昼時の食堂というものは、次元世界うえでも地上世界したでも同じような雰囲気らしい―――。 
 様々な食材の匂いが雑多に混じりあい、飛び交う会話と喧騒を耳に流しながら、はやては思った。 
 同時に、少し小首を傾げる。 
 広い本局内とはいえ、これほどの人数が一体どこにいたのだろう? 

「まぁ、昼時に閑古鳥が鳴いていたら、それはそれで問題あるやろうけど……」 

 苦笑いしつつ、空席を求めて車椅子を移動させる。 
 あの『闇の書』事件から半年を経て、時空管理局へと正式に入局してから、まだほんの数日―――。 
 仮配属の頃から何度も利用してきた食堂ではあるが、今日のような混雑は記憶にない。 

「ん〜〜〜」 

 幾つかのテーブルを過ぎ去り、反対側の壁際まで空席を求めて移動する。 
 時折、幾人かの顔見知りを見つけたが、残念ながら空席は皆無。 
 仕方なく、別の列までと移動しようとした――その時だった。

「あれ? はやて?」 
「ユーノくん?」 

 不意に横から、よく知った声に呼び止められて、はやては目を瞬かせた。 
 ユーノ・スクライア―――。 
 高町なのはの魔法の先生で、現在は『無限書庫』の司書をしていて――時々、フェレットになる男の子だ。 

「どうしたの? 今日は騎士のみんなは、一緒じゃないの?」 
「うん。まぁ、そんなところや。それにしても、なんや今日の食堂はごっつい混雑してるなー」 
「あ、それは多分、隣のB区画の食堂が今日は使用中止だからだと思うよ。張り紙に、そんなことが書いてあったから」 
「あちゃ……」 

 はやてはぺしりと、自分の額を叩いた。 
 そうと知っていれば、もっと早く食堂に足を――もとい、車椅子を進めていただろうに。 
  
「ひょっとして、空いている場所が見つからないの? ボクの隣でよかったら、詰めればなんとか入れると思うけど」 
「えっと……それじゃあ、そうさせてもらえる?」 
「うん。じゃあ――よいしょっと」 

 ユーノと隣の局員が作ってくれたスペースに、はやては車椅子を移動させた。 

「ありがとう」 
「どういたしまして。あ、はやてお弁当なんだ。やっぱり自分で作ってきたの?」 
「うんん。今日のは、シャマルが作ってくれたんよ。あの子も大分、料理が上手くなってきたんや♪」 
  
 はにかんだ笑みを浮かべて、はやてはお弁当箱を包むナプキンを丁寧に紐解いた。 
 中から顔を覗かせたのは、丸みを帯びた可愛らしいお弁当箱。 
 まるで壊れ物を扱うように、大切に蓋を開く。 
  
「……うん。シャマルらしい、ステキな感じや♪」 

 白いゴハンに、タマゴ焼き。ほうれん草のお浸しに、小さな肉団子、切れ目の入ったウィンナー。 
 どれもありふれた定番メニューで、変わったものはないけれど――1つ1つに、シャマルの想いが詰っている。  
 楽しそうにお弁当をつくるシャマルの姿が思い浮かぶようで、自然と笑みが唇からこぼれた。 
 こんな何気ない、日々の中のちょっとした発見が嬉しくて――少しだけ、怖い。 
 一度は失いかけて、けれども取り戻せて―――。 
 色々あって、今があって―――。 
    
「? どうかしたの、はやて?」 
「うんん。なんでもないよ。そういえばユーノくんはいつも食堂のランチみたいやけど、なのはちゃんにお弁当とか作ってもらったりせぇーへんの?」 
「あははは……」 

