エリスは自らの拳に魔力を乗せて、金髪の魔導師の腰椎――『活殺』と呼ばれる人体の急所を貫いた。 付与された魔力の衝撃を拡散させるのではなく、人体の裏側に徹す特殊な魔力打撃―――。 集束された不可視のエネルギー波は神経の束を貫通して、骨格もろとも内臓にまで深刻なダメージを及ぼす。 「か、はっ――――」 金髪の魔導師の口から、小さな血の塊が飛び散った。 雷に打たれたように少女の背筋がビクンと跳ねて、そのまま空中で静止する。 屈強な大人の戦士であっても、とても耐え切れる一撃ではない。 ましてや、それが年端もいかぬ少女とあれば―――。 「エリス―――」 故に、エリスは無意識の内に言葉を発した。 「夜明けの鐘を鳴らす者―――。ヴォルケンリッター“瑠璃の閃光”エリス―――」 未だ幼き優秀な魔導師が、その意識を完全に失ってしまうその前に―――。 エリスは静かに片腕を掲げた。 その掌に、漆黒のインテリジェントデバイスに弾かれたエリスのアームドデバイス――ツヴァイナハトが円弧を描いて舞い戻る。 濡れたように輝く刃に、悼むように伏したエメラルドの眼差しを映して―――。 「あなたは後10年……いいえ、5年もすれば、きっと“剣の騎士”と互角に渡り合える魔導師にだってなれる。 だから、それまで死に急がずに、今は静かに眠って―――」 静かに、エリスはツヴァイナハトを斜めに構え――振り下ろす。 ギィィィ―――ンッッッ! 刹那、甲高い金属音に紅い閃光が重なり、弾ける。 振り下ろしたツヴァイナハトの刃を穿ったのは、血塗られた色の5本の短剣――ブラッディーダガー。 視認はおろか、ジャミングする暇すら与えずに標的を貫く深紅の高速直射弾が一斉に炸裂して、エリスの視界を炎が奪った。 「 炸裂したブラッディーダガーの爆炎を瞳に宿して、はやては一瞬、歓喜の声を滑らせた。 だが、直ぐにその表情を険しく結び直す。 眼差しの先では、地表に向かってフェイトが落下している。 力なく重力の糸に引きずられるその姿は、明らかに甚大なダメージを負っているのだろう。 「スレイプニール―――!」 はやては叫び、短い髪を振り乱して闇を貫くように加速する。 後背の6枚翼――スレイプニールは大きく震え、術者の持つ最大出力ギリギリの速度を叩き出す。 分厚い大気の壁を突き進みながら、はやては唇を噛んだ。 ブラッディーダガーの弾速性能なら、どんな高速機動戦闘にでも使えると思っていた。 一度ロックオンしてしまえば、後は躱す間もなく着弾するはずだった。 けれども、その考えは結果として甘すぎた。 想像を超える速度で交わされた機動戦闘に、ロックオンすることすらはやてには不可能だったのだ。 「フェイトちゃん!」 忸怩たる想いが、未熟さを自覚するはやての心を焦がした。 何もできなかった―――。 せめて援護はしようと、そう思っていたにも関わらず――それすらできなかった。 フェイトをたった一人で強敵と戦わせ、あの優しくて強い笑顔に全てを押し付けてしまった。 その結果が、コレだというのなら―――。 「フェイトちゃん―――!」 もう一度、はやては叫んだ。 声は確かに届いているはずなのに、フェイトの身体はピクリとも反応しない。 それでも右手に握られた“閃光の戦斧”を手放さないのは、フェイトの強固たる意志の顕れなのだろう。 気を失って尚、フェイトはフェイトであった。 だから―――。 はやてはすれ違いざまにフェイトの身体を受け止め――そのまま地表に着地した。 否、それは着地というよりも激突であり、減速もせずに遮二無二に突っ込んだ当然の結末ともいえた。 山の斜面を何度もバウンドして土煙を巻き上げ、それでも無事で済んだのは、はやての騎士甲冑の防護フィールドの賜物だろう。 それでも完全に無傷とはいかず、右肩に鋭い痛みが奔った。 「フェイトちゃん! しっかりしぃや、フェイトちゃん!」 けれどもはやては、起き上がると直ぐにフェイトの顔を覗きこんだ。 右肩の痛みなどはまるで無視して、苦しげに呻くフェイトの姿に視線を走らせ――はやては絶句した。 