Prologue
 Rhapsody ――― 狂詩:UTA




 輝り―――。


 淡い輝りが石壁の表面で音もなく揺れている。


 ゆらゆらと、ゆらゆらと―――。


 誰を照らすこともなく、誰の目に触れることもなく。


 ゆらゆらと、ゆらゆらと―――。


 ただ輝り続けている。




 滴にも似た蒼光が滑る石壁の通路。
 如何なる者の手によって創られたものであろうか。
 かつて魔導によって栄えた王朝が途絶えてより数百年。
 流れ続ける悠久の時間ですら、ここでは澱むしかないのだろう。
 朽ちた歳月は乾いた薄闇の底へと沈み、まるでここが巨大な墓であるかのように―――。

 永く――長く。

 どこまでも続く薄闇の室(むろ)。

「はぁ、はぁ、はぁ―――」

 吐き出す息で静寂を破り、緑の騎士服を纏った人影がクリーム色の髪を振り乱して―――。

「いやぁぁぁっっ〜〜〜!」

 絶叫しながら駆け抜けていった。


 どうしてこんな事になっているのだろう?


 走りながら緑の人影――シャマルは泣き出したくなった。
 背後からはゴロゴロと地を圧し潰す重い音。
 振り向きたくない。
 或いは振り向かなくてもわかる、そんな嫌な音。

「お、おい! 管理局の人間は優秀な魔導師なんじゃろ!? なんとかしてくれぇ!」
 
 と、横を走る初老の男性が、弛んだ下腹を揺らしながら情けない声を上げた。

「ワシがこのまま死んでしまったら、残された娘と家のローンはどうなるんじゃ!?」
「そんなことを言われても無理なものは無理なんです! 教授こそ遺跡調査の専門家なんですから、こんなトラップくらいなんとかして下さい!」
「無茶言うな! そ、そうじゃ! そっちの使い魔のおチビちゃんは、なにか魔法は使えんのか!?」

 男の目線がシャマルから、その横を飛翔する小さな人影に向けられた。

「だからリインは使い魔じゃないですぅ〜〜〜!」

 叫びながらも飛翔速度は落とさない。
 器用なことだ――と、感心しているヒマもなく。

「とにかく今は逃げるしか―――」
「で、でもシャマル! ザフィーラが――ザフィーラの姿が見当たらないですよぉ!?」
「ダメよリインちゃん! ザフィーラのことはもう忘れて!」

 シャマルは何かを振り払うように言った。
 目尻から光る滴を散らしながら。

「ああ、なんてことだ! 赦してくれ愛しのジュリエ! 愛するゼファーレ! 麗しのアイルーン!
 美しきマーリン! ラファール! カタリナ!」
「それ奥さんの名前ですか!? それとも全部娘の名前!?」
「失礼なことを言うな! 今のは全部愛人の名前だ!」

 ダメだこの人―――。

 走りながらシャマルは思う。
 なんでこんな事になってしまったのだろう、と。
 唯一の救いは、この場に主はやてが居ないことだ。
 本当に、連れてこなくて大正解だった。

「シャマル! この先で道が三つに分かれているです!」
「しめたわ! 三手に分かれましょう! そうすれば少なくとも二人は安全になるわ!」

 冷たい方程式だが確実な方法だ。
 助かった二人が何らかの対処方法を考えれば、結果として全員が助かる。
 今はソレに賭けるしかない。

「わ、わかった!」

 お互いに目を配らせながら全力で疾駆し―――。

「今よ!」

 合図と同時にそれぞれの方向へと石畳を蹴った。

「………」
「………」
「………」
「って、どうしてみんなコッチに来ちゃうの!?」
「ち、ちがいますぅ! リインが行こうとした方向にシャマルが来ちゃったんですぅ!」
「わしを置いてかないでくれ! 白いパンツのお嬢さんや!」
「ああ、もう〜〜〜!」

 本当に、なんでこんな事になってしまったのだろう。


 それは高く晴れた秋空の下。


 いつもと変わらぬ日常の中から始まった。




 Episode 1
 An autumn sky ――― 秋空:SORA
 



 変わりゆく季節の流れにふと見上げれば秋の空。
 ふわりふわりと漂う雲がのんびり表情を変えてゆく。

「今日も絶好のお天気日和ね」

 洗濯物の詰ったカゴを両手に抱えながら、シャマルは蒼い空に目を細める。
 バタバタとはためく白いシーツの音が耳元を過ぎていった。
 穏やかな日常。
 平和な日々。
 訪れたはずの春は、今はもう随分と遠く。
 緑が渡り、空が高く感じた夏の季節すら過去へと流れ。
 秋の速さは駆け足で、直ぐに訪れるのは冬の気配。
 瞼を閉ざせば思い出す、沁(し)み込むような雪の静謐(せいひつ)。

 あの白い夜明けから、もう三年が過ぎようとしていた。

「あうぅぅぅ〜〜〜」

 と、シャマルの背中を小さな呻き声が叩いた。

「あら?」

 振り返った先に、もぞもぞと動く白いシーツの奇妙なオバケ。
 シャマルは一つため息をこぼした。

「こら、リインちゃん」

 鋭い声にシーツが一瞬、ビクリと震えた。
 シャマルがひょいとシーツを摘まむ。
 と、中から出てきたのは銀色の髪をした幼い女の子の泣き顔だった。

「ごめんなんさいです、シャマル〜」

 弱々しい声に、シャマルは小さな嘆息を散らした。
 一年前、ようやく誕生したばかりの八神の家の末っ子。『祝福の風』の名前を受け継いだリインフォースUのしゅんとした瞳で見上げられると、叱ることへの罪悪感が沸いてくるのだ。

「リインちゃん。お手伝いをしたいのなら、リインちゃんはもっと小さいものを干して頂戴ね」
「はいですぅ……。小さいもの……じゃあ、コッチのシャマルのブラを――」

 ――ぴきっ。

「リインちゃ〜ん? それは一体どういう意味なのぉ〜?」
「ひっ!?」
「こらこら。あんまりリインをいじめたらアカンよ?」

 流れた声に、シャマルとリインフォースは振り返った。
 慈愛の中に一滴の苦笑を溶かした大きな瞳。
 傾げた首にサラリと栗色の髪を揺らす、八神はやてが苦笑を浮かべて立っていた。
 出逢った頃は車椅子の力を借りていた二本の足で、しっかりと自らの身体を支えながら。