 苦笑するユーノを眺めながら、はやては卵焼きをぱくりと口に頬張った。 
 柔らかく、湖の騎士の微笑にも似た甘い味付けが、口の中に広がった。 

「エイミィさんからもよく言われるけど、ボクとなのは、特にそんな感じじゃないから」 
「そうなんか?」 

 まぁ、そうなのかもしれない。 
 ユーノ本人もそうだけれど、特になのはが、そういった恋愛ごとに興味が薄いのだろうとはやては思う。 

 ――などと思いつつ、肉団子を摘む。 

 鶏肉の身を磨り潰して味付けした肉団子も、シャマルの手作りのおかずだ。 
 ゴマの風味と醤油の組み合わせが抜群で、ほんの少し濃い目の味付けが、冷えたごはんも美味しくさせる。 
 次にほうれん草のおひたしに箸を伸ばそうとして――はやてはふと、箸を止めた。 
 何気に流れた視界の隅が、一冊の本の上を滑った瞬間、はやての意識がブレーキペダルを蹴飛ばしたのだ。 

「ユーノくん。ちょう、その本―――」 
「ああ。やっぱり、気がついた? 少し前にこの本のことを知ってね、取り寄せてもらったんだ」 
  
 ユーノは本を手に取ると、はやてに差し出した。 
 表紙の上に描かれていたのは、タイトルと思しき異国の文字と――正三角形を基調とした、見覚えのある魔法陣だった。 

「それは数年前に、正式に管理局の管理対象になった辺境の国の本なんだ。実在した国の興亡を題材にした物語で、歴史小説みたいなものだね。 
 タイトルは『グリューブ王家の夜』。翻訳しながらだから、まだ全部を読んだわけじゃないんだけど――なかなか興味深い内容だよ」 
「……その国って、ひょっとしてベルカの民と深い関わりが?」 
「多分、ないと思う。管理対象になったのは最近だけど、ミッドチルダとはずっと前から交流があったらしくてね。向こうの魔法も主流はミッド式らしい」 
「じゃあ、この表紙の魔法陣は、一体なんやの?」 

 はやては小首を傾げて、ユーノを見やった。 

「うん。それは物語の内容と深い関係があってね……。たまたま、その本のことを知って、興味を引かれて取り寄せたんだ。 
 タイトルの『グリューブ王家』っていうのは、さっきも言ったけど30年前まで実在した王国なんだけど、 
 その王宮に仕えていた宮廷魔導師と、“人形使い”の女性との悲恋のストーリーを軸にしつつ、この物語は進んでいくんだ。 
 ――で、どうもこの“人形使い”の女性が、ベルカ式の魔導師みたいだね。描写的にも、それを匂わせているふしがある」 

 そして彼女が手繰る“人形”は、魔法で動く異形の技の“人形”―――。 
 ただし、人々を楽しませるための“人形”ではなく、戦うための“人形”として恐れられていた。 
 彼女とその“人形”は、旅から旅を重ねる、流浪の民だったのだ。 

「戦うための、人形……か」 

 嘆息と一緒に、はやてはふと大切な家族を――騎士たちの顔を思い浮かべた。 
 彼らもまた、かつては身勝手な『主』に操られた戦うための“人形”に過ぎなかったのだ。 
 その過去を思い出すと、はやてはやるせない気分になってくる。 

 例えば、このお弁当に緑の彩を添える、ほうれん草のお浸し―――。 
 これをパクリと口に含むだけで、過去の『主』がどれほど考えを間違えていたのか、はやてには判る。 
 手のこんだ料理ではない。けれども、そこからは確かにシャマルの“愛情”を感じることができる。 
 心を持たない“人形”に、相手を想った手料理が作れるだろうか? 
 あの子たちが、戦うための“人形”などではないとい確かな証拠が、このお弁当には詰っているのだ。 

「最終的な物語の結末は、まだわからないけど、物語は歴史的な背景をなぞりながら展開していて―――。 
 ――って、ソッチの方は、はやてにはどうでもいいかもしれないから、今は省くね」 
「あははは……」 

 苦笑するユーノにつられて、はやても苦笑した。 
 正直、少しダケありがたかった。“本”も“物語り”も好きだけれど、歴史系は苦手気味なのだ。 
 読んでいると微妙に――眠くなるから。 

