流れ行く時間は、とても尊い物だと知っているけど。
それを意識することなど、普段はなくて。
だからこそ、後で思う。
あの時は、何と平穏だったのだろうか、と。

「…………あ〜。」

局内にあるプールに浮かびながら、ユーノは目を閉じていた。
勿論、姿は水着だけで、ただ、プカプカと浮いていた。
時刻は夜の8時を回った所。
別に、暑いからとか、そんな理由は特にない。
こうしているのは、ただ、何も聞こえないから、こうしているだけ。
考え事をするのに、たまたま時間も良かったし、誰もいなかったので、こうしている。
その上半身には細くとも、しっかりと筋肉がついている。
がっしりとした体格ではないけれど、見た目には分からないほどの筋力をその体は有していた。

「ユーノパパ〜?」
「ん?」

先ほどからユーノのお腹の上に乗って、水の上にプカプカと浮かんでいる愛娘の言葉に、ユーノはゆっくりと目を開けた。
彼女も小さいながら水着姿である。
とは言え、別に濡れようがどうなるわけでもないのだが。
女心なのだろう、きっと。

「静かですね〜」
「そうだね。」
「何にも…起こってないみたいですね。」
「…そうだね。」

ユーノはまた目を閉じて『起こっている事』に意識を向ける。
ギレールの行方不明、スクライアからのロストロギアの強奪。
そして、友人の行方不明。
一つ一つのことが、頭によぎっていく。
既に判明から一週間。
まだ動きはない。
ここまで静かだと、本当に何も起きていないかのような錯覚さえ受けてしまう。
勿論、そんなわけはないのだが。

「……ねえ、イージス。」
「何ですか?」
「イージスは何かお願いしたい事とかある?」
「…そうですね。」

突然のユーノの言葉だったが、イージスは特に驚く事もなく、その小さな足でパシャパシャと水をけりながら考える仕草をしている。
それだけの音が響く中、う〜ん、と考えていたイージスはゆったりと言った。

「変わらないでいたいです。」
「変わらないで?」
「はい、ユーノパパが笑っていて、なのはママが笑っていて、すずかママが笑っている、そんな今がとても楽しいから。」
「変わらないでいたい、か。」

それに微笑みながら、ユーノはイージスを撫でる。
でも、きっと皆変わっていく。
それは、計らずとも目の前の幼子が一番証明してくれている。
たったの半年で、この子はとても変わった、とユーノは思う。
それが、生まれていくらも経っていなかったから、と言うのが理由であったとしてもだ。
生まれて7ヶ月の子なのだ、彼女は。
なのに、こんな事の渦中に身を置かしていることに、いたたまれない気分になる。

「…ユーノパパ♪」
「ん、どうしたの?」

突然、自身の胸に頬を擦り付けてくるイージスに疑問の目を向ける。

「硬いですね。」
「…まあ、一応、これでも鍛えてるんだしね。」

君はそれがよく分かっているでしょう、とユーノはこつん、とイージスの頭を小突く。
特に痛みもないけれど、何となく、楽しくなったりするイージスだった。

「…さて…明日は、何か動きがあるかな?」
「……何にもなければ、いいんですけど。」

冷たい水の中、ユーノとイージスは、のんびりと漂っていた。




「それでは行ってきま〜す。」
「うん、行ってらっしゃい。」

更に二日後、イージスは定期メンテナンスに出かけていく。
無限書庫を出て歩くイージスは、自身の本体を片手に持って、本局のマップを頭に思い浮かべながら歩く。
所々で顔見知りになった人に挨拶をしながら、イージスは楽しそうに歩いていく。

「あ、イージス。」
「なのはママ〜」

ニッコリと、いつもより20%増しの笑顔でイージスはなのはに挨拶をする。
内心、ユーノ君みたいに抱きついてきてくれなくなった、と少し寂しい思いがあるが、それは表面に出さない。

