第七章 Tomorrow【そしてまた、明日へ】






「な、なんだ……また、何かの爆発か?」

「……違う。この振動は、爆発ではない。……どちらかというと、何かが崩れた感じだな」

「……何かって、何?」

「まぁ基盤だろうな。あるいは基礎構造か」

 さらっと言うゲイル。

 一瞬で、その場にいたゲイルを覗く全員の顔が蒼くなる。

「ちょっと待って下さい。基礎構造が壊れた、って……」

「まあ、この手の遺跡にそんなものがあるかは知らんが……少なくとも、すぐに崩壊が始まるだろうな」

「な、なんでそんな事が言えんだよ!?」

「伊達に修羅場を潜っていないのでな。悪党どもが苦し紛れにアジトを崩壊させるのに何度も巻き込まれた事がある。とっとと離脱せんと、巻き込まれてオダブツだぞ」

 げ、と呻くヴィータ。

 だが、なのは達はそうも行かない。アリサとすずかを助け出さなくては、何の意味もないのだ。

「そんな……っ。急いで、下に…っ?!」

 慌てて飛び出そうとしたフェイト。その眼前に、天井から落ちてきた巨大な建材が突き立った。もしあと一瞬早ければ、彼女は間違いなく瓦礫の下敷きだった。

 さらに顔を上げれば、壁や柱にまるで積み木を崩すかのように罅というよりラインのようなものが奔り、ガラガラと崩れだしているのが見て取れた。

 ……時間がない。

「ど、どうしようどうしよう!?」

「くそ、僕もデバイスがないのでは……っ」

「ええいうろたえるな、ここは一つ、私が重力魔法で……どうにもならんか」

「なら最初から言うんじゃねーーーっ!?ちょっとでも期待した自分が馬鹿みたいじゃねえかっ!?」

 完璧にテンパってる一同。

 その時だ。

 まるで爆竹が立て続けに爆発したような音が階下から響き渡ったかと思うと、一同の足元を何かが”下”から打ち抜いた。

 びきびしと床に亀裂が入り、振動が酷くなる。

「な、なんだぁ……?!」

 ヴィータがずれた帽子を被りなおしつつ叫んだ、その時。

 紫の光が、走り抜けた。

 床を突き破って飛び上がる、紫の影。

 舞い散る瓦礫を振り払い、強く羽ばたく黒い翼と残光を引いて伸びる光の尾。それを目にしたなのはに、満面の笑顔が浮かび上がる。

 探していた人。大切な人。すむ世界は違っても、一緒にいようと誓ったその人。

 なのはは、万感の思いを込めて、彼女の名を呼んだ。

「すずかちゃぁぁぁあん!」

「っ!なのはちゃんっ!?」

 ばさり、と翼を翻して、すずかがヘルマフロディトスからユーノとアリサを抱きかかえたまま飛び降り、迎えるように取り囲むなのは達の前に降り立った。右手で抱えられたアリサは顔色が悪いものの自分の力ですずかにしがみつきながら、なのは達の姿に目を細める。左手には、傷ついたユーノ。そして一緒に、ちょっとしたマシンガンのようなものが抱えられていた。先程床を打ち抜いたのはどうやらそれらしい。

