「お邪魔するよー」
 返事を待たずにはやては病室のドアを開けた。ちょっと礼儀に欠けているなとは、やった後で自分でも思ったが、今はそれよりも、
「なのはちゃん、元気かー?」
「はやてちゃん」
 なのはと話をしたかったのだ。
 
 
 第5話 転機
 
 
「すっかり元気になったみたいやねー」
 見舞いの品として持ってきたリンゴを剥きながら、はやては話しかける。
「元気、とは程遠いかなー。ベッドから降りられないんだから」
「何言うてるの。雰囲気とか、目覚めた直後と全然違うよー?」
「そう、かな?」
 首を傾げるなのはに対し、そうや、と頷いて見せた。
「身体の方はともかく、心の方はすっかり元気になったみたいやよ。さすが、不屈の心の持ち主やね」
 剥き終えたリンゴをなのはに渡したところで、気付いた。何故かなのはの顔に苦笑が浮かんでいることに。
「なのはちゃん?」
「え? あ、ううん、何でもない……あ、これ、美味しいね」
 誤魔化すように笑いながら、なのははリンゴを食べている。気になりはしたが、訊いても答えは返ってこないだろう。
 ふむ、と考えて、話題を変える。
「ところでリハビリの方はどないなの?」
「始めたばかりだからね。まだ全然。立ってるだけでも難しくて、油断してたらすぐに倒れちゃうの」
「そうか……なぁ、なのはちゃん。リハビリ、大変や思うけど、諦めたら駄目やよ? 頑張ってな、なのはちゃんなら、絶対大丈夫やから」
 絶対、という言葉は使いたくなかったが、あえて口にした。
 今のなのはと同じく全く足が動かなかったはやてだが、自分と彼女とでは決定的な違いがある。自分の場合、闇の書という原因があり、それが無くなれば時間は掛かっても治るということは確定していた。そして現に、具合は良くなっていっている。
 しかしなのはには、それが治るという確たる保証がどこにもないのだ。いくらリハビリを続けても、治らない可能性が捨て切れない。それがなのはの現実だった。
 これについてはシャマルや医療局のスタッフに期待するしかない。よい治療法、あるいはそれを助ける手段が見つかればいいのだが。
 まあ、それはそれとして、だ。
「でも、ホンマにびっくりしたんよー」
 努めて明るく、話題を再度変える。
「なのはちゃんが魔導師辞める言うてた、ってヴィータとシャマルが言い出した時にはな。何かの間違いや思うてたら、その次の日にはもう大丈夫やなんてヴィータが前言を翻すし。一体何が何やらさっぱりやったから」
 初めに話を聞いた時のヴィータの狼狽は激しいものだった。それが落ち着いたかと思うといつもの明るさが嘘のように沈んでしまって、何を言ってもうわの空で。翌日思い詰めた様子でフェイトと一緒になのはの見舞いに行ったら、あっさり元どおりだ。それはそれでいいのだが、話が全く掴めない。何があったのかと訊いても、とにかく大丈夫になったから、の一点張り。
 シャマルに訊いても、心変わりの理由までは語らなかったらしく、詳細は判然としないまま。
 そういうわけで、ようやく仕事の合間に見舞いに来ることができたので、その辺りをはっきりさせておこうと思ったのだが。
「は、はやてちゃん……?」
「どしたの?」
「そ、その話、ヴィータちゃんから聞いたの?」
 何故か赤い顔をしながら、そんな事をなのはは訊いてくる。
「その話、て魔導師辞める云々?」
「その後っ。大丈夫だ、っていうの。シャマルさんからじゃなくて?」
「そうやね。シャマルからも聞いたけど、最初はヴィータとフェイトちゃんからや」
「フェイトちゃんもっ!?」
 あうう、と頭を抱えてなのはは首を振っている。何やら彼女には思い当たる節があるらしい。それも本人にとっては恥ずかしい何かが。
「なーのーはーちゃ〜ん? その辺の事情、わたしにも教えてもらえんやろか〜?」
「にゃっ!? べ、別に大したことはないんだよっ!?」
 突然なのはは慌て始める。言葉には勿論説得力がない。これはいぢりがいがありそうだ。
「じゃあなんで、そんなに真っ赤なん? それに慌てることもないやろ?」
「あ、赤くなんてないよ! これが普通なのっ! それに慌ててもないってばーっ!」
「いいや、今日持ってきたリンゴ、とまではいかへんけど、それに近いくらい赤くなってるよ。何なら、鏡見る?」
「はやてちゃんっ!」
 恨めしげななのはを見ながら、はやてはどうからかったものかと思案を巡らせるのだった。
 