「彼らは――“人形”たちは複数が存在する。そして、それぞれが一騎当千の騎士として戦場を駆け巡り、二つ名を持っているんだ。 
 まず、リーダ各の1体は炎の魔剣を操る“烈火の将”と呼ばれ、まだ幼い少女を模した“人形”は“紅の鉄騎”と呼ばれて―――」 
「“烈火の将”って、それに“紅の鉄騎”やて―――!?」 

 瞬間、はやては素っ頓狂な声を叫んだ。 

「他にも“風の癒し手”と“蒼き狼”なんていう“人形”も、一緒に登場している」 
「ちょ、ちょう待って―――」 

 戸惑いが、冷や汗となってはやての背中を濡らした。 
 聞き覚えのあるそれらの名前は、全てヴォルケンリッターの二つ名と同じだったのだ。 
 それも『闇の書』の管制人格が、騎士らを呼ぶ時にのみ使われる呼び名である。 
 過去の記録を調べるだけでは、この呼び名が表に出ることはない――ハズだった。 

「そして5つ目の“人形”―――」 
「――って、まだおるの!?」 
「“瑠璃の閃光”―――。この5体の“人形”を束ねるのが、異形の技を持つヒロインの“人形使い”――と、いったら、はやても興味がある?」 
「あるっていうか――まさかこの本って、あの子たちの過去の物語なんか!?」 
「可能性は高いと思う。そしてボクらの想像通り、この本の内容が事実にそくしているというのなら、『グリューブ王家』滅亡の謎が解けるんだ。 
 隣国との戦争中に、たった一夜で地上から消滅してしまった、謎に包まれたその原因がね」 

 ユーノの言葉に、はやての胸がザワリと騒いだ。 
 それはある種の予感であり――確信でもあった。 

 騎士たちを束ねる、一冊の魔導書の存在。 
 かつては第一級の捜索指定遺失物として、その名を知られたロストロギア――『闇の書』。 
 その『闇の書』が、過去に起こした暴走の規模を考えれば、一夜にして国を滅亡させることも可能であろう。 

「当事国に生き残りがほとんどいないせいもあって、詳しい原因は今までずっとはっきりしなかったんだけど――多分、はやての考える通りだよ。 
 そしてこの本は最近になって現れた、当時の王宮に仕えていた生き残りの人が書いたらしんだ」 
「………」 
「無限書庫で、少し闇の――いや、リインフォースさんの過去を整理していたら、たまたまこの記録とぶつかってね。 
 少し興味があったから、取り寄せてみたんだけど……」 
「うん……。けど、ちょっと妙やな。ヴォルケンリッターは“4人”のはずやろ? “瑠璃の閃光”って――誰なんや?」 

 はやては思案げに首を傾げた。 
 過去に一度、はやては騎士たちの過去の姿を視たことがあるが――その時もやはり、騎士たちは“4人”だった。 
 5人目の守護騎士の存在など、聞いたこともない。 
  
「ボクもそれが不思議なんだ。過去の記録を紐解いても、ヴォルケンリッターに“5人目”が居たなんて記録はない。 
 物語上の創作――って可能性が一番高いんだろうけど、まだなんとも……」 
「そっか……」 
「まぁ、まだ最後まで読み終わったワケでもないし、また新しいことが判ったら連絡するよ」 
「うん。……ありがとうな、ユーノくん」 

 どのような経緯があったにせよ、ユーノは本来なら無視しても構わない『闇の書』の歴史を、今も気にしてくれているらしい。 
 なのはの友人として――そして、はやての友人として。 
 その心遣いが嬉しくて、はやてはぺこりと栗色の頭を垂れた。 
  
「え、えっと、そんな頭を下げられるようなことじゃないから―――。あ、ああっと、そうだ! シュベルトクロイツの調子は、その後はどう?」 
「う……」 
「ど、どうしたの、はやて?」 
「実は……また1本、飛ばしてしまって………」 