 なのははすずかの姿が変わっている事に一瞬戸惑いを感じたが、それでも目の前にいるのは本物のすずかだと確信していた。

「無事だったんだね!」

「うん、私は大丈夫。でも、ユーノ君とアリサちゃんが……」

「……まぁ、五体満足とは言いがたいみたいね、お互いに」

 ぐったりとしているアリサの言葉に、一同が苦笑をかわす。だがそんな再開の喜びも、がらがらと天井から降り注ぐ瓦礫を前に中断せざるを得なかった。

「不味いな……崩壊が進んできている」

「そ、そうだ、何があったの、すずかちゃん!?突然、遺跡が崩れだして……」

「詳しい事は分からないけど、結界の中でおかしな事が起きたの。それが広がって、結界を通じて動力炉をおかしくしたせいで、遺跡が最下層から崩れていってるみたい」

「……やばいじゃん、それ。とっとと逃げないと……」

 アルフが毛を逆立てて、おろおろとフェイトの傍で足踏みをする。それは他の皆も同じで、一様に及び腰になっていた。

 だが、すずかだけは何かを決意したかのように小さく目を伏せると、ユーノをなのはに、アリサをフェイトへと預けた。

「二人を、お願いね」

「あ、うん。まかせて、レイジングハートがなくても飛行ぐらいなら……」

「ううん、違うの。私はちょっと別行動になるから、二人をアースラまでお願い」

「すずか!?」

 アリサの戸惑ったような声に答えず、すずかは翼を広げて宙に舞い上がる。

「すずかちゃん、何してるの!?早く逃げないと……っ」

「なのはちゃん達は先に逃げて。……私は、この遺跡を消去してみる。あの結界の中で生まれたモノが……このまま収まるなんて、思えない」

 思い出すのは、全てを飲み込む白い闇。

 崩壊する遺跡の中で、あの破滅の気配が消える事なくじわじわと広がっていくのを感じる。

 あれは、ここで消さなければならないものだ。

 だって、何故ならば。

「……そうか」

 すとん、とすずかの胸に落ちるものがあった。

 ……スズカはきっと、この世界を守りたかったのだ。

 だって、彼女だって、アリサを大事に思っていて、生きる意味を探していて。そして最後に、その意味を見つけられたから。

 だから、この世界を守るために、自分に出来る事をしたのだろう。

 だから。

 だから、すずかは。

「……必ず、止めて見せる」

「止める、って何をどうするつもりだ?」

 クロノがいぶかしげに尋ねる。クロノ達には、すずかが何を恐れているのかは分からないが、雰囲気で大体の事は察したのだろう、遺跡を破壊する事に否定的な態度はない。

 だが、流石に極端な結論に不可思議な気分になるのは仕方ないだろう。

「何いってんのさ、例の巨人を使えば一発じゃん」

「あ、ごめんなさい。巨人さん、壊されちゃいました」

「何ぃぃいいぃ!?」

 絶叫するヴィータ。良く分かっていないゲイルを除いて、全員ががくっと肩を落とした。

「こ、壊されたって、そんな簡単に……」

「大丈夫。まだ手段はあります。……急いで脱出してください。遺跡の崩壊がひどくなってきてます」

「ちょ、すずか!?本気で言ってるの?!」

「……分かった。気をつけてね、すずか」

「フェイト!?」

 アリサが信じられない、といった風に自分を抱きかかえるフェイトを見上げる。フェイトは小さく目を伏せて、アリサを強く抱きしめた。

「……アリサの気持ちは分かる。でも、この状況を一番把握しているのはたぶん、すずか。私達に出来るのは、彼女を邪魔しない事だけ」

「でも……でもっ」

「………アリサちゃん」

 しずかに、すずかはアリサの名を呼んだ。戸惑うアリサの手を優しく引き寄せ、その小指と、自分の小指をゆっくりと絡める。

 指きり、げんまん。

「大丈夫。必ず、必ずアリサちゃんの所に戻るから」

「すずか……」

「……約束だから。きっと、守るから」

「………っ。当たり前よっ!破ったら、絶交なんだから!」

「うんっ……」

 ぎゅ、と強く、強く互いの指を絡めあってから、二人は手を離した。

 と、アリサが懐に手を差し入れた。取り出したのは、あの血液カプセルの入ったピルケース。それを、すずかに手渡す。

「はい、これ」

「……アリサちゃん」

「……必要になるでしょ。あとでちゃんと返しなさいよ」

「……うん」

 すずかは微笑みながら、それを懐にしまいこんだ。

「必ず、返すよ」

 それを見届け、それぞれが動き出す。

 なのは達は負傷者を連れ、アースラに。すずかは、広がりつつ破滅を止めるために。

「……気をつけて!」

「なのはちゃん達も、ね」

 そしてそれを合図に、いっきに崩壊が進み……二手に分かれた一行は、立ち上がる土煙の中にその姿を消した。





『よかった、クロノ君、無事だったんだねっ!』

 なのはの打ち抜いた天井の穴。そこを集団で通り抜けたクロノは、抜けた途端に入ってきたエイミィからの通信に頬を緩めた。

 こちらの動きを、あちらは把握していなかったはずだ。となると、通信が途切れてからずっと、彼女は呼び続けていたのだろう。

「……こちらクロノ。一応、全員無事だ」

『良かった……。って、すずかちゃんは!?全員じゃないじゃない!?』

「安心しろ、すずかは所要があって別行動だ。……ある意味、僕達より彼女の方が元気だ。問題はない」

 その言葉に嘘はない。実際、デバイスを壊されてたり魔力を消費しすぎていたりと、全員が健全とはいいがたいコンデションだ。

 最も、すずかが万全とは言いがたいのも事実ではあるが。

「それより、怪我人が二人と、レイジングハートとS2Uが大破した。スタッフを待機させてくれ」

『レイジングハートが!?う、うん、分かった!すぐに待機させとく!』

「頼む」

 そこで、クロノは後ろを振り返った。

 月の里は、その様相を一変させていた。地下で進みつつある異変の影響か、街のあちこちが陥没し、地震のような揺れが断続的に発生している。

 朽ち果てながらも美しかった街は今、瓦礫の山へと帰ろうとしている。

 終焉の様を示すその光景を見つめながら、クロノはエイミィに告げた。

「……それと、デュランダルの用意を頼む。……おそらく、必要になる。あのデバイスのみが使いこなせる、絶対氷結魔法が」



「あと、少し……っ」

 一人なのは達と離れたすずかは、遺跡内部を瓦礫を避けつつ必死に飛んでいた。

 遺跡の通路は、飛行魔法を行使するには狭く、オマケに今は瓦礫が道を塞ぎ、油断すれば時折崩れ落ちてくる天井に押しつぶされる危険もある。

 そんな中を、ヘルマフロディトスの補助があるとはいえいまだ慣れない高速飛行魔法で駆け抜けるのは、非常に神経を使う作業だった。

『マスター、上です!』

「っ!」

 咄嗟にマシンガンじみた銃を構え、斜め上前方に発射。打ち出された無数の魔弾が、降り注ごうとしていた岩を打ち抜き進路を確保する。

 ぱらぱらと散る瓦礫の破片を銃身で払って、なおも進む。

「ちょっと今のは危なかったね……」

『やはり、連射弾は瞬間火力に難がありますね。マグナムタイプの武器が生成できれば良いのですが』

 ちなみに、マグナムタイプの武器とは、スズカとの戦闘で両断された拳銃の事だ。

 ヘルマフロディトス・エクステンドが備える武具召喚は、記録されている設計図を元に武器を構成するというもの。だが、すずかのイメージ不足や知識不足を補うべく、その構成にはヘルマフロディトスによるサポートが大きい。

