第1話:発端
 
 
 
「今日も検索の日々、か」
 そんなことを、無限書庫司書、ユーノ・スクライア(11)は独り言ちた。
 ユーノが入局、というか司書になった頃は、整理だけでも一仕事ではあったが、まだ検索依頼はなかった。それに急務でもなかったので、割とのんびりと仕事をしていた。
 しかし、それが一変する。具体的に言うなら某執務官からの検索依頼に応え、資料の提供をし始めた頃から。整理自体は全くと言っていい程進んでいなかったが、それでも検索できてしまうユーノの能力が仇になり、次第に他の部署からの依頼も入り始めた。本来の業務ではないので拒否すればよかったのだが、一度引き受けている以上、他の部署からの依頼は受けないというわけにもいかない。最初の依頼が知人からのものだったのも問題だった。下手をすれば、某執務官が無限書庫を私物化している、とも受け取られかねないからだ。最悪の場合、その上の提督にまで非が及ぶ。
 仕方なくそれを引き受ける日々が続いたが、本業である整理ができない。ここに至ってようやくユーノは司書の増員を申請。本局はそれを受け入れてくれたが、期待していた数には程遠く、しかも全員が即戦力になるわけではない。ユーノは司書の育成という余計な業務も背負うことになってしまった。
 それでもしばらくすれば新規の司書も業務に慣れる。少しは楽になるかと思われたが、検索依頼は増える一方。人員不足と業務量増加の悪循環。こうして無限書庫は管理局でも有数の激務地となってしまったのだ。おまけに今では、蔵書整理よりも資料検索の方が本業になりつつあった。
 
(やれやれ、だなぁ……)
 溜息をついてみても、仕事が終わるわけではない。特に今は急を要する依頼があってそれを攻略中なのだから。
(とは言え、本当にこれが急務なのかは疑問なんだけどね)
 内容だけを見ても、それが急ぎであるとは思えない。数日前に出されていれば余裕を持って終わらせることのできる物だ。要は他部署の都合というか怠慢。今まで後回しにしていたツケ、尻ぬぐいだ。
 多すぎるのだ。どうでもいいような内容で、それでいて火急だという検索依頼が。回答期限が当日、翌日とはどういう了見だ。
(全く……どうも最近、便利屋扱いされてるような気がするなぁ)
 内心で愚痴りつつも検索の手は止めない。愚痴っても仕事は減らないのだ。正直に言えば、今度来た上司にはあまりにもくだらない依頼は断ってほしいのだが。
 無理だろうなぁ、と諦観の溜息をつき、仕事に集中しようとしたその時だった。
【ユーノっ!】
 目の前にウィンドウが開いた。映っていたのは親友の使い魔であるアルフ。無限書庫再開当時から時折手伝いに来てくれていたが、今は諸事情があり、久々の顔見せだった。
「どうしたの、アルフ? そんなに慌てて?」
【大変なんだよっ! なのはがっ!】
 アルフの剣幕と、続いた言葉に、手を止める。
「なのはが……何だって?」
 少なくとも、良い報せではないことは間違いない。構成していた術式が霧散し、展開していた本が無重力の空間に流れていく。でも、どうでもいい。そんなことは。
【たった今、連絡があって! 事故でなのはが重体だって!】
「事故……? だって、今日は確か演習だったはずじゃ」
【詳しいことは聞いてないけど! 途中で捜査任務が入って、その帰りに! とにかく――】
「今はどこにっ!?」
 気付いた時には、叫んでいた。通信自体は直近の者にしか見えないし、音声も聞こえない。それでも、自分の声はそうもいかない。近くにいた他の司書達がこちらを見るのが分かったが、そんなもの気にしていられなかった。
【本局に戻ってる! 医療局で治療中! だから――】
 最後まで聞かずに、ユーノは通信を切る。そして司書の誰かの呼びかけの声も無視して書庫の入り口へと身体を向けた。
 
 
 
