第6話:兆候
 
 
「つ、っ……!」
 苦悶の表情を浮かべる少女がいる。眉間に皺を寄せ、脂汗を流しながら、それでも目には強い意志を宿し、手すりに掴まりながら奮闘していた。
 なのはがリハビリを始めてから、まだそれ程経っていない。頑張ってはいるが、まだ自力で直立すらできないのが現状だ。
 そんな少女をヴィータはフェイトと一緒に、少し離れた場所から見ていた。
「そういやフェイト、お前、執務官試験の方、大丈夫なのか?」
 今現在、フェイトは執務官になるべく勉強中だった。狭き門である、間近に控えた執務官試験。それを突破するには並大抵の努力では足りないはずだ。だからこそ、気になって問うが、
「う、うん……勉強はしてるけど……正直、手につかないんだ」
 不安げな表情をなのはに向けたまま、フェイトがボソボソと呟くように答える。
「それ、絶対なのはに言うなよ。自分のせいでお前の勉強を邪魔したって考えるに決まってんだからよ」
「そ、そんなこと言わないよ……」
「あと、その顔も直せ。表情1つとっても、あいつに余計な気遣いさせることになるぞ」
「う……努力、する……」
 言いつつも全く変化のないフェイトの表情を見て、こっそりと溜息をついた。
 なのはを心配するのはいいが、それで自分のことを疎かにしてしまっている。これで試験に落ちようものなら、なのはに悪影響を与えかねないということにフェイトは気付いているのだろうか。
(いい加減、少しはなのは離れしなきゃいけねーんだろうけどな)
 友人という本来対等であるべき関係でありながら、フェイトの方はややなのはに依存している節がある。今の彼女があるのは、なのはのお陰なわけで、仕方ない部分もあるのだが。
 はぁ、と今度は隠しもせず溜息をつく。すると、
「そんな難しい顔してたら、何事かとなのはが勘ぐるよ」
 と横からの声。いつの間にやってきたのか、ユーノが隣に並んでいた。
「ん……そんな顔してたか?」
「うん」
 自覚がなかっただけに、自分の頬に手を当てて、動かしてみる。それで何が分かるわけでもなかったが、フェイトに偉そうに言った手前、自分がそれでは説得力がないことは確かだ。
「気をつける。ところでお前、仕事の方はいいのか?」
 フェイトとは別の意味で忙しいはずの友人に訊ねる。こちらは自分の意志に関係なく忙しさがついて回る部署にいる。そう簡単に身動きできる立場ではないはずなのだが。
「ああ、問題ないよ」
 それなのにユーノは、リハビリ中のなのはを見ながらあっさりと答えた。
「問題ねーって……」
 今の混沌とした無限書庫では、まともに家に帰ることすら危ういはずだ。特に一番の戦力であるユーノは。だというのに、
「大丈夫――黙らせてきたから」
 その一言が、脳裏で跳ね回った。今、ユーノは何と言った?
(黙らせてきた?)
 それはつまり、何かしらの手段を用いたということだ。ただ、こういう物言いをする場合、それはまっとうな方法ではないことが多いものだが。
 ぞくり、と背筋を冷たいものが伝っていく。何なのだろう、この違和感は。何なのだろう、この冷たい横顔は。今、自分の隣に立っているのは、本当にユーノ・スクライアなのだろうか?
「ん?」
 しかしこちらを見たユーノの顔は、多少疲労の色があるものの、いつもと全く同じだった。先程の違和感が何かの勘違いなのではないかと思える程に。
「どうしたの、ヴィータ?」
「……何でもねぇ」
 こちらの疑念をそのままだと見透かされそうな気がして、ユーノから顔を逸らした。知られて困ることでは――いや、自分達、叢雲の騎士はユーノを、ユーノの行動を監視しているようなものだから、知られるのは困る。今でさえガードが堅いというか、それらしい変化を見せないのに、ここで警戒させてはますますユーノの現状、心の内を知るのは厳しくなる。
「あぅっ!」
 その時、苦痛を訴える声が聞こえた。そちらを見ると、リハビリをしていたなのはが手すりの側に倒れている。
「なのはっ!」
 自分が動く前に、フェイトがそちらに駆け寄ろうとする。しかしそれよりも早く、隣にいたはずのユーノがなのはのすぐ傍まで移動していた。
(なんつー反応速度……)
 恐らく、倒れる兆候が見えた時には動き始めていたのだろう。そうでなければこの中で最速のフェイトよりも先に駆け寄ることなどできはしない。素早さそのものは以前と何ら変わらないのだから。
 隣のフェイトはユーノが来ていたことすら気付いていなかったらしく、その登場に驚いたのか足が止まっていた。
 そしてユーノは、なのはの傍で膝を曲げたまま。それ以上、何もしようとしない。
「ゆ、ユーノくん……?」
 顔だけを上げてユーノを見るなのは。先程まであった苦痛の表情はどこへやら。驚きの中には、確かに喜色が含まれていた。
「立てる?」
 それだけを、ユーノは発する。手を貸すのではない。あくまで問いかけのみ。なのはは目を何度か瞬かせた後、何も言わずに首を縦に振り、腕で身体を支え始めた。
 無理だ、とヴィータは判断する。直立もできないなのはが自力で立ち上がるなど、結果は目に見えている。ユーノだって、それくらいは分かっているだろう。それでも手を貸さず、ユーノは立ち上がって邪魔にならない位置へ移動し、なのはを見ている。
「ヴィータ……いくら何でも――」
「ああ、無理だろうな」
 今にも飛び出していきそうなフェイトに、端的に答えた。一応、念のために腕を伸ばし、動きを阻んでおく。そんな対応が不満だったのか、今のなのはの状況に耐えられないのか、こちらに非難の表情を向けてくるフェイト。しかしそれを一瞥すると再びユーノとなのはへ視線を移し、言ってやった。
「なのはが自分で決めたんだ。あたしらが出しゃばってどうすんだよ?」
 端から見れば冷たい物言いだが、自分の力で立ち上がることを選んだのはなのは本人なのだ。誰に強要されたわけでもない。全てはなのはが、自分の意志で決めること。
 だから、なのだろう。駆け寄りつつも意思確認をしただけで、ユーノが手を出さなかったのは。もっともユーノ自身、それを理解し、実行してはいても、気持ちは全く別物らしい。固く握られ、色が変わっているユーノの拳を見れば、それがよく分かる。
(よくもまぁ、我慢できるよな……)
 集中治療室の前でのことといい、病室でのことといい、どういう精神構造をしているのだろうか。どう考えても年齢相応ではない。その辺は主にしてもなのはにしてもフェイトにしても同じだが、ユーノは飛び抜けている。事故後は特に、だ。
 そんな事を考えていると、なのはが再び床に突っ伏した。ぴくり、とユーノの肩が震えたのが見えたと同時、横に伸ばしていた腕に圧力が加わる。
「ご、ごめん……やっぱり、まだ無理みたい」
 申し訳なさそうに苦笑して、なのはが言った。軽く頷いて、ユーノがなのはに肩を貸し、
「フェイト、ちょっと手伝ってくれる?」
 そして、こちらへ声を投げた。黙って腕を降ろすと、パドックから出走する競走馬のように、フェイトが飛び出していった。
 
