「……ロストロギアを崇拝する、宗教組織?」

『ああ。その摘発に、君の力を貸してほしい』

 地球・海鳴市にあるハラオウン家のアパート。そこでフェイトは、久方ぶりに義兄と言葉をかわしていた。

 最も、その内容は他愛もない与太話ではなく、残念ながら任務絡みだったが。

 フェイトとしては久しぶりの家族の会話、もっと他にないのかと思わない事もなかったが、文句を言ってもしょうがない。久しぶりの会話である事に違いはないのだから。

 そんな義妹の心境も知らず通信映像の中で、クロノは相変わらずのそっけないすまし顔を浮かべたまま、話を続けた。 

『対象の組織はミッドチルダを中心に広まっている宗教組織"黄昏の鏡"。言っている事はよくある新興宗教と同じようなものだな。基本的には政府に従順で知名度もそこそこの無害な宗教団体なんだが……いや、だったと言うべきか』

「……だった?」

『ああ。厄介な事に彼らが御神体として崇めている代物が、危険度S以上のロストロギアである事が判明したんだ』

 言葉と共に映像が移り変わる。

 そこには、古いタッチの描画で、なにやら禍々しい獣の石造が描かれていた。

 それは、なんというべきか。

 一見、それはミッドチルダ周辺の次元に存在するワイルドラプターと呼ばれる大型変温動物に似ていない事もない。だが、オーガのように太く逞しい前足を持って四足歩行し、全身を黒曜石のような黒に染め上げた生き物など、きいた事がない。

 てっきり着色していないだけかと思われたが、その目に紅い色がともされている所を見ると、色がぬってないのではなくこういうものなのだろう。

 つくづく、不気味な石像だ。

「クロノ、これって……」

『通称"黒曜の棺"、正式名称は不明だ。判明しているのは無限書庫から発見された一部の記述から、極めて危険な遺物である事。流石にこれだけでは動けないが、このロストロギアを現教祖が発動しようとしているという情報が入り、今回の摘発に管理局も踏み切ったんだ。目的はあくまで教祖とロストロギアの確保、一般信者は無関係だ』

「一部の、記述?」

「ああ。なんでも、このロストロギアは、とある凶悪な魔獣を封じ込めてあるらしい。起動条件は不明だが、遺失物が封じている化け物がろくなものの筈がない。資料によれば、これによると思われる文明崩壊が数例発覚してる。一刻も早く回収しなければならない」

「なるほど……私はどうすればいいの?」

 嘱託魔導師の顔つきになって、質問するフェイト。唯の摘発なら、こうしてわざわざクロノが直接フェイトに通達する理由はない。何か特別な理由があるのだ。

『察しが良くて助かる。検察にあたって、管理局は総出で支部を確保し、教祖を抑えるつもりでいるが何らかの手違いで教祖がロストロギアを発動させないとも限らない。そうなれば真っ先に被害を受けるのは、一般信者達だ。その阻止には視察と称した鎮圧部隊を配置する事で対応する予定なんだが、黄昏の鏡は純血のミッドチルダ人しか本部への入団を許していないんだ。そこで、だ』

「そっか……私はミッドチルダ人としては純血、それに腕も立つし、PT事件も闇の書事件も公にはされてないから変に相手も警戒する事はないだろうし。期待のエースといっても私はまだ子供。視察団にはうってつけだね」

『ああ。それに連中だって基本的には善良な宗教団体だ。まさか何の理由もなく、視察を断る事もできないだろう。……引き受けてくれるか?』

「うん。分かった」

『そうか、頼む。……あ、それと、視察には君に補助を一人つける。よろしく頼むぞ』

「……え?クロノ、補助って?」

『忙しいので通信はこれで切るぞ。詳しいことは、書類を送っておく』

「クロノ、まってよ!?」

 静止も空しく、ブツン、と通信が途切れる。

 一人に戻ったロビーで、フェイトは独り不満そうに膝に顔を埋めた。

「クロノの馬鹿……それにしても、誰だろう、補助って?」

 少なくとも、その時のフェイトには思い当たる人物はいなかった。







漆黒の狩人  前編







「ようこそ、いらっしゃいました。ささ、こちらへ……」

「はい、本日は視察を快く引き受けていただき、感謝いたします」

「いえいえ、我々も一般市民ですからね、管理局の申し出なら快く引き受けさせていただきますよ」

 はっはっは、と快活に笑うのは独りの老人だ。

 全身を真っ黒なローブで覆い、深いブーケでその素顔の半分ほどまで隠しているその姿は怪しいことこの上ないが、ローブの下に覗く皴深い柔和な表情と、知性的な双眸が見て取れる。

 黄昏の鏡の事実上ナンバー2に当たる、プジョー神官である。

 そして、彼につれられて歩く年若い子供が二人。

 独りは、管理局のきっちりとした礼服を身に纏ったフェイト。そしてもう一人の人物は、なんとユーノだった。

 彼はいつものやぼったい衣服ではなく、フェイトに合わせたのかスクライアの伝統衣装だというどこか歴史を感じさせる立派な衣装に身を包んでいた。胸元には、知を重んじるスクライア一族らしく梟を模したらしい黄金の勲章が輝いている。それだけでなく今までの遺跡発掘の功績を称える勲章や管理局司書の身分を示すバッチなど、まるでどこかの地方軍の司令官のような井出達だ。おまけに、腰には儀礼用のサーベルまで刺している。