細かな切り傷は無数にあるが、中でも左腕の裂傷が深い。 溢れ出す赤い液体は瞬く間に足元を濡らし、直ぐにでも傷を塞がなければ取り返しがつかない状態になるだろう。 はやては涙の滲んだ眼差しで、鈍く曇った上空の結界を睨んだ。 「待っててな、フェイトちゃん。直ぐにシャマルを呼んでくるからな!」 大地を蹴って、はやては飛翔した。 今、自分が成さねばならぬことは、泣きべそをかきながらフェイトに付き添うことではなかった。 頭上の結界を突破して、1分、1秒でも早くシャマルと連絡を連れてくることだから―――。 それが可能なのは、この小さな世界の中で唯一自分1人だけで―――。 「――さて、どこへ行くつもりなのかしら?」 だが、そのためには目の前に立ちはだかる障害を、乗り越えなければならないだろう。 ベルカの術式を操り、フェイト打ち破った瑠璃の閃光を放つ少女。 ブラッディーダガーの一斉射撃を浴びて尚、無傷で佇むこの騎士を―――! 「こういう場合も、初めましてというべきなのかしら? お目にかかれて光栄にございます、夜天の王――八神はやて」 「――それはどういう意味や?」 恭しく頭を垂れる少女の仕草に、はやては微かに眉をひそめた。 夜天の王―――。 はやてをその名で呼ぶ人間には、大きく分けて二種類しか存在しない。 誇りと敬愛をこめて呼ぶ“騎士”たちと、畏怖と憎しみをこめて呼ぶ“被害者”たちと―――。 ならば、目の前の少女は? 慇懃無礼な少女の振る舞いは、はやてにとって初め接するタイプだった。 何より初対面の少女の口ぶりは、はやての正体を知っていることを隠そうともしていない。 「狙いは最初から、わたしやったっていうことか」 状況から考えれば、それしか思い浮かばない。 はやて自身はともかく、その騎士たちの犯した罪に恨みや不満を抱いている人間は、少なからず存在するのだから。 ましてや11年前の『闇の書』事件に関しては、多数の死者すら生み落としている。 肉親や恋人を奪われた遺族が、未だにわだかまりを捨て切れないからといて、誰が彼らを非難できるだろうか? 「そうね―――。正確には、少しばかり違うかもしれないけれど―――」 「―――?」 その言葉にはやては首を傾げたが、今は疑問を解いている時間もない。 「悪いんやけど、立ち話はまた今度や。今は少し急いでるから、そこを通してくれへんか?」 「無理、と応えたらどうするのかしら?」 「―――――!」 真横に薙いだシュベルトクロイツの軌跡に、3つの赤い光体が水平に並ぶ。 急激な魔力の消耗と集中力とを引き換えに、光体は次々と深紅の短剣に姿を造り変え―――。 最後の1本が精製されると同時に、それは剣尖を揃えて瑠璃の少女を貫いた。 それ合図に、はやては全速力で加速する。 ブラッディーダガーですら、この騎士にはせいぜい牽制にしかならないだろう。 それは既に実証済みで――そうなると、はやてに残された選択肢の中では“逃げる”しかない。 逃げて――見っともなくても構わないから逃げ切って、そして援軍を呼ぶ。 フェイトですら敵わなかった相手に、単独で挑んでも勝ち目は薄いという自己分析が、はやてに逃走という手段を選ばせた。 それは基本的に正しくもあり――同時に、最も困難な選択だった。 ブラッディーダガーの爆炎を背に、はやては振り返ることなく虚空を翔ける。 ほんの僅かな時間ですら、今のはやてには惜しかった。 だが、爆炎を抜けて3つ数える間もなく、最初の一撃がはやてを襲った。 天頂方向から降り注ぐ瑠璃の閃光が、はやてのバリアを削り取り、そのまま下方へ突き抜ける。 「つぁ―――!」 骨が砕かれるような激痛に耐えながら、尚もはやては加速する。 下方に抜けた閃光――半自動誘導する瑠璃の戦輪は、はやての眼下で鋭利なターンを描いた。 そして今度は、下方から突き上げるように防護フィールドを刻み取る。 銀の光と瑠璃の光が微粒子のように舞い散って、夜の空を火花が焦がす。 防ぐことも回避することもできず、はやては一撃目と同等の激痛をその身に刻まれ、苦痛の呻きをもらした。 