 ダラダラと、はやての顔から汗が噴き出た。 
 これまでにオシャカにしてきたデバイスの数は、もうとっくの昔に二桁に達していた。 
 いくら官給品とはいえ、これ以上、壊し続けていたら、いずれ請求書が回ってくるかもしれない。 
 それを考えると、実は笑いごとではなかった。 

「そ、そうなんだ……。また、壊れちゃったんだ……。ヴァージョン8になって、安定してきたって聞いたんだけど………」 
「そうなんやけど……やっぱり、杖との相性が悪いんやろうか……。 
 わたしもなのはちゃんやフェイトちゃんみたいに、信頼できる“相棒デバイス”ができたらなぁ……」 

 なのはとレイジングハート、フェイトとバルディッシュ。 
 彼女達の信頼関係の深さは、それを持たないはやてにとっては羨望の対象である。 
 深く強く、信頼に応え、お互いの絆をより固く結んで―――。 

 そんな関係は、けれどもはやてには難しいことだった。 
 信頼に応える前に、負荷に耐え切れなくなったデバイスが吹き飛んでしまうのだから。 

「やっぱり、ユニゾンデバイスが完成するまでは、騙し騙し使うしかないんかなぁー」 

 あの聖なる夜の戦いにおいて、はやては初めての実戦で存分に力をふるうことができた。 
 それははやて自身の潜在的な能力もさることながら、それを上手に引き出してくれたリインフォースのサポートのおかげでもあった。 
 2人で溶け合い、1つになることで、絶大な力で初陣を飾った。 

 けれども、強く優しい眼差しで支えてくれた銀髪の彼女は、雪のかけらのように真冬の空へと消えてしまって―――。 

「う〜ん。デバイスの相性か……。確かに、難しい問題だとは思うけど……デバイスか……。 
 なのはの時は、レイジングハートが上手く合わせてくれたってのもあるけど、なのは自身の努力というかやりすぎというか……。 
 起きている間は授業中でも訓練を欠かさない子だったし、なによりレイジングハートを本当に大切なパートナーとして接していたし、 
 レイジングハートもなのはを気に入って自分の機能を調整してくれたわけだけど……」 

 ユーノはなにかを考え込むように、難しい顔をした。 
  
「正直、ユニゾンデバイスは難しいんだ。 
 この分野で一番進んでいたのはベルカだけど、そのベルカですら完全な実用化には至らなかったし、開発も中断されてしまったから。 
 単に古代ベルカ式の使い手なら、局にも何人か居るから協力は仰げるんだけど、イチから融合デバイスを造るとなると……」 
「うん。その辺りはマリーさんにも聞かせてもらった。何年かかるか、ひょっとしたら十年以上はかかるかもしれないって言われた。 
 安全性を考えたら、融合式は諦めて、管制システムを搭載した本型のストレージにした方が無難やで、って。でも……」 

 はやてはそっと、胸のペンダントを触れる。 
 あの事件の後、騎士たちを除けば唯一残った、彼女との思い出の品―――。 
 差し込む光に反射する剣十字の輝きは、はやての往くべき標を指し示す、羅針盤であるのかもしれない。 
 迷いもあるし、不安もある。 
 けれども罪への贖罪を果たしつつ、前に進むと決めた胸の誓いを、はやては違えたくなかった。 

 その行く先には、幾多の困難が待ち受けていることは明白で―――。 
 戦うことは好きではないけれど、戦わないと進めない道が、この先にはきっと在って―――。 

 向こう見ずで、融通の効かない誓いであるかもしれないけれど、はやてはこの道を進むと選んだ。 
 だから、望む。 
 あの真冬の空で感じたような、想い想われる一体感を。 
 そして共に戦ってくれる新たな家族――祝福の風を受け継ぐ子は、やはり融合型が似合うと思うから―――。 
  
