―――クローセス=シェインが初めてその男と会ったのは三年前、任務で訪れた時計塔だった。 「―――貴様がアレン=セーズか」 彼は、こちらには視線すら向けず、兄に向かって声を上げる。だが―――その時のクローセスに、そんな事を気にするほどの余裕は無かった。 「・・・・・・ッ!」 身動きが取れない。男の放つ殺気が、一切の行動を許さなかった。相手はこちらの事など歯牙にもかけていない。それなのに、指先一つ動かせば殺される―――その感覚が、クローセスの身体を完全に縛り付けていたのだ。 「やはり、貴様とその女はあの時に気付いていたようだな。『所持者』とはそこの小娘のような腑抜けばかりではないようだ」 褒めているのか・・・・・・それでも、その凍りついた口調に変化は無い。姉の事を罵倒する言葉には、しかし本人すらも反論する事は出来なかった。姉は自分の隣で、蒼い顔のまま動けずにいる。 ―――この中で動く事ができるのは、兄ただ一人だけだった。 (―――お兄、ちゃん?) そして、その兄に視線を向けた時―――クローセスは、思わず己が目を疑っていた。 ―――笑っていたのだ。まるで、生涯の敵を見つけたと言わんばかりの、獰猛な笑みで。 ―――思えば、あの事件が始めて進展したのは、この時だったのかもしれない。 * * * * * 「う・・・・・・」 爆音と、叩き付けられるような衝撃―――その痛みに、フェイトは顔をしかめながら目を開いた。何かがのしかかっているように体が重い――― 「―――って、クロス!?」 自分を抱き締めるようにして倒れていたのは、見るからに満身創痍のクローセスだった。右肩は折れ、頭から血を流してぐったりとしている。顔を紅く染める暇すらなく、フェイトはクローセスを抱き起こした。 「クロス、クロスっ!」 「っ・・・・・・」 必死の呼びかけに、彼の目蓋が一度ぎゅっと閉じられる。そして、その瞳が薄く開かれた。 「よかった・・・・・・大丈夫、分かる?」 「フェイ、ト・・・・・・よかった・・・・・・他の、二人は?」 クローセスの言葉を受け、フェイトは周囲に視線を向ける。意外とすぐ傍に倒れたクロノの姿を見つけ―――そして、未だに立っているユーノの姿を発見した。 「な、何とか無事みたい」 「なら・・・・・・早く、逃げるんだ・・・・・・」 「え・・・・・・?」 疑問符には答えず、クローセスは視線を横に向けた。その先―――黒いコートを纏った一人の男の背中に。 「あの人は・・・・・・周囲の事なんか気にしないで戦う・・・・・・ここにいたら巻き込まれる・・・・・・」 「―――っ! ユーノ、クロノをお願い!」 状況は掴めない。何故クローセスがあの男性の事を知っているのかも分からない。けれども―――その言葉を後回しにすることは出来なかった。すぐさまクローセスの身体を両腕で抱え込み、飛行魔法で天井に開いた穴へと飛び込む。ユーノとクロノが後から付いてくるのを確認し、フェイトは待機場所であるキャンプへと急いだ。 医療テントに駆け込み、傷だらけのエースたちの姿を見て度肝を抜かす医療班たちを急かし、クローセスの治療に当たらせる。 「一体何があったんですか!? 突然黒い雷が―――」 「こっちにも分からない! ただ―――」 局員の言葉に、クロノが苦い表情で答える。視線の先は、砕け散って大穴の空いた遺跡。 「・・・・・・少なくとも、緊急事態だ」 「確かに・・・・・・」 四人の中で唯一無傷であったユーノが、引きつった表情と共に頷く。 刹那―――遺跡のあった場所から、漆黒と濃紺の魔力が噴火するように立ち昇った。衝撃に機材が倒れ、人間も何かに掴まるか、あるいは地面に倒れ込むかに分かれてしまう。 「な―――ッ!?」 テントから外に出て、フェイトは思わず絶句した。遺跡など影も形も無い。ただすり鉢状に抉られた地面の中心で、二人の人影が戦闘を繰り広げていたのだ。 「消え去れ!」 フィラクシアスが魔力を発し、その周囲に数百と言う数の魔力弾を作り出す。しかしそれに対し、男はただ醒めた目線で上空に浮かぶその姿を見つめていた。そして次の瞬間―――その攻撃が、放たれた。爆音に轟音が連なり、地面を揺らし、抉り、砕いてゆく。人間なら肉片一つ残らないほどの攻撃―――だが。 ―――煙が晴れた時そこにあったのは、左手に一振りの長剣を携えた男の姿だった。 