第四章 The world 【貴女の世界】





「………これで、当面は大丈夫だと思う」

 すずかの手当てを終えて、ユーノは血で汚れた両手を拭った。

 手を清めたユーノは、破いてしまった服の変わりに自分のマントを布団のようにかぶせて、彼女を見下ろすようにその隣に胡坐をかいた。

 軽く額に手を当てながら、容態を診察してみる。

 すずかの血の気がうせていた肌には僅かながら赤みが戻り、呼吸も安定してきている。傷口も大方ふさいだので、何かない限りはこのまま回復できるだろう。

 ようやく危険を脱した安堵に、ユーノの肩から力が抜けた。

「……ふぅ。一時はどうなるかと思ったよ」

『感謝します、ユーノ様』

「気にしないで。僕はするべき事をしただけだから」

 ユーノは力なく微笑んだ。

 もともと補助魔法を得意としているとはいえ、それでも瀕死の重傷だった人間を立ち直るまでに回復させたのだ、ユーノの消耗はそう少なくはない。

 だが、そう長々と休むわけには行かない。

 手当てをしながらヘルマフロディトスから聞いた事が本当なら、一刻も早くアリサを探さなくてはならない。

「とはいえ、僕一人じゃ探し出すのは困難か……」

 かり、と携帯食を齧りながら呟く。

 この隔離結界、すずかが抜け出せず四苦八苦していただけあり範囲が洒落にならない。この中から、連れて行かれたアリサを探すとなると並大抵の苦労ではすまないだろう。

 でも現在、結界内にいるのはユーノのみ。フェイトとアルフ、ゲイルは罠に捕らえられて動けないし、なのはも追ってくる様子がない。Bチームやアースラにいたっては元々音信不通だ。

 ここは、ユーノ一人でどうにかしなければならない。

「……口で言うのは簡単だけどね……」

 そもそも、見つけてどうするのだというのだ。

 ヘルマフロディトスの話が事実なら、その相手は到底ユーノの手に負える相手ではない。ユーノは結界魔導師であり、防御関連はそれなりではあるが攻撃魔法の類は全く使えないといってよいのだ。

 それでは、ただやられないだけだ。そして防戦一方しか出来ないのでは結果も見えている。

 だが、それでも。

 それでもやらなければならない事が、ある。

「………」

『ユーノ様、どちらに?』

「ちょっと、警戒してくる。……防御と癒しの結界を張っておくから、動かないで。……鋼の守りのうちに、癒しの力を与えたまえ……結界、展開」

 ユーノの詠唱に答えて、緑色の魔法陣が浮かび上がる。

 防御と回復の結界魔法。かつて闇の書事件においてもユーノが使用した、上位結界魔法の一つだ。

 その中心でやすらかな寝息を立てているすずかを一度だけ見つめて、ユーノは歩き出した。

「………謝る機会があったら、ちゃんと謝るよ」

 呟いて、クレバスから一歩、二歩……離れていく。

 そして100mも歩いた所で、彼は歩みを止めた。

 両手を軽く握り、肩幅に脚を軽く。心無し重心を落とした、戦いの構え。目を軽く閉じたまま、ユーノは低くつげた。

「……でておいで」

「おおせのままに」

 恭しく畏まった口調の声。

 ユーノが目を開くと、彼の前にすずかが立っていた。

 だが、服装が違う。

 紫のドレスはタキシードに変わり、右手は中でなく剣を持っている。それ以外は完璧にすずかにしか見えない目の前の存在を前に、ユーノは小さく溜息をついた。

 驚愕か、それとも呆れか。それとも、そのどちらでもないのか。

 ユーノの態度に何か思う所があるのか、すずか……否、スズカは小さく苦笑を浮かべた。

 その微笑みは、ユーノにとっての本物となんら変わらない。その事が、またユーノに複雑な感情を抱かせた。

「………その態度は、ちょっと傷つくなぁ……」

「……そう。ならゴメンね」

 ユーノの態度はあくまでそっけない。彼は、スズカを真正面から見据えるともう一度目を閉じた。

「アリサはどこ?」

「私が今、預かってる。あのままだと、危なかったからね」

「……どうして、すずかを?」

「彼女が望んだから」

 にこり、とスズカは笑みを浮かべた。

「彼女は望んだの。化け物でない自分を、アリサを助けてくれる自分を、何よりも強い自分を、そしてアリサを手にかけた自分を消してくれる自分を」

「……それがこの結界の消去プログラムの最終段階だね。取り込んだ者の絶対に勝てないイメ−ジを具現化して、それと戦わせる。……人の分岐の果て、最強として作り出された自分に勝てる道理はない」

「その通り。でも私はちょっと違ってて、プログラムに本物の私の意志が混じって生まれたの。だから、偽者呼ばわりはやめて欲しいなあ。私も、月村すずかなんだよ?」

「………もう一つ。……結界の外で襲ってきたのは?今、なのはが戦ってる」

「ああ……あれね。なのはちゃん達ったら、どこをどう彷徨ったのか、結界システムの走ってる壁を壊しちゃうし、クロノさん達防衛システムが結界内に送り込む兵器を全部壊しちゃった上に派手に荒らして行ったからね、結界が誤作動したんだと思うよ」