 廊下を走る。すれ違う局員に奇異の目を向けられても気にすることなく走り続ける。無限書庫勤務によって以前よりも落ちてしまっているであろう体力で、それでも身体にむち打って、ただひたすらに走り続けた。
 なのはが負傷、それも重体などと、タチの悪い冗談だと思った。あのなのはが、そんなことになるはずがない、と。魔法とは全く無縁だったにもかかわらず、高い魔力とその素質から、AAAランクを得た少女。そして本人の努力によって今もなお、成長を続ける魔導師。その彼女が――
(くそっ!)
 悲鳴をあげ始めた脚を酷使しながら走る。何かの間違いであってくれ、そう祈りながら走る。
 やがて、目的の場所にたどり着き。ユーノは知った。事実を。
 集中治療室の前。そこに集まった知人達の表情と雰囲気が、全てを物語っていた。そこにいる顔なじみ達――ハラオウン家とエイミィ、八神家の面々。そのどれもが暗く、沈んでいた。
「ユーノ……」
 最初に気付いたアルフがこちらを見た。続いて他の面々の視線もこちらへと集中する。
「な、なのははっ!?」
 呼吸を整える間も惜しい。ユーノは叫ぶように問うた。ただでさえ乱れていた呼吸が更に乱れ、咳き込んでしまうが、そんなことよりもなのはの現状の方が大事だった。
「治療の方は、一通り終わってるわ……」
 恐らく治療に参加したであろうシャマルが、答えた。
「峠は越したのだけれど、意識の方はまだ戻ってないの。目を覚ますまでには、まだ時間が掛かると思うわ」
 説明を受けながら治療室の入口へ近付く。医療関係者以外の立入はできないが、入口の横には通信用のモニターがあり、中の様子を見ることはできるのだ。その前に立ち、パネルを操作した。
 モニターに映し出されたのは集中治療室の内部。そして、ベッドに横たわっている少女。上半身と左腕は包帯に覆われ、点滴のチューブや医療器械のケーブルが何本も繋がれている。口には人工呼吸器を着けられていた。
(なの、は……?)
 それが誰であるのか分かってしまった瞬間、闇に包まれた。音が消え、視界が閉ざされ、全ての感覚が遮断される。自分が今どこにいるのか分からなくなった。いや、そもそも自分という個が本当に存在するのかさえ――
「ユーノっ!?」
 はっきりと声が聞こえ、我に返る。気がつくとその場に崩れ落ちていて、そんな自分を心配げに支えるクロノの顔が見えた。
「大丈夫か?」
「ああ……」
 口から出たのは、我ながら説得力の欠片もない声。内心で苦笑して立ち上がる。額に手を当て、大きく深呼吸。数度それを繰り返し、ようやく落ち着くことができた。
 クロノに礼を言って身体を離し、再び病室内を見た。先程と同じ光景がそこにある。そして思い知る。やはり現実なのだ、と。
 モニターを消し、誰に、というわけではないが、問う。
「なのはに、一体何があったの?」
 なのはが武装隊の演習で別次元世界に行くというのは、本人から聞いていた。だからこそ腑に落ちない。確かに実戦さながらの訓練をするが、重体になるような無茶をすることはないはずだ。
「ごめん……」
 問いに答えたのは涙混じりの声だった。振り向くと、そこにいたのはヴィータ。いつもの強気な鉄槌の騎士ではなく、見た目相応の、弱々しい少女がすぐ傍に立っていた。
「あたしが……あたしがもっとしっかりしてれば……」
 後悔と悲しみに染まった少女を見て思い出す。今回ヴィータはなのはと一緒だったのだと。だったら、ヴィータは事の顛末を知っているはずだ。だから、問う。
「何があったのか教えてくれないかな? 機密に関わることなら、仕方ないけど」
「……怒って、ないのか……?」
「? どうして?」
 おかしな事を言う、と思ったが、そこで気付いた。ヴィータは現場にいたのだ。だからこそ、なのはの怪我に責任を感じているのだろう。
 彼女らしいな、と思いながら、ヴィータの頭に手を置いた。怖がるように震えたヴィータの頭を、優しく撫でてやる。
「ヴィータが謝ることじゃないよ。なのはもヴィータも、同じ立場で任務に就いてたんだ。なのはを護ることが任務だったわけじゃないんだから」
 それに、仮にヴィータに責任があったのだとしても、だ。責められるはずがない。自分はそこにいなかったのだから。同じ立場にいなかったのだから。自分ならうまくやれた、などと無責任なことは言えない。非難などもってのほかだ。
(いや、むしろ……)
 もっと遡るならば、結局の所は自分の責だと言える。戦いとは無縁の世界に生きていたなのはを、自分の都合で巻き込み、魔法の世界に関わらせてしまったのだから。
 不意に、以前、無限書庫で交わした会話を思い出した。あの時、なのはが言った言葉を。
 
 「会わなかったら」はあんまり考えたくないなぁ。
 
 その出会いがあったからこそ、今の自分が、自分達がいる。なのはが魔法を手にしたからこそ、救えたものが、救われたものがあるのは確かだ。
 しかしそれでも、割り切ることはできなかった。いや、できなくなってしまった。今のようなことが起こってしまっては。
 沸々と、暗い感情が湧き上がってくる。駄目だ、とユーノは思った。そろそろ限界がくる。これ以上抑えることは――
 
 
 
