第五章 Extend【覚醒】

 二人の少女が、空を駆ける。

 一人は手に銃を、もう一人は剣を。

 黒い翼を羽ばたかせ、ステップを刻むように凌ぎを削りあう。

 まるで舞踏会みたいだな、とユーノはぼんやりと思った。

 だが、実際の所それはそんな優雅な者ではない。二人の魔導師による、全力全開の高速戦闘。

 輝く翼は鋭利な刃。散る燐光は、命の欠片。

 華麗に、苛烈に、熾烈に。二人の翼は、空を焦がす。

「………くぅっ」

「………ふふっ」 

 数度目の直接打撃をどうにかうけながした所で、すずかが小さく呻くような声を上げた。対照的に、スズカの口元には小さな笑み。

「どうしたの?動きが……遅いよ?」

 足元に展開した魔法陣を基点に素早く身を翻したスズカの一撃を、なんとかすずかはヘルマフロディトスから展開した魔力刃で受け止める。

 が、その瞬間剣から展開されていた紅い魔力刃が消失し、すずかの刃は空を切る。予想した衝撃が来ない事でふんばっていたすずかは一瞬隙をさらし、そこに魔力を帯びた拳が叩き込まれた。

 咄嗟にヘルマフロディトスの張った障壁のおかげで直撃はしなかったものの、大きく吹き飛ばされる。

「ぐうっ!?」

「どうしたの?私を……倒すんじゃなかったの、私!?」

 まるで、大人と子供だ。

 身体能力はほぼ互角、だがその力の生かし方が違いすぎる。虚を混ぜて巧みに隙をついてくるスズカに比べ、すずかは強化された身体能力にものをいわせた力押ししか出来ない。

「近距離は不利……ならっ」

 吹き飛ばされた勢いを殺さず、そのまま力に乗って距離をとる。フライアーフィンを大きく広げ、全力で後退する。

 無論、それを見逃してくれる相手ではない。

 飛び退るすずかに、追い討ちをかけるように飛び掛るスズカ。咄嗟に魔弾を連射して弾幕を張るがスズカはあっさりと追撃を切り上げて距離をとった。

 だが、それは手を休めたからではない。

 すずかは、相手の剣へと暴力的なまでの魔力が集う様を目にして目を見開いた。

「しま……」

「距離をとればどうにかなるかと思った?カートリッジ・イグニッション!!」

 悲鳴を上げる暇もあればこそ。

 放たれた巨大すぎる魔力刃が、すずか目掛けて襲い掛かった。視界の上から下まで横断するほどの巨大な魔力の斬撃から、身を投げ出すようにして回避する。

 僅かの差で大技を回避し、安堵の息と共に視線を前に戻すすずか。

 その瞳を、覗き込む瞳。

 気がついたときには、彼女は地面に叩き伏せられていた。

 魔力刃に隠れるようにして近づいてきていたスズカの一撃で地面へと叩き落されたのだと、ようやく理解する。

 見上げた空に舞う、黒き翼の少女。その右手に握られた剣が、青白い魔力の蒸気を吹き上げた。

「……分からない?私は、貴方の理想。至高。終着点。貴方が朽ち果てるべき場所に立っている」

「ぅ………うぅ……」

「滅びなさい。消えなさい。終わりなさい。貴方の世界は、もう終わっているの」

 感情も無く、坦々と告げる自分と同じ姿の少女に、すずかは強く拳を握り締めた。

―必要とされる限り、必要とする限り―

「違う………」

 心に去来するのは、あの言葉。

 夢の中で見た、大切なパートナーの教えてくれた事。

 終わっては居ない。終わりなど無い。私の世界は。

―それが、あなたの世界なのだから―

「終わってなんか、いないんだから……!!」

 そして、すずかは引き金を引いた。


 自分の能力が、剣を持つ少女に届かない事はもう分かっている。

 それを超えるには、奇策か裏技しかない。

 だが、すずかに思いつく奇策等たがかしれている事も自覚している。

 もとより、すずかは戦う者ではない。ただ、ヘルマフロディトスに残された前のマスターの戦闘データの上に乗っているだけだ。仮に奇策を取ったとしても、それはおそらくすずかが今まで得てきた知識に影響される。それでは、同じ自分自身であるあの少女には通じるはずが無い。

 ならば、残るは裏技。

 ―――巨人召還。

 静謐にして緻密たる魔法の力により虚数空間への扉を開く矛盾の象徴たる大魔法、それによって異界から守護神を呼び出す、ヘルマフロディトスに記録された最大の魔法にして現象。

 あれならば、間違いなく確実に、あの少女を妥当できる。仮にこの結界が月の一族の残した物を利用したものだったとしても、いや、だからこそ巨人には対抗できない。

 だが、それも不可能。

 そもそも巨人が召還できていたなら、このような事態に陥る前に打開できていたはずである。

 とはいえ、可能性があるのならそれしかない。このままやられる位なら、可能性は全部試す方がいい。

 覚悟を決めた、その時。

「すずか!」

 暖かい声が、すずかの背を押した。



「カートリッジ・イグニッション!!」

 文字通り爆発の如き魔力の本流が迸り、複雑極まりない術式がヘルマフロディトスを介して駆け巡る。

「トランスポーター・ハイ!」

 翠色の魔法陣が、天に真円を描く。それは、こことは異なる場所を繋ぎ、ある存在を手繰り寄せる。

 そして、天地を震わせて、ソレは光臨した。

ォォオォオオォォォオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!

 純白の白い体躯。まるで骸骨に鎧をかぶせたかのようなその細い体躯に、右手には巨大な大鎌を握り、左手には雌雄同体の神像のレリーフが刻まれた円形の盾を持ち、なびく銀の長髪を持つ頭部は表情の無いのっぺりとした仮面で覆われている。

 その身が震えるたびに紫電が走り、息をする度に空が震える。

 月の守護神、光臨。

 天に聳え立つ異様を前に、スズカが息を飲んだ。

「そんな……結界内でこんなものを召還したら……」

「そうだね。巨人を召還するゲートを結界内で開いたら、結界が崩壊する危険がある。この結果の性質から考えると確かに危険だ」

 答えたのはユーノだ。地面にたおれこんだまま、戸惑うスズカを強い瞳で見上げる。

 現在彼らを包み込む隔離結界は、その内部に一つの世界を作り上げるほどの代物であり、極めて内向きに力がかかった状態にある。それ故結界の破壊は作られた世界の自壊を示し、その為にユーノ達は結界破壊という安易な手段に訴える事が出来ないでいたのだ。

