第七話「どうすればいいの?」






 どうすればいいの?
 誰かに指針を問う言葉。進むべき道に迷った人が口にする言葉。進むべき道を壁に塞がれた人が口にする言葉。理解不能な状況に、今どうするべきかを自分自身に問う言葉。
 ちょうど、こんな時に使う言葉。
「転校生のサイでーす!」
「姉のキョウでーす!」
 頭が痛い。
 ちょっと洒落にならないよこれ、どういう事?なんで2、3日前に戦った相手が普通に転校して来るの?しかも同じクラスだよおい。こんな感じのセリフをともかく口にしたい心境で、ローグは目の前の光景を唖然と見詰めていた。数日前の戦いで負ったダメージも綺麗さっぱりとどこかへ消えてひとまずは平穏を取り戻した真っ当な平日だというのに。
 サイもキョウも何がしたいのか皆目見当もつかない相手なもんで、色々調べたりなんだりしたいとは思っていた。だが相手はそもそも名前と奇特な能力や魔法を使いという事以外分からない、つまりは調べたりする事の出来ない相手なので丁度良いと言えば丁度良いのだが。
「このクラスにいるローグ君とフェイトちゃんと知り合いでーす!近くの席に座りたいでーす!」
 おいおいおいキョウさん、何を言っているんですか?それ隠さなくていいの?隠すのがセオリーじゃないの?いや、なんで隠すの?とか聞かれたら困るけど、でも隠しとくべきじゃないのかなそこは。などという叫び出したい衝動に駆られる様な言葉で頭の中を満杯にしているローグの隣。アリサに小声で囁かれた。
「フェイトの時といい今回といい、転校生の女の子に知り合いがいっぱいいるのね〜、ローグぅ」
 彼のサイとキョウに対する衝動は、一瞬で停止した。アリサの刺す様な視線にだらだらと冷や汗を流しながらも、一応ホームルームの最中なので声を大にして否定も出来ない。というか転校生の女の子に知り合いがいっぱいというのは事実なので否定は元々出来ない。
 なんせローグがやって来てからの転校生はフェイトとサイ、キョウの三人だけだからだ。転校してきた三人共が知り合いで、三人の内二人が女の子なら、そりゃいっぱいだろう。
 そもそも転校生というものは、有名進学校の受験みたいに人が大挙して押し寄せて来るようなものでは無いので、数少ないそれにたまたま知り合いばかりやって来た彼は運がいい様に見える。けど、どれもこれも何者かが裏で手を回している必然的出来事だ。
「フェイトの知り合いって言ってるんだから、俺ともそうだって不思議じゃないだろ。フェイトを通して知り合ったんだよ」
 少々強引だが、納得出来なくは無い言い訳。そもそもフェイトと何処で知り合ったか、とか聞かれればアウトなのだが、ホームルームの最中ではアリサも余り追及できない様で素直に引き下がった。
 フェイトと何故知り合いなのかという事は、彼女が転校して来た日に既に聞かれているのだが、その時はどうやって誤魔化したっけ?いざという時の為に思い出そうとするローグの横をサイが通り過ぎて行く。どうやらアリサと少し話している間に二人の紹介は終わったらしく、席に付くらしい。サイとキョウの、フェイトかローグの近くに座りたいという願いは聞き入れられず、二人共なのはの近くの席になった様だ。
「私、高町なのはっていうんだ。よろしくね、サイ君、キョウちゃん」
 語尾にハートマークがつきそうなくらいの満面の笑み。漫画であれば、にぱっ、なんて文字でも空中に浮かんでいそうだ。
「おー、もう元気なんだ」
「ん、何が?私は何時でも元気だよ」
 キョウがなのはの姿を見て思わず言葉を漏らす。それもその筈で、夜のビルでの戦いから2日しか経っていないこの日に、なのはが元気に学校まで来ていれば誰だって驚く。
 サイとキョウは、ビルでなのはがヴィータから受けた傷を一度だけ見ている。遠目から見ても軽い怪我で無いと分かるそれが、たったの2日で治っているというのは驚嘆すべき事だろう。
「ううん、なんでもないの。こっちの勘違いだったみたい」
 サイの不用意な発言を取り繕うキョウ。そんな彼女をなのはは不思議に思わなかった。サイとキョウがビルに現われた時になのはは気絶していて、二人の顔を見ていないからだ。それだけでなく、ローグもフェイトもユーノもこの二人の事をなのはに説明していない。傷が完全に治るまで余計な事は考えさせない方が良い、というユーノの考えからだ。なので、なのはの傷が治り、学校にも通える状態となったこの日の夜にでも説明するつもりだったのだが、どうやら半分程は説明の手間が省けたと見て間違い無い。少なくとも、外見的特徴を伝える必要性は無くなった。