「はやてちゃ〜ん」

 タッ、とリインフォースがはやての胸に飛び込んだ。
 受け止めたはやては目を丸くしながらも、「よしよし」と銀色の撫でる。
 きっと、甘えてくるリインフォースが嬉しくて仕方がないのだろう。それはまぁ、充分にわかるのだが。

「もう。はやてちゃんはリインちゃんに甘すぎます」
「あははは、ちゃんとわかってる。シャマルのおっぱいは確かに大きさではシグナムに敵わへんけど、
 普通と比べたら充分に立派や。触り心地かてステキな感じやもんなぁ」
「ちょ――はやてちゃん! そういう事を言ってるんじゃなくて!」

 シャマルが反射的に胸を隠した。
 と、はやてがクスクスといたずらっぽい笑みをこぼす。
 この手のスキンシップ――というより悪癖――は、はやての好むところなのだが、それは女の子としてどうなのだろう。
 シャマルとしては時々本気で頭が痛い。
 
「それから、はい。お洗濯を手伝おうとしてくれるお利口さんなリインフォースに、プレゼントや♪」
 
 平和だが深刻な悩みに頭を抱えるシャマルの横で、はやてがリインフォースの頭に花冠をちょこんと乗せた。

「ふぇ?」

 リインフォースはパチクリと瞳を瞬かせた。
 赤と白、そして薄い桃色の小さな花。
 庭の一角で育てていた秋桜――コスモスの花を編んだものなのだろう。
 三色の色合いを上手く融かした花冠に、リインフォースはパッと笑顔を輝かせると、もう一度はやてに抱きついた。

「ありがとうございますです、はやてちゃん♪」
「あははは」

 そんな二人を眺め、シャマルはフッと苦笑を漏らした。

「まったく、はやてちゃんもリインちゃんも……」

 二人があまりにも楽しそうだから、叱るに叱れなくなる。
 ここにヴィータが居たら一緒になって抱きついていたかもしれないが、年長のシャマルには流石にソレははばかれた。

「それじゃあ洗濯物の続きを干そか――くしゅんっ」

 可愛らしいクシャミが、不意にはやての口から飛び出した。

「――あれ?」

 そして、ずずっと、鼻水が。

「はやてちゃん、ひょっとして風邪ですか?」
「え、えっと、どうなんやろ……」

 誤魔化すようにはやては笑った。

 が―――。

 シャマルの問いは、結果として正解だった。


   ※   ※   ※   ※   ※      


 ヘビに睨まれたカエル―――。

 ふとそんな言葉の意味を考えていると、呆れたような硬質な声が空間モニターを通してシャマルの頬を冷たく射した。

『それで、八神はやて特別捜査官は風邪と―――』

 四角い眼鏡の内側から、探るような視線が細く絞られる。
 モニターに映ったレティ・ロウラン提督の眼差しは、どう控え目に表現しても好意的からほど遠い。
 元々が官僚的なイメージを抱かせる上官であり、睨まれると萎縮してしまう。
 実際は見た目ほど官僚臭の漂う人柄ではなく、機転と融通の効く懐の深い人物でもあるのだが。

「ええ、ですから今日の任務からはやてちゃんを外していただけないでしょうか?」

 声に出し、しっかりとレティを正視する。
 それほど無理な要求をしているとは思わない。今日の任務はロストロギアが絡むような危険性の高いものではないのだ。
 だからココは退けないと、眼差しだけは真っ直ぐに。

『……全く、しょうがないわね』

 ため息と同時に、レティの表情が柔らかく変わった。

『まぁ、今回の任務内容を考えれば構わないでしょう』
「はい。よろしくお願いします!」
『はいはい。でも、その分、失敗は赦されないわよ?』

 不意にレティの眼差しに厳しさが戻ったが、シャマルは構わずペコリとクリーム色の頭を下げた。

「――と、いうわけで、今日の任務はわたしとザフィーラの二人で向かうことになりました」

 振り返ったシャマルにはやてはポカンと口を開けた。危うくその手に握ったシュベルトクロイツを落としそうになるほどに。

「ちょ、ちょう待って。そんなの勝手に決めたら―――」
「勝手に、じゃないですよ? ちゃんとレティ提督の承諾はいただきましたから」
「なるほど。本局運用部の承認を得ているなら、なんら問題はないというわけだな」
「ちょう、シグナムまで!?」

 感心したように頷いたのは、つい先ほど帰宅したばかりのシグナムだった。

「風邪の時くらいゆっくり休んだ方がいいよ、はやて。レティ提督もそれでもいいって言ってんだからさぁ」

 シグナムと一緒に帰ってきたヴィータも同意するように、はやての袖をギュッと引っ張る。

「そやけど今回の仕事は簡単な遺跡の調査だけなんやろ? これくらいの風邪やったら別に平気やと思うし……」 
「ダメです」

 ピシャリと間髪入れずにシャマルは言った。

「それに簡単に済んじゃうような調査なら、はやてちゃんが無理をする必要なんてありません」
「あうぅ……」

 少し強めの口調に、はやては困ったように眉根を寄せる。
 けれども妥協はしない。
 三年前、はやては自分の中に融けた想いと力を胸に秘め、どんな時でも全力で走り続けてきた。

 魔法の基礎理論から魔導騎士としての日々の鍛錬。
 これに局での将来を見据えた資格・昇格試験の各種勉強。
 もちろんコチラの世界の学校だって欠かさない。

 だから、今日のように風邪を引いた時くらいは、お役目や仕事よりも自分自身を優先して欲しいのだ。
 それに今日の任務で必要とされているのははやてではなく、探索能力に長けた自分だろう。
 これは自惚れではない。だからこそレティ提督もアッサリと提案を承諾くれたのだ。

