気が遠くなるような一瞬だった。 
 雨のように降り注ぐ光の刃を頭上に仰ぎ、はやては叫んだ。 

「あかん―――」 

 焦りと声が重なり、見えざる恐怖がはやての心臓を冷たく貫く。 
 迫りくる刃の群れは高初速で飛来する直射弾の特性を帯びながら、その数と面積で特定の空間を制圧する広域攻撃魔法。 
 1本1本を躱したところで無意味。ならば躱すのではなく、全力で攻撃範囲外にまで突っ切るしかない。 
 瞬間的にそう判断を下して、はやては自らの身体に加速を加えた。 

 風を切り、疾く――もっと疾く! 

 闇の中、木々の天辺を擦る低空飛行に、木々のざわめきが背後に流れる。 
 針の穴をくぐる糸になった気分で、はやては刃の雨から抜け出す――寸前、無慈悲な声が天空より響いた。 

「ブレイク!」 

 刹那、圧倒的な光の洪水が前方を遮り、全身を叩き付けるような衝撃が襲った。 
 狂える暴龍のように踊り暴れる炎と風に、金色の雷が縦横に奔って周辺空域を灼き尽くす。 
 炎に炙られ雷に叩かれ、はやては数メートルも吹き飛ばされて、全身に激痛が奔った。 
 だが、歯を食い縛った瞳からは、意識の光は途切れていない。 
 間一髪の差で間に合わせた白銀の膜――パンツァーヒンダネスが、致命的なダメージからはやてを護ってくれたのだ。 
 だが、その代償は大きく、一瞬の間に膨大な魔力が削り取られてしまった。 
 銀の防御膜には無数の亀裂が入り、砕け散らなかったのが不思議なくらいだ。 

「っ〜〜〜!」 

 はやてはよろけつつ、上空を仰いだ。 
 額に汗と焦りを滲ませ、苦痛で霞んだ眼差しの先に――しかし、金色の少女は存在しない。 
 次の瞬間、はやては考えるよりも先に、上空へと飛び跳ねた。 
 その僅か半瞬後に、はやてが居た空間を8本の光の剣が虚しく貫く。 
 動かないでいれば、間違いなく串刺しにされていただろう。その意味では、はやての反応は決して間違いではなかった。 
 だが、『間違いではない=正しい』とは限らない。 
 虚空を貫いた光の刃は、短い掛け声と共に必ず戻ってくることを、はやては熟知していた。 
 知っていたからこそ、はやては過ぎ去った刃に目線を送った。 
 上空へと逃げながら、下方へと意識を向けて―――。 

「チェックメイト―――」 

 故に、反応することすらできなかった。 
 背後から首筋に、金色の魔力刃――ハーケンスラッシュが、薄皮一枚でピタリと止まるまで。 
 放たれたプラズマランサーが、囮であることすら気付くこともできずに―――。 

「ハァ〜〜〜。また、やられてしまった」 

 はやては深々とため息をこぼし、両手を挙げた。 
 すると背後から、クスリと小さな笑みがもれる。 
 吹き抜ける夜気の流れに乗って、背後の少女の長い金髪に鮮やかな光が波打つ。 

「脇がまだまだ甘いよ、はやて。シャマルが居ないんだから、もっと自分で周囲の状況を把握しておかないと」 

 少女――フェイト・T・ハラオウンは、漆黒のインテリジェントデバイスを下ろした。 
 鎌のような姿は、三種類ある形態の中でも特にクロスレンジに特化された“ハーケンフォーム”。 
 高密度の魔力刃と、振り切る速度を補助する3枚のフィンブレードによって、恐るべき切断力を秘めた形態である。 
 これが実戦で、フェイトが本物の敵であったなら、はやての首はなくなっていたところだろう。 

「うう、やっぱり高速戦闘は苦手や……」 
「そうだね。今のはやて・・・・・だと、高速でクロスレンジに持ち込まれたら危険だと思う」 
「うん。そうなんやけど……ハァ〜」 

