―――幼い記憶を占めるのは、いつだってあの蒼い色だった。
薄紫から始まり、色を蒼く変え、時に白を散りばめ、茜に染まり、そして無数の光が瞬く漆黒となる。幼い自分は、どこまでもその場所に憧れていた。
「・・・・・・君が欲しいものは何かな、少女よ」
ある時、行き倒れていた少女を助けた。まだ自分は幼く、自分の持っていた弁当をあげてしまって自分が困った事をよく覚えている。その少女は自分の家がやっていた食堂に、しばらくの間居候する事となった。
―――そして、その言葉を聞く。
「君には恩がある。出来る限りの事はかなえてあげたいとおもうんだが」
恩とは何か、と聞けば、彼女は苦笑交じりにこう答えた。
「貰ったら返さなければならないものだと覚えておけばいい。まあ、恩は売るものだと言っていた奴もいたが」
少し苦い、だが楽しげなその表情は何故か印象に残っていたが。とりあえず、思いついた欲しいもの―――手を伸ばした先にあるものの名を告げる。
その言葉に、少女は困った表情すら見せず、ただ笑顔を浮かべて見せた。
「成程、空か。中々欲張りだな・・・・・・いや、悪い事じゃない。自分に正直なのはいい事だ」
言っている事は良く分からないが・・・・・・どうやら褒められたらしい、とだけ理解する。その反応に、少女は再び笑顔を浮かべた。
「ふむ、成程。空を飛びたいか・・・・・・いい願いだ。しかしそれは私には叶えられないな。その力は既に君の中にある」
言って、少女は手を空へと向けた。それに倣い、自分も同じように空を見上げる。指の間から覗くのは、薄い雲の敷かれた夏の空。遠く眩しいそれに、彼女は目を細めていた。
「私は地を歩くしかない。徐々に近くなる空に憧れていた時期もあったが・・・・・・いやはや、最早古い記憶だ。だがな、少女よ・・・・・・君には力がある。私には届かなかった場所へと行く力が」
その言葉に驚き、視線を戻す。彼女は―――どこか優しい視線で、こちらの事を見つめていた。
「強過ぎるかもしれない。その力が君自身を傷つけるかもしれない・・・・・・しかし、それは優しい力だ。誰かを包み込み、救う事の出来る尊い力だ。それを君がどう使うかは君の自由だが・・・・・・少なくとも、君がそれを誤る事はないと私は思っている」
言っている事は分からない―――しかし、それがとても大切な事なのだと言う事は、幼い自分にも理解できた。一言一句聞き逃さぬよう、じっとその姿を見つめる。
「空は私の旅以上に自由な場所だ。君には自由と言う言葉がよく似合う・・・・・・そうだな、君は私に似ているのかもしれない。どこまでも自由に好きな所に行ける―――君の力は、君の風はそういうものだ」
小さく微笑み、彼女は立ち上がった。そして、幼い自分の手に何かを押し付ける―――そこにあったのは、透き通る緑の宝石のはまった小さなピアスだった。
「旅先で見つけたものだ。君にあげよう・・・・・・それで恩を返した事にするのは卑怯かもしれないが、許してくれ」
その言葉に首を横に振ると―――彼女は嬉しそうに、そうか、と頷いてくれた。そのまま彼女は、小さなナップザックを肩に掛けて歩き出す。
―――何となく、理解していた事だった。これが最後だというのは。
「・・・・・・驚いた。泣かれるかと思っていたのだが・・・・・・まさかここまで理解していたとはな」
彼女の言葉に小さく笑う。彼女と自分は似ている―――そう言ったのは彼女だと言うのに。
「やれやれ、こんな事ではいつもの台詞も言えないではないか・・・・・・まあいい。私はまた『旅』に出る。もう一度会うかどうかは・・・・・・分からないが」
こくり、と頷く。それも、分かっていた事だ。彼女は『旅人』・・・・・・一つの所に留まるべき存在ではない。
「ああ・・・・・・君と共に旅する事は楽しかっただろうな。しかしそれも叶わないか・・・・・・まあいい、それでも言おう」
そう、だから自分も言うのだ―――
『―――また会おう』
と―――
* * * * *
てんやわんやの内に連れて来られてしまった天界騎士団という組織は・・・・・・予想していた物とは、全く違う方面の組織だった。
騎士団と言って思い浮かべるのは、厳粛なイメージの組織―――しかしここはそれとは違う、まるで傭兵ギルドのような場所だったのだ。
「アリス、今回はどうする?」
「特に買いたい物も無いですが・・・・・・」
