昼時の食堂というものは、 様々な食材の匂いが雑多に混じりあい、飛び交う会話と喧騒を耳に流しながら、はやては思った。 同時に、少し小首を傾げる。 広い本局内とはいえ、これほどの人数が一体どこにいたのだろう? 「まぁ、昼時に閑古鳥が鳴いていたら、それはそれで問題あるやろうけど……」 苦笑いしつつ、空席を求めて車椅子を移動させる。 あの『闇の書』事件から半年を経て、時空管理局へと正式に入局してから、まだほんの数日―――。 仮配属の頃から何度も利用してきた食堂ではあるが、今日のような混雑は記憶にない。 「ん〜〜〜」 幾つかのテーブルを過ぎ去り、反対側の壁際まで空席を求めて移動する。 時折、幾人かの顔見知りを見つけたが、残念ながら空席は皆無。 仕方なく、別の列までと移動しようとした――その時だった。 「あれ? はやて?」 「ユーノくん?」 不意に横から、よく知った声に呼び止められて、はやては目を瞬かせた。 ユーノ・スクライア―――。 高町なのはの魔法の先生で、現在は『無限書庫』の司書をしていて――時々、フェレットになる男の子だ。 「どうしたの? 今日は騎士のみんなは、一緒じゃないの?」 「うん。まぁ、そんなところや。それにしても、なんや今日の食堂はごっつい混雑してるなー」 「あ、それは多分、隣のB区画の食堂が今日は使用中止だからだと思うよ。張り紙に、そんなことが書いてあったから」 「あちゃ……」 はやてはぺしりと、自分の額を叩いた。 そうと知っていれば、もっと早く食堂に足を――もとい、車椅子を進めていただろうに。 「ひょっとして、空いている場所が見つからないの? ボクの隣でよかったら、詰めればなんとか入れると思うけど」 「えっと……それじゃあ、そうさせてもらえる?」 「うん。じゃあ――よいしょっと」 ユーノと隣の局員が作ってくれたスペースに、はやては車椅子を移動させた。 「ありがとう」 「どういたしまして。あ、はやてお弁当なんだ。やっぱり自分で作ってきたの?」 「うんん。今日のは、シャマルが作ってくれたんよ。あの子も大分、料理が上手くなってきたんや♪」 はにかんだ笑みを浮かべて、はやてはお弁当箱を包むナプキンを丁寧に紐解いた。 中から顔を覗かせたのは、丸みを帯びた可愛らしいお弁当箱。 まるで壊れ物を扱うように、大切に蓋を開く。 「……うん。シャマルらしい、ステキな感じや♪」 白いゴハンに、タマゴ焼き。ほうれん草のお浸しに、小さな肉団子、切れ目の入ったウィンナー。 どれもありふれた定番メニューで、変わったものはないけれど――1つ1つに、シャマルの想いが詰っている。 楽しそうにお弁当をつくるシャマルの姿が思い浮かぶようで、自然と笑みが唇からこぼれた。 こんな何気ない、日々の中のちょっとした発見が嬉しくて――少しだけ、怖い。 一度は失いかけて、けれども取り戻せて―――。 色々あって、今があって―――。 「? どうかしたの、はやて?」 「うんん。なんでもないよ。そういえばユーノくんはいつも食堂のランチみたいやけど、なのはちゃんにお弁当とか作ってもらったりせぇーへんの?」 「あははは……」 苦笑するユーノを眺めながら、はやては卵焼きをぱくりと口に頬張った。 柔らかく、湖の騎士の微笑にも似た甘い味付けが、口の中に広がった。 「エイミィさんからもよく言われるけど、ボクとなのは、特にそんな感じじゃないから」 「そうなんか?」 まぁ、そうなのかもしれない。 ユーノ本人もそうだけれど、特になのはが、そういった恋愛ごとに興味が薄いのだろうとはやては思う。 ――などと思いつつ、肉団子を摘む。 鶏肉の身を磨り潰して味付けした肉団子も、シャマルの手作りのおかずだ。 ゴマの風味と醤油の組み合わせが抜群で、ほんの少し濃い目の味付けが、冷えたごはんも美味しくさせる。 次にほうれん草のおひたしに箸を伸ばそうとして――はやてはふと、箸を止めた。 何気に流れた視界の隅が、一冊の本の上を滑った瞬間、はやての意識がブレーキペダルを蹴飛ばしたのだ。 