「けど、結界の外なら?」

「………っ?!」

「そう。ここには結界の穴……巨大なクレバスがある。それを通じて、外にゲートを開き、召還されたゲートを通じて僕が転送すれば、何の問題も無い」

 燐と告げるユーノ。

 そう。結局は簡単な話だ。

 結界内にゲートを作る事は出来ない。ならば、”結界の外にゲートを展開”すればいいのだ。

 ただ、それだけの事。だが、それだけの事が、ここでは出来ないはずだった。

「嘘!?ここは隔離結界よ、いくらなんでも外にゲートを作るだなんて……」

「……君がすずかちゃんであるなら、知っているはずだよ。あの学校で僕が結界をすり抜けた事を」

「っ?!」

 その事は、スズカの記憶にもあった。

 すずかがヘルマフロディトスと本当の意味での出会いを果たし、管理局内部の過激派と交戦したあの日。

 過激派の張り巡らせた強固なはずの強装結界を潜り抜けるようにしてユーノを転送した、見知らぬ魔法。

「あの時の……っ」

「そういう事。さすがに人を転送するほどじゃないけど、術式を転送するぐらいの事はできるんだよ」

 まだ名前も登録もしてない未完成もいいところの魔法なんだけどね、とユーノは纏めた。

 その背後で、ゆっくりと巨人が身を起こす。

「だけど……これでもう、おしまいだね」

 すずかの言葉に答えるように、手に持つ巨大な鎌を振り上げ、円形の盾を構える。

「……投降して。アリサちゃんを返して」

「断ったら?」

「……っ」

 一瞬の躊躇いも残さず、すずかは巨人に命じた。

 見る者を威圧するような圧倒的な魔力を滾らせて、巨人はスズカへと踊りかかる。

 巨人は、単なるロストロギアとしてもSSSランクに分類する企画外。ましてや、その巨体と内包する圧倒的魔力の生み出す破壊力は、極大封滅魔導砲『アルカンシェル』に匹敵する。

 機構的な問題からか現実空間では稼働時間が限られ、セーフティが働く為召還ゲートを維持し続けなければならないという致命的欠点はあるものの、唯の魔導師一人を抑えるには十分すぎる代物だ。

 振るわれた鎌から放たれた魔力の斬撃が、スズカ目掛けて襲い掛かる。

 咄嗟に飛び上がってかわしたスズカを通り過ぎたその斬撃は、地平線へと消えて。

 地平線から向こうを、消し飛ばした。

「うは……出鱈目だ……」

 思わずユーノがぼやいてしまうのも無理は無い。

 着弾の衝撃は大地どころか空さえ震わせ、見渡す限りの地平線の向こうからは赤茶色の土煙がまるで押し寄せる津波を思わせるかの如く立ち上がり、暗雲は吹き飛ばされてやはり紅い空をさらしている。

 ときおり、豆粒のような小石が舞っているが、それが地面に落ちると同時に足元が揺れるのは錯覚だろうか。

「っ!!次っ!」

 だが、どんなに強烈な一撃でも外れては意味がない。

 ゲート維持の為にカートリッジをもう一発炸裂させると、すずかは手早く次の指令を出した。

 指令に答えて、巨人が動く。

 暴力的なまでの魔力が巨人の眼に収束し、溢れ出した魔力が蒼い燐光になって眼窩から零れ落ちる。

「ファイエルッ!!」

 業、と閃光が世界を焼いた。

 迸った魔力砲は、収束などする事なく拡散しながらも、しかし地平線の果てまでその牙を届かせた。

 放射状に広がった魔力の本流は、大地を抉り砕き焼き払い粉砕し、天を震わせ引き裂き霧散させる。

 まるで、公園の砂場に対戦車ライフルを叩き込んだかのような惨状が、一瞬にして異界に刻まれていた。

 それでも。

 それでも、スズカを捕らえられない。

「うふふふふ……本当、凄い力。それが、貴女の力なのね」

「くぅ……っ!」

「だけど、駄目ね。貴女は……巨人が何なのか分かっていない。巨人の本当の使い方を、理解していない」

 意味深なスズカの言葉。だが、それは銃を操る姫の耳には届かない。

 惑わされるな、と小さく呟く。

 すずかにとって巨人を理解していないとかは関係ない。ただ、この場でアレを打倒できなければ、理解するどころか先にだって進めない。

 もう、止まらないと。

 進み続けると、決めたのだから。

「遠距離は駄目……転移でかわされる、ならっ」

 指示に答え、巨人が疾駆する。

 巨体が風のようにかけ、白い残像となる。

 刃が唸りを上げてスズカに振り下ろされる。だが、音すら置き去りにしたその一撃を、スズカはやはり再び転移して回避した。

 すずかの理想像だけあり、その飛行速度や術式展開速度は本人の比ではない。だが、それはあくまで”すずかの理想”の範疇を出はしない。

 巨人の体が掻き消える。先ほどをさらに上回る、加速、加速、加速。

 風よりも早く。太刀筋よりも早く。霞耀すらも、置き去りにして。

 その速度は距離など問題にしない。例え転移して逃げても、忽ち追いつき刃が刎ねる。

 振るわれる刃が、斬線上に転送陣を捕らえた。あらわれたスズカは、白い鎌が確実に捕らえるコースに踊りこむ。

 小柄な体が、無残に両断されるイメージ。吐き気を押さえ込んでそれを見たすずかが、確信のこもった気を吐いた。

「勝った……っ」

 だが、それにも関わらず。

 踊りかかる巨人を前に、スズカは……小さく笑みを浮かべた。

 ゆっくりと、剣を持っていた右手を巨人に向けて突き出す。まるで、その体を貫き止めんとするかのように

「………そう」

 ギシ、と。

 今にも鎌を振り下ろさんとした巨人の動きが、停止した。

 先ほどまでの疾駆が嘘のように、一枚の絵画の如く。

「え?」

「………しまったっ!」

 状況を理解できないすずかと、焦ったようなユーノの声。

 そんな二人に哀れむように微笑みかけて、スズカは振り上げた剣を……巨人の額に突き刺した。

 白い装甲に金の剣が、まるで”最初からそうだった”かのように固定されたかと思うと、その刀身に複雑な魔法回路の輝きが走った。

「……強制命令権発動。月の血を引く月村すずかが命ずる……」



「自爆せよ」



「ん………」

 どこかで呼ばれたような、そんな気がして。

 深い深い深淵から、金の少女は目を覚ました。

「あれ……私……」

 ベッドから身を起こして、アリサはきょろきょろと周囲を見回した。

 碧眼に移りこむのは、見知らぬ寝室。白い天井に、白いベッド、白いドアに白い床。

 何もかもが白く染め上げられた、奇妙な空間。

 人の住む場所である筈なのに、人の匂いどころか人間味すら感じられない、歪んだ部屋。ずっと眺めてると気分が悪くなりそうだ、とアリサは思った。

「頭痛い……なんで、私、ここにいるんだっけ……?」

 頭を抑えながら、アリサは記憶をたどった。

 だが、どうしても思い出せない。

 すずかの背に乗って、空を飛んでいたのまでは覚えている。そこまでは。

 それから、何があって、今に至るのか。

 その部分が、今につながる繋がりがすっぽりと掻き消えてしまったかのように、どうしても思い出せない。

「……なんで……?それに、どうしてすずかが居ないの……?」

 よろよろと、頼りない足取りでベッドから降りる。奇妙なほど重いシーツを払って、両足をそろえて床につける。白い床は、氷のように冷たかった。

「え……?」

 床につけた脚に、力が入らない。ベッドから降りた途端、アリサはそのまま床へと倒れこんだ。

 手を突いて体を起こそうとするも、異様に体が重い。床につっかえた腕が、ふるふると震える。

「ちょ、何よ……?」

 苦笑いを浮かべて、アリサは思い切り踏ん張って体を起こした。ベッドに体を預けるようにして、上半身を引きずり上げる。

 ベッドの上に、半身を戻すだけの作業。

 たったそれだけなのに、有り得ない程の疲労が彼女の中に漂っていた。まるでフルマラソンをした後のように、息が乱れ、体が震える。

「……何よ、これ」

 まるで、虚弱体質の人か、百歳近いお婆さんじゃあるまいし。

 そんな事を考えながら、右手を天井を掴むように伸ばしてみる。それだけの事にも、また力む必要があった。

「……真っ青ね」

 掲げた右手は、血の気がうせて真っ青だった。元々アリサは英国の血が入っているので真っ白な肌が自慢だったが、ここまで来ると病的だ。肌の向こうに、青白い静脈が透けて見える。