「……それやったら、一つだけお願い聞いてくれるか?」

 やがて渋々といった感じで、はやては上目使いにシャマルを見やった。

「お願い、ですか?」
「わたしの代わりに、この子を連れていって欲しいんや」

 と、はやてはソレをシャマルの前に差し出した。
 齧りかけのクッキーを咥えたリインフォースを。

「ふ、ふぇ!? リインがですかぁ〜〜〜!?」

 思わぬ指名に、リインはポロリとクッキーをこぼした。




  Episode 2
  Ruins ――― 遺跡:TOBIRA




 密林の中で、その都市遺跡は千年も前から佇んでいたという。
 人目を避けるように岩山の隙間に隠れ、護られながら。
 信仰の対象として、そして政治機能の中枢として。
 谷を切り崩して建設された旧暦以前の遺跡は、都市というよりも神殿の雰囲気をシャマルに思わせた。
 場所が高地なこともあって、遺跡に立つと密林の緑よりも空の蒼さが視界を占める。

「まるで空中神殿みたい……」
「ふわぁー、本当です。すごい場所ですね、シャマル」

 思わずこぼした呟きに、同意する声が肩から上がった。
 シャマルの肩には省燃費な小型サイズに変身したリインフォースが、ちょこんと腰をかけていた。
 初めて目の当たりにする遺跡が珍しいのか、しきりに周囲をきょろきょろしている。

《《だが立派なものだ。我らが生まれた時代よりも、更に古い時代の遺跡だとは聞いていたが―――》》

 こちらは燃費よりも突発的な実戦に備え、大型犬フォルムに戻ったザフィーラが思念通話で淡々と呟く。
 これほどの規模の遺跡が、それも途方もなく古い時代のものがほぼ完全な形で残されているのは珍しい。
 もちろん所々は劣化が進み、剥がれたレンガや崩れた柱も目に入るが、それでもほぼ街の形としては完全なものを残している。

「でも……ん〜」

 どこか奇妙な感じにシャマルは首を捻った。
 何かがおかしいのだが、それがわからない。
 脊椎のように真っ直ぐに伸びる街道を軸にして、左右に走る支道が何本も枝分かれし、古代都市とはいえ随分と機能的に区画さされている様子がよくわかる。
 目を引くのは街の中心を貫く街道だろう。
 緩やかな坂道になったソレは、天へと昇る道のようにも見えるのだ。
 道の終点には一際目立つ円形の搭が左右に並び建ち、その搭の狭間には吸い込まれるように澄んだ空の蒼―――。

「天空回廊―――」

 その声にシャマルは眼差しを蒼から外した。
 少し小太りをした初老の男がそこに立っていた。

「我々の間ではこの大通りのことをそう呼んでいましてな。見ての通り天へと伸びる坂の道。
 太陽信仰があった痕跡も確認されていることから、この大通りには主要幹線として以外にも、宗教的な意味合いがあったと考えられておる」

 言いながら近づいてくる男の顔の顔を、しかしシャマルは知っていた。資料に渡された写真にあった、確か―――。

「おっと自己紹介が遅れてしまいましたな。私はこの遺跡の調査隊の指揮を執っておる、フォレスタと申します」

 そう、フォレスタ教授だ。
 ミッドチルダ考古学界の中でも著名な学者らしい。

「そちらは時空管理局から派遣された―――」
「シャマルです。どうかよろしくお願いします。コッチは仲間のザフィーラと―――」
「リインフォースUですぅ。よろしくお願いします」

 ペコリとお辞儀をするリインフォースに、フォレスタは興味深そうに目を丸くした。

「ほぉ。若いのに使い魔を二体も保有しておるとは、さすが本局から派遣されるだけあって優秀な魔導師のようじゃのぅ」
「むぅ〜。リインはシャマルの使い魔じゃないですよぉ!」

 小さな頬を大きく膨らませ、リインフォースは叫んだ。

「リインははやてちゃんのリンカーコアを基にして創られた純正古代ベルカ式のユニゾンデバイスなのです。
 とぉーっても高性能で優秀な、由緒正しき祝福の風なのですよ」
「なに? ユニゾンデバイスじゃと?」

 フォレスタは目を瞬かせた。
 現在のミッド主体の魔導体系の中では、リインフォースのようなユニゾンデバイスはほとんど存在しない。
 だからフォレスタの反応は驚きというよりも、むしろ疑念に近かったのだが、リインは気づかずエヘンと胸を反らした。

「はいなのです。あ、ちなみにはやてちゃんっていうのは、リインのマイスターなのです。闇の書事件の後に―――」
「ちょ、リインちゃん!」

 シャマルは慌ててリインの口を塞いだ。あの事件と主はやてとの関わりを一般の人間に話すのは、色々とマズイのだ。

「どうかしましたかな?」
「な、なんでもないです。なんでもないですから。えーと、それよりも状況はどうなっていますか?」

 乾いた汗をかきながら、シャマルは強引に話題を転じた。

「それが……余りかんばしくなくてのぅ。今朝方になってまた一人、行方不明者が出た……」

 苦虫を噛み潰した言葉にシャマルは息を呑んだ。
 それこそがシャマルが派遣された理由―――。

「これで行方不明になったのは五人目じゃ。発掘隊の中にも動揺が広がっておる。今日は今朝からご覧の通り―――」

 閑散とした遺跡を振り返り、フォレスタは肩を竦めた。

「どいつもこいつも神隠しだの王家の呪いだの伝説の魔獣に喰われちまっただのとぬかしおって、ベースキャンプに引き篭ったままじゃ。
 これでは調査にもならなんわい」
「あ……」

 シャマルはようやく得心した。
 大規模な発掘調査が行なわれているはずの遺跡には、しかし人の気配が全くなかった。
 それが違和感の正体だったのだ。
 管理局から渡された資料によれば、この遺跡には二百人を超える発掘隊が投入されているはずなのに。

「そういうわけで頼む! 早くなんとかしてくれぇ〜〜〜!」
「え、ちょっと抱きつかないで――きゃ!?」
「このまま調査が打ち切られでもしたら、スポンサーからの資金が、家のローンが、娘の教育費がぁぁぁ〜〜〜!」
「ですから取りあえず離して!」
「むっ!? 腰周りが意外と太―――」

    ゴツンッ!

