第4話:告白
 
 
  
 医療局の廊下をユーノは進む。走りこそしなかったが、早足で。
 行き先は言うまでもなく、なのはの病室だ。
 昨日の通信のことを、仕事中も考えていた。なのはがどうして諦めてしまったのかを。そしてしばらくの後に、その理由に思い当たった。もしも予想したとおりならば、納得がいく。そう考えてしまうのは当然だとも思う。
 しかしそうだとするならば、やらなければならないことがある。
 仕事は昨日中に――実際は日が替わってしまって今日だが――キリのいいところまでは全て片付けた。出勤すれば追加を渡されることが分かり切っていたので、遅刻する旨を書庫へは伝えてある。許可はもらっていないので、後で何を言われ、どういう処分が下るかは容易に想像がつくが、それでもなのはに言わなくてはいけないことがある。他の誰かが何かを言う前に。
 そのため、朝一でなのはの部屋へ向かっていた。昨日、フェイト達が連絡してきた時間を考えれば、あの後で誰かがなのはの所へ行く時間的余裕はないはずだ――面会時間を無視されていればそれまでだが。
 行く先に、なのはの病室のドアが見えてきた。
 
 
「珍しい、というか、初めてだね。こんな時間からお見舞いに来てくれるなんて」
 ベッドの上で身体を起こしたなのはが、こちらを見て笑った。ただ、どこか無理のある笑みだというのがすぐに分かってしまった。無理もないと思う。彼女に突きつけられた現実はあまりにも重い。そして、その心に刻まれているであろう傷もまた、決して小さなものではないはずだから。
「なのは……今日はね、話を聞きたくて来たんだ」
 他愛ない話をしてから繋ごうか、と思っていたが、用件を優先する。ぴくり、とうっすらとクマができかけているなのはの表情が、ほんの少しだけ動いた。
「……知ってる、んだよね」
 その問いに頷くことで答える。顔をこちらから逸らし、組んだ手に視線を落として、なのはは呟くように言った。
「わたしね、もう飛べないんだって」
 胸の奥が、痛む。知っていたことではあるが、本人の口から聞かされると、その威力は桁違いだった。
「原因はまだよく分からないけど、闇の書事件の時みたいに、魔法が使えなくなってて。あと、身体もね、足だけまだ動かないの」
 組んだ手を離して、足の辺りを撫でるなのは。表情は、変わらない。
「もう二度と飛べない……歩けない……まだまだ、これからだったのになぁ」
「なのはは、それでいいの?」
 その真意を問い質す。本当にそれでいいのか。それが本当の望みなのかを。
「だって、仕方ないもん。魔法が使えないんじゃ、魔導師としてのお仕事できないし。普通の生活すら難しくなるんじゃ、どう考えても無理だよ」
 淡々となのはは答えた。少なくとも現時点でのなのはの意志は、言葉のとおりなのだろう。リハビリをすれば治る可能性はある、魔法の方も先のことは分からない、そう説明を受けているはずなのに、結果だけを受け入れていて抗う意志が感じられない。
 試す前から諦める――それは本来の彼女の姿勢ではない。それは断言できる。だから、ユーノはこう言った。
「そうだね。仕方ないよね」
 
 思わずなのははユーノに視線を戻した。初めてだった。自分の今の気持ちを、肯定されたのは。フェイトも、ヴィータも、シャマルも、こちらを励まし、奮起させようとしたのに。
 ユーノは備え付けの椅子を引き寄せると腰掛け、こちらへ優しい顔を向ける。
「なのはは今までよくやったよ。魔法の世界に足を踏み入れた直後に、大きな事件を2つも解決して」
 言われて思い出すのは魔法との出会い。いや、今目の前にいる少年との出会いだ。あの時はフェレットだったが、あの出会いが自分の転機だった。
「その後も魔導師として、頑張ってきた」
 自分だけにできることを見つけて、自分が持っているこの力を、困っている人達のために使いたくて、管理局に入った。魔法の力に磨きをかけて、失敗もあったが、色々なことを積み重ねて、今までやってきた。多くの事件に関わって、その解決の手助けができた。自分の魔法で、人のためになることができていたのだ。
「これからも、きっと色々なことがやれたと思う。でも、こうなったらそれも無理だね」
 そんな思い出が、ユーノの言葉で吹き飛んだ。先程まであった胸の奥の熱が、急激に冷めていく。
「元々、魔法のない世界の出身だし。魔法が使えなくなっても、元に戻っただけ。足の方は大変だろうけど、それでも生活はできる」
 そう。今は魔法が使えなくなってしまった。今の自分には、何もできることはない。歩くことすらできないのだ。だから、仕方ない。
「将来のことだって、実家の翠屋は継げるだろうし。アリサとすずかだって助けてくれるよ」
 今までやってきたことが、失われる。自分でこうと決めて歩んできた道が、閉ざされる。
「今まで本当に、お疲れ様。魔法の事なんて忘れて、ゆっくり休んで」
 それを望んだはずなのに。そう、自分の意志で諦めることを決めたはずなのに。ユーノだって、今までの自分を労ってくれている。その先を強要したりはしない。自分の意志を、認めてくれている。それなのに。
 どうして胸が苦しいのだろう。どうして喉の奥が痛くなるのだろう。どうして目の前の光景が歪むのだろう。
(どうして……わたし、泣いてるの……?)
 
