第6話:苦悩


 
 目の前に広がる光景がある。雪の平原だ。その中に2人の少女がいた。
 1人はドレスのようにも見える赤い服を着ていて、ウサギをあしらった装飾の付いた、同じく赤い帽子をかぶっている。
 もう1人は制服のような白いスカート姿。ただし、その一部は濁った紅で染まっていた。
 白い少女を抱きかかえ、必死で何かを訴える赤い少女のいる光景。
 これを自分は知っている。いや、正確には後で知った。
 この時、白い少女は瀕死の重体を負ったのだ。
 
 その場の光景が変わった。今度は建物の中。
 白の少女が額に汗を、顔に苦痛を浮かべながら、手摺りに掴まっている姿がある。重体を負った彼女が目覚めた後の、突きつけられた現実に抗う姿だ。
 どうしてこうなったのか。
 どうして彼女がこんなつらい目に遭わないといけないのか。
『君のせいだろう?』
 そんな声が聞こえた。よく知っている、若い男の、否、少年の声。
 
 その場の光景が変わった。今度は何もない闇の中。
『平穏な生活が望めたあの子を、あんな目に遭わせてしまった切っ掛けは、君だ』
「分かってる……」
 力ない声が自身の口から漏れた。分かっている。そんな事は分かっているのだ。
 理由はどうあれ、自分が彼女に《力》を与えた。故に彼女は今の道を進み、結果、あのようになってしまった。
 だから決めた。これからずっと、彼女の力になろうと。そのための努力をしようと。自分自身に課した誓いを果たそうと。
『でもさぁ、そんなザマでそれができるの?』
『今の君に、その力があるの?』
 今度は別の声が聞こえた。これもよく知っている、女の声が2つ。
『口では何とでも言えるよねぇ』
『言うからには、それを示してもらえないと、ねぇ』
 失望したような声が耳朶を打った。その言葉は容易く自身を貫く槍だ。自分の不甲斐なさを嫌でも思い知らせる凶器だった。
『そう……君は責任を果たさなきゃいけない』
 再び、少年の声が聞こえた。今度は、目の前に朧気ながら人影が現れる。
『今はその程度の力しか持っていなくても……誓いを果たす為の力を、果たせるだけの力を手に入れなきゃいけない』
 その影の輪郭は、次第にはっきりとし始め――
『だから、休んでいる暇なんてないだろう?』
 ユーノ・スクライアの姿となった。
 
 
 
《ユーノっ!》
 スプリガンの叫び声で跳ね起きた。まるで呼吸を止めていたかのように息苦しい。ベッドの上で大きく何度も息を吸い、吐き、酸素を肺に取り込む。
《またか……大丈夫かユーノ?》
「大丈夫……」
 愛機に返事をするが、無理矢理絞り出した声であるのが自分でも分かった。
 額に手をやると湿ったを通り越した感触がある。身につけている衣類も同様だった。
 呼吸が落ち着くのを待って時計を見ると、予定の起床時間の30分以上前。最近はいつもこうだ。指定していた時間よりも前に目が覚める。いや、夢によって叩き起こされる、の方が正確か。
 二度寝をできるタイミングでもない。頭を振り、頬を叩いてベッドから降りた。
 汗に濡れたシャツを脱ぎながら洗面所へ向かい、洗濯物をまとめている籠へとそれを放り込む。下も脱いで同様にまとめてしまうと、浴室へ入ってシャワーを出した。
 湯ではなく冷たい水で汗を流す。いっそこのまま、胸の中の靄も流し去ってくれればと思うが、そんな事ができるわけもない。
 シャワーを終えて身体を乱雑に拭くと下着とシャツだけを身につけ、洗面所を出て隣室へと足を運んだ。
 元々荷物などないフローリングの部屋だったが今はそれなりに物がある。その中の1つである、通信販売で購入したルームランナーに乗り、設定を調整する。
《おい、ユーノ。昨日より負荷と時間が増えてるぞ》
「うん」
 相棒が指摘してきたが、それだけを返してラックに置いてあった握力鍛練用具を手に取る。そしてルームランナーのスイッチを入れた。足元がゆっくりと動き出す。追い出されることのないように、足を踏み出した。
《うん、って……先週設定を上げたばっかりじゃねぇか。あれだって今のユーノには正直きついはずだぜ? それ以上の負荷をかけるなんて、どうしたんだよ?》
「体力の増強は急務だから。特に最近は部屋に戻れないことも多いしね」
 手に力を込めながら、走り続ける。
《そうは言うがよ――》
「だから。できる時に、できるだけ」
 スプリガンの言葉を遮って、言った。
「もっと、頑張らなきゃ」
 今のままでは足りないのだ。こんなことではいけない。もっともっと力を付けなければならない。だったら今のままじゃ駄目だ。
《もっと、ってお前――》
 まだスプリガンは異を唱えてくる。
 それには答えず、ユーノは走り続けた。
 
