第五話「手段を選ぶくらい悠長でいられない」






 自分の体の中を刃が通り抜ける感触。スルッと冷たい刃物が侵入し、気付けばそれはもう自分の体の中には無い。そんな、いざ注射の痛みを我慢しようと覚悟してみたら思ったよりもずっと大した事無かった、みたいな感覚。けれど注射と違う部分は、医療用の注射針と違い他を断する目的で創造された刃は相当以上の異物感を後から与えるという事。克明なまでに疑似肉体に残るその感覚は、ローグが未だ味わった事の無いものだ。
 自分の体の内から何かが噴き出ている。それは血と呼ぶ以外に考えられないものだけど、彼の体の中に血液というものは流れていない。彼の体の中を渦巻くのは、純然たる魔力なのだから。だからだろう、自分の命そのものが流れ出ている様な錯覚に陥る。
 その錯覚を振り切り、彼は眼を強烈に開く。口を大きく開ける。拳を握り締める。"黒"を呼ぶ。
「来い!来い!来い!」
 痛みを伝える痛覚も、嫌悪感もたらす触覚も、流れ出る血を知らしめる嗅覚も、暗闇の中落ちて行く事をかすかに捉える視覚も、口の中が乾き過ぎて吐き気を催す状態を刻まれる味覚も、全部を感じてその上で示す。
 ここに生きているから、まだ生き続ける為の力を呼ぶ。
「ぶん殴れ!!」
 声が届いた、心の中に。呼び掛けに応えた。ローグの召喚魔法に応え、生まれたのは巨大な腕。
「特大ね」
 ローグと共に落下するイキョウは彼の行使した魔法が召喚だと悟る。彼がそれ以外にほとんど魔法を使えないという知識以前に、ブラックゲートの奥から漂う禍々しいまでの魔力がそれを肌に刻み込む。
 それを見て、イキョウは微塵も躊躇う事無く対物対魔に於いて最強を誇る剣、サイキョーブレードを振り翳す。如何に強力な魔法であれど、魔法にカテゴライズされるものならば触れるだけで切り裂き無に帰す。
「けどそんなもの、通用しないんだからね!」
 飛行魔法を行使し、空中で静止する。振り翳した剣をブラックゲートへ向け、振るう。どんな魔法でも触れれば断てるとはいえ、何があるのか分からないのが戦いというものだ。先手を打ち、敵に魔法を行使させない事が最善と判断したイキョウはまだ何も呼び出されていない状態のブラックゲートそのものを切り裂こうとした。
 何故か、その刃は鋼に阻まれた。
「嘘っ!」
 ギリギリとギリギリと金属同士が擦れる音がする。おかしい、異常だ、理不尽だ、不条理だ。物質であろうとも魔法であろうとも触れれば断つ、それがこの剣が持つ法則。植物や生き物とかの有機物は切れないが、鋼は有機物じゃ無い。
 イキョウの唯一にして最大の武器を覆す魔法。そんなものがある筈が無いのに。かつて至高の魔導師と謳われた者から授かったこの剣が止められるなど、今までただの一度も無かったのに、それを止められた。
 その事に動揺している内に、剣を押し止めた鋼が剣諸共にイキョウを殴る。ただ上方から落下してくるだけの腕は、非常識な大きさだった。
 潰される。そう感じ取ったイキョウは思った。
 押し返す。
「うあああああああああ!!!」
 この剣は、サイキョーブレードはそのふざけた名前に似合わずこれまで幾多もの戦場をイキョウと共に駆けた彼女の分身。万の軍勢をこの剣のみで屠り、幾つもの大陸を総べる国の城を落としてきた。命枯れ果てるかと感じ取れた時も、勝てないと悟った戦いも、全てこの剣と共に歩いて来た。
 それを信じず何を信じる。たかだか巨大な鋼、剣で断てぬ鋼、名も知らぬ鋼、それに脅え屈する剣など持ち合わせてはいない。
「消えて!!」
 イキョウの声と同時に、鋼はこれまで彼女が断ってきた魔法と同じ様に消え去り、何も残らない。
「ソウガ!」
 下方から声がした。そちらを見れば既に床に着いたローグが双剣を構えて待っている。そう言えば屋上の床が壊れて落下しただけで、今落ちているのはたったの一階分だった。そう思いだした。断てない正体不明の魔法に動揺して、それちらに意識を向け過ぎていて気付かなかった。まだ時間は、こんなにも進んでいなかった事に。
 そして時間が進んでいないという事は、イキョウは剣を振り抜いた態勢のままで、ローグの攻撃を防ぐ事の出来る態勢では無いという事。それを知って、どちらもが行動に移った。