 その為、召還時に記録されている設計図そのものをサーキットとして使用するため、武具が破壊されると設計図そのものも破損してしまい、書き直さないかぎり再召喚が不可能であるという欠点があった。

 したがって、すずかは火力不足を承知で本来面制圧用のマシンガンのような武器を使用している。

 無論、すずかが自力で魔力砲撃を発動できれば何も問題はないのだが、哀しいかなエクステンドとなったヘルマフロディトスの力をかりても、瞬間的に一定以上の出力を持った砲撃は相変わらず不可能だった。

「ヘルマフロディトス、あとどれくらい……っ!?」

『もうすぐです……っ』

 再び、降ってくる瓦礫を銃で打ち抜く。飛散する瓦礫の向こう、回廊の終わりが見えた。

 その行き止まりに聳える、巨大な門。

 だがその前に、巨大な瓦礫がゆっくりと落ちてくる。

 大きさにして、3m。巨大な回廊を塞ぐように落ちてくるそれは、駆け抜けるには遠く、打ち抜くには近すぎる。

『マスターッ!?』

「この銃じゃ間に合わない……ならっ」

 術式展開、設計図投影。

 ヘルマフロディトスの中に眠る知識の渦、記載されし30の武具から、その一つを選び出す。

 編み上げるは螺旋の鋼。噛み砕くは連なる刃。打ち抜くは鋭き円錐。

「打ち砕け………っ!」

 顕現したドリルのような構造を先端に持つ槌を巨大な岩盤に打ちつける。接触面でおびただしい火花がちり、ガクガクと鉄槌が衝撃に耐えかねて振るえる。

 一瞬で巨大な瓦礫に罅が奔り、弾け飛ぶように瓦礫が砕け散った。だが、まだ足りない。

 すずかは衝撃に耐え切れずひしゃげた武具を投げ捨てると、そのままいっきに半ば崩壊している瓦礫の傷跡に加速させたヘルマフロディトスの切っ先を突き刺した。

 迸る魔力放出。それをもって、今度こそ完全に瓦礫は粉砕される。だがそのせいで、勢いは完全に殺された。今から加速しても、遅すぎる。こうしている間にも、瓦礫はどんどん道を塞いでいく。

 一瞬の後に、すずかがとった行動は。

「っ」

 ヘルマフロディトスを引っつかんで、跨るのではなく握ったまま宙で一回転。そして、破砕した瓦礫に脚の裏を押し当てると、それを踏み台に一気に跳躍した。

「………っ!」

 見る見る間に、扉が眼前に迫る。それを強引に体当たりで開け放って、すずかはその部屋へと飛びこんだ。

 さして広くも無い空間。ただ、天井が見えないほど高く、部屋の中央に円柱のタワーのようなものが聳え立っているのが印象的だ。その塔の床付近に備え付けられたモニターに、すずかは文字通り飛び込むような勢いで駆け寄った。

 モニターには無数のエラー表示が紅く示されており、非常事態を示すシンボルがなりっぱなしになっていた。

 コンソールにかじりついて、すずかが指を走らせる。それに答えて、いくつかのメッセージがモニターに写しだされた。

「よし……まだシステムは生きてる……!これなら……」

 ずずん、という揺れ。きゃあ、とすずかが悲鳴を上げて床に倒れこんだその鼻先を、頭一つ分ほどもある瓦礫がかすめた。それは床におちて粉々に砕け散るが、すずかの顔からは血の気がひいていた。

「あ、あぶなかった……」

『急いでください。ここも、崩壊が進んでいます』

 かくかくと頷いて、再びコンソールに指を走らせる。

 プログラムの封印が解除され、次々と立ち上がっていく。だが、遺跡の損傷の影響か、いくつかのプログラムが働かないためそこはフロマディトスが強制的にプログラムを書き直す。

 そうこうする間にも、部屋の崩壊は加速度的に進んでいく。壁に罅がはいり、ぱらぱらと埃や小さめの瓦礫が天井から降り注いでくる。

 それが焦りをうみ、すずかの手元を段々狂わせて行く。

『マスター、落ち着いてください。焦っても状況は好転しません』

「そ、そうは言うけど……元々こんな文字分からないもの………頭の中に意味が出てくるというか、もう何が何だか……っ」

『マスターの意識に強制的に言語を走らせてますので。今はとにかく頑張ってください』

「う、うん……あ、頭、おかしくなりそう……」

 指先を縺れさせながらも、なんとか指を走らせるすずか。だが彼女の必死の働きも空しく、部屋の崩壊は進み、ついに、天井の一部が瓦解した。

 人一人、軽く押しつぶせる質量の瓦礫が、大量に天井から押し寄せてくる。

『マスター!?』

「ダメ……あと、少し……あと、少しなの……っ!」

 相棒の警告にも、そしてコンソールに照りかえって見えるはずの瓦礫にも目を向けず、すずかはひたすらに指を走らせる。そうこうする間にもどんどん瓦礫は加速し、今にもすずかを押しつぶさんと頭上から降りかかった。