 肩を落として、はやては眉間を微かにしわ寄せた。 
 今のはやてだと――と、フェイトは言った。 
 その意味するところは明白で、はやては精神的に不健康なため息を吐き出した。 

 後方支援を得意とする広域攻撃型のはやては、フェイトのように高速で戦場を翔ける“機動格闘戦ドッグファイト”が苦手だった。
 それは大前提ではあるものの、クロスレンジで手も足も出ないほど、特化されているわけでもない。 
 少なくとも、はやてに自らの魔法を受け継がせたリインフォースは、クロスレンジに置いても無類の強さを発揮していた。 
 接近戦においては強靭な防御と、敵を寄せ付けぬ圧倒的な空間攻撃。 
 高速で飛翔する敵には、それを上回る弾道速度を備えた誘導攻撃魔法で迎撃する。 
 付け加えるなら、なのはのラウンドシールドを一撃で砕いたシュヴァルツェ・ヴィルクングのような魔法を使いこなしていた。 

 ――そう。彼女は状況に合わせて、魔法を使いこなしていた。 

 翻って、今の自分はどうなのだろう? 
 改めて自分を見つめ直してみた時、自分の弱点が嫌というほど浮き彫りになってくる。それがため息の理由だった。 

 リインフォースほど、多彩で強力な魔法を扱いきれていない。その自覚が、はやてにはあった。 
 ましてや現在のデバイス――シュベルトクロイツは、未だに出力と制御性能のバランスが解決しているとは言い難い。 
 サポート能力が皆無に等しいために、高位の魔法を使用すると簡単に杖が壊れてしまう。 
 そんな危険がある以上、おいそれと強力な魔法は繰り出せない。 
 もっとも、魔法の設定を非物理破壊に設定しているので、暴発しても笑い話でも済むといえば済むのだが―――。 
 それでは根本的な部分において、この模擬戦は意味を失い、単なる“ごっこゲーム”と化してしまうだろう。 
 模擬戦とはいっても可能な限り、実戦に近いカリキュラムであらねばならず、戦っている最中にデバイスを壊すなどもっての他だ。 
 それが実戦なら、取り返しのつかない失点――死に直結することすら、充分にあり得るのだから。 

「サンダーブレイクを受けたり躱したりしないで、真っ直ぐに突っ切ろうとした判断は間違ってないと思う」 
「うん……」 
「でも、その後がいけない。せっかくプラズマランサーの斉射も躱したのに、そこで周囲への警戒を怠ってしまったら無意味だ。 
 周囲が把握できない状態なら、せめて全方位型の防御魔法を展開させておかないと、死角を突かれてしまう。 
 ぜいたくをいうと、はやてがいま使える魔法――ディバインシュータで牽制射撃ができていれば、もっと状況は楽になると思う」 
「そ、それはちょっと、難しいかと……」 
「難しいかもしれない。でも、はやてのディバインシュターは、なのはのとは違って爆発範囲が広いから、広域攻撃にも使える。 
 爆発で壁を創れば足止めにも牽制にもなるし、視界を奪って逆に死角を突くことだってできる」 

 なるほど――と、はやては無心に頷いた。 
 攻撃魔法をただ攻撃に使うだけではなく、それをもって積極的な防御に使用するという発想―――。 
 この手の戦術的な指摘は、以前から何度も受けている。 
 だが、実際に動き回っている最中になると、なかなかそこまで気が回らない。 

「だからもう一回、さっきと同じ設定でいま言ったことに気をつけながら、回避機動の訓練を再開するよ。――ファイトだよ、はやて」 
「――うん。そやな! よーし、今度こそ逃げ切ってみせるで!」 
「その意気だよ、はやて」 

 ニコリと、少し控え目な笑みをフェイトは浮かべた。 
 なのはがひまわりのように花咲く笑顔なら、フェイトの笑顔はどこか遠慮がちで、ゆりのように儚い。 
 生い立ちと過去のいきさつが、フェイトをひどく控え目な性格に育ててしまったのだろう。 
 ――けれども、優しくて真っ直ぐな心を持った少女なのだと、はやては思った。 
 真冬の出逢いから、まだそれほど長くはない時間の中ですら、フェイトの優しさには何度も救われている。 
 失う痛みを乗り越えた強さが、彼女の優しさの根底にはあるからだ。 