「………なんなんだろーね……いつもだったらムカっぱら来てるんだろうけど……なんか頭がまわなくて……」

 ぐらり、と意識が傾いた。

 ふらふらと上げられていた手が、見えない手で押さえ込まれたようにベッドに落ちる。

 押しつぶすような、強烈な眠気。

 体に漂う疲労が招く、染み出すような眠気とは違う。まるで何かに脳味噌を押さえ込まれているかのような、暴力的なまでの睡眠命令。

 視界が、急速に狭まる。

 そして、意識も。

「………っ」

 眠れ、と。

 眠ってしまえ、と。

 抗えない、抗うことなど出来ないその闇に、アリサはゆっくりと目を閉じ……。

ザッ

 ゆっくりと目を閉じ……。

ザザッ

「…………あ」

ザザザッ


「これは、私の戦いだから」


「アリサちゃんを返して」


「まだ、終わってなんか―――」



「……っ!」

 シーツを跳ね除けて、アリサは半身を起こした。

 急な動きで真っ白く染まる視界を無視して、枕元のベッドの支柱に手を伸ばして体を引きずり起こす。

 乱暴に脚で床を踏み鳴らして、アリサは己の2本の脚で立ち上がった。

 その体が、フラつく。

 疲労と眠気は、なおもアリサをベッドに縛り付けようとのしかかってくる。

 意識がまどろみ、再び膝を尽きそうになる自分に……

「………っ!」

 ぷつり、という小さな音。つづいて、激痛。

 ぽたりぽたりと、血の気の引いた唇を深紅のルージュが紅く染める。

 自分の唇を噛み切った激痛で、アリサはその誘惑を振り払った。

「……貧血気味だってのに、エライ事させてくれるじゃないの……」

 力なく悪態をつきながらも、アリサは一歩を踏み出した。

 酷く頼りないその足取り。一歩踏み出すごとに体が傾き、その度に体勢を直しながら。

 イヌの立ち歩きよりも頼りないけど、しかししっかりと、アリサは一歩一歩、歩みを刻む。

「………ったく、世話がやけるんだから……」

 その手がドアに触れる。

 白い世界の中、たった一つだけ例外的に、そのドアノブには紅い錆びが浮かんでいた。

 ドアノブをまわし、体当たりするようにして押し開く。ギキィ、と軋んだ音を立てて、ドアが動き……切り開かれた世界から、目を刺すような光が差し込む。

 忽ち、紅い光が部屋を満たしていく。

 何もかもが紅く染め上げられていくその中で。

「……泣きそうな顔で、意地張ってるんじゃないわよ……全く。私がいないと、駄目なんじゃない」

 アリサは、笑った。

 目指すは、臆病で、泣き虫で、心配性で、意地っ張りで……本当は誰よりも強い、親友の場所。

 彼女の、居るべき場所へ。




「………ぐぅ……ぅ…」

 一瞬の事だった。

 突如まぶしい光と、骨の髄まで振るわせるような衝撃がすずかを襲った。とっさにユーノが何かを叫んでいたようだが、よく覚えていない。とにかく圧倒的な魔力の奔流に巻き込まれ、気がついた時には天地がぐるぐると回って、上下を見失い。そして気がつけば、赤錆びた大地の上にうつ伏せで倒れこんでいた。

 したたかに地面に打ち付けられた痛みに耐えながら顔を上げて、すずかはソレを見た。

「……………え?」

 すずかから少しはなれた場所。

 100mも離れていないその赤い丘に、巨大な……巨大なクレーターが穿たれていた。

「………クレーター?何で?」

 ある意味クレーターは見慣れている筈のすずかだが、それを目にした途端に冷たい汗が背筋を這うのを感じた。

 クレーターは、何かが地面に衝突したり爆発する事によって出来る。ならば、今、ここで、何かが爆発したという事。

 当たり前だ。

 すずかは、その爆発に巻き込まれて、地面に叩きつけられた筈だから。

 では。

 その爆発は、何が起こしたのか?

「………嘘……」

 何かを否定するように、ふるふるとすずかは首を振った。

 覗き込んだクレーターは、異様だった。一体どれほどの熱量が炸裂したのか、陥没面はつるつると輝き、硬質的な輝きを放っていた。恐らく、地面に含まれていた結晶物質が練成されてしまったのだろう。

 そんな、滑らかな半球に一つだけ存在する、異物。

 クレーターの中央に、突き立った白い物。

 白く罅割れ、原型をとどめてはいなかったが、それは確かに。

 ………巨大な、鎌の形をしていた。

 それは。

 それが示す事は。

「…………なんで………どうして……?」

 巨人は、もう………居ない。



「………っ。そうだ、ユーノ君は……っ」

 慌てて、この場にいたもう一人の姿を探す。

 くすんだ金髪の、いつも優しい笑顔を浮かべて、背中を守ってくれる人。

 親友の親友で、いつもここ一番で助けてくれた、あの人は。

 ユーノ・スクライアは。

 ………すずかの目の前。彼女の足元に。

 血塗れになって、転がっていた。

 ……雨にぬれる、子猫の死体のように。

「………っ」

 たちまち膨れ上がったエラーを、すずかは吐き出す事なく飲み干した。

 落ち着け。冷静になれ。

 騒いだところで、時間を浪費するだけ。

 感情は入らない。後悔は置いておけ。今は、ただ最悪の結果を回避する事だけを思考せよ。

 治療魔法・停滞魔法、展開。

 彼の傷はどれぐらいなのか。出血は、魔力消耗は。

 せめて肌が綺麗なままで……。

「落ち着け、落ち着け、落ち着け……」

 思考が止まらない。無意味無秩序に、数式理論が出鱈目無茶苦茶に展開されていく。

 もはや言葉にも情報にもならないそれは、悪性腫瘍のように増殖してすずかの意識を犯していく。感情も理性も制御できない。ただ、断末魔にもにた黒いモノが心と体を埋め尽くして染め上げる。