 涙を流すなのはを見ながら、ユーノは内心で溜息をついた。これが、なのはの本心だ。心から納得して諦めたのなら、この程度の言葉で泣くはずがないのだ。
(でも、ということは……)
 原因は、多分あれだろう。いつもまっすぐで全力全開のなのはらしい、今まで気に留めることがなかったであろうこと。優秀であるが故に気付きにくい、直面しにくい現実。それが、なのはの心を縛り付けている。
 話を続けるべく、立ち上がる。
 
 ふと、頭に乗せられる温かな手に気付いた。いつの間にかユーノが席を立ち、ベッドの側まで来ていた。やや膝を曲げ、自分と同じ目線まで身を屈めて、彼が問う。優しい翠の瞳が、こちらを見つめていた。
「なのはは、どうしたいの?」
「どう、って……」
「現時点で魔法が使えない。足も動かない。今後ずっとそのままかもしれない。でも、なのははどうしたいの?」
 どう、したいのか。それは決まっている。いや、決めたのだ。今まで何度も口にした。こうなった以上、仕方ないのだ、と。諦めるしかないのだ、と。それなのに、
「なのはの本心を聞かせて。現状を逃げ道にするんじゃなくて。泣いてしまうほどつらい嘘の気持ちじゃなくて。身体のことなんて関係なしに、本当にやりたいことを、僕に教えて」
 どうして。どうして目の前の少年は、自分の本当を見つけてしまうのだろう。何も言わないのに、どうして分かってしまうのだろう。
「もう一度聞くよ。なのはは、本当はどうしたいの?」
 本心は……分かっている。そんなことは分かり切っているのだ。自分のことなのだから。
 そして、自分がどうして諦めたのか――現状を言い訳にして諦めようとしたのか。皆には言えなかった、言い出せなかったその理由に、
「本当は……わたしは……諦めたくないっ! 諦めたくないよぉっ! でもっ……でもぉっ――!」
 多分、ユーノは気付いている。そう思えた。
 