「わたしはやっぱり、このペンダントにはユニゾンデバイスを入れたいんよ……。 
 何年かかってもええ。わたしは――わたしのユニゾンデバイスを、この手でどうしても完成させたい。 
 我がままやとは思うけど――これだけは、絶対やから」 
「……そっか」 

 はやての決意に、ユーノは穏やかに微笑んでくれた。 
 向こう見ずな女の子の決意には、ある意味なのはで慣れているのだろう。 
 自ら前に進み出るタイプではないかもしれない。けれども、後ろから見守る意味と意義とを、彼は判っている。 
 だから、なのははユーノの前では安心して笑っていられるのだろう。 
 確かに、現在での戦闘力の優劣は比べるべくもない。だが、そんなものは比べる意味もない。 
 高町なのはの師匠はまぎれもなく、彼なのだ。 
 言葉にするのは難しいし、強いていうなら言葉にする必要もないことなのだろう。 
 結界魔導師ユーノ・スクライアが、砲撃魔導師高町なのはを誰よりも大きく育て――真っ直ぐに伸ばした。 
 それが事実なのだから。 

「それじゃあボクも、できる範囲内で協力するよ。一日も早く、はやてのデバイスが完成するように――ね」 
「うん。ありがとうな、ユーノくん。――そや!」 

 はやては、まだ手をつけていないお弁当のおかずの中から、ほどよく焼けたタコさんウィンナーを箸で摘んだ。 
 そして―――。 

「今日は、興味深い本の話を教えてくれたのと、今後ともよしなにの意味を含めて――『あ〜ん♪』」 
「……へ? え、ええ!?」 

 差し出した箸を前に、ユーノがあからさまにうろたえる。 
 元々、女の子のように可愛い顔が耳まで真っ赤になって、本当に女の子のようだった。 
 ――女装させたら、案外、本当に女の子と区別がつかないかもしれない。 
 そんなことまで、はやては思った。 
  
「ココの食堂のゴハンも美味しいと思うけど、たまには家庭の味も美味しいもんや♪ 
 なのはちゃんが差し入れを持ってきてくれへんのやったら、たまには八神家の味をご馳走するで?」 
「え、えっと! いや、別にボクはそんな下心があって、はやてに協力しているワケじゃあ―――」 
「判っとるよ。だから、そないに畏まったり緊張することないよ? コレはお礼で、ユーノくんにはソレを受け取る資格がある。それだけや」 
「う、うん――って、だからそういう問題じゃなくって―――!」 
「ひょっとして、恥かしいとか?」 

 もちろん、恥かしいのだろう。 
 首から上が完熟トマトみたいになったユーノを見れば、誰の目にも判りきった話だ。 
 それなのに、ことさら追い詰めるように訊ねるのは――なんだか愉しい。 
  
「あ、当たり前じゃないか! よりによって、あ、あ〜んなんて……」 

 俯き加減に目線が泳いでいた。 
 語尾がうやむやに掠れていた。 

 ――やっぱり、可愛いと思った。 

「せやけど、なのはちゃんと一緒にお風呂に入ることに比べたら―――」 
「ぶはっ……ゲホッ、ゲホッ!」 

 瞬間、ユーノは啜っていたコップの水を一気に噴き出した。 
 被害甚大。水だったのが不幸中の幸いだろうが、それでも気管にでも入ったのか、苦しそうな涙目ではやてを睨む。 
 批難の滲んだその眼差しの先に―――。 

「はい。あ〜〜〜ん♪」 

 はやてはニコリと、再びタコさんウィンナーを差し出した。 

「うっ……」 

 いささか強引な追い込みは、実ははやての得意とするところだ。 
 この手腕で、幾度となくヴィータを陥としたことか―――。 
 もっとも、気分的には甘い恋人を演じているというよりも、お母さんが子供をたしなめる雰囲気に似ているが―――。 
 ニコニコ笑顔を振り撒きながら、はやては難色を示すユーノの瞳を真っ直ぐに見つめる。 