「ユーノくん。ちょう、その本―――」 「ああ。やっぱり、気がついた? 少し前にこの本のことを知ってね、取り寄せてもらったんだ」 ユーノは本を手に取ると、はやてに差し出した。 表紙の上に描かれていたのは、タイトルと思しき異国の文字と――正三角形を基調とした、見覚えのある魔法陣だった。 「それは数年前に、正式に管理局の管理対象になった辺境の国の本なんだ。実在した国の興亡を題材にした物語で、歴史小説みたいなものだね。 タイトルは『グリューブ王家の夜』。翻訳しながらだから、まだ全部を読んだわけじゃないんだけど――なかなか興味深い内容だよ」 「……その国って、ひょっとしてベルカの民と深い関わりが?」 「多分、ないと思う。管理対象になったのは最近だけど、ミッドチルダとはずっと前から交流があったらしくてね。向こうの魔法も主流はミッド式らしい」 「じゃあ、この表紙の魔法陣は、一体なんやの?」 はやては小首を傾げて、ユーノを見やった。 「うん。それは物語の内容と深い関係があってね……。たまたま、その本のことを知って、興味を引かれて取り寄せたんだ。 タイトルの『グリューブ王家』っていうのは、さっきも言ったけど30年前まで実在した王国なんだけど、 その王宮に仕えていた宮廷魔導師と、“人形使い”の女性との悲恋のストーリーを軸にしつつ、この物語は進んでいくんだ。 ――で、どうもこの“人形使い”の女性が、ベルカ式の魔導師みたいだね。描写的にも、それを匂わせているふしがある」 そして彼女が手繰る“人形”は、魔法で動く異形の技の“人形”―――。 ただし、人々を楽しませるための“人形”ではなく、戦うための“人形”として恐れられていた。 彼女とその“人形”は、旅から旅を重ねる、流浪の民だったのだ。 「戦うための、人形……か」 嘆息と一緒に、はやてはふと大切な家族を――騎士たちの顔を思い浮かべた。 彼らもまた、かつては身勝手な『主』に操られた戦うための“人形”に過ぎなかったのだ。 その過去を思い出すと、はやてはやるせない気分になってくる。 例えば、このお弁当に緑の彩を添える、ほうれん草のお浸し―――。 これをパクリと口に含むだけで、過去の『主』がどれほど考えを間違えていたのか、はやてには判る。 手のこんだ料理ではない。けれども、そこからは確かにシャマルの“愛情”を感じることができる。 心を持たない“人形”に、相手を想った手料理が作れるだろうか? あの子たちが、戦うための“人形”などではないとい確かな証拠が、このお弁当には詰っているのだ。 「最終的な物語の結末は、まだわからないけど、物語は歴史的な背景をなぞりながら展開していて―――。 ――って、ソッチの方は、はやてにはどうでもいいかもしれないから、今は省くね」 「あははは……」 苦笑するユーノにつられて、はやても苦笑した。 正直、少しダケありがたかった。“本”も“物語り”も好きだけれど、歴史系は苦手気味なのだ。 読んでいると微妙に――眠くなるから。 「彼らは――“人形”たちは複数が存在する。そして、それぞれが一騎当千の騎士として戦場を駆け巡り、二つ名を持っているんだ。 まず、リーダ各の1体は炎の魔剣を操る“烈火の将”と呼ばれ、まだ幼い少女を模した“人形”は“紅の鉄騎”と呼ばれて―――」 「“烈火の将”って、それに“紅の鉄騎”やて―――!?」 瞬間、はやては素っ頓狂な声を叫んだ。 「他にも“風の癒し手”と“蒼き狼”なんていう“人形”も、一緒に登場している」 「ちょ、ちょう待って―――」 戸惑いが、冷や汗となってはやての背中を濡らした。 聞き覚えのあるそれらの名前は、全てヴォルケンリッターの二つ名と同じだったのだ。 それも『闇の書』の管制人格が、騎士らを呼ぶ時にのみ使われる呼び名である。 過去の記録を調べるだけでは、この呼び名が表に出ることはない――ハズだった。 「そして5つ目の“人形”―――」 「――って、まだおるの!?」 「“瑠璃の閃光”―――。