「イージスもメンテナンス?」
「はい、何だか他にもマリーさん、やりたい事があるそうですけど。」
「え、何それ?」

目を瞬かせるなのはに、イージスも首を捻る。

「分からないです。 マリーさんも当日まで秘密って言ってしました。」
「何かな?」

なのはは首を捻りながらも、もしかしてまた何か怪しい事でもしようとしているのだろうか、となのはは内心怪しむ。
別にマッドではないが、それでもマリーも出来る事はやってみたい、と言う傾向がある。

「レイジングハートさんもメンテナンスですか?」
<<そうです、フレームチェックとカートリッジシステムの点検くらいですが>>

それも、自己診断プログラムではまだ誤差修正範囲内です、とレイジングハートは言う。
基本的に、何ともタフなデバイス達であった。

「それじゃ、一緒に行こうか、イージス。」
「はい。」

なのはがイージスに手を伸ばすと、イージスもゆっくりとその手を取った。
手を繋いで歩き出す二人は、やっぱり傍から見ていても、親子だった、と見ていた人間は語る。




「ん…メンテナンスと装着完了。」

マリーはそう言うとメンテナンスのチェック画面から目を外した。
が、マリーは心配そうにいくつもシミュレーションとイージスの状態を見比べる。
何せ、目の前のデバイスの親達なるや、本気で怒らしでもしようものなら、肉体的にも社会的にも精神的にも危ない。
いつも念入りにチェックはしているが、いつもよりも更に不安な部分があったので、マリーは何度もチェックを走らせる。

「イージス、何か不安点はある?」
「いえ、新装置も別に違和感なしです。」

そう言って、実体化してきたイージスは、小さな髪飾り一つ増えていた。
ヘアピンにワンポイントがついている、と言った感じの飾りである。

「…随分デフォルメされるね。」
「でも、何で私なんですか、この装置、レイジングハートさんとかの方が余程使いそうですけど?」

かわいらしく首を傾げるイージスに、マリーはふふん、と得意そうに話し出す。
説明が楽しいのかもしれない。

「それはね…」

何かな、と真剣に待つイージスと傍らのレイジングハート。

「言っちゃうとね、レイジングハートに搭載する幅がないの。」
「…」

痛い沈黙に襲われただけだったが。
いつも無邪気なイージスに、少し冷たい感じの眼で見られて、マリーは目を逸らす。
何とも悪い事をしたような気分だった。

「でも…何度解析しても、イージスの構成物質もプログラムも、ブラックボックスレベルが上がっていくだけね。」

マリーは大仰に溜息をつく。
当初、イージスはその構成物質はともかく、内面のプログラムなどは汎用のインテリジェントデバイスと変わらなかった。
まあ、言ってしまえば、そこまでレイジングハート達と変わらなかったわけだ。
イージスの内面であるプログラムまで変容を遂げ始めたのは、実体化機能がついた時からだ。
そのときから、イージスのプログラムは、全てプロテクトがかけられてしまった。
だからメンテナンスとは言ってもカートリッジシステムの整備と、イージスのカウンセリングくらいだ。
まあ、その辺りも基本的に問題なしだ。
カートリッジシステムを六つもつんでいるので、チェックは大変だが。

「それにまあ…実体している間に本体持っているのに突然消えちゃっても危ないでしょ?」
「…それもそうですね。」
「イージスちゃん、いますか〜?」
「あ、リインフォースさん。」

マリーとの会話の一方でフラフラと飛んで来るリインフォースを見つけた。
キャー、ワーと二人で何となくはしゃぎながら、空中でお互いに抱きついてクルクル周って見たりする。
何となく、楽しかった。

「…一昔前の、フェイトちゃんとなのはちゃんみたいね。」

マリーの言葉に、傍らで肯定の意を示すレイジングハートだった。



『ユーノ、そっちはどうだ?』
「…動きが、なさすぎる。」

司書長室でギィ、と椅子を唸らして、ユーノは通信相手のクロノに神妙な顔で言う。
正に、動きがないのだ。
ユーノもクロノもそれなりに情報網があるが、そのどこからも情報が来ない。
消えたギレールも、ロストロギアもだ。
このまま、双方忘れ去られるのだろうか、それならそれで良い、とも思わないでもない。
何にも騒動が起きない方が良いに決まっているからだ。