 しばらくの間、ユーノは無言でヴィータを撫でていたが、その手を下ろすと動き始めた。そのまま病室から、いや、この場から離れていく。
「ちょ、ちょっとユーノくん! どこ行くつもりなん!?」
「無限書庫に戻るんだ」
 慌てて問うはやてに、しかしユーノは立ち止まり、振り返るとあっさりと答えた。
 その言葉が、フェイトには信じられなかった。ユーノにとって、なのはは大切な友人、いや、それ以上の存在ではないのか。そのなのはが大変な時に、書庫に戻るなんて。
「ユーノは……なのはが心配じゃないの?」
 だから、そんな言葉が口をついて出た。それでもユーノは来た時の狼狽が嘘のように、淡々と答える。
「心配だよ。でも処置は全部済んでて、後は目を覚ますまで様子を見ておくだけ。ここにいても、僕にできることはないんだ。それに、まだ仕事が残ってるから。後のことは頼むよ」
「ユーノ」
 そして再び足を踏み出そうとしたユーノを、クロノが呼び止めた。ユーノは止まりはしたが今度は振り向かなかった。
「治療はしておけ」
 そんなユーノに、クロノが意味不明なことを言う。ユーノは怪我人ではないというのに。
 当のユーノは何も言わず、また歩きだし、廊下の角に消えた。
 先程までの重い空気が、微妙に変化するのが分かった。
「なんや、ユーノくん薄情やな!」
「うん……いくら何でも冷たいよ」
 最初に爆発したのははやてだった。それに同意する。こんな時に仕事を優先するなんて、ユーノらしくないと思った。一体彼はどうしてしまったのだろうか。
「さて、それじゃあ私も艦に戻るわ」
 しかし義母のリンディが、何故か苦笑しながらそう言い、
「僕も戻ります。エイミィ、君は――」
「ううん、私も戻らなきゃ」
 そしてクロノとエイミィまでもがそんなことを言った。おかしい。どうして皆までそんな事を言い出すのか。皆、なのはのことが心配ではないのだろうか?
 そんな考えが、態度に出ていたのだろうか。クロノがこちらを見て、軽く嘆息した後で言った。
「フェイト。君は好きにするといい」
「主はやて、我らも任に戻ります。主は主の望むままに」
 そしてシグナムがそう言い、ザフィーラも無言で頷いた。彼女らもここを去るらしい。
「シャマル、恐らくお前の任は一時的に解かれる。こちらのことは頼んだ」
「ええ、任せて」
 風の癒し手が将の言葉に力強く応じた。
「ヴィータ、武装隊には連絡しておく。何もないなら、しばらく休め」
「うん……ごめん……」
 気落ちしているヴィータの頭を一度だけ乱暴に撫でて、シグナムはザフィーラと一緒に去っていく。
 それに続くようにリンディが、エイミィが動き始め、最後にクロノが動こうとしたところで、1つだけ気になったことがあり、義兄を呼び止める。
「クロノ」
「どうした?」
「あの……さっき。ユーノに言ったよね? 治療をしておけ、って。あれって――」
 どういう意味だったの、と言い切る前に。耳に飛び込んでくるものがあった。
 それは絶叫だった。どこかから響いてくる、悲鳴にも似た声。
「……っ! 今の……っ」
 これに似た声を聞いたことがあった。管理局入りしてから今までに携わった事件の中で時折直面した、家族や恋人、友人など、大切な何かを失った者達の慟哭。こちらの心を揺さぶり、掻き乱す、耳を塞ぎたくなる程の悲痛な叫び声。
(心が……引きずられる……っ)
 目の奥が熱くなり、胸に痛みが生じた。思わず目を閉じ、胸元を強く握り締める。その手が何故か震えていることに気付いて、もう一方の手で押さえつけた。
 長く響いたその声は再び聞こえることはなかった。震えも止まり、手を離して周囲を見る。声に中てられたのか、はやてとアルフの表情は沈んでいる。まだ生まれたばかりのリインは、涙目のままはやてにしがみついて震えていた。ただ、その中でもヴィータとシャマルの顔だけは何故か歪んでいて、何かを案じるような、恐れるような、そんな顔に見えた。
「……フェイト、あれが見えるか?」
 同じく聞こえていただろうが、それには触れず、一度重い息を吐いて渋面のクロノの視線が動いた。その先にあるのは集中治療室の入口。床に赤い染みがあり、点々と、廊下の角へと続いている。
 それの正体に気付き。先程までそこにいたのが誰か思い出し。今の声が誰のものだったのかに思い当たり。
 ようやくフェイトは知った。先の言葉と態度とは全く正反対の、彼の心中を。
 
 
 
 
 