『今回の報酬』を受け取ったミリアとアリシェラの背中を追いながら、ユーノは辺りをキョロキョロと見回していた。服装やら何やらも統一感という物は無く、各々が好きなような出で立ちで動き回っている。ただ・・・・・・十字架に剣と錫杖を組み合わせたような紋章だけは、皆どこかに着けている事が確認できた。
『騎士団の、紋章なのかな?』
『はい。大体はワッペンですけど・・・・・・刺繍としてつけてる人は、Aランク以上・・・・・・つまり、上級騎士の証なんです』
上級騎士と言うのがどの程度の強さなのかはよく分からなかったが。確か、クローセスのランクはAAA。どうやら、A〜AAAまでは上級騎士として扱われるようだ。
「・・・・・・あの、ミリアさん」
「ん? 何?」
「えっと・・・・・・今、どこに向かってるんですか?」
とりあえず、目から入ってくる情報だけでは限界がある。書かれている文字は読めないし、ここはとりあえず耳から情報を得るしかない。ユーノの言葉を受け、ミリアは小さく肩を竦めた。
「私たちの中で一番偉い奴の所。まぁ、いるかどうかは分からないけど」
「いるか分からない?」
「大体は仕事をサボってどこかしらを歩き回ってるので。困ったものです」
二人が揃って嘆息を漏らす。どうやら、随分と厄介な上司を抱えているらしい。一応クローセスから話は聞いていたので、その人物の予想はついたのだが―――
「それで、どうするんですか?」
「どうするって言ってもねぇ・・・・・・とりあえず、私が知ってる限りでこの状況を何とか出来そうなのはあいつとレイぐらいだし。とりあえず報告しない事には始まらないわね」
「・・・・・・」
沈黙する。それは、その人物があのレイと同等の力を持っているという事か。クローセスが間違いなく最強の部類だと言っていた、あの古代魔導族と。
―――思わず、ごくりと喉を鳴らす。
「・・・・・・ま、あんまり緊張しなくてもいいわよ。たぶん、考えてるような人間じゃないと思うし。ま、気は許さない方がいいと思うけど」
「は、はぁ・・・・・・」
ますます良く分からなかったが。と―――不意にユーノは、足から伝わってくる床の感触が変化しているのに気付いた。床に広がるのは紅いカーペット・・・・・・今までの場所より、明らかに造りが良くなっている。
そして―――目の前に見えてくる、彫刻の成された扉。その扉を、ミリアはノックどころか声すらかけずに開けていた。
「クラインは・・・・・・お、いた」
「おお、戻って来たか。ご苦労だったな」
書類が乱雑に積み上げられた机―――そこに着く蒼い男は、ミリアの姿を認めて小さく笑みを浮かべた。
「アリス、報告書を書いとけ」
「了解しました・・・・・・それで、一つ話があるのですが」
「ああ、そのガキの事だろ? 何かくっ付いて来たって事はレイヴァンから聞いてる」
「・・・・・・・・・」
植物の種か何かと勘違いされてるのではないか、と思ったが、とりあえずそれは胸中に仕舞っておく。小さく嘆息していると、ミリアが男―――クラインに対して肩を竦めて声を上げた。
「どうせまた何か企んでるんでしょうけど・・・・・・大丈夫なの? 誘拐同然じゃない」
「ま、問題ないだろ。元々こっちに連れて来るつもりは無かったし・・・・・・まあ、こちらの存在を意識させるぐらいのつもりだったんだが。これはこれで手間が省けていいかもしれないな」
「・・・・・・何をどこまで知ってるんですか、クラインさん」
「その内話してやるって」
小さく笑いながら言うクラインに、底知れぬものを感じ取り、思わず一歩後退する。そもそも、彼はどうやって他の次元世界の事を知ったのか。そして―――あの遺跡に管理局の人間が訪れる瞬間を、どのようにして知ったのか。
「さてと・・・・・・ユーノ・スクライアだったな」
「僕の名前まで・・・・・・」
「いやなに、お前さんは結構重要な存在だったからな。何せ、お前がいなかったら『何もかも』始まらなかった訳だ。そりゃ、そんな存在だったら覚えてるさ」
そして―――ユーノは、今度こそ絶句した。侮れないなんてものではない。例え常に気を張っていたとしても、この人物は何の前触れもなく致命的な距離に入り込んでいる。その確信が、ユーノの心を重く固めた。
「俺はお前さんをどうこうするつもりは無い。ここに滞在するなら部屋は用意してやるし、食事は元々勝手に配給されるから気にせんでいい。次元転移魔法で知ってる世界を探すなり、そのデバイスで救難信号を送るなり好きにすればいいさ」
「・・・・・・・・・! 貴方は、どこまで・・・・・・!」