 
 
「いい加減、鬱陶しいぞ」
 溜息をついた直後、ヴィータにそう指摘された。
 本日のリハビリメニューが終了し、なのはと別れてから、フェイトはヴィータと廊下を歩いていた。ユーノはリハビリの途中で、時間だからと無限書庫へ戻っている。
「ご、ごめん……」
 謝るものの、重い気分は全く晴れない。
 自分は一体何をしているのだろうか、と自己嫌悪に陥る。ただただ慌てふためくだけで、なのはのために何かできていたとは思えない。
 その点、ユーノは違った。気遣いつつも出しゃばることはせずになのはの自主性に任せ、必要な時だけ手を貸し、それでいて無茶はさせなかった。
 はぁ、とまた溜息が漏れた。同時に、頭に衝撃がきた。
「いっ、痛いよヴィータっ!?」
「だから、鬱陶しいっつってんだ馬鹿」
 げんこつを食らい、痛む頭を押さえながら抗議するが、こちらに向けられているのは呆れ果てた視線。う、と思わず足を止めてしまった。
「あのな、言っとくけどな」
 今度はヴィータが重い息を吐き出す。
「親しい人間があんな目に遭って、それで苦しんでるのを見れば、お前くらいの年齢ならああいう反応するのが当然なんだよ。あの場にはやてがいても、海鳴のお2人がいてもまず同じだ。だから、自分が情けないとか劣ってるとか考えるのは止めろ」
「で、でも……ユーノは――」
 ちゃんと対応していた、と言う前に、ヴィータは鼻を鳴らす。
「あっちがおかしいんだよ。しっかりしてるとか通り越して、あれは異常だっつの」
 難しそうな、不機嫌そうな顔で、ヴィータはそれ以上何も言わずに歩き続ける。フェイトはその彼女の後ろに続くしかない。リハビリ後、話があるから来いと言われてそのまま一緒に行動しているのだ。
 用件についてヴィータは一切口にしていない。一体何なのだろうかと思いつつも、ついて行くしかなかった。
 