この5体の“人形”を束ねるのが、異形の技を持つヒロインの“人形使い”――と、いったら、はやても興味がある?」 「あるっていうか――まさかこの本って、あの子たちの過去の物語なんか!?」 「可能性は高いと思う。そしてボクらの想像通り、この本の内容が事実にそくしているというのなら、『グリューブ王家』滅亡の謎が解けるんだ。 隣国との戦争中に、たった一夜で地上から消滅してしまった、謎に包まれたその原因がね」 ユーノの言葉に、はやての胸がザワリと騒いだ。 それはある種の予感であり――確信でもあった。 騎士たちを束ねる、一冊の魔導書の存在。 かつては第一級の捜索指定遺失物として、その名を知られたロストロギア――『闇の書』。 その『闇の書』が、過去に起こした暴走の規模を考えれば、一夜にして国を滅亡させることも可能であろう。 「当事国に生き残りがほとんどいないせいもあって、詳しい原因は今までずっとはっきりしなかったんだけど――多分、はやての考える通りだよ。 そしてこの本は最近になって現れた、当時の王宮に仕えていた生き残りの人が書いたらしんだ」 「………」 「無限書庫で、少し闇の――いや、リインフォースさんの過去を整理していたら、たまたまこの記録とぶつかってね。 少し興味があったから、取り寄せてみたんだけど……」 「うん……。けど、ちょっと妙やな。ヴォルケンリッターは“4人”のはずやろ? “瑠璃の閃光”って――誰なんや?」 はやては思案げに首を傾げた。 過去に一度、はやては騎士たちの過去の姿を視たことがあるが――その時もやはり、騎士たちは“4人”だった。 5人目の守護騎士の存在など、聞いたこともない。 「ボクもそれが不思議なんだ。過去の記録を紐解いても、ヴォルケンリッターに“5人目”が居たなんて記録はない。 物語上の創作――って可能性が一番高いんだろうけど、まだなんとも……」 「そっか……」 「まぁ、まだ最後まで読み終わったワケでもないし、また新しいことが判ったら連絡するよ」 「うん。……ありがとうな、ユーノくん」 どのような経緯があったにせよ、ユーノは本来なら無視しても構わない『闇の書』の歴史を、今も気にしてくれているらしい。 なのはの友人として――そして、はやての友人として。 その心遣いが嬉しくて、はやてはぺこりと栗色の頭を垂れた。 「え、えっと、そんな頭を下げられるようなことじゃないから―――。あ、ああっと、そうだ! シュベルトクロイツの調子は、その後はどう?」 「う……」 「ど、どうしたの、はやて?」 「実は……また1本、飛ばしてしまって………」 ダラダラと、はやての顔から汗が噴き出た。 これまでにオシャカにしてきたデバイスの数は、もうとっくの昔に二桁に達していた。 いくら官給品とはいえ、これ以上、壊し続けていたら、いずれ請求書が回ってくるかもしれない。 それを考えると、実は笑いごとではなかった。 「そ、そうなんだ……。また、壊れちゃったんだ……。ヴァージョン8になって、安定してきたって聞いたんだけど………」 「そうなんやけど……やっぱり、杖との相性が悪いんやろうか……。 わたしもなのはちゃんやフェイトちゃんみたいに、信頼できる“ なのはとレイジングハート、フェイトとバルディッシュ。 彼女達の信頼関係の深さは、それを持たないはやてにとっては羨望の対象である。 深く強く、信頼に応え、お互いの絆をより固く結んで―――。 そんな関係は、けれどもはやてには難しいことだった。 信頼に応える前に、負荷に耐え切れなくなったデバイスが吹き飛んでしまうのだから。 「やっぱり、ユニゾンデバイスが完成するまでは、騙し騙し使うしかないんかなぁー」 あの聖なる夜の戦いにおいて、はやては初めての実戦で存分に力をふるうことができた。 それははやて自身の潜在的な能力もさることながら、それを上手に引き出してくれたリインフォースのサポートのおかげでもあった。 2人で溶け合い、1つになることで、絶大な力で初陣を飾った。 