 
 
 無限書庫――書架エリア
「おはよう、ござい、ます……」
 乱れた呼吸を整えながら、ユーノは床を蹴って無重力空間へと身を躍らせた。
「おはようユーノ君。今日も早いな――って、また部屋から走ってきたのか?」
「ええ……運動不足のせいで、すぐ息が上がっちゃいますけど。それでもトレーニングはしておかないと」
 そうかぁ、と同僚の司書はこちらを見ながら笑う。
 ここで働く以上、1日の半分近くは無重力の中での仕事になる。負荷が全くないので、長期間働いていると身体がなまるのだ。だから運動で負荷をかけ、肉体を維持する必要があるのだが、
「まあ、あんまり無理はしないようにな」
「ええ」
 とはいえ、四六時中ここで生活するわけではない。生活に支障が出るような障害が発生したという話は現時点ではないし、運動といっても必須ではない。とりあえず書庫の司書達の認識は「やっておいた方がいいだろう」という程度のものだ。
 無重力の海を泳ぎ、ここ最近指定席になっている場所で停止。フローターフィールドを形成して足場にし、今日のスケジュールを確認する。
「相変わらず、か」
 振り分けられた仕事の量は、いつもどおり尋常ではなかった。ウィンドウに表示した一覧を一通り眺め、分量と締め切りをチェックする。上から順番に、などという無計画なことでは捌き切れないからだ。本当ならそれでも問題ないはずなのだが、今の無限書庫ではそれが適わないのが現実だった。
「え、っと……まずはこれから、っと」
 とりあえず優先順位を決める。どうせ途中で追加の検索が入るので、あくまで現時点のものだ。
 今日の業務内容なら、なのはのリハビリの付き添いも大丈夫そうだ。指定の時間までになるべく片付けておこう。もちろん優先的に検索追加をされないように依頼完了件数を「調整」して。
 文字通話で愛機に指示を出す。
[それじゃあ、いつものとおり始めるよ]
[了解だ。まずは対個人近接戦闘用プログラム。今日は姐さん達との訓練もあるから前回の復習から行くぞ]
 検索魔法を展開し、必要な資料を探し始めると同時に、脳裏に別の視界が開けた。スプリガンが構築した仮想現実空間。かつてなのはがレイジングハートを使ってやっていたものと同じだ。
 目の前に現れたのは、師匠の1人であるリーゼロッテ。表情を変えることなく「敵」はこちらへと襲いかかってきた。
 
 
 