「恐いんだね?」
 最後の最後で言い淀んだ言葉を、ユーノは継ぐ。予想でしかなかった言葉は、なのはの首肯によって事実となった。ぽろぽろと涙をこぼす少女を見ながら、今更ながらに思う。
 死にかけたのだ。11歳の少女が。本当なら家族の庇護の下で生きているべき子供が、自ら望んだこととは言え、その最中で命を落としかけたのだ。当たり前のことであった。
 もっとも、その当たり前がこの世界でも当てはまるのかというと話は変わる。なのは程ではないが若くして管理局入りし、危険な任務に就き、命を落としてしまった、という事例は、現実にあるのだから。
 だから、周囲は誰も気付かない。なのはが強力な魔導師であるが故に、自分達を基準に考える。魔法があって当然の世界の常識で量ってしまう。そのような覚悟、とっくにしているものと考えてしまう。なのはが魔法のない世界の出身だということを、忘れてしまう。
「危ないお仕事だって分かってた! 分かってたつもりだった!」
 そして本人も、そうでなくてはならないと考える。これが常識なのだから、弱音を吐いてはいけないと。そこに、歪みが生じてしまう。
「でも今回、こんなことになって……わたし、何も分かってなかった! 負けるかもしれない、怪我するかもしれない……そこまでは考えたことあったよ。でも、死ぬかもしれないは……ううん、考えたことはあったし、分かってたつもりだったのっ! でも違って! 思ってたのと全然違うっ!」
 なのはの本音をユーノは黙って受け止めた。
「あの時……墜ちた時の、だんだん意識が薄れていくあの感覚……痛みすら感じなくなって、何もかも無くしちゃうようなあの感じ……ユーノくんの言うとおり、わたし恐いっ! 恐いのっ! またこんなことになったらどうしよう、って! 今度こそ死んじゃうかもって! そんなのいや……いやだよぉっ!」
 そこまで一気に告白して、なのはは顔を両手で覆い、声を押し殺して泣き続ける。
 弱気になったところは見たことがある。しかしここまでさらけ出すことは今までになかった。相当参ってるな、と思う。
 なのはは自分の弱さを人に見せようとはしない。家庭の事情もあるらしいが、そう育ってしまった。葛藤はあったのだろう。魔導師を続けたいという本心と、そうなった時の恐怖。復帰という選択肢を断るに足る今の身体の状況は、なのはにとって渡りに船だったに違いない。続けられないなら仕方ない、という逃げを打つことができるのだから。それでも、想いは止められなかった。
 それならば、と促すことはできる。諦めずに自分の本心に従え、と言うのは簡単だ。
「そうだね。死んだら全て終わりだ。今まで積み上げてきた経験が、技術が、全て無に帰る。思い出も、何もかも。生きている人にとって、それはとても恐いことだね。でもなのは、もう1つ教えてくれる?」
 それでも、こうしろと言うつもりは毛頭無かった。そんなことより、訊いておきたいことがある。恐らく、これも考えたことはないのではないか、と思う現実を。優しすぎる彼女が、無意識のうちに選択肢から外すであろう行動を。
「なのはが今やっている仕事はね、今回みたいなことが自分に降りかかるだけじゃない。相手をそういう状況に追いやることもあるんだよ。それについて考えたことはあった?」
 嗚咽が止まった。そろそろと、なのはが震える両手を降ろす。こちらを見る目が溜まった涙で、迷いと恐怖の感情で揺れていた。それでも止めなかった。少女の頭を撫でながら、続ける。
「武装局員なんだ。魔法を武力として扱う部署なんだ。非殺傷設定があるといっても万能じゃない。場合によってはそれを使えない状況だって起こりうる。今までは問題なかったかもしれない。でも今後、そういう場面に出会うかもしれない。なのは自身の手で、それをしなきゃいけない時が、来るかもしれない」
「ど、どうして……」
 言葉は続かない。どうしてそんな事言うの、といったあたりだろうか。追い打ち同然の言葉なのだから、そう思うのも当然だろう。
「今だから。なのはが魔導師であり続けることを迷っている今だから。その時になって迷って、それを引きずって、今度こそ取り返しのつかないことになるのが……恐ろしいから」
 僅かでも迷いを残すのならば。これからを決めていないのなら。
「だから、今、知ってもらおうと思った。魔導師を続けることのリスク。自分の命の危険、そして相手の命を奪う可能性を」
 その迷いの要因となるものを、全てここで叩きつける。これからもつらいことは絶対にある。そういう世界であり、そういう職業なのだから。
「本当なら9歳だった女の子が背負っていくようなものじゃない。魔法も何もない世界で生きてきた子なら、尚更だ。だから、僕が巻き込んじゃったせいで偶然手にした力に拘る必要はない。ここでなのはが魔導師を辞めるって言っても、僕は止めない。他の人にも……絶対に邪魔はさせない。どんなことがあっても、どんなことをしても、絶対に辞めさせてあげる」
 なのはの頭から手を離して、立ち上がる。
「今すぐに答えを出すことはないけど、今の内に考えておいて」
 言いたいことは言った。後は、なのはが考えて決めるだけだ。そのための時間は必要だろう。そう思って、
「それじゃあ、また来るね」
 離れようとした自分の腕を、掴むものがあった。それはなのはの左腕。骨折自体は治っているが、まだ痛みが残っていると言っていたなのはの利き腕だった。
「なのは……?」
「や、だぁ……」
 何事かと訊く前に、なのはの口から声が漏れた。ぐしゃぐしゃになった顔が、涙で潤んだ瞳が、こちらを向いている。
「辞めたく……ないよぉ……」
 弱々しい、しかし意志の込められた声が、はっきりと聞こえた。なのはの、心からの声が聞こえた。それでもその声は小さくて、その身体がとても小さく見えて、消えてしまいそうで。そんななのはをユーノは自分の腕の中に収めた。驚いたようだったが、なのはは抵抗しなかった。
