―――私達で守ろう、ユーノ君。





 雪化粧をした街中は、煌びやかな装飾を施されて輝いていた。
 地球ではクリスマスと呼ばれるこの日は、どうやらミッドチルダでも何かおめでたい日のようで。

「みんな、楽しそうだね」

 両親に手を引かれて歩く子供が笑っていた。弟と街中を駆ける女の子が笑っていた。

「こういうのってなんだか嬉しいよね、レイジングハート」
《Yes,Master》

 彼らの笑みに誘われて、高町なのはも笑っていた。
 首に下げた相棒と話をしながら、クリスマスに彩られた街を歩いていく。

「んー。お仕事が思ったよりも早く片付いちゃったし、地球に帰って翠屋のお手伝いをしようか?」

 手持ち無沙汰な主の問いに、紅の宝玉が身を明滅させて応えを返す。
 だが、渡そうとした言葉は届くことはなかった。

「わっ!?」

 どすん、と。少々重い衝撃を受け、なのはの身体がよろめく。
 どさり、と。彼女の前で何かが落ちる音がした。

「あ、ごめんね」

 なのはの前にいたのは、彼女より幾分も年下の男の子だった。
 どうやらぶつかってしまい、男の子だけが雪の中に倒れてしまったらしい。
 なのはが手を伸ばすと、男の子は恥ずかしそうにしながらその手を握って立ち上がった。

「ありがとう、おねえちゃん。ぼく、まえ、みてなかったから。ごめんなさい」

 男の子は素直な少年で、なのはにぺこりと頭を下げて謝った。

「いいよ。私も前方不注意さんだったからね。おあいこだよ、にゃはは♪」

 彼の頭をぐしぐしと撫でてあげると、男の子は顔を上げて微笑んだ。

「ありがとう、おねえちゃん!」

 どういたしましてと告げると、少年ははにかむように笑った。

「あのね。ダリーにプレゼントをかいにきたんだ。だから、ぼく、いそぐから。ごめんね。ばいばい!」

 そう告げて、男の子は去って行ってしまった。
 彼の後ろ姿をぼぅと見つめるなのは。

《Master?》

 主の姿に心配したレイジングハートが声を掛けると、なのははぽつりと零した。

「あの子、ユーノ君に似てたなぁ」

 レイジングハートは黙り込んでしまう。

「ユーノ君は元気かな? 無限書庫でお仕事を始めてから1年くらいになるけど、お仕事にはもう慣れたのかなぁ」

 1年前のこの時期には共にいたものだが、無限書庫での勤めが忙しくなる中で会える頻度が激減してしまっている。
 連絡くらいは取り合っているが、それでも最後に顔を見たのはいつだったか。

「ユーノ君、元気だといいね」

 そう言う主の声は元気が無いなと、レイジングハートは思った。

「にゃ、にゃはは」

 そして、ため息をついた。

「にゃう」

 煌びやかな街に目を向ける。そこは、夢のように幻想的に輝いていて、触れてしまえば溶ける雪のようだった。
 一時の夢の中で、人々は笑いあっている。

「クリスマス、かぁ」

 今日において、のみ。その夢はいつまでも続く。
 そんな幻想の中で、人々は笑いあっていた。

「にゃう」

 今はまだ、笑いあっていた。










 眼下に広がる雪景色を前に、ユーノ・スクライアは溜息を吐いた。
 子供達がはしゃぎたがる一面の銀世界は、しかし今の彼の心を昂らせたりするようなものではない。
 大型の輸送機に乗ったユーノにとって、彼らが運ぶ大荷物のことだけが気がかりでしかたなかった。

「何も起こらなければいいんだけど……」

 数ヶ月前、ミッドチルダ首都クラナガン近郊で古代の遺跡が見つかった。当然調査隊が派遣され、その中にはユーノ・スクライアも参加していた。
 遺跡の中には興味深い歴史的資料が様々存在したが、中でも一際目を引くものがあった。

「古代の人間はミッドチルダを滅ぼす気だったのか……?」

 見る者にそう感想を抱かせるもの。
 遺跡の最深部、広大なドーム状の空間。冷気に満たされ氷で覆われた世界には、そこに眠る主がいた。

「これは現代に蘇らせちゃいけない。でも、このままだといずれ……」

 遺跡は崩れ掛かっており、主を安置している部屋も何れ崩壊して陽の光に曝されることとなっていただろう。そうなれば主も覚醒してしまう。
 事態を重く見た管理局首脳部は、遺主の保管専用施設を建造することにした。
 施設は特殊な冷却装置を必要とし、建造には数ヶ月を要した。

「これで一安心。なんて、思えるといいんだけどね」

 そして今日、主の移動作業を行っている。
 主は体温が一定以下に下がると活動を停止するようで、輸送機が吊るす巨大なケージの中で常に冷気を浴びせ続けていた。

「とりあえず、ミッドチルダからは早く離れよう。施設の近くまでいけばもしもがあっても周囲に何も無いから、気兼ね無く対処できる」

 ユーノの言葉を受けてか、輸送機が少しだけ速度を上げる。
 輸送機のパイロットも、こんな大荷物には早めに別れを告げたかった。

「1年前はこんなことをしているなんて思いもしなかったよ。去年は、そうだなぁ。なのはと一緒にいたんだっけ」

 ふと、離れていく景色を見れば。そこには華やかな街の明かりがあった。

「あの中になのはもいるかな? いや、翠屋でお手伝いをしてるかな」

 独りごちて前を向く。
 何がどうあろうと、今は自分がすべきことをしなければならない。

「もっとも、ボクがすることってそんなに無いんだけどね」

 自分は、何かがあった場合にその場での対処を考える学者としてここにいる。
 護衛の魔導師はちゃんとついているし、輸送機のパイロットももちろん自分ではない。

「むしろ、ボクが必要になることがないように祈るべきかな?」

 何もなければ、仕事は無い。
 それでいいし、それがいい。

「そうだね。乗り心地の悪い飛行機に揺られて、少し遠くの寒い場所まで行って。それで、帰ってくる。ただ、それだけでいいんだ」

 半ば、願いようにして。呟いて、ユーノは輸送機にしつらえられた席に座る。
 そうするとようやく人心地がついて、安堵の溜息を吐いた。

「うん?」

 だが、そんな彼を嘲笑うかのように。

「どうしたの?」

 パイロットたちが慌て始める。

「主の部屋の温度が急激に上昇しています! このままでは、30秒を待たずに主が目覚めてしまいます!?」

 ユーノも慌て、そして主の部屋の温度を示すメーターを見る。
 確かに温度が上がっており、主が活動を始める体温に向けて急激に上がり続けていた。

「原因は?」
「恐らく、冷却装置の故障かと。先ほどから操作を試みているのですが、こちらの指示を受け入れません」
「こんな時に整備不良か……っ」

 そうして言葉を交わしている間にも、覚醒の時が刻一刻と近づいてきていた。
 残り少ない時間の中で、ユーノはできうる限りの指示を飛ばす。

「外の武装隊の方! 異常が発生しました。これから主を下へ落とします。近くにはクラナガンがあります! 主がそちらへ行かないように誘導をしながら時間を稼いでください! こちらは管理局へ応援を要請します!」

 また、パイロット達にも指示を与え、主がいるケージを輸送機から切り離すように言う。
 輸送機の中で主が目覚めれば、機体が空中で爆破分解されて彼らが助からない。そう判断してのことだった。

「主を切り離した後は、君たちはクラナガンに戻って。後はこっちに任せて、君達は安全な場所へ!」

 主を輸送機から落とさせ、自身は輸送機の扉を開けて冷たい外気にその身を曝す。

「ス、スクライアさんはどうするんですか……?」

 彼の行動に目を丸くしたパイロットたちに、ユーノは言う。

「ボクにはアイツを倒す力は無い。でも、知識と、魔法があるから。アイツを喰い止める手伝いくらいはできるし、それに」

 バリアジャケットを覆うと、寒さは感じなくなった。
 眼下には一面の銀世界が広がる。これからその場が戦場になるのかと思うと、足が震えた。

「こういう時のために、ボクはここにいたから」

 それは恐怖の震えではない。勇ましく立ち向かう者がする、武者震いであった。

「じゃ。行ってきます」

 パイロットたちにそう告げて、ユーノ・スクライアは中空に身を投げ出した。空の中からは様々な景色が見えた。
 主を閉じ込めるための施設や、その周囲に立ち並ぶ木々。眼下に広がる雪化粧をした平原に、そこに蹲る巨大な影。
 そして、遠くに見える街の、クラナガンの街明かり。

「絶対に、クラナガンには行かせない」

 きゅっと口の端を結び。ユーノ・スクライアは、主が起き上がる前に外で待機していた武装局員たちに指示を下していくのであった。
 災厄を、現代に起こさないために。










 流れ星が落ちた。だがそれは綺麗なものではなく、願いが叶うものでもなく、そして随分と低い位置から落ちた流れ星だった。

「何かな?」

 偶然か、必然か。それが落ちる様を目にした高町なのは。
 彼女が疑問に小首を傾げていると、地響きのような音が足元に響いた。

《何か重いものが落ちたようです》

 瞬時に状況を解析して言葉を弾き出すレイジングハート。
 しかし、信頼する相棒の言葉に、高町なのはは再び首を傾げる。

「落ちたって言ったら星だよね。でも、なんで?」

 隕石が落ちたのなら、もう少し、こう、瞬時に大惨事が巻き起こりそうなものである。

《分かりません。けれど、あれが答えの一端を担っているかもしれません》

 レイジングハートが光で空を指す。なのはが上を見上げれば、大型の輸送機がクラナガンにある時空管理局施設を目指して飛んでいく姿が目に入った。

「何かを運んでて、その何かを落としたんだね」

 嫌な予感がした。どうして輸送していたものを市街地近くに落すのだろうか。
 これがクラナガンが主催したイベントだとでも言うのなら心配しなくてもいいかもしれないが、輸送機は時空管理局を目指していた。
 しかも、どうやらあのタイプの輸送機が出せる全速力を出しているようにも思える。