「うーん、不思議だ」
「うにゃ!何するの?」
 サイがなのはの頭をポンポンと軽く叩く。どうやら頭を触っても痛がらないか確かめているみたいだが、なのはの反応は意味不明な行動をされてどうすればいいのか分からない、そんなものだ。
 この傷の治りの速さはサイとキョウだけで無く、治癒魔法を使用したユーノを始めとして全員が驚いていた。いくら治癒魔法の効果があったからといっても異常な速度。見ている側からすれば嬉しくもあり、反面に開いた口が鉄パイプの穴みたいに塞がらない心境だった。
「ま、いいや。よろしくな」
「うん」
 キョウの笑顔、サイの笑顔、なのはの笑顔。どうにも、厄介な事態になる気がして仕方が無いローグと。
「…………」
 危険人物かも知れない二人がなのはに近付いた事で殺意みたいな怖い気配を立ち昇らせているフェイトが居た。フェイトの周囲に座るクラスメイト達は、普段は控えめな彼女の原因不明な不機嫌に戦慄する。不憫だ。






 魔導師の姉弟が転校して来てから、数日が経った。すぐに何かしらのアクションを起こすかと思えば意外な程に何も無く、二人は極普通の小学生としての生活を楽しんでいるみたいだった。
 それを不思議がるローグとフェイト、そしてサイとキョウについての説明を受けたなのははこの状態で何かが出来る訳でもなく、表面上というか、もう当たり前に様に二人をクラスメイトとして扱っていた。一応警戒は解いていないものの、どうにも危険人物だと認識し切れない状況での生活が続く。一度攻撃を受けたローグでさえ、まぁいいかと考えている。
 そんなこんなでひとまずの落ち着きを手に入れた一同だが、ローグにだけはまだ落ち着きは訪れていないみたいだった。下駄箱の中に真っ白な封筒。そんな漫画の中の世界でさえ余りにも古典的なこの手法に呼び出された放課後の屋上で待っていたのは、なんとイリスだった。
 普段は草の根分けても石の下を覗いても歯ブラシの毛の隙間を探しても見つからない相手は、何時も通りの彼女の調子でやや不気味に微笑んでいた。他人を嘲笑った様な、と見て取るのは偏見だろうか?それくらいにイリスの微笑みというものは要領を得なくて、不思議なものだった。
「俺は呼び出したのはあんたか?」
「うーむ、随分とご挨拶だな。もうちょっと目上の者を敬う事をしたらどうだ?」
「警戒しなくて良くなったらそうするよ」
「嫌われたものだなぁ」
 やれやれ、といった風に肩をすくめるイリス。自分から呼び出した癖に、何故か彼女は黙っている。仕方無しにローグはイリスの用件を聞いた。飾る事も前置きも用いず、何の用だ?と。
「ああ、うん。そうだな。今日は荷物を引き取ってもらいたくてな、それを言いに来たんだ」
「荷物って、宅急便でも始めたのか?」
「いーや、生憎と私はそういう面倒な事は死んでもしない主義だ」
「あー、そーかい。で、それなら荷物って?」
「なんだ。もうちょっと馬鹿な会話に発展させてくれる事を期待していたのにな」
「そういうのはいいよ。あんた相手に口で勝てる気がしない」
 意気地の無い奴だ、と鼻で笑うイリスは、どう説明したものかと顎に指を這わせて思案する。残念ながらこの奇天烈な魔導師さんはどうしてだか世間一般で言う所の美人の部類に属するので、正直言ってその格好は様になっている。そんな美人がやけに勿体ぶった調子で言った。
「本の在庫を30万冊ほど引き取れ」
 呆れるくらいに意味不明な言葉。ローグは溜め息を一つ吐いて、呆れ顔で返事をした。
「古本屋に持って行け。多分拒否されるけど」
「んー、そういう手もあるにはあるんだがな。ほら、プライバシーの問題というか、なぁ?他人に日記の中身を見られるのは嫌だろう?ああ、でもこれは日記というよりポエムか。尚更恥ずかしいな」
 楽しそうな嬉しそうな顔で独り言をぶつぶつと呟くイリスの姿はやはり様になっていたのだが、如何せん内容が内容である。幾らなんでも説明が不足し過ぎている。
「忘れたのか?私が抱えている30万冊もの在庫はヌシが書いたものだぞ」
「書いたって、俺は本なんて書いた覚えないし、そもそも書けるだけの文才も何も無いよ。ま、授業で作文くらいなら書いた事あるけど、いっつも評価悪いしさ」