 転送魔法で取り出した壺をシャマルは無慈悲に振り下ろした。
 鈍く、重く、確かな手応え。
 ズルズルと腰から崩れる中年の肉体。

「ザフィーラ。その辺に穴を掘ってちょうだい。早く!」
《《……無茶をいうな》》
「今さら行方不明が五人から六人になったところで、書類の上の問題だけよ!」
「あの〜シャマル? 今の壺って貴重な発掘品……」
「関係ありません!」
「くっ……な、なかなか…いい目をしておるようじゃなおチビちゃん……」

 ぷるぷるとフォレスタが震える肩を持ち上げた。
 まだ生きているとは、なかなか見上げた生命力の持ち主だ。
 瞳の奥に喜悦と呼ぶに相応しい光を瞬かせ、立派なヒゲに覆われた唇の端を微かに吊り上げる。

「今の壺は……旧暦にあるマクーヴェ王朝との類似が……」

 と、その唇がピタリと止まった。
 風に揺れるシャマルのスカートの中を視線が泳ぐ。

「……白?」

    ゴツンッッッ!

 シャマルは二個目の壺を振り下ろした。
 

  ※   ※   ※   ※   ※      


「――ああ、わかった。無事に到着したのならそれでいい」
 
シャマルからの思念通話を受け取りながら、シグナムは洗面所の鏡に映る自分の顔を凝視する。

 ――相変わらず愛想のない顔だ。

 心の中で呟き、微かな嘆息を胸に散らした。
 この顔は、少なくとも病人の看病に向いている顔ではない。
 だが、向いている向いていないの問題ではなく、しなければならないのだ。

「こちらか? ああ、問題ない。主は今、ゆっくりと休まれている。私はこれからヴィータと食事の準備を始めるところだ」

 シグナムは傍らに控えるヴィータに視線を移す。

「わかっている。最初から粥を作る準備はしている。
 誰も病人に精がつくからと肉料理を用意したりは――誰が米を洗剤で洗うような真似などするものか!」

 やや強い口調にヴィータが盛大なため息をこぼした。

「そういうわけだから通信を切るぞ。お前こそ油断して怪我をするなよ。後で主が悲しまれるのだからな」

 半ば強制的に通信を遮断したシグナムは拳を結び、今度は誰にはばかる事なく嘆息した。
 自らの無能ぶりがこうも呪わしく思えたのは、あの『闇の書事件』以来であろうか。
 だが、今はあの時とは違う。ただ無力だったあの時とは違うはずなのだ。
 シグナムは自分に言い聞かせる。
 この瞬間にも、主は病と闘っている。いつまでも悔やんでいる場合ではない。
 そう、いつまでも―――。

「しっかしさぁ。確かに米を洗剤で洗うようなお約束はしなかったけど……」
「っ――!」

 シグナムは肩を鋭く跳ね上がらせた。
 冷たい棘に呆れの毒を薄くまぶしたヴィータの声に、屈辱を感じつつもゆっくりと首を巡らせる。

「まさか米を砥石で砥ごうとしたり、挙句に洗濯機に入れて洗おうとするなんてな。その発想はなかったぜ、シグナム」
「う、うるさい。少し勘違いをしたダケだ……!」

 言いながらシグナムは顔が熱くなるのを感じた。
 無論、主はやてが米を砥ぐ時、手を使って洗っているのは知っている。
 だが、自分に主ほど上手に米を砥ぐ自信はなく、そもそも『研ぐ』という言葉をそのまま解釈すれば、砥石を使うのは当然だと思ったのだ。
 洗濯機という選択肢に至っては、むしろ光り輝く天啓のようにも思えたほどだ。

「とにかく米の洗い直しだ。シャマルにはああ言った以上、二度目の失敗は赦されん……!」
「……ってかさぁ。お粥作るなら冷ご飯でもいいじゃん」

 ボソリとヴィータの言葉。

「ヴィータ」
「な、なんだよ」

 身構えるヴィータにシグナムは言った。

「いい案だ。何故、最初からそれを言わなかったのだ?」
「そうだろシグナム。伊達にはやての料理を手伝ってるわけじゃねーんだぜ、アタシはさ」
「感謝するぞヴィータ。そういう方法があるなら話が早い」
「おう。後、お粥に卵を落とすと栄養が増えるらしいぜ」
「ふむ、卵か……」

 シグナムは彫刻のように端整な顎を指先でなぞった。

「同じ栄養を考えるなら、いっそカロリーメイトを入れる方が賢い選択だと思わないか?」

 シグナムの言葉に今度はヴィータが驚く番だった。

「シグナム、お前すげーな。さすがあたしたちのリーダだ」
「それほどでもない」

 と、言いながらまんざらでもない笑みが口元に浮かぶ。

「そうだシグナム。お粥作る時に水じゃなくって、ポカリを使ったらもっと栄養がつかないか?」
「いいアイデアだ」
「だろ?」
「よし、では料理の時間を始めよう。剣の騎士と鉄槌の騎士が戦場以外でも役に立つことを湖の騎士に教えてやろう」
「シャマルのやつきっと悔しがるぜ」

 八神家のキッチンに異臭が漂い始めたのは、それから十数分後のことだった。


   ※   ※   ※   ※   ※      


 ブルっ―――。

「? どうかしたですかシャマル?」

 不意に背筋の辺りを駆け抜けた悪寒に身を震わせると、リインフォースが不思議そうに首を傾げた。

「ちょ、ちょっと妙な寒気が……何かしら……?」

 なんとなく嫌な予感がしたような。
 だが気のせいだろうと首を振って気を取り直す。

「シャマル。シグナムたちははやてちゃんのこと、何か言ってませんでしたか?」

 リインフォースが不安げに瞳を揺らした。
 考え込んだ仕草を何かの異変だと思ったのかもしれない。

「大丈夫。特に何も言ってなかったもの。今からはやてちゃんのお食事の準備するからって、それだけだったわよ」
「本当ですか?」

 それでも不安げな面持ちで覗き込んでくるリインに、シャマルはクスリと微笑んで―――。

「大丈夫よ」

 ポンと、柔らかな銀色の髪に手を乗せる。
 こんな心配性なところまでリインフォースははやてとソックリで、つい可笑しく思えてしまう。
 そういえば闇の書――初代リインフォースも、あれでとても心配性な性格だったから、これもある意味では血筋と呼べるものなのかもしれない。