「…ここまで来ると、僕達より君達だ。 いきなり襲撃を受けたりしたら、アルカンシェル相手じゃ、痕跡すら残るかどうか。」
『確かにな。』

一番危惧しているのは正にそれだ。
認識範囲外からのアルカンシェル。
レーダーレンジの方が射程よりも長いが、それでも万が一、と言う事もある。
思わず、二人でハァ、と溜息を流してしまった。

「…そういえば、アースラは明日から摘発任務だっけ?」
『ん…ああ、はやてが密輸組織を一つ摘発していてな、その足だ。』

フェイトも同じ任務につく、と言っているクロノ。
ユーノも別に世間話以上にこんな会話に意味は持っていない。
とは言え、どこか別の任務から予想外の事態に突入することはよくあることだ。
それを思えば、全く無駄な会話、というわけでもない。

『今回で摘発も一段落だ。 気が抜ければよかったんだが。』
「ま、それは仕方がないかな。」

クロノもユーノも苦笑して、会話を締めた。
通信を切って、ユーノは司書長室から外へと出る。

「司書長、面会者ですよ〜」
「面会者?」
「先日も来ていた、司書長と同部族の女の人です。」

先日も来ていた、と言われて、ユーノはん〜、と考えてみる。
すぐさま、リーシュの事を思い出した。
もしかして、何か進展があったのかもしれない、とユーノはすぐに面会室へと向かう事にした。

「あ、ユーノ。」
「やあ、リーシュ、レイス、見つかったの?」
「…ううん、噂一つなかった。」

残念そうに首を振るリーシュに、ユーノも溜息を吐く。
その裏で、状況を考える頭は動いていた。
情報探索の種類は違えど、それでもスクライアはその手の事は得意だ。
リーシュもそれに洩れてはいない。
なのに噂一つ見つからない。
いくら何でも異常。
ユーノがあった『レイス』がまるで幻のようだ。

「だから、ユーノの方で、何か掴んでないかな、と思って。」
「…こっちもお手上げ状態だね。 目撃情報すらない。」

そうだ、とユーノは思う。
まるで、いないみたいだ。
どこを見ても、見つからない。
どこを探しても、情報一つ出てこない。

「…まさかね。」

しかし、礼のロストロギアの強奪の犯人とかは、ユーノは全く疑ってない。
レイスは、そう言う事をする人間ではない、とユーノは確信を持っていた。
それは、会っていなかった6年間を加味しても変わらない。
レイス、と言う人間が、根本から変わらない限り、それはない。

「…そうでもないか。」

やむにやまれぬ事情、とかなら、分からないか、と思い、しかし、時間が過ぎすぎている。
やはり、レイスではない、と結論付けて、ユーノはリーシュと向き合う。

「リーシュ何もなかったんだね?」
「ええ、ユーノが会ったあたりの時間を中心に聞き込んでみたけど、全くお手上げ。」
「そっか…」

結局、ユーノは色んなことをリーシュに伝えようか迷ったが、結局、何も伝えることなく、探しておく、とだけ言って、リーシュを帰した。
とは言え、リーシュの方が年も上なのだ。
ユーノは腹芸に長けてきていたが、それでも、何か感ずかれたかもしれない、とは思った。

「…何も変わらないでいて欲しいか。」

イージス、やっぱり、無理みたいだ、とユーノは、目を閉じて、天を仰いだ。

変わらない陽だまりで穏やかに過ごしていた彼らに、影が差す。
その影は、翳りを持って、ここに来た。
その影は、一体、何なのだろう。
まるで、それは見えない悪意のようで。
そして、影は、彼らを覆い隠していく。

ー続くー

さてさて、導入編は終了ですね。
後は、メイン的な部分を書き始めます。
なかなか、導入部が難しい、と思ってます。





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