「行こうか、レイジングハート」

 杞憂であればいい。行って、安心して、胸を撫で下ろせばいいのだ。

《Yes,Master》

 主の言葉に忠実に、レイジングハートは言葉を返す。
 いつもと変わらぬ相棒の姿に満足したなのはは、輸送機が飛んできた方に向けて駆け出した。

『高町。聞こえるか、高町』

 なのはがクラナガン郊外に向けて走る中、彼女に念話が飛び込んできた。
 念話の主はなのはがよく知る人物で、現在彼女の直接の上司となっている男性である。

『はい、聞こえています』

 なのはの背に冷たい汗が流れる。このタイミングで上司からの念話というのは、嫌な予感を増大させるものでしかない。

『お前はまだクラナガンにいるか?』

 上司の問いに肯定の意を返す。すると、すぐに上司から指示が飛んできた。

『緊急事態が発生した。お前はクラナガン北に、郊外に出て現地にいる武装隊員と共に事件の対処に当たれ』

 現地に赴く前に心配は、杞憂は現実となってしまった。
 事件が、起きている。

『現地には学者先生がいる。そいつの指示をよく聞いて戦え。お前の魔力は常軌を逸しているが、相手も規格外だ。過信することなく、慎重に戦えよ』

 なのははレイジングハートをセットアップする。
 桜色の光が彼女を包み、なのはは白い戦闘装束を纏った。

『飛行許可は既に出ている。お前は空戦魔導師だ、存分に空で戦え。以上だ、健闘を祈る』

 念話が切れると共に空を舞った。
 足を走らせていた雪の道が、街の明かりが、間近にあったそれらは遠ざかり、全ては眼下に広がるようになる。

「急ぐよ。何があるかは分からないけど、何があっても止めなくちゃいけないから!」

 主の言葉に、レイジングハートが強く輝くことで応える。
 なのははその輝きに頷き、全速力で現地へと向かった。










 ユーノと、護衛の武装局員2名。彼らは、彼らが輸送していた生物と対峙していた。
 今はまだ雪に蹲ったままのそれは、全身を鎧のような黒色の肌で被われている。
 その鎧に刀剣類が効かないことは研究で明らかになっており、つまりはとにかく硬い。

「あれを止める方法は3つ」

 閉じた口に秘める牙は鋭く、鋼の板を容易に噛み砕くだろう。
 全身は長大で、身の丈に合わせるように長い尾は振り抜くだけで街を平野に変えるだろう。

「1つは、違法を承知で強力な質量兵器で殺してしまう方法。ただし、ここで使えばクラナガンまで巻き込んでしまうほどの破壊力を持つ質量兵器でなければ倒せません」

 怪物が目を開く。正しく捕食者の色を持つ爬虫類の瞳が、空中に浮かぶ3人の魔導師をぎろりと睨んだ。

「1つは、何かしらの方法でアイツの体温を下げてしまう方法。ただし、魔法で凍らせる場合はSランク以上の氷結系魔法を必要とします。必然的に氷結魔法の効果範囲も広くなりますから、やはりクラナガンが近いこの場所では使えません」

 蹲っていた怪物が身を起こす。それは2本の足と尾で自重を支え、半ば人のような直立姿勢を取った。直立した巨大生物は本当に巨大で、ビルを悠々と越す身長を持っている。
 巨大な化け物が、吼えた。

「1つは、魔力ダメージで精神力をエンプティさせる方法。遺跡にあった資料によれば、身の丈に合うように……いや、身の丈以上の精神力を持つようですが、防御魔法の類は展開できないようなので魔力ダメージは全て直撃になります」

 耳をつんざく咆哮が空気をびりびりと鳴らし、空の3人に襲い掛かった。
 ユーノたちは思わず顔をしかめる。たかが声なのに、それ自体が攻撃のようにも思えた。

「現状、この人数ではどの方法も取れません。今は選択肢を増やすために、クラナガンからアイツを引き離しましょう。そうして増援を待つことが、ボクたちの仕事です」

 この場にいる3人の魔導師。もちろんユーノは戦闘魔導師ではなく、巨大生物を直接押し留めることの役には立ちそうもない。
 その他2人の武装局員は教導官研修中の教導官の卵である。共に空戦闘資格を持つ魔導師で、その腰には剣を提げていた。

「けれど、撤退誘導戦ですらも危険です。できるだけ距離を取るよう、射撃魔法を軸にして―――うわっぷっ!?」

 続けて喋ろうとしたユーノの口を、青髪の魔導師が塞いだ。

「それだけ聞ければ充分だ。学者先生は下がっていてくれ、後は俺達がやる」

 茶髪の魔導師が生真面目に言い放ち、腰に提げた剣を引き抜いた。

「それと、俺達さ」

 青髪の魔導師も剣を引き抜く。茶髪の魔導師と対照的な軽快な声で喋る彼は、しかしその瞳は真摯に眼前の巨大生物を見据えていた。

「遠距離魔法、苦手なんだよね」

 月光に剣を光らせ、茶髪の魔導師が巨大生物に切り込んでいく。
 巨大生物は大樹の幹よりも太い腕を振るって茶髪の魔導師を叩き落とそうとするが、器用な旋回運動を追い切れず宙を切るのみとなってしまう。

「その分、できるだけアイツをクラナガンの外に移動させながら魔力ダメージを叩きこんでおくさ」

 茶髪の魔導師の動きが鋭くなる。三度目の巨大生物の攻撃を掻い潜った瞬間、巨大生物の眼前から彼の姿は消えていた。

「大丈夫だよ、少年」

 くしゃっ、と。10歳になったばかりのユーノの頭を、青髪の青年魔導師が撫でた。

「あの街は、絶対に守ってみせる」

 刺すような殺気を感じて、巨大生物が無理矢理身を捻って背後を見やった。そこには剣を振り上げる茶髪の魔導師の姿があり、彼は紅の魔力光を全身に纏わせていた。
 身の危険を感じた巨大生物が茶髪の魔導師を空中から引きずり下ろそうと腕の鋭い爪を彼に向ける。

「絶対に」

 だが、爪よりも彼の剣の方が遥かに速かった。

「よし。俺も行きますか」

 体長の差が存在しないかのような強烈な打ち込みを受け、巨大生物が巨躯を数歩よろめかせる。
 生まれた隙を突くように青髪の魔導師が巨大生物に飛来し、蒼の魔力光を纏い、不安定によろめく巨大生物の足を殴り飛ばした。
 巨躯が揺れ、雪原に崩れ落ちる。

「今日のあの街には、人々の笑顔が溢れているんだ。あそこには、掛け値無しの幸せがあるんだ。それを、お前なんかに邪魔はさせないっ!」

 2人の魔導師が剣を掲げ、互いの魔力を爆発的に燃え上がらせる。
 蒼と紅の光が空を照らし、彼らの剣が輝いた。

「喰らいやがれよ、デカブツが―――…………ッ!」

 そして、空中からの急速落下。
 その勢いと魔力でもって、彼らは剣を硬く厚い巨大生物の皮膚に突き刺した。

「こいつでお前を倒しちまえるとは思わねぇ。だが、俺達の1撃がお前を倒す礎にゃなると思うぜ……ッ!」

 夜を引き裂く、目が眩むような激しい光が広がった。
 ユーノは思わず両手で瞳を覆い、強烈な光から逃れる。

「さってと」

 光が消え行く中でまだ開けるのに痛む目を開くと、巨大生物の腹に剣を突き刺したまま立つ2人の魔導師の姿が見えた。

「第1ラウンドは俺達が優勢。けど、勝負は第2ラウンド以降なんだよな」

 剣を引き抜き、彼らは空に戻る。倒れ伏す巨大生物を見下ろしながら、まだ戦いは終わっていないと、剣を構えた。

「どれくらい保てると思う?」

 巨大生物が、己を見下ろす2人の人間を睨んだ。

「アイツの歩行速度次第だね」

 巨大生物は器用にも腹筋を使って飛び跳ねるように起き上がり、そのまま空中の2人に奇襲を掛ける。
 両腕と尾の3連撃を魔導師達は難無く回避したが、目の前の敵の意外な俊敏さに舌打ちをする。

「歩行速度は、速そうだ……ッ!」

 2人の魔導師は巨大生物の着地の隙を狙おうとはせず、それどころか巨大生物に背を向けて移動を開始する。
 魔導師達の攻撃に怒りを覚えていた巨大生物は、瞬時の迷いも無く彼らを追いかけ始めた。