「………クロノ達もか」

「ちなみに、クロノさん達も現在分身と交戦中。……どっちも、両者の持つ最悪のイメージを最強の形で具現化したものだからね。……もってあと数分かな?」

 ほがらかな顔であっけらかんと最悪の事実を告げるスズカに、ユーノはげっそりとした表情を浮かべた。

「………だからやめてっていったんですゲイル隊長…」

「全くだね」

 まるで、旧来の友人同士が話しているかのような、ほがらかな雰囲気が二人に漂う。

 それを感じながらも、ユーノは最後に一つ、ずっと気になっていた事を口にした。

「あの、さ」

「何?ユーノくん」

「どうして、そんな事を教えてくれるの?」

「……だって、ユーノ君の事、嫌いじゃないもの」

 屈託の無い、笑顔。

「……そっか。じゃあ」

「けどね。それとこれとは、別の話なの」

 次の瞬間、二人の間に魔力の爆発が生じた。

 巻き起こった噴煙から、転がるように飛び出してくる二人。ユーノは手にラウンドシールドを、スズカは展開状態の金の剣を握っていた。

「くぅっ」

 かろうじて持ちこたえた障壁を展開したまま、ユーノは噴煙を挟んで立つであろうスズカをにらみつけた。

 ……裏切られた、という気持ちが僅かでもあるのは、自分が事の本質を理解していないだろうか。

「……ごめんね、ユーノくん」

「……いいよ。これで、ふんぎりがついた」

 ぎゅ、と拳を握り締めるユーノ。覚悟を決めた彼の瞳を見て、スズカは悲しそうに目を伏せた。

「……抵抗しないで。貴方を必要以上に傷つけたくないの……」

「断る。僕は、戦うと決めたんだ」

「そう、ですか………」

『Knight form』

 ボッ、と空気を震わせて、スズカの体から魔力があふれ出す。その圧倒的な魔力差に首筋がちりちりと震えるのを感じながらも、ユーノはラウンドシールドに注ぎ込む魔力を強化した。

 ぎらり、と金の剣から伸びる銀の刃の切っ先が、ユーノに突きつけられる。

「……それでは、実力で叩き潰させてもらいますね」

「出来るものなら………」

 輝きを増す、翠の盾を前に翳し、ユーノはスズカ目掛けて駆け出した。

「……やってみてよっ!!!」

(なのは……急いで……!)




「エクセリオン・バスターーーーッ!!!」

 桜色の魔力砲が迸る。

 並大抵の防壁なら、一撃で粉砕し消滅せしめる威力を秘めたその必殺の一撃は、しかし対抗して放たれた同じ桜色の砲撃に打ち消された。

 自分のモノと同じ、砲撃魔法。だが、その出力は桁違いだ。

 膨大な魔力同士が相殺し、天地を揺るがすような衝撃が遺跡を振るわせる。

 その衝撃の中で、なのははぼろぼろの格好で、それでもしっかりとレイジングハート・エクセリオンを握りなおした。巻き上がる煙の先を、濁りの無い強い瞳で見据える。

「………やっぱり、互角……!」

「……互角?違うよ……」

 あざ笑うような、もう一人の自分の声。

 煙を吹き飛ばして、彼女がレイジングハートを手に飛び出してくる。咄嗟に迎撃しようとしたなのはは、しかし慌てて後方へと距離をとった。

 直後、煙に紛れるようにして飛び出してきた四発のディバインシューターが、なのはに襲い掛かった。

 だが距離をとったおかげでなんとか反応が間に合い、防御結界が四発の光弾を弾き返し、霧散させる。

 そこに、襲い掛かる彼女の砲撃。それはあっさりとなのはの張った桜色の防壁を打ち崩し、無防備ななのは目掛けて襲い掛かった。

「っ!」

『Reacter Purge』

 なのはが撃ち抜かれる直前で、バリアジャケットが砕け散る。その反動でなのはの体は射線上から僅かに離脱し、魔力の余波がその体を焦がすだけにとどまった。目標を失った砲撃はそのまま突き進み、遺跡の床に直撃。巨大な爆発を起こし、遺跡を振るわせる。

 圧倒的な破壊力。それを見せ付けたにも関わらず、砲撃の主は不満そうに眉をしかめた。手に持つレイジングハートをくるくると回して持ち直す。

『...Sorry,my master』

「ううん、いいよレイジングハート。……今ので終わると、思ったんだけどね」

 遺跡の天井付近。放熱ダクトを開くレイジングハートを手に、彼女は眼下を見下ろした。

 その視線の先、上半身の上着の部分が消滅し黒いトレーナーのようなものをのぞかせる状態で、なのはが右手を庇うように横たわっていた。

「……レイジングハート、まだいける?」

『All right』

「そう。……頑張らなくちゃね。でも、ちょっときついかな……」

 痛みに耐えるように、顔をしかめるなのは。

 確かに、先ほどの攻撃はかろうじて直撃をさける事ができた。だが、バリアジャケットパージに伴う防御力低下、さらには尋常ではない砲撃出力による余波のダメージは少なくは無い。

 ほぼ互角、いややや不利な現状ではこの損傷は致命的といってよい。

 だが、それでもなのはは立ち上がった。

 負けられない。

 負けるわけにはいかない。

 その一念が、なのはを突き動かした。意思を込めた強い瞳で、見下ろす彼女を見上げる。

「まだ……だよ」

「………あきれちゃった。あれでまだ、立ち上がるの?」

「あなたも私なら、当然でしょう?」

「……そうだね。けど、私と貴女は……同じでも、違う」

 彼女の声が、暗く染まった。そこに含まれるのは、憎悪の色。

『Divine Shooter Full Power』

 桜色の豪雨が、降り注いだ。

 なのはは敢えて飛び上がらず、床に脚をつけたままでプロテクションを展開した。半球状の防壁を次々と降り注ぐディバインシューターが撃ち、穿つ。

「ぅぅぅうぅうう……っ」

「貴女は分かってない……自分が、どれだけの可能性を踏みつけてきたのかを!どれだけの幸運の上に今の幸せがあるのかを!貴女なんかに……分かるわけがないっ!」

「………だから……」

 防壁が爆発した。砕け散る桜色の輝き。

 しかしそれは破壊されたからではなかった。爆発に伴う衝撃とエネルギーが、桜色の豪雨を押しのける。

 その中央で、輝く光の翼を広げた天使が一人。

「……言わなくちゃ、何もわからないってばぁっ!!」

「っ!?」

 一瞬で距離を零にした二人がぶつかり合う。そのまま、なのはの勢いにまける形で二人はもつれあったまま遺跡の壁へと衝突した。

 これまでの戦闘でガタが来ていたのか、呆気なく崩壊する壁。二人そろって、遺跡の別のエリアへと落ちていく。

 暗闇の中、地面に叩きつけられる前に二人は弾かれるように距離をとった。闇に桜色の翼を煌かせて、なのはと彼女は再び向かい合う。

「くぅ……流石私、無茶苦茶な……っ」

「無茶苦茶でいいいよ!話を……聞かせてもらえるならっ!」

 バリアジャケットを再構成したなのはが、レイジングハート・エクセリオンを構える。予想していた分、彼女の方が体制を立て直すのは早かった。

「ディバイン・バスター!」

「分からないの?そんなの……通じないんだってば」

 迸る桜色の魔砲に、しかし彼女は呆れたとでもいうかのように肩をすくめた。

 それもそうだろう。旧型のレイジングハートを操る彼女のディバインバスターに、なのはは改修型であるレイジングハート・エクセリオンのエクセリオンバスターをもってしてようやく互角の戦いを演じていた。今さら開放出力に劣るディバインバスターを放たれたとしても、彼女はものともしないだろう。