「トウセン!」
 全身のバネを最大限に伸縮させ、ローグが両手のソウガを投じる。双剣は二つの閃と成り、対象を射抜くべく飛ぶ。一直線の力、貫き迫る刃をイキョウは防げない。如何に万能の剣とて、剣である限りは対象に触れなければならない。それが出来ぬ状態こそ、万能の剣を軸に戦う者の弱点。
「くっ、サイ!」
 でも、そんな誰でも分かる弱点を放って置く程の馬鹿じゃない。イキョウの掛け声で彼女が、サイとキョウが融合した者である彼女が二人に分離する。イキョウという体を中心に左右に分かれる様に分離したサイとキョウは、ローグの放ったソウガの直線軌道外に居た。
 空中で分離した二人は事も無げに床に着地し、ローグの方を向き対峙する。
「便利だな、おい!」
「羨ましい?でも真似とか出来ないでしょ」
 おどけて、余裕を誇示するようにキョウが言う。胸を逸らして誇らしげなポーズを取るけど、その横でサイが慌てた風に言った。
「おい、キョウ!剣構えろ!」
「え」
 その声にキョウがローグを見れば、彼の足元に百組に届くだろうソウガが在った。
「便利だな、これ。魔力を注げば注いだだけソウガを創り出せるなんて。投げ放題じゃないか」
 彼の少々意外そうな言葉が物語るのは、こんな事が出来るなんて確信が無かった証拠。確信の無い事を実戦でいきなりやる馬鹿みたいな度胸に呆れながら、サイとキョウは内心では戦慄していた。
 魔法に関して殆ど素人の状態でこれなのだ。もし彼が望み学べば、後にどんな化け物になるのか、見たい気もするし、見たくない気もする。
「ソウガレントウセン!」
 その声と同時に、ローグは床に突き刺さったソウガを抜き取り、投げて閃を描く。
 キョウがそれをディスペルートで切り裂く。
 そこから先はしばらく同じ事の繰り返しだった。
 投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。投げる。切り裂く。
 一向に変化の無い状況を見てキョウの後ろに居たサイが横合いから攻めようとするが、一歩踏み出した途端にソウガを投げ付けられる為に一歩以上は進めない。彼の持つアンチマテリアルは、魔法に対して酷く脆弱で無意味だから。
 ローグは冷静に相手の状況を観察しながらも、暴れる程に思い切り、倒れるくらい前のめりにソウガを投げ続ける状態を保つ。
 ひたすらに剣を投げ続ける者と、ひたすらに剣で切り裂き続ける者達の考えは酷似していた。
 次の手をどうするか。
 ローグは一方的に攻めている様に見えて、その実追い詰められていた。ソウガトウセンとは大幅な魔力を消費して、ローグから離れた位置に存在する月天物語のコアからソウガを創造し、それを投擲する方法だ。このやり方の弱点は、魔力の消費量に在る。
 ローグは魔力構成体という特性上自分の体が魔力で出来ているだけで、彼自身が戦闘で使用出来る魔力は別段多くない。だというのにデバイスの端末を100も創造したのだから、彼の残存魔力量は無きに等しい。最終的には自分の体を構成している分を使用する事も考えているが、それは避けたいところだ。こうやってソウガを投擲し、攻めている合間にも剣に切り裂かれた部分はジンジンと痛みを発し、異様な虚脱感を与えている。恐らくは魔力結合が弱まっている影響。
 キョウは防戦一方に見えて、勝利を確信していた。ローグの戦い方は余りにも無茶苦茶で、先の事を考えていなさ過ぎる。特別な訓練をしたという訳でも無い、元は一般人だという事を考えれば当然だろう。このまま攻撃を防ぎ続け、現状唯一の攻撃手段であるソウガが尽きた頃合いを見て再びサイと融合。イキョウとなり無敵の剣を振るえば、ローグウェル・バニングスを討ち破る事が出来る。
 だがキョウは憂鬱だった。こんな知識でも感覚でも無く、想像や妄想で魔法を組み上げる相手とまた戦わなければいけない事を思うと、嫌にもなる。しかも、次は確実に今以上になっているだろうという予測は、既に予測で無く確定と言える域に達しているから。
 そう両者が考えていると、ソウガの投擲が止んだ。
「キョウ!」
「分かってる!」
 サイがキョウの手を取り、融合を促す。それにキョウが応えた瞬間、二人はイキョウという別人へ姿を変えていた。