 今回の視察は、あくまでユーノが主賓であり、フェイトはその秘書……そういう事になっている。ユーノの持つスクライアという名と、無限書庫司書というのは今やそれだけの意味を持つのだ。

 それを纏っているユーノ自身はどこか居心地が非常に悪そうだったが、しかしその後ろをいくフェイトは気が気でなかった。

(に、兄さんの馬鹿ーーー……。ユーノが同伴者なら、しっかり教えてよ……っ)

 心臓がドキドキして破裂するかと思った。何せ、きっちりと着飾ったユーノは、その中性的な相貌もあってまるで童話から抜け出してきた王子様のようだった。おまけに、スクライアの礼服を着る場というのが、基本的に結婚式であるという事を聞いてしまってからは、必要以上に意識してしまって困ってしまう。

 そもそも、こんなに着飾ったユーノを見る事自体が初めてだ。普段はなよなよしていても、こういう格好をされるとやはりれっきとした男の子だという事を改めて意識させられてしまう。

「?どうしたの、フェイト?顔が赤いよ?」

「え?あ、う、なんでもないよ、なんでもないから」

「……?」

「ほっほっほっほ、お若いですのぅ」

 かっかっか、と笑うプジョー神官に、真っ赤になった顔をふせるフェイト。ユーノは意味が分からず、首を傾げた。

「まあ、せっかくのお客様ですしのぅ。すこし、お茶でもいかがでしょうかの?」

「あ、え、でも……」

 申し出に、ちょっと眉を曲げるフェイト。手早く、腕時計に目を飛ばして時間を確認する。

 決行の時刻まで時間がまだある。それにロストロギアは本部の奥にあるはず、もう少し奥まで入り込んでおく必要があった。

 秘書としてふるまう素振りを見せつつ、フェイトはユーノに念話を飛ばした。

『……どうしよう、ユーノ?』

『そうだね、いいんじゃないかな?時間はあるし、断るのも何か変だし』

『うん、ユーノがそういうなら』

「……フェイトさん、時間はどうかな?」

「いえ、問題ありません。多少時間に猶予はありますし、よろしいのではないでしょうか、ユーノ司書」

「そうですか、ありがとう。では少し、頂きましょう」

「ほっほっほ、そうですか。本日の豆には自信があるのですぞ。ほら、こっちです」



 プジョー神官が二人を案内したのは、小さいながらも小奇麗な応接室だった。おそらく重要な脚を迎えるための者なのだろう、施設入り口にあるものとは使われている家具のレベルも段違いであるし、ぱっと見壁にも防音・防聴設備が取り入れられているようだった。

 さらにユーノは、他にもいくつかの防御結界が取り入れられているのも見て取った。

『……ちょっとしたシェルターだな、これは。ま、これだけ大きい団体なら、あって普通か』

『……そうなの?』

『まあね、基本的にはスポンサーとの会談とか用だろうけど。大丈夫、万が一があったら、フェイトのザンバーでも突破できるレベルだから』

『……分かった。でも一応、気をつけておくね』

『うん。そうなったら、プランDで予定通り対応だよ』

 さっと簡単な打ち合わせをすませ、二人はソファーについた。ユーノが中央に、フェイトがその背後に立つ。

 それを見たプジョー神官が、柔和な目線をさらに細めた。

「ほほほ、お若いのにしっかりなさっている事で。まあ、そう肩肘はりなさるな。ほら、フェイトさんもお茶をいかがかの?」

「わ、私は秘書ですから……」

「……お気遣いを無駄にする事はないよ。フェイトさん、座りなさい」

『いいの?』

『シグナムから太鼓判は受けてる。いざって時、動けない方が不味いよ』

 この場合の太鼓判とは、護衛としてのものだ。フェイトは今回の任務にあたって、彼女から教鞭を受けていた。流石に夜天の書の護衛でもあっただけあってシグナムはそういった知識にも長けており、風化していたとはいえ経験もある。その彼女が言うのだから、フェイトの行動力に問題はないだろう。

「……では、失礼します」

 一言断ってから、フェイトはソファーに腰掛けた。ちょこん、とユーノの隣に腰を下ろす。

 二人がソファーに座ったのを見てから、プジョー神官が袖から出した小さなベルを鳴らした。コンコン、とノックを鳴らした後、奥のドアから修道女のような格好をした女性が、カップの乗ったボードを手にやってきた。