元々、機動力で劣る以上、逃げるにしても“強行突破”以外にはありえない。 可能な限り防護フィールドの出力を上げて、結界の外まで突っ走る――それしかないのだ。 だが、横から、下から――間断なく襲い掛かってくるツヴァイナハトがバリアを叩くと、はやての速度は目に見えて低下していった。 はやてがどんなに上手く回避運動を使っても、ツヴァイナハトはたやすく追いつき、痛烈な一撃を確実にヒットさせてゆく。 累積されたダメージは、もはやはやての防護フィールドを崩壊の直前にまで追い込んでいた。 「くっ……ディバインシューター!」 苦し紛れに、はやては自らの引き出しの中から最も使い勝手のいい射撃魔法を選択した。 詠唱不要の、高速で飛び回りながらでも確実に起動してくれる、優秀な誘導性能を誇る桜色の魔法弾。 なのはのリンカーコアからコピーした光りが、次々とはやての周り取り囲む――その数、6個。 「シュート!」 号令と同時に、桜色の誘導弾が一斉に加速した。 一定の距離を置いて、はやてを切り刻む瑠璃の騎士――ではなく、その手から滑り出されたツヴァイナハトの正面へ。 6個の光りが1つの点になった瞬間、はやての正面に桜色の壁が出現した。 オリジナルのなのはのソレとは違い、はやてのシュータには広域拡散型の性質を帯びている。 フェイトの指摘した通り、一斉に自爆させたはやてのシューターは広域攻撃となって、ツヴァイナハトの進路を阻害したのだ。 「今の内に―――」 再び加速したはやての正面に、瑠璃の騎士が立ちはだかる。 その手には、シューターの自爆攻撃で弾き飛ばしたはずの戦輪が、禍々しい光りを放っていた。 そしてエメラルドの瞳が湛えるのは、深く静かな哀しみの光り―――。 驚愕するはやての脳裏に、不吉な予感が走った。 だが、一度加速を始めたはやてにブレーキを踏む余裕はない。そのまま正面から、遮二無二突っ込むしかなく―――。 瞬間、瑠璃の閃光が煌き、はやての防護フィールドは粉々に砕けた。 (アカン―――実力が違いすぎる―――!) 全身をバラバラにされるような衝撃に晒されながら、けれどもはやては歯を食い縛った。 空中でバランスを崩しながらも、喘ぐように足元を蹴りつけ――飛び出す。 (せやけど急がんかったら、フェイトちゃんの命が―――――!) その想いが、純粋な力となってはやてを奮わせる。 (ブラッディーダガーもあかん。ディバインシューターは最初から牽制にしか使われへん) (とにかく向こうの動きが速すぎる。あんな速い相手から、逃げる切る方法なんて―――) (――いや、あるにはある。どんなに速い相手でも、この攻撃なら絶対に避けきられへん。例え防がれても、足止めにはなる!) 純粋広域攻撃―――。 赤色に輝く危険な選択肢が、はやての脳裏を掠めた。 リインフォースから引き継いだはやての魔法資質は、広域攻撃Sランクという驚異的な潜在能力を秘めている。 その資質を純粋に解放する広域攻撃――射程内の空間全てにダメージを通す攻撃を行えば、そこに“機動力の差”は意味をなさない。 だが―――。 「どうしたの、夜天の王? オニごっこはもうお終い?」 正面から、嘲笑を含んだ声が降る。 右手に握られた戦輪を構え、空間を疾駆する速度を緩めることなく腕を振るい――蒼光を散らす。 咄嗟に張ったパンツァーシルトの表面を擦り、白銀の燐光が闇に舞う。 それを突き破るように、少女は左の掌でパンツァーシルトを打ち――裂帛の声を上げた。 「はっ!」 鋭い声に重なって、淡い光を帯びた衝撃波がはやてを襲った。 間違いなくシールド破壊の追加効果を乗せた一撃が弾け、ガラスが砕けるような音が響き――はやての身体が後方へ吹き飛ぶ。 想像を絶する重い一撃。視界がぐにゃりと歪み、冷たい汗が背筋を伝った。 容易に逃げ切れる相手ではないとは判っていたが、こうも呆気なく一方的に打ちのめされるとは思ってもいなかった。 抑えたままの“力”で、どうにかなる相手ではなかった―――。 例え危険な賭けであっても、このままでは手も足も出ないままやられるだけ―――。 ならば、いっそ―――。 