「……出来た!!」

『最終封印解除。塔ヲ再召喚シマス』

 ぶん、とすずかの足元に魔法陣が浮かび上がる。すずかが展開する六華をさらに複雑にしたようなその魔法陣が光を放ち、すずかの体を包み込み、蒼い光に還元して転送した。

 直後、崩れ落ちた瓦礫がコンピュータールームを押しつぶした。



「クロノ君!」

 アースラ、武装局員出撃ルーム。転送魔法によってそこに運び込まれたクロノ達は、待機していた医療スタッフと技術スタッフによる手当てを受けていた。

 そこに駆け込んでくるエイミィ。クロノが軽く手を上げて彼女を呼び込むと、エイミィは駆け込んできた勢いそのままに走り抜けて……どさっ、と、クロノの胸に飛び込んだ。

「エエエエエイミィ!?」

「良かった……無事で、本当に良かった……」

 涙すら見せながら、クロノの胸に顔を埋めるエイミィ。一方、クロノは目を白黒させながら、周囲の唖然とした視線に曝されていた。

 エイミィとしては純粋にクロノを心配しての事だったのだろうが、こう、なんというかとてつもなくこそばゆいというのか。

「え、エイミィ……」

「?なに、クロノ君?」

「その……なんというか……周りを……」

「……ぇ?……ってきゃあああっ!?」

 クロノの言葉に我に帰ったのか、小さな悲鳴を上げてクロノを突き飛ばすエイミィ。周囲の観客はというと、あるものはニヤニヤしてたり、顔を真っ赤にしてチラチラ見つめてたり、ゲラゲラ笑っているものと反応は様々だ。

 ますます紅くなって縮こまるエイミィ。

 クロノは溜息をつきながら、突き飛ばされて尻餅をついたときの埃をぱんぱん、と払った。

「……それで、状況は?というか、君はブリッジにいなくていいのか?」

「あ、艦長が入ってきていいって……そうじゃなくて、え、えと、特に変化は無し……え、あれ?」 

「どうした?」

「……待って。……え、そんな、本当?!」

 おそらくはブリッジからの念話に、血相を変えるエイミィ。クロノはそんな彼女の様子に、迷わずブリッジとの通信を開いた。

 宙に浮かんだスクリーンの中、よそを向いているリンディの姿が映る。が、すぐにこちらに気がついたのか、スクリーンに対して正面に向き直った。

『クロノ執務官?ああ良かった、ちょうど今こちらも連絡しようと思っていたの』

「一体何があったんですか?」

『それがね、月の里の地下から、妙な空間異常が観測されたの。全ての数値が、−にむけて落ち込んでる。虚数空間とも違う、有り得ない反応よ』

「……」

 報告を受けて、クロノは顎に手をやって考え込んだ。そのような事象、クロノもまた覚えが無い。状況から察するに、それが遺跡を崩壊させているのだろうか。すずかは、それをどうにかしようとしているのか?

「……なんにせよ情報が足りません。もう少し詳しいデータを……」

『ちょっとまって。……これは、大質量の転送?!何か……建築物のようなものが、転送されてきてるようね』

「建築物?」

『ええ。今映像をそっちに映すわ』

 その言葉と共にスクリーンの映像が切り替わる。そこには、崩壊する里と、街にぽっかりとあいた陥没部から噴出す白い何か禍々しい輝きが映し出されていた。そのどこかのっぺりとした、見ていると飲み込まれそうな白の光にクロノが思わず息を飲む。

 と、里全体に、光の雨が降り注いだ。

 その輝きは、いつの間にか里に立ち込めていた暗雲を貫く一筋の光となったかと思うと、腹の底まで響くような重厚な振動音と共に物質化する。

 それは、宙に浮かぶ塔だった。

 尖塔のような、細長い物体が、里の中央上空に雲を貫いて聳え立っいる。窓は一切なく、銀色に輝く壁面には無数の彫刻が刻み込まれていた。

 その下部、底に当たる部分に輝く無数の魔法陣。アルカンシェルの魔導リングにもにたその輝きを目にしたクロノは、脳裏に閃いた予感に拳を握り締めた。

「すずかが言っていた対抗手段……まさか」

 呟くクロノ。その横で、アリサは天を貫く塔を、魅入られたかのように見つめていた。

「……私、知ってる……あれは……」






「これが……そうなの?」

『はい。これこそが、月の一族が残した最終兵器。万が一の時、里を消し去るべく用意された空間歪曲砲……ストームブリンガーです』

 すずかは、周囲を青空に囲まれた小さな椅子に座っていた。

 無論、青空は本物ではない。

 ”空間歪曲砲ストームブリンガー”その管制室に映し出された、外の光景だ。

 すずかの座るブリッジ部分を中心に張り巡らせた全周囲スクリーンからは、ストームブリンガーによって貫かれ渦をまく雲の様子と、眼下で異様な光と共に崩れ行く里の様子がよく見える。それは一種、絶景ともいってよい風景だったろう。

 だが、その光景に目を奪われている場合ではない。

 すずかがぽむ、と椅子の手すりのあたりを軽く叩くと、その一部がスライドし小さな鍵穴のようなものが露出する。その鍵穴へ、待機モードになったヘルマフロディトス・エクステンドを差し込む。生まれ変わった事により小さな宝玉から銀色の鍵へと待機モードをかえたヘルマフロディトスはしっかりとその鍵穴に収まるのを確認すると、すずかはそれを思い切り右に捻った。

『システム起動』

 ごぅん、という小さな振動と共に、眠っていたストームブリンガーが動き始める。大出力炉が稼働率をゆっくりと上げだし、その天文学的なエネルギーを受けて巨大な魔導コンピューターが起動する。