「さぁ、お仕事お仕事。早く片付けてお家に帰りましょう」
「はいです!」
《《行方不明者も出ている。あまり気を抜かず、だが手早く済ませるとしよう》》   
「うん。わかってる――クラールヴィント」

《Pendelform》 

 シャマルは両腕を左右に広げた。
 ゆったりとした袖口から伸びる白い指が風を切り、指環から緑と青の光が零れて小さなクリスタルが剥離する。
 四機一群。
 特異な機能を持ったアームドデバイス――クラールヴィント。
 その本体であるクリスタルを結ぶ淡い燐光を纏ったワイヤーで、シャマルは自分を取り囲むように何重もの環を描いた。

「広域探査――展開」

《Ja》

 短い応答にベルカ式魔法陣を足元に開かせる。
 噴き上がる微弱な緑風は遺跡の空気を微かに騒がせ、クリーム色の後ろ髪がフワリと泳いだ。

「なんと!? その魔法は近代ベルカ式ではなく古代ベルカ式ではないか!?」
「おじさんにはシャマルの魔法がわかるのですか?」
「もちろんじゃとも。わし自身は魔法は使えんが、学問としての魔法なら古代ベルカ式も含めて専門家じゃからな。
 しかし古代ベルカ式の中にこんな補助系統の魔法があったとはのぅ」

 感心したようにフォレスタは言った。
 確かにベルカ式は近代古代を問わずして、近接戦闘に主眼を置いた魔法体系が特徴である。
 デバイスも武器であることが前提であるし、瞬間的に魔力を跳ね上げるカートリッジシステムを標準搭載しているのも、ベルカ式の大きな特徴だろう。
 だが、シャマルのクラールヴィントは武器ではなく、そればかりかカートリッジシステムすら搭載されていない。
 ある意味でシャマルは異端の中の異端なのだ。
 そして異端ではあるものの、広域探索という分野において自分を超えるエキスパートは存在しない。
 それが治癒と補助とが本領である湖の騎士の自負と誇りであり、その優れた補助系能力を買われての今回の任務――だったのだが。

《《どうかしたか、シャマル?》》

 ザフィーラの念話にシャマルは眉間に縦皺を寄せた。

「うん……それが……」

 返す言葉が苦く濁る。
 跳ね返ってくる探知魔力波の反応が異常だった。
 例えるなら探知範囲の一部に黒い空洞がポッカリと口を開けているのだ。
 放射した探知魔力が、その口の中に吸い込まれていくかのように。

(まさか、これって―――)

 魔力ジャミングが展開されている様子はない。第一、そんなものが展開されていたら普通に通信が通らない。
 シャマルは探知魔法を放出するアクティブ走査から、主に受信をメインにしたパッシブに切り替えた。
 打った魔力波が返ってこないなら、些細な変化を丹念に調べるしかない。

(それにさっきの感覚――多分、ジャミング系じゃなくって、透過系の探知防壁がどこかにあるんじゃ……)

 例えばワナ。例えば隠し通路。
 王家由来の宝物庫の入り口等々。
 古い王宮――特にそれが戦乱の時代だった頃は、光学的及び魔力的にステルス化された結界は珍しいものではなかった。
 八神はやてを主とするずっと昔、シャマルはそれらの実例を何度も見てきたし、トラップにも利用した事もある。
 だからわかるのだ。この感覚が錯覚ではないと。
 シャマルは確信し、霧の中にそっと腕を差し込むように周囲に漂う魔力の流れを掻き分けた。
 意思なき自然に隠された不自然なる意思の痕跡を求めて。
 探知防壁から漏れる僅かな魔力の流れを指先で摘まみ、クラールヴィントを指向させる。

「……フォレスタ教授」

 薄く瞳を閉じてシャマルは言った。

「この遺跡には強力な空間結界が存在します」
「空間結界じゃと? そんなものは見つかっておらんが……」
「強力で巧妙な透過系の探知防壁が同時に存在しています。そこに何かが隠されているんじゃないかと思います」
「ふむ……あり得ん話ではないな」

 フォレスタは顎のヒゲを指でこすった。
 考古学者としての見識か、或いは勘か。フォレスタの眼差しはシャマルが最も怪しいと踏んでいる方角に向いていた。
 すなわち――二つの尖搭が重なる狭間へ。 

「シャマルは行方不明になった人たちは、結界の中に閉じ込められているって考えているのですか?」
「可能性の一つとしては……ね」
「それじゃあサクと探して、パパっと解決しちゃいましょう」
「もう。そんな簡単な話じゃないんだから」

 シャマルは呆れた顔でリインフォースを嗜めた。
 軽く考えてもらっては困るのだ。
 不安定な空間結界はソレ自体が厄介な代物だし、仮にワナなら踏み込んだ先が虚数空間という危険性だってある。

「取りあえず、怪しい場所まで移動しちゃいましょう」

 クラールヴィントの指し示す方向へシャマルは踏み出した。
 そして坂道をゆっくりと登る。
 道の左右を囲む堅牢そうな石壁は、一辺が二メートルを超える大きな石が使用されていた。
 圧倒されるシャマルではないが、訪れる者に威信を植え付ける効果は充分にあるだろう。