 ぼこぼこと膨れ上がる悪寒・絶望・恐怖が、すずかの心を閉ざして……。

 その前に、手を伸ばした。

 硬直しては駄目だ。自分に潜っては駄目だ。

 動けなくなる前に、動かなければ。

 そうしなければ。


 ………彼は、死ぬ。


 死ぬ。それは消滅。後には、何も残らない。死は終わりでもなんでもない。唯の、途絶だ。

 あの雨の日、すずかはそれを思い知った。

 失われる暖かさ。乾いていく瞳。重くなる、その体。

 その刻一刻を見届けたすずかの目に、ユーノの姿が重なる。

 ぞく、と。理性が、燃焼する。

「ヘルマフロディトス、王冠から美まで術式展開……各自フィジカルヒールを2タスクずらして起動!」

『マ、マスター!?』

「急いでっ!!」

 体に残留する魔力をデバイスに注ぎながら、すずかは意識の楔をより深く、魔法の領域に突きこんだ。

 目で見るのではなく、世界を魔力と分子で観測する。

 三次元ではなく、多次元で。あらゆる理解をもって、ユーノの体を復元する。

 だが、それはより、死の記憶を色濃くするだけ。

「ぐあ……ぁ……」

 ぞぶり、と付きこまれた魔力のラインに、ユーノが声を上げた。

 だがそれは断末魔の響きのはずなのに、酷く低くて、掠れている。

「………っ、認めない認めない認めない……っ」

 駄目だ。これだけでは駄目だ。

 足りない。彼を救うには一歩足りない。

 届かない。届かないのか。自分はまた………見逃すというのか。

 力があると、言ってくれた人がいた。世界を信じろと、言ってくれた人がいた。すずかと、呼んでくれる人が居た。

 その思いを。信頼を。世界を、また裏切るというのか、私は。

「……違う」

『マスター?』

 この方法は駄目だ。もっと、もっとスマートに。

 完全復元は不可能。魔力は足りず、キャパシティも足りない。

『…マスター?』

 致命的損傷は五つ。その他の傷は、遠回りな要員でしかない。

 妥協もしない。完全主義でもない。ならばこの場で最も効率の良い方法は何か。

 怯えるな。戸惑うな。不安を抱くな。

 責任を果たせ。責任を背負え。潰されるな、惑わされるな。

 彼の命を救うには……どうすればいいか。知っているはず、知っているはずだ■■■。

 あの時も、私は、こうして……。




 ………あの時?





『………マスターッ!!』

 ばぢっ

「………?」

 自分を呼ぶ相棒の声と、全身に走った衝撃に、すずかはようやく我に帰った。

 気がつけば、眦から血の涙を流しながら、ユーノの体に手を当てている自分がいた。じくじくと痛む両目を、空いた左手でゆっくりと覆う。

「………な……を、が?」

 上手く喋れない。ぴりぴりと全身が痺れる感触。

『ユーノ様の治療において、私のデータベースに深く侵入しすぎたんです。よって、少々乱暴に意識を賦活させました。お具合は?』

「あ……え、……っ?」

 震える手で、ユーノの額に手を当てる。

 ………暖かい。

『ご安心を。何がなんだか良く分からないのですが、治療は終わっています。致命傷は復元できましたので、すぐさま病院に運べば』

「あ………あ、ああ、そ、そうだね……。で、でも……そそ、の前に……っ」

 ばちり、と強引に魔力を全身に流す。多少乱暴で、ひょっとしたら内臓が傷ついたかも知れないが、その代わりに乱れていた全身の感覚が元に戻る。

 だが、脳裏から得体の知れない情報が離れない。認識しようとすれば、焼け付くような痛みが頭を襲った。

 しかしそれはこの際、問題ではない。本当に問題なのは、これからだ。

 クラクラする頭を抑えながら、すずかはヘルマフロディトスを手に、背後へと振り返った。


 そこに、月村スズカが立っていた。


「………治療を見逃すなんて、随分と余裕なんだね……」

「…………」

「それもそっか。貴女は私の理想で……私にはもう、巨人も残されてない」

「…………」

「けど、ね。私は決めたんだ。決めてしまったんだ。力がないからって……投げ出せない。投げ出せないんだ」

「…………」

「いくよ、わた「黙って」」


「……貴女は、誰なの?」


 ぽかんと、口が開くのを止められなかった。

「………え?」

 何を言ってるのか、分からない。

 だって自分は月村すずかで、彼女はその忠実な虚像ではないのか。

 写された鏡が、本物に是非を問うなんて、そんなのおかしいのではないか。

「……何を言ってるの?私は、月村すずかだよ」

「………違う」


 断言して、スズカは。

 ……初めて、明確な殺意をその目に宿した。

「出来るはずが無い。月村すずかに、あの死体を引きずり戻すなんて出来るはずが無い。月村すずかの可能性に出来ない事を、未完全な貴女が出来るわけが無い。誰、誰なの、貴女。違う。貴女とはもうつながりを感じない。誰。誰なの、貴女は………っ」

「…………」

「分からないなら……」

 スズカが、剣を振り上げる。何かを恐れるように。ティーカップを、なぎ払うように。

「……分からないまま、消えて!!」

 そして、すずかは理解した。



「きゃあああああっ!?」

 何度目かになる衝撃に木の葉のように揺さぶられ、なのはは悲鳴を上げながら叩き落された。

 墜落の衝撃はバリアジャケットが吸収するとはいえ、それでも高所から叩きつけられた衝撃はそれをつきぬけ、未成熟な少女の体を情け容赦なく殴打する。

「なのはちゃんっ!」

 それを見て、はやてが駆け寄ろうとする。その進路を、紅い閃光が遮った。

「っ!」

 咄嗟に展開するパンツァーヒンダネス。その装甲表面を、無数のナイフが穿ち、爆発。

 砕かれはしなかったものの、猛烈な脱力感にはやてがたたらを踏む。その目が、ぼんやりと迫り来る白い影を見上げた。

「くぅ……」

「ぼさっと、するなっ!」

 屑折れる体を、横手から飛び込んだクロノが横抱きに抱えた。そのまま勢いを殺さずに離脱、背後に上がった爆発にあおられるようになのはの元まで退避する。

「あんがと、クロノ君……」

「礼には及ばない」

 だが、クロノは鋭い目ではやてを見据えた。その意味を悟ったはやても、目を伏せる。

「……ごめん」

「……君の気持ちは分かるつもりだ。だが、足手まといは断る」

 呟くクロノも、すでにバリアジャケットの上着の部分が完全に破壊され、ぼろぼろの有様だ。いつもなら艶光する漆黒の輝きをもった彼の愛杖も、今はくすんだ彩を宿すだけ。

 三人の視線が、立ちこめる黒煙に向けられる。

 それを払うようにして現れる、月の輝きと、夜の色彩を纏った一人の少女。

 遺跡によって作り出された、リインフォースのコピー。ここでは、あえてリンフォース・オルタとでも呼称しようか。

 そのオルタの前に、クロノ・なのは・はやてという三人の上級魔導師は、一方的な戦いを強いられていた。

 全く消耗した様子の無い相手の姿に、クロノが悔しそうに唇をかんだ。

「はやて、守護騎士達はまだ動けないのか」

「あかん、駄目や……。出会いがしらに喰らった上位端末命令をまだ排除できへん。あの娘とシグナムらはもぉ繋がってやせえへんから、あと少しやと思うんやけど……くそっ!なんでや、なんであの娘がひっぱりだされんといけんのや……。あの娘は辛い事も悲しい事も、全部おさらばできたってのに、なんで!」