「それでも、一先ずは作戦通り。これで、細かいことを考えて戦わなくても、怒ったアイツから全速力で逃げるだけでクラナガンから引き離せる」

 青髪の魔導師の言葉に茶髪の魔導師が頷いた。

「もしもとか、そういうことはあんまり考えたくないね。けど、俺達がやられたあとは……」

 巨大生物の追撃を逃れる中で、青髪の魔導師がちらりと後ろを見た。
 それは追撃者を見る目的もあったが、それ以上に、瞳に焼き付けておくべき姿があったから。

「あの少年が、なんとかしてくれるさ」

 自分達の姿を見送るユーノの姿を焼き付けて。
 2人の魔導師は、時と距離を稼ぐために飛んでいった。










 クラナガン郊外に出れば、そこは1面の銀世界。雪の化粧に彩られた白い平野は、夏にはピクニックに訪れる家族連れでいっぱいになる。
 今は人はいないが、月明かりを受けて銀に輝くこの平野は、とにかく綺麗だった。

「ここで雪だるまを作ったり、みんなで雪合戦とかしてみると楽しそうだね」

 戦いを前にしてぽろりと零れたなのはの言葉。
 緊張感の無い発言は、何もいい加減な気持ちで戦闘に望んでいるからではない。

「こういう場所も、きっちりと守らないとね」

 彼女が視線を前に向かわせれば、そこには巨大なものが落ちて出来たとされる窪みがあった。
 白い雪は無残に散らばり、大地はひび割れ歪んでいた。

《窪みから足跡のようなものが続いています。予測するに、対象はそちらへ誘導されているのではないかと》

 レイジングハートの分析になのはが頷く。
 高い、高い木々の森の向こうまで足跡は続いていて、森の奥に対象がいるようだ。
 なのはは自分に発破を掛け、そして改めて戦いに向かおうと飛行魔法に加速を掛ける。

「なのは? え……なのは?」

 彼女に追いすがるように、懐かしい声と影が並走した。
 なのはが驚きに目を丸くすると、そこにはユーノの姿があった。

「増援は、なのはなの?」

 どうしてユーノがいるかを言及する前に問いを投げかけられてしまい、なのはは喉の奥に突っかかるものを感じながら頷いた。
 彼女の首肯にユーノは考え込んでしまい、なのはは自分がしたい問いを放つ機会を失ってしまう。

「この森の向こうで、研修中の教導官さん達が戦ってるんだ。相手は、えーっと……」

 そして口を開いたかと思えば状況の説明が開始され、なのははまたまた問いを放つ機会を失ってしまう。

「な、なのはの世界の映画で見たゴジなんとかとかガメなんとかみたいな奴」

 そして、なのはは言葉すら失った。

「し、信じられないかもしれないけど信じて! ほ、ほら、地面にありえないくらいおっきな足跡があるでしょうっ!? それが、アイツの足跡で……」

 必死に弁解するユーノ。あたふたと両腕を慌しく動かし、どうにかしてなのはに信じてもらおうと努力している。
 その方向性はあまり上手いとは言えない、が。
 彼の必死な姿を見て、なのははくすりと笑った。

「大丈夫だよ、ユーノ君。私がユーノ君を信じなかったことって、なかったでしょ? だから、今回だって信じるよ」

 なのはの言葉にユーノは顔を紅くして言葉を詰まらせてしまう。
 恥ずかしそうに俯いて、頬をぽりぽりと掻いた。

「でも、どうしてユーノ君がここにいるの?」

 ようやく疑問を口に出せたなのは。
 やっと聞けた問いの答えは、あっけなくもすぐに返ってきた。

「紆余曲折は省くけど、ボクは今回の任務で万が一があった場合に備えて呼ばれてたんだ。扱いは学者だね」

 ユーノの言葉を受けて、なのはは上官に言われた言葉を思い出す。

  『現地には学者先生がいる。そいつの指示をよく聞いて戦え。お前の魔力は常軌を逸しているが、相手も規格外だ。過信することなく、慎重に戦えよ』

「そっか、学者先生ってユーノ君のことだったんだ」

 よくよく考えれば、無限書庫に勤務してながらも彼は遺跡発掘を続けている。当然、発掘調査した遺跡についての論文を纏めたり発表したりすることもあるだろうから、彼は学者であるとも言えるだろう。
 学者先生と言われてユーノが思い浮かばなかった自分を、なのはは―――不可思議な感情だけれど―――コツンと、こめかみを弱く打ってお仕置きした。

「うん、多分。それよりもさ、増援はなのはだけなの?」

 ユーノの言葉になのはは首を傾げた。
 自分はこちらに行けと言われたけれど、他の人員がどうだかは知らない。

「分からないってことか。管理局もどれだけ戦力を割けばいいか分かってないんだろうな。いや、それはボクにも分からない」

 1人でぶつぶつと喋り始めるユーノ。取り残される形となったなのはは、仕方が無いので彼が呟く言葉を耳で拾っていくことにする。

「管理局の方では一緒に発掘をした仲間達がいるはずだから、場合によっては彼らが呼ばれてるか……もう、彼らを交えて会議をしているかもしれない」

 ぶつぶつぶつぶつ、ぶつぶつぶつぶつ、と。情報の分析を行うユーノ。
 それはなのはには少々苦手で、ユーノが得意とすること。だからなのははユーノに任せ、彼が自分に言葉を告げてくれるのを待っている。
 待ってはいるが、久々に会ったのに、こう、再会の喜びを交わす間も無く仕事モードに入られると、少々寂しかった。

「やっぱり、なのはが加わっても考えなきゃいけないのは足止めか。スターライトブレイカーだってアイツの精神力をエンプティまで持っていくのは辛いだろうし」

 ぶつぶつぶつぶつ。ぶつぶつぶつぶつ。

「それに、発射までの時間をどうやって稼ぐかって問題もあるしね」

 ぶつぶつぶつぶつ、ぶつぶつぶつぶつ。

「とりあえず、教導隊の人と合流しよう。彼らがアイツをクラナガンから大分遠くまで引き離してくれたから、かなり高い自由度で戦闘ができ……る……なのは?」

 分析を終えてなのはに振り向いたユーノは、不満というクルミに頬を膨らませるリスを見た。
 ユーノの額に、一筋の汗がたらりと流れる。

「あ、足止めが目的になるんだけど……い、いい?」

 なのはは頷くが、その表情はユーノには原因の分からない不満でいっぱいだった。

「いいよー?」

 なのはが速度を上げ、木々の向こうを目指して翔けて行ってしまう。
 ユーノは慌ててなのはを追いかけるが、魔力出力の差でぐんぐんと距離を引き離されてしまう。

「な、なんで怒ってるの!? ねぇ、なのは! ……なのはー!!」

 曲りなりにも作戦行動中に何をしているのか。
 もしもこの場に第三者がいれば苦笑いを浮かべているだろう2人の状況。

《まったく……やれやれです》

 もしもを突破して存在していた第三者、レイジングハートは、デバイスに似合わぬ人間臭さを発揮して、主と元主の姿に苦い笑みを浮かべていた。

「ぁ―――…………ッ!? なのはぁっ!」

 そんな、日常に戻ったかのような時も―――唐突に、終わりを告げる。
 森の奥で強烈な蒼白い発光が起こり、夜の空を切り裂いた。
 ユーノの頭に、巨大生物を引き付けていた2人の魔導師の姿が過ぎる。
 青髪の魔導師は蒼い魔力光、茶髪の魔導師は紅い魔力光を纏っていた。
 しかし、自分が直前に見た光は……蒼白。

「うん、ユーノ君!」

 なのはもユーノも木々より高く飛び上がり、遠くに広がる光景を視界に映した。

「…………あれが、ユーノ君が言ってたおっきいのだね」

 視界に映るは、黒き巨躯。魔導師2人を追いかける頃は怒りに歪めていた表情も溜飲が下がったのか、幾分かすっきりした面をしている。
 目を引くのは巨躯の前方で、そこだけが局地的な嵐にでも遭ったかのように、巨大生物を中心として扇状に薙ぎ払われていた。

「あれ? ねえ、ユーノ君。武装隊の人が……教導官見習いの人がいるはずなんだよね?」

 黒き獣が咆哮を上げる。離れた位置にも充分な声量と威圧を届かせるその声は、ユーノには最初に聞いたものと少々赴きが違っているように思えた。
 最初に聞いた時は、威嚇だった。愚かにも自らの眼前に立った生物に対しての威嚇の咆哮だった。

「だれも、いないよ……?」

 しかし、あれは今のものは違う。それは威嚇と呼ぶにはあまりに誇らしげで。

「どこにも、いないよ……?」

 まるで、勝利の凱歌のようだった。

「ユーノ君?」

 2人の魔導師と別れる前のやりとりが、ユーノの脳裏に蘇る。
 戦闘前の戦力分析では、正直、絶望的だと思った。
 冬であるために最高潮の身体能力は発揮できないが、それでも危険な生物であることに変わりはない化け物。それに挑むのは、たった3人の人間。
 ユーノはあの時、巨大生物を止める方法を提示していきながら、内心では震えていた。もちろん覚悟は決めていた。だが、それでも、眼前の敵の強大さを誰よりも知るが故に恐怖が心にあり、気に負いすぎていた。