 なのはの温もりを感じながら、1つ1つ確認していく。
「今回、こんな酷い目に遭ったんだよ?」
「うん……」
「リハビリは、きっとつらいよ?」
「うん……」
「歩くことはもちろん、魔法だって、また使えるようになる保証はないし」
「わかってる……」
「また飛べるようになっても……同じ目に遭うかもしれないよ? いや、今回以上に酷いことになるかもしれないよ?」
「それでも……」
「もう1つの方の覚悟も、できた?」
「それは……分からない。でも……」
「恐いのに……それでも、また戻るの? あの空へ?」
「戻りたい……恐くて恐くて仕方ないけど……それでも、本当は諦めたくないの……」
 気付かれないように溜息を漏らした。これだけ言ったのに、決意は変わりそうにない。これ以上は言っても意味がないだろう。
(なのはらしい、と言うしかないのかな……)
 いつもまっすぐで、困難にぶつかっても迷っても、結局は諦めることなくその道を切り開いていく。出会った頃から変わらない、不屈の心を持つ少女。これがなのはの意志ならば、自分はそれに従おう。なのはが再びあの空を翔るために尽力しよう。だから、言った。
「だったら僕が、力になる」
「ゆーの……くん?」
 不思議そうになのはが見上げてくる。
「なのはがそう決めたのなら。その気持ちが変わらないのなら。僕がなのはの力になるよ」
「で、でも……その……」
 何故か、なのはは口を濁した。困ったような、申し訳なさそうな顔で。少しだけ迷って、なのはが再度口を開く。
「ゆ、ユーノくんだってお仕事あるのに……そっちの方がきっと大変なのに……どうして? どうしてそこまでしてくれるの?」
「なのはが困ってるなら、力になりたい。なのはが僕に、そうしてくれたみたいに」
 かつてと同じ言葉を、今度は口に出して告げた。驚いたようになのはが目を見開く。
「それって……あの時の……」
 それは、PT事件の最中、海鳴の海上でフェイトが無茶な方法を使ってジュエルシードを起動させた時、自滅を待つというアースラクルーの決定に納得できていなかったなのはに自分が伝えた言葉だった。
「僕がそう、望んだから。なのはの力になりたいと、思ったからだよ。なのはが本心で諦めるって言うなら、それでもいいんだ。ただ僕は、泣いてるなのはを見たくない。なのはには、いつも笑顔でいてほしいんだ」
 なのはの背中に回した手を両肩に置き、少しだけ身体を離して、再度目線を合わせて真っ直ぐに見つめる。
「だから最後に、もう一度だけ聞くよ。いいんだね?」
「うん……やっぱりわたし、諦めたくない……今はまだ恐いけど、克服して、また飛びたいの」
 なのはの目からは迷いが消えていた。まだ気持ちの整理がつかない部分はあるようだが、彼女ならきっと、乗り越えるだろう。もっともそれは、もう一度魔法が使えるようになれば、の話ではあるが。
「わたし、また飛べるよね……?」
「……そう信じて、頑張ろう」
 口から出たのは、自分でも意外な言葉だった。こんな時だからこそ、その問いに大丈夫だと言ってやるべきなのに、それができなかった。その理由に気付いて、そんな自分に嫌気がさす。
 と、不意に胸に圧力が掛かる。目の前にいた少女が、自分の胸にしがみついていた。
「なっ……ちょっとなのはっ!?」
「少しだけ……このまま……」
 慌てて引き剥がそうとしたが、その言葉で手が止まった。考えてみれば、さっきは自分からなのはを抱きしめていたのだ。その事実を思い出し、顔に熱が上がっていくのを自覚する。
「でも、ユーノくん?」
「何? って、痛たたたたっ! 痛い、痛いよなのはっ!?」
 しかしその熱が吹き飛んだ。身体に添えられていたなのはの手が、こちらの胸をつねったからだ。
「さっき、また言ったね。僕が巻き込んで、って。それ、もう言わない、って約束しなかった?」
 顔は見えないが、声には力が戻っている。いつものなのはの声だった。いや、若干ご機嫌斜め?
「い、いや、でも……こんなことになったらどうしても――」
「ごめんね……」
 その手はすぐに離れた。痛みから解放されたのはいいが、またなのはの声が沈んでいた。
「わたしがもっとしっかりしてたら……無理しないできちんとしてれば……みんなに迷惑かけることもなかった。ユーノくんにあの言葉を言わせることもなかったのに……ごめんなさい」
 つねった部分を優しく撫でながらなのはが謝ってくる。その頭に手を置いて、また撫でてやる。
「なのはは同じ間違いをしないって、信じてるから。僕の方もごめん。もう言わないから」
「うん……」
 なのはが離れる。そのままベッドに横になると大きく息を吐き出した。
「なんだか……疲れちゃった……」
「泣き疲れ?」
 シーツを直してやりながら問うと、恥ずかしそうに頬を染めながら、なのはは頷く。
「あんなに泣いたこと、今まで一度もないもん……あ、ユーノくん。このこと……みんなには内緒にしてね?」
「大丈夫。そんなことしないよ」
 弱いなのはをわざわざ皆に教えるような悪趣味は持ち合わせていない。そう言ってやると、なのはは安堵の表情を浮かべた。
「それじゃ、なのはは少し休んだ方がいい。最近、あんまり眠れなかったんじゃないの?」
「うん……って、分かる?」
「クマができかけてる」
「う……恥ずかしいよぅ……」
「明日から大変だろうし。だったら、ゆっくり休んで備えないとね。それじゃ、僕はこれで」
 赤くなった頬を押さえるなのはにそう言って、ベッドから離れる。
「あっ、あの……っ」
 そのまま病室を出ようとしたところで、なのはからの声。振り向くと、なのはが何か言いたげにこちらを見ている。何の用だろうかと言葉を待つが、なのははあーとかうーとか言うだけで、その先が続かない。ただ、その表情が少し寂しげに見えて、
「えー、と……眠れるまで、傍にいようか?」
「あっ、ありがとう……ございます……」
 まさかな、と思いながら問うと、真っ赤になったなのはが頷いた。
 