 それを見て、ローグは言った。
「じゃあな!俺は帰る!」
 突如として後ろを振り向き、走りだすローグ。疲弊した体を、前方に倒れ込む様に傾けて走る。
「に、逃げるの!」
 それはサイにとって、キョウにとって、イキョウにとって意外な行動だったが、ローグにとっては当たり前過ぎた行動だった。
 だって、この戦いに大した理由なんて無いんだし。
「ねぇ、敵前逃亡ってありなの!」
 叫び、追い掛けるイキョウ。彼女の疾走する速度はローグより速い。単純な身体能力、魔法での強化を含めて彼女はローグを完全に上回っていた。
「お前ら、学校で戦った時はそんなに速くなかっただろうが!」
「融合したんだから全部のパラメーターが上がってるのは当然でしょ!」
 なんて単純で、なんて卑怯だろう。イキョウとはサイとキョウの剣を合わせて使えるだけでなく、基本能力が全部上がってるらしい。そりゃ二人分を一人で使ってるんだから当然で、普通や常識の中では二人分を一人で完全に使いこなす事なんて出来なくて、そう考えるとやっぱり反則だった。
 けれどローグとイキョウの距離は全く縮まらない。確かに、平均的速度ではイキョウに分があるが、ローグには加速魔法がある。要所要所でバニシングステップを使用して曲がり角での減速を極力無くした状態で走れば、二人の距離は縮まらない。
「待ちなさーい!なんで逃げるの!」
「お前と戦って何の得になる!なのは達から離れたならそれで十分だ、もう飽きた!」
 時々馬鹿みたいに叫び合いながら、二人の鬼ごっこは続いて行く。ローグはこれまで登って来たビルから出る為に階段を駆け下り階下を目指す。イキョウはそれをさせまいと追い縋る。
 階段じゃなくて窓から素直に飛び降りろとかいう考えは出来ても、実行は出来ない。そんな広い場所に出ればイキョウは間違い無く勝負を決める為に討って出るし、何よりローグは空を飛べないから地面に激突した時の衝撃で痛過ぎるのは勘弁して欲しかった。今では空中に魔力障壁を這るだけの余力が無いのも、飛び下りない要因の一つだ。
 ちなみに、召喚魔法を使えるだけの余力も無い。
 そしてそれはつまり。
「さ、追い詰めたわよ」
 加速魔法を使う余力も無く、平均的速度で劣るローグはイキョウにビル2階の壁際まで追い詰められるという結果をもたらした。
「お前しつこいなぁ」
「いいから、私は君を倒さないといけないの」
 そのイキョウのセリフに、ローグはほぼ確信を持って返答する。全くに、面倒極まりない。どうしてこう自分の目的も何も明かさない人とばかり巡り合うのかと、ローグは自分を呪った。かつて巡り合った人は特別な危険では無かったが、今回もそうであるという保証は無いから。
「それは倒す気の無い奴の台詞じゃないな」
 一拍の間。
「あちゃ、ばれてたんだ」
「や、あのやり方じゃばれるだろ」
 ローグはイキョウの戦い方に違和感を感じていた。
 最初に感じたのはそれこそ戦いの始まり、サイとキョウがイキョウへと融合した時。何故か二人はゆっくりと時間を掛けて融合した。戦いの場に於いて、あれだけの時間浪費は敵に確実な先手を取らせる事になる。それは最善の手とはいえず、融合して戦うならば初めからイキョウという姿になってから戦いの場へ現れるべきなのだ。なにより、ソウガレントウセンを防ぎ切った後の時みたいに、一瞬で融合する事が出来たという事実が違和感を強めた。
 そしてもう一つ。何故かキョウはソウガレントウセンを、魔法による攻撃を全て防いだという事だ。魔法を触れるだけで無に帰す強力なAMFの剣ディスペルートならば、それを盾代わりに突き進めば良かったのに。仮にそれが出来なかったとしても、背後に居たサイが何も出来ない風を装う事がおかしかった。無機物を際限無く切り裂くアンチマテリアルであるならば、地形破壊による戦況の変化は簡単だった筈だ。なのにそれをしなかった。
 どう考えても、倒す気だなんて思えない。その理由は、単に遊んでいるのか、それとも何か目的があるのか。何にせよ、ただの馬鹿という可能性だけは無い。ただの馬鹿なら、こんなに短い間隔で二度も戦いを挑むという、どう考えても挑発ぐらいにしか取れない行為なんてわざわざしないから。