 そう。

 そんな事は、分かりきっている。

 何故かは分からないが、彼女は砲撃戦においてこちらの数段上を行っている。それは、カートリッジを併用してはじめて互角である現状が全てを説明している。

 だが、それでも彼女が高町なのはである事には変わりない。その戦闘スタイル、デバイスの能力。その点が同じであるなら、一つだけ……そう、一つだけあちらになくてこちらにしかない切り札が存在する。

 それは。

「無駄なあがきだね……」

 ラウンドシールドの前に、コンクリートにぶつかった波のように霧散するディバインバスター。

 霧散した残留魔力が、波のしぶきのようにはかなく散る。

『Ignition』

 そしてその向こう。

 桜色の波頭を乗り越えて、突き進む天使の翼。

「……そんなっ!?ディバインバスターを……突き抜けてきたっ!?」

「ぁぁぁああああああああっ!!」

―――Excellion Buster Accelerate Charge System――――

 硬質的な音を立てて、ストライクフレームが高町なのはの防壁に突き刺さる。高密度防御壁と、槍の穂先のごとき魔力の刃が互いに削りあい、火花を上げた。

だが、その判断は間違い。

 エクセリオンバスターA.C.S。その本領は、対バリア突破能力にこそある。たとえどれほど強度なバリアであろうと、否、それだからこそ使い手であるなのはが諦めぬ限り、突破できない壁はない。

 何故ならば、A.C.Sには、なのはの「思いを貫く覚悟」が込められているから。どんな逆境も、どんな悲劇も、どんな困難だって、貫き通しまっすぐであろうという、その覚悟が。

「いっけぇえええええええっ!!」

『Full Power』

 ぎち、とストライクフレームの切っ先が動いた。ゆっくりと、しかし確実に、輝く防壁を侵食していく。

 それを見て防壁の出力が跳ね上がるが、しかしそれで止められるはずも無い。

 向かい合う彼女の表情に、初めて動揺が奔った。

「そ、そんな……止まって、止まってぇえええっ!」

「止められる……もんかぁああああっ!!」

 残った魔力を叩き込んで、なのはは強く、強く踏み込んだ。レイジングハート・エクセリオンから広がるフライヤーフィンが、力強く羽ばたく。

 そして………遂に、フレームの先端がバリアを突き破った。

 魔力刃にして砲身であるストライクフレームが、彼女へと突きつけられる。

「レイジングハート!!!」

 怒涛の勢いでカートリッジが排出される。その数、実に三つ。爆発的に跳ね上がった魔力を全て注ぎ込んで、桜色の閃光が迸った。

 フルドライブ起動に一発、ACS起動に二つ、さらに限界状態での砲撃の為に三つ。合計六つものカートリッジを消費して放たれる、高町なのは最大最強の切り札が今、完成する。

「ブレイク……シューートッ!!」

『Excellion Buster』

 一瞬で膨れ上がった輝きが、砕け散る防壁も、広がる闇も、そして驚きに目を見開く彼女の姿も全て、飲み込んでいく。

「そんな……そんなのって!!」

 搾り出すような絶叫すら飲み込んで、六翼が雄雄しく羽ばたいた。雄雄しく、力強く、そして……誇り高く。

 それが翼をたたむかのように収束したかと思われた瞬間、彗星のような輝きを一筋、彼方へと放った。




 夢を、見ました。

 とても哀しくて、辛くて、冷たい、夢を。

 誰もいない世界でたった独り残されて。

 「来るな」と。「追ってくるな」と残されて。

 唯独り、先に逝った人達を思い過ごす日々を。

 そんな、夢を見ました。




「…………さすが、だね……」

 呟かれた言葉は、蚊の鳴く音よりも小さかった。

 眼前で横たわり、目を閉じて動かない彼女の前で、なのはは小さく顔を伏せて、立ち尽くしていた。

 先ほどの一撃は、確実に彼女の戦闘能力を根こそぎ奪っていた。だが、殺傷設定であったにも関わらず彼女の体は深く傷つき、燐光を帯びて徐々消滅しつつある。

 ………魔法によって生み出された、擬似生命体の末路だ。

「……ふふ……一撃くらい、耐える自信があったんだけどな……」

「貴女は………何なの?」

 小さく掠れるようななのはの言葉に、倒れたままの彼女は小さく苦笑した。

「私は……貴女だよ。この遺跡の防衛プログラムが、貴女のリンンカーコアを下に人生を再現して作り出した、貴女の選択肢の一つ……あったかもしれない、高町なのはの成れの果て」

「成れの……果て?」

「……そうだよ。最悪の結果を迎えた……その先の存在」

 うっすらと、彼女は目を開いた。そこに、先ほどまでの激情はなく、ただ……悲しみを称えた光だけがあった。

「そう……。私は、誰も助けられなかった……。フェイトちゃんも、すずかちゃんも、アリサちゃんも、リンディさんも、はやてちゃんも、ヴィータちゃん、シグナムさん、ザフィーラさん、シャマルさん、クロノくん、母さん父さん、見知らぬたくさんの人………そしてユーノ君も、助けられなかった」