「頭を、撫でてくれたんだ」

 僅かな可能性を全力で引き寄せるために弾き出した方法を喋る口を塞がれ、そして頭を撫でられた。
 年が10も違わぬ青年だったが、その掌は温かく、気負いは抜けた。

「クラナガンを絶対に守るって、言ってたんだ」

 たった2人の人間が巨大生物を瞬く間に転倒させ、そして強烈な魔法を叩き込んだ。
 彼らの勇姿に心が奮え、恐怖が抜けた。

「大丈夫だって、言ってくれたんだ」

 見送った時、ユーノの視界には力強く飛ぶ2人の青年の姿があった。

「ユーノ、君?」

 辿り着いた時、そこには黒き獣に蹂躙された地平が広がるのみだった。
 人の姿は、当然のように存在しない。

「―――撃って」

 夜闇よりなお黒い巨大な生物はユーノ達に気づいた様子は無く、手持ち無沙汰になって周囲を見渡していた。

「え?」

 憎々しいその姿を、ユーノは睨む。

「撃って、なのは」

 その指先で巨大生物を指し、ユーノは言う。

「アイツを撃って、なのは。思いっきり。手加減無しで」

 ユーノの言葉になのはは逡巡し、そしてレイジングハートを砲戦形態へと転じさせる。

「いいんだね、ユーノ君。私はその言葉を信じて動けばいいんだね?」

 念を押すようななのはの言葉。それに、ユーノは間を置かずに頷く。

「撃って、撃ち抜いちゃって。殺しちゃってもいいから、思いっきり」

 なのはは悲しそうな表情を浮かべて、そしてもう1度口を開いた。

「打っていい?」

 こくりと頷くユーノ。彼の姿に、“じゃあ、遠慮なく”と言うなのは。
 程無くして、乾いた冬の夜に音が響いた。

「ばか」

 光は、なのはの魔法の光は瞬いていない。代わりに瞬いたのは、ユーノの瞼。
 彼は赤くなった頬を抑え、目の前の少女を見ていた。

「撃てるわけないよ」

 なのはは、少年の頬を叩いた手を下ろして。
 悲しそうに、首を振った。

「信じられるわけないよ。私、初めてユーノ君の言葉が信じられなかったよ……?」

 瞳に涙が浮かぶ。それは、なのはの瞳に。

「そんな怖い目をしないで、ユーノ君。私は、今の目をしたユーノ君のことは信じられないよ……」

 ユーノを叩いた手がユーノへと伸びる。もう1度叩かれるのかと反射的にユーノは身体を揺らすが、そんなことはなかった。
 なのはの掌がユーノの頬に触れ、叩いたことを謝るように赤くなった場所を撫でた。

「お願い、いつもの優しい目をしたユーノ君に戻って……? 私が信じられるのは、いつだって背中を温かくしてくれる……優しすぎるくらいに優しいユーノ君なんだよ……?」

 瞳に涙が浮かぶ。それは、ユーノの瞳に。

「ごめん。ごめんなのは。ごめん」

 彼の瞳から零れた涙は、目尻を伝ってなのはの手に落ちた。

「ごめん……」

 ぽろぽろと涙を零すユーノ。その頭が、温かい何かに包まれた。
 それはなのはの腕で、胸だった。

「ううん、仕方ないよ。仕方ないよ」

 なのはの涙がユーノに落ちる。
 ユーノの涙がなのはを濡らす。

「ねえ、ユーノ君」

 なのはがぎゅっとユーノを抱きしめた。
 ユーノは少し息苦しくなったけれど、何も言わなかった。

「私達で守ろう?」

 涙に震えるなのはの声は、温かい腕に包まれるユーノの心をふるわせる。

「私達が、守ろう?」

 彼女の言葉が、ユーノの心を奮わせる。

「守ろうとしてくれた人達がいた場所、私達が守ろうよ。大丈夫! 私とユーノ君なら、きっとやっちゃえるから!」

 ユーノがなのはの腕の中から離れる。
 そして、まだ涙が残る目を拭って、頷いた。

「うん、やろう。ボク達で―――守ろう」

 ユーノも、なのはも、2人は瞳に決意を浮かべる。
 彼らは森の奥にいる巨大生物を見やる。

《私のことも忘れないでください、マスター》

 2人で盛り上がる彼らに拗ねたようにレイジングハートが言った。
 それにユーノとなのはがごめんと言いながら笑うと、レイジングハートは更に言葉を続ける。

《それに、私達に味方してくれる人はまだいます》

 彼女の言葉と共に、彼女から光が伸びて映像のスクリーンができあがる。
 そこには、よく知った顔が映った。

「久しぶりだねなのはちゃん、ユーノ君」
「エイミィさん?」

 エイミィ・リミエッタ。なのは達より7歳年上のお姉さんで、クロノ・ハラオウン執務官の補佐をしている優秀な女性である。
 優秀な彼女は、はてな顔を浮かべた彼らに即座に状況の説明を行う。

「経緯は省くよ! 今、ちょっと人手が足りなくて、個人的事情もあって私が2人のサポートをするから」

 エイミィの言葉に、ユーノとなのはは顔を見合わせて頷く。

「エイミィさんがいてくれるなら心強いね」
《まったくです》

 そう言って笑みを浮かべるなのは。
 しかしユーノの方はまだ影が抜け切っていなかった。

「ユーノ君」

 そんな彼に、エイミィが言葉を掛ける。

「ユーノ君と一緒に居た魔導師2人、きっと生きてるから」

 彼女の言葉にユーノがばっと顔を上げる。
 エイミィは、笑っていた。

「個人的事情の中身なんだ。あの2人、私の士官学校時代の同期で親友なんだよ」

 ぐっと親指を立て、画面越しにユーノを元気付ける。

「エルザードとエンブリオン、それにクロノ君。私の親友連中は殺したって死なないんだから。リミエッタ印の耐久マーク付きだよ!」

 あんまりにも荒唐無稽なセリフに目を丸くしたユーノだが、間を置けば口元に笑みが浮かんでいた。

「だから戦って、思いっきりね。何の心配もいらないよ」

 ふっ、と。真面目な表情になるエイミィ。

「ううん、どんな心配も私が無くしてあげるから! だから2人は、存分に戦っちゃって!」

 彼女の声に応えるために、ユーノとなのはは大きく頷いた。
 そして、黒い巨大生物へと視線を向ける。

「聖夜を僻んだ奴らのせいでちょっとばたばたしててね。増援は時間が掛かりそうだから、2人とも撃墜されないように戦って。2人が落とされたら、もうクラナガンまでアイツは一直線だから」

 巨大生物も、その獰猛な瞳をなのは達に向けてきた。
 完全なる狩猟者の瞳は、それを見る者に恐怖を与える。

「一応、クラナガン市民の避難はさせてるけどね。けど、首都中央の大ホールに集めてるくらいだから街に踏み込まれたらやっぱりアウトだよ」

 ユーノの背筋に震えが走った。恐怖に負けたわけではないけれど、やはり恐ろしいことに変わりは無い。

「大丈夫だよ」

 ユーノの手が温かくて柔らかな感触に包まれる。それは、なのはの掌だった。

「そうだね……大丈夫だ」

 自分を包む掌を、ユーノはぎゅっと握り返して。
 そして、解いた。

「アイツを止める。何があっても、何をしても」

 黒い獣には鋭い牙があった、恐ろしい爪があった、巨大な尾があった、強靱な足があった。
 オソロシイモノを具現化させたかのような姿はそれに相応しいほど黒く、闇よりもなお深い黒色をしている。

「絶対に止めて、守るんだ」

 なのはがレイジングハートを構える。
 ユーノが手を宙に掲げ、魔法の発動体勢に入る。

「うん。守ろう」

 巨大生物に2人で立ち向かうユーノとなのは。その背には、煌びやかな電飾に彩られた街がある。
 クリスマスという一炊の夢に心を浮かばせる幻想の日を楽しむ人々が、いる。

「行くよ、レイジングハート!」
《Yes,Master!》

 それを、守ろうとしていた人達がいる。

「うん。行こう!」

 だから、守る。

「無理はしないでね! 適度なところで引いちゃっても構わないから。ようは時間稼ぎが……あっ?」

 なのはも、ユーノも、レイジングハートも、エイミィも。これから怪物に立ち向かうことを考えていた。そして、心を奮わせていた。

「えー……っと」

 だから。

「…………」

 あろうことか巨大生物がこちらに向かって猛烈な勢いで走ってきたせいで、焦った。

「ぼ、ボクがアイツの目の周りをチェーンバインドで絡めて隙を作るから、なのははその隙にバスターでアイツの足を撃って転ばせて!」
「う、うん! やるよレイジングハートバスター準備!」
《イエスマスター急ぎます!》

 ユーノの翡翠の魔力を纏った鎖が飛び、巨大生物の頭を絡め取るべく伸びる。
 だがそれは、目標を捕らえることはなかった。

「跳んだ……―――ぁああああああっ!?」

 巨大生物は身に合わぬ軽やかな跳躍を行い、夜の闇を華麗にジャンプ。
 ユーノ達の頭上を通り過ぎ、クラナガンの街へ向け全速力で走って行った。

「みみみ見守ってる場合じゃないよ! 止めないと!」

 唖然と硬直したユーノ達だったが、エイミィの言葉で立ち直り全速力で巨大生物を追いかける。

「さっき、私達を見たと思ったけど……クラナガンの街を見てたんだね」

 ほっとしたような、アウト・オブ・眼中と行動で語られて切ないような。
 ただ、1つだけ言えることは、状況が切迫したということだ。

「時間稼ぎはもう考えてられない。私達であの子を倒さないと」

 巨大生物がクラナガンを目標に定めたのなら、2人という戦力で喰い止めるのは難しい。
 せめて街を背にした状態であればまた戦いやすかったが、街に向かう巨大生物を追う形となってしまっている。

「エイミィさん。どうにかボク達がアイツを追い越すための隙を作れませんか?」

 ユーノの言葉はエイミィも思っていたようで、十指を忙しなく動かしてコンソールを叩いている。
 その甲斐あってか目当てのものを見つけたようで、エイミィはぐっと親指を立てた。