 それに応じて、その外形も段々と変わっていく。単なる尖塔にすぎなかった形状から、外壁の至る所にスライドが生じ、外郭全体がずれて伸びていきながら傘を広げるように装甲版が開いていく。さらに、十字架の形に開いた各装甲版の先端から巨大なアンカーが打ち出され、里に本体を固定する。

 もし、この光景を地球出身のそれなりに工学に知識のあるものが見たら、ストームブリンガーをこう称するだろう。

 巨大なパイルバンカー、と。

「へ、変形した……の?」

『はい。ストームブリンガーは、管理局で採用されている大出力魔導砲”アルカンシェル”とは原理を異にするものです。アルカンシェルが、一定空間を出鱈目に歪曲させ効果範囲のあらゆる物質・エネルギーを崩壊させ原子の塵に戻すのに対し、ストームブリンガーは一点に裏向きの歪曲場を作り出しそこへ対象範囲の空間そのものを”放逐する”兵装です。……本当に使用される日が来るとは、思っていませんでしたが』

「………つまり、アルカンシェルが空間を切り取る鋏なら……ストームブリンガーはゴミ箱みたいなものなの?」

『……そのたとえには聊か不満を感じますがおおむねその通りです』

 ウィン、と音を立ててすずかの周囲にいくつもの映像が浮かび上がる。そこには、里のあちこちの光景と、ストームブリンガーの稼動状態、空間観測データ、等の必要な情報が表示されている。

 その全てが、ストームブリンガーが稼動できる状態にある事を示していた。

『準備完了。ストームブリンガー、発射できます』

「……………」

 ヘルマフロディトスの言葉と共に、足元に六角柱が伸びてくる。その上部には、一つのシャッターで守られたボタン。

 言うまでも無い。これが、ストームブリンガーの発射ボタンだ。

 それを前に、一瞬だけすずかは躊躇った。

 里に残された思い。スズカの思い。月の一族の歩んできた歴史。たくさんの願いと思い出。そのあらゆる全てが、このボタン一つで無に帰る。

 だが、躊躇ったのは本当に一瞬。

 すずかは、力強く右腕を振り上げると、発射ボタンに勢い良く叩きつけようと……。





『ふむ。それは面白くないな』





 重い衝撃が、ブリッジを揺らした。その衝撃にたたらを踏んだすずかはボタンを押し損ねただけでなく、椅子から放り出されそうになって慌ててしがみついた。

 ブリッジ全体が、斜めに傾いでいる。すずかは何が起きたのか分からず、全周囲スクリーンに目を向けた。

 そこに。

 展開された装甲版、その一つを貫き絡みつく異形の姿。

 その姿に、その気配に、その歪みに、すずかは覚えがあった。

 忘れもしない二年前のクリスマス、すずかとアリサがであった異常そのもの。

「闇の書の、闇!?」

『馬鹿な!?結界の機能は停止していたはずです!?』

 驚愕の声を上げる二人をあざ笑うかのように、異形たる存在は哄笑するかのような雄叫びを上げて、ストームブリンガーを大きく揺さぶった。

「きゃあああっ!?」

『このままでは、本体の安定が……っ。ストームブリンガーが、発動できなくなりますっ!』

「そんな事、いったってぇ……?!」

 スクリーンには、遮るものもなく破壊を行う異形の姿。その無数の触手が絡みついたストームブリンガーの装甲を、はがさんと力を入れる。

 ベキベキと装甲が剥がされていき、たちまちブリッジ内が紅い警報に包まれる。

 だがどうしようもない。

 すずかがここにいる限り、外にいる防衛プログラムに反撃を行う手段は……。



『副砲二番三番展開っ!撃てぇっ!!』

 ごぅ、と空の果てから迸った緑色の閃光が、闇の書の闇を打ち抜いた。

 もともとストームブリンガーに張り付いて宙吊りになっている状態だったそれは、ビームに触手を打ち抜かれて無様に地面へと落下する。

 悲鳴のような叫びを残して里へと落ちていく巨体を見送りながら、すずかは呆然と今の攻撃の主に目を向けた。

「あ………」

『大丈夫、すずかさん?危機一髪だったわね』

 そこには、里上空にまで降りて来ていたアースラの姿が。ぽかんとするすずかをよそに、アースラはゆっくりと旋回すると、地上に叩きつけられてもがいていた闇の書の闇目掛けて、再度砲撃を放った。



 アースラの放った砲撃に、巨大な怪物がのた打ち回るのを見て、リンディはその整った頬に手をやった。思案するように、砲撃に曝される怪物を観察する。

「ふぅん……。どうも完全にはコピー仕切れなかったみたいね。でも、ビーム砲じゃしとめきれないか……」

「そのようです。まあ、アースラに搭載されている魔導砲は本来、あんな怪物を相手にするものではないですからね」

「普通はそんなのを相手にする事もないんだけどね……まあ、構わないわ。やる事はかわらないもの。クロノ、いける?」

『大丈夫です、艦長』


 リンディの言葉に、クロノが答える。だが、一体彼はどこにいるのか。スクリーンの向こうに立つクロノは、吹きすさぶ風に法衣を激しくはためかせ、乱れる髪を片手で押さえていた。その手には、氷結の杖がしっかりと握られている。

「……頼むわよ」

『了解』

  