 つぅ……と、その頬を涙が伝った。それが頬から零れ落ち……すぐに、光になって消える。

「私は……何も、救えなかった。貴女のようには、出来なかった……」

「……それは……」

 なのはは、何もいえなかった。

 彼女自身、全くその事を考えた事が無い訳ではない。どれだけの幸運の上に、今の自分があるのかに思い悩んだこともある。Ifの世界の事に、思いを馳せた事もある。

「………だから、私を?」

「……ごめんね……嫉妬だって、意味の無い感情だって、分かってた……。けど……やっぱり、納得出来なかったの……ごめんね……本当に、ごめんね……」

 それは、自分自身でもあったからなのだろうか。

 その悲しみは、慟哭は、憎悪は……なのはにとっても、他人事ではなかった。

 なのはの胸に膨れ上がる、得体の知れない感情。それが彼女の抱えていた思いだと理解した瞬間、なのははようやく、全てを理解した。

「ううん、そんな事ないよ……」

 気がつけば、なのはも涙を流していた。震える手で、今にも消えいく彼女の右手を両手で包むように、そっと抱きしめる。

「……なのは……」

「私……忘れないから。貴女がいた事……貴女が私だった事……全部、全部……」

 ぽろぽろと、透明な雫が彼女の頬に落ちる。ぎゅ、と手を抱きしめて涙を流すなのはの姿に、彼女はどこか安らいだ表情を見せた。

「ふふ………そっか……。忘れない、か……」

「うん、忘れない……忘れないから……」

 その言葉に、彼女は満足そうに……小さく、微笑んだ。

「………ねえ、私……。最後に、一つだけ聞いてくれる……?」

「何……?」

「自分に、もっと正直に生きて……。建前とか、そんなもので本心を隠さないで……。失われた後で気がついても、それはもう遅いから……」

 懇願するような、彼女の言葉。まるで自分の全てを注ぎ込んだような必死さの宿ったその言葉に、なのはは訳も分からず息を呑んだ。

 まるで、自分の心の奥にある何よりも大事な事を、今口にしている……、そんな気がしたのだ。

「……何の、事なの?」

「……それを、私が言っても意味はないよ……。でも、貴女も本当は分かってるはずだから……。だって、貴女は私だもの」

 その言葉をきっかけにしたかのように、なのはの手の中で急に彼女の感触が薄らぎ始めた。目を見開くなのはの前で、彼女の体は燐光に包まれ、急速に崩壊していく。

「待って!私、まだ貴女と話したい事が……っ!」

『……さようなら、私……。気がついたなら、絶対に手放さないで……彼の事を……』

「そんな、待って!待ってよ、私っ!!」

『…………ありがとう。そして、ごめんなさい……』

 そして、彼女は。

 何一つ残さずに、光になって消えていった。

「…………」

 残されたなのはは一人、手の中に残った彼女の温かみを強く、強く抱きしめた。

『...Master』

「……うん。大丈夫だよ、レイジングハート」

 淡々としていながらも、レイジングハートの声にはどこか気遣うような響きがあった。

 なのはは涙を拭い、立ち上がる。

 その瞳には既に悲しみは無い。思いは今は胸の奥にしまいこんで、己がなすべき事をただ、まっすぐに見つめる瞳が戻っていた。

「いこう、レイジングハート。ユーノ君とすずかちゃんの所に」

『Yes,My Master』

 なのはの言葉に答え、桜色の翼が展開される。それは一度だけ優しく羽ばたくと、なのはの体を宙へと舞い上がらせた。

「さあ、いくよ。レイジングハー……」

『WARNING!!』

 突如、レイジングハートが放つ警告音。

 強大な魔力の波動をなのはが感じると同時に、横手の壁が爆発と共に吹き飛んだ。何事かと目を見開くなのはの目の前に、落ちてくる見慣れた人影。

 はやてを抱きかかえるようにして、クロノが真っ逆さまに落ちていく。飛行魔法を使う気配は、無い。気を失っている。

「クロノ君!はやてちゃんっ!」

 慌ててその下に回りこんで、二人を受け止めるなのは。流石に小柄とはいえ二人分の人間を抱きかかえた事でぐっ、と高度が落ちるが、なのはは何とか持ちこたえた。

「クロノ君、はやてちゃん!どうしたの、何があったの!?」

「う……。……な、なのはか……」

「ちょっと待って、今下に下ろすから……」

「っ、なのは、伏せろっ!?」

「え?」

 突然、クロノがなのはの腕から身を乗り出した。戸惑うなのはにかまわず、右手を突き出してプロテクションを展開する。

 直後、その防壁を目に見えないほどの速度で迸った紅い閃光が穿った。爆発が起き、吹き飛ばされる三者。

 その表紙に、クロノの体が投げ出されるが彼はしっかりとはやてを抱えたまま、浮遊魔法で空中にとどまった。

 その事に安堵したなのはだったが、すぐに敵意を感じて顔を上げる。

 砕け散った壁の向こう。

 かつて感じた、悲しい魔力の本流を感じて、なのはは息を飲んだ。

 なのはは言った。「ここでは、何が起きても不思議じゃない」と。ならば、これもまたあって然るべきなのだろう。

「………リインフォース、さん」

 なのはの呟きに答えることも無く。

 銀の髪と赤い瞳の黒き少女は。祝福の風、リインフォースは。ただ静かに……翼を広げた。



 気がつけば、すずかは見知らぬ場所に佇んでいた。

 白く高い柱と、大理石の詰められた吹き抜けの回廊。柔らかな日差しが燦燦と差し込み、回廊の外には小奇麗に整理された翠の庭園。