「はやてちゃん、落ち着いて……」

「わかっとる……わかっとるんや……けどっ」

「……だが、いくらなんでも強すぎないか。闇の書事件の時は、なのは一人でもなんとか戦えた筈だ」

「……多分、理由はコピーだからや」

 見てみぃ、とはやてがリインフォース・オルタを指差す。正確には、その体にまとう衣服を。

「拘束術環が見当たらん。きっと、コピーされたのは完全な夜天の魔道書。そなら、わざわざ自分の力を自分で押さえ込む必要はあらへん。きっとこれが、リインフォースの実力なんや」

「……悪い冗談だ」

「……全くだね」

 三人ともげんなりと肩を落とす。

 そんな三人に向けて、リインフォース・オルタは翼を広げ、仰ぐように両手を天に掲げた。

 その周囲に、金色の魔力が収束し、無数の雷球を浮かび上がらせる。

「……プラズマランサー・ジェノサイドシフトか。これはあかんね」

「………かわせるか?」

「かわせると思う?」

「……そうだな」

 そんな、諦めたのか諦めてないのか微妙な会話をかわす三人目掛けて。

 殲滅の槍が解き放たれようとした、その瞬間。

 ぐらり、と遺跡全体が揺れた。

 その拍子になのは達は体制を崩し、リインフォース・オルタは術式を中断して空に飛び上がった。

 さらに、真っ暗な闇の中に浮かび上がる無数の電子回路じみた光の線。壁に縦横無尽に走り回り瞬くその輝きは、まるでこの遺跡が苦悶しているかのようにも見えた。

「な、なんや?」

「……大体予想は付く。誰かがどこかで無茶をしたんだろ」

「わ、私じゃないよ?!」

 自覚はあったのか、慌てて首を振るなのは。分かっている、とばかりにげんなりとクロノは頷いた。
「……自覚があったなら今後控えてくれ」

「はぅ……」

「……どっちにしろ、僕らがここを切り抜けないといけないのは変わらないんだ。来るぞ」

 そのクロノの言葉を追うようにして、無数の雷撃が降り注いだ。

 おそらくは、サンダーレイジの蒐集版。元々広域魔法であったそれは、リインフォース・オルタの魔力資質によって空間攻撃に近いほどの圧倒的な拡散率をもってなのは達に襲い掛かった。

 阿吽の呼吸で、防御結界を張り巡らせる三人。三重に張られた結界の上を、黄金の雷撃の舌が嘗め上げる。

 忽ち、結界が悲鳴のような軋みを上げる。

「くそっ……、出力が足りないっ」

 粉砕される結界。三重にも張り巡らされた結界が砕け散り、その輝きを掻い潜って雷光が襲い掛かる、

 その狙いは………なのは。

「なのはっ!」

「なのはちゃんっ!!」

 クロノのはやての悲痛な悲鳴。唖然とした表情のまま、なのはは自らに襲い掛かる雷撃を見上げて。



「森羅万象を縛りし掟よ、我が命に答え、我が言葉に従え」



 聞き覚えのある声と共に、漆黒の輝きが集う。

 光でありながら暗き色を宿したその有り得ない魔力は、なのはに襲い掛かる雷撃に纏わりつくと、まるで枯れ枝をへし折るかのようにアッサリとその威力を霧散させた。



「我は、神意なり」


 さらに、同じ黒色の魔法陣がリインフォース・オルタの足元に出現する。ミッドチルダ式のその円環が輝くと、リインフォース・オルタの体が黒い光の縄によって拘束された。

 そして、魔法は完成する。



「……縛れ!」
『Gravity prison』



「!? ぐ、ぐぅ……っ!?」

 苦悶の声を上げるリインフォース・オルタ。その彼女を中心とした空間が、変に押しつぶされたかのように歪む。

「え………?」

「この魔法……重力増幅系か!?ならば、これは……」

 重力操作魔法。

 一般に飛行魔法に使われている事から簡単な魔法と思われているが、実際は多少は違う。

 重力操作には二系統あり、主に増幅と軽減が存在する。

 飛行魔法に使われているのは、重力軽減。だが重力増幅は、次元航行艦に簡単なものが使われているが、大気の屈折すら変化させる程の高倍率変化はいまだ実用化した例は一例しか存在しない。

 そう、そのたった一例の使い手こそが。

「……ふ。まさかこれを使う事になるとはな」

「!?」

 響く声に、クロノが顔を上げる。

 その視線の先、空間の天井に近い場所に立つ数名の人影。

「ゲイル隊長!?それに、フェイトちゃんも!」

「ごめん、はやて、なのは、クロノ。心配かけたね」

「遅れてごめーん」

 にっこりと微笑みながら三人の下へ降り立つフェイト。その表情にはやや疲労の影が見えるが、目だった怪我は見当たらない。それはゲイルも同じだった。

「フェイトちゃん、アルフさん……良かった、無事だったんだね」

「うん。さっきの振動でトラップが停止して、その隙を抜け出してきたんだ。それより、アレは……?」

 フェイトは、鋭い目つきで拘束魔法にかかったままのリインフォース・オルタを示した。ゲイルに肩を支えられて立ち上がったクロノがそれに答える。

「この遺跡が作り出した、リインフォースのコピーだよ。……隊長ですか、あの魔法は」

「悪い、少々出遅れた」

「いや、本当に助かりました。よいタイミングです」

 諦めたように呟くが、クロノはそれ以上追求しなかった。

 S2Uを手に、戦闘態勢を取る。

 その視線の先で、拘束されたリインフォース・オルタは、重力の戒めに逆らって身を起こした。

「………砕け」

 その一言で、彼女を縛る戒めが消失する。

 魔法陣が砕け散り、黒い燐光が舞った。

「………マジか。あれ、10Gに設定したんだが」

「術式拘束も物理拘束も凌ぐか、化け物め」

 流石に渾身の魔法をあっさりと排除されて唖然とするゲイルと対照的に、憎憎しげに舌打ちを鳴らすクロノ。

 いくらフェイトが加わったとはいえ、状況は良くない。圧倒的に打撃力不足なのは変わらないのだ。

「………なのは」

「え、な、何クロノ君?」

「スターライトブレイカー……撃てるか?」

「え?」

 クロノの言葉に一瞬戸惑ったように俯き……なのははこくり、と頷いた。

「大丈夫。いける」

「……よし。ゲイル隊長、もう一度さっきの魔法を最大出力でお願いします。フェイトとはやては、可能な限りリインフォースの動きを阻害して時間を稼いでくれ。アルフは、二人の補助に」