「―――ッ! それはッ!」 獣の目を思わせる闇色の宝玉のはまった、漆黒の柄。それは金属的な鋭角さはどこにも無い、どこか生物じみた滑らかな光沢の柄。二対四本の爪が両側に突き出したその禍々しい柄に対し、その刀身はどこまでも美しい銀色だった。 ―――その外見に相当する魔剣はただ一振り。そして―――その使い手もまた、一人。 「貴様が・・・・・・レイヴァン=クラウディアか」 「・・・・・・また、その『カタチ』か」 フィラクシアスの姿に対し、冷たく低い声にどこか怒りを滲ませ、男―――レイヴァンはそう呟く。ただ事実のみを受け止めるような―――その事実などどうでもいいと言うような、それでいてどこかに憎しみと怒りを込めた、そんな声音。魔剣を構え、レイヴァンは低く呟いた。 「くだらん問答をするつもりは無い。貴様は俺が殺す・・・・・・それだけだ」 「こちらの台詞だ」 フィラクシアスは拳を構え、驚異的な速度でレイヴァンに肉薄した。人間の身体など一撃で打ち砕く拳が、その胴に向けて放たれる―――だが次の瞬間、レイヴァンの身体はフィラクシアスの背後にあった。魔導など一切使っていない。《湖面鏡月》と呼ばれる、極限の集中力で攻撃を躱す技法―――彼はただ攻撃を躱し、後ろに回り込んだだけだ。レイヴァンは身体を捻り、刃を振るう。 「―――くっ!」 フィラクシアスは刃を躱しながら前方に跳躍する。だが―――刃を振るった勢いで突き出されようとしているレイヴァンの右手には、漆黒の魔力が渦を巻いていた。 「《カオスブラスト》」 「ッ!!」 放たれたのは、なのはの砲撃に匹敵するような闇の奔流だった。地面を抉りながら突き進むそれが、躱し損ねたフィラクシアスの右腕を巻き込む―――その時、初めて少女の体は傷を負っていた。 地面を抉り、消し飛ばしながら宙へと消えた一撃を見て、ユーノはただただ呆気に取られていた。その一撃は、なのはの攻撃に等しいだろう―――ただ唯一違う点は、その攻撃はどこまでも害意と殺意に満ちていた事だ。ただ相手を飲み込み、滅ぼす事だけを考えた攻撃。 と――― 『そんな・・・・・・まさか、そんな事って・・・・・・』 「フィー?」 呆然とした、信じられないとでも言いたげなクレスフィードの声がユーノの耳に飛び込んできた。弱々しく明滅する盾は、その声に恐れを滲ませて呟く。 『あの、魔剣・・・・・・混沌眼《オルディファリス》・・・・・・第一階梯の古代魔導族が、その全ての力を捧げて創り出した魔剣・・・・・・』 「―――ッ! まさか!?」 『は、はい・・・・・・あの人は―――』 「―――天界騎士団の最強の騎士の一人・・・・・・レイヴァン=クラウディア」 「クロス!?」 振り返れば、意識を取り戻したクローセスがその身体を引きずってテントの中から出て来る所だった。彼はテントの中に引き込もうとする医務官の腕を振り払い、戦う二人の方へと視線を向ける。 ―――信じ難い事に、彼はその表情にまで恐怖の色を滲ませていた。 「『光覆い隠す者』の名を持つ、魔剣守の一族の末裔・・・・・・オルディファリスの後継者。敵を滅ぼすって事に関して言えば、僕はあの人以上の騎士を知らない・・・・・・」 「騎士団・・・・・・まさか、クロスを連れ戻しに?」 恐る恐る尋ねられるフェイトの言葉―――しかし、クローセスはそれに対し首を横に振った。 「あの人は、そんな事のためには動かない。あの《人形》を破壊しに来たんだ・・・・・・完膚、無きにまで」 「《宵魔陣》」 魔剣が突き立てられた地面に、漆黒の魔法陣が広がる。そこから溢れ出した漆黒の何かが、レイヴァンの身体に絡みつき―――そして、その肌に黒い紋様を浮かび上がらせた。 地面を蹴る。フィラクシアスが暴風だとすれば、レイヴァンは疾風。即座に敵をその攻撃圏内に捉え、横薙ぎに魔剣を振るう。受け止めたのは、濃紺の魔力を広げたフィラクシアスの腕。 「―――」 すかさず、レイヴァンはそこで一歩前進し、肘を曲げ身体を滑り込ませながら身体を回転させる。放たれた足払いが、フィラクシアスの身体を浮き上げ―――魔剣が振り下ろされるのと、彼女の手から砲撃が放たれるのは同時だった。 「《絶魔》」 「ルナティックレイ!」 至近でぶつかり合う漆黒の斬撃と宵闇の光。拮抗したのは一瞬、すぐにそのエネルギーが暴発し、二人は逆方向に吹き飛ばされた。