 まっすぐ廊下を進めば、やはり白い建物へと道が吸い込まれていて、その入り口は光が差しているにも関わらず、暗く、深い。まるで、深淵に続いてでもいるかのようだった。

「ここは、どこ……?」

 何故、自分はここにいるのだろうか。

 ぼんやりとした頭ですずかは考えた。だが、思い出せない。まるで深い霧の中に沈んでしまったかのように、記憶は酷く曖昧で、断片的な何かが見え隠れするだけ。

 ただ、一つだけ分かる事がある。それは。

「……私は、罪人だから」

 浮かび上がるように、その言葉は口をついて出た。それを切欠にしたかのように、すずかの胸を酷い痛みが襲った。

 その痛みに耐えられず、すずかは苦悶の声を上げてその場に突っ伏した。胸を強く押さえつけて、受身もとれずに廊下に倒れこむ。だが、痛みはますます酷くなっていく。

 突き刺すような痛みとも、引き裂くような痛みとも違う。まるで締め上げられ、押しつぶされるようなその痛み。

 ……それが犯した罪の重みとでもいうように。

「ぐぅ、あぅ……ぐぅうう……」

 痛みに息を荒くしながら、すずかはよろよろと身を起こした。だが、数秒と立っていられずよろめき、廊下の柱に身を預ける。

 よろよろと顔を上げたすずかは、廊下の先に続いている闇に目を向けた。

 まるで諦めたかのように、受け入れたかのように、その瞳から光が消える。虚ろに淀んだ瞳で、すずかはゆっくりと、廊下の終わりへと歩き始めた。

「……分かったよ……これ、あの世なんだ……」

 死んでいるから。魂だけだから。

 だからきっと、覚えてもいない罪がこんなにも痛いのだろう。

 この廊下は、あの世への道。その先にある黒い闇は、きっと地獄か何か。

 ……罪を犯した罪人なら、当然の事だ。

 だって、私は、大事な、人を……。

「………アハ、ハハハ……」

 受け入れてしまえば、後は楽だった。痛みは感じるが、だがそれも今となっては愛おしくさえ感じる。

 こんな痛み等、どうという事はない。自分自身が犯した罪の重さに比べれば、あまりにも軽いぐらいだ。そう、それだけ自分は、やってはいけない事をした。

「……そうだよ。私、なんて……」


「……何をしているのですか?」


 ふいに、柔らかな声がすずかの耳朶に届いた。

 すずかがそちらに目を向けると、廊下の外、明るい庭園に設けられた小さなテーブルで、一人の女性が紅茶を嗜んでいた。

 すずかと同じ紫の、しかしくせのないストレートの長い髪。スタイルも姉の忍に負けず劣らずの美人で、すずかのバリアジャケットにもにた黒いドレスがそのスタイルを引き立てているようにも見える。肌は白く、そして何より、目を引くのはその相貌だった。まるで、映画か何かのヒロインのよう。

 呆然とそちらを見つめるすずかに、女性はにっこりと笑いかけた。

「そんな所にいないで、こちらに来てはどうですか?」

「え………」

 すずかは躊躇った。二、三度、自分の立つ廊下と光の差す庭の間で視線を彷徨わせる。

 そして、首を小さく横に振った。

 ……自分に、あの明るい場所に踏み出す資格は無い。その考えが、どうしても頭から離れない。

「……どうしたのですか?そちらは暗いでしょう?冷たいでしょう?」

「………で、でも……」

 すずかは泣き笑いの表情を浮かべて、もう一度首を横に振った。

「……私は、そっちにはいっちゃいけないから……」

「そんな事はありませんよ」

 切り込むような言葉だった。

 びくり、と体を震わせてようやく目を合わせてきたすずかに、女性は柔らかい笑みを深くした。

 だが、その目は力強い光を称え、すずかの心を見通すかのようだった。圧力なき迫力に、思わず魅入られるすずか。

 気がつけば、首を縦に振っていた。

「おいで。何も、怖いことはないから」

「う、うん………」

 おずおずと、すずかはゆっくりと庭に脚を踏み出した。小さな足先がさまようようにゆらゆらと揺れて、しばらくの逡巡の後……しっかりと、土を踏みしめた。

 そのまま、ゆっくりと……ゆっくりと、女性に向けて歩みだす。

 痛みは相変わらずすずかを苛み、苦痛が足取りをゆらつかせる。だが、すずかはしっかりと歩みを刻み、女性へと歩んでいく。

「こちらに、座りなさい」

 女性が椅子を引き、すずかが腰掛ける。顔色の悪い彼女の前に、一人分のティーセットが差し出された。

 白い陶器のカップの中で、少し薄めの琥珀色の液体が波打ち、すずかの顔を映し出していた。

 酷い顔、とすずかは思った。

「飲みなさい。体が冷えていると、心も冷えてしまうわ」

「……あ、ありがとう……」

 すずかは礼を告げると、紅茶を口にした。

 ……暖かい。

 ゆっくりと染み渡るような熱さに、すずかは小さく息を吐いた。

「どう?落ち着きましたか?」

「う、うん……ありがとうございます……」

 紅茶のカップを置いて、おずおずと見上げるように見つめてくるすずかに、女性は小さく笑みを浮かべた。

 そして、自分もまたカップを手に取り、一口。

「……これはハーブティーでね。飲むと、気分が少し落ち着くの」

「……ハーブティー、ですか」

 すずかは、改めて紅茶を口にしてみた。なるほど、さっきは味なんて分からなかったが、確かにこの味はノエルがティータイムに時折入れてくれたハーブティーの味ににている。辛い時や悲しい時、ノエルは何も言わずに、こうしてハーブティーを淹れてくれたものだった。