「お前らが知ってる事、知らない事・・・・・・その大体だ。さすがに、全てを知ってるって訳じゃない」
それでも十分―――いや、それだけでもかなりの脅威だ。『限界が知れない』と言うクローセスの言葉が、どこまでも事実だと言う事を思い知らされる。
「管理局と接触するのにお前さんを利用するつもりではあるが、別に危害は加えん。さて、お前さんはどうする? 俺はどっちでも構わんぞ」
「・・・・・・・・・」
じっとその瞳を直視しても、その真意は読み取れない。何をするつもりなのか、本当に目的がそれだけなのか―――それが、なのは達にとって本当に脅威とならないのか。しかし考えれば考えるほど、彼の言う通りならば自分はここに滞在する事が最も安全だと言う答えが叩き出される。
次元世界を旅する事は大変なリスクを伴う。次元転送をするだけでもかなりの魔力を消費するのだ。連続で何度も移動できるものではない。それならば、この世界で救援を待つのが無難だろう。目の前の人物はともかく、この二人の女性は少なくとも信用は出来る。ミリアがなのはに似ているからと言う訳ではないが―――少なくとも、彼女が悪い人物には見えなかった。
「・・・・・・管理局も、この世界を探してます。こちらから信号を送れば、見つかるのも早くなる・・・・・・それが狙いですか?」
「まあ、それも一つではあるな」
隠そうともせず、不敵な笑みのままクラインは頷く。目を閉じ、息を吐き出し―――ユーノは小さく頷いた。
「しばらく、お世話になります」
「おう。じゃあお前ら、こいつの事は頼むぞ。しばらく仕事も入らんし」
「別にいいけど、どういう事よ・・・・・・アレンの魔力が無いのも含めて、説明して欲しいわね」
と―――半眼で、ミリアは棍を握ったままクラインの姿を睨み据える。しかしその視線を飄々と受け流し、クラインは小さく肩を竦めた。
「次元移動の実験に巻き込まれてな。今どっかに行ってる」
「またやったの!? もぅ・・・・・・」
残念そうに表情を歪めて嘆息するミリアを見上げ、ユーノは小さく首を傾げる。その視線に気付くと、ミリアは咄嗟に目を逸らしてこほん、と咳払いを一つ。
「・・・・・・で、大丈夫なんでしょうね?」
「ああ。管理局に保護されたのは確認した」
「・・・・・・クラインさん、この子を同じ方法で帰す事は?」
「悪いが在庫切れだ。永続タイプの物は作れてない。今回も、アレンに使ったのとレイヴァンが使ったので売り切れ」
一つ作るのに二ヶ月くらいかかるんだよなぁ、などと呟くクラインに、ユーノは小さく嘆息した。もしレイがいれば、あっさりとその複製を作っていたのだろうが。
「ま、せっかく来たんだ。旅行の気分で楽しんだらどうだ? どうせ、ロクに休みもせんで仕事ばかりしてたんだろう。休むのは人間にとって重要な事だぞ。精神、肉体共に、余裕の無い人間ってのは無様だからな」
「・・・・・・年がら年中サボりっ放しでしょ、あんたは。それにそもそもあんた―――」
「ミリアさん、それはダメです」
ユーノを示しながら、アリシェラがミリアを制止する。視線に気付いてばつが悪そうに頬を掻き、ミリアは小さく嘆息した。
「とにかく、仕事を入れないって言うのは破らないでよ? ここの所、『片付け』だけで随分色んな所に行かされたんだから。おまけに観光する暇もないし」
「何だ、その坊主を連れて旅行にでも行くのか?」
「んー、まあそれでもいいけど」
「・・・・・・」
『片付け』と言う単語が妙に気になったが、それは胸の片隅に置いておく。
彼女達の印象は決して悪くない。こちらへの対応も敵意は感じないし、クラインを除けば裏というものすら感じない。このミリアと言う女性は、そもそも根が真っ直ぐなのだろう。言いたい事は何でもかんでもはっきり言う、と聞いていたが―――どうやらそれ以上に天衣無縫な性格のようだ。
―――くすり、とユーノは小さく笑む。何故だか分からないが、ミリアに対する警戒意識だけはほとんど薄れてしまっていた。
「短い間かもしれませんけど、よろしくお願いします」
「え? あ、よろしくね、ユーノ」
「・・・・・・中々度胸がありますね」
「うん、私も驚いた」
きょとんとした表情で首を傾げるミリアに、ユーノはもう一度笑みを浮かべる。その反応に何とも言いがたい―――要は、何故笑われているのか分からない、と言った表情をミリアが浮かべるが、生憎とそれを説明するのは難しかった。