「りょーかい!」

「分かった」

「おーけーや!」

「……よー分からんが、大丈夫なのか、そのスターライトブレイカーとやらは」

 当たり前の話だが、なのはの魔法の事を良く知らないゲイルが不安そうに尋ねる。それに対し、クロノは疲れたような笑みを浮かべて応えた。

「……本局第三訓練室が吹き飛んだ話、知ってますか?」

「………了解。とにかく動きを止めればいいんだな」

 こくり、と頷きあい、二人は各々のデバイスを構えた。

 宙に舞うリインフォースが、赤い瞳でそんな彼らを見下ろす。

「……安らかに、眠れ。この、時の凍る闇の中で」

 リインフォース・オルタが両手を差し出す。その両手に集う、圧倒的な魔力。

 だが、誰もそれに気圧されはしない。それぞれの魔力を静かに高め、一斉に駆け出す。

「貴女はもう居ない……!居ない人は、もう何もできないんだ!」

「そや……だから人は、今を必死に生きるんや。眠るのは貴女のほうや。リインフォース!」

 ザンバーモードを展開したフェイトと、スレイプニールを展開したはやてが飛び出す。

 その後ろで、なのはがゆっくりとレイジングハート・エクセリオンを天に向かって翳した。まるで天に槍を捧げる戦乙女のように、輝く翼を広げ目を閉じる。

「星よ集え……全てを貫く光となれ……」

 その槍から、立て続けにカートリッジが排出されていく。同時に、その頭上へと急速に無数の輝きが集い、一つの巨大な魔力球を作り上げていく。

「させない……」

 その様子を見たリインフォース・オルタが、妨害しようと手を向ける。だがそれよりも早く、アルフのリングバインドがその両足を拘束する。そこへ、横手から迸る黄金の斬撃と、白く輝く光の槍が伸びた。

「ジェットザンバー!」

「石化の槍、ミストルティン!」

「………断て」

 静かに呟き、それぞれの攻撃を防ぐように手を翳すリインフォース・オルタ。その手の先に、ベルカ式魔法陣が浮かび上がり攻撃を受け止める。全てを切り裂く雲耀の刃と、命封じる石化の槍は、しかしその盾を破る事が出来ない。