「ねえ、どう思う?」
「どう、って?」
 訓練施設から出たと同時に放たれたリーゼロッテの問いに聞き返す。
「なーんかユノスケ、おかしくない?」
 頭の後ろで手を組みながらリーゼロッテが言った。そのことか、と納得する。
「ええ。何て言えばいいのか……思い詰めてるような」
 ここ最近の、そして今日のユーノの態度のことだ。真面目に訓練に取り組んでいるのは間違いないのだが、最近は様子がおかしいのだ。無理や無茶が過ぎると言えばいいのか。
 例えばリーゼロッテとの近接戦訓練。元々ユーノの近接戦訓練は、攻撃よりも防御に主軸を置いたものだ。だというのに、最近はどうも攻撃に傾倒している節がある。積極的に前に出ていくことは別に構わないのだが、無理矢理なカウンターを狙ったりすることもあった。
 自分との魔法戦の訓練でも同様で、無茶な突撃を繰り返す回数が増えた。今の段階では防御魔法の使い分けや回避動作の効率化をメインにしているのに、だ。
 防御よりも攻撃――ユーノ自身が定めた支援という役割を越えた行動が目立つようになっている。
 やっぱり? とリーゼロッテが眉根を寄せる。
「何をあんなに焦ってるんだろうねぇ?」
 焦り。そうなのだろう。気持ちだけが先走って、行動が伴っていないのだ。
 正直なところ、ユーノがそうなる理由が分からない。スプリガンによる仮想現実での戦闘訓練も影響していると思われるが、実質的な指導時間は少ないのに予想以上に動けるようになっているのだから。
「順調というか、予想よりはいい成長速度なんだけど……」
 彼にここまでさせる何かが、自分達の知らない間に起きたのだろうか。
 今しばらく様子を見て、これが続くようなら対処を考える必要があるかもしれない。本人から直接事情を聞く事も選択肢に入れておこう。
「とりあえず、その話はまたにしましょ。今は今後の訓練方針の検討」
 気持ちを切り替え、意識を今に向ける。だね、と頷くリーゼロッテ。
「無茶が目立ってきたのが不安の種だけど、近接戦での反応自体は少し良くなってるみたいだから……こっちのレベルもまた上げよっかねぇ。そっちの魔法戦の方もいい感じみたいだし?」
「ええ。正攻法に対する防御魔法の使い分けは問題なし。そろそろ搦め手からの攻撃への対処法も織り込んでいきましょ。こっちの魔法攻撃の威力と速度も少し上げるわ」
「じゃ、そういうことで」
「ええ。今までどおり、ユーノの『現時点での実力より少し上』のレベルでこっちは対応していきましょ」
 廊下を歩きながら、リーゼアリアはユーノの訓練メニューを修正した。
 
 
 
 訓練施設から自室へ戻り、ベッドの上へと倒れ込んだ。
《ユーノ、とりあえずシャワーを先に浴びとけ》
 スプリガンが進言してくるが、それには答えずに今日を振り返る。
 正直なところ、最悪だった。リーゼロッテとの近接戦訓練。そしてリーゼアリアとの魔法戦訓練。その両方とも、満足のいく結果を得られなかった。
 はあ、と思わず溜息を漏らす。一体、何をしているのだろうか。
 強くなりたくてリーゼ姉妹を手配してもらったというのに、毎回毎回叩きのめされてお終い。体力こそ初期の頃よりはほんの少しマシになっているようだが、それ以外はいつもいつもあと一歩のところで、どうしても届かない。成長の欠片すら見いだせなかった。
 そもそもが魔導師としては戦闘向けではないことは自覚している。それでも、もう少しマシになるものではないだろうか。
 今、自分を鍛えてくれているのは、クロノの師匠であり、教導隊のアシスタントも務めていたというリーゼ姉妹なのだ。その2人の指導を受けておきながら、成長できないなどということがあっていいはずがない。
(情けないなぁ……)
 ならばやはり努力が足りないのだ。素質がないなら、尚更だ。
 自分は強くならなくてはならない。いつまでも同じ所で足踏みをしているわけにはいかない。
《おい、ユーノ!》
 声量を増した愛機の声で、我に返る。
「……分かってる」
 何とか声を出して起き上がり、ベッドから降りてシャワールームへ向かう。
《本当に大丈夫か? 最近、スケジュールが過密気味だぞ。訓練の機会は減るかもしれねぇが、仕事となのは嬢ちゃんの付き添いを優先にしてる以上は少しは息抜きも入れろ。潰れちまったら意味ねぇんだからよ》
「うん……」
 それだけを答え、考える。
 今の自分にできることは限られている。
 しなくてはならないことは以前から変わっていない。
 強くなるためにどうすればいいのか。今まで以上に努力を積み重ねる以外に道がない。
 結局、状況を打開しうる案が容易に出るはずもなく、現状のまま。
 
 前途は暗闇に包まれたままだ。
 
 
 
 
 
 後書き
 すっかりご無沙汰しておりますが、ようやく目処がつきました……
 何というか、暗い話はどうにも筆が進みません。まあ、この話に関しては次でケリを付けますが、本編の方が……
 それではまた、次の作品で。





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