「何も見つからなかった!」

 それはとても爽やかな笑顔だった。

「だめじゃないですか! だめだめじゃないですか!」

 シリアスになりきれない状況に叫ぶユーノ。
 しかしエイミィはにっと笑みを浮かべ、言う。

「私の方では何も見つからなかったよ? けどね―――」

 ユーノ達の先を行く巨大生物。
 その胸元に、爆炎が広がった。

「―――戦ってるのは、私達だけじゃないみたいだよ」

 足、肩、腰、頭と、立て続けに巨大生物から広がる爆炎。
 それは、巨大生物に猛然と立ち向かう1機の輸送機が為していた。

「あれは、まさか……ッ!?」

 ユーノにはその輸送機に見覚えがあった。巨大生物を運び、そしてユーノが乗っていた輸送機である。
 時空管理局の方へ飛んでいったはずのそれは、急ごしらえの戦闘装備を引っさげて返ってきていた。
 輸送機からエイミィを中継にユーノ達へ通信が入る。

「私達だけ安全な場所にいるわけにはいきません。元はといえば私達輸送チームが冷却装置の整備を完璧にしていなかったのが原因です!」

 彼らは輸送機を巨大生物の周囲で旋回させる。
 己への襲撃者に激怒したのか、巨大生物は足を止めて周りを飛ぶ煩い機械を叩き落そうと腕を振るった。
 それを輸送機は華麗に躱す。

「それに、クラナガンには私達の家族も住んでいます。だから、見過ごすわけにはいきません」

 彼らが巨大生物の足を止めている時間だけ、ユーノとなのはは確実に巨大生物との距離を詰めていた。

「私達にも、この街を守らせてください」

 強い意志の篭った彼らの言葉に、ユーノは頷くしかなかった。
 なのはは、“よろしくお願いします”と言った。

「なのはちゃん、ユーノ君。あの人達のおかげで、あと15秒くらいであのバケモノの前に出られると思う。バケモノとクラナガンとの距離は1kmも無いから、決着はできるだけ早めにつけて」

 会話の間に、ユーノとなのはは巨大生物の前へと飛び出る。
 正面に回って初めて分かることが、あった。

「こいつ……かなりのダメージを受けてる?」

 巨大生物の身体には、輸送機がつけたとは思えない深い裂傷が走っていた。

「きっと、エルザードさんとエンブリオンさんだよ!」

 なのはの言葉に、ユーノの脳裏に彼らの言葉が蘇る。

  「こいつでお前を倒しちまえるとは思わねぇ。だが、俺達の1撃がお前を倒す礎にゃなると思うぜ……ッ!」

 あの言葉は、ここで、確かに真実として表れていた。

「アイツがこれだけダメージを受けているなら、ボク達だけでもやれるよ……ッ!」

 未だ輸送機に神経を囚われている巨大生物の頭を、ユーノのチェーンバインドが絡め取る。
 巨大生物の視界を塞ぎ、その間に輸送機に逃げるよう指示をした。

「分かった、これ以上は私達にできることはなさそうだ……君達の健闘を祈る」

 彼らの敬礼を受け、ユーノの心に熱き気持ちが滾る。
 そしてそれは、なのはも同じだった。

「任せて! 私達が、守ってみせるからっ!」

 レイジングハートをフルドライブモード全力全開形態、エクセリオンへと転じさせ、槍のようになった砲身を巨大生物へ向ける。
 桜色の光が巨大な球体を作る。それはダムに堰き止められた水のように限界まで膨れ上がり。

《Excellion Buster!》

 決壊した桜色の奔流が巨大生物の頭を殴り飛ばす。

「今の威力から色々計算っと! どうすれば勝てるか探してくるから……30秒だけ時間をちょうだい!」

 エイミィの言葉にしっかりと頷き、ユーノとなのはは巨大生物に間髪を挟まぬ攻撃を行う。
 殴り飛ばされ、頭が仰け反った時に開かれた口が閉じぬようユーノが魔法で固定する。
 開きっぱなしの口腔内に、その奥の内臓に向けて、なのはの砲撃が炸裂した。

「ッゥ―――…………ッ!?」

 巨大生物が耳の壊れるような咆哮を上げ、それになのはが一瞬だけ肩を寄せて竦めるが、ユーノは止まらなかった。

「あと、20秒!」

 ユーノが結界を張る。それは小さな、巨大生物を覆ってしまえば他には何も入る隙間が無い結界。
 己を覆う魔法を壊そうと巨大生物が暴れる。だが、結界は中々に強固で簡単に壊れてはくれそうにない。

「結界魔法? って、ことは……」

 ユーノの意思を組んだなのはが、レイジングハートを高く掲げて光を集める。
 それは、星々の輝き。夜空に輝く桜の星が見せる、幻想のような光。

「スターライトブレイカーだね!」

 レイジングハートがカウントを告げる。それは10から始まり、1つずつ数を減らしていく。
 空に浮かぶ異様な魔力に流石に焦るのか巨大生物が結界の拘束から逃れるべく大暴れを開始するが、ユーノは巨大生物の脱出を許さなかった。
 その間に、10あった数の全てが消える。

「カウント……ゼロ!」
《Starlight Breaker Plus!》

 星の光が煌いて、大地で暴れる黒い闇を覆い尽くした。
 激しい炸裂音と発光が周囲に広がり、静寂なはずの夜は一気に賑やかになった。

「あと……10秒!」

 心休まる暇は無い。
 ユーノは再び結界で巨大生物を拘束する。

「なのは、もう1回スターライトブレイカー+……いける?」

 持てる最大威力ではないにしても、集束魔法の連続使用。いくらなのはが規格外だとしても、流石に無理なのではなかろうか?
 そう思ってした問いだったが、なのはにとっては愚問だった。

「何回でもいけるよ! 守らなきゃいけないものが―――あるから!」

 再び集められる星の光。膨れ上がる桜色の魔力光。
 それを見上げる巨大生物はとうとう観念したのか、抵抗する素振りを見せなかった。

「…………?」

 潔すぎる巨大生物の姿に疑問を覚えるユーノ。
 その瞼の裏に、なのはと合流した後に見た蒼白の光がちらついた。

「逃げて、なのはぁっ!」

 唐突な言葉に唖然として呆けた表情を浮かべるなのは。
 既にスターライトブレイカー+用の魔力はほとんどが集束を追え、2秒もすれば放てる状態だった。
 その時に飛び込んできたユーノの言葉。本来なら聞き入れずそのまま魔法を放ってしまうタイミングでの言葉。

「きゃ―――…………っ!?」

 だが、なのはの身体はユーノに言葉を投げかけられた瞬間に、本人が思うよりも速く動いていた。
 即座にスターライトブレイカー+の詠唱と魔力を放棄し、できる限りの速度で回避軌道を取っていた。
 無意識の内にされていた行動が、彼女の命を救った。

「さっきの蒼白い光はこれだったんだ……」

 ユーノを叫ばせ、なのはの命を危険に曝した光の正体。
 それは、巨大生物の口腔部から照射される極太の光線だった。
 今は空に向けて放たれたそれは、消えてしまった後も焼け付く焦燥感を残して2人の背を焼いていた。

「ボクの結界も簡単に破られた。それに、多分、なのはのスターライトブレイカーEXよりも強力だ……」

 巨大生物はその能力を全て見せていたわけではなかった。こんな、恐ろしいものを持っていた。
 この生物を封印処置していた古代人の判断は正しかったと思うと同時に、何故こんなものを生み出したのか疑問に思ってしまう。
 だが、戦闘中に余計な思考であるそれは頭の片隅からも追い出す。

「解析結果、出たよ」

 エイミィの声が響く。その声は幾分か沈んでいるように思えた。

「細かい数字はスクリーンに出すけど、結論は私の口から言うね」

 無数の文字が空中に浮かぶ。それを読み解いて行く中で、ユーノの心に冷たいものが落ちてくる。
 否定したい未来が浮かんできて、それを振り払うために頭を振った。

「あいつは、倒せない」

 なのに、いくら振り払っても現実は消えてくれなかった。

「ごめん。いっぱい計算したんだけどね……どうやっても、あいつを倒す手段が見つからないんだ」

 巨大生物の硬く厚い鎧のような皮膚。そこに不可能の理由はあった。

「封印を、冷凍睡眠をされていた間には分からなかったんだけど。活動時には皮膚が攻撃魔法の威力を減退させちゃうみたい。スターライトブレイカーを喰らっても昏倒したりしなかったのはそれが理由」

 唯一、外皮の無い口の中を狙って魔法を撃つという手段のみが残されていたが。
 それも、先ほどの光線の存在で手段として消えてしまった。

「口の中に魔法を撃とうとしても、あの光線でかき消されちゃう。もう、八方塞がりなんだ……なのはちゃんとユーノ君の手持ちの魔法全部を使ってシュミレートしてみたけど、だめだった」

 そう言うエイミィは悔しいのだろう。拳を硬く握って、肩を震わせていた。

「だから、無茶なお願いしちゃうね。あと、1時間耐えて。そしたら増援が来れるから……そしたら、あいつを倒せるくらいの魔力を集められるから」

 1時間という時間。それは何気ない時には非常に早く、そして耐えなければならない時には永遠のように長い時間。
 黒い獣は絶望に打ちひしがれるエイミィ達を嘲笑うかのように静観しているが、それもいつ動き出すか分からない。
 そして、奴が動き出せば死力を尽くして戦わねばならなくなる。