 リンディとの通信を切ってクロノは眼下に広がる光景に向き直った。

 じたばたともがく怪物。だが、その姿にかつて感じた悲哀や憎しみの欠片も感じない。

「……所詮は、偽者か」

 ぐ、と力強くデュランダルを握り締める。

 吹き付ける強い風に法衣をはためかせながら、クロノは小さく目を閉じた。

 その体に、流れ込んでくる膨大な魔力。アースラで発生させた魔力を、クロノの体に流し込んでいるのだ。かつて時の庭園において出撃したリンディが行った事と同じ原理である。

 だが、リンディと違いクロノは自分の容量を上回るほどの魔力制御に慣れていない。ふとすれば暴走してしまいがちなその力を、意思でもって押さえ込む。

「いくぞ、デュランダル………!」

 そしてクロノは、”アースラの甲板”の上で、デュランダルを天に向けてしっかりと振り上げた。その姿は、軍艦の艦首に仁王立ちし、先陣を切らんとする太古の勇者にも似ていた。

「悠久なる凍土 凍てつく棺のうちにて 永遠の眠りを与えよ」

 祝詞にあわせて、戦場に季節はずれの雪が降る。

 白く染まる世界において、クロノは執行者のごとく、氷結の杖を振り下ろした。

「……凍てつけ!!」

『Eternal Coffin』

 季節はずれの雪が、里に降り注いだ。

 全てを眠らせる白亜の棺が、眼下に存在するあらゆるものを凍てつかせていく。

 それは悪夢の怪物とて例外ではなく、その巨体を白く凍結させて氷の大地へと倒れこんだ。動く気配は見当たらない。

 それを確認して、クロノは装甲の上に腰を下ろした。デュランダルを肩に担ぎなおし、軽く息を吐く。

「………ふぅ」

『お疲れ様、クロノ君』

「……まあな。だが、根本的な解決にはなってないようだ」

 告げるクロノの言葉通り、里を襲う次元異常はなくなってはいない。

 魔導師としての感覚でその異常を感じ取りながらも、クロノは落ち着いて空に浮かぶ巨塔を見上げた。



「くっ……」

『マスター!姿勢制御を!発射体勢が取れなくなりますっ』

 ゆっくりと傾いていく、ストームブリンガー内部。

 そこではすずかが必死にコンソールを操って崩壊をとどめようとするが、傾きは緩やかになるものの止まろうとはしなかった。

 闇の書の闇のコピーによって本体を固定するアンカーが破壊されたために、姿勢を維持できないでいるのだ。ストームブリンガーは原理上、本体がしっかりと固定されていないと発動する事が出来ない。

 すずかが必死に努力するも、一度バランスを崩した大質量物体はそう止まりはしない。

 ならば。

「……ヘルマフロディトス、バレル展開!完全に体勢を崩す前に、ストームブリンガーを解き放つ!」

『正気ですか!?本体を完全に固定せずに放てば、どんな事になるか……』

「それでも、このまま撃てなくなってしまうよりはずっとましだよ!」

 すずかの指が、コンソールの上をめまぐるしく走る。

 衝撃によって中断されていた発射シークエンスが再び立ち上がり、モニターに次々とグラフやセンサーが表示される。

 だが、流石に無茶な体勢での発射命令と、先ほどの攻撃による損傷からエラー表示が堰を切ったように溢れ出した。

「く……」

 すずかが必死にそれらを処理していくが、その間にもどんどんとストームブリンガーの体勢は崩れていく。

『マスター!』

「くっ………!」

 すずかが唇を噛み、現実に屈しようとした時。

『何をやっている』

 念話越しでも、無愛想な声が聞こえた。

 同時に、凍てつく氷柱が大地から立ち上り、ストームブリンガーの破損した装甲版にからみつきその巨体を押し上げる。

 それだけではない。

 氷柱によって支えられたストームブリンガー目掛けて、いくつもの光の鎖がアースラから放たれた。

 桜、金、白、翠、赤、緑、黒のそれぞれの鎖はそれぞれが巨大な塔の外壁にアンカーのごとく打ち込まれ、倒壊方向とは逆にその巨体を引っ張る。

 唖然とするすずか。その眼前に、新たなスクリーンが投影される。そこに映し出されていた面々に、絶望に翳っていたすずかの顔に笑みが浮かぶ。

『お待たせっ!レイジングハートがいなくても、これぐらいは出来るよ!』

「なのはちゃん……」

『ちょっとこういうバインドには自信がないけど……』

「フェイトちゃん……」

『お待たせやー、すずかちゃん。ここは任せときぃ!』

「はやてちゃん……」

『すずか、大丈夫…?』

「……それはこっちの台詞だよ、ユーノ君……」

『へっへー、こういうのは使い魔の本領発揮、ってね』

『アルフ様…』

『すずかさん、私達が抑えている間に』

『そーいう事だ。腐っても教導隊員だ、安心しろい』

「リンディさん、ゲイルさん……みんな……」

 アースラが機関の出力を上げ、みんなが張ったチェーンバインドでストームブリンガーの本体を引っ張る。さらにクロノが支えの中心になっている氷柱を成長させ、よりしっかりと巨大な尖塔を固定していく。

