注)本作品は『魔法少女リリカルなのはA’s』の二次小説作品ですが、作者のオリジナル設定・独自解釈が入っています。 ――っていうか、今後明かされるであろう公式設定とは、明らかに異なる部分がありますw その点をどうかご理解の上で、楽しんでいただけると幸いです。 「――それは本当なのか?」 ようやく届けたその報告が、言葉として彼の口を動かすまでには、少なからずの時が必要だった。 容易に信じ難い報告であることは、告げた“彼女”が誰よりも知っていた。 だが、それでも“彼女”は告げねばならなかったのだ――“事実”を。 「本当なのだな?」 掠れた声は重く、乾いた薄闇の中で向かうべき標を失い、虚しく沈殿する。 こぼれた嘆息は、初老の域に差し掛かっていた彼の肩を微かに揺らし、一息に10年は年老いたような徒労感が漂っていた。 ――と、その半身が不意によろめき、机の上を滑った彼の腕が乱雑に積み重ねられた書籍の山を払った。 乾いた音が雪崩となって床を叩き、“彼女”は声にならない悲鳴を叫んで彼を支えた。 ――前回は、まだ基礎研究の域すら抜け出せなかった。 ――そして半年前は、ようやく一定の理論が固まりつつある状態だった。 だが、その魔導書は彼の思惑や研究の進捗を全く無視して、11年ぶりに覚醒した。 前回も、そして今回も――彼の四半世紀にも及ぶ研究は、間に合わなかったのだ。 彼は醜悪で無慈悲な運命の女神を罵った。 何故、後半年の猶予を与えてくれなかったのだと―――。 それは“彼女”も同じ思いではあったが――意外なことに、運命の女神は彼を完全には見放さなかったらしい。 覚醒した魔導書は、そのまま第二段階へと移行しようとはしなかったのだ。 “彼女”は幸運の女神に感謝の祈りを捧げつつ、1ページの“蒐集”すら行わない『主』と、魔導書の現状を彼に告げた。 間に合うかもしれない―――。 微かな希望が、彼の寝食の暇すら惜しませた。 日を追って完成に近づきつつあった理論は、最終段階を得て遂に実用化の目処がついた――矢先の報告だったのだ。 「残念ながら、グラナート様。本日早朝――『闇の書』の完全なる“消滅”を確認しました」 “彼女”は沈痛な眼差しを微かに伏せて、同じ報告を繰り返す。 ギュッと、拳を硬く握り締めながら。 彼を落胆させることは、決して“彼女”の本意ではない。 それでも“彼女”は、告げなければならなかった。 「これまでのような第三者の手による“破壊”や、防御プログラムの暴走による“自己破滅”ではありません。 自らの意思により、完全なる“消滅”を選択したようです。――これがその映像です」 “彼女”は虚空にしなやかな指を躍らせた。 空を切り取るようなアクショントリーガーに、正三角形を中心にした瑠璃色の魔法陣が発動させ――空間モニターを開く。 薄闇に輝く三角形の魔法陣の中央に、やや鮮明さに欠けた静止画像の光が薄く灯る。 「管理局の監視下にあったため、この距離からの映像が限界でした」 釈明するように“彼女”は言った。 本当なら、もっと鮮明なリアルタイムの映像を提供すべきだったのかもしれない。 だが、時空管理局の厳重な監視下にあっては、これが限界だったのだ。 粒の粗い画像の中心に銀髪の女性が立ち、魔導書を前にして空を見上げていた。 深い雪に覆われた足元には、鮮やかなベルカ式魔法陣が銀の魔力光を放ち、その両脇はミッドチルダ式の魔法陣と連結している。 「これは……“破壊の儀式”か」 「はい。管制人格の両脇で魔法陣を展開させている魔導師が、防御プログラムを打ち砕いた、管理局の魔導師たちです。 詳細は不明ながら、両者共にAAAランクの魔導師と推定されます」 此度の『闇の書』の主もそうだが、それを止めた二人の魔導師も随分と若いと、“彼女”は思った。 もっとも、歳の若さが必ずしも能力に直結しないことは“彼女”も承知している。 “彼女”が敬愛してやまない彼にしても、この2人と魔導師と同じ年頃の時には、既に優秀な魔導師として王宮に仕える身であったという。 なにより“彼女”自身、外見的にはまだ少女の域から出ていないのだから。 