どこをどう走ったのかはよく覚えていない。気がつくと、フェレットを拾った公園まで来ていた。恰好はいつもの服に戻り、レイジングハートも赤い珠に戻っている。
 ここまで来ればひとまずは安全だろう。池沿いにあるベンチにもたれて、ようやく一息つく。
「すみません……」
 呼吸を整えていると、フェレットが謝ってきた。
「え、と……怪我の方は大丈夫?」
 病院に運び込んだ時から時間は経っていない。傷が開いてはいないかと心配になったのだが、
「怪我は平気です。もうほとんど治っているから」
 膝の上でフェレットが身震いすると、身体に巻いてあった包帯がほどけた。その下にあるはずの傷は消えている。抱き上げてよく見ても、一見しただけでは分からない。じっくりと見れば、ほんの僅かな違和感がある程度だ。
「助けてくれたお陰で、残った魔力を治療に回せました」
 よくは分からないが魔法で何とかしたということだろう。防御や封印の魔法があるのだから、回復魔法があっても不思議ではない。
 とりあえずの懸念はこれで解決した。となると、次にすることは決まっている。状況の把握だ。成り行きのまま妙な化け物と戦ってしまったが、まずはこちらの分からないことを全部説明してもらわなくては。
 が、その前に。
「ねぇ、自己紹介してもいいかな?」
 このまま相手をフェレットさんと呼ぶのはどうかと思った。きっと、このフェレットにも名前はあるはずだから。
 フェレットが頷いたのを確認して、名乗る。
「僕は高町優乃。小学校三年生。家族は優乃って呼ぶよ」
「わたしは、ナノハ・スクライア。スクライアは部族名だから、ナノハが名前です」
 何となく、日本的な響きがあるなぁと思った。まずは、人間に発音できる名前で安心する。
 フェレット――ナノハは、名乗った後で項垂れ、
「すみません……あなたを……巻き込んでしまいました」
 消え入りそうな声で謝ってきた。
 本当は、自分独りであの化け物を何とかしたかったのだろう。それでもどうしようもなくて誰かに頼らざるを得なかったのだ。声に込められていたのは後悔の感情だった。
「まあ、大丈夫だよ。それよりも、今のところは危険はないんだよね?」
 落ち込んでいられたままでは話が進まないので現実的な話をする。
「え、と……はい、今は大丈夫です」
「そっか、それなら詳しい話を聞きたいけど……こんな所じゃ落ち着かないね。怪我も完治してるわけじゃないんだから、僕の家に行こう。話はそれから、ってことで。それと……」
 立ち上がり、ナノハの頭をひと撫でして言っておく。
「そんな丁寧な口調でなくていいから。普通に話してくれればいいよ」
「あ……はい、じゃないや。うん」
 頷いたのを確認して、公園の出口へと足を向ける。まずは家に帰ろう。気付かれないうちに部屋に戻らなければ……
 
 
 第2話:魔導師優乃
 
 
 一旦ナノハを下ろし、門扉に手をかける。木製の引き戸をゆっくりと、なるべく音がしないように開け、足音を立てないように敷地へと入り込む。
 同じようにゆっくりと引き戸を閉め、ナノハを再度抱えると、一歩、また一歩と玄関へ向かう。次第に縮まる距離。よし、あと少し――
「おかえり」
 声は右手から来た。心臓が跳ね上がったがナノハを背後に隠してそちらを向く。声の主である恭也がそこに立っていた。
「に、兄さん……」
「こんな時間に、どこにお出かけだ?」
 厳しい顔を向けてくる兄。声に導かれて化け物と戦っていましたなどと正直に話せるはずもなく、どう説明したものかと考える間に、
「あら、可愛いぃ」
 別の声が背後から届く。姉の美由希のものだった。
「ね、姉さんまで……」
「あ、何か元気ないね。でもどうしたのこの子?」
 ナノハを見ながら近付いてくる。やはり答えられないままでいると、やれやれ、と恭也が溜息をついた。
「とりあえず、家に入ろう。事情はゆっくりと、みんなの前で聞かせてもらう」
 