「この辺りは地位の高い人間が住んでおった場所じゃろうな。貴族や神官か……まぁ、そんな感じの連中じゃ」

 と、すっかり自分の立場を思い出したのか、フォレスタが朗々とした声で説明を始めていた。

「一体、どんな暮らしをしていたのですか?」
「それを調べておる最中じゃよ、おチビちゃん」
「おチビちゃんじゃなくて、リインフォースですぅ!」

 まぁ、それは別に構わないのだが―――。

《《どうなんだ、シャマル?》》

 足元からザフィーラが訊ねてきた。

《《うん……。そんなに危険だとは思わないんだけど、油断もできない――そんなところかしら。
 どちらにしても行方不明の人たちが生きていてくれればいいんだけれど……》》

 シャマルは微かに眉を曇らせた。
 反応が検出できないのは既に死亡しているからか、それとも遺跡に張られた魔法がこちらの能力を上回っているからか。
 どちらにしてもあまり気持ちのいい話ではなかった。

「……この辺りかしら」

 シャマルは歩みを止めて、尖塔の一つに手を触れた。
 触れると冷たく磨かれた石の感触には、微かながら人工的な魔力の波動と、吹き抜ける風の流れが感じられる。
 間違いない。

「みんな少し下がって」

 シャマルの言葉に全員が下がる。その様子を確認した後、シャマルは四機のクラールヴィントを正面へ指向させた。

「解析――開始」

《Analyse》  

 閃光が奔り、クリスタルの先端に波紋が広がった。
 波紋は虚空をたわませ、クラールヴィントの切っ先がズブズブと透明な膜の内側へと沈んでゆく。

「なんと!?」

 フォレスタの口から驚きの声がこぼれた。

「ここに空間結界の亀裂があります。今から安全に結界内に進入できるルートを構築しますから、もう少し待って―――」

 その時、シャマルの視界を銀色の風が横切った。

「この中に行方不明になった人がいるのなら、早く助けに行くのですよ」
「リインちゃん!?」

 シャマルの背中に氷塊が滑り落ちた。
 まさしくそれは一瞬の出来事だった。
 クラールヴィントが穿った不完全な裂け目が、次の瞬間、リインフォースの身体を吸い込んだ。
 シャマルにはそれを止めることも防ぐ間もできなかった。
 だから、その次にシャマルが取った行動は、論理的でも理性的でもなかった。

「リインちゃん!」

 反射的にリインフォースを追って、自らも結界へと飛び込んでいたのだから。

《《シャマル!》》
「お嬢ちゃん!」

 同時に背後から追いかけてくる二つの声も。
 そして視界を埋め尽くす白色の閃光。
 視覚と聴覚の全てが単色に染まる。
 足元が不意に沈み、深い闇へと落下してゆくような感覚の中でシャマルは誰かの名前を叫んだような気がした。




 Episode 3
 Labyrinth ――― 迷宮:MAYOI 




「? シャマル……?」

 大きな瞳を瞬かせ、はやてはシーツから顔を上げた。
 居るはずのない名前を口にして周囲を見渡す。
 見慣れた部屋と、独りでは少し広めのベッド。
 シャマルの姿はどこにもない。

「……そうやんな。シャマルは今頃、お仕事の真っ最中や」

 けれども確かにシャマルの声が聞こえたような気がした。 
 思念通話――とは違う。
 そういう感じではなかったと思う。

「なんやろう、この感じ」

 ザワザワとした感触にはやては胸を押さえた。
 何か良くない事でもあったのだろうか。
 はやては、しかし直ぐに首を振った。
 今回の仕事は遺跡と行方不明者の調査・捜索が主であって、それはそんなに危険をともなうような内容ではないはずだ。
 それに護衛には盾の守護獣ザフィーラだってついている―――。

「はぁ……」

 思わずため息がこぼれた。

「やっぱり風邪なんか引いたらアカン。なんや考えが悪い方へ悪い方へといってしまう」

 などと、独り言を呟いている時点で少々問題があるのではと思ってしまう。
 それでもやっぱり心配なものは心配で。
 シャマルのこともザフィーラのことも。

 そしてリインフォースU―――。

 リインはシャマルたちと上手くやっているだろうか? 
 シャマルに対する不安とは別の――けれども根本においてほぼ同種の不安が、心の空をモヤモヤと曇らせる。
 八神の家の末っ子として、生まれて間もない小さな騎士は、能力的にも精神的にもまだまだ幼い部分がいっぱいある。
 それでも二代目祝福の風として――融合騎として、誰かの強い力になりたいと強く願っていて、けれどもまだまだ本当に未熟で……。
 だから見ていてちょっぴり危なっかしくて。
 そんな小さな騎士の想いから、上手にガスを抜いてくれるのではないかと。
 癒しの風を渡すシャマルになら、祝福の風を安心して預けられると思ったのだが―――。

「ああ、そやけどやっぱり心配なんは心配や……」

 待つしかない身のやるせなさ。初めてのお使いやお泊りにハラハラする母親の気分とは、こういうものなのかもしれない。

 と、不安といえばもう一つ。

(おいシグナム!? 洗濯機が泡を噴いてんじゃねぇーか!?)
(わかっている。だが止まらんのだ!)
(威張って言う前にスイッチを切れよ!)
(わ、わかった――って、ヴィータ!? お前、バケツが転がって水が―――)
(うわぁぁぁっ!?)

 ドタドタバタバタ―――ガシャン!

