「はい、今日はここまでー」
 リーゼロッテの言葉を、ユーノは訓練室の床に両手と両膝を着いたままで聞いた。
 早いものでこの訓練、始めてからもう1ヶ月が経っていた。
「あっ、ありがとう……ございました……」
 呼吸を整えることはできていなかったが、いつもどおり礼を言う。以前はその場に倒れてしばらくは動けなかったが、体力という意味ではいくらかマシになってきた。
「じゃ、後はクールダウンして、ゆっくり休みなよ」
「お疲れ様、ユーノ」
 双子のねこ教官はそう言って踵を返し、訓練施設の出入口へと歩いていく。
「あ、そうだ」
 が、リーゼアリアが立ち止まり、こちらを向いた。
「ねぇ、ユーノ」
「はい?」
「君、スプリガンのメンテナンスはどうしてるの?」
「どう、って……」
 ユーノは首からぶら下がっている愛機を見やる。
 メンテナンス。それらしいことを、そういえばしていない。ソフト面で言うならば、スプリガンには自己診断のプログラムが入っていたし、ハード面ではデバイス形態を持っていないので、その必要があるとは思っていなかった。
「物理的な使用はしてないんですけど……必要でしょうか?」
「あ、そうか。スプリガンはフレーム構築してなかったわね」
 リーゼアリアもそれを聞いて思い出したのか、耳をピコピコ揺らしながら目を瞬かせたが、
「そうね、やっぱり定期的に、専門家に診てもらう方がいいと思うわよ」
 と、あらためてそう言った。
「特にスプリガンは、しばらく休眠状態だったわけだし。ソフト面でバージョンアップできる部分もあるんじゃないの?」
「それはそうなんですけど……」
 ユーノは言葉を濁した。簡単な整備なら問題ない。レイジングハートの時にもやっていたのだから。だがユーノはデバイスマイスターではないのだ。専門でないということは、限度があるということ。知識があると言ってもあくまで素人。それなり、までは何とかなるが、深い部分では本職に遠く及ばない。
 それに場所の問題もある。スプリガンを入手したデバイスショップにはメンテナンス用の設備があったが、あくまで民間、それも旧式だった。それでもあの時は管理局を介さずに整備できるのは便利だと思っていたが、実際にはクラナガンまで降りてメンテナンスをする時間が無い。その間は身動きが取れなくなるからだ。
《ユーノ、そう考えることはねぇぞ》
 自身のことだというのに、スプリガンはお気楽に答えた。
《別に今すぐどうこうしろってことじゃねぇんだ。今のところ不具合はほとんどねぇし急ぐことじゃねぇよ》
「いや、そうは言うけど……」
 相棒の面倒をみてやれないというのは、マスターとしては問題があるような気がする。パートナーなのだ。ならばその状態を万全にしておきたい、してやりたいという想いはユーノにだってある。
「何を難しく考えてんのか知らないけどさ。メンテナンスルームに預ければ一発じゃん?」
「ロッテさん、スプリガンの出所がどこか、以前説明しませんでしたっけ?」
 あぁ、とリーゼロッテは頬を掻く。
 スプリガンは元々、管理局の技術部で開発された試作型インテリジェントデバイスだ。プロジェクトの凍結が決定され、廃棄された「はず」のデバイスだ。それが何故かクラナガンのデバイスショップに「売却」されており、それを偶然ユーノが見つけ、購入した。そんなデバイスが、本局へ戻ってきた日には、どう扱われるか――
「最悪、没収されることもあり得るのか」
《ばれたら、どうなるか分からねぇのは確かだな》
 うーん、と唸るリーゼロッテとスプリガン。
 今、スプリガンを手放すわけにはいかない。書庫の業務では随分助けてもらっているし、戦闘訓練でも同様だ。それに今では、はいそうですかと簡単に手放せるような薄い関係でもないのだ。
「まあ、それじゃあ行ってみようか」
「行くって……どこへですか?」
「ちょっと、アテがあるから」
 ユーノが問うと、リーゼアリアはウインクして、それだけを答えた。
 
 
 