 
 
 
 
 本局――無限書庫。
「医療局と武装隊?」
 今日もまた追加の資料請求を受け、退室しようとしたところで書庫長の呟きを聞いたユーノは足を止めた。どうやら資料請求の依頼らしい。
 しかし、今回のものについては思うところが違う。また来たか、ではなく、ついに来たか、だ。これは自分が頼んでいたことだったから。
 依頼がなくても全力で資料を探すつもりではいたが、それで通常の業務を片手間にできるほど今の無限書庫は暇ではない。それにそれでは公私混同だ。昔ならともかく、今現在に至っては、そういうのはよいことではない。
 だからシャマルに、そしてなのはが所属する武装隊の隊長に依頼した。なのはの治療に必要な、役立ちそうな資料を、正式な依頼で請求してほしいと。もちろんこちらから話を持ち掛けたのは他言無用という条件付きでだ。
 現状で、面倒な依頼や難易度の高い依頼はほぼ全て自分に回ってくる。今回の件もそうなるだろうと踏んでいた。
 だが、
「『神経損傷による身体不随に関する資料とその治療法に関する資料』? しかも無期限で判明した物から提供、だと? こちらは……『リンカーコアの損傷と回復に関する資料』……これも期限無しで判明次第、随時提供……ふん……」
 書庫長は鼻で笑うと、ウィンドウを閉じた。
「今の依頼、振り分けないんですか?」
 たった今、自分は依頼されたばかりの資料請求を受け取ったのだ。すぐさま処理すると思っていたので問うと、
「期限がないということは、いつになっても構わんということだろう。こんな些細なものに関わっている暇はない」
 などと、書庫長は答えた。何を馬鹿なことを言っているのだろう。判明次第随時提供ということは、出揃うのを待つ時間が惜しいとことではないか。そんなことすらあの文面から読み取れなかったのだろうか。
 自分にとっては、今来た依頼はどんな依頼よりも重要な物なのだ。どうでもよさげなその表情に、カチンとくる。
「どちらも、正式な依頼なのでしょう? それを蔑ろにするんですか?」
「重要度の問題だ。医療局や武装隊が無限書庫に何を求めるというのだ? そんな事を気にしている暇があったら作業に戻れ」
 顔を顰めて、こちらを追い払うように手を振る上司。
「今の2つ、僕が受け持ちます」
 埒があかないと判断し、自分から申し出る。
「期限無し、となると時間も掛かります。それに依頼内容から察するに、特定の書架の検索だけでは終わらないでしょう。最終的には全てを検索しないと。他の司書の皆さんには荷が重いですし。ですから僕が」
 他の司書に回しても、よい結果が得られるとは思えない。整理が進んでいないこの無限書庫で、ゴールの見えない検索作業など、その事情を知らない者にとっては拷問でしかない。いずれにせよ期限のある依頼から優先して着手するのが当然で、今の無限書庫の現状では、無期限の依頼というのはいつまでも手つかずのままになることを意味する。
 それに、これは自分が依頼したことでもあるのだ。その負担を、他の司書に背負わせるつもりもなかった。
 もっともらしい理由を述べて、それを引き受けようとしたのだが、
「放っておけばいいと言ったが? それより手持ちを片付けろ」
 書庫長の態度は変わらなかった。恐らくそのまま、依頼そのものを死蔵させてしまうだろう。そして言うのだ。資料は見つからなかった、見つからない、まだ検索途中だ、といい加減な事を。
 沸々と、黒いものが湧き上がってくる。自然と言葉が口から流れ出す。
「依頼に重いも軽いもないはずです。重要度も何も、書庫長の独断じゃないですか」
「貴様……いい気に――」
「いいからそれを寄越せっ!」
 戯れ言が漏れる前に、堪えていたものを解き放った。びくり、と書庫長が驚き怯んだ瞬間、
[スプリガン]
[オーライ]
 何を、という指示すらしなかったが、自分の呼びかけに応えたスプリガンが動いた。書庫長の前にウィンドウが開かれる。それからほんの数秒。ユーノは2つの依頼を『正式』に自分のものとした。これでこんな所に用はない。ざっと内容に目を通しながら、書庫長室の外へと足を向ける。
「貴様……これで済むと思うなよ?」
 憎々しげな声が、背を打った。足を止めて振り向くと、醜い顔を負の感情でさらに醜くした男がこちらを睨んでいる。そんな上司に、逆に感情を抑えた声で告げてやる。
「そっちこそ、現実を知ったらいかがです? 司書達を消耗品扱いするなら、僕にだって考えがありますよ?」
「考えだと? ふん……たかが1人の司書に、何ができる?」
「何もできませんよ。いえ、何もしません。ただ、ここを辞めるだけです」
 一応、脅しのつもりで放った言葉を、書庫長は鼻で笑った。ああ、と悟る。この男は、それが何を意味するのかすら理解できないのか、と。
「それがどうした? 代わりなど――」
「現在、書庫が受理した検索依頼を、僕がどれだけ受け持っているのか承知の上で言ってます?」
 件数でも、そしてその内容量でも、自分以上に仕事を抱えている者はいない。管理職でありながらそれを把握できていないのだ。この名ばかりの書庫長は。
 こちらの言葉に眉をひそめ、ウィンドウを立ち上げてしばし。現状を確認したのか、書庫長の顔が青ざめていった。
「この足で人事部門に向かって退職の申請をしても、即日辞めるのは無理でも溜まった年休を消化すれば辞令交付まで休んでもおつりが来ます。年休の取得の決裁は所属の長、つまり書庫長の権限ですが、許可をもらえなくても別に無断で休めばいいだけです。それで首になったところで構いません」
 慌てて口を開きかけた書庫長に、更に言葉を放つ。
「僕が辞めて、この部署を正常稼働できるというなら好き勝手してください。勘違いしないでくださいね。貴方がいなくても、ここはやっていけるんです。いや、いない方がよほど効率よく動けるんですよ。調子に乗ってると、後悔するのはあなたの方ですよ? 無限書庫を潰した張本人、データベースを再起不能にした役立たずとして名を残したいなら話は別ですが」
 愕然とする書庫長に背を向け、顔を見ることなく続ける。
「ああ、それと。しばらくの間、昼に2時間ほど休憩をもらいます。その分、勤務開始時間を前倒しにしますけど、問題ありませんよね?」
「あ、ぐ……」
「構いませんね? では」
 返事を待たず、ユーノは書庫長室の扉を開け、外に出た。
 