 ――もちろん、タコさんウィンナーも一緒に。 
  
「えっと、じゃあ、いただきます……」 
「うん♪ 『あ〜ん♪』」 
「あ、あ〜ん……」 
  
 ようやく観念したユーノが、その口を開いた。 
 目をぎゅっと閉じて、まるで青汁を一気飲みするかのような覚悟が、眉間に刻まれた皺からは感じ取れる。 

 ―――パク。 

 と、ユーノの口がタコさんウィンナーをついばんだ――刹那! 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!???」 

 声にならない悲鳴を上げてユーノが席を蹴飛ばし――そのまま、口から泡を吹いて昏倒した。 

「……………へ?」 

 唐突な事態に、はやての思考に現実と時間差が生まれた。 
 今、一体、何が起こったのか―――? 
 まるで毒を食べたみたいに、ユーノが突然、倒れてしまって―――毒? 

「ま、まさかこのウィンナー……」 

 ゴクンと、固い唾を飲み込んだ。 
 恐る恐る、残ったウィンナーを箸で摘まみ、一口、齧って―――。 

 ジャリ―――。 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!???」 

 表現不能な味わいが、はやての口を蹂躙した。 
 そもそも、なぜウィンナーで『ジャリ』という食感が生まれるのだろうか? 
 食感も異常だったが、味はそれを遥かに超えて異常だった。 
 強いて表現するなら、異常な甘さを異常なしょっぱさが包みこみ、直後に過激な辛さが脳天を衝く。 
 まるで間違って大量の砂糖をぶち込んだ後、慌てて同量の塩コショウで誤魔化そうとして失敗。 
 ドンデン返しを狙って、ウィンナーと同じ色のタバスコを振り掛けたかのような――そんな無茶な味だった。 

「き、既存のウィンナーをベースに、よくぞこんな味を……! シャマル、恐ろしい子や―――(ガクッ)」 

 そこではやての意識は、ぷつりと途切れる。 
 ざわめきが輪となって食堂を席巻し、衛生兵を呼ぶ怒号が喧騒を貫き響き渡る。 
 床に並ぶ、屍ふたつ―――。 
 誰にとって幸いだったことか、この事件は瞬く間に局内を席巻し――シャマルのウィンナーは厳重に“封印”された。 



※        ※        ※        ※        ※



「――ってなことがあったんよ。ホンマにびっくりしたわ」 

 手の中で、熱いミルクティーの入ったカップをいじりながら昼間の一件を思い出し、はやては苦笑した。 
 自宅のリビングで、ヴィータを隣に座らせながら一服する。 
 騎士たちとの生活との中で、はやてが一番の至福を感じる瞬間があるとすれば、それはお風呂の時間とこの食後のひと時かもしれない。 
 優しい甘さのするミルクティーを一口含んで、しみじみと感じる。 
 今が“幸せ”なのだと。 

「なんていうか、よく無事だったね、はやて……」 
「うん。わたしもちょう、ビックリしたわ。なんやこう――気が遠くなる味って、あるんやなーって」 
「だから前にいっただろ、はやて。シャマルの料理は、見た目に騙されるって」 

 確かに、そうかもしれない―――。 
 と、内心で納得しかけた自分を、慌てて頭から振り払う。  
 リビングの隅では、未だに落ち込んだままのシャマルが、ピクリとも動かないでいる。 
 失敗は誰にだってあることだし、シャマルだって好き好んで失敗しているワケではない。 
 今日だって、せっかくの休暇を一日中使って、家の掃除からお洗濯――夕食だって準備してくれたのだ。 
  
 はやてはヴィータの髪を梳きつつ、一同の保護者として嗜めるように口調を改める。 
  
「そやけどヴィータ。あんまりシャマルを責めたらアカンよ? シャマルかて、ようやってくれてるんやし。 
 今日の晩御飯、ヴィータの大好きな煮込みハンバーグかて、ちょう美味しかったやんか」 
「それは、まぁ……美味しかったけど……」 
  