「あ、あの、アリアさん?」
「何?」
「だ、だから技術部はまずいんですって」
 先程の話を聞いていたはずなのに、どうやらリーゼアリアが向かう先はメンテナンスルームのようだった。
 こちらの言葉も何のその。リーゼアリアは気にせず歩いていく。こちらとしてはもう、ついて行くしかなくなっていた。
 やがて、リーゼアリアは施設の一室の前で止まり、扉を開けた。
「マリー、いる?」
「あら、リーゼアリア。お久しぶり。今日は、リーゼロッテは一緒じゃないの?」
「さっきまでは、ね。大勢で押しかけるのも何だし、先に帰らせたわ」
 出迎えてくれたのは、ユーノもよく知る人物だった。
 マリエル・アテンザ。闇の書事件の時に会った技術者だ。レイジングハートとバルディッシュにカートリッジシステムを搭載し、はやてのシュベルトクロイツ及びリインフォースU開発に協力している。スプリガンを入手した店を教えてくれたのも彼女だ。
「あれ、ユーノ君もいるんだ。リーゼアリアと一緒なんて、珍しい組み合わせだね?」
「え、っと……まあ、色々とありまして」
 普通に見れば接点がないのだから、そう言われるのも当然だった。とりあえず言葉を濁して誤魔化すが、ふと思い出す。
「あの、マリーさん。先日はありがとうございました」
「え? ああ、お店のこと? 別にいいのよ、役に立ったのなら何よりだし」
 店を紹介してもらったお礼をまだ言っていなかった。頭を下げると、気にするなとマリーは笑い、
「そ、れ、よ、り」
 キラリ、とその眼鏡が光った気がした。
「ユーノ君が一体どんなデバイスを入手したのか、おねぇさん、気になるなー」
「あ、あはは……」
「マリー、そのことでちょっと相談があって来たの。お話、いいかしら?」
 どう答えたものかと考えていると、リーゼアリアが本題を切り出した。
 
 
「なるほど……これはまた面白いものを手に入れたわね……」
 一応の事情を、ユーノは正直にマリーに話した。後は当人の問題、と言うことでリーゼアリアは説明だけすると帰ってしまった。
 そのマリーは、幾つかウィンドウを立ち上げ、何やら作業をしながら続ける。
「情報連結機能搭載型……うん、やっぱり廃棄済になってるね。そのはずのデバイスが、ここにいるわけか」
 じ、と机の上に置かれたスプリガンにマリーは視線を落とす。
「ん、まぁ、何とでもなるわよ」
 そして、事も無げに言った。
「ほ、本当ですか?」
「うん。だって、これが発覚して困るのは、技術部ウチだもの。備品の横流しをした人がいるって事だし。本局での開発だから、関わっているのはウチの技術者だけ。流したとすれば、当時開発に関わっていた誰かが一番確率高いしね」
 なるほど、とユーノは思った。本局主導で開発したデバイス素体となれば、出所は本局以外あり得ない。技術部の不祥事――大袈裟に取り上げられたら管理局そのものの不祥事として扱われかねない。
「当時の開発裏コードは分かるから、その辺をちょちょいといじってやれば、何の問題もないわよ。何なら、私が組んだオリジナルって事にしてもいいし」
「それは助かりますけど……いいんですか? マリーさんに厄介ごとを背負わせることになるんじゃ?」
《ああ……もしそうなるなら、俺は今のままでいいぜ? 要はメンテナンスが受けられればいいわけだしな》
 何と言おうが、これは正規の行動ではない。規定に抵触する部分もあるだろう。これでマリーに責任がいくようなことになるなら、この話はなし――ユーノはそう考え、相棒も同意見だった。