 
 リビングで、優乃は家族に対し、次のように説明した。
 下校中に公園で衰弱していたフェレットを保護したこと。動物病院の場所を知らないので、とりあえず公園の安全な場所へ隠していたこと。どうしても気になって家を抜け出したこと。少しは元気を取り戻していたが、このままにしておけないと思い直して家へ連れ帰ったこと。
 魔法やら化け物やらの説明をするわけにはいかないので、もっともらしく聞こえるように話した。
「なーるほど、この子のことが心配で、様子を見に行ったのね」
 得心がいった、とナノハを撫でながら美由希が笑う。ナノハは話の最中も母と姉の興味を引いたようで、2人に撫でられるがままになっていた。
「気持ちは分からんでもないが……だからといって内緒でというのはいただけない」
 腕を組んだままで恭也がこちらへ厳しい顔を向ける。そうだな、と士郎も兄に同意した。
「いつの間にかいなくなっていたから、みんな心配してたんだぞ? もう少し遅ければ、警察へ届けようかとも思っていたんだ。どうしても出掛けたかったなら、一言あってもよかったんじゃないか?」
「……はい……」
 強い口調でこちらの非を指摘してくる父に対し、返す言葉がない。許可が出るかどうかは別にして、外出したいという意志は伝えるべきだったのだろう。
 抜け出して、それがばれた時に叱られることは覚悟していた。しかし、そのことで家族が自分を心配するということに気付けなかった。
 家族に心配や迷惑をかけないよう、常に心掛けなくてはいけなかったのに、失念していた。
 士郎の顔を見ることができず、下を向く。膝の上にあった手は知らぬ間に固い握り拳へと変わっていた。
『ユーノくん……』
 不意に、頭の中に声が響く。同時に肩へと重みが加わった。顔を上げると頬に温かく柔らかな感触が触れてくる。ナノハがこちらの肩へ飛び乗り、頭を擦りつけてきたのだ。
 夢の中で聞いた女の子の声が、また聞こえた。しかも、今度は自分の名を呼んだ。家で3度目の声を聞いてから自身の名を出したのは、今肩にいるフェレットに名乗った時だけだ。
『この声……ひょっとしてナノハ?』
『うん。念話っていって、声に出さずに相手と意思疎通をするものなの。ユーノくんはもう魔導師だから、こうやってお話もできるんだよ』
 頭の中で思ったことが、そのままナノハに伝わっていた。要はこっちの世界で言うテレパシーとかいうものと似たようなものだろうか。
 しかし、夢で見た女の子の正体が、まさかフェレットだとは。きっとこれも、魔法によるものなのだろう。動物の姿では戦いにくいから、人間の姿に変身していたに違いない。
『ごめんなさい。わたしのせいで、ユーノくんが叱られることになっちゃって……』
『いや、別にナノハが悪いわけじゃないよ』
 声が聞こえたからといって、それで外に出たのは自分の意志。本当の理由が言えないだけで、何とでも理由はつけられた。夕食時にフェレットのことを説明しておけば、その助けにもなっていただろう。結局、自分の配慮が色々と足りていなかったのだ。ナノハが気に病むことではない。
「へぇ……まるで、叱られた優乃を慰めてるみたいだな」
 と、横から兄の声。気付くと、皆の視線が自分の肩にいるナノハに集中していた。
「ふむ……なかなか賢そうな、イタチじゃないか」
「フェレットだよお父さん」
 先程までの空気はどこへやら。感心したように漏らす父に姉がツッコミを入れたり、肩から降りたナノハを、桃子が抱き上げて頬擦りし始めたりと、すっかり和やかな雰囲気へと変わってしまう。
「まあ……優乃はいい子だから、もうこんなことはしないな?」
「うん。父さん、ごめんなさい」
 それでもこちらを見て、士郎が念を押してくる。言葉にして謝ると、テーブル越しに士郎がこちらの頭を一度だけ強く撫でた。
 とりあえず無断外出の件はこれで終わったわけだが、
「あの、それで……この子の面倒のことなんだけど……」
 こちらの問題も片付けなくてはならない。今、ここでナノハを放っておくことはできないのだから。事情も聞かなくてはならないし、今後のこともある。
「ああ、構わないぞ」
 しかし、家で預かりたいと申し出る前にあっさりと、士郎が承諾した。あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまう。逆に不安になってしまった。
「あ、あの……本当にいいの?」
「店の中に連れてこない限りは問題ないさ。優乃が黙って家を抜け出すほど気に懸けてた子だ。その代わり、ちゃんと面倒を見るんだぞ?」
 確認の意味で尋ねると、士郎は優しい顔で頷く。どうやらこの件についても無事に解決しそうだ。最初から素直に申し出ていればよかったのか、それとも今回の騒動があったからこそあっさり片付いたのか。いずれにしても良い方へ進みそうだった。
「で、この子の名前は決めたのか?」
 ナノハの喉あたりを撫でてやりながら士郎が問うてくる。そういえば正式な紹介をしていなかった。素性はともかく、名前は教えておかなくては。
「ナノハって言うんだ」
 だから、皆にナノハの名を告げる。
 その途端、リビングが凍りついた。和やかな空気が一瞬にして吹き飛んだのが分かる。家族の誰もが驚愕の表情を浮かべ、こちらへ視線を向けていた。
 しばらくの沈黙の後にようやく、士郎の口から絞り出すような声が漏れた。
「その名前は……優乃が決めたのか?」
 少なくとも家族にとってそれは重要な何かなのだろう。そして、それは恐らく触れられたくないものだ。ここまで狼狽した家族の顔を、優乃は一度も見たことがない。
「ううん、それがこの子の名前なんだけど……」
 どう考えてもおかしな態度だが、それを問い質せる雰囲気ではない。だから気付かぬ振りをして、
「姉さん、首にプレート付いてない? このくらいの大きさで、アルファベットで名前が彫ってあるんだけど」
 指で適当な大きさを示しながら、嘘を1つつく。
「え? ええ、っと……ないね」
 慌てた様子で美由希がナノハを抱き上げて確認するが、そんな物は最初から存在していないのだから、あるわけがない。騒ぎでどこかへ行っちゃったのかな、と独りごちてから家族の次の反応を待つ。
「まあ、名前があるなら、別の名で呼ぶと混乱するかもしれないしな……」
「そうね、飼い主を見つけるまではうちで面倒を見てあげましょう。優乃、ちゃんと責任をもって世話できるわね?」
 落ち着きを取り戻した父が、自身に、家族に言い聞かせるように呟き、母がこちらへナノハを差し出してくる。
「もうインターネットで色々と調べてあるから、これから準備するね」
 頷き、ナノハを受け取ってから、リビングを後にする。廊下へ出て、ドアを閉め、早足で自分の部屋へと向かった。
「ねえ、ユーノくん。ご家族の皆さん、途中から何か様子がおかしかったんだけど」
 人目が無くなったからか、声に出してナノハが聞いてくる。どうやらナノハも気付いていたようだ。
「ナノハの名前に反応したみたいだね。僕には全くその理由が分からないけど」
 物心ついてから今まで、その名を聞いた記憶はない。ナノハという名について、自分以外の家族は全員、何かを共有しているのに。
(そう、僕だけが知らない……僕だけが……)
「ユーノ、くん……?」
「何?」
「あの……え、と……ううん、何でもない……」
 何かを言いかけたのに、何故かそのままナノハは黙ってしまう。特に重要なことでもないのだろうと判断し、優乃は階段を登り切り、自室のドアを開けた。
 