咥内に血の味を感じながら、はやては最後の決断を下した。 「我、欲するは無限の輝き―――」 それは多少なりとも、多大な魔力を安定させるための魔力詠唱―――。 はやてが持つ広域攻撃魔法の中でも特に射程が広く、効果空間内でのバリア発生阻害効果すら合わせ持つ、必殺の一撃―――。 「其に捧げるは、夜の抱擁………」 圧縮された膨大な魔力の流れが、はやての掌で濁流のように暴れ出し、詠唱の語尾を揺らす。 膨れ上がる魔力の総量は、既にそれ自体が危険な諸刃の剣―――。 心臓が不気味に軋み、全身が砕け散りそうなほどの激痛に、シュベルトクロイツを握る掌がジトリと汗ばむ。 リインフォースが健在で、あの聖夜の決戦と同じように融合を果たしてさえいれば、こんな苦痛は味合わなかっただろう。 だが、現実は過酷で、リインフォースは既にない。 手に握る魔導の杖は単なる魔力加速と圧縮のサポートしか果たしてくれず――しかも、それすら万全とはいえない。 それでもここで魔力のコントロールを手放してしまえば、それこそ取り返しのつかない事態に陥るだろう。 だから―――。 最後の気力を振り絞り――はやては叫んだ。 「闇に沈め! ディアボリック・エミッション―――!」 刹那、漆黒の雷が膨れ上がった。 膨張する巨大な球体が全てを呑み尽くすように、その体積を無限に増やす。 全方位に向かって吹き荒れる、膨大な魔力を誇るはやてにのみ赦された、闇の咆哮―――。 「これは―――」 瑠璃の騎士の瞳に戦慄が奔った。 爆ぜるように広がる闇の咆哮に回避距離を取ろうとするが――間に合わない。 ディアボリック・エミッション―――。 破壊の濁流が疾風のように押し寄せる、回避不能の悪魔のような広域攻撃―――。 ―――パキィ。 だが、はやての耳元で悲鳴のような金属音が、不意に散った。 小さな――本当に小さな、澄んだ音色。 それはシュベルトクロイツの剣尖から、無数の亀裂が奔る音でで―――。 そして完成の一歩手前で、ディアボリック・エミッションが砕け散った音だった。 「あ、あかん―――!」 かつてない戦慄が、はやての背筋を駆け抜けた。 漆黒の球体の表面が狂ったように波打ち、太陽から噴き出すフレアのような魔力の束が幾本も迸った。 正確かつ緻密に構築された広範囲攻撃は、その威力と効果範囲の広さ故に扱いが難しい。 魔力の密度にムラが発生すれば、たちまちそこから制御は破れ、膨大な魔力が噴き出してしまう。 そして一度、満たした魔力の球体に孔が開けば、後は呆気なかった。 どんなに手綱を握り直そうと、それ以上の早さで術は崩壊に向かって暴走し―――。 「きゃぁぁぁっっ―――――!」 逆に勢いに押された余剰な魔力が逆流してくる激痛に、はやての悲鳴が闇に奔った。 全身の細胞が沸騰するような痛みに視界が歪み、同時にディアボリック・エミッションが砕け散る。 ひび割れた魔力の膜が剥がれ、ガラス片のように跡形もなく飛び散って―――。 大量に残された魔力残骸のみが、が霞みのように周辺を満たす。 はやては砕け散った術の中心で、ただ呆然とその光景を眺めた。 噴き出した魔力は膨大で、もはや浮いていること事態が奇跡に近いほどはやての身体は消耗してきって―――。 ゆらりと、揺れる身体を誰かが支えた。 「惜しむべきは、未熟すぎる魔力運用だわ―――」 「!?―――」 首筋に当てられた、冷たい戦慄―――。 振り向く暇すらなく、真円の刃がはやての咽もとに押し付けられていた。 下手に動けば、この少女は躊躇うことなく咽を切り裂くだろう。 理屈ではない氷のように冷たい気配が、はやての四肢を見えざる鎖となって縛りつけた。 「こちらもそろそろ頃合だから、当初の目的を果たさせてもらうわ」 涼やかな声色を、どこか愉しげに転がしながら――少女は言った。 「目的――やて?」 「あなたの持つ『闇の書』よ」 「な、なんやて―――!?」 「あらあら、危なっかしい子ね。咽もとの刃を、忘れているのかしら?」 「くっ―――。せやけど……無駄や。あの子はもう、この世界にはおらへん………」 頚骨を圧迫される苦痛に、はやての声が掠れた。 