 
 
「来たぞ」
 そう言ってヴィータが入ったのは医務室だった。後に続いて中に入ると、
「シグナム?」
「む、テスタロッサか」
 そこにいたのははやての守護騎士達。はやてとリインの姿だけがない。
「もう話したのか?」
「いんや、これから。決めるのはフェイトだけどな」
 何やらよく分からない会話を交わすシグナムとヴィータ。さて、と一呼吸置いて、ヴィータがこちらを見た。
「まず、だな。選べ。話を聞くか、それとも聞かずにこのまま帰るか」
「え……?」
 ようやく話が始まるのかと思えば、いきなりの二択だ。そんなことを言われても困る。そもそも、何を聞くのかも分からない。守護騎士達には共通の認識があるのだろうが、自分だけ蚊帳の外のままで、どうしろというのだろう?
「ヴィータ、言葉が足りん」
 すると、守護の獣がのそりと立ち上がり、こちらを見上げた。
「話というのは、ユーノのことだ」
「お前も気付いていただろう? ユーノの様子がおかしい事に」
 続くシグナムの言葉で思い返す。確かにここ最近のユーノの態度はどこかおかしかった。いや、していること自体は、第三者の視点ではおかしくないのかもしれないが、違和感は常に付きまとっている。いつもの、自分がよく知るユーノではない、そう感じることは何度もあった。
「その事について、話がある。聞く気があるなら残るといい。ただし、他言は無用だ。ここにいる者以外には、誰であろうとも話してはならん。例えそれが家族であってもだ」
 ぎらり、とザフィーラの目が光った。普段は無口な盾の守護獣が随分と饒舌なことにも驚いたが、そこまで重要な話なのだろうか。
 気がつくと手に汗が滲んでいた。ザフィーラのプレッシャーに気圧されてしまったらしい。
「もし聞く気がないのなら、あるいは聞いても口を閉じることができないと判断するならば、このまま帰るといい」
 残りの騎士達は無言。ただこちらの返事を待っている。
 ここまでの念押しをしてでないと話せないことがある。しかもそれが、ユーノに関わることだという。ならば、
「聞く。絶対に他の人には話さない。それがクロノや母さんであっても。だから教えて欲しい。ユーノに一体、何があったのかを」
 答えは決まっていた。ユーノはなのはに並んで、自分にとっての恩人だ。かつてのPT事件の折、海鳴市の海域に沈んでいたジュエルシードを強制起動させた時、なのはを自分の元へ導いてくれたのはユーノだ。当時のアースラの方針は自分の自滅を待ってからの逮捕、あるいは疲弊したところへの法執行。もしあの時、ユーノの独断でなのはが転送されていなければ、なのはや友人達と今のような関係を築けていたかどうかは分からない。
 それに事件終了後の裁判の時も、証人として力を貸してくれた。そんな友人が、何やら厄介ごとに巻き込まれているらしい。放っておけるわけがない。
「意志は変わらないな?」
 念を押すようなシグナムに、無言で頷くことで答えた。
 しかし疑問もある。どうしてこのメンバーなのか。ユーノのことを心配しているのは何も自分達だけではないはずだ。ならばユーノに縁がある者全員で考えるべき事ではないのだろうか?
「じゃあ、始めるわね」
 問いを投げようとしたが、直前でシャマルが動いた。ウィンドウが次々と表示されていく。
「これは?」
「ユーノ君から提供された資料よ」
「資料?」
「ああ。ユーノがな、シャマルに話を持ち掛けてきたらしい。なのはの治療に必要な情報を、正式な形で依頼してくれ、とな」
「同じようなことを、武装隊の隊長にも頼んでた」
 シグナムとヴィータが、難しい顔でそれらのウィンドウを眺めている。
「半身不随に関する資料と、リンカーコアに関する資料。まあ、民間療法レベルの眉唾なものから理論の欠陥を指摘されたものまで、片っ端から全部送ってくるから、整理しない限り使えないんだけど……」
 はぁ、とシャマルが溜息ひとつ。そして、ユーノからの要請だということは内密に、と釘を刺された。
「まあ、それはいいの。正直、助かるし。でもだからって、ユーノ君が無茶していいって事じゃないのよ」
 正式な依頼にしてくれ、というのは公私混同を避けるため、そして勤務中に堂々と検索をするためだろう。外や周りから文句を言われない体裁を整えたのだ。それなら何が無茶なのか、と何げに近くの資料を見た。内容はよく分からないが、これはリンカーコアに関する記述らしい。
「え……?」
 様式の一部を見て思わず声が漏れてしまったが、他の資料も確認してみる。いくつかは先程見たものと大差なかった。