 なのはにはなのはの強さと優しさが、フェイトにはフェイトの強さと優しさがあって―――。 
 本当に心を交わせる、名前で呼び合える友達でありたいという願いがあって―――。 
 2人の強さに、早く近付きたいから―――。 

 はやては、シュベルトクロイツを強く握り直した。 
 次は自分が、2人を助けられるくらいにはなっておきたい。少なくとも、今みたいな足手まといでは目も当てられないから。 
 だからシュベルトクロイツを握る。それが自らの意思であるが故に、 
 出来る、出来ないでない。出来なければ、無意味なのだ。 
 未だか細く、頼りないこの腕だとしても―――。 
 いつかはきっと、この星空のどこかで見守ってくれている“彼女”が、安心して微笑んでくれるように―――。 
 そう思い、はやては夜空を何気なく見上げ――不意に小さな異変を見つけた。 

「―――え?」 

 それは小さな瞬きだった。 
 深く蒼い、星々の輝きとは異質の光が、瞬く間に天空の全てを覆った。 

「こ、これはなんや――!?」 
「封鎖領域――捕獲型の結界!?」 

 はやての瞳に戸惑いが浮かび、フェイトの瞳に警戒の光が奔る。 

「バルディッシュ!」 
Yes,イエス sirサー Loadロード cartridgeカートリッジ Assaultアサルト formフォーム

 バルデッシュの回転弾倉とコックが物々しい駆動音を響かせ、金色の閃光が水晶体からあふれ出す。 
 瞬間的に、爆発的な魔力量を内包したカートリッジの消費と引き換えに、バルディッシュは自らの形態を“閃光の戦斧”へと移行する。 
 汎用のアサルトフォームは、特化された機能が使えない分、あらゆる状況に対して柔軟に対応ができる。 
 突発的に訪れたこの状況下において、戸惑う前にアサルトを選択できる判断力は、場数を踏んでいるフェイトだからこそだろう。 
 はやては――自分がどうすればいいのかも判らず、ただフェイトの背中で不安げな面持ちを浮かべるしかなかった。 

「はやて。外への通信は届く?」 
「へ? あ、ああ、そうか。やってみる」 

 訊ねられ、はやては慌てて思念通話を飛ばした。 
 フェイトが自分で試さなかったのは、もう試した後だからか、もしくははやての能力に期待してのことだろう。 
 はやてと守護騎士たちとの精神リンクの結び付きに加え、現在、海鳴にはシャマルが居る。 
 他の騎士よりも優れたバックアップ能力を持つシャマルになら、届かない通信も届くかもしれない。 
 だが―――。 

「――あかん、フェイトちゃん! 誰とも通信が届かへん! 外部と完全に遮断されてる!」 
「じゃあやっぱり、この結界はわたしたちを閉じ込めるためのものなんだ。――どこの誰かは、判らないけれど」 
「フェイトちゃん……」 
「大丈夫だよ、はやて。はやてのことは、ちゃんとわたしが守るから。はやてはそのまま、外への呼びかけを続けて」 
「う、うん!」 

 周囲を警戒しつつも、普段と変わらぬ落ち着いたフェイトの声に、はやては深い感銘を覚えた。 
 これが――これからの自分が“なるべき”姿なのだろう。 
 どくんどくんと、胸の鼓動は早鐘のように鳴り響いている。それは隠しようもない事実だ。 
 だからこそ、いつまでも怯えているわけにはいかない。それではいつまで経っても、何も変わることなんてできない。 
 胸に手を置き、大きく息を吸い――そして、吐き出す。 
 ただそれだけの行為を、はやては3度繰り返し―――。 