 
「これでよし、と」
 ナノハを受け入れる準備は割と簡単に完了した。逃げたりする心配がないのでケージは必要ない。使っていないバスケットがあったので、その中にタオルを敷いてベッドにする。
「ちょっと狭いかもしれないけど我慢してね」
「ううん、これで十分だよ。ありがとうユーノくん」
 バスケットに入り、何度か寝返りを打って、ナノハがお礼を言ってきた。これで寝床は完成だ。
「そういえばナノハ。こっちの世界のフェレットは肉食って事になってるんだけど、フェレット用の餌でいいかな?」
「え、と……普通に人と同じ物でいいんだけど……」
 次は食事の確認だが、返ってきたのは意外な答え。
 人間と同じ物でいいというのは、この場合デメリットだろう。なにせ『こちらのフェレットが食べられない物を与えるわけにはいかない』ということであり、かつフェレット専用の餌などは受け付けないということなのだから。いや、人間だってその気になればフェレットフードやキャットフードを食べることはできるだろうが、人と同じ物を食べる、という時点で、たとえ見た目が動物でも、動物の餌を与えるというのは何だか失礼な気がした。
「あ、大丈夫だよ? 体がちっちゃいから、そんなにたくさん食べなくても平気だし」
「そう? それならソーセージとかでいいのかな。普通にご飯やパンでもいいんだろうけど、フェレットはそういうの駄目らしいから」
「世界が違うと、そういう部分でのつじつま合わせも必要だもんね」
 お任せします、とナノハは頭を下げる。
 後は水分補給用に深めの皿か何かに水を入れておけばいいだろう。それと――
「ああ、あと。トイレなんだけど」
「とっ、トイレっ!?」
 一応この世界では、フェレット用に砂を詰めるタイプのトイレがあるようだが、それでいいのかを尋ねようとしたら、何故かナノハが驚いた。
「そっ、それも人と同じで、その!」
「いや、それだと危ないよ?」
 この家のトイレは洋風の便座だ。そこで用を足すフェレットを想像すると、とても奇妙な光景に思えた。下手に落ちようものなら、這い上がれないかもしれない。
「だっ、大丈夫! そっちは何とかするから! 魔法で!」
「そう? でもまあ、形は整えておかないとね」
 排泄までどうにかできるなんて、魔法って便利なんだなと改めて感心する。まあ、トイレは明日にでも親に準備してもらおう。
 とりあえずは、これでナノハの身の回りのことは一段落ついた。
「それじゃあ、ナノハ」
 椅子に腰掛け、ノートを開き、必要なことはメモできるようにして、ナノハを見る。バスケットの中で身体を起こし、ナノハもこちらを見上げた。
「説明、よろしくね」
「うん」
 