「おらへんのや………っ」 魔導の力とかけらを残し、真冬の空に儚く溶けた美しい少女―――。 けれども、彼女はもういない。 どんなに叫んでも、どんなに望んでも、彼女が再び戻ってくるこは――ない。 (リインフォース………) だからこそ、彼女の意思を受け継ぎたくて―――。 彼女の望んだ未来を、その力と一緒に叶えたくて―――。 「だから……くっ……だから……わたしは………」 「それは本当かしら―――?」 「うっ……嘘なんか………!」 「本当は、どこかに隠しているんじゃないの?」 「隠してなんか――かはっ」 少女の左腕が、はやての首を皮紐のようにより強く締め上げた。 頚骨が不気味な悲鳴を上げて、思考が不気味に白濁してゆく。 痛みよりも、むしろ熱い。 顔が真っ赤に染まって、鼓膜の内側がジンジンと熱くなる。 「じゃあ、探してみようかしら?」 そしていつの間にか、少女の右手から瑠璃の戦輪が消えて―――。 「あなたのリンカーコアの、その内側を―――」 不意のその手が、くぐもった音を奏でてはやての胸を貫いた。 「あ、あ、ああああっっっ―――――!!!」 腕が体内に入り込んでくる感触に、はやては絶叫した。 痛みよりもおぞましい嫌悪感が、得体の知れない恐怖となって押し寄せた。 「ココにはないようね……じゃあ………」 「はぁ、はぁ、はぁ………」 胸をまさぐる腕が、不気味にうごめき―――。 「コッチかしら?」 グズリと胸を蹂躙される粘着質な音が、はやてを狂わせた。 「いやぁぁぁっっ―――!」 しなやかな2本の指先が、はやての奥底に秘められた場所を求めるように進入してくる。 反応する声を、むしろ愉しげに奏でながら、その手先ははやての心をついばみ、弄ぶ―――。 「ココにも、ない――なら、もっと奥かしら?」 「い、いや……だ………」 指先が、胸の中でなにかを弾く度に、力が抜け―――。 尚もその手が円を描くように、はやての心を愛撫して―――。 思考が徐々に、白く沈む―――。 (たすけ…て……。シグナム……シャマル……ザフィーラ………) 息苦しさに、はやてはうっすらと涙を滲ませて―――。 「ヴィータ………!」 熱い吐息に震える唇が、辛うじてその名を刻んだ瞬間―――。 《 不意に少女が、はやての身体を正面に突き飛ばした。 同時に、頭上から降り注ぐ鉄球の群れが少女を襲う。 咄嗟に張った瑠璃のシールドの表面に、轟音と炎が舞い上がり―――。 紅い閃光が、視界を染めた。 「てんめぇぇぇ―――!!!」 頭上から舞い降りた裂帛の掛け声は闇夜を切り裂き、赤い魔力光が灼熱した旋風となってはやてを庇う。 燃えるような紅い髪―――。 誰よりも一途な情熱を表すような、緋色のドレス―――。 「はやてちゃん―――!」 そして力なく漂うはやての身体を、微風のような緑色の腕がそっと抱きしめる。 伝わってくるのは、確かな温もり―――。 誰よりも優しく、誰よりも柔らかい心で包んでくれる、癒しの風―――。 はやては涙の滲んだ瞳に光を取り戻し――2人の騎士の名を叫んだ。 「ヴィータ……シャマル………!」 「おうっ!」 「はいっ!」 呼びかけに応じるのは、熱を帯びた鋭利な声。 それはきっと、どんな時でも少女たちを強く結びつける確かな絆―――。 “主”と“騎士”と――なにより“八神の家”の家族として―――。 少女たちは、はやての前に舞い降りた。 「ヴォルケンリッター鉄槌の騎士――ヴィータ」 「同じく、風の癒し手――シャマル」 はやてを、護る。 ただそれだけの誓いを胸に、2人の騎士が名乗りを上げて―――。 「よくもはやてを、傷つけやがったな……」 烈火のごとき灼熱の眼光を飛ばし、ヴィータは鉄槌のアームドデバイス――グラーフアイゼンを構えた。 質実剛健なアームドデバイスの中でも、特に“叩く”という最もシンプルな形状に特化されたソレは、その性質において無類の破壊力を発揮する。 斬るのではなく、突くわけでもなく――ただ、敵に向かって叩きつけ、潰すのみ。 「いっておくけどあたしは今、最高にアタマにきてんだ……。