「―――よし」 

 はやてはキッと、夜空を睨んだ。 
 怯えもあるし、恐怖だって残っている。でも、だからこそ意地を張ろう。 
 それに意地を貫くことなら、わりと自信があるのだ。 

「落ち着いたみたいだね、はやて。さすがシグナムたちの『主』だ」 

 緊迫した空気の中で、不意にフェイトが少し微笑む。 

「――うん。ありがとう。そやけど、それはフェイトちゃんが一緒におるからや」 
「そっか……。じゃあ、その期待にはちゃんと応えないとね」 
「わたしもや」 

 はやては再び、思念通話を試みた。 

《《――シャマル。応答してくれへんか、シャマル。――こちらは八神はやてや。応答して――シャマル!》》 

 返答は、やはりない。 
 よほど強い結界なのか、それとも通信妨害の追加効果を付与させているのか―――。 
 いずれにしても、狙いはコチラを孤立させることなのは間違いなさそうだ。 
 だが、強力な結界は、その存在自体が命取りにもなりかねないと、はやては思った。 
 通信は届かなくとも、シャマルとヴィータならこの結界の存在に気付く。時間が経てば、管理局だってきっと動いてくれる。  
 時間が不利に働くのはコチラではなく、むしろこの結界を創った魔導師だろう。 

 だとすると―――。 

「気をつけて、はやて。そろそろ仕掛けてきても、おかしくない」 
「わかった」 

 フェイトも、同じ結論に至っていたらしい。 
 否――フェイトと同じ結論に至れた自分が、少しだけ嬉しく思えた。 
 もちろん、こんなことで喜んでいる場合でないことくらい、判ってはいるが―――。 

「来た―――」 
「!?―――」 

 短い呟きに、闇を翔ける蒼い閃光が重なった。 
 夜天の空から、逆落としに冷気を切り裂く瑠璃の閃光。 
 それは瞬く間に人の形となってはやての正面に迫り、2本の刃が危険な輝きを放った瞬間―――。  

Defensorディフェンサー Plusプラス

 金色の魔法陣が、寸前のタイミングで刃を遮った。 
 衝突した物理エネルギーと魔力エネルギーが激しい反応爆発を起こし、周辺の木々をなぎ倒す。 
 轟音がはやての耳を叩き、防ぎきれなかった爆発の余波と魔力の破片が飛び散って、騎士服の上に小さな傷を幾つも作った。 
 予めカートリッジを1本消費して強化したシールドでなければ、或いは一撃で砕かれたかもしれない。 
 だが、はやてが驚いたのは、その破壊力ではなかった。 
 攻撃方法そのものに、はやては驚愕を隠せなかったのだ。 

「今の攻撃は、まさか魔力付与攻撃か―――!?」 

 刃がシールドに触れたぐらいで、これほどの爆発は起こりえない。 
 可能性があるならば、それは武器に魔力を付与させて威力を飛躍的に高める方法だろう。 
 そしてある種の“奥義”とも言えるその攻撃手段は――ベルカ式の使い手が、好んで使用する方法だった。 

「はやて、後ろ―――!」 
「えっ!?」 

 鋭い声を飛ばすと同時に、フェイトが振り向きざまにバルディッシュを滑らせる。 
 漆黒の旋風が白いベレー帽を掠めた。 
 刹那、閃光の戦斧の切っ先が激しい火花を飛ばし、瑠璃の刃を受け止める。 

「い、いつの間に背後に!?」 

 振り返ったはやての瞳に、鮮やかな瑠璃色が映った。 
 夜天と蒼天の狭間で踊るような瑠璃色のストールが、逆巻く風にふわりと広がる。 
 それは穏やかな泉を思わせる緑眼を湛えた、美しい少女だった。 
 まだ15、6歳を過ぎた辺りの、シグナムよりもまだ年下のように思える少女。 
 儀礼的な意匠を思わせる騎士服の胸元に、ストールを止める銀の止め具が滴のような輝きをこぼす。 
 だが、美しい少女の腕に握られているのは、まぎれもなく人を傷つけるための魔導の武器。 
 逆手に握られた両手の剣は、中心の欠けた三日月のような弧を描き―――。 