「そっか。分かりました」

 なのはが杖を構える。その表情は俯いていて、ユーノからはよく見えない。

「1時間待てば、あの街は守れるんですね」

 ただ、その声は硬い決意を秘めていた。

「やろう、ユーノ君。やるしかないよ」

 なのはの手がユーノに伸ばされる。
 ユーノはちらりと巨大生物を見やった。それは静観にも飽きたのか、行動を開始しようとしていた。

「そうだね、やろう」

 なのはの手を取る。彼女に、触れたから。ユーノは気づいてしまった。

「ごめん。なのはちゃん、ユーノ君」
「大丈夫ですよエイミィさん! 私達がなんとかしますから♪ にゃはは!」

 気丈に明るくそう言う彼女だけど、握った掌は震えていることに。
 自身の魔法が効かず、それどころか己よりも強力な攻撃手段を持つ相手と、1時間の戦闘。
 自分達が敗北すれば、自分達の命だけでなく背後にある無数の命までを散らせてしまうこととなる。

「にゃはは!」

 その恐怖に高町なのはが震えていることに、彼女に触れたユーノ・スクライアだけが気づいた。

「なのは……ッ!」

 巨大生物がのっそりと歩き始める瞬間、ユーノは思い切ってなのはを抱き寄せた。
 先ほど、自分が取り乱してしまった時には、なのはの優しさに包まれて救われたユーノ。

「大丈夫。君は、ボク達は負けやしない。信じて―――絶対に、負けないから」

 だから今度は恐怖に震える彼女を……自分の、優しさでも、何でも、何でもいいから、何かがあるならそれで彼女を励ましたかった。
 ぎゅっと抱くと腕の中の少女が小さくなきごえを上げる。
 それは“にゃぁ……”という鳴き声であり、泣き声だった。

「ありがとう、ユーノ君」

 なのはがユーノの身体を抱き締め返す。その腕は、手は、もう震えていなかった。

「私、信じるよ!」

 2人の身体が離れる。そして、巨大な敵を追って2人は翔けた。

「ユーノ君が―――…………勇気をくれたから!」

 なのはがレイジングハートを構える。そして、砲撃魔法が炸裂した。
 巨大生物の頭を魔法が撃ち、黒き獣はなのはを睨む。強烈な殺気が痛いくらいに吹き付けてきた。

「なのはに手は触れさせない!」

 巨大生物は突っ込んでくるなのはを腕を振るって叩き落そうとする。だが、それをユーノが鎖で縛って阻止する。巨大生物の馬鹿力に鎖は一瞬で引き千切られてしまうが、2本3本と連続して鎖を巻いていくと流石の巨大生物も上手く身動きができなくなってくる。

「レイジングハート、試したいことがあるんだ。ちょっと無茶だけど……付き合ってくれるかな?」
《何を今更》

 呆れ声を上げる愛杖に頼もしいものを感じながら、なのはは巨大生物の眼前へと踊り出る。
 爬虫類の瞳がなのはを睨み、槍のような殺気が彼女を射抜く。

「行くよ、レイジングハート!」
《Accelerate Charge System》

 だが、今のなのはその槍の穂先を圧し折った。
 威圧は今の彼女に通用しない。彼女の心が、ユーノに貰った勇気で満ちていたから。

「やぁ―――…………ッ!」

 レイジングハートが翼と穂先を伸ばし、なのはの槍となって空を翔ける。
 なのはは愛杖をしっかりと握り、狙う場所に向けてレイジングハートと共に突撃した。

「やぁ………――――ぁあああああああああああっ!」

 巨大生物は自らを拘束する鎖を振りほどこうともがくが、ユーノが7重の鎖による拘束を行っているせいで思うような成果を得られない。
 口腔を開いて光線を発射しようにも、口すらも硬く縛られて開くことができなかった。

「思いっきりやって、なのはっ!」

 ユーノの声に応えるように、なのはの槍が、レイジングハートの穂先が、巨大生物の腹部に深く突き刺さった。

「エクセリオン!」

 巨大生物の体内で桜色の光が膨れ上がる。

《Buster!》

 そして、弾けた。

「すごい……効いてる」

 なのはの魔法に巨大生物は苦しみの絶叫を挙げた。
 それは他の生物を威圧するものでも、勝利の凱歌でもない、敗者の咆哮。

「でも、どうして?」

 エクセリオンバスターを撃った後はすぐさま退ったなのは。彼女はレイジングハートを油断無く構えながら、首を傾げるユーノに念話を送った。

『それはね!』

 しかし、最後まで言い切ることはできなかった。
 ユーノの鎖の拘束を振りほどいた巨大生物が口を開き、その口腔内から蒼白い光を覗かせていたから。

「避けて、なのは!」

 咄嗟に叫ぶユーノ。だが、なのはは首を振る。

「だめだよ! ここで私が避けたら、クラナガンの街が滅茶苦茶になっちゃう!」

 巨大生物が意図したのか、はたまた偶然なのか。破壊的な威力を持つ光線は斜線上に高町なのはとクラナガンの街を捉えていた。
 怒りに燃える巨大生物の瞳からすれば、あるいは前者なのかもしれない。

「でも、スターライトブレイカーだって負けちゃうのにどうやって踏ん張るのさ!」

 言いながら、ユーノもなのはの方へと飛ぶ。
 防御には少しだけ自信があった。小さな力だけど、彼女の手助けはできると……思った。

「それはね、ユーノ君」

 なのはの声が、水を打つように静かなものとなる。
 その瞬間、ユーノがなのはまでの距離を翔ける刹那が永遠となった。

「絶対に負けないっていう、勇気の心だよ」

 黒き獣から蒼白い光が解き放たれる。それを、なのはは桜色の障壁を展開して真正面から受け止めた。
 激しい光が広がって、夜空は盛大なステージへと変化する。

「ユーノ君が私にくれた……とっても大事で、とってもすっごい心だよっ!」

 片や、巨大な生物の必殺攻撃。
 片や、小さな生物の全力防御。
 どちらが勝利するかなど、火を見るより明らかだった。
 蒼白い光は桜色の光を飲み込むべく覆い被さり、小さな少女が必死に耐える姿を嘲笑っている。
 小さな少女がその背に広がる大きな街を守っていることを、嘲笑っている。
 それでも小さな少女は歯を食い縛って耐えていた。命の全てを賭けて、耐えていた。

「なのは……なのは……ッ!」

 少年は叫ぶ。だが、巨大生物が放つ攻撃と小さな少女の防御が激突し続ける轟音に掻き消され、彼の声は彼女には届かない。
 けれど、必死になって少年は少女に言葉を掛けた。彼女に届くように。がんばる彼女の心を支えてあげられる、ように。
 必死になって、言葉を掛けていた。



  ―――そしてそれは、少年だけではなかった。



 クラナガン首都、中央大ホール。
 広大な空間内に首都の市民を収容し切れるこの施設は、有事の際における首都人民の避難所になっていた。
 クラナガン全域に発令された避難勧告に従い、市民達はこのホールの中へと逃げ込んでいた。
 彼らの手は震え、身体は震え、心は恐怖に震えている。
 ホールからも見える巨大な襲撃者の姿に怯え、身体を小さくして震え上がっていた。

「おにいちゃん、こわいよぅ……」

 小さな女の子が、自分の手を握ってくれている男の子に抱きついた。
 その身体はやはり恐怖で震えていて、顔面は蒼白だった。

「だいじょうぶだ。だいじょうぶだ、ダリー」

 男の子は、恐怖に震える妹を抱いてやり、その頭をぐしぐしと撫でてやった。
 彼とて怖くないわけはない。だが、彼だけは、正しく闇のような巨大生物に立ち向かう星の光が見えていた。

「おねえちゃんがたたかってくれてる」

 はっきりそう見えたわけではない。けれど、つい十数分前にぶつかってしまった、けれど怒らないでくれた優しいお姉さんが戦っているように―――そんな風に、見えていた。

「おねえちゃん?」

 小さな少女は兄の言葉に小首を傾げる。
 男の子は、自らを震えわせる恐怖を妹のために捻じ伏せて笑って、言った。

「うん、おねえちゃん。おねえちゃんががんばってくれてる」

 ぐしぐしと頭を撫でてやると、小さな少女は嬉しそうに目を細めた。

「おねえちゃん♪」

 男の子が窓を、空を見上げた。女の子も釣られて窓の向こうの空を見る。
 すると巨大な生物が口の中いっぱいに蒼白い光を集めて、大ホールに向けてそれを解き放とうとしていた。

「わ、わぁっ!? やっぱりこわいよう……こわいよおにいちゃん……っ!」

 兄にしがみつく女の子。周りからもどよめきが上がる。どうやら窓の外の光景をみんな見ているらしい。
 確かにそれは、己の命を奪うべくして放たれる、恐ろしい光景だった。

「だいじょうぶだ!」

 だからこそ、少年の叫び声はドームの中に響き渡った。
 ドームの中にいる市民達の目が一斉に少年に向く。

「んっ!」

 少年は窓に、その向こうに指を差す。
 そこでは、死の光が放たれようとしている、その瞬間が繰り広げられていた。
 誰もが目を伏せ、頭を伏せ、自らが信じる神に祈りを捧げる。
 そんな中で、少年はもう1度叫んだ。