高町なのはみたいに『話を聞かせて』なんて、甘いことは言わねぇ……」 「じゃあ、どうするつもりなのかしら?」 嘲笑するような瑠璃の騎士に、ヴィータの双眸に灼熱の光が宿った。 「問答無用で、テメェーだけはブッ潰す!」 「ふっ―――」 瞬間、ヴィータは白銀のハンマーヘッドを滑らせて、躍り掛かった。 遮二無二払う全力のスイングは、しかしモーションの大きさ故に易々と躱される。 ましてや相手は、フェイトと互角以上の機動戦を演じられる高速機動タイプの騎士である、 本来なら、武器の大振りは戒めるべきだろう。 だが―――。 「グラーフアイゼン、カートリッジロード!」 《 ヴィータは意に介さず、カートリッジを炸裂させた。 爆発的に増大した魔力の流れが回路を駆け抜け、グラーフアイゼンに組み込まれた変形機構を目覚めさせ、その姿を作り変える。 「ラケーテン―――」 大気を圧搾したハンマーヘッドは、バリアに噛み付くスパイクへと姿を変えて―――。 「ハンマァァァ―――!」 圧倒的な加速力を生み出す推進機構は、桁外れの破壊力を生み落とす。 それこそがヴィータの戦い方であり、ヴィータが誇る常識を超えた突進力を活かす戦法。 相手の戦法に合わせる必要などない。相手の戦法ごと、正面から叩き伏せる。 例え行く手を、同じベルカ式魔法陣の楯が阻んだとしても―――。 「邪魔だぁぁぁ―――!」 鉄槌を――叩き付けるのみ! ヴィータの勢いは、瑠璃の騎士の予測を超える加速となって、その楯を正面から捉えた。 深い青色に染まったパンツァーシルトを正面から叩き、尖ったスパイクがその中心に孔を穿つ。 ヴィータの二つ名――“鉄槌の騎士”は伊達ではない。 想像を絶する“ 「でりゃぁぁぁ―――!」 推進ノズルから噴き出す炎が勢いを増して、赤から青へと加熱した。 圧倒的な推進力に鋼をも溶かす激昂を乗せた一撃に、瑠璃のバリアが大きくたわむ。 止めることなど、何人たりとも叶わない。 例え高町なのはのプロテクション・パワードであったとしても、今のヴィータは止まらない―――。 「ぶち抜けアイゼン―――!」 《 「く―――」 瑠璃の騎士の口から、初めて苦悶の呻きがもれた。 激しい火花が両者を照らし、めりめりと楯が軋む音がはっきりと耳に伝わって―――。 スパイクの穿った一点から、無数の亀裂が四方に奔り――次の瞬間、パンツァーシルトがバラバラに砕け散る。 「今度はテメェーの番だ!」 「………ふ」 勢いをかって、更にヴィータは突き進む。 ラケーテンフォルムの推進剤は尚も健在で、小柄な騎士の身体を振り回すように飛翔して、瑠璃の騎士を追い回す。 ――ように見えたが、はやてには違う光景のように思えた。 瑠璃の騎士は去り際に、小さな笑みを浮かべたのだ。 まるで最初から、それが予定通りの行動であるかのように―――。 「あかん、ヴィータ……その子は、ヴィータでもひとりじゃ危ない……くっ………」 追いかけようとして、はやては鈍い鼓動に胸を押さえた。 深い痛みが、心臓の奥で疼いた。 ――否。違う。心臓の奥の――その、もっと奥―――。 「はやてちゃん!?」 シャマルの裏返った声に、はやては無理に笑顔をつくってみせた。 一筋の脂汗を、咽の下に滑らせながら。 「わ、わたしはへいきや……。それよりもヴィータを……それにフェイトちゃんも……っ…うっ……ぐっ」 だが、作った笑顔は数秒ともたなかった。 ありえない痛みに身体が軋み、声にならない悲鳴に意識が濁る。 (なんや――この痛みは―――) 瑠璃の少女から受けた攻撃――ではない。 (せやけど――わたしはこの痛みを、知っている――――) 肺が痙攣して、意識が混濁するほどの痛み―――。 それは――けれども、懐かしい痛みで―――。 (まさかコレは―――) 覚えている―――。 (この発作は―――――) ほんの半年前の、激痛を―――。 「は、はやてちゃん!? しっかりして、はやてちゃん―――――!?」 シャマルの悲鳴をどこか遠くの出来事のように聞きながら、はやての意識はそこで途切れた。 |