 それにより、体勢が安定するストームブリンガー。

 発射可能を示す表示が、メインスクリーンに再び戻る。


「やったっ!」

『ですが時間がありません!早く発射を……』

「うん!」

 すずかは頷いて、トリガーに両手を添える。左手でトリガーを支え、右手をボタンの上に翳す。

「いっ………けぇええええっ!!」

 そして、裂帛の気合と共に、発射ボタンを押し込んだ。

 ぐぉん、という稼動音がストームブリンガー全体に響き、魔力が集い、次元を貫く一撃が。


 発射、されない。 



『……マスター?』

「そんな……」

 すずかは、トリガーを押し込んだまま。硬直していた。

 正面モニターとは別、本体の状況を示すモニターに示される一つの事実。

 ………メイン動力ライン損傷。

『そんな……それでは!?』

「………くっ!」

 咄嗟にすずかはコンソールを叩き、他のラインを通して魔力を引っ張ってこようとする。だが、次元歪曲を為すほどの大出力魔導砲を起動するほどの魔力を通すラインがそうそうある訳も無い。何とかサブのラインを繋いで魔力を流し込むが、それでも僅かに足りない。

 さらに、姿勢維持に使っていた魔力さえも注ぎ込んだ影響で、体勢が崩れる速度が加速しはじめた。体感できるほどに、ストームブリンガーの姿勢が傾く。

 いくらなのは達が支えてくれていても、限度というものがある。

 このままでは……。

「……駄目、そんなのは絶対、駄目。……少し足りないんだったら……私が」

 すずかは呟いて、懐に手を突っ込んだ。抜き出したのは、アリサから預かったピルケース。中には、大量の血液カプセルが残されている。それをじゃらじゃらと手に空けるすずかを見て、ヘルメフロディトスが悲鳴のような声を上げた。

『いけません、マスター!?そんなに大量の血液を急に摂取したら、”引きずられる”可能性が!!そもそも、いくらパイプが開いているからといっても、貴女のしようとしている事はコップに向けてバケツをひっくり返るような事ですよ!?あなたの体が、持ちません!!』

「……けど、これが最善の手段だよ」

『だからやめてください!忘れたのですか、”引きずられる”事になった場合、どうなるのか!』

 その言葉に、すずかの指が止まる。

 思い返されるのは、血に飢えて我を失ったあの時の事。

 一番大事な人に牙を向けた、拭えない罪。

 それを思い返したすずかの決意が、ぐらりと揺らぐ。

 だけども。

「……大丈夫。私はもう、”引きずられない”よ」

『マスター』

「だって、私は一人じゃないもの。沢山の人が、沢山の思いが、私を取り巻いているから。”月村すずか”をここに、縛り付けてくれるものがあるから。だから、大丈夫。私は私のまま……きっと、もう道を誤ったりしない」

 告げて。

 すずかは一息に、大量のカプセルを飲み込み噛み砕いた。

 ド  クン  ッ

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」

 喉を潤す鮮血の味に、心臓が大きく脈動する。ともすれば暴れだしそうなそれを押さえ込むように、両手で胸元を握り締めながらすずかはぺっ、と血を吸いだしたカプセルの残骸を吐き捨てた。

 そのまま、まるで薬物中毒者のような声にならない呻きを上げて、座席の上に体を丸めて倒れこむ。

「……っ!……っ、……っ!?」

 熱い。

 苦しい。

 ……体が、燃える。

 すずかの体の中で、何か得体の知れないものが蠢いている。その凶暴な何かは、小柄な少女の体を突き破り、今にも暴れだしかねない。さらに、常軌を逸した圧倒的な魔力は、小さすぎる受け皿から溢れ出すどころか今にもそれを砕いてしまいそうだ。

 びくん、と四肢が痙攣する。断末魔の痙攣を思わせる、痙攣的な動作ですずかが背を仰け反らせた。その深紅に染まった両目は天を睨みつけ、唇を裂いてナイフのような犬歯が突き出す。