「おねえちゃんががんばってくれてる!」

 今度は誰も少年の言葉に耳を貸そうとはしなかった。
 ただ絶対に訪れる死の瞬間に怯えながら最後の時を過ごしていた。
 この時、少年以外の全員の目が死んでいた。

「おねえちゃんは―――」

 蒼白光が、輝く。

「―――がんばってくれた!」

 だがそれはドームに届くことはなく、遥か手前で桜色の光に阻まれて停滞する。
 死の瞬間が訪れないことにいぶかしんだ市民達は目を開け、そして驚きに目を丸くした。
 死の蒼白光を押し留めている、誰かがいる。

「おねえちゃんががんばってる!」

 今度は、少年の言葉を聞かぬ者はいなかった。

「がんばれおねえちゃん!」

 少年は声を上げる。届かないと分かっていながらも声を上げる。
 自分達のために戦っている人に、何かを届けたかったから。だから少年は声を上げる。

「がんばれおねえちゃん!」

 その声は戦う少女には届かなかったが、少年のすぐ傍にいる彼の妹には届いた。
 小さな女の子が小さな口を開いて、精一杯の声で叫ぶ。

「が、がんばっておねえちゃん!」

 無駄であること。それを行う兄妹の姿。
 それは馬鹿らしいこと。意味の無い、つまり無意味であること。

「が……がんばれ!」

 しかし、それは波及する。

「そうだ! がんばってくれ!」

 それは、怖がる子供を抱いていた親に。弟を必死に励ましていた姉に、励まされていた弟に。
 ドームにいる人々に、波のように伝わっていった。
 高らかに叫ばれる声はやがてうねりとなり、1つの大きな力を作っていく。

「がんばれ!」

 誰かがドームの天井を解放した。寒空の空気が落ちてきて、ドームの中にいる人々を冷やそうと襲い掛かる。

「がんばれ!」

 だが、冷たかった空気は人々の熱に温められ、暖かななものへと変化する。

「がんばれ!」

 いや、熱いものへと変化する。

「おねえちゃん―――…………がんばれっ!」

 届かない、届かないはずの声。



  ―――高町なのはは、確かにそれを聞いた。



 蒼白い光に圧され崩壊寸前だった桜色の障壁。それが、眩いほどに輝く。
 僅かだが、ほんの僅かだが、黒き獣の光線は小さな少女の魔法に押し負け始めていた。

「私は負けない!」

 黒き獣は見た。強大な己の力に対抗する小さな少女の背後に浮かぶ無数の星明かりを見た。

「絶対に負けないっ!」

 星明りは、その1つ1つは声だった。少女がその小さな身体で守る街の人々の、その全ての声だった。
 彼女が守る全てのものが星となって彼女の背を支え、暗い闇に負けぬよう夜を明るく照らしている。

「絶対に――――……………負けないんだからぁっ!」

 それでも、完全に黒き獣の攻勢を押し返すことはできない。
 再びじりじりと圧され始め、このままでは蒼白い光に破れ街が崩壊する未来が現実となってしまう。

「なのはっ!」

 何ができるか分からないけれど、ユーノが黒き獣に向かって突貫を掛けた。
 下から顎を突き上げるなりして光線の軌跡を変化させるか口を閉じさせてしまえばいい!
 そう思い、非力な腕にはちきれそうなくらいの魔力を込めてユーノは翔ける。

「そーゆーのはっ」

 だが、結果としてユーノの行動は無駄に終わる。
 彼が間に合わず、なのはが黒き獣に屈してしまったわけではない。

「俺達に任せろッ!」

 疾風のように黒き獣の足元に飛び込んだ2つの影が獣の足を打ち払い、その巨躯を地面へと仰向けに倒れさせたからだった。
 蒼白光がなのはを外れ、クラナガンも外れて天に伸びる。

「エルザードにエンブリオン……ッ!」

 エイミィが歓喜の声を上げる。獣を倒したのは血塗れの2人の教導官見習いの戦闘魔導師だった。
 彼らはエイミィに、次いでユーノに不敵な笑みを見せる。

「なんとか命は拾ったよ」

 重い負傷を負った姿はボロクズのようだったが、彼らの姿がユーノには何よりも頼もしいものに見えた。
 ユーノの背を誰かが叩く。

「よかったね、ユーノ君」

 それは、ユーノの下まで飛んできたなのはだった。
 彼女は先ほどの攻防のせいでか全身に汗を浮かべて、疲労の色も見せていたが、表情には気力が満ち溢れていた。

「うん」

 ユーノが頷くと、なのはは笑った。

「イチャついてるところ済まないが、こちらはマトモな戦闘行動は行えそうにない。あとは任せたいのだが」

 なのはとユーノは顔を赤くして俯いた。しかしすぐに真面目になって面を上げ、頷く。

「あとはボク達に任せてください。それでいいよね、なのは?」

 なのはは首肯し、杖を構える。

「さっき言いかけたことなんだけどね。あの子に直接魔力ダメージを与える方法、見つけたんだよ」

 彼女の表情には自信と、勝利への確信が浮かんでいた。

「そんな方法、あるの?」

 頷くなのは。彼女は起き上がろうとした黒き獣の頭部にエクセリオンバスターを1発放って黙らせ、喋る。

「エルザードさんとエンブリオンさんが作ってくれたんだ。ほら、あそこの傷」

 なのはが指差す先には、黒き獣にエルザードとエンブリオンが作った深い裂傷がある。
 ぱっくりと開かれたそこは厚く硬い皮膚の向こうにある柔らかな中身が僅かに覗いていた。

「あそこに魔法を撃ち込めば減退されない。さっき試してみたけどそうだった」

 ユーノは先ほどの光景を思い出した。なのはが突撃してレイジングハートを突き刺してエクセリオンバスターを放った時、あの時に巨大生物は悲鳴を上げていたではないか。

「エイミィさん。あの傷の中に私の全力全開を撃ち込めばあの子を倒せる……よね?」

 なのはの問いに、エイミィは即座に答える。

「もう計算してた! そんで終わったよ! うん、やれる。それならやれるよなのはちゃん! でも」

 エイミィが続けようとした言葉はユーノが引き取った。

「あんな細長い場所に全力の魔力をぶつける魔法、なのはは持ってるの?」

 魔力を注ぎ込まなければならない隙間が小さすぎて、スターライトブレイカーでは溢れ出てしまう。
 かと言ってエクセリオンバスターで足りるかと言えば、答えは首を横に振ることになる。

「ううん、ないよ」

 それはなのはが最もよく分かっていて、あっさりと答える。
 ユーノは、ずっこけた。

「それじゃあどーするのさ……」

 がっくりと肩を落すユーノ。宙にぶらんと落ちた手を、なのはが握る。
 驚きにユーノが顔を見上げた。なのはは、笑っていた。

「ユーノ君が手伝ってくれれば、やれるよ」

 なのはは何かを考えていて、そして勝てると信じている。
 彼女の表情には確信と自信が満ち溢れていて、そこに不安なものなんて微塵も感じさせない。

「だからお願い。手伝って、ユーノ君」

 ユーノは思う。どうして彼女はこうなのだろうと。
 大事な、本当に大事な局面で……彼女は人々の希望に、夜を照らす星になる。
 彼女の星明かりに照らされることで何度も助けられてきた。救われてきた。

「ユーノ君が手伝ってくれるなら。一緒にいてくれるなら。私、なんだってやれちゃうから」

 握られた手は、いつも温かかった。

「信じて」

 その手を、握り返す。

「君が、ボクを信じてくれるから」

 黒き獣が再び起き上がろうと首を上げ、狩猟者の瞳は最大の敵である自分達を睨んでいた。
 だが、もう、そんなことは気にならない。

「ボクも、君も信じるよ」

 ユーノは起き上がろうとする巨大生物に振り向き、その身をバインド魔法と結界魔法で拘束した。

「けど、具体的には何をするの? 拘束もあんまり保たないから、説明は早めに終わらせてくれると嬉しいんだけど!」

 じたばたとあがく巨大生物を必死に押さえ込むユーノ。
 彼に満円の笑みを浮かべ、なのはは言う。

「私とユーノ君の………―――合体魔法で倒しちゃうよ!」

 突飛な言葉に、ユーノは思わず拘束を緩めかけた。
 あんまりにも荒唐無稽すぎる言葉に、しかしユーノ以外の反応は良好だった。

「いいねそれ! やっちゃってよなのはちゃん!」
「そういうことなら時間稼ぎくらいしてやる」
「おふたりさんのらぶぱわーでぶっ倒すってわけね」

 最後の言葉は聞こえなかったことにしたが、とにもかくにも合体魔法。
 そんなもの試したこともなく、“それはないんじゃあ”と流石のユーノも言いそうになる。

「私がユーノ君を信じてて、ユーノ君が私を信じてくれるなら。絶対に、絶対にやれるから。だから、これでいこう?」

 が、先走って口に出さなかったことにユーノは安堵した。
 完全に自分を信じ切ってこう言ってくれた少女を自分も信じると決めたんだ、それを裏切ってしまう言葉を零してしまうわけにはいかない。

「細かい調整はレイジングハートがしてくれるから、私達は存分に魔法を使おう!」
《い……いえすマスター》

 急に話を振られた、しかも大役を命じられたレイジングハートは声が堅かったが、まあ、多分、大丈夫だろう。

「私達で守ろうね、ユーノ君」

 なのはが浮かべた無敵のスマイルを見れば、もう負けることとか失敗することなんて考えられなくなる。

「そんじゃ、時間稼ぎは任されますかねっ!」

 血塗れの魔導師2人が巨大生物に立ち向かう。彼らは失血や全身を走る裂傷で意識も身体も限界を超えているはずだが、その覇気は巨大な生物に立ち向かうに充分なものを持っていた。
 彼らに全てを任せ、なのはとユーノは空の高い場所に上がる。
 そこからは、上を向けば天の星の明かりが、下を向けば街の星の明かりが一望できた。