 渋々と唇を尖らせるヴィータの頭を、ポスンとはやては抱きかかえた。 
  
「あかんで。おかわりを三杯も出しといて、それ以上の文句を言ったら―――」 
「い、言ったら?」 

 そして、おもむろにヴィータの背後に回り―――。 

「この口を、こうや―――!」 
  
 むにゅ〜〜〜〜〜。 

「ふぁふぁ〜〜〜。はやふぇ、くふぃがのふぃるぅ〜〜〜〜〜!」 

 ヴィータの口を、横に引っ張った。 
 つきたてのお餅のように、弾力性に富んだヴィータのお口。 
 その口が予想外の柔らかさで、左右に伸びる。 

「おお!? ヴィータ、なんやすごいお口が伸びるで!?」 

 想像以上の柔らかさに、はやては感嘆の声をもらした。 
 一体、この口はどんな構造になっているのだろう? 
 ヴィータの顔は歪みに歪み――それがまた、とてつもなく可愛いのだ。 

「どや? 判ったか、ヴィータ?」 
「ふぁかった、ふぁかったからはやふぇ〜〜〜〜〜〜」 
「ほんなら、よろしい♪」 

 にこりと笑い、パッと手を離す。 
 なにやら名残惜しい感触ではあったが、これ以上はヴィータの口が本当に伸びてしまうかもしれない。 

「と、いうわけやから、そんなに落ち込まんでもええよ、シャマル?」 

 首を巡らし、シャマルを見やる。 

「うう、はやてちゃん〜〜〜〜〜」 

 涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたシャマルが、情けない声を上げた。 
 最近、失敗も少なくなってきた矢先だっただけに、ショックも大きかったのだろう。 
 それにユーノとは、局の仕事では色々とお世話になっている相手らしい。 
 だから余計に、明日から顔を合わしづらいという気持ちも、はやてには判る。 
  
「ああ、もう、そないに泣かんでもええから。先にお風呂に入って、ゆっくり温まるんや。そんでユーノくんには明日、一緒に謝りに行こう。 
 ――もちろん、その時は“地雷”の入ってない、グゥの音もでぇーへんお弁当を、一緒に作っていこうな♪」 
「はやてちゃん……ううぅ………」 
「こらこら。だから泣いたらアカンって……」 

 言って、はやては苦笑する。 
 どうにも八神家の住人には、泣き虫さんが多いらしい。 
 自分も含めて、あの子の含めて――嬉しい時ほど、泣いてしまうクセがある。 
   
「んじゃ、この件はコレにて一件落着や。わたしはそろそろ、いつもの夜間訓練に出掛けるから、家のことはよろしくな」 
「ふぁれ? はやふぇ、もうそんな時間?」 
「ヴィータ、まだ口調が残っとる」 
「あわわ―――」 

 慌てて、ヴィータが自分の口元を直した。 
 むにむにとほっぺを摘まみ、よだれを拭って、改めてはやてに向き直る。 
 ほんの少し、不安げな瞳を揺らして。 

「今日は、高町なのはは一緒じゃないんだろ? あたしも一緒に、付いてってもいい?」 
「ヴィータは心配性やなぁー」 

 はやてはもう一度、ヴィータの頭に手を置いて、困ったような微笑を浮かべた。 

「まぁ、確かになのはちゃんは今日はおらんけど、フェイトちゃんがおるからなんも心配いらへんよ」 

 それでも全く、危険がないわけではない。 
 軽くとはいえ模擬戦もするし、そもそもはやての魔力は出力が不安定で、制御そのものが難しい。 
 過去に撃墜された時には、軽い怪我を負ったこともある。 

 けれども、はやてにとってこの夜間練習は貴重な時間でもあるのだ。 
 自分に対して、つい遠慮して手加減をしがちな守護騎士一同とは違い、なのはとフェイトには遠慮がない。 
 欠点は欠点として、キチンと指摘し、指導してくれる。 
 早く2人に追いつき、騎士たちを束ねる一人前の『夜天の主』を目指すはやてにとっては、一日たりとも欠かしたくはないのだ。 