 
 一通りの事情を聞き終えて、ノートに視線を落とす。説明を受けながら書き記したメモに目を通して、状況を整理してみる。
 ナノハは異世界から来た魔導師で、遺跡発掘の仕事をする一族の出身。初めて発掘隊に参加した発掘で、偶然出てきたのがジュエルシード。危険な特性を持っていて、調査団に依頼して保管してもらっていたが、その輸送を担当していた艦が途中で原因不明の事故に遭い、積荷であったジュエルシードが地球に落ちた。ナノハはそれを追って地球に来たが、21個のジュエルシードの内、1つを封印、1つを取り逃がしたところで無理が祟って力尽きた。
 後は自分が知るとおり、体験したとおりだ。説明を受けた上で聞きたい事は色々あるが、まずは、
「でも、どうしてナノハが回収に?」
 一番気になったことを尋ねる。危険物だと承知の上で、しかも独りで回収に来るなんて不自然に思えたからだ。話を聞く限りでは、ナノハが回収に来なければならない理由もなさそうだ。
「本当はね、調査団に引き渡した時点で、わたし達が関わる理由はなかったの。目的地まで運ぶのは、わたし達の仕事じゃなかったから」
 そこまで言って、でも、とナノハは顔を俯かせる。
「初めて関わった発掘で見つけたものが他の世界に散らばって、そこに住んでる人達に被害を出すかもしれないと思ったら、いてもたってもいられなくって……」
 つまり、他にもいたであろう発掘隊の人に無断で、完全にナノハの独断でやって来た、と。
「その結果が、今回の件か」
「うう……面目ない……」
 別に責める気はなかったのに、何気なく口にしてしまった一言でナノハが落ち込んでしまう。失敗したなぁと思いながら、何とかするべく、もう1つ言いたかったことを言葉にした。
「でも、優しいんだね、ナノハって」
「ふぇ?」 
「来たこともない世界、会ったこともない人達のために、そこまでできるのってすごいと思う。実際、そのお陰でこの町の人達の被害もないんだろうしさ」
 顔を上げたナノハに、心からの言葉を贈る。もしもナノハが来ていなかったら、自分があの化け物をどうにかすることはできなかった。となれば、あれに襲われる人が必ず出ていただろう。
 そして、その被害は増えていく。ジュエルシードは1つではないのだから。
 ナノハは照れ臭そうに笑ったが、前足で器用に頭を掻きながら、
「でも、今はこんな調子だから……しばらくしたら回復するから、それまでは寝床と食事をよろしくお願いします……お礼は後で、必ずしますから」
 とこちらに頭を下げた。
「もう、そんな事は気にしなくていいから」
 そんなフェレットの頭を撫でてやりながら、これからのことを考える。とは言え、既に結論は出ていたが。
「ねえ、ナノハ……君が回復する前に、またさっきみたいなのが出てきたら大変だよね。だから、僕も手伝うよ」
 自身の意志を、ナノハに伝えた。え、と顔を上げ、
「そ、そんな……危ないよ!」
 こちらの手を押しのけるように身を乗り出し、ナノハが異を唱える。
「こっちの勝手でユーノくんを巻き込んじゃって、危ない目にあわせちゃったのに、どうして――」 
「だって、ナノハ困ってるから。それに、僕にとってももう他人事じゃないし」
 よその世界の出来事が原因とは言え、今現に事態が起きているのは自分が住んでいる町なのだ。
 そんな所へ、ナノハは何の責任もないのに無理をしてやって来てまで、事態を収拾しようとしている。そんな子を放っておけるわけがない。困っているナノハの力になりたいというのは正直な自分の気持ちだ。
 実際、今日の化け物のような存在を相手にするには魔法が必要であるわけで、消耗しているナノハにそれができない以上、自分が何とかしなければ被害が出るのだから。
「困っている人がいて、助けてあげられる力が自分にあるなら、その時は迷っちゃいけない。父さんはそう、僕に教えてくれた。そして僕には、ナノハを助けてあげられる、魔法の力がある。だから、僕はナノハの力になるよ。この件が片付くまで、ね」
 とは言え、別に正義感や義務感だけで動くわけではない。今まで世話になっている自分の家族に、万が一にも被害が出ることが嫌だから。それに正直なところ、魔法という非現実に対する興味も少なからずあるから。要は、極めて個人的な理由からだ。
「うん……本当にありがとう、ユーノくん」
 瞳を潤ませてナノハが礼を言ってくる。何ともこそばゆい気分になったので、誤魔化すように再度、ナノハの頭を撫でた。
「あ、そういえばナノハ。今日、お礼はしますって何度も言ってたけど」
「え? う、うん」
「何でもします、とも言ってたよね?」
「あ、その、えと……うん……」
 後でどうこうするより先にきっちり話をつけておこうと思っての話題転換だったのだが、ナノハが身を小さくしていく。いじめるつもりは全くないが、ナノハにとっては重大な問題だろう。どんな無理難題をふっかけられるか不安で仕方ない、といったところだろうか。
「お話、聞かせてくれるかな?」
「え?」
「ほら、ナノハって一族が発掘の仕事をしてるんでしょ? そういった話を、聞かせてほしいんだ。それがお礼」
「あの……そんなことで、いいの……? 金品とかは……」
 こちらの要求が意外だったのか、目を瞬かせながら、恐る恐る確認してくる。
 別に金品目的で助けたわけではないのだ。そもそも異世界のお金をもらっても意味がないし、もらえる物がこの世界でも通用する貴金属類であっても、自分で換金できるものでもない。だったら、たとえ世界は違っても、自分が好きな考古学関係の話を聞かせてもらう方がよっぽど有意義だ。
「いらないよ。僕も考古学関係には興味を持っててね」
 机に置いてある本を1冊手に取って、開いて見せてやる。エジプトの遺跡が載っている図鑑だ。
「わ、こっちの世界にも色々あるんだね!」
 写真を見て目を輝かせ、次いで本棚へとナノハが視線を動かした。そこに納められている本も、大体がその手の本だ。生業にしているだけあって、ナノハもこういったことには興味があるようだった。
「だから、色々聞かせてほしいな。僕も、こっちの遺跡とかの話をさせてもらうから。どう?」
「うん!」
 嬉しそうに、楽しそうに、ナノハは承諾してくれた。
 