 しかしマリーは問題ない、と胸を張る。
「さっきも言ったように、技術部としてはこれを表沙汰にはできない。だからといって、こっちで回収して今度こそ廃棄、無かったことにするなんていうのは許せないわ。今、こうして、ユーノ君というマスターを得て頑張っているデバイスに、そんなひどいことできないもの。大丈夫、うまくやるわ。ユーノ君は何の心配もしなくていいから、スプリガンを大事にしてあげてね」
「……はい、ありがとうございます!」
《感謝する、マリエル女史》
 ユーノは深く頭を下げた。スプリガンも礼を言い、感謝を示すかのように点滅する。
「うん、それじゃスプリガンは私が1から作った素体ってことにするからね。それに、正式にユーノ君のデバイスとして登録しておけば、いつでもメンテナンスできるし。まあ、特別なカスタムとかするとなると、実費になるけどね」
 管理局で局員が使う制式採用のデバイスは、ある程度規格が統一されているため整備に手間も掛からず、資材の手配も容易で、整備からバージョンアップまで全て管理局が面倒を見ている。
 が、これが個人持ちのデバイスとなると話が違ってくる。個々に構築されたデバイスについては、好き勝手に部品が組み込まれるもので。そんなデバイス達1機1機に万全のフォローをするのは容易なことではないのだ。
 では、スプリガンはどうなのかというと。
「元が管理局の試作機だから、今ある資材の組み替えで性能の底上げはできるけど」
《んー……そりゃ有り難いが……どうするユーノ?》
「そう、だね……」
 機体のチェックや簡単なメンテナンスはともかく、実は個人所有のデバイスのカスタマイズは、基本的に魔導師の個人負担である。何故ならそのデバイスはあくまで個人の所有物であり、管理局の備品ではないからだ。
 レイジングハートやバルディッシュ、守護騎士達のデバイスは完全に個人所有。しかも設定や仕様が独特でピーキーな機体ばかり。任務による破損の修理や消耗品の交換等は経費ということで管理局が持つが、性能向上や改良はまず自己負担なのだ――まあ裏技もあったりするのだが。
 ちなみにレイジングハートとバルディッシュのカートリッジシステム搭載やフレーム強化は実費がかかっており、リンディが支払っていたが、正式に管理局員になって制度を知ったなのはとフェイトが給料から返済していたりする。
「え、っと……今の時点でできる改良は、全部お願いできますか?」
 せっかくならば、スプリガンには望みうる最高の性能を持ってもらいたい。それが本音だ。だからそう答えたのだが、相棒は気を遣ったのか、念を押してくる。
《ユーノ、いいのか? とりあえず現状でも支障はねぇんだが。先立つものが必要なんだぞ?》
「いいよ。どうせ使い道が思いつかないお金だしね。スプリガンが今まで以上に働けるようになるのなら、僕も助かるし。どうってことない出費だよ」
 貯金は順調に増えている。使う暇がないこともそうだが、特に金を費やすような趣味を持っていないためだ。ならば、相棒のために使うことに、何の躊躇があるだろうか。
《……じゃ、有り難く世話になるぜ。その分は働いて返すからな》
「期待してるよ」
「あ、そうだ!」
 突然、マリーが大声を上げた。何事かと見ると、ずいっと顔を近づけてくる。
「カスタムの費用、一部私が負担してあげる。その代わり、ちょっと協力してもらいたいことがあるんだけど」
「は、はぁ……」
 