「魔法はね、こんなのなんだ」

 なのはがユーノに耳打ちをする。耳に掛かる息のくすぐったさに少々背筋を震わせつつも、ユーノは彼女の言葉を真面目に聞いた。
 真面目に聞いたが故に、驚きに目を丸くした。

「だめ……かな?」

 彼女が小首を傾げるとぶんぶんと首を横に振る。それは、不可能ではない。ただ、そんな発想は未知であった。

「やれる。やろうなのは! それしか方法は無いわけだし、それに」

 街に視線を送る。街の中心部、避難所のドームの天井が何故だか開いていて、そこからは不思議なものが送られてきているような気がした。
 心を奮わす何かが伝わってきているような、気がした。

「守らなきゃ、ならないから」

 ユーノの言葉になのはは嬉しそうに頷いた。
 そして彼の手を握り、目を瞑る。

「よし、行くよ。レイジングハートはサポートが大変になると思うけど……お願い」
《ええ、任せてください》

 ユーノもなのはに続いて目を瞑る。彼は彼女と繋ぐ手を天高く掲げ、脳内に浮かべたイメージを現実に顕現させていく。
 それは、結界魔法。
 穏やかな翡翠の光が夜空を覆い、星を覆い、全てを覆い尽くしていく。
 ユーノは巨大な結界を展開して、空一面を翡翠の光で覆ってしまった。

「やったよ。今度はなのはの番だ」

 その言葉に頷き、なのはが言葉を紡いでいく。
 レイジングハートが光り輝き、桜色の魔力光がなのはとユーノを中心に煌いた。

「エルザードさんとエンブリオンさんはもう下がっても大丈夫です! 後はボク達でやれます!」

 届いたユーノの声に即座に引き下がる2人の魔導師。彼らが下がると、彼らによって転ばされて続けていた巨大生物が咆哮を上げて立ち上がった。
 黒き獣がその瞳で、恐らく最大の敵になるであろう2人を、ユーノとなのはを見る。

「うん……私の方も、準備できたよ!」
《Starlight open》

 巨大生物は見た。翡翠の空に浮かぶ、無数の桜色の星々の光を。

「これが!」

 ユーノが叫ぶ。星々はゆっくりと、渦を巻いて空の中を動き始める。

「私達の!」

 なのはが叫ぶ。星、1つ1つがまるで太陽のように激しく輝いた。その星々は1つ1つが太陽のように燃える命の星だった。

full power full drive!》

 光が瞬き、流星となって空から降り注ぐ。
 無数に光は巨大生物の裂傷に向かって降り注ぎ、その全ては巨大生物の中へと入り込んだ。

「私達の都合で非常に悪いと思うのですが、あなたはもう少し眠っていてください―――…………ッ!」

 なのはと、ユーノの。繋がれ、掲げられていた手が振り下ろされる。
 それを合図として、巨大生物の中に飛び込んだ無数の星が眩しい光を発した。

「輝いて…………スターズライト!!」
《Burst!》

 彼らの言葉をトリガーにして、星々は爆裂する。
 桜色の光は天元を突破して高く高く舞い上がった。

「グ…………―――――ォオオオオオオオオオオオオオオッ!?」

 体内で起こった爆発に、堪らず巨大生物は咆哮を上げた。それは断末魔の悲鳴に似た、悔しい咆哮だった。

「…………」

 巨大生物が地面に崩れ落ちる。そして、いくら待っても再び立ち上がりはしなかった。

「やったね。勝ったね」

 最初に喋ったのはエイミィ。続いて、気が抜けたのかエルザードとエンブリオンが雪の中に倒れた。
 そうしている中で翡翠の空が消え、戦況を見守っていたのだろう、輸送機が戻ってきていた。
 輸送機は雪の中に着陸し、中から医療班を吐き出して傷ついた魔導師の治療を始める。

「勝ったんだよ、私達」

 輸送機から出てきたパイロットが空を見上げてユーノとなのはの姿を見つけ、敬礼をした。
 そこでようやく気づいたのか、ユーノが敬礼を返し、なのはものろのろとそれに続いた。

「そっか……勝ったのか」

 口に出すと実感として湧いてくる。そうだ、自分達は勝利したんだ。

「ボク達、勝ったんだ。やったよなのは……やった!」

 思わずなのはに抱きつくユーノ。
 なのはは、そこで放心から復活した。

「うん、やったぁっ! でも、でもねユーノ君」

 ユーノの腕の中で言い辛そうに言葉を告げるなのは。
 何だろうとユーノが首を傾げると、顔を真っ赤にしてなのはは言った。

「あの、その、下の人もみんな見てるから、抱きつくのはちょっと恥ずかしいよ……?」

 今度は、ユーノが赤くなる番だった。
 慌ててなのはから離れようと回していた腕を放す。
 だが、何故か離れられなかった。

「でも、恥ずかしいけど……」

 原因なんて分かり切っていた。ユーノを離さぬよう、なのはが彼に腕を回していたから。

「なんだか温かくて嬉しいから、もう少しだけこのままでいてほしいな」

 彼女の言葉にぽりぽりと頬を掻くユーノ。そうしてから、言葉の代わりに彼女に腕を回すことで答えを返した。

「あ、雪だ」

 ふわり、ふわりと、空から雪が降ってくる。
 ただ、不思議なことに、その雪は桜色をしていた。

「これ、もしかしてさっきの魔法じゃない?」

 ユーノに言われて最後の光景を思い出すなのは。そういえば、最後の最後に桜色の光が天に昇っていったように思える。
 それが、今になって降ってきたのだろうか?

「うーん。うーん」

 そんなことがありえるのかと首を捻るなのは。
 けれど考えても答えは見つからず、まあいいかということにした。

「ねえ、ユーノ君」

 久々に会った少年の腕の中で、なのはは言う。

「守れたね」

 眼下を見下ろせば、そこにはクラナガンの街並みが見える。
 巨大生物が倒されたことで人々がドームの外から出てきているのか、街に活気が戻ってきているように思えた。

「そうだね、守れたよ」

 2人からは見えなかったが、街の大人達が降り注ぐ桜色の雪を手に取って首を傾げていた。
 そして、桜色の雪を見て無邪気にはしゃぐ子供達の姿を見て、自分達の疑問が馬鹿らしくなって笑っていた。

「ユーノ君は知ってたかな? 今日って、クリスマスなんだよ」

 街中に音楽が鳴り始める。鈴の音やソリの音、そしてこの日に相応しい音が流れていく。
 一時はどうなるかと思われたクリスマスだったが、街の人間は脅威が去るとすぐにクリスマスを取り戻していった。

「ああ、そういえばそうだったっけ」

 心なしか、ユーノにはなのはの瞳が潤んでいるように思えた。

「だからね、ユーノ君」

 なのはの腕が、ユーノの背に回された腕が、ぎゅっと彼の身体を抱きしめる。
 だから、ユーノもそれに応えて彼女を抱きしめる力を強くした。

「メリークリスマス」

 なのはが、はにかむように笑った。

「メリークリスマス」

 聖夜の挨拶に応えると、なのはの笑顔が輝いた。

「…………来年は、もうちょっと会える機会を増やしてね」

 そして、拗ねたように呟かれた言葉に。
 ユーノは嬉しいんだか困ったんだかといった、複雑な表情を浮かべていた。











あとがき

 10時間耐久レース!

 え? メリークリスマスじゃないのか? ですって?
 いやだって、10時間ぶっ続けで書いてたんだもん(ry

  そんなわけでメリークリスマスッ!

 何だかんだで今年もアップです、クリスマスSS。
 去年は恋人になってからの話だったので、今年は恋人になる遥か前の話をば。
 ゴジ―――げふんげふん、巨大生物とか出てきたけどそれは実はどーでもよくて戦闘中だろうとイチャついてる2人をにやにやしながら見るのがこの作品の趣旨なんじゃないかな! てへ♪(死)

  エルザードとエンブリオンは模擬しよ第三カード以来、久々の登場。

 あれ、どーして彼らって出てきたんだっけ? 理由があったんだけど忘れた(ry
 そんなわけで、死んだと思ったけど大事な時に助けにきたぜ! 役を彼らに負ってもらいました。何故そんなことを

  とりあえず。

 今回の戦闘シーンを書いてみて、自分がセブンフォートレスEXが大好きだってことがとてもよく分かったよ!
 セブンフォートレスEXは聖闘士聖夜って文字に置き換えてもいいさ! 概ね間違ってないからっ!

  ……LVと合わせて2連続このタイプの戦闘シーン構成は流石に飽きられると思う(ry

 そんなわけで次回は封印しようと思いつつ、そろそろユノなのの話から遠ざかってきたんで軌道修正ッ。
 LVの総括あとがきに書いたように、もう短編ではユノなのは書きませんが、今回みたいなのとか拍手SSSではまだ書いていきますよー。
 ほら、あれやねん。コンさんユノなの好きだから

  ちなみに。短編とは、文庫1冊

 そんなあれなことを言いつつ、そろそろ眠いから筆を置くんだ!(滅)
 ではではみなさま、次の作品か日記でお会いいたしましょうっ。
 皆様にもえーっと、幸せっぽいクリスマスとか訪れることを願いつつっ!

  ……であっ。





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