「いかなる奇跡を引き起こしたのかは判りません。ですが、今回の主は自力で『闇の書』本体と防御プログラムの分離に成功。 管理を離れた膨大なエネルギー体である防御プログラムを、守護騎士ほか管理局の協力を得て沈黙。直後に上空――軌道上にまで転送。 待機させていた管理局艦船の魔導砲アルカンシェルによって爆散、消滅させたようです」 「ふん。一時凌ぎにすぎん。そんなことをしても防御プログラムは、いずれ再生する。――いや、だからこそ管制人格は自己破壊を望んだのか」 「おそらくは……」 “彼女”の呟きに、彼は頷いてみせたが、それは意識してのことではなかったのだろう。 彼の意識は険しい双眸から放たれる眼差しに乗って、画像に映る“破壊の儀式”にのみ注がれているのだから。 そんな彼の姿を見るのが、“彼女”には時々――つらい。 彼の眼差しは、いつだって自分以外の存在に注がれていることを、嫌が上でも思い知らされる。 やがて、彼はポツリと呟いた。 「無駄なことだ……」 「無駄……で、ございますか?」 「そうだ。無駄なことだ。この程度の儀式で『闇の書』が消滅すると、お前まで本気で信じているのか……?」 「ですが現に―――」 「現に 瞬間、“彼女”は鋭く息を呑んだ。 彼の瞳に、銀色に輝く鋭利な光りが音もなく奔るのを“彼女”は視た。 それが11年前から――否、それ以前からずっと一冊の魔導書に半生をついやした魔導師の、明確な結論だった。 「そ、それは――。しかし、他の守護騎士も健在でありますし―――」 「大方、守護騎士プログラムは本体の魔導書から切り離したのだろう。 だが、それもあの4人が『闇の書』に吸収されて、リンカーコアの状態に戻っていたからこその話だ。 ずっと私の元に控えておった、お前のリンカーコアまで改変することは不可能だ」 「確かに、不可能だとは思います。では、本当に―――?」 “彼女”は驚愕に目を丸くしながら、声を振るわせた。 「ああ、間違いない。『闇の書』はまだ完全に“消滅”したわけではないぞ」 落胆に老けこんでいた彼の双眸は、今や鋭い光りを取り戻し、流れるように口をつく言葉は力強い。 なによりもそれが“彼女”には嬉しくて―――。 「済まぬがいま少し、私のわがままに付き合ってもらうぞ――エリス」 名を呼ばれ、“彼女”は微笑んだ。 「いいえ。いいえ、グラナート様のわがままではありません。その願いは、このエリスの願いでもあります」 「そうか……。国を失い、友を失い、帰るべき場所も寄るべきものも、何もかもを失って30余年―――。 此度こそ約定を――宿願を果たすことができそうだ」 感情の昂ぶりを隠そうともしない彼の姿に、“彼女”は強く誓った。 この人の“希望”を“絶望”に変えてはいけない。 その為になら、如何なる障害をも切り払おう。 例えそれが“姉妹”ともいうべき、愛しき騎士たちであったとしても―――。 「では、その時が訪れるまで、いま少し待つとしようか。なに、そう永い時間でもないだろう。少なくともこの30年に比べれば――な」 「はい。どこまでも、お供させていただきます。ヴォルケンリッター“瑠璃の閃光”――エリス。騎士の誇りにかけて―――」 『全ては“真なる主”のために―――――』 「―――なんやっ!?」 瞬間、唐突な闇から抜け出したような錯覚に、八神はやては戸惑った。 精神干渉ではない。第一、そんな攻撃は受けていない――少なくとも、今はまだ。 時間にすれば、一秒にも満たない空白の出来事だった。 でなければ、たちまち自分はバリアジャケットごと貫かれるか、地表に叩き付けられていただろう。 けれども、それが錯覚ではない証拠に、疑似体験にも似た鮮明な感触が手のひら残っていて―――。 「ひょっとして、シャマルなんかっ―――!?」 反射的に、はやては左手の《青》と《緑》のリングへと視線を移した。 クラールヴィント―――。 それは“湖の騎士”シャマルのアームドデバイス。 けれども彼女は、今はもういない。シャマルは自分に、このリングを託して、そして―――。 と、はやての頭上で、金色の閃光が瞬いた。 