けれども、強く優しい眼差しで支えてくれた銀髪の彼女は、雪のかけらのように真冬の空へと消えてしまって―――。 「う〜ん。デバイスの相性か……。確かに、難しい問題だとは思うけど……デバイスか……。 なのはの時は、レイジングハートが上手く合わせてくれたってのもあるけど、なのは自身の努力というかやりすぎというか……。 起きている間は授業中でも訓練を欠かさない子だったし、なによりレイジングハートを本当に大切なパートナーとして接していたし、 レイジングハートもなのはを気に入って自分の機能を調整してくれたわけだけど……」 ユーノはなにかを考え込むように、難しい顔をした。 「正直、ユニゾンデバイスは難しいんだ。 この分野で一番進んでいたのはベルカだけど、そのベルカですら完全な実用化には至らなかったし、開発も中断されてしまったから。 単に古代ベルカ式の使い手なら、局にも何人か居るから協力は仰げるんだけど、イチから融合デバイスを造るとなると……」 「うん。その辺りはマリーさんにも聞かせてもらった。何年かかるか、ひょっとしたら十年以上はかかるかもしれないって言われた。 安全性を考えたら、融合式は諦めて、管制システムを搭載した本型のストレージにした方が無難やで、って。でも……」 はやてはそっと、胸のペンダントを触れる。 あの事件の後、騎士たちを除けば唯一残った、彼女との思い出の品―――。 差し込む光に反射する剣十字の輝きは、はやての往くべき標を指し示す、羅針盤であるのかもしれない。 迷いもあるし、不安もある。 けれども罪への贖罪を果たしつつ、前に進むと決めた胸の誓いを、はやては違えたくなかった。 その行く先には、幾多の困難が待ち受けていることは明白で―――。 戦うことは好きではないけれど、戦わないと進めない道が、この先にはきっと在って―――。 向こう見ずで、融通の効かない誓いであるかもしれないけれど、はやてはこの道を進むと選んだ。 だから、望む。 あの真冬の空で感じたような、想い想われる一体感を。 そして共に戦ってくれる新たな家族――祝福の風を受け継ぐ子は、やはり融合型が似合うと思うから―――。 「わたしはやっぱり、このペンダントにはユニゾンデバイスを入れたいんよ……。 何年かかってもええ。わたしは――わたしのユニゾンデバイスを、この手でどうしても完成させたい。 我がままやとは思うけど――これだけは、絶対やから」 「……そっか」 はやての決意に、ユーノは穏やかに微笑んでくれた。 向こう見ずな女の子の決意には、ある意味なのはで慣れているのだろう。 自ら前に進み出るタイプではないかもしれない。けれども、後ろから見守る意味と意義とを、彼は判っている。 だから、なのははユーノの前では安心して笑っていられるのだろう。 確かに、現在での戦闘力の優劣は比べるべくもない。だが、そんなものは比べる意味もない。 高町なのはの師匠はまぎれもなく、彼なのだ。 言葉にするのは難しいし、強いていうなら言葉にする必要もないことなのだろう。 結界魔導師ユーノ・スクライアが、砲撃魔導師高町なのはを誰よりも大きく育て――真っ直ぐに伸ばした。 それが事実なのだから。 「それじゃあボクも、できる範囲内で協力するよ。一日も早く、はやてのデバイスが完成するように――ね」 「うん。ありがとうな、ユーノくん。――そや!」 はやては、まだ手をつけていないお弁当のおかずの中から、ほどよく焼けたタコさんウィンナーを箸で摘んだ。 そして―――。 「今日は、興味深い本の話を教えてくれたのと、今後ともよしなにの意味を含めて――『あ〜ん♪』」 「……へ? え、ええ!?」 差し出した箸を前に、ユーノがあからさまにうろたえる。 元々、女の子のように可愛い顔が耳まで真っ赤になって、本当に女の子のようだった。 ――女装させたら、案外、本当に女の子と区別がつかないかもしれない。 そんなことまで、はやては思った。 「ココの食堂のゴハンも美味しいと思うけど、たまには家庭の味も美味しいもんや♪ なのはちゃんが差し入れを持ってきてくれへんのやったら、たまには八神家の味をご馳走するで?」 