 後で見るのが怖いような物音と怒声。
 普段はシャマルの家事を色々とネタにしている二人でも、実際に自分がやるとなると勝手が違うのだろう。
 昼食に用意してくれた得体の知れないお粥は、愛情以上に致死量について真剣に考えさせられる味だった。

「はぁ……。まぁ、しゃあないことか」

 はやては苦笑を滲ませた。
 これで二人が家事の苦労を少しでも実感すれば、シャマルの有り難味もわかるというものだ。
 後片付けだって、きっと皆でやれば楽しくもなるだろう。
 独りぼっちの頃には悩むこともなかった悩み。
 だからこれもきっと――幸せの悩み。

「せやから無事に早く帰ってくるんやで、シャマル。リインフォース。ザフィーラ……」


   ※   ※   ※   ※   ※      

          
「イタタ……」

 強かに打ちつけた腰を押さえて、シャマルは涙の滲んだ瞳で天井を見上げた。
 そこは広いホールのような場所だった。
 太い石柱が十メートルはある天井へと伸び、ここが単なる通路ではないことを告げている。
 床も壁も石造りだが、地上の建築物とは明らかに構造が違う。
 壁自体が蒼く仄かに通路を照らし、おかげで暗闇に彷徨うことだけは避けられそうだが……。

「気がついたですか、シャマル」
「リインちゃん? それにザフィーラ、フォレスタ教授?」

 覗きこんでくる顔をゆっくりと見渡し、シャマルはホッと安堵の空気を吐き出した。

「どうやら、みんな無事みたいね」
《《ああ。だが、少々厄介な事になった》》
「こういうのを異世界の言葉でなんといったかな……。そう、ミイラ取りがミイラじゃったか」
「えっと、つまり……」

 渋い表情を浮かべる面々に、シャマルは首を傾げた。

《《我らも結界の中に閉じ込められたうようだ》》
「……え?」

 しばしの沈黙。

「ええぇぇぇっっ〜〜〜〜〜!?」

 甲高い絶叫がホールに木霊した。

「ごめんなさい……なのです……」

 シュンとうな垂れる銀色の髪にシャマルは嘆息した。
 リインフォースに悪気がなかった事はわかっている。
 早く任務を解決させたい一心で先を急いでしまったのだろう。
 無論、それはそれで大きな問題なのだが―――。

「それにしても、ここは一体どこなのかしら……」

 改めて周囲を見やる。
 飾り気のない高い天井には窓が見当たらない。
 おそらくココが地下だからだろうが、それは宮殿の荘厳さよりも墓廟の静謐さにも似た乾いた空気を連想させ、シャマルは肌を震わせた。

《《シャマル。お前の思念通話は外に通じるか?》》
「え? あ、ちょっと待って」

 ザフィーラの声にシャマルは我に返った。
 状況に混乱するあまり地上との連絡を怠ってしまった自分に赤面しつつ、シャマルはクラールヴィントに囁きかける。

 だが―――。

「通信が……通らない!?」
《《お前でも無理か……。そこの教授の言葉ではないが、ミイラ取りがミイラだな》》
「じゃが、まぁ、そう慌てる事もなかろうて。まだ断定はできんが、これは隠し王宮に続く通路の一部じゃろうな」
「隠し王宮……ですか?」
「幾つかの文献の中にこの遺跡とその主であった王族の記述があってな。
 なんでも地下に緊急避難用の仮王宮を創ったとか。ホラの類いかと思っておったが、まさか本当にあったとはのぅ」

 フォレスタの瞳はキラキラと輝いていた。
 まるで宝物を発見した子供のように。

「これは……大発見じゃ!」

 シャマルは軽く額を押さえた。
 目の前の大発見よりも、まずは我が身を心配して欲しい。

「それで、あの、出口は?」
「知らん」
「知らんって、そんな!?」
「当然じゃろう。ココに来たのは初めてなんじゃからな」
「じゃあ行方不明になった人たちは、リインたちと同じようにこの迷宮で迷子になっちゃっているのですか?」
「かもしれん。が、案外調査に夢中になって地上に出る事を忘れているダケかもしれんな」
「あのですね……」

 頭痛がひどくなったような気がした。
 もっとも目の前の教授の姿を見ていると、本当にその可能性が捨て切れないのがなんとも怖い。

「とにかく出口を探しましょう」

 言って、シャマルは腰を上げた。

「地図は出せそう? クラールヴィント」

《Unmloglichkeit》

 アッサリと返ってきたのは『不可能』の言葉。
 予想はしていたが徒手空拳で迷宮を進むのは気が重い。

「今はとにかく、前に進みましょう」
「前って……どっちですか?」

 シャマルはピタリと足を止めた。
 通路は一本。
 鏡を二つ重ねたような光景が、どちらの方向にも続いている。

 ………。

「コッチかしら?」
「今の間がとっても気になるのです。というより、ソッチの方向が前だっていう根拠はどこにあるのですか?」

 プゥと頬を膨らませ、リイン。

「……お、女の勘?」
「むぅ〜。シャマル、ちょっといい加減ですぅ」
「まぁまぁおチビちゃんや。女の勘ってヤツは、これがなかなかバカにできんもんじゃよ。
 特に歳を重ねた女の勘ほどにな。ワシの女房もそうじゃった」

 ――過去形?

 歳を重ねたはサラリと流し、フォレスタを見やった。
 既に表情にブラインドを下ろした横顔だったが、まるで遠く懐かしむような眼差しだった。
 初代リインフォースが過去の記憶の中で時折みせた、あの寂しげな眼差しのように。

「さて、無駄話はここまでじゃ。先を急ぐとしようかのぅ」
「そういう事だからリインちゃん。念のために、壁や異物には無闇に触れちゃダメ―――」
「あれ? ここの壁だけ色が違いますよ?」

 カチ―――。

「リインちゃん!?」
「ふぇ!?」

 またしても止める間もなかった。
 リインフォースの触れた石材がゴトリと音をたて、壁の内側へと凹んだ。
 瞬間、微かな魔力の動きをシャマルとクラールヴィントはほぼ同時に感知した。


    ゴスン―――ゴガガガガッッ。


「シャ、シャマル……」

 怯えた眼差しに重なる不気味な響き。
 足元から伝わる振動は、コチラに向かって投射された巨大な物体のものだろう。
 地響きにも似た音に大気が震え、加速度的な勢いで何かが近づいてきている。

 逃げないと―――。

 頭で理解しているのに靴底が床に張り付き剥がれない。

「リ、リイン、ヴィータちゃんのやってたゲームで、こういう場面を見たことがありますぅ」

 ガタガタと震えながらリインフォース。

「き、奇遇ねぇリインちゃん。わたしははやてちゃんと観たTV映画で、全く同じシーンを見ちゃったわ」

 シャマルの引き攣った笑みに冷たい汗が一粒流れる。

「そういえばワシも一つ思い出した」
「聞きたくないのですが何をですか?」
「いや、この地下王宮にまつわる伝承なんじゃが……」

 地響きは鳴り止まない。

「なんでも歴代の王の中に大層なイタズラ好きがおってな。
 地下王宮の到る場所にトラップを仕掛けた結果、危なくなって誰も入れなくなってしまったという笑い話なんじゃが……」

