。見やる。
 悲しい気持ちでいっぱいになった。
 リュックサックは防御魔法の範囲内に中途半端に入っていたのだろう。ところどころ焦げていた。もちろん、中身も。

「あちゃー……」
「うう、リュックー……」
「ごめん、弁償するわ。服もまた買いなお……いや、スバルにもっと似合うふりふりの服を見つけ出すわね!」
「服はもういいよう!?」

 一瞬、沈黙。後に大笑い。

「ティアナでも失敗することがあるんだねー」
「私だって失敗くらいするわよ!」
「あはは、でも、なんだか意外。いつもはこーんなに目を吊り上げて何でもさくさくやっちゃうからさ」
「目を吊り上げてるは余計よ。アホ犬」
「わきゅーん!?」

 ティアナがスバルを引っぱたくと会話が途切れた。
 スバルは気になっていたことを切り出す。

「ねえ、どうしてティアナはデパートに戻ってきたの?」
「うん? 聞きたい?」
「うん」
「気になってたのよ、あの子のこと。それでふらっと戻ったら火事でしょう。もうあれには驚かされたわよ」
「わきゅ。ティアナは面倒見がいいんだねー」
「そう?」
「そうだよ、そうそう。ティアナ優しいー」
「そうなのかしらねえ」

 小首を傾げるティアナ。そうだよそうだよ、と続けるスバル。
 ティアナは恥ずかしくなったのでスバルの額を叩いて黙らせた。

「まあ、ええと。私とスバルは多分同じよ?」
「同じって、何が?」
「志。きっかけになった人間をどう思ってるかは違うけど、ね」
「あ……えっと」

 真っ直ぐにスバルを見つめるティアナ。一瞬、逃げてしまいそうになった。
 記憶の奥に、なのはへの憎悪を語るティアナの姿が浮かんだからだ。
 けれど、逃げず、今度はきちんとティアナに向いた。それはティアナの目がずいぶんと澄んでいたからだし、ちゃんと受け止めてあげたかったから。

「助けてくれた時はアイツに憧れた気持ちもあったわ。すぐに怨みに変わったけどね。だから私は―――悔しいけど誰かを助けられるようになりたいって思ってて、前に進むエネルギーは憎悪と嫌悪が強くて。結局、軽蔑している相手を尊敬もしているのよね。笑ってもいいわよ?」

 スバルは静かに首を振った。笑わない、という意思表示だ。

「そっか。ありがとう、スバル」
「ううん! ええと……そのぅ……」
「口ごもっちゃってどうしたのよ?」
「え、いや。ここであたしはティアナのパートナーだからね! って言えたら格好良いなぁって思ったんだけど、言えませんでした」
「あー……」

 しゅんとなったスバルに笑みを見せ、ティアナは言った。

「そうね。パートナーね」
「わきゅ?」
「あのね。私、高所恐怖症なのよ。たぶん火事の時に見たホテルの最上階からの光景が恐ろしかったからだと思う。でも、さっきは五階の高さから下を見てもなんともなかった。―――恐いはずの炎に立ち向かったスバルには負けられないって思ったら、強くなれた」
「え、そんな話初耳だよ!?」
「話してないんだから当たり前じゃない」
「そ、そうだね!?」
「スバルさえよければパートナーになろうか、私達?」
「わきゅ!?」

 一秒、二秒、三秒。スバルはしばらく思考が停止した。
 そして三秒、二秒、一秒。スバルの思考は動き出す。満円の、笑みを浮かべて。

「うんっ! なろう、なろうパートナー! あとね、あとね、友達になろうよ!」
「わっ!? 抱きつかないの! 友達でも何でもなってあげるから落ち着きなさい!」
「うんっ。落ち着くねティアー!」
「……ティア?」
「ティアー!」
「なに、それ?」
「仲良しにはあだ名が必要じゃないかなあ、って思いました!」
「それで、ティア?」
「うん」
「アホ犬」
「わきゅん!?」

 拳骨を喰らってスバルは蹲った。痛くて涙目だ。

「でもまー……いいか。いいわよ、ティアで」
「ほんとに!? やったー! これからもよろしくね、ティアー!」
「よろしくアホ犬」
「それはなに!?」
「あだ名」
「わきゅーん!? あたし犬じゃないよ! アホだけど!」
「アホの自覚はあるのね……」

 がーっくり肩を落として溜め息を零すティアナ。彼女にまあまあ、そんなに肩を落とさないで、とか慰めたら殴られるスバル。
 理不尽な暴力に目尻に涙を浮かべ訴えるが効果は無かった。

「あ! ティア、ねーねー!」
「どうしたのよ?」
「あのね、アイスが売ってるのー! 買ってきていいー?」
「好きにしなさいよ」
「じゃあちょっと買ってくるね!」
「あ、待ちなさい。試しに聞くけど何個買うの?」
「えー……っと。とりあえず、全種類?」

 視線の先にあるアイス屋には13種類のアイスが売られていた。

「お腹壊すわよこのアホ犬ッ!」
「わきゅん!? い、痛いよティア〜!?」

 青空に、スバルの悲鳴が溶けていく。
 額に青筋を浮かべて説教するティアナ。しゅんと落ち込むスバル。
 これは、そんな感じの物語。
 スバル・ナカジマとティアナ・ランスターという少女達が友達になったとある日の出来事。

「じゃあ、6個! 6個ならいいでしょ!」
「どんなアイアンストマックなのよスバルッ!」

 舞闘少女全開スバル空回りが少し強くなって、友達ができた日のお話。






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