「え、えっと! いや、別にボクはそんな下心があって、はやてに協力しているワケじゃあ―――」 「判っとるよ。だから、そないに畏まったり緊張することないよ? コレはお礼で、ユーノくんにはソレを受け取る資格がある。それだけや」 「う、うん――って、だからそういう問題じゃなくって―――!」 「ひょっとして、恥かしいとか?」 もちろん、恥かしいのだろう。 首から上が完熟トマトみたいになったユーノを見れば、誰の目にも判りきった話だ。 それなのに、ことさら追い詰めるように訊ねるのは――なんだか愉しい。 「あ、当たり前じゃないか! よりによって、あ、あ〜んなんて……」 俯き加減に目線が泳いでいた。 語尾がうやむやに掠れていた。 ――やっぱり、可愛いと思った。 「せやけど、なのはちゃんと一緒にお風呂に入ることに比べたら―――」 「ぶはっ……ゲホッ、ゲホッ!」 瞬間、ユーノは啜っていたコップの水を一気に噴き出した。 被害甚大。水だったのが不幸中の幸いだろうが、それでも気管にでも入ったのか、苦しそうな涙目ではやてを睨む。 批難の滲んだその眼差しの先に―――。 「はい。あ〜〜〜ん♪」 はやてはニコリと、再びタコさんウィンナーを差し出した。 「うっ……」 いささか強引な追い込みは、実ははやての得意とするところだ。 この手腕で、幾度となくヴィータを陥としたことか―――。 もっとも、気分的には甘い恋人を演じているというよりも、お母さんが子供をたしなめる雰囲気に似ているが―――。 ニコニコ笑顔を振り撒きながら、はやては難色を示すユーノの瞳を真っ直ぐに見つめる。 ――もちろん、タコさんウィンナーも一緒に。 「えっと、じゃあ、いただきます……」 「うん♪ 『あ〜ん♪』」 「あ、あ〜ん……」 ようやく観念したユーノが、その口を開いた。 目をぎゅっと閉じて、まるで青汁を一気飲みするかのような覚悟が、眉間に刻まれた皺からは感じ取れる。 ―――パク。 と、ユーノの口がタコさんウィンナーをついばんだ――刹那! 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!???」 声にならない悲鳴を上げてユーノが席を蹴飛ばし――そのまま、口から泡を吹いて昏倒した。 「……………へ?」 唐突な事態に、はやての思考に現実と時間差が生まれた。 今、一体、何が起こったのか―――? まるで毒を食べたみたいに、ユーノが突然、倒れてしまって―――毒? 「ま、まさかこのウィンナー……」 ゴクンと、固い唾を飲み込んだ。 恐る恐る、残ったウィンナーを箸で摘まみ、一口、齧って―――。 ジャリ―――。 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!???」 表現不能な味わいが、はやての口を蹂躙した。 そもそも、なぜウィンナーで『ジャリ』という食感が生まれるのだろうか? 食感も異常だったが、味はそれを遥かに超えて異常だった。 強いて表現するなら、異常な甘さを異常なしょっぱさが包みこみ、直後に過激な辛さが脳天を衝く。 まるで間違って大量の砂糖をぶち込んだ後、慌てて同量の塩コショウで誤魔化そうとして失敗。 ドンデン返しを狙って、ウィンナーと同じ色のタバスコを振り掛けたかのような――そんな無茶な味だった。 「き、既存のウィンナーをベースに、よくぞこんな味を……! シャマル、恐ろしい子や―――(ガクッ)」 そこではやての意識は、ぷつりと途切れる。 ざわめきが輪となって食堂を席巻し、衛生兵を呼ぶ怒号が喧騒を貫き響き渡る。 床に並ぶ、屍ふたつ―――。 誰にとって幸いだったことか、この事件は瞬く間に局内を席巻し――シャマルのウィンナーは厳重に“封印”された。 「――ってなことがあったんよ。ホンマにびっくりしたわ」 手の中で、熱いミルクティーの入ったカップをいじりながら昼間の一件を思い出し、はやては苦笑した。 