と―――突然、先ほどまで念話以外での会話を行っていなかったクレスフィードが、何やら得意げな声音で声を上げる。
『・・・・・・なのはおねーちゃんににてますもんね、マスター』
「って、フィー!? 声を出したら―――」
『大丈夫ですよ。ねー』
「ああ、まあな」
生憎と、クラインはまったく動じていなかった。まあ、彼はデバイスの存在を知っていたのだから無理はないが―――恐る恐る、ミリアたちの方へと視線を向ける。
―――しかし予想に反し、そこにあったのは『珍しい物を見た』と言う程度のきょとんとした表情だった。
「へー、喋るんだ」
「あ、あんまり驚きませんね・・・・・・」
「君の世界の武具って事でしょ? まあそれに、喋るぐらいならこの世界にもあるし」
言われて、ルヴィリスの事を思い出す。まあ、彼女の場合は喋るどころか実体化した上、物を食べるわ人をからかうわ好き勝手やっていたが。
「なるほど・・・・・・えっと、この子はクレスフィードって言います」
『フィーって呼んでくださいねー』
「・・・・・・『世界の守護者』?」
何やら、意外な反応を示された。クレスフィードが喋った時よりも驚きを露にし、オウム返しにその言葉を聞き返す。レイは安易に名付けていたようだが、この名にはどれほどの意味があるのか―――助け舟を出したのは、意外にもクラインだった。
「レイが作ったんだよ。別にその名も不思議ってほどじゃないだろ? どうせ名乗ってるのはもうレイしかいないだろうし」
「・・・・・・いいんでしょうか?」
「さぁ? 私は当事者じゃないし」
「えーと・・・・・・」
『どういう事でしょう・・・・・・』
どうやら本人―――いや、本機にも分からない話題らしい。その言葉に、ミリアは小さく肩を竦め、アリシェラは小さく嘆息を漏らして見せた。不動だったのはクラインのみである。
「私たちからは喋り難いわ・・・・・・聞くんだったらレイに聞きなさい。私たちより遥かに事情に詳しいしね」
「はぁ・・・・・・」
よく分からなかったが、この場はとりあえず納得しておく。ミリアに言われたから、と言う訳ではないが―――今その事を聞くのは、酷く場違いな気がしていたのだ。今となってはレイしかいない、と言う言葉も気になったが―――それでも。何か酷く尊い事に、尊い言葉に思えて仕方なかったから。
―――ミリアの言葉に頷く様子に、クラインが小さく笑みを浮かべていた事に、この時ユーノは全く気付けていなかった。
あとがき?
「・・・・・・あんなに単純でいいのか、ユーノは」
「単純って訳じゃないだろ。単に、知らず知らずの内にミリアのペースに飲まれてるだけだ。お前だってしょっちゅう体験してるだろーが」
「まあ、確かにそうだが・・・・・・高町に似てるってのもある訳か?」
「まあ、それも一つだろうな」
「そうかい・・・・・・で、あの馬鹿女を好き勝手やらせる気か、お前は?」
「別に問題ないだろ? 俺に直接関係ないし」
「世界各地で問題起こしてくるあの馬鹿女の責任を全部俺に押し付けるつもりか、オイ」
「お前が監督するって事でミリアは騎士になったんだから、お前が責任負うのは当然だろ?」
「ぐぬっ・・・・・・! こういう時に限って正論をほざきやがるかテメェは・・・・・・」
「はっはっは。まあ、そう遠くまでは飛ばないんじゃないか? 流石に、外の大陸に出て観光するには一ヶ月ぐらい休暇が必要だろうしな」
「近場の方がクレームが早くて厄介だろうが」
「まあ、そうとも言う」
「俺がいない間ぐらいは鎖に繋いどけ、ホントに。気に入らない事があれば相手がどんなお偉いさんだろうとケンカ売るわそれに伴って周囲の器物をことごとく損壊するわ・・・・・・せめて高い物を壊さないようにやれってんだこん畜生が。美術展で暴れさせやがった時はどうしてくれようかと思ったぞ」
「いいだろ。怪盗って奴も、まさか盗む前に美術品が壊れてるなんぞとは思わんかっただろうし。いやはや、あの時の表情は見ものだった」
「そんな憂さ晴らしのためにどれだけ金を使いやがったクソ師匠・・・・・・しかも俺の金にまで手をつけやがったよなぁ、オイ」
「よくある事だろうが」
「よくあって堪るか畜生め!」
「はっはっは。さてと、次はまた管理局の方に戻るか。これからは出来るだけ交互に、って所かね」
「話し逸らしやがったなコラ・・・・・・ッたく。んじゃ、また次回」
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