「っ―――!?」 

 柄の部位に備わった、レヴァンティンのダクトにも似たスライド式の排出機構。 
 その意味するところは、ひとつしかない。 
 だが、少女ははやてが回答を得るより早く、踵を返すように間合いを開き、虚空に三角形ベルカの魔法陣を一瞬だけ浮かべた。 
 と、その残像を蹴り付け、少女の身体が瞬時にして空へと消える。 

「逃がさない―――」 

 上空を睨み、フェイトがしなやかな身体を沈み込ませ――弾かれたゴムのような勢いで飛翔した。
 遅れて発生した衝撃波が、はやての短い後ろ髪を乱暴に掻き乱す。
 唖然とするようなスピードで、少女とフェイトははやての視界から掻き消えてしまった。
 追うべきか、止まるべきなのか―――。
 瞬間的な選択に、はやては迷った。
 だが、直後に飛び込んできたフェイトの思念通話が、はやてに自分の行動を決定付けた。

《はやて―――。この子はわたしと同じ高速機動戦が得意な接近戦タイプだ。はやてには、かなり分が悪い相手だ。 
 だから、はやては後方に待機していて。チャンスがあったら、援護をお願い―――!》 
「わ、わかった!」 

 返事を返すと同時に、はやても大地を蹴って夜空に上がった。 
 これほどの高速機動戦では、自分の出番どころか援護すら難しいだろう。 
 ディバインシューターを撃ったところで、おそらくは命中しない。相手の動きが、あまりにも速すぎる。 
 本気で命中させるなら、別の魔法を使うしかないが―――。 

「ブラッディーダガー、やれるか―――」 

 握り締めた剣十字の杖を、はやては真横に滑らせる。 
 闇を切り取る白銀の弧が輝きを強め、はやての足元にベルカの魔法陣が展開した。 
 同時に、はやての正面に深紅の光りが集まった。光りは瞬く間に短剣となって、鋭利な切っ先が扇状にズラリと広がる。 
 その数――わずかに5本。 
 戦闘に参加せず、魔力制御のみに意識を集中させたにも関わらず、精製できた短剣は5本だけだった。 

「たったの5本か……。せやけど援護射撃やったら、この数でもできる―――!」 

 ブラッディーダガーをセットしたまま、はやては周囲の闇に目を凝らした。 


※        ※        ※        ※        ※



 何者だろう―――。 

 不気味に変色した夜空の下を翔けながら、フェイトの思考は襲撃者の正体を追っていた。 
 わずか一撃―――。 
 だが、その一撃には明確な攻撃の意図と、尋常ならざる攻撃力が込められていた。 
 並みの魔導師ではない。おそらくはベルカ式の――それも“騎士”クラスの魔導師だろう。 
 速く、なによりも鋭い。 
 一撃の重さと破壊力はシグナムには劣るが、あの機動性は侮れるものではない。 

「カートリッジ、残り3発―――。ちょっと、苦しいかな」 

 美しい眉根を、フェイトはほんの少し歪めた。 
 元々、ただの夜間練習のつもりで出掛けて来たから、予備のカートリッジなど持ってこなかったのだ。 
 この状況では、迂闊にフルドライブ――“ザンバーモード”は使えない。 
 湯水のようにカートリッジを消費するザンバーでは、弾切れを起こしてしまう。 
 カートリッジの使用を惜しむのは危険だが、弾切れを起こすのはもっと危険―――。 

「っ―――!?」 

 視界の端を掠めるように、瑠璃の光が瞬いた。 
 フェイトは漆黒のマントを翻し、右に向かってターンした。 
 直後、反射的に掲げたバルディッシュが、けたたましい金属音と火花を散らせた。 
 金色の防御フィールドがフェイトの驚きを鮮明に照らし、湾曲した瑠璃の刃がバルディッシュをジリジリと押し込む。 
 と、不意に鍔迫り合いから少女は腕を引き、短いスカートを翻してクルリと回った。 
 唐突な円舞から繰り出されたのは、逆手に握られた左の一刀。ほぼゼロ距離から、予期せぬ角度で飛燕のような閃光が弧を描く。 