自宅のリビングで、ヴィータを隣に座らせながら一服する。 騎士たちとの生活との中で、はやてが一番の至福を感じる瞬間があるとすれば、それはお風呂の時間とこの食後のひと時かもしれない。 優しい甘さのするミルクティーを一口含んで、しみじみと感じる。 今が“幸せ”なのだと。 「なんていうか、よく無事だったね、はやて……」 「うん。わたしもちょう、ビックリしたわ。なんやこう――気が遠くなる味って、あるんやなーって」 「だから前にいっただろ、はやて。シャマルの料理は、見た目に騙されるって」 確かに、そうかもしれない―――。 と、内心で納得しかけた自分を、慌てて頭から振り払う。 リビングの隅では、未だに落ち込んだままのシャマルが、ピクリとも動かないでいる。 失敗は誰にだってあることだし、シャマルだって好き好んで失敗しているワケではない。 今日だって、せっかくの休暇を一日中使って、家の掃除からお洗濯――夕食だって準備してくれたのだ。 はやてはヴィータの髪を梳きつつ、一同の保護者として嗜めるように口調を改める。 「そやけどヴィータ。あんまりシャマルを責めたらアカンよ? シャマルかて、ようやってくれてるんやし。 今日の晩御飯、ヴィータの大好きな煮込みハンバーグかて、ちょう美味しかったやんか」 「それは、まぁ……美味しかったけど……」 渋々と唇を尖らせるヴィータの頭を、ポスンとはやては抱きかかえた。 「あかんで。おかわりを三杯も出しといて、それ以上の文句を言ったら―――」 「い、言ったら?」 そして、おもむろにヴィータの背後に回り―――。 「この口を、こうや―――!」 むにゅ〜〜〜〜〜。 「ふぁふぁ〜〜〜。はやふぇ、くふぃがのふぃるぅ〜〜〜〜〜!」 ヴィータの口を、横に引っ張った。 つきたてのお餅のように、弾力性に富んだヴィータのお口。 その口が予想外の柔らかさで、左右に伸びる。 「おお!? ヴィータ、なんやすごいお口が伸びるで!?」 想像以上の柔らかさに、はやては感嘆の声をもらした。 一体、この口はどんな構造になっているのだろう? ヴィータの顔は歪みに歪み――それがまた、とてつもなく可愛いのだ。 「どや? 判ったか、ヴィータ?」 「ふぁかった、ふぁかったからはやふぇ〜〜〜〜〜〜」 「ほんなら、よろしい♪」 にこりと笑い、パッと手を離す。 なにやら名残惜しい感触ではあったが、これ以上はヴィータの口が本当に伸びてしまうかもしれない。 「と、いうわけやから、そんなに落ち込まんでもええよ、シャマル?」 首を巡らし、シャマルを見やる。 「うう、はやてちゃん〜〜〜〜〜」 涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたシャマルが、情けない声を上げた。 最近、失敗も少なくなってきた矢先だっただけに、ショックも大きかったのだろう。 それにユーノとは、局の仕事では色々とお世話になっている相手らしい。 だから余計に、明日から顔を合わしづらいという気持ちも、はやてには判る。 「ああ、もう、そないに泣かんでもええから。先にお風呂に入って、ゆっくり温まるんや。そんでユーノくんには明日、一緒に謝りに行こう。 ――もちろん、その時は“地雷”の入ってない、グゥの音もでぇーへんお弁当を、一緒に作っていこうな♪」 「はやてちゃん……ううぅ………」 「こらこら。だから泣いたらアカンって……」 言って、はやては苦笑する。 どうにも八神家の住人には、泣き虫さんが多いらしい。 自分も含めて、あの子の含めて――嬉しい時ほど、泣いてしまうクセがある。 「んじゃ、この件はコレにて一件落着や。わたしはそろそろ、いつもの夜間訓練に出掛けるから、家のことはよろしくな」 「ふぁれ? はやふぇ、もうそんな時間?」 「ヴィータ、まだ口調が残っとる」 「あわわ―――」 慌てて、ヴィータが自分の口元を直した。 むにむにとほっぺを摘まみ、よだれを拭って、改めてはやてに向き直る。 