「………ノエル」

 ずきり、と胸の奥で何かが傷む。

 その痛みは、胸を引き裂く痛みとは違う。嗜める様な、咎めるような……引きとめるような、そんな痛み。

 優しい、痛み。

「………貴女はどうして、あそこにいたのですか?」

「え?」

 見上げた瞳と瞳があった。

 蒼い瞳の中に、戸惑うようなすずかの顔が浮かんでいる。

 女性は、諭すようにもう一度呟いた。

「どうして、貴女はあそこにいたのですか?」

「それは……私は、罪を犯したから…」

 ぎゅ、とティーカップを握り締める。

「私は………あそこに、いちゃいけないんです……」

 そう。罪を犯した者は罰せられなければいけない。それは、当然の事で。

 だから、あの暖かい場所に、自分の居場所はなくて。だから。

 だけど、紫の女性はすずかに尋ねた。

「………では、犯した罪とはなんなのですか?」

「え?」

「どのような罪を犯したから、貴女はあそこに居なければならなかったのですか?」

「………あ」

「忘れているはずがありません。貴女はただ……忘れているフリをしているだけです」

 糾弾のような、女性の言葉。それに撃たれて、すずかは我に返った。

 罪の、形。

 思い返されるのは、舞い散る金のイメージ。喉を流れた、紅い命の熱さ。

 信じると、信じてくれると告げてくれた最愛のヒトの命をすすった、浅ましい己。結局、怪物でしかいられなかった自分。

 それは。

「…………私は、アリサちゃんをこの手に、かけた……」

 言ってしまえば、もう止まらなかった。

 すずかはテーブルに突っ伏して、ぽろぽろと涙をこぼした。

「信じてくれるって、信じ続けてくれるって……親友だって、言ってくれたのに!こんな、こんな私を、信じてくれたのに!それを……私は、私は……」

 閉じた瞳から、ぽろぽろと涙が溢れる。それは、頬をつたって流れ、ぽつぽつと彼女の握り締めた拳を濡らした。

 だが、紫の女性はただ黙って……すずかの肩に手を置いた。

「………そうなのですか?」

「………え?」

「……貴女が苦しんでいるのは、本当にそれだけなのですか?」

「他に何があるんですか……?私が、私を信じてくれた人を手にかけた、それ以外に……」

 輝きの消えた暗い瞳で、紫の瞳を見上げる。流れる涙を隠さないまま、彼女はふるふると首を振った。

「私なんて、居なければよかったんです……。居なければ、アリサちゃんもみんなも、誰一人傷つく事なんてなかった……。私は、私は………っ」

「だから、死んでしまえばいいと?」

「っ」

 びくり、と体を震わせて、目をそらすすずか。だが女性は悲しそうな表情を浮かべながら、すずかのティーカップを指差した。

「………それは違いますよ」

「何が……何が違うんです?どうして、そう言えるんです?」

「少なくとも、誰一人として……貴女が居なければいいなんて、思っていませんよ。そして、貴女がいなければ良かった、なんて事もきっと、ありません」

「どうして……」

「……見てみればいいでしょう。覗いてみなさい」

 その言葉に、すずかは自分のティーカップを覗き込んだ。

 ゆったりと波打つ琥珀色の液体は、覗き込むすずかの顔の向こうに、何か別のものを映し出していた。

「ユーノ、君……?」



 全力で張り巡らせたはずの、ラウンドシールド。

 強く翠色に輝くその防壁は、しかし深紅の刃が食い込み爆裂した瞬間、暴風にさらされた紙のようにあっけなく引き裂かれた。

「うぁあああっ!」

 防壁が粉砕された衝撃に、大きく後方に吹き飛ばされるユーノ。防壁破壊に伴う急激な魔力の消耗によって、バリアジャケットが形状を維持できずぼろぼろと裾から崩れていく。

 ごろごろと地面を転がって倒れこんだ彼を見下ろすように、スズカはゆっくりと手に持つデバイスを構えなおした。そのナックルガード部分から、魔力の混じった蒸気が放出される。

「これで、三度目……」

「く、ぅう……」

 呻きながらも、なんとか体を起こすユーノ。だが、もはや立っているのが限界のようで、脚はふらつき魔法陣を刻む指先の動きにも精彩がかけている。

 それでもユーノは、あくまでスズカに立ち向かおうとしていた。

 どれだけ打ちのめされても。

 どれだけ結界を破られても。

 どれだけ歯が立たなくとも。

 彼の瞳から、光は、消えない。

 スズカはしばらく冷たい瞳でその様子を見つめてから、だらりと剣をさげて脱力した。

「……分からないよ……何でそんなに必死なの?」

 心底理解できない、といった表情で、スズカは手持ちぶたさげに剣を軽く振った。ユーノはそれに答えず、ただ防御障壁を積み上げる。

「……理解できないよ……だって」

 一変して、スズカの体に気迫が満ちた。たった一歩の踏み込みでユーノの眼前にまで迫った彼女の一撃が、あっさりと築き上げられた防御障壁を突破した。

 緑色の輝きが弾け、既に限界を迎えていたユーノは呻き声も上げられずに後ろへと吹き飛ばされる。

 だが、すぐに起き上がる。

「……何で………そんなに痛い思いをして、苦しい思いをして……勝ち目なんてないのに、なんで立ち上がるの?それともまだ、勝てるなんて思ってるの?」

「………それは、違うよ」

 右肩を抑えながら、ユーノは立ち上がった。

「君は強いよ。多分、僕には絶対に勝てない相手なんだと思う」

「……当たり前だよ。私は、月村すずかの理想。デバイスを、魔法を、体術を極めたその先。ユーノ君がいくら優秀な結界魔導師でも、私には勝てない」

「そうだね……けどさ。僕が戦うのは……勝つ為じゃないんだ」

 ユーノは小さくつげて、腰のポーチから何かを取り出した。

 蒼い、掌サイズのプラスチックカードのようなそれを、右手の人差し指と中指の間に挟む。

「勝てるから戦うんじゃない。勝てないから戦わないんじゃない。僕の力は、結界は……守る為にあるんだ。泣いてる誰かの涙を、止めるために!悲しんでる誰かを、救う為に!大切な約束を……守る為にっ!!」

『Set up』

 蒼いカードが、光を放つ。ユーノのものとは違う、白に近い蒼い魔力光を。

「……それは、まさか管理局の……っ!?」

「大事な人の為なら、僕は……傷つく事だって恐れない!僕は、そうありたいんだっ!!」

 叫び、カードをスズカに向けて放り投げる。シュルシュルと宙を切ったカードは、空中に停止すると解けて魔法陣を描き出した。

 それの意味するのは、灼熱と威力。

「クロノ、君の力を借りるよ!」

『Blaze Cannon』

 白亜の高熱魔力弾が、展開された魔法陣から撃ち出された。

 かつて、リーゼ姉妹が闇の書事件において暗躍時に使用した、使い捨てストレージデバイス。ユーノは今回の調査において、その残された試作品の一つを譲り受けていたのだ。

 封入されていた呪文は、彼の友人であり悪友であるクロノ・ハラオウンの誇る最大火力呪文『Blaze Cannon』。

 なのはのディバインバスターには劣るが、それでも凶悪な破壊力を秘めた砲撃呪文である。

「っ!」

 迫る白亜の魔力弾を前に、スズカが顔色を変えた。

 距離が近すぎる。迎撃は不可能。それに、防御してもスズカの出力では恐らく防ぎきれない。

「……けど、残念」

 スズカはしかし、慌てる事なく背中から魔力の翼を広げ、地面を砕ける程踏みつけて空に飛び上がった。一瞬遅れて、ブレイズキャノンが彼女の立っていた地面を蒸発させた。さらに開放されたエネルギーが、周囲数メートルに渡って破壊をばら撒き、巨大なクレーターを作り出した。