 大気を切り裂く音を残して、フェイトの右ひじに痛みが奔った。 
 咄嗟に腕を引いていなければ、危うくひじから下が切断されていただろう。 
 寸前のタイミングで後方に跳んだフェイトの右ひじの下から、紅い液体がジワリと浮かび上がる。 
 フェイトは傷の状態を一瞥して、正面の少女に問うた。 

「あなたは何者で、なんの目的があってこんなことをするのですか。――魔法を使った不当な攻撃は、決して軽くない犯罪になる。 
 自分のやっていることに自覚があるなら、大人しく武装を―――」 

 フェイトが言い終えない内に、少女は瑠璃色の魔力光を散らして加速した。 
 旋風が唸りを上げて、フェイトの瞳に重厚なブーツの踵が映る。 

Sturmシュトゥルム Beinバイン》 

 躱す間もなく飛び込んで来た回し蹴りに、フェイトは咄嗟に右腕を構えた。 
 払うつもりで掲げた腕に、予想を遥かに上回った重い衝撃と蒼い雷光が迸り、フェイトを驚嘆させた。 
 アルフやザフィーラが得意とする体術に魔力付与を乗せた攻撃は、追加効果を加えることにより様々な効力を生み出すこともできる。 
 直線的に、わざとフェイトに受けさせたのは、コレが狙いだったのだろう。 
 身のこなしもさることながら、その大胆な度胸も並みの騎士ではありえない。 

「くっ―――!」 

 一撃でフィールドを砕かれ、フェイトの身体は左に吹き飛んだ。 
 吹き飛びながら、身体を背中側へと限界にまで仰け反らせる。 
 その数ミリ上を少女の右手の刃が掠めて流れ、フェイトの顎の下に紅い線を刻みながらマントの襟元が切り取った。 
 時計回りに回転した左のハイキックの流れを、そのまま裏拳の延長に利用して刃を滑らせてきたのだ。 
 フェイトは両手の上――地表側に形成した魔法陣に手をつき、垂直に飛び上がった。 
 背中の中ほどまで届く鮮やかな金髪が、翼のように広がり―――。 

 ヒュンッ―――! 

 鋭利な音色が、その翼を鋭く裂いた。 
 淀みなく振り払われた2本の刃が虚空を突いて、金色の髪が数本、夜空を舞った。 

「―――なるほど。想像以上に、いい動きだわ」 

 初めて、瑠璃の少女の声がフェイトの耳を掠めた。 
 だが、それは真下からではく、頭上から降った。 
 瞬きするほどの時間の間に、声の主は真下から背後に回り込んでいたのだ。 

「そんな―――!?」 

 背筋が凍り、フェイトは瞳に深紅の光を乗せて振り向きざまにバルディッシュを薙ぐ。 
 しかし、そこに敵は存在せず――フェイトは再び愕然とした。 
 少女はそのスピードも、フェイトの予想を遥かに上回っていたのだ。 
 カートリッジの残数が苦しいなどとは、とんでもない思い違いである。 
 目の前の少女は、フェイトに残り少ないカートリッジを使用する暇すら与えてくれないのだ。 

「でも、まだ遅い―――」 

 浴びせられた言葉は、果たして意識されたものだったのだろうか。 
 生まれて初めて、少なくともリニスから“閃光の戦斧”を授かって以来、初めて耳にした嘲笑―――。 
 半分も振り返らない内に、下から上に少女の刃が切り上がった。 
 次の瞬間には、左から右に閃光が奔り―――。 

「つぁぁぁっっ――――!!!」 

 フェイトの胸元に刻まれた瑠璃の十字星が、フェイトのフィールドを食い千切る。 
 その防御を完全に貫かれたわけではなかったが、膨大な魔力の消費と、なにより激しい痛み蛾フェイトを襲った。 
 それでもフェイトは歯を食い縛って、足元の魔法陣を蹴り付ける。 
 高速で跳ね回るヒットアンドウェイを重ねてくる相手に、一瞬でも動きを止めるのは愚の骨頂。 
 身の危険を感じた身体が、勝手に反応した動きだった。 

 ――地に脚をつけた動きでは、ただの標的になる。 
 ――けれども、敵は疾い。 
 ――下手に動き回っても、優速の彼女の前では誤魔化しにもならない。 

 ――なら、方法はひとつしかない! 