 ――と、判っていても、ヴィータはヴィータなりの強い想いがあるのだろう。 

「いつも通り、ただの練習やんか」 
「うん……」 
「ヴィータはほんまに、ええ子やなー」 

 だから、ぎゅっと抱きしめる。 
 いつだって自分の事を一途に想ってくれる、赤い髪をした小さな騎士が愛おしくて―――。 
 この温もりが、なによりも嬉しくて―――。 

 小さな、家族―――。 

 この温もりがあるから、自分は戦えるのだと―――。 





 この時は、そう思っていた。 

 ずっと、続くものだと――はやては思っていた。 



※        ※        ※        ※        ※



 蒼が掛かった夜空の中で、その少女は銀月を背にして浮かんでいた。 
 薄く重ねた衣の上で、紫水晶を溶かした夜空のように鮮やかな色のストールが、夜風に波打つ。 
 胸元には、ストールを止めるための銀の金具が星々の光りを弾き、三本の剣を交じり合わせたレリーフが闇に映える。 
 半袖からむき出した白磁のように美しい腕には、薄いグローブ以外に手甲の類は見当たらない。 
 短いスカートから伸びる均整のとれた脚部すら、漆黒のタイツに包まれているのみだった。 
 胸元の金具を除けば、軽装と呼ぶことすらはばかれるほど、少女を護る装甲は皆無に等しいだろう。 
 快速を以ってむねとする軽騎兵ですら、いま少し防具の類を欲しがるに違いない。 
 だが、それが少女が『主』より賜った、彼女ための“騎士甲冑”だった。 

 少女が見下ろす街の名は――『海鳴』といった。 
 漆黒の風に揺れる鮮やかな黒髪を意に介さぬように、少女は身じろぎもせずに遥か眼下の街を眺め続ける。 

 街の灯を映す水晶のような瞳は、どこか哀しみを帯びていた。 
 三日月のように紅く歪んだ唇は、微かな喜色を浮かべていた。 

「――刻限だわ」 

 三日月の唇が動き、短い言葉が闇を刻んだ 
 誰に確認するのでもなく、自らに言い聞かせるような声。 
 双眸を細め、肺の空気を静かに入れ替え――眼差しに、強い光が宿る。 

「上手く、吊り出せたらいいのだけど―――」 

 風が吹き抜ける。 
 正面に虚空に向かって、少女は腕を差し伸ばす。 

「“ヴァイスナハト”―――“シュヴァルツナハト”―――」 
Anfangアンファング

 少女の呼びかけに、鈴の音のように澄んだ声色が流れ――その両手に、深く蒼い魔力光が迸った。 

 それは三日月のカケラにも似た、鮮やかな弧を描く細身の刀だった。 
 刃渡りは、およそ50センチを超える程度だろうか。 
 冷たく滑る瑠璃の光で刀身を濡らし、鎌の刃のように歪んだソレを、少女は逆手に握る。 
 ――左右の手に、1本ずつ。 
  
 それは両手から生えた、羽のようにも見えて―――。 
 月を背に凛とした輝きを浴びる姿は、天使のような悪魔にも見えて―――。 

 少女はもう一度、唇を動かした。 

「封鎖領域――展開」 
Gefangnisゲフェングニス derデア Magieマギー

 刹那、瑠璃の輝きが少女の足元を蒼く照らした。 
 浮かび上がった刻印の輝きは、古代ベルカ式の魔法陣。 
 散りばめられた運命の少女たちを手繰り寄せるように、ゆっくりと回転を始めて―――。 


  
 ――― 現地時間 5月5日 PM21:07 ――― 



 一冊の魔導書を巡る苛烈な戦いが、いま再び――幕を開ける。 





BACK

inserted by FC2 system