 だが、どんなに威力が高くても当たらなくては意味がない。

 スズカは空から爆発の様子を見届けて、かすかに笑った。

「……残念だったね、ユーノ君。あれぐらいなら、ジャンプでかわせるんだよ」

「………そっか。すずかちゃんは魔力まわしてる間、身体能力があがるんだっけ」

 切り札を使い切ったユーノは、脱力したように膝をついた。

「それじゃ、頑張ったけどこれでお終い……」

「いや。僕の、勝ちだ」

 不敵な笑顔を浮かべるユーノにスズカが躊躇った、その瞬間。

 スズカの周囲の空間に突如魔法陣が浮かび上がり、一斉に伸びた魔力の鎖が彼女の体に絡みついた。

 慌てて振りほどこうとするスズカだが、もう遅い。数十にも及ぶ大量の高速魔法は彼女の体に念入りに絡みつき、その動きを完全に封じ込めてしまう。 

「ディレイバインド……いつの間にっ!?」

「最初から。……流石に、実力で勝てるだなんてこれっぽちも思えなかったからね。念入りに用意させてもらったよ」

 空中で縛り上げられたスズカに、ユーノは小さな苦笑のような笑みを浮かべて見せた。

 おそらく、全てがこの為の布石だったのだろう。逃げ回らず、ひたすら攻撃を受ける事に専念したのも、温存していたカードも、この瞬間の為に。

「さあ、戦いはどうやら僕の勝ちみたいだ。……アリサちゃんの居場所、教えてくれないか?」

「………ふ、ふふふふ……」

 囁く様な、笑い。

 風の靡くように、草木が揺れるように。

 バインドで縛り上げられ、一切の魔法を禁じられているはずにも関わらず……スズカは笑っていた。 

「何が……おかしい?」

「ふふ……ふふふふ……。凄い、凄いよユーノ君……。どう考えたって勝てるはずなかったのに……やっぱりユーノ君は凄いよ。けどね……」

『―――――――』

 デバイスが、何事かを小さく告げた。

「けどね……私と貴方の勝負は……もっと根本的な所。つまらないパワーゲームで、とっくに勝負がついていたんだよ」


『Fatal Virous』


 バインドが、甲高い音を立てて砕け散った。

 唖然とするユーノの前で、スズカは。

 ”六華”の形状をした魔法陣を展開して、空に翼を広げた姿で佇んでいた。

 その姿は、神々しく、凛々しく、そして。

 ………禍々しく。

「……ユーノ君なら知ってるよね。月の一族が残した、三十二のデバイス」

「そんな……まさか……」

「その内、頂点に立つとされる二つの神具。一つは幼き姫と共に異界へ流れ。一つは、気高き皇子と共に炎の街へと散った……そういう事になってるね。けど、真実は違う」

 スズカは笑いながら、そのデバイスを高々と掲げた。

「……ご覧あそばせ。これこそが、月の神具が一つ……”銀の銃”に対を成す”金の剣”!!」

 ばさり、と翼を羽ばたかせてスズカがユーノへと踊りかかった。

 とっさにラウンドシールドでその一撃を受け止めるユーノ。強烈な一撃に、翠の防壁が悲鳴を上げる。

 そんな眩く明滅する半透明の防壁越しに、スズカは目を細めて、ユーノの顔を覗き込むようにして。

 まるで愛しい恋人に愛を語るように、甘い口調で……囁いた。

「カートリッジ……イグニッション」

 天地が、二つに引き裂かれた。



「いやぁあああああああっ!!」

 悲鳴を上げて、すずかはティーセットを右手でなぎ払った。

 白磁の陶器が甲高い音を立てて地面に叩きつけられ、砕け散る。流れ出た紅茶の水面に一瞬、何かが写し出されるがそれもすぐに、吸い込まれるようにして消え去った。

「やだ……もうやだよ……」

 すずかは子供のように体を抱えて、椅子の上にうずくまった。その小柄な肩が、かたかたと震えている。

「どうして……どうしてこんなものを見せるの……?私の……私何かの為に……皆、皆……っ」

「………分からないのですか?」

 女性の声は、小さく湿っていた。

 はっとしてすずかが顔を上げると、対面に座る紫の女性は。

 ……一筋、涙を流していた。

「あ………」

「違うでしょう?貴女は、もう分かっているのでしょう?皆が何故、傷ついても諦めないのか。自分が、何の罪に苦しんでいるのか」

「分からない……そんなの分からないっ」

「逃げないで」

「っ」

「安易な絶望に、逃げ込まないで。目をそらさずに、現実を見て」

「嫌、嫌、嫌ぁあああっ!もう嫌なの、誰かが私の為に傷つくのなんて耐えられないっ!」

 すずかは強く耳を塞いで、首を振った。

 それでも、声は消えない。

 音とか、空気だとか、そんなものは関係なく。

 ただ、心に直接響くように。語りかけるように。

「自分を卑下して、それで世界を拒絶して、それでいいと思っているのですか?自分に価値が無いと、罪を犯したからと、それで自分をごまかして、それでいいのですか?」

「違う……。私は罪人だから、罪人だから生きて居ちゃいけないのっ」

「それは逃げているだけですっ!」

「……じゃあ……じゃあ、どうしろと言うんですかっ!?償えない罪を犯して、許されない罪を償う為に生きていけと、そう貴女は言うんですかっ!!?そんなの、無理です!私には、無理です……っ」

 その、すずかの叫びに。

 ……女性は満足したように、笑みを浮かべた。

「……ようやく、本心を言ってくれましたね」

「………あ」

「そうです。確かに、貴女がアリサさんを傷つけた現実は消えない。消せるものではありません。けど……それで目を背けてしまっては、本当に終わってしまうじゃないですか……」