 笑えない。
 咽喉ばかりか全身の毛穴から冷たい汗が流れ出す。

《《走れ!》》

 ザフィーラの一喝が硬直していた脚が動き出した。

「それにしてもなんという僥倖じゃ! 調査開始からわずか数分の内に伝承の実証が叶うとは!」
「喜んでいる場合ですか!」

 疾駆しながらシャマルは叫ぶ。
 同時に考える。
 転送魔法――ダメだ。
 位置座標も分らないまま転送はリスクが大き過ぎる。
 だったらシールドで受け止める――無理、絶対に無理。

 だったら、だったら―――。

《《先に行けシャマル》》

 突然、ザフィーラが身を翻した。

「ザフィーラ!?」
《《盾の守護獣ザフィーラ。この程度の岩石―――》》

 それこそが鋼の意思。
 使い魔ではない守護の獣。
 我が身を挺し仲間を護る蒼き狼。 

《《塞げ! 鋼の楔!》》

 揺るぎない咆哮に噴き上がる白銀の閃光。

 ――が。

《《ぬぅおおおっっっ―――!?》》

 バキバキバキバキッッッ―――――!!!

 壮絶な音に通路が震えた。
 迫り来る球はザフィーラの挺身を呆気なく突き破り、速度を緩めるどころか逆に加速させてシャマルたちに迫った。

「シャマル! ザフィーラが――ザフィーラの姿が見当たらないですよぉ!?」
「ダメよリインちゃん! ザフィーラのことはもう忘れて!」

 シャマルはなにかを振り払うように言った。
 目尻から光る滴を散らしなら。

「シャマル! この先で道が三つに分かれているです!」
「しめたわ。そこで三手に分かれましょう。追い掛けてくる球は一個だけ。少なくても二人は安全よ!」

 お互いに目を配らせ、合図を取りながら、正面の別れ道へと全力で疾駆し―――。

「今よ!」

 合図と同時に足元を蹴った。

「………」
「………」
「………」
「って、どうしてみんなコッチに来ちゃうの!?」

 左右に並んだ顔にシャマルは唖然とした。

「ち、ちがいますぅ! リインが行こうとした方向にシャマルが来ちゃったんですぅ!」
「わしを置いてかないでくれ! 白いパンツのお嬢さんや!」
「ああ、もう〜〜〜!」
「シャマル! シャマル!」
「今度はなに!?」
「目の前が行き止まりですぅ!」
「うそぉっっっ!?」

 見開いたシャマルの瞳に映る超えられない壁。
 右を見る――壁だった。
 左――やっぱり壁だ。
 だったら上――にも抜け道はない。

「リイン、こんなところでド根性リインなんかになりたくないですよぉ〜〜〜!」
「リインちゃん落ち着いて!」

 シャマルは叫び、後退り、壁に背中を引っ付けた。
 瞬間――視界がグルリと回転した。

「隠し扉!?」

 と、思った時には急降下。

「ひぃっ―――」

 狭いトンネルを滑落しながら頭をぶつけ、腰をぶつけ、ゴロゴロドスンと転がり落ちることわずか数秒。
 一際強い衝撃と同時に、シャマルはトンネルから抜け出した。

「アタタ……でも、助かった……?」

 顔を上げると、しかしそこは狭い小部屋。
 ガコンと高い壁に穴が開き―――。

「きゃぁぁぁぁっっ!? 今度は水が、水が―――!」

 容赦なく降り注ぐ大量の水に、シャマルは悲鳴を上げた。

「くぬぅ〜〜〜! 愛しい娘を一人残してこんな場所で死ぬわけにはいかぬ。このフォレスタを舐めるでないぞ!」
「なにか脱出する方法が!?」
「こんな時こそ気合と根性じゃ!」
「それでなんとかなるなら苦労はしませんっっっ!」

 喋っている間にも水が腰まで迫っている。この勢いなら天井に達するまで五分――いや、三分。イチかバチかで本当に転移魔法に賭けてみるか? 仮に壁の中に出てしまった場合、それは溺死とどちらがマシだろうか?
 結論を躊躇うシャマルの耳にリインの声が飛び込んだ。

「わ、わたしがやります! こんな水くらい、止めてしまえばへっちゃらなのです!」
「止めるって――ちょ、ちょっと待ってリインちゃん!?」

 シャマルの背中に氷塊が滑り落ちた。まるで次に起きることを先取りするかのように。

「凍てつけぇ〜〜〜!」

 小さな掛け声に白銀の魔法陣が噴き上がる。
 銀光は瞬く間に絶対零度の飛礫となって、溢れる水を水路ごと凍結させた。
 ただし―――。

「やりましたですよシャマ――はぅ!?」
「あ、あのね、リインちゃん……?」

 ガタガタと寒さに凍えながら、シャマルのは真っ白い霜が零れ落ちる声をどうにか搾り出した。
 リインフォースの凍結魔法は狙い通りに水を止めたが、同時にシャマルとフォレスタをも氷付けにしていたのだ。

「このおチビちゃんすごいよ! さすが白いパンツの使い魔さんじゃ! 氷結魔法を見たのは初めて――ぶわっくしょん!」

 フォレスタは豪快なクシャミを吹き出した。
 しかもどこか嬉しそうな表情で。
 この人は一度、高町なのはに頼んでSLBで頭を冷やした方がいいのかもしれない。
 そんなに珍しい魔法が好きなら彼女の大出力集束砲による抱擁は、さぞかし本望に違いないのだから。
 シャマルはドッと疲れた肩を落とそうとして、身動きが取れない自分にもう一度ため息を吐き出した。
 さて、どうやってここから抜け出したものだろう。
 天井を見上げ、シャマルは情けなく眉根を寄せた。





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