「なんだなんだ、その年でもう既に記憶が引っ張りだせなくなっているのか。仕方無いな」
 イリスは無造作に右手を空中に創り出した真っ黒な穴、ブラックゲートに突っ込んだ。そうして何かを探す様に中を掻き回し、ようやくといった感じで何かしらを掴んで引っ張りだす。出て来たのは太鼓。赤ん坊をあやす為に使う小さい玩具の太鼓だ。だがイリスは太鼓を放り投げる。どうやら目的のものと違ったらしい。落下防止用の柵の外に捨てた。ローグは、下に誰も居ないといいなーと思いながらも、特に何もせずに見ている。イリスはまたもやブラックゲートに手を突っ込み、中を掻き回す。歯ブラシ、リモコン、タオル、手鏡、読みかけの文庫本、昔出たマンガの完全版、栄養ドリンク、袋入り煎餅。次々と見事に生活感あふれる物が続々と出て来る。
「あ、この煎餅うまい」
 上手い具合に手元に投げられた煎餅を、ローグは食べていた。
「うあ!それは楽しみにしていたやつじゃないか!勝手に食うな!」
 文句を言いつつも目的の物を探し当てるまで捜索を続けるイリス。そうまでして見せなくても説明のしようは他に幾らでもあるだろうに。
 バリボリバリボリと煎餅を噛み砕き続け、喉が渇いたからお茶が欲しいかなーと思った辺りでようやく本が登場した。ほれ、といった風に投げられたそれを、受け取るローグ。本は百科事典の様なしっかりした装丁の割に、妙に薄くて片手では開き難い。名残惜しみながらも煎餅を投げてイリスに返すと、両手で本を開いた。横合いから聞こえる「半分以上食ったなー」という抗議には耳を貸さない、貸す余裕は無かった。彼の眼は、思考は、その本を埋め尽くす文字で占領されていたから。
 "アリサ"というたった三文字だけがあった。本のページ全てにはローグにとって最も大切な人の名前がびっしりと隙間を埋める様に書き連ねられている。それはまるでホラーで狂気で不安で、紙面いっぱいを埋め尽くすその名前が、普段から当然の様に口にするその名前が、怖いものに見えた。
「イリス!これは!」
「ヌシが書いたのさ。生き返る時に。いや、正確には死んでいないから、その疑似肉体を手に入れる時だな」
「どういう事だよ」
「忘れたか?私がお前と初めて会った時の事を」
 忘れる筈がない、覚えている。
 イリスと初めて会ったのは、何時か平凡な日の夜。普段は夜に外に出る事など無いのだが、その日に限って夜に出掛けた。当然ながら、ほとんどの家族には黙ってだ。流石に出掛けた理由までは覚えていないが、それでもあの時は異変も何も無く、他愛無い理由で夜に一人で出掛けた筈だ。用事を済ませた帰り、ジュエルシードを探していたフェイトと偶然出会い、そして噂が広まる事を恐れたフェイトに攻撃された。今のフェイトとはまるで別人の、誰かを傷つける事を厭わないフェイト、持ち主の願いを歪んだ形で叶えるジュエルシードによって引き起こされた歪なフェイトだ。そしてローグはそのフェイトに殺されかけて、イリスに助けられた。その時の手段があの本。
「心創書物、だったか」
「そう。使用者の心の中、最も強く願い想い求めるものを文字として記す魔法。ヌシが書いた本に刻まれたのは"アリサ"の三文字が無限ループ。あれだな、ストーカーになってしまうタイプだな」
 何時もならツッコミの一つも入れる冗談に対しても、ローグは反応を示さない。自分の思考以外を排除した頭の中で、彼は当たり前の疑問に辿り着いた。
「それで、今更になってこれをどうしたいんだ?」
 既にローグが魔力構成体となってから数ヶ月が経過している。そんな、何の切っ掛けもなさそうなタイミングで今更な本を持ち出し、これを引き取れという。今ローグがこの本を30万冊引き取ったところで誰にも益は無い。イリスは先程見た通りに空間を繋げる、ローグと同じ召喚を扱える。本が邪魔なら何処かへ適当に捨ててしまえばいい。持っているからと言って邪魔になる事もない。そもそも、邪魔になるから引き取って欲しいなんて理由では彼女は動かないだろうし。
「いやなに、私としても意外だったんだがね。ヌシはどうやら本物らしいから。なんせ適性試験に合格したんだ、合格証くらいは欲しいだろ?」
 合格証というのは、恐らく狂的なまでにアリサの名前が連ねられたこの本を指す。では、これは何に対して合格した証だ?試験とは、先の言葉から心創書物という魔法だろう。つまり心創書物は何かを試す為の魔法。では、何を?