 
 ユーノの前には大型のウィンドウ。その手前に、待機状態のデバイスを格納するスペースがいくつもある。デバイス関連の装置なのだろうが、使い道がさっぱりだった。
「あの、マリーさん。これは?」
「ぶっちゃければ、ヴァーチャルシミュレーターの一種なんだけど」
 装置を操作しながら、マリーは説明してくれた。
「元々ね、高度なAIを持ったデバイスのメンテナンス用なのよ。メンタル面のね」
「メンタル面の?」
「そう。AIとは言え、デバイス達には個性、心があるわ。レイジングハートやバルディッシュを見てても分かるでしょ?」
「ええ、それはまあ」
 答えながら、ユーノはスプリガンに目をやった。個性という意味では彼のようなAIも珍しいだろう。
「人間と同じように考えるが故に、ストレスのようなものが溜まることもある。でも人間はストレスの解消を色々な方法でするでしょう? 運動だったり趣味に興じることだったり、誰かと話すことだったり。つまり、そういうことをデバイス達が体験できる仮想空間を構築するシステムなのよ」
「つまり、電脳世界でデバイス達が人間を疑似体験することができる、ということですか?」
「そう、その通り!」
 振り返り、マリーはニヤリと笑った。
「デバイス達が身体を持ち、人のように振る舞える空間! マスターとデバイスがより親密に、強い絆を持てるように! っていうのが開発コンセプトなんだけど……」
 そして、スプリガンに視線を落とす。
「まだ、試せてないのよね。そこでスプリガンにモニターをお願いしたいな、と思いついたわけ。報酬はカスタム費用から引かせてもらうわ。いい結果が出るようならボーナスも出すし。どう?」
「え、と……どうする、スプリガン? これは君の判断に任せるけど」
 自分が了承しても、それをするのはスプリガンなのだから。ならば、決めるのも自分ではなく、彼であるべきだ。
《面白そうだな。デバイスとしては、こういう経験を積むのも面白そうだ。乗ったぜマリエル女史》
「よし、それじゃ早速行ってみようか。まずは、身体の構築からね」
 スプリガンは簡単に承諾し、それを受けてマリーは動き始めた。
「身体の構築?」
「ええ、電脳世界での、スプリガンの姿を組み上げるの。そういえばユーノ君、あなたの持ってるスプリガンのイメージってどんなの? 人間にすると」
「スプリガンの人間形態、ですか? うーん……」
 姿を思い浮かべたことがあるわけではないが、いればこんな感じだろうか、というのはある。
「まあ、20代前半くらいの、どちらかというと体育会系と言いますか。この程度の漠然としたイメージですけど」
《なるほどな……じゃ、こんな感じか》
 姿を決定するのはスプリガン自身なのか、ウィンドウに人の姿が現れた。
 年齢は自分が言ったとおり、20代前半に見える。短く刈った金髪に緑の瞳。背は割と高めで、体つきもがっしりしている。精悍な顔立ちだが、どこか悪戯好きな子供のような雰囲気もあった。服装は、何故かユーノのバリアジャケットだ。ただし、ズボンは長く、マントもない。
「あら、結構いい男」
 マリーが笑うと、ウィンドウの中のスプリガンは照れ臭そうに頬を掻いた。
《何だか不思議な感じがするな。これが、俺か?》
「まあ、姿は好きに変えられるから、色々試してみればいいと思うよ」
 スプリガンはしばらく自分の身体を眺めたり、動かしたりしていたが、その提案には首を横に振った。
《いや、こういうのは一発勝負の方が面白いだろ。服は色々変えてみるが、姿はこのままにしとくさ。どうだ、ユーノ。お前のイメージと、合ってるか?》
「うん」
 年上の、少し砕けた性格の、それでいて頼りになりそうな。兄がいるとしたら、こんなだろうか、と思う。ウィンドウの向こうにいるスプリガンは、そんな感じだった。
 そうか、とスプリガンは満足げに笑う。
「後は、環境設定だけど。海でも山でも家の中でも好きに設定できるから。システムにアクセスしてごらん?」
《アクセス、ね。よ、っと》
 何もない空白だった空間に色がついた。スプリガンの背後に顕れたのは、自分がよく知る風景。無限書庫の書架だった。
《おお……なるほど、こりゃ面白い》
「スプリガン……何もこんな時まで仕事場を再現しなくても」
《いや、どうしてだろうな。真っ先にここを思いついてよ。まあ、常にユーノといる場所だからな、一番印象深くはある。だが、面白いな、気に入ったぜここ》
「まあ、君がいいならいいんだけど」
 言葉どおり楽しそうにするスプリガンを見て、軽く嘆息する。しかし、こうして相棒が人の姿を取り、面と向かって話せるというのは面白い。もちろん、デバイス状態でも相棒には違いないが、親近感は断然こちらの方が持てる。
 マリーが言う、デバイスとの関係を強めるという目的は、うまくいくのではないだろうか。
「それじゃあ、スプリガンはこのまま預かっていいのかな? ソフト面のアップデートがメインだから、そう時間は掛からないと思うけど。明日の晩に取りに来てくれる?」
「はい、よろしくお願いします」
 明日の仕事には使えないが、必要な措置だ。今後のためにも、できることは早めにしておいた方がいい。
「それじゃあスプリガン。僕はこれで帰るけど、マリーさんに迷惑を掛けないようにね。変なことせずに、大人しくしてるんだよ?」
《おいおい……子供扱いかよ……》
 スプリガンが苦笑し、額に手を当てる。そんな仕草の1つ1つが妙に新鮮だ。
《へいへい、何もしやしねぇから、とっとと帰って明日に備えて寝ちまえ》
 しっ、しっ、と追い払うようにスプリガンは手を振る。その素振りがおかしかったが、笑うのを堪え、それじゃあお休み、とユーノはマリーの部屋を辞した。
 
「さて……それじゃ始めようかスプリガン」
《ああ、よろしく頼むよマリエル女史》



 
 
 
 
 KANです。
 外伝ももう5話目。ユーノの訓練は継続中ですが、今回は協力者のお話。
 スプリガンのメンテナンス担当、マリーさんでした。
 さて、ようやくデバイス達が「動かせる」舞台が用意できました。なにせデバイス同士のやり取りって、セリフだけで動きの表現が極めて少ないのがつまらないなー、というかそういうところから考えた設定です。
 といってもこれで長々と書きたい話はないんですが。まあ、将来の仕込みも含めていくつか、ですね。
 早いところ本編を進めたいけど、どうも煮詰まってます。次はどの話が早く上がるかなぁ……
 それではまた、次の作品で。





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