「違うよ……終わってしまうんじゃない。終わっちゃったの。もう何も……何も、ない」

 うつむいたすずかの肩に、そっと……優しく、暖かい手が置かれた。

 顔を上げれば、そこに、優しく微笑む女性の姿。

「………本当に?」

「え……?」

「本当に、何もないのですか?もう何も、貴女の世界には残っていないのですか?」

「…………それ、は」

「違います。違うはずです。だってほら、貴女には聞こえる筈です……貴女を案ずる人達の、声が」

 そう。それは、本当はさっきからずっと、聞こえていた筈の言葉。

 必死に、ひたすらに、彼女を求めている声。

 辛くても。

 苦しくても。

 それでも諦めず、叫び続ける命の声が。

『ここで、終われない……っ!こんな所で、終われないっ!!』

 なのはが。

『………何とかして、ここを出ないと。アリサとすずかが、心配だ……』

 フェイトが。

『悪いが……諦めるつもりは無い。君こそ、そこを素直にどいたらどうだ』

 クロノが。

『すずかちゃんもアリサちゃんも、私らの友達やっ!過去がどうとか、罪がどうとかしった事かいっ!』

 はやてが。

『………まだ、だ。僕は……守るんだ……っ』

 ユーノが。

 そして。

『………………すずか』

 アリサが。

 みんなが、すずかを呼んでいる。

 呼んでいるのだ。

 他の誰でもない。月村すずかという一人の少女を。

 ………呼んで、いるのだ。

「ぁ………ぁあ………」

「……すずか。貴女は、確かに罪を犯したのかも知れません。けど、それで全部終わってしまった訳では無いのです。たとえ貴女が、自分自身を否定したとしても……誰かが貴女を求める限り、貴女はそこにある。必要とされる限り、貴女はそこにいていいのです」

「………必要とされる、限り……」

「目を背けないで。安易な道に逃げないで。信じてください、辛くとも厳しくとも、貴女を信じる人達全てを。そしてその信頼にこたえてください。それが貴女の………世界なのだから」

「……私の……世界………」

 かみ締めるように呟いて。


「そして、貴女にはその力が、あるのでしょう?」


 きゅっ、と。すずかは拳を強く、強く握り締めた。

「………そうだ。……私は、アリサちゃんに応えてない。どこまでも信じるって言ってくれたアリサちゃんに応えてない。怖いから、辛いから、そういって投げ出したまま」

 例えそれが間違いの果てだったとしても。

 すずかにはまだ、遣り残したことが。途中で放り出してしまった事がある。

 すずかの瞳に、光が戻る。

「………言わなくちゃ。アリサちゃんに、ゴメンって。許してくれないかもしれないけど、もう信じてくれないかも知れないけれど、でも、逃げてちゃ何も……終われない」

 ゆっくりと、胸に手を当てる。

 そこにもはや痛みは無い。

 今なら分かる。あの痛みは、罪の痛みではない。

 あれは、罪から目をそらして、安易な道へと逃げようとしていた自分自身を戒める、心の痛み。

 だから、決意を決めた今。現実を見る覚悟を持った今。その痛みは、痛むことは無い。

 迷いの無い強い瞳で、すずかは眼前の女性の瞳に目を合わせた。

「……ありがとうございます。私、いかないといけない。行かないと、いけないんです」

「……はい」

 世界が、白く染まっていく。庭園も、回廊も、紫の女性も、全てが白いモヤのなかに消えていく。

 この世界は、いわばすずかの迷いが作り出した心の狭間。彼女が決意を固めた今、この世界は唯消え逝くだけ。

 白く沈む世界の中……紫の女性は、最後にすずかに向けて微笑んだ。その体が青い光に包まれたかと思うと、そこにはヘルマフロディトスが静かに漂っていた。

 そっか、と。すずかは目じりを潤ませた。

 一人じゃないんだ。こんな私でも……傍にいてくれる人がいたのに。

「………ごめん。心配、かけたね」

『いいえ。私は、すずか様のデバイスですから』

 すずかは、ヘルマフロディトスを愛おしそうに抱きしめる。その腕の中で、ヘルマフロディトスは安心したように宝玉を煌かせた。

『さあ、行きましょう。ユーノ様とアリサ様を助けなくては』

「うん!」

 すずかは、ヘルマフロディトスを真っ直ぐ、天に向けて構えた。

 告げるのは、扉開く聖鍵の名。

「ヘルマフロディトス……セットアップッ!!」

『………イエス、マイマスター!!』




「ぐ、あ………」

 気を失っていたのは一体どれぐらいだったのか。

 意識を取り戻したユーノは、ぼろぼろの姿で荒れた大地に横たわっていた。既に魔力は底を突き、バリアジャケットは解除され作業服姿だ。

 さらに、ダメージが酷すぎて身動きが取れない。特に右手にいたっては、何度も何度も結界ごと打ち据えられたせいか、感覚すら残っていない。それでもなんとか動こうとするユーノの首元に、鋭い剣の切っ先が押し当てられた。

「ぐ………」

「……ここまでだね、ユーノ君」

 剣を握るスズカは、悲しげな瞳でユーノを見下ろしていた。その瞳が閉じられ、再び開かれた時、そこにはもう躊躇いは無かった。

「……さようなら、ユーノ君。せめて最後は、苦しまないよう……一撃で」

『Full Drive』

 金の剣におびただしい魔力が収束し、刃が紅くぎらついた輝きを宿す。それを振り上げて、スズカは一筋、涙を流した。

「………また、いつか」

『Last...』

 スズカの魔法が発動しようとした、その瞬間。

「……させない」

 放たれる一発の銃弾。それは的確に金の剣の切っ先を穿ち、斬撃をずらした。対象を見失った衝撃波はユーノをそれ、地平線の果てまで飛んで行き、一つ山脈を吹き飛ばした。

 魔法を放ったその体勢のまま、スズカはゆっくりと振り返った。倒れたままのユーノも、どうにか首だけをそちらに向ける。

 その先に立つ者を目にして、スズカの目に驚愕が、ユーノの目に喜びが浮かんだ。

「そんな……っ!?」

「………ははっ」

 風に靡く、紫の髪。可憐さを思わせる、紫のドレス。背中から生えた黒い翼に、額に輝く蒼い宝珠、そして手に持つ白と黒で彩られた、魔法の銃。

 バリアジャケットを展開し、みなぎる魔力を秘めて、月村すずかがそこにいた。

「ユーノ君、遅れてごめんね。でもここからは……」

 強い瞳が、スズカを見据える。

「……私の、戦いだから!」




次回予告


 忘れないで。
 必要とされる限り。
 必要とする限り。
 世界は、そこにある――――。



 冷たい現実。
 届かない願い。

 だけど。
 それでも。
 ―――――――それでも世界は。


 貴女の、手の中に。



 第五章 Extend 【覚醒】  



 叶えたい願い、ありますか?





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