「俺は何に合格したんだ?」
 考えても埒は明くまい。となれば、素直に聞いてしまうのが一番手っ取り早い。どうせこの魔導師は答えないだろうが。
「後で教えてやろう」
「何時だよ?」
「言った通り、後だよ。具体的には一時間くらい後」
 妙にはっきりした物言いが逆に不気味だ。今までそんな事は一度だって無かっただろう。
「じゃあ期待せずに待ってる」
 考えても仕方無い。思考放棄したローグはそう言って、もういい加減に帰ろうと思った。イリスは先の一言以来黙っているだけなので、もう用件は終わったんだろう。ローグはひとまず自分の手にある本だけは持って帰ろうと思い、そのまま黙した美女に背を向けて歩き出した。
 呼び出されたからという理由で普段から一緒に帰っているアリサとすずかには先に帰って貰ったし、なのはもフェイトも何やら忙しそうだった。久し振りに一人で帰る事になりそうだ、と思って屋上から階下へと続く階段へ向かう。丁度運動部が活動し始めた頃合いなのか、遠くから威勢のいい声が聞こえてくる。グラウンドを走り回る野外系か、はたまた階段登りでもして足腰を鍛えているどこぞの屋内系か。その、近くで聞く分には少々喧しくも思える音に紛れて、背中からイリスの声も聞こえた。
「なぁ、ヌシ」
 不意に、イリスが話しかけて来た。どうやらまだ終わっていなかったらしい。
「なんだよ」
 ローグは階段への歩みを止めず、振り向かずにそう返事をした。
「アリサ・バニングスの事は好きか?」
 何を今更、と思った。彼女は知っている筈だ。数多の本に記されたたった一人の名前が示しているだろうに。だから隠す気も無く、際限無く茶化しを入れて来る相手には恥ずかしがる事も無く口にした。
「俺はアリサが好きだよ。大好きだ」
 極自然にその言葉が出て来た。声を潜める事も無く、恥ずかしげも無く堂々と。
「あ…………ぅ……………」
 そしたら、本人にばっちり聞かれた。
「うんうん。告白おめでとう、ヌシ」
 アリサが好きだ。その言葉をアリサ本人の前で盛大にぶちまけてしまった為オーバーヒートした頭で考える。
 さっきの階段を上る音は運動部とかじゃなくてアリサだったんだなー、とか。
 どうしてアリサは一人で屋上に来てるんだろうなー、とか。
 何時の間に扉あけてたんだろうなー、とか。
 背後から聞こえるしてやったりな笑い声からするとあいつ仕組んだな、とか。
 現実逃避はやめにします。
「あー、アリサ?」
 ひとまず、声を掛けてみる。恥ずかしいのは彼女も同じらしく、硬直状態だ。
 返答を待つ事数秒、動きがあった。
「あ…………あ…………」
 言葉にならない、とはまさにこの事なのだろうか。アリサは何を言うべきか分からず、けど何かを言おうとしている様子だ。それをじっと待つだけというのも、結構辛い。
 ところで、後ろで見物決め込んでる奴を張り倒したい。
「アリサ……」
 我慢出来ずに声を掛けてみると、反応があった。
「ろ、ローグの」
 顔を真っ赤にして口を金魚みたいにパクパクさせている。妙に可愛いと思うのは、家族故の贔屓目なのだろうか?
「ローグの馬鹿ー!」
 ドンッ、と胸を押される。本来ならそのくらいでバランスを崩す事は無いのだが、この時ばかりは違った。まず、何が"馬鹿"なのか、どうして走って階段を駆け下りて行くのか、まずそもそもこれはどういう状況だ?
 いろんな情報が混雑して渋滞で満員電車で、並の手段じゃ整理し切れない状況。取り敢えず、追い掛けるべく階段を駆け降りる。
「イリス!あんた次絶対に張っ倒す!」
 取り敢えずこの事件を仕組んだっぽい元凶に暴言を吐いてから。



第七話 完

次 『幸せな時間は誰にでも』





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