 瞬時に判断を下し、フェイトは相棒の名を叫んだ。 

「バルディッシュ!」 
Barrierバリア jacketジャケット Sonicソニック formフォーム

 フェイトの願いを受けて、バルディッシュのコアから閃光が溢れ、コマンドが奔った。 
 同時に、金色の光がフェイトを包む。 
 元より軽装だったフェイトの防護服から次々と装甲部位が剥ぎ取られ――フィールド効果すら減衰し、フェイトの身体が加速する。 
 両手に輝く金色の羽は、より鋭利な機動を勝ち取るための光の翼。 
 両脚で羽ばたく雷の翼は、より高くより疾く飛ぶために少女が望んだ決意の翼。 
 防御を無視することにより、圧倒的な機動性能と加速性能を得た背水の戦衣を身に纏い、フェイトは闇を疾駆した。 

Hakenハーケン
「―――!?」 

 瑠璃の少女の瞳に初めて驚愕にも似た光が奔り――瞬間、またしてもその姿が掻き消える。 
 だが、こんどはフェイトも逃さない。 
 同じ速度で、同じ時間を刻み、初めてお互いの刃を絡まし合いながら、見えない壁を蹴って無限の反射を繰り返す。 
 瑠璃の刃の一刀が金色の鎌を真下から撥ね上げ、こじ開けた空間へ残る一刀が滑り込んだ。 
 逆手に握られた刃は、しかし虚しく三日月に空を切る。 
 同時に、瑠璃の少女の姿が残像を残して掻き消え、遺された虚空をバルディッシュの閃光が一閃―――。 

「―――!?」 
「!?―――」 

 期せずして2人は同時に間合いを計り、夜空に一瞬の静寂が訪れた。 

「………」 
「………」 
「………」 
「……面白いわね」 
「………?」 

 無言の視線がもつれ合う中、最初に言葉を発したのは――瑠璃の少女だった。 

「防御を無視してまで、速度を追い求めたその姿。それが“剣の騎士”に勝つために編み出した、1つの回答というのなら―――。 
 シグナムが貴女を気に入るワケが、よく判るわ。その澄んだ太刀筋は、きっと彼女の心を躍らせたのでしょうね」 
「シグナムを知っているのですか―――!?」 
「………」 

 少女は、しかし不意に唇の上に嘲笑を浮かべ、言葉を閉じる。 
 そしてエメラルドのような美しい瞳を、哀しげにそっと伏せて―――。 

「“ヴァイスナハト”――“シュヴァルツナハト”―――」 

 薄い桜色の唇が、囁くようにその名を紡ぐ。 
 炸裂音と同時に2本のデバイスが小刻みに震え、甲高い金属音を響かせながら薬莢が飛び出す。 
 少女は静かに、柄と柄の底を重ねた。すると瑠璃の魔力光が吹き上がり、2本の刀身が溢れ出す光に伸び上がる。 
 欠けた三日月が向き合うように、2つの弧が1つとなって―――。 

 ――真円を、描く。 

 蒼く深い輝きが、濡れたように闇夜を照らし――フェイトを戦慄させた。 

Zweinachtformツヴァイナハトフォーム》 

「貴女は、一体……?」 
「知りたければ、実力で訊ねてきなさい」 
「そんな―――」 

 挑発するような少女の声に、フェイトは呻いた。 
 少女の緑の瞳に揺れているのは哀しみの光でありながら、その声だけが戦いの予感に酔いしれている。 
 その危うい不均衡さが、フェイトに不吉な予感を覚えた。 
 この戦いは、なにかがおかしい―――。 