だが、そこで止まらない。 「《ブラッディランス》」 「エンチャントスペル」 放たれるは赤黒い闇を凝縮した槍―――それに対し、フィラクシアスは身体強化の術式で対抗した。濃紺の魔力を纏った拳が槍を打ち砕き、更にレイヴァンに接近する。しかし彼は距離を取ろうともせず、目を細めてそれを待ち構えた。 右ストレート。レイヴァンは身体を半身にして躱す。肘が曲げられ胸に叩き込まれようとするが、彼はそれを半歩の後退で躱した。すぐさまそこに体の反転を交えた左が放たれる―――しかし、レイヴァンはそれを魔剣の腹で受け流した。体の泳いだフィラクシアスに、開いている右手が向けられる。 「《ダークスフィア》」 フィラクシアスにとって幸運だったのは、あまりの近接距離のためにレイヴァンが強力な術式をつかえなかった事だろう。放たれた漆黒の球体はフィラクシアスの側頭部を捉え、吹き飛ばすが―――距離が開いたものの、彼女は事も無げに体勢を整える。 感情の無い視線で見つめ、レイヴァンは小さく呟いた。 「頑丈だな」 「・・・・・・・・・」 だが―――レイヴァンには、傷付けられない訳ではない。その事実を受け止め、フィラクシアスは静かに目を細める。互いに無言で睨み合い、その間合いを測りながら相対する。 ―――刹那、放たれた光球がレイヴァンの足元で炸裂した。巻き上がった土くれに、レイヴァンは一瞬視界を奪われる。 「ふッ!!」 「―――!」 瞬間、フィラクシアスの拳がレイヴァンに叩き付けられる。寸前で魔剣を差し込み、その拳を受け止めるが―――その拳が、一瞬眩い光を放った。まともに直視し、思わず目を瞑ってしまう。 そして―――翻った足が、レイヴァンの左脇腹を捉えた。フィラクシアスは笑みを浮かべようとし―――その表情が、一瞬で凍りつく。蹴りは、右手が受け止めていたのだ。 「―――視覚など、有ろうと無かろうと変わらん」 フィラクシアスは咄嗟に身体を引こうとするが、足を捕らえた右手が外れない。無理に外そうとしてその重心が崩れた瞬間、レイヴァンは足払いで相手の体を浮かせ、地面へと叩き付けた。刃が、漆黒の闇を噴き上げる。 「《冥哮閃》」 吹き荒ぶ暗黒を纏う魔剣を、レイヴァンはフィラクシアスに直接刃として叩きつけようとする。しかし、フィラクシアスは地面に手を着き、足を大きく旋回させてレイヴァンに叩き付けた。先ほど絡みついた闇によって足が折れる事は無かったが、その強靭な攻撃によってバランスを崩し、刃はあらぬ方向に解き放たれる。その一撃に局員の数人が巻き込まれて消滅していたが、彼がそれを気にする事は一切無かった。 「滅び去れ、魔剣使い!」 放たれるは、夜色の砲撃。それに対しレイヴァンは軽くそこから飛び上がり、横に向かって闇の砲撃を放った。勢いに押されて、レイヴァンの体がフィラクシアスの砲撃の軌道から離れる。どちらの砲撃も、周りの局員達へと向かう―――その内レイヴァンの砲撃は、展開された翠の障壁によって受け止められた。 「・・・・・・」 砲撃の掠った右腕に触れ、レイヴァンは静かにフィラクシアスに視線を向けた。視線には先ほどに倍する殺気が込められ、空気を震わせるほどの魔力がレイヴァンの体から溢れ出す。 「―――いいだろう。貴様は、俺の憎悪に値する」 指先が虚空を撫でる。警戒し、フィラクシアスが防御の構えに入る、が――― 「影より這い寄れ、虚空の牙よ―――《シャドウファング》」 ―――簡易詠唱によって増幅した術が、フィラクシアスを背後から貫いた。 「が、あッ!?」 フィラクシアスの影から生えた漆黒の牙が、彼女の脇腹を貫き、貫通する。衝撃に目を見開く彼女に、レイヴァンは冷え切った視線を向けた。 「―――滅べ」 再び放たれる《冥哮閃》。容赦無い闇の一撃は、その中にフィラクシアスの姿を消し去った―――いや、否。 「・・・・・・逃がしたか」 レイヴァンの目は、彼女が闇に飲み込まれる寸前に姿を消していたのを捉えていた。痕跡は今の一撃が消し去ってしまった。トレースする事は不可能である。舌打ちし、レイヴァンは魔剣を鞘に収め、開いた左手をコートの中に突っ込んだ。と――― 「―――動くな!」 視線を上げる。自分を包囲するように立っている、一様に似たような服装をした人間達。無論、彼らが近付いてくるのを気付いていない訳ではなかった。