 結局、優乃がベッドに入ったのは日が変わってからだった。
 
 
 
 欠伸をかみ殺しながら、授業を聞く。
 ナノハとの遺跡談義で夜更かししてしまったことに加え、初めて使った魔法による負担や疲労もあったのだろう。いつもどおりの時間に起きて、ランニングと稽古はこなしたものの、眠くて仕方ない。
 しかし居眠りをするわけにもいかなかった。何もなければ寝ていたかもしれないが、今回は事情が違う。
『つまり、大きく分けると攻撃、防御、支援・補助くらいの分類でいいのか……』
 今後の事件に対処するために、覚えなくてはいけないことがある。つまり、魔法だ。
 昨晩はうまくいったからいいものの、あの調子では危険すぎる。魔法とは何か。今の自分にどこまでのことができるのか。それを把握することは絶対に必要なことだった。だから居眠りする暇はない。こうやって念話を使い、自宅にいるナノハから講義を受けていた。
『でもユーノくん、いきなりマルチタスクをこなしちゃうなんてすごいね』
『え、っと……マルチタスクって何?』
『簡単に言うと、同時に別のことをいくつも考えること。今のユーノくんはちゃんと授業を受けながらわたしとの念話もしてるでしょ?』
 そう言われれば確かに。授業は授業できっちり頭に入っているし、ナノハとの念話も問題なく機能している。
『同時に複数の魔法を使う時は、これができなきゃ話にならないから、魔導師にとっては必須のスキルなの。魔導師歴1日にもなってないユーノくんがこれをできるって、すごいことだと思う』
 褒めてくれるのは嬉しいが、正直言って、くすぐったい。
『そう、なのかな。自信はないけど頑張るよ。それで、魔法の続きなんだけど』
『うん。まずは、レイジングハートに入っている術式の説明からいくね。それから、魔法の術式の組み方。確か、お家で剣の稽古もあるんだよね? そっちを無視するわけにもいかないから、魔力運用の実践については夕食後にやろうと思うんだけど、いい?』
『それは願ってもないけど、ナノハの方は大丈夫?』
 今日のスケジュールを聞きながら、様子を尋ねる。
『本当は、ゆっくり休んでないといけないんじゃないの?』
 魔導師と呼ばれる人達には、リンカーコアと呼ばれる器官があるらしい。それが空気中に存在する魔力素と呼ばれるものを取り込み、魔力に精製し、蓄えると聞いた。
 今のナノハは魔力素を取り込み、魔力に精製する能力が著しく落ちているとのこと。つまり、今までに使った魔力もほとんど回復していない状態だ。
『念話程度なら大丈夫。怪我に関してはもう問題ないから、後は魔力の回復を待つだけ。それも、少しずつ効率が上がってるみたいだから』
『なら、いいんだけど』
『ユーノくんが頑張ってくれてるのに、わたしが楽をするわけにはいかないよ。きっちりサポートするから』
『うん、頼りにしてるよ』
 魔法に関して自分はまったくの素人だ。ナノハがいないと何もできないのが現状だから、彼女のサポートは必要不可欠だ。
 学校の授業と魔法の授業。両方を受けながら、時間は過ぎていった。
 