 
 部屋を出ると、そこには見知った顔が2つあった。1つはフェイト、そしてもう1つはヴィータだ。正面の壁に背を預けて立っていた。
「聞いてたんだね」
「う、うん……」
 待っている理由など、他にはあり得ない。泣き腫らしたのか赤くなった目元を擦りながら、フェイトが認めた。
「駄目だよ、盗み聞きなんてしちゃ」
「だ、だって……あんな話してるのに、途中で入るなんてできないよっ」
 困ったように手をばたつかせるフェイトから、ヴィータに目を移すと、
「ヴィータなら入ってくると思ったけど。フェイトに止められた?」
「馬鹿にしてんのかてめー。あたしだって空気の1つや2つ読めるってーの」
 睨まれてしまった。そうだろうか? 彼女なら気にせず――というか気付かずに入ってくると思うが。その証拠に、今は頬を僅かに染めて視線を逸らしている。
 まあ、それはともかくだ。
「なのは、今眠っちゃったから。お見舞いは諦めて」
 1分も経たないうちになのはは眠りの世界へと落ちていった。精神的な重圧から解放されたからだろうか。寝顔は穏やかだった。
「でも、すごいねユーノは」
 頷いた後で、フェイトが妙なことを言った。
「ああ。まさか、あんな風になのはを立ち直らせるとはな」
 そして、ヴィータもだ。どうやらあのやり取り自体を、そういうものと受け取ったらしい。
「別に、そんな打算は微塵もなかったんだけどね」
 だから誤解を解くためにそう言うと、2人の顔が驚きに染まった。しかし事実だ。ユーノはなのはを励ますためにここへ来たのではない。
「僕が言ったのは本心だ。なのはが辞めると決めたなら、それを支持したよ」
 まず、なのはの本心。そして、その上でどうしたいかという彼女の意志。それを知るためにここへ来て、そのために言葉を放った。
「あのまま、辞めてくれてもよかった……なのはにつらい思いをしてほしくなかったから。危ない世界から離れて、普通の女の子として生きてほしい、ってそう思ったんだ」
 なのはが墜ちたと聞いた時、二度と同じ目に遭わせたくないと思った。そのために何ができるかと考えて、自分を鍛えようと決心した。しかし、なのはが諦めていると聞いた時、それでもいいんだと思ってしまった。
 なのはが『魔導師でなくてはならない理由はない』のだ。力になるという以前に、なのはが笑って無事に過ごせることを考えるなら、それが一番なのではと思ってしまった。少なくとも、命の危険だけは格段に下がる。
 だが、それを押しつけてはならない。全てはなのはが本心から納得し、自分で決めなくてはいけない。だから、聞いたのだ。
「でも、なのはは決めたから。それがなのはの意志だから。だから、僕はなのはの力になる。それだけだよ」
 今日の用件は終わった。後はいつもどおり、無限書庫へ戻って作業を続けるだけだ。
 何も変わらない。することも、しようとすることも、何も、だ。
(なのはのためにできることを、全力でやる。なのはが望むことを、全力で支える。それぐらいしか、僕にできることはないんだから)
 フェイトとヴィータに挨拶して、その場を離れる。そして向かう。今、自分がいるべき場所へ。
 
 
 
 
 
 後書き
 
 ユーノとなのはの対話、そして告白でした。ユーノの態度の理由、そしてなのはの態度の理由。
 実際、死にかけた小学生が、目を覚ました直後に簡単に復帰を決めるかと問われたら……無理だと思うのですがどうでしょう?
 多くを語るとボロが出そうなので、それではまた、次の作品で。
 
 H22.8.8 加筆修正





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