歯牙に掛ける必要も無い―――そう感じていただけだ。 「重要遺物損壊、および殺人の現行犯で逮捕する!」 「・・・・・・・・・人間ごときが、この俺を捕らえるだと?」 視線を細める。侮辱もいい所だ、と胸中で吐き捨て、レイヴァンは再び手を魔剣の柄へと掛けた―――と、その手が唐突に動かなくなる。見れば、光の輪が四肢を拘束していた。初めて見る術式に僅かに目を細め―――その魔力の脆弱さに小さく息を吐き出す。 「・・・・・・《刻冥》」 既に手は魔剣に触れている。それだけで、力を引き出す事は十分に可能だった。放たれた薄闇の衝撃波が、周囲に集っていた人間を一人残らず吹き飛ばす。彼らが死んでいないのは、単にそれだけの魔力を練り上げるのが面倒だっただけだ。砕け散った光の輪を眺め、それからその視線をある方向へと向ける。 「―――何故ここにいる、クリアスゼロの所持者」 「貴方と同じ方法、理由だと思いますよ・・・・・・レイヴァンさん」 視線の先にいるのは、紅い服を着た黒髪の少年(名前は忘れた)。姿が以前と変わっている様ではあるが、その魔力に変化は無い。 「あの《人形》を・・・・・・追って来たんですか」 「《人形》・・・・・・奴は、生きているのか」 レイヴァンの声の中に憎悪が滲む。クリアスゼロの所持者は、その問いに対して嘆息交じりに首を横に振った。 「ついこの間、完全に滅びました」 「・・・・・・・・・そうか」 舌打ちを交え、魔剣の柄から手を離す。だが―――それでも、所持者の方への警戒の視線は逸らさない。 「一つ聞く。貴様は、俺の敵か」 「・・・・・・少なくとも、僕は騎士団の籍を捨てた覚えはありません。貴方を敵に回す事がどんな事か、それ位は理解してます」 「―――クロス!? まさか、この男をここで見逃す気か!?」 声を上げたのは、所持者の隣にいる黒服の少年だった。そちらへと視線を向け、それを細める。 「・・・・・・多少人間より魔力を持っている程度で、この俺に勝てると思っているのか」 「―――!」 僅かに殺気の滲んだ声に、黒服と僅かにアレン=セーズに似た子供、そして金髪の少女の動きが止まる。それを浴びながらも、ただ一人、所持者だけは嘆息を漏らしていたが。それを横目に、レイヴァンは再びコートの中に手を入れる―――取り出したのは、蒼い光を放つ宝玉だった。クライン=ゲイツマンに渡された次元転移の宝玉。 ―――蒼い輝きが、宝玉から放たれ始める。 「―――ッ、待て!」 刹那、アレン=セーズに似た子供がその手から翠の鎖を放つ。すぐさまそれはレイヴァンの身体を拘束するが―――それでも、転移術式が止まる事はない。 「―――ユーノ!?」 その時、初めて所持者が声に動揺を滲ませた。鎖を断ち切ろうと、その手を伸ばす――― ―――だがそれより一瞬早く、レイヴァンとユーノの姿はこの世界から消失していた。 あとがき? 「早速大暴れしてやがるな、あの黒ずくめ」 「あの野郎・・・・・・後々拗れるような事しやがって」 「魔剣の力も使ってたしな。おかげで、術式の掛けられてた遺跡が影も形も無いし。いやはや、あの魔剣はホント反則級の威力だわな」 「いや、反則だぞあれは。《原書》の次に強力で危険な遺産だろうが・・・・・・つーか、管理局の人間を殺させちまって大丈夫なのか? 敵対されると面倒だぞ?」 「別に、面倒なだけだろ。扱いならどうとでもなるさ」 「まあいいが・・・・・・ところで、ユーノはどうするつもりだ? よりにもよってレイヴァンに巻き込まれたみたいだが」 「ま、何とかするさ・・・・・・つっても、あの黒ずくめに口答えだの何だのして殺されてなければの話だが」 「あー・・・・・・機嫌悪そうだしな、今。街で絡んできたチンピラすらぶっ殺しそうだ」 「ま、そっちは何とかしよう」 「頼むぞ。流石に、あの連中を相手にするのは面倒だ」 「うむ。さてと・・・・・・次からはお前も出るらしいが」 「らしいって言うか・・・・・・お前が仕組んだことじゃねえのか?」 「何でわざわざ便利なお前を異世界に飛ばさにゃならん」 「オイ・・・・・・ってコラちょっと待て。俺はまだ向こうに飛ばされるとは言ってねえぞ」 「・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 「ではまた次回」 「ちょっと待たんかコラアアアアッ!!」 |