 
 
 授業が終わり、家路に就く。今日は最初からバスには乗るという選択を捨て、歩いて帰ることにした。
 この街に散らばったというジュエルシードを探すためだ。ひょっとしたら、帰宅途中で偶然拾うこともあるかもしれないし、昨日のような事態に遭遇するかもしれない。
 とはいえ、全く手掛かりもないので、まずは心当たりを探すことにする。それは、ナノハと出会ったあの公園だ。1つはあの公園にあったのだから、他にも近くに落ちている可能性はある。
 ナノハと念話でそんな事を話しながら、公園へ向かう。
『ところでナノハ、退屈してない?』
 自宅で待機しているナノハに問う。するとナノハが笑いながら応えた。
『全然! ユーノくんの部屋の本を読ませてもらってるから。文字は読めないけど、写真や図を見るだけでも楽しいよ』
 本は自由に見ていいと言っておいたが、改めて考えてみると、本を読むフェレットの姿というのはシュールだった。
『そう。それじゃあ、今日は帰ったらパソコンの使い方も教えるね。ナノハの世界には、そういう機械はあるのかな?』
『うん。ネットワークを利用した情報網もあるよ』
 そして、パソコンのキーを叩くフェレットの姿もやはり想像してみると違和感が過ぎる。
 まあ、家族に見つかりさえしなければ何の問題もないだろう。一応そのあたりは釘を刺しておこうかと考えた時だった。
 一瞬の耳鳴り。そして、ほんの少しだけ周囲の色彩が変わり、元の景色に戻る。
『ナノハ……今の、感じた?』
 この感覚は知っている。昨晩、あの化け物と対峙した時に感じたものと同じだった。
『うん、新しいジュエルシードが発動してる!』
 ナノハの方も感知したようだ。さっそく見つかったのは結構だが、発動しているというのが不安の種だ。今回も出てくるであろう化け物が、昨晩のものと比べてどのくらいの強さなのか。
 それに魔法のこともだ。術式の説明は受けたが、それを使いこなせるのかどうか。
『大体の位置はわかるよね? 途中で合流して、それから向かおう!』
『分かった!』
 単独でどうにかなるとは思っていない。現場でのナノハの助言は必要だ。
 不安は尽きないが、何もしないという選択肢は存在しない。
 ナノハの提案に応じて、優乃は反応のある方へと向かった。
 
 
 