ほんの少し、不安げな瞳を揺らして。 「今日は、高町なのはは一緒じゃないんだろ? あたしも一緒に、付いてってもいい?」 「ヴィータは心配性やなぁー」 はやてはもう一度、ヴィータの頭に手を置いて、困ったような微笑を浮かべた。 「まぁ、確かになのはちゃんは今日はおらんけど、フェイトちゃんがおるからなんも心配いらへんよ」 それでも全く、危険がないわけではない。 軽くとはいえ模擬戦もするし、そもそもはやての魔力は出力が不安定で、制御そのものが難しい。 過去に撃墜された時には、軽い怪我を負ったこともある。 けれども、はやてにとってこの夜間練習は貴重な時間でもあるのだ。 自分に対して、つい遠慮して手加減をしがちな守護騎士一同とは違い、なのはとフェイトには遠慮がない。 欠点は欠点として、キチンと指摘し、指導してくれる。 早く2人に追いつき、騎士たちを束ねる一人前の『夜天の主』を目指すはやてにとっては、一日たりとも欠かしたくはないのだ。 ――と、判っていても、ヴィータはヴィータなりの強い想いがあるのだろう。 「いつも通り、ただの練習やんか」 「うん……」 「ヴィータはほんまに、ええ子やなー」 だから、ぎゅっと抱きしめる。 いつだって自分の事を一途に想ってくれる、赤い髪をした小さな騎士が愛おしくて―――。 この温もりが、なによりも嬉しくて―――。 小さな、家族―――。 この温もりがあるから、自分は戦えるのだと―――。 この時は、そう思っていた。 ずっと、続くものだと――はやては思っていた。 蒼が掛かった夜空の中で、その少女は銀月を背にして浮かんでいた。 薄く重ねた衣の上で、紫水晶を溶かした夜空のように鮮やかな色のストールが、夜風に波打つ。 胸元には、ストールを止めるための銀の金具が星々の光りを弾き、三本の剣を交じり合わせたレリーフが闇に映える。 半袖からむき出した白磁のように美しい腕には、薄いグローブ以外に手甲の類は見当たらない。 短いスカートから伸びる均整のとれた脚部すら、漆黒のタイツに包まれているのみだった。 胸元の金具を除けば、軽装と呼ぶことすらはばかれるほど、少女を護る装甲は皆無に等しいだろう。 快速を以ってむねとする軽騎兵ですら、いま少し防具の類を欲しがるに違いない。 だが、それが少女が『主』より賜った、彼女ための“騎士甲冑”だった。 少女が見下ろす街の名は――『海鳴』といった。 漆黒の風に揺れる鮮やかな黒髪を意に介さぬように、少女は身じろぎもせずに遥か眼下の街を眺め続ける。 街の灯を映す水晶のような瞳は、どこか哀しみを帯びていた。 三日月のように紅く歪んだ唇は、微かな喜色を浮かべていた。 「――刻限だわ」 三日月の唇が動き、短い言葉が闇を刻んだ 誰に確認するのでもなく、自らに言い聞かせるような声。 双眸を細め、肺の空気を静かに入れ替え――眼差しに、強い光が宿る。 「上手く、吊り出せたらいいのだけど―――」 風が吹き抜ける。 正面に虚空に向かって、少女は腕を差し伸ばす。 「“ヴァイスナハト”―――“シュヴァルツナハト”―――」 《 少女の呼びかけに、鈴の音のように澄んだ声色が流れ――その両手に、深く蒼い魔力光が迸った。 それは三日月のカケラにも似た、鮮やかな弧を描く細身の刀だった。 刃渡りは、およそ50センチを超える程度だろうか。 冷たく滑る瑠璃の光で刀身を濡らし、鎌の刃のように歪んだソレを、少女は逆手に握る。 ――左右の手に、1本ずつ。 それは両手から生えた、羽のようにも見えて―――。 月を背に凛とした輝きを浴びる姿は、天使のような悪魔にも見えて―――。 少女はもう一度、唇を動かした。 「封鎖領域――展開」 《 刹那、瑠璃の輝きが少女の足元を蒼く照らした。 浮かび上がった刻印の輝きは、古代ベルカ式の魔法陣。 散りばめられた運命の少女たちを手繰り寄せるように、ゆっくりと回転を始めて―――。 ――― 現地時間 5月5日 PM21:07 ――― 一冊の魔導書を巡る苛烈な戦いが、いま再び――幕を開ける。 |