 だがそれは布石。

 リインフォース・オルタの足元に、再び浮かび上がる漆黒の魔法陣。致命的な予感を思わせる黒い雷光が、リインフォース・オルタに絡みつく。

 だがリインフォース・オルタは動じない。逆に、蔑む様な視線をゲイルに向けるだけ。それはそうだろう、同じ魔法に何度も敗れるほど彼女も愚かではない。

 すぐさまバインドブレイクが行使され、魔法陣が揺らぐ。

「………愚かな……」

「甘いのは貴様だ……プルートー!!全セーフティ解除!私が許可する、押しつぶせぇぇええっ!」

『Gravity chops』

「が……っ!?」

 先ほどとは桁違いの……それこそ、万物を粉砕しかねない暴虐的な過重がリインフォース・オルタの全身を鷲掴みにする。

 もはや拘束とかそういうレベルではない。魔法陣を中心に漆黒の柱が全周囲に向けて出鱈目に立ち上り、空間が丸め込まれたように圧縮される。

 魔法陣を基点に、周囲の空間そのものが発生した重力によって捻じ曲げられているのだ。原理的にはもはや小型アルカンシェルといってもいい。

 だが、空間ごと圧縮されながらもリインフォース・オルタは倒れていない。あまつさえ、その超重力を内側から打ち破ろうとさえしている。

 しかしそれで良い。

 もとより倒す為の攻撃ではない。全ては、必倒の一撃にかける為の布石。

「今っ!いくよ、レイジングハートッ!!」

 輝く星が輝きを増し、金の槍に付き従う桜色の煌きが動き出す。

「スターライト……」

 桜色と、少しの黒と金と青と白の交じり合った、巨大な力が、なのはの言葉に答えた。

 高町なのはの誇る、最強にして最後の剣。周囲から収束した魔力と、カートリッジ全弾の魔力をつぎ込んで放たれる、桜色の極大砲撃魔法。

「ブレイカーーーーーーーーッ!!!」

 始めに放たれたのは一筋の閃光。そしてそれから、彗星の尾を思わせる魔力の濁流。

 比類する物のない、絶大な輝きが迸る。

 超新星爆発もかくやというその圧倒的な魔力は、輝く剣となってリインフォース・オルタをその呪縛ごとのみこみ、遺跡を穿ち、天へと駆け抜けていった。

「やった……っ!」

「なのは…!」

「やれやれ……」

「………ふぃー。疲れた」

「………悪夢みたいな魔砲だな」

「心中お察しします」

 喜びに沸くはやて達。

 ふぅ、と脱力しながらも、なのはは手元の愛杖に声をかけた。

「お疲れ様、レイジングハート」

『…………』

「? どうしたの、レイジングハート?」

 だが、忘れてはならない。

 力とは、あくまで力でしかない。

 強大すぎる魔力は人の手にあまり、扱いを間違えればその身を滅ぼす。



 ぴしり、と。

 紅い宝珠に、亀裂が走った。



 バリアジャケットが、音もなく光になってほどけていく。

 霧のように大気へと解けて消えていく魔力を呆然と見つめながら、なのはは手に握っている筈の愛杖に語りかけた。

「……れいじんぐ、はーと?」

 答えは、ない。

 びしり、ぴしりと、亀裂が宝珠全体に広がっていく。やがてそれはフレームにも及び、レイジングハートが……朽ちていく。

『…………Master.……so……rry……』

 掠れたような、電子音声。

 それを最後に。

 レイジングハートから、光が消えていった。


 限界だったのだ。

 度重なる戦闘。もう一人の自分との激突。

 さらにはディバインバスターを突き破ってのACSの起動。

 いくらなのはが魔力の扱いに長けていても、そんな状態でのスターライトブレイカー発動の負担に、レイジングハート・エクセリオンは耐え切れなかったのだ。

 それでも。

 それでも、レイジングハートは、大切な主の為に全てを振り絞って。


「…………っ!!」

 愛杖を抱きしめて、なのはは声にならない絶叫を上げた。

 膝をついてうずくまる彼女を、フェイトが慌ててかけよって抱き起こす。

「なのは、しっかりして……」

「フェイトちゃん……レイジングハートが、レイジングハートが……っ」

「まさか……フルドライブの反動?」

 すぐに、近づいたゲイルがレイジングハート・エクセリオンに手を伸ばす。しばし触診のような事をした後、重々しく頷いた。

「……大丈夫だ。破損は中枢にまで行っていない」

「なおるの……?」

「ああ。インテリジェントデバイスには、万が一に備えデータのバックアップがある。内部魔力が尽きる前にちゃんとした施設に持ち込めば、直るはずだ」

「よし、そうならはやて、君はなのはを連れて上まで戻ってくれ。僕とゲイル隊長とアルフ、フェイトはこのまま地下にもぐる。頼んだぞ」

「ちょ、ちょおまてぃ!疲労してるのは、クロノ君もやろ!?」

「君と一緒にするな。低魔力での戦闘には慣れている。……なのはを、頼む」

「……あー、もう。そげな言われ方されたら断れへん……。しゃあない、なのはちゃん、行くで」

「う、うん……」

「よし、行くぞ、フェイト」

「うん」

「さて、急ぐとするか、はやて」

「あ、ううん」

 はやてはせかすようなクロノに軽く答えると、うっすらと光のさす陥没地点に目を向けた。

「………お休みな、リインフォース」






「誰が、だ?」












 時が、凍った。

「……まさか」

 ゆっくりと、クロノが振り返る。

 先ほど、スターライトブレイカーexが貫いた天井。

 僅かに地上の光が差し込み、漂う塵を雪のように照らし出しているその場所で。

 ずるり、と白い腕が這い出した。

 続いて、瓦礫を押しのけながら現れる、銀の髪、漆黒の法衣、黒い翼……そして、紅い瞳。

 リインフォース・オルタが、そこにいた。

「馬鹿な……スターライトブレイカーの直撃だぞ……っ!?耐えられる筈が……?!」

 クロノの驚愕は悲鳴に近い。

 確かに、スターライトブレイカーexは直撃したはず。だが、リインフォース・オルタは騎士甲冑の上着の部分を失ってこそ入るが、実際ほとんど無傷に近かった。

 レイジングハートがわが身を省みずにはなった一撃を耐えた相手に、なのはも血の気のうせた顔を向ける。

「……ああ……流石にあれは不味かった……。二度目があればもはや耐えられまい……。だが、それも不可能のようだな……」

 ぎらり、とその瞳が破損したレイジングハート・エクセリオンとなのはを捕らえる。そして、その頭上に浮かび上がる漆黒のスフィア。

「……闇に、染まれ」

「まずいっ!フェイト、なのはを連れ……」


「デアボリック・エミッション」


 漆黒の雷雲が、部屋を埋め尽くす。

 その中で、咄嗟にゲイルとフェイトがなのはを庇うように躍り出た。

「ラウンドシールド!!」

「グラビティテリトリー!!」

 金と黒の防御障壁がなのはを守るように展開され、雷撃と鬩ぎあう。

「ぬぅ……!これは……!」

「く……っ!」

 苦悶の声を上げながらも、なんとか耐え切る二人。

 漆黒の雷雲が晴れる。その向こうから……黒いオーラをまとって突っ込んでくる、リインフォース・オルタの姿。

「シュヴァルツェ・ヴィルクング」

「うあっ!?」

「ぐっ!?」

 あっさりとシールドを粉砕する拳が、二人の喉元を鷲掴みにする。そのまま、リインフォース・オルタは小柄な体で二人の魔導師を軽々とつるし上げた。

「……甘いな」

 小さく呟き、手に力を込める。バリアジャケットで保護されている筈の二人の首元が、メリメリと音を立てた。

「フェイトちゃん!ゲイルさん!!」

「ぐぅぅ……!!」

「フェイトに……何しやがるっ!!」

 首を握りつぶされる前に、アルフが横手から殴りかかった。魔力を帯びた痛烈な一撃を、リインフォース・オルタの細腕に叩き込む。

 パンツァー・ガイストでそれを防ぐものの、衝撃に手を離すリインフォース・オルタ。

 その頭上から、今度はクロノが踊りかかった。魔導の杖に灼熱の輝きを宿し、それを眼下に向けて解き放つ。

「ブレイズカノンッ!」

「………無駄だ」

 リインフォース・オルタの体を包むように、漆黒の立方体が浮かび上がる。クリスタルを思わせるそれはブレイズカノンの着弾の衝撃と高熱を一寸足りとて術者に伝える事なく完全に遮断し、反撃と言わんばかりに今度はリンフォース・オルタの放った雷撃がクロノとアルフを打つ。

「がぁっ!」

「あぅつ!?」

「クロノ君っ!」

 吹き飛ばされる二人。追撃をかけようとするリインフォース・オルタの間に、続けてはやてが割ってはいる。同じ古代ベルカ式の砲撃魔法同士がぶつかり合い、火花を散らす。

 それを一人、何も出来ないまま見つめていたなのはは焦燥に唇を噛んだ。

「駄目だ……このままじゃ、みんなやられちゃう……っ!」

 何か、何か手段はないか。

 あのリインフォースが、あの哀しい未来を歩んだ自分と同じ遺跡の作り出したものならば、必ず、必ず何か共通点があるはず。

 本物ではない故の、作り出されたからこその、矛盾が。



 ”……ふふ……一撃くらい、耐える自信があったんだけどな……”



「……ある。方法なら、一つだけ」

「それは興味深いな」

「!?」

 はっとして振り返ると、そこにはS2Uを力なく構えているクロノの姿。

 クロノはなのはの手を取ると、その手にしっかりとS2Uを握らせる。きょとんとするなのはに、厳しい視線をリインフォース・オルタに向けたまま。

「ク、クロノ君?」

「方法があるんだろう?……存分にやれ」

「で、でも……S2Uじゃ無理だよ。方法はあるにはあるけど、かなり出力が必要で……フレーム強化されてないS2Uだと」

「構わない」

「でも……」

「なのは」

 びくり、と身を震わせるなのはに、クロノは目を合わせて。

「……すずか達を、助けるんだろう?」

「…………うんっ!!」

 頷いて。

 なのはは、力強くS2Uを握り締めた。


 蹲ったまま、暗い視界ではやてはリインフォース・オルタを見ていた。

 力強い光を纏い、漆黒の翼を広げた、ある意味では本当のリインフォースであるともいえる、その力を。

「強かったんやな……リインフォース」

 そう。

 彼女は強い。

 それは魔力量と、悠久を伝えられてきた過去の英知の、その結晶。

 夜天の魔導書と、称えられた名の通りに。

 ……だから。

「……だから、ね。私も……リインフォースのマスターだった私も、強くなきゃあかんのや……」

 じゃり、とシュベルトクロイツを文字通り杖代わりにして、立ち上がる。

「リインフォースに託された私も……強くなくちゃ、いけないんや……!!」

 ばさり、とスレイプニールが力強く羽ばたき、その身に魔力が満ちる。

 残された力を燃え上がらせるはやての目に、同じように動きを見せるなのはの姿が映る。

 二人の目が、合う。

 ただそれだけのやりとりでよかった。そのほんの一瞬で二人はお互いに為すべき事を知り、一斉にリインフォース・オルタへと駆け出していった。






 飛び掛る漆黒と黄金。

 迸る牙と爪が縦横無尽に振るわれる度に、すずかの体は傷ついていく。

 力の差は歴然過ぎて、すずかは一方的にスズカの攻撃にさらされているだけ。

 なのに、一方的に攻撃しているスズカが、焦っているように、苦しんでいるように見えるのは何故なのだろう。

『ignation』

「ぁぁぁあああああああああああああっ!!」

 雄叫びを上げて、金の剣を携えた少女が迫り来る。飛び上がってその一撃を回避するも、機動力の差は明確。

 すぐさま追いつかれ、再び連撃がすずかの小さな体を襲った。右からの袈裟駆け、下段からの刺突、一度引いてのなぎ払い。

 何度も何度も、銀の刃と金の剣が交差する。その度に、蒼いドレスのすそが切り裂かれて、はらはらと舞う。

 結論だけで言えば、歯が立つ筈がないのだ。今までの戦いでそれは十二分に証明されている。

 次は、剣を受け止めて思わず構えた所への、横回し蹴り。バリアジャケットのお陰で骨は折れないが、それでも息が止まる様な思い一撃。吹き飛ばされた先で、さらに追撃。それを、両手をついて飛びはねてかわす。

 何度も何度もリフレインする言葉が、今またすずかの頭に浮かぶ。それは、彼女と戦う限り、離れられない呪縛。

 ”この場において月村すずかとヘルマフロディトスは、スズカに決して勝てない。”

 距離をとり、魔弾を乱射する。その全てが相手の放った魔力刃に巻き込まれて撃墜され、その膨大なエネルギーの前に回避したはずのフライアーフィンの片方が吹き散らされる。

 体制を崩して、地面に叩きつけられる自分と、空から見下ろすスズカ。その剣が、怪しく瞬いた。空中にいくつもの魔法陣が浮かび上がり、一斉にすずか目掛けて魔弾を放つ。

 ”スズカが、月村すずかの理想であるが故に。”

 降り注ぐ、紅い魔弾。それは瞬く間にすずかの展開した結界に罅を入れる。

 それは今までの焼き直しのようで……。だが。

 ”……本当に?”