 無限書庫。
「それじゃあ、ユーノ君」
「ええ、お疲れ様でした」
 答えつつも検索を続ける。今、書庫に残っている司書は自分を含めて4人。そのうち3人はこれから帰宅だ。
「済まないな。本当は手伝ってやりたいんだが……」
 20歳ほどの司書が申し訳なさそうに言った。
「いえ、これは僕がしなきゃいけないことですから。手伝ったなんて知られたら、お互い後々面倒ですよ」
「でも、今回の件はいくら何でもやり過ぎよ。こんな仕打ち、あんまりだわ」
 別の女性司書が、不満を漏らす。
「あんなことがあったら取り乱して当然なのに。ましてやユーノ君はまだ11歳だっていうのに……」
「規則は確かに大切ではあるが……こういう場合は融通を利かせてもよさそうなものなのだがな。良識ある大人なら」
 中年の古参の司書が、溜息混じりに言う。
「いえ……急ぎの仕事を放り投げて無断でここを抜けたのは事実ですから」
「急ぎって……あんなの新人にだって1日あれば片付けられる程度のものじゃない。本当ならそんな検索依頼までわざわざユーノ君に任せる必要なんてどこにも――」
「任された以上は、僕の仕事です」
 周りは色々と言うが、仕方のないことだ。今回の件について弁護してくれるのは嬉しいが、事実は事実なのだから。
「大丈夫ですよ。昔に比べれば、このくらい。それに皆さんは皆さんで手持ちの仕事があるんですから。今日は帰って疲れを取って、明日に備えてください」
 それだけ言って意識を作業に戻す。3人は何か言いたげだったが、そのまま書庫の入口へと向かって、
『あ、ユーノ君』
 男性司書の念話が、こちらへ届いた。そちらを見ないまま返事をする。
『何か?』
『ロックは掛かってないからな。引き延ばせても数日だけど、今の内に用事があるなら済ませておいてくれ』
『……いいんですか? それだと――』
『今日は色々仕事を押しつけられて、そこまで気が回りませんでした、ってことで。それじゃな』
 いいのだろうかと思いつつ入口を見ると、同僚達が手を振っていた。心遣いに感謝して、手を振り返す。頑張れよ、無理しないでね、また明日、とそれぞれ言い残し、3人は書庫を出て行った。
 ユーノは術式を一旦解除すると、大きく深呼吸して身体の力を抜いた。
 無重力の空間に身を委ねながら思い出すのは今日のこと。事故で意識不明になった大切な友人のこと。
 思わず拳に力を込めてしまい、生まれた痛みに顔を顰めた。見ると右の掌には小さな傷が4つ。自分の爪が皮膚を抉った痕が残っている。
(治療はしておけ、ってクロノが言ってたっけ……)
 治癒魔法を発動させると、大したことのない傷はすぐに塞がった。感覚を確かめるように手を開閉し、もう一度握り締める。もう痛みはない。
 軽く息をついて目を閉じ、呟く。
「なのは……」
 集中治療室で眠っている痛々しいなのはの姿は、今も頭から離れない。
 どうしてこんなことに、という考えは既に無い。あの時、声にして全て吐き出したから。自分の中に生じ、渦巻いた数々の負の想いと共に。
 今思うのは、これからのことだ。事故のことは起きてしまったことで、覆しようがない。なのはの怪我も、なかったことにはできない。
 ならば、どうするのか。自分はどうしたいのか。
「もう二度と……なのはをあんな目に遭わせたくない……」
 護りたいものはただ1つ。そのために、何ができるのか。
「いや、違う。何ができるかじゃない。やるんだ」
 こうと決めたことを、貫き通す。そのための努力をする。どんなに無謀に見えても、どんなに無茶でも。全ては自分の中にある、この想いに従って。
「必要だと思ったことは、何でも。できる限りのことを、全力全開で」
 その努力が、無駄に終わってもいい。むしろ、何も起こらないのならばそれに越したことはない。だから――
「同じ後悔をしないためにも」
 目を開き、前を見て、決して揺るがぬ意志を言の葉に乗せて。ユーノは自身に誓った。
「僕は……前に進む!」
 
 
 
 
 
 後書き
 
 初めまして&お久しぶり。KANです。
 ついに短編から逸脱してしまいました。というよりも、幾つか書きたいネタがありまして。事故直後のユーノとか、デバイス持って少しだけ強くなったユーノとか色々。で、それぞれ独立してプロット練ってたんですけどね……何故か途中でそれが全部リンクしてしまいまして(汗)
 長編か……書けるかなぁ、などと悩みつつ、せずに後悔(先にネタ使われると余計書きにくいし、とかっ)するより書いて後悔しようとこの度決心しました。ちなみにオトコノコ祭りで書いた話は、この長編の時間軸上にあったりします。
 ネタだけは今のところあるけど、書く時間はなかなか確保できないというかなり厳しい現状ですが、完結できるように頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。
 こんな作品ですが楽しんでいただければ幸いです。
 
 当面はこのシリーズをメインに。電波が来たら短編を、と考えています。
 ではまた、次の作品で。
 
 H22.8.8 加筆修正





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