「無茶って言うのはそれ。資料は常に送られてきてる。判明した物から送ってくれって言ってるからなんだけど……」
 シャマルの眉間に皺が寄った。そして再び、今度は大きな溜息をついた。
「まさか、そんな時間にまで送ってくるとは思わなかったわ」
 自分が気付いたのもそこだった。送信日時が勤務時間外なのだ。それだけならまだいい。しかしシャマルが指摘したように、送信時間がありえない。夜、深夜、そして早朝。 一体、いつ寝ているのだろうかユーノは。
「まあ、数日徹夜をすることはあるから、今はまだ様子見なんだけどね」
 ユーノが書庫の業務で無茶をしているのは分かった。だがそれだけならばシャマルの言うとおり、なのはの事故以前のユーノでもあったことだ。ヴォルケンリッターが今になって一丸となって考えるようなことには思えない。だから単刀直入に、その理由を尋ねた。
「あの……みんなはどうして、ユーノのことを気に懸けてるの?」
 8つの目が一斉にこちらを見た。何でそんなことを聞くんだと言いたげな視線に怯んだが、それでも聞かないことには始まらない。言い方がまずかったかなと反省しつつ、再度問う。
「あ、あの、ユーノがおかしいって気付いてるのは分かるんだよ? 心配してるのも分かる。だけど、何がみんなにここまでさせるの? みんなは一体、ユーノの何を心配してるの?」
 問題はそこなのだ。守護騎士達が主に内密にしてまで動いている理由。他言無用という理由。それを知りたかった。
「そうか、そこから説明しなくてはならなかったか」
 シグナムは残りの騎士達を見て、何やら確認するような素振りを見せるとこちらを向いた。
「我々が危惧しているのは、ユーノが変質してしまうのではないかということだ」
「ユーノが……変質?」
「ああ。身体的にではなく、精神的に、という意味だがな。心が壊れる、と言い換えてもいい」
「あー……お前も聞いただろ? あの時の声」
 続くヴィータの言葉で思い出すのは、集中治療室の前で聞いた、悲鳴にも似た咆吼。ユーノの本心。思い出すだけで、また少し胸が痛んだ。
「テスタロッサ、お前はあの声を聞いて強い悲しみを感じ取ったはずだ。だが、それだけではないのだ。そんな単純な感情ではない」
「あれはね、単一の感情じゃなくて、色々な負の感情が混じり合ったものなのよ」
 負の感情、と言われても正直ピンとこなかった。シグナムの言うとおり、あの時自分が感じたのは、強い悲しみだけだったから。
 しかし騎士達は、あの声からユーノの異変に気付いていたらしい。そういえばあの時のヴィータとシャマルは何やら複雑な表情をしていたが、それが原因だったのだろうか。
「悲しいとかつらいとかの、自分の中の感情は仕方ねぇ。やった奴が憎いとか、許せねぇとか、本来外に向ける攻撃的な負の感情ってのも、まだマシだ。でもあの時のユーノのあれは……外じゃなくて内――自分に向けられてたから」
 ヴィータの顔が、歪んだ。
「そういうのは一度弾けちまうと、何をしでかすか分からねーからヤバイんだ。周りが見えなくなって悪い方へ進むことが圧倒的に多い。特にあいつみたいに、何でも自分で抱え込んで溜め込む上に、それを発散するのが苦手そうなタイプはな」
 危惧と言うより、暗にユーノがそうなると言っているように聞こえた。しかしあの優しいユーノがそのようになるというのが、どうしても納得できないし、想像もできない。
「だからって、ユーノがそうなるとは……それに、何を根拠に――」
「忘れたのか? あたしらは『闇の書の守護騎士』だったんだ」
 そういうのを生み出してきた側なんだよ、とヴィータは即答した。
 何の根拠もなければ信じないままでいられたかもしれない。ユーノがそんな風になるわけがない、と。しかしヴィータの言葉は、他の騎士達の纏う空気は、今までの言葉に説得力を持たせるには余りあるもので。
 否定の言葉を、フェイトはそれ以上紡ぐことはできなかった。
 
 
 
 
 
 後書き
 
 KANです。
 なのはさん、リハビリ開始。その周囲の状況を書いてみました。フェイトさんには重荷を増しただけですが。なのはさんの心配とユーノの心配。そりゃ試験勉強なんてできんわな(汗)
 本編上では、入院中のお話は恐らく次で終わります。普通には無理でもある程度歩けるようになったら、海鳴に戻ってリハビリ続けるでしょうし。
 それではまた、次の作品で。
 
 H22.10.7 加筆修正





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