 市街地を少し外れた高台に神社がある。祭りや初詣の時以外は割と閑散としている場所だが、ジュエルシードの反応はそこにあるようだった。
 途中で合流したナノハを肩に乗せ、境内へと続く石段を駆け上がる。日頃の運動のお陰か、息は乱れても足は動いた。
 長い石段を登り切り、境内に足を踏み入れる。そこに、明らかに目標だと分かるモノがいた。
 姿は巨大な犬。ただし目が4つあり、角が生えたり、現実にはあり得ない大きさの牙が口から覗いたりしている。腹部からも角のようなものが突き出していたりと、どう考えても普通ではない。
「現住生物を取り込んでる……」
 ナノハの呟きがすぐ傍で聞こえた。
「えっと……昨日の奴と比べて、どうなるの?」
「実体がある分、手強くなってるの」
 問うと、焦りのようなものを感じられる声が返ってくる。
 実体がない方が、攻撃が効きそうにない的な意味で手強そうに思えるのだが、そういうものなのだと認識することにする。ここは今、自分の常識が通用しない領域だ。そして、今すべきことは常識について考えることではない。あの犬の化け物を何とかすることだ。
「ユーノくん、レイジングハートの起動を!」
 ナノハに言われて服の下からレイジングハートを取り出す。しかし、
「起動……って、あの呪文みたいなやつ!?」
 今更だが、その事に思い至らなかった。一応あの呪文は覚えているが、それにしても敵を目前にして悠長に唱えるようなものではない。昨晩は緊急だったこともあって仕方なかったのだとしても、今回は事前に準備しておくべきだったのだ。
 こちらの焦りなどお構いなしに、魔犬が吠える。強くなっているからというわけではないのだろうが、昨晩の化け物よりも威圧感があった。
 とにかくレイジングハートを起動させないと話にならない。しかし目の前の魔犬がそれを待ってくれる保証はない。というか、既に魔犬はこちらへ向けて駆け出していた。
 呪文を唱えるには時間が必要で、その時間を稼ぐには、逃げ回るか動きを封じるかの二択。
「我、使命を受けし者なり!」
 起動の呪文を詠唱すると同時に術式の構築を開始する。
 デバイスというのはあくまで魔法の補助をする物であり、無くても魔法は使えるらしい。特に防御や拘束の魔法については、比較的簡単に行使が可能と聞いていた。
 石畳を蹴って襲いかかってくる魔犬に向けて、空いている手をかざす。レイジングハートからレクチャーを受けていた魔法の中から選んだ1つの術式が、次第に組み上がっていった。
 手の先に現れたのは翠玉色の魔法陣。そして、その中から同色の鎖が飛び出して魔犬へと絡みつく。
「契約の元、その力を解き放て!」
 詠唱を続けながら、自身はその場を離れる。チェーンバインドと呼ばれるこの魔法は、魔法陣から伸びた鎖が相手の動きを阻害する魔法だ。その場に繋ぎ止めるものではないので、伸びた分だけは相手の活動を許す余地がある。今は足にも絡みついているから走ることはできなくなっているが念のためだ。
 初めてということもあり、構成の粗が嫌でも分かるシロモノだが、十分に時間稼ぎの役目は果たせそうだった。
「風は空に、星は天に、不屈の心はこの胸に! この手に魔法を! レイジングハート、セットアップ!」
《Standby ready.Set up》
 早口で残りの呪文を唱え終えると同時、レイジングハートが応えた。服が消え、バリアジャケットが展開され、赤く小さな珠が杖へと姿を変える。
「ふぅ、何とか間に合った……」
 安堵の息を漏らした目の前で、バインドを引き千切った魔犬が身を起こす。2対の目が明らかな敵意を宿していた。低い唸り声を上げながら、様子を見るようにゆっくりと、こちらとの距離を保ったままで魔犬が動く。
 その隙に身体能力を強化して、レイジングハートを構えた。
 実体があるだけ手強いとナノハが言っていたが、それを肌で感じる。少なくとも動きと反応の早さは昨晩のものより上だったし、魔犬の牙や角、爪は視覚的にも脅威に映る。
 そして今更だが、境内に倒れている女性の姿に気付いた。一見する限りでは怪我もないようだが、下手をすると巻き込んでしまいかねない。
「ナノハ、あそこに倒れてる女の人を守っててくれる?」
「うん」
 肩から降りたナノハが、遠回りで女性へと向かう。魔犬があちらへ向かわないように注意を引きつけなければならない。
 レイジングハートを魔犬に向け、術式を念じる。
《Photon Bullet》
 形成された魔力弾が真っ直ぐに魔犬へと向かったが、魔犬はそれを回避してこちらへ跳びかかってくる。強化した脚力で地を蹴ってその場を離れ、続けてフォトンバレットを放つが、翠の魔力弾はかすりもせずに魔犬の後方へと進み、社務所や本殿の壁を壊した。
「何とか動きを止めなきゃ、当たりそうにないね」
《ならば、止めてしまいましょう》
 しでかしてしまったことは意識の外へ放り投げ、自分なりの分析を口にすると、レイジングハートが同意を示した。
 闇雲に攻めても埒が明かない。しかし少しはこちらを脅威と見たのか、魔犬の動きが慎重なものに変わっている。何とか引きつけ、動きを封じてしまいたいところだ。
 だったら、と。ユーノはその場に膝を着いた。
「ユーノくん!?」
 慌てるようなナノハの声。それに反応するように、魔犬は大きく跳び上がり、こちらへと襲いかかってきた。
「レイジングハート、防御をお願いっ!」
《Protection》
 魔犬の突撃を、レイジングハートのプロテクションが迎え撃つ。接触した魔犬は防御を破らんと、のしかかるようにして展開した障壁を鋭い爪で引っ掻き始めた。
 至近距離で剥き出しになっている爪や牙が恐怖を煽ってくる。しかし防御が破れる様子はなく、その事実がこちらの心に余裕を取り戻してくれた。
 ならばと落ち着いて術式を構築する。今度は簡単に千切られないように、より綿密に、丁寧に術式を紡ぐ。
「チェーンバインド!」
 魔法陣は魔犬の後方へ配置。放たれた縛鎖を操作し、四肢のそれぞれを拘束。残りは首と身体へ巻き付けた。その上で引っ張って、鎖の遊びをほとんど無くし、魔法陣上に磔にするようにして拘束する。
「もう1つ!」
 そして新たにチェーンバインドを起動させ、更に強固に魔犬を締め付けた。二重のバインドで、しかも身体に深く食い込む程に圧力を掛けたバインドだ。簡単にこの戒めから逃れることはできないと、初心者の身ではあったが確信できる。
 それでも余裕を見せて足元をすくわれては意味がないので、即座に次の行動へ移った。
 レイジングハートを魔犬の鼻先へ向け、
《Photon Bullet》
 至近距離から魔力弾を撃つ。先程とは違い、確実に命中した。ただ、
「……なんだろう。防御は抜いてるけど、大きなダメージにはなってないような気がする」
 傷を負わせているのは間違いないのに、手応えがないというか。どうにも物足りないというか、攻撃をしている実感が湧かないのだ。
「うーん……」
 憎々しげに睨んでくる魔犬を見る。次に、レイジングハートを見る。そして、昨晩のことを思い出す。
 レイジングハートを握り直し、魔力を先端へ纏わせる。そしてそれを、思いっきり魔犬の鼻面へ振り下ろした。
 確かな手応えと共に、打撃音と魔犬の悲鳴が境内に響き渡る。うん、やはりこちらの方がしっくりくる。
「せーの、っ!」
 続いて二撃目。バットのようにスイングして、魔犬の横っ面に叩きつけた。振り抜いたレイジングハートを止め、逆方向から三撃目。更に四撃、五撃――
 魔犬の咆哮と唸り声が途中から鳴き声に変わっても延々と、ひたすらに魔力を込めたレイジングハートで殴り続ける。だんだんと罪悪感というか、後味の悪さのようなものが湧いてきたが、それでも殴り続けた。
「ゆ、ユーノくん……? そろそろ、封印に移ってもいいんじゃないかなー、とわたし的には思ったりするのですがー……」
《既に封印可能な状態になっています》
 怯えたようなナノハの声が聞こえ、次いでレイジングハートの冷静な進言が耳を打つ。気がつくと魔犬の口からはか細い声しか漏れなくなっていた。
《血も涙もないですね、ユーノ》
「人聞きの悪いこと言わないでよ。加減なんて、今の僕に分かるわけないんだからさ」
 どのくらいの状態なら問題なく封印できるのか。その目安が掴めていない以上、ひたすら弱らせるのが最善だと判断しただけだというのに。ただ、素人の自分には分からなくても、ナノハやレイジングハートにはそれが分かるのだったら、事前に確認はしておくべきだったのかもしれない。
 辛辣な一言に反論をしてから少し反省し、杖を構え直す。そして、封印のための呪文を唱えた。
 