 あまりにも異常。今にも肌を裂いて、血が噴出しそう。

 もはや、ヘルマフロディトスの叫びも聞こえない。焼けるような血の流れに、すずかの自我が流されていく。

 熱イ。

 苦シイ。

 私ガ、消エル……。

 溢れ出した魔力が、行き場を失ってすずかの中でうねり狂う。今にも、それがはけ口を求めて噴出さんと、少女の体を打ち砕かんとする。

 その、瞬間。



 小さな腕が、その手を握った。



「……ぇ」

 紅く染まった世界で、すずかはそれを見た。

 よりそうように、自分の横に立つ少女の姿を。

 紅い瞳と、紫の髪の、金と黒の少女。

 呆然と見つめるすずかに彼女はにっこりと笑いかけて、優しくすずかの右腕を抱きしめた。

『一緒、だから』

 それは、もう聞こえないはずの声。

『私は、貴女の傍にいるから』

 それは、決別した可能性。そう、その筈だった。

 でも、もし彼女が全く別の存在として生まれたのなら。

『体が無くても。心が無くても。私は、ここにいるから。貴女の影じゃない、他の誰でもない私として……ここにいるよ』

 もしそうなら、共に歩く事も出来たろう。

『……独りじゃないから、一人なの。唯一じゃないから、一つなの。だから私はずっと、生き続ける。月村すずかの、世界の中で』

 そう。

 人は誰だって一人じゃない。

 多くの人が、信じて信じられて、世界があるのだ。

 だけど、それは他人だけじゃない。

 自分自身の心も、今まで歩いてきた道も、誓ってきた決意もまた、信じ信じられて、世界を作るのだ。

 そしてたとえ形が無くても。たとえすでに存在しなくても。信じて、そして信じられるのなら、それはきっと、世界を作る一柱。

 だから。きっと。

『………負けないで、すずか!!』





「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ァァァァァァァアアァァァアッ!!」

 獣の雄叫びを上げて、すずかが思い切り頭をコンソールめがけて振り下ろした。

 ガツン、という生々しい音を立てて、さっきまでの狂態が嘘のように、少女の体が静まり返る。

『……マスター?』

 すずかは、動かない。ただ、だらだらと打ち付けた額から血がこぼれるだけ。

『……マスター!?』

「………大丈夫」

 よろり、とすずかが身を起こした。

 ひゅ、と吹く血風。

 額は打ち付けた拍子で飾っていた宝玉が砕け、傷口からはだらだらと血が流れ続けている。さらに両目は狂ったような紅に染まり、口元には鋭い犬歯が除いている。それに、白い肌の下ははっきりと分かるほど赤い血が狂ったように脈動を繰り返しており、見えもしないのにその身に血色の風を纏っているような幻影がはっきりと見えた。

 完全な月の血の暴走。深紅の瞳は、その証。

 だが、すずかの口調に、血に酔った雰囲気は無い。

 すずかはあと一歩の所で、耐え抜いたのだ。それがどれだけ凄まじい事なのか、恐らくそれはヘルマフロディトスにしか分からない。

 唖然と沈黙するヘルマフロディトスをよそに、すずかは座席へと座り直った。

 ちらり、とその右手に目を向ける。

 もう、そこに優しく重ねられた指はない。けど、優しく心を抱きしめるものがある。世界の果てから、自分を押す声がある。

 進め、と。叫び声がする。

 だから、もう迷わない。

「いくよ、ヘルマフロディトス……制御を、お願い!」

 告げて、すずかは血に染まったコンソールに手を置いた。

 そして、自らの中で荒れ狂う魔力を……一気に、流し込む!!

「……ぁぁぁああああああああああっ!!」

 荒れ狂う魔力を、煮え立つ湯をポットに注ぐようにイメージする。ストームブリンガーを走る魔力ラインは紅茶のカップ。そこに、はけ口を求めて殺到する魔力を、加減しながらゆっくりと、しかし確実に馴染ませていく。

 そして、ラインとの同期が取れたなら……一気に、枷を払った魔力を流し込む。

『……ストームブリンガー、再起動!!皆さん、影響範囲から離脱してください!』

 ヘルマフロディトスの言葉と共に、アースラが急速転移でこの場を離れる。

 そしてメインスクリーンには再び照準レティクルが。

 映し出されるのは、未来を奪おうとする、過去からきた災厄。変えられぬ、滅びという過去そのもの。

 それを確認して、すずかは天高く、その右腕を振り上げた。

「私達の世界を、明日を………」

 その右腕を一気に、トリガー目掛けて振り下ろす!

「……奪わせたり、しないっ!!!」

 ストームブリンガーに、光が宿る。

 それは、古の葬送曲にして、送迎の歌。

 遍く災禍を打ち払う、銀の楔。


『全ての災禍に、望む者無し。ただ速やかに、最果ての地へと帰られよ。送迎されたし、嵐の王。葬送されたし、滅びの王』

 それを今、解き放つ。 

「『穿て!争乱の刃よ!』」






 ストームブリンガー………発動。











 迸る、光の柱。



 それは一瞬で、世界を白く染め上げる。



 そして白く染まったままに、世界から音が、色が、存在そのものが消えていく。



 全てが、白い闇へと、帰っていく……。





 それを、見送る少年少女達がいた。


 黒き魔導師は、夜明けの名を冠する戦艦からそれを疲労感と共に見送り。



 桜色の魔導師は、かわした誓いを胸に、彼女の安らぎを願い。



 金の魔導師は、使い魔と共にただ漠然と終わりを見つめ。



 夜天の王は、ただ黙って、何もかもが消えていくのを前に目を閉じ。



 金の少女はただ、残された友の身を案じていた。





 そして、夜の少女は。



「………お疲れ様、ヘルマフロディトス」

『お疲れ様です、マイマスター』

 すずかとそのデバイスは、お互いをねぎらいつつ座席でゆっくりと力を抜いた。もう、体を動かす元気も残っていない。力なく首を傾げて、消えていく里をスクリーン越しに見送る。

 涙は、出ない。

 あそこでたくされたものは、全てこの心に在るから。

「……色々、あったね」

『色々、ありましたね』

「……帰ったら、入院かな?」

『……帰ったら、オーバーホールでしょう』

「……学校、どうしよう?」

『……どうしようもないですね』

「…………あははははは」

『…………うふふふふふふ』

 そんな、会話をかわして。

 二人の主従は、疲労感に目を閉じた。

 抗いがたい眠気が、のしかかってくる。できるなら、このまま現実から逃げてしまいたい。

 けど、それでは駄目だと。

 いけないのだと、すずかは里を巡る争いの中で学んだのだから。

 彼女はぼんやりとした意識で、最後に呟いた。

「………ここ、どこだろうね」



 ストームブリンガー発射の瞬間。

 発生した次元の穴に巻き込まれぬよう、ストームブリンガー本体は急速転移でその場を離れていた。だが、やっぱり不安定な発射や損傷のトラブルが原因だったのか。

 気がつけば、そこは見知らぬ宇宙の果ての果て。




「…………ねえ、ヘルマフロディトス。現実って、辛いね」

『ええ。遺憾ながら』

 どこかで、くすくすと微笑む少女の声がした……。





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