「ハッ―――!」 

 裂帛の吐息を重ねて、少女の身体が右に飛ぶ―――。 
 応じて、フェイトも右に跳んだ。速さは互角――いや、若干だが自分の方が速い。 

 だが―――。 

「えっ―――」 

 ありえない光景に、フェイトは自分の眼を疑った。 
 正面にいるはずの少女の姿が――どこにも見当たらない。 
 見失うわけがない。確かに相手は右に飛んで、自分はソレ以上の速さで跳んだはずなのだから。 
 だが、現実に瑠璃の少女は視界に居ない―――。 

「!――――」 

 背中に殺気を感じたフェイトは、全力で加速した。 
 それでも斬撃を躱すことは不可能だった。 
 左背後から・・・・・から踊りかかってきた少女は、無言のままリング状の刃を斜めに切り落とした。 

「切り裂け、ツヴァイナハト―――!」 

 刹那、夜のフェイトの悲鳴が木霊して、血霧が舞った。 
 防御フィールドの加護を自ら切り捨てたフェイトの防御服は、本来の役割を果たすことなく背中から裂けた。 
 だが、フェイトは膝を折らず、振り向きざまにバルディッシュを閃かせる。 
 断つことに関してはレヴァンティンにも劣らないバルディッシュの鎌は、リングの刃に阻まれた。 
 場違いに澄んだ音色が響き、フェイトは熱く疼く背中に脂汗を浮かべた。 

 ――と、少女の口が再び動いた。 

「確かに速い。でも、それだけ――。どんなに速く動けても、そんなに素直な動きなら―――」 

 と、少女の像がぶれて、夜空に消えた――その一瞬を、フェイトは捉えていた。 
 上に跳んだ――間違いなく、上に向かって跳んだ。 
 フェイトも追って、真上に跳んだ。 
 だが―――。 

「どうして―――!?」 

 仰いだ方向に、少女の姿はない。 

「意味がない―――」 

 冷然とした響きと同時に、蒼いリングが真下から跳ね上がった。 
 そしてそこにも少女の姿はない。リングを飛び道具として投擲し、そのまま別の場所に移動した後だった。 
 だが、フェイトに少女を探す余裕はなく、鋭利なリングを躱し切れずに、今度は左腕の上腕部に深い亀裂が奔った。 

「ああああっっっ――――」 

 悲鳴が散り、紅い雨が夜を濡らす。 
 フェイトの肉を裂いたリング――ツヴァイナハトは半弧を描くように飛翔して、フェイトの右正面に立つ少女の手に戻り―――。 
 戻ると同時に間合いを踏破し、一気に身体を回転させながらフェイトに迫る。 
 ワルツを踊るような動きに遠心力を乗せて、ツヴァイナハトの刃が真横に滑り、フェイトもバルディッシュを斜め上へと振り上げた。 

 キィン―――。 

 火花が散った。 
 危険な戦輪が真上に跳ね上がり――だが、それを握っていたはずの少女の姿が、またしても消えていた。 
 フェイトは戸惑い、一瞬、自らの動きを止めてしまった。 
 機動性のみが生命線であるソニックフォームを纏いながら、動きを止めてしまったのだ。 
 例え1秒に満たない時間であっても、それは致命的だった。 

 次の瞬間、フェイトの背中を衝撃が襲った。 

 それが魔力を乗せた打撃技だと気付いた時、フェイトの骨は不気味に軋み、内臓を裏から突き上げた。 

「か、はっ――――」 

 吐き出した息に、血の味が混ざった。 
 視界が急激に暗くなり、呼吸が止まるような感覚が四肢を満たして―――。 

「エリス―――」 

 不意に、声がした。 

「夜明けの鐘を鳴らす者―――。ヴルケンリッター“瑠璃の閃光”エリス―――」 
「ヴォル……ケン………?」 

 それがどういう意味なのか、フェイトには判らなかった。 
 正確には、考えることができなくなっていた。 

「に…げて……はや…て………」 

 最後の力を振り絞って、フェイトは呟いた。 
 或いは呟いたつもりで、声にはなっていなかったのもしれない。 

 フェイトは、自分の名を呼ぶはやての声を、最後に聞いたような気がした―――。 





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