高速で飛来するソレは、フェイトが得意とする高速直射弾――プラズマランサー。 誘導性能よりも、直進と高速による貫通性能を強化した硬度の高い魔力刃が、真っ直ぐに向かってくる。 「あかん―――」 咄嗟には右手のシュベルトクロイツを横薙ぎに振るい、銀色に輝くパンツァーシルトを展開。 間一髪の差で、ベルカ式魔法陣が八本の魔力刃を受け止め、眩い閃光が次々と炸裂した。 「つあぁぁぁっっっ―――!」 一瞬に大量の魔力を削られる激痛に、はやては絶叫した。 潜在する膨大な魔力量を背景にしたはやての防御魔法は、並みの魔導師とは比較にならないほど硬い。 だが、それでも“楯の守護獣”ザフィーラと比べれば、やはり脆弱と云わざるを得ないだろう。 ザフィーラが健在であれば、その二つ名に恥じぬ堅牢さをもって、彼は彼の主を救っただろう。 ――けれどザフィーラも、もういない。 ――否、ザフィーラとシャマルの2人だけではない。 「――カートリッジ・ロード」 静かな呟きが、絶望となってはやての耳に届く。 《Explosion 甲高い排莢の音色が破滅の旋律を奏で、はやての心臓に冷たい汗が流れる。 受けても、砕かれる。 直感でも予想でもなく、それは覆ることのない冷然な真実。 虚空を蹴りつけ、はやては全力で距離を離そうとしたが間に合わない。 鋭利に輝く炎の魔剣――レヴァンティンが、次の瞬間、怒涛の勢いで目前に迫っていた。 「紫電一閃―――!」 噴き上がる魔力の炎熱変換が、疾風となってはやてを襲った。 視界を焼き尽くす炎の塊が虚空を断ち切るように、一息に頭上から降り注ぐ。 誰よりも頼もしく、誰よりも強いと信じていた“剣の騎士”の愛剣とその絶技が―――。 轟音と共に、銀の魔法陣を粉々に粉砕した。 「っっっ―――――!」 無数の破片が流星となって砕け、膨れ上がる炎の塊が瞳を灼いて視界を覆い尽くした。 本来なら、そのまま絶命していても不思議ではなかっただろう。 防御魔法を砕いたその勢いで、彼が自分の心臓を貫くことなど、造作もないことだったはずだ。 ――だが、彼はそうしなかった。 鋼をも断つレヴァンティンの切先は、無防備に吹き飛んだ自分の身体を、薄皮一枚分も刻んではいない。 「……やっぱり、狙いはわたしのリンカーコアか……!」 両肩で喘ぐように息をしながら、はやては爆炎の向こう側に立つ男を鋭く睨み付けた。 直ぐに殺さない理由も、それで簡単に説明がつく。 あの子たちと同じように、その身に祝福の風のカケラを持つ者の全てを―――。 この男は“蒐集”するつもりなのだ……! 「グラナート……!」 夢とも幻ともつかぬ映像に現れた男と、彼は同一の魔導師――だった。 少なくとも初めて彼を見た時、彼は映像と同じ風貌をした、初老の魔導師に過ぎなかった。 だが、今はもう違う。精悍な相貌は瑞々しさを取り戻し、色あせた白髪は鮮やかな銀糸のように輝いている。 端正な鼻梁と、剣のように鋭い眼差しは、誰の目にも20代の青年としか映らないだろう。 美しく整ったその白い頬に、真っ直ぐに走る朱色の呪印が浮かんでいた。 漆黒の外套からむき出した左腕にも、同じような朱色の呪印が走り、右腕は皮のベルトで覆われている。 そして背後から伸びる6枚の羽は、“スレイプニール”と呼ばれる天翔ける漆黒の羽―――。 「どうした? もう終わりか、夜天の王よ?」 淡々とした声に、微かな嘲笑の響きが滲んでいた。 全てを奪い、手中に収めた彼にとっては、もはや勝利は確信ではなく、確定された未来に過ぎないのだろうか。 はやてはギリっと、下唇を噛んだ。 彼女を守護すべき“剣の騎士”も既に堕ち―――。 誰よりもはやてを慕い、誰よりも一途に戦場を翔けた“鉄槌の騎士”は、自らの意思ではやての元を去り―――。 「ならば諦めて、お前も我が元に下るがいい―――」 全てを失ったはやてと、全てを奪ったグラナートの間に割って入るように、一冊の魔導書が音もなく姿を顕した。 分厚い皮表紙の上に剣十字の紋章の入った、その魔導書。 名を『闇の書』と云う―――。 Magical girl lyrical NanohaA’s 蒼天の書秘録 〜 千の夜 千の夢 〜 |