「お前達の目的は、俺なのか?それとも偶然俺がお前達の近くに居ただけか?」
 だからローグは、二人の目的の方向を問わなければいけない。この二人の危険性、その見極めが今何より必要だった。
 そして、ローグの希望的観測は一瞬で打ち砕かれる。
「私達はね、君が目的なんだよ。ローグウェル・バニングスという魔導師そのものがね」
 自分が目的でなければいいと思った。もし二人の目的が自分でなければ、悪いけどなのはとフェイトとユーノにこの二人の事を任せるつもりだった。
 自分は、たった一人を守る人でいたいから。その為に、自分が狙われてはいけないのだ。こんな理不尽が住まう世界だから、どんな時でも彼女の危機には駆け付けられる、そんな人でなければいけないから。
「それを知ってどうするの?」
 勝機は無い。
「帰ってくれってお願いする」
 相手は魔法攻撃を無効化出来て、彼は殴るも蹴るも結局は魔法攻撃になってしまう体だ。しかも相手は基礎能力も高い。
「そんなに嫌わないで欲しいな。私達は別に君の命を狙ってる訳じゃないのに」
 よくよく考えればなんて無謀、なんて反則。チートここに極まれりな剣持って、二人が一人に合体する事で能力を上昇させて、しかも分離も自在。同じタイプの相手と戦った前例がある無いの範疇じゃ無く、経験がどうこうで無く、これは強くなろうと努力を積み重ねる者に対しての横暴たる力だ。
「残念だけど、命狙われて無くても痛い事してくる相手は好きになれない」
 考えなくても感じ取れる。こいつらは今の世界に居ていいレベルじゃない。こいつらはもっとずっと別の場所に居るべきなんだ。
「そりゃそっか。んでさ、だったらどうする?」
 朗らかな笑みで笑うこの怪人は、存在そのものからしてロストロギアみたいなもの。ローグにとって、ずうっと失くしたままでいたい出来の悪いテスト用紙みたいな存在。
 出来の悪いテストが出て来てしまったのなら、願わくば誰にも見つからない内に燃やしてしまいたいものだ。そうやって冗談めかして考えて恐怖みたいなものを誤魔化して、剣を振り上げる。
「ソウガエイセン!」
 絶対的に敵わない相手、絶対的に逃げられない状況。そこで退く臆病なら、もう二度とアリサを守ると口に出来ないと思った。
「無駄だよ」
 だから、今ある限りの魔力を振り絞って放った一撃がイキョウのサイキョーブレードに消滅させられて、防御も回避も出来ない態勢のまま攻撃を受ける事も厭わない。自分が自分でいる為なら痛みくらい受けてやる。
 薄れて行く思考の先に次は絶対勝つっていう負け惜しみをぶら下げて、ローグはイキョウの前に崩れ落ちる。右腕まるまる一本を、消滅させられて。
 それを見てイキョウがサイとキョウの二人へと分離する。気だるそうな喋り方で、サイが言った。
「しっかし、ここまで面倒とは」
「思ったより強かったしねぇ」
 キョウがローグの顔を覗き込む。既に消滅させられた右腕は無意識下で再構成され、この格好だけ見れば、居る場所以外は違和感の無いただの少年だった。
 そこには苦悶も喜色も安らかさも何も無く、ただ無表情で眼を瞑ったままの顔があった。閉じられた頬に、そっとしゃがみ込んだキョウの手が触れて、淡い光を発する。キョウの魔力光が、手を通してローグの中に取り込まれて行く。
「あんまり無理するなよ。疲れてるだろ」
「うん、平気。このままローグがどうにかなったら、折角手に入ったチャンスが台無しになっちゃうんだから。これくらい平気」
 そう言うキョウの顔は何処か寂しげで、悲しげだった。やがてキョウが手を離し、立ちあがる。そのまま何も言わず何も見ず、彼女はビルの外へ出る為に階段を降りはじめた。
「どのくらいまで魔力をやったんだ?」
「明日の朝には問題無く動けるくらい。結構やり過ぎちゃったみたいだし」
 なんでも無い事の様に言うキョウの足元は不安定で、まるで酔って足腰立たなくなったみたいにふらふら。それを見詰めるサイの瞳は優しげで、毎度毎度強がりを言う姉を思う気持ちが少しだけ溢れていた。






第五話 完


『友達とは守り合うもの』





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