 女性がティーセットを人数分テーブルの上に置くのを待ちながら、プジョー神官は楽しそうに口を開いた。

「なかなかよいソファーでしょう?」

「ええ、まあ。この手触りは、ミッドチルダ学名ガウルカホーンスタッグの皮ですか?確か、プジョー神官の出身世界ではガルケナと呼ばれる獣ですね」

 ちなみに、ガウルカホーンスタッグは絶滅危惧種である。

「ほほう!博識でいらっしゃる。さよう、これはガルケナの毛皮を業者に頼んで仕立ててもらったものでして。私がまだ若い頃、ガルケナが狩猟禁止になる前の50年前狩ったものでしてな。ほほほ、ですのでそうお気になさらず。まぁ、趣味が悪いのは確かですがな」

「ふふ、私を試すおつもりでしたか、その口ぶりだと」

「おお、これはうっかり。減点対象ですかな?」

「いえ。ですが私以外の査察に、こういう真似はやめておいた方がいいですよ?」

「ほっほっほっほ!肝に銘じておきまする」

 ユーノがにっこりと微笑む。だがフェイトは何の事やらさっぱりわからず、ユーノに念話を飛ばした。

『……どういう事?』

『プジョー神官はね、僕を試したんだよ。あえて今は禁猟になっている動物の毛皮のソファーを出して、それを見破れるかどうか。組織を査察しに来た人間が、その程度の違反行為の匂いをかぎ分けられないなら、相手をする意味はないってね』

『そ、そっか……。でも、それだと警戒されるんじゃ?』

『それこそ望んだところ。こっちは、施設の設計図を持ってるんだ。変に遠ざけるような場所があれば、踏み込んでしまえばいい。舐められて、管理局の評価を落とす訳にもいかないしね。まあ、今回の任務を考えると余計だったかな?』

『ううん、そんな事ない。ユーノは凄いね』

 感心したように頷きながら、フェイトは一言断ってカップに手を伸ばした。中には黒色の液体がなみなみとそそがれ、水面に覗き込んだフェイトの顔を映し出した。

 同時に、軽く分析魔法をかけるのも忘れない。だが、見た所、明らかに唯のコーヒーに間違いなかった。

 もう一度、深く香りを吸い込んでゆっくりと味わう。

「いい匂い……」

「ほほぅ?わかるかね、わかるかね。この豆は中々苦労したのだよ?」

 フェイトの感想に、プジョー神官は本当に嬉しそうに目を細めた。ユーノもカップに口をつけて、その香りと味に目を見開いた。

「これは、確かに……良いものですね」

「そうでしょうそうでしょう?ささ、お代わりはありますので、どーぞご自由に」

「あ、すいません」

「ありがとうございます」

 二人して頭を下げて、女性が注いだコーヒーに再度口をつける。女性は二人が二杯目に口をつけたのを見ると、奥へと引き返していった。

 プジョー神官もにこにことカップを口に運び、なにやら資料を取り出す。

「さて、それではそろそろ……」

「はい、そうですね」

 そういって、プジョー神官とユーノが打ち合わせを始める。

 それを見つめながら、フェイトはふと、自分がユーノと肩を触れ合わせている事に気が付いた。

『………っ』

 ぼっ、と顔に血が上るのが分かる。念仏のように「平常心平常心」と呟いてみても、気が晴れるどころかますます深みにはまって行ってしまう。

 伝わる、ユーノの暖かい体温。聞こえるはずもないのに、彼の脈動さえ伝わってくるような錯覚。

 それは次第に、紅くなるを通り越してとろとろとフェイトの瞳をまどろませて……。

「……あ、れ?」

 そこでようやく、フェイトは異変に気が付いた。

 体が、上手く動かない。それになんだか、意識がぼんやりとしてくる。ユーノの傍にいるから?ううん、違う。これはそんな幸せなものじゃない。

 意識に霞がかかってくる。

「な……んで?」

 コーヒーには薬物の類は入っていないはず。なのに、フェイトはすでに体の自由を失っていた。

 全身が不自然に重くなり、指一つ動かすのさえ億劫に感じる。がちゃり、と音を立ててカップが床に転がり落ちたが、それを拾おうとしてそのまま床に倒れてしまう。

 身を起こす事も叶わず、視界が薄暗く閉ざされていくのが分かる。

『……っ』

 意識が消える直前、彼女は視界の端に同じようにくず折れるユーノの姿を目にした。



「ここは……」

 目覚めたフェイトは、どこか薄暗い場所に寝かせられていた。

 身を起こそうとするが、四肢が黒い皮ベルトのようなもので縛り上げられており、首以外はぴくりとも動かせない。ご丁寧に魔法妨害の効果もあるようで、魔法も使えない。

 やはり、というか相棒のバルディッシュも感じられなかった。

「何が……」

「お目覚めかね?フェイト・T・ハラオウン嘱託魔導師?」

 はっとして首だけで向きなおった先。

 フェイトの寝かせられている寝台から少し離れた場所にある、祭壇のような場所からプジョー神官が、黒い石像を背にフェイトを見下ろしていた。

 ……そう。

 教祖が悪用しようとしていたという『黒曜の棺』、その異形の影を背負うように。

「ご機嫌、いかがかな?」

 にやり、と蛇のような笑みを浮かべて、プジョーが笑った。



to be continue





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