 
「……くそっ!」
 普通に扉を閉めた後、腹立たしげにユーノが扉に拳を叩きつけた。派手な音が響いたが、他の司書達は全員書庫の中だ。重力の働いたこのフロアに残っている者などいない。せいぜい書庫長が突然の音に驚く程度だろう。
《やるなぁ、ユーノ》
 主の性格では、まさかあのような啖呵を切るとは思っていなかった。あのヒキガエルにはいい薬だ、と賞賛を送る。しかし主の顔は歪んでいた。
「自己嫌悪で死にたいよ……あんな言い方、卑怯極まりない……」
 先の言動を後悔する声と表情だ。今までの書庫長の態度や方針を考えれば、あの程度なら生温いとすら言えるのだが、この基本お人好しの少年は、あれを言い過ぎたと思っているらしい。
《ま、言ってることはもっともだが……お前にゃそこまでやれねぇだろ。ここで辞めたら他の司書達の負担になるし、何よりなのは嬢ちゃんのための調べ物もできねぇしな》
 司書達の性格を把握していれば、ユーノの性格を知っていれば、脅しにすらならないことなのだ。それでも慌てたあたり、どれだけあの書庫長が司書達のことを分かっていないのか、立証されたようなものだった。
《まあ、これで書庫長様も少しは懲りる――かねぇ?》
 最大の働き手を怒らせたらどうなるか、いくら何でもさすがに察しただろうと思うのだが。ユーノの負担が減るのなら、それは喜ばしいことだ。
「どうでもいいよ」
 しかしその本人は、そんなことに興味はないようだった。書庫ブロックへ向かいながら、ユーノが言う。
「さっそく、仕事に取りかかるよ。君にもしっかり協力してもらうからね」
 主が頼ってくれるのならば、その期待に応えるまでだ。マスターのために働く、それこそがデバイスの本懐なのだから。
 ユーノの言葉に対する答えは決まっている。ただ一言、こう答えるのみだ。
《All right,my master》
 
 
 
 
 
 後書き
 
 前よりは早くできましたKANです。
 久々の本編ですが、とりあえずは動き始めました。ボリューム的には少ないですが。
 本編の方は、なのはさんの入院中のお話があと少し続きます。この辺りの話は、書きたい部分があと1つなので、そう長くはならないと思いますが。あとは外伝で、ですかね。
 それではまた、次の作品で。
 
 H22.10.7 加筆修正





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