 
 
「お疲れ様、ユーノくん」
 神社の階段を降りきった時点で、ナノハが労いの声をかけてくれた。
 ジュエルシードは無事に封印、魔犬はただの犬へと戻った。倒れていた女性に駆け寄っていったので、飼い犬だったのだろう。
 壊してしまった神社の施設については放置した。逃げたとも言う。どうすることもできないので、階段を仰ぎ見て、ごめんなさいと頭を下げる。
「1つ回収できたのはいいけど……問題がそこそこ出てきたなぁ」
 頭を上げ、その場を離れながら、今日の戦闘を振り返り、悪い点を挙げる。
「まず、レイジングハートの起動に時間がかかりすぎ。事前に準備しておけばよかったけど、突発的に戦闘になったら、いちいち手順を踏んでいられないよ。今日みたいに上手くいくとは限らないし」
「うん。ユーノくんはその時限りのマスターとしてレイジングハートを使ってるから、毎回起動パスワードが必要な設定のままだったんだよね」
 待機状態に戻ったレイジングハートに、ナノハが告げる。
「レイジングハート、ナノハ・スクライアのマスター権限により、ユーノくんをゲストマスターに認定。今後、わたしがその認定を解除するまで、ユーノくんに同等の権限を」
《受諾しました。現時点をもってユーノをゲストマスターとして登録します》
 レイジングハートの表面に文字が走り、消える。小さくて読み取れなかったが、権限譲渡に関する文章でも流れたのだろう。
「次は……やっぱり周囲への被害の問題かな。物的被害は仕方ないにしても……人への被害は抑えたい。関係ない人を立ち入らせない魔法ってあったよね? 確か、結界魔法」
 やはり魔法のことをもっと知らないと駄目だ。必要な魔法を必要な時に使えなければ、上手く立ち回れない。今日の戦闘だって、もっとよい流れに持っていくことができたかもしれないのだから。
 魔法については、覚える優先順位を決めていこう。それから、効率的な運用について、もっと学ぼう。魔導師として、もっともっと精進しよう。
「これからもよろしくね、なのは」
「うん。一緒に頑張っていこうね、ユーノくん」
 肩の上のパートナーに声をかける。力強く、ナノハが頷いた。
 
 
 
 
 
 後書き
 
 KANです。第2話です。勢いがついてきたので投稿。いえ、別に『誓いを胸に』を忘れたわけじゃないですよ?
 次の話は……どっちになるやら……

 では、また次の作品で。
 
 H22.12.21 初稿





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