 ふと、疑問が掠めた。

 なおも降り注ぐ魔弾は、結界を穿つ。だが、穿たれ網目のようになりながらも、蒼い結界は消えない。

 焦れたように、剣を振り上げて襲い掛かってくるスズカ。スズカもまた、光刃を展開してそれを向かえる。

 ”スズカは、本当に月村すずかの理想なのか?”

 ”そもそも、終着点等、本当に存在するのか?”

 ぎゃり、と光の刃が真正面から、金の剣を受け止めた。それはおされ気味ではあったけど、確かに歯が立たないはずの剣撃を力で押さえつけていた。

(違う。終わりなんて、ない)

 ぐ、とグリップを握り締める力を強くする。それに答えるように、光の刃が強く、強く輝きをましていく。

「……そうだ」

 人は変わる。良くも悪くも、変わっていく。

 より高みへと。より、遠くへと。

 そこに終わりはない。ゴールは、新しいスタート。終わりは、新しい始まり。

 だからこそ人は明日へと歩いていける。未来へと、希望を抱くことが出来る。

 そうして、世界を広げていく。

「……そう。だからこそ、世界に……未来に、終わりなんてない」

 気合を込めて、剣を弾き飛ばす。だが、追撃は構えない。

 気がついたから。

 私が本当に望んだものは、これじゃないと、気がついたから。

 それは確信。

 スズカは確かに強い。それは、きっと自分自身が望んだ力。

 だけど、それは過去の話。

 だからこそ彼女は、自分の変化に戸惑い、恐れた。それは、きっと彼女の知っている月村すずかでは無かったから。

 ならば、超えていこう。

 新しい自分で。

 新しい力で。

 新しい翼で。

 その先に、望む未来があると信じて。

 光。

「私は」

 眼前には、剣を振りあげたままの姿のスズカの姿。

 まるで何かを否定するようにゆるゆると首を振る彼女の瞳を真正面から見据えて。すずかは力強く誓った。

 その体は、蒼く輝く無数の呪環によって包み込まれ、蒼い光を放つ球体のようにも見えた。その光の中で、左手を胸に当てる。

 焼け付く痛みは、刻まれた知識。今までは感覚でしか理解できなかったはずの世界が、確固たる存在として目に映る。

 今までは、本能に任せた施術しかできていなかった。それ故に、ヘルマフロディトスの性能は半分も発揮されていない。

 だが、今は違う。

 死の狭間との接触、限界を超えてのデータバンクへのアクセス、そして度重なる戦闘によって、彼女は魔法を正しく理解する領域へと到達していた。

 魔法とは、術式をもって世界を改変する技術。その真理へと、すずかは一歩を踏み出す。

「貴女を……」

 右手に握る、白と黒の器。その装甲が、罅割れ、砕け、溢れ出す蒼い光。古い殻を突き破り、新しい姿と力が、すずかの手に宿る。

 それは、新しいマスターとデバイスの関係、その一歩。

 ヘルマフロディトスの機密データへの接触。その時点で、その姿は役目を終えた。もう、支える腕はいらない。今こそ、用意された道から踏み出す時。

「……越えて、いく!!」

『前マスターの魔力データ、凍結しました。マスター、契約を』

 ぎゅっ、と、今はただの光の塊へと戻った相棒を握り締める。

 何も言わず、命じた訳でもないのに自分の心を汲んで、何より大切だったはずの前のマスターのデータを自ら捨て去ったヘルマフロディトスに、申し訳ないという思いと、それ以上に愛おしく思う気持ちが溢れる。

 だが、それを言うのはいまじゃない。今はただ、沈黙をもってこの愛にこたえよう。

「……天に煌きを。夜に願いを。明日への鍵は……この胸に」

 まずは、身を守る強い衣服を。

 それはいつも傍にあった。やわらかく、ゆったりと、いつだって受け止めてくれるあの人のように。

 次に、魔法を宿す杖を。

 それは、願いを込めて友に捧げた名。名は形を、その姿を示すもの。ならば、それに相応しい形があるだろう。

「再誕」

 光が、展開される。

 それはすずかの右腕を、体を包み込んでいく。

「ヘルマフロディトス・エクステンド」

『新名称認識。ヘルマフロディトス・エクステンド稼動します』

 身を包むのは、ゆったりとした、手首とくるぶしまで覆う紫のワンピース。その上から、銀色のエプロンドレスを纏い、腰の左右には金色のアーマー、胸元には蒼い宝玉を備えたリボン。エプロンドレスの肩部分からは、鳥の羽を思わせる飾りが広がり、蒼い宝石が輝いている。

 その右手には、銀色の鍵が一つ。

 一見、やや短めの杖に見えない事もないそれは、上部に蒼く澄んだ輝きを宿す宝玉とそれと繋がる半円弧の形をした部品を持ち、下部には鍵のそれと同じ凹凸プレートが備えられている。

 カシュン、と音を立てて半円弧の片方から、羽毛を思わせる三枚の金属プレートが展開された。

「………教えてあげるよ、私」

 ばさり、とすずかの背から伸びる黒い翼。

 新しい友をざし、と床へと付きたて、手を離す。

 別離ではない。たとえ手が繋がっていなくても、心と心は、繋がっている。

 両手の先に光輝く光環が生じ、すずかはそこへ腕を差込む。

 それこそが、すずかの本当の魔法。

 戦う力ではなく、物質を想像し形にする才能。それを今、すずかは守る為に解き放つ。

 その手に握られたのは、ワルサーに似た銀色の銃。それを、スズカに突きつけて、すずかはつげた。

「例えどんなに愚かで盲目だったとしても、世界は、未来は―――この手の中にある」
 


 月は巡る。

 例え闇に沈んでも、月は巡りやがて輝きを取り戻す。

 闇から光へ。光から闇へ。



 さあ、終わりの為の物語の幕を、今上げよう。







・次回予告




 目覚めた翼と、凍った翼。

 互いに凌ぎを削りあう、過去と未来。

 闇の中、蠢くのは誰?




 そして観測される白い闇。





 全ては、為されるがままに。






 次回、第六章 Silver Key 【夢幻の扉】







 それは一つの終り。そして、始まり。





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