第八話「幸せな時間は誰にでも」






 幸せな時間は誰にでも訪れる。不平等で公平に、確実で曖昧に、誰にでも訪れる。
 人によって幸せと感じる時間は違って、それが長く続いて欲しいと思う人もいれば、ほんの少しだから良い、なんて思う人もいる。
 それで、私の幸せの形はなんだろう?
 少女はやけに曖昧で難しい事を思った。どうしてそんな事を思ったのかというと、きっと昨晩寝る前に読んだ小説の所為だろう。別段分厚い訳でも無く、特に有名な人が書いた本でも無く、挿絵もそう美麗とは言い難い。たまたま寄った本屋で、放って置けば本棚の中で埋もれていそうな目立たない一冊の本を、月村すずかはどうしてか手にした。なんでそれに魅かれたのかは分からない。けど、どうしようもなく魅かれた。ページを捲って見れば、そこには少しだけ悲しいお話が綴られていた。



 とある少年と少女は、魔法使いに呪いをかけられました。
 それは、永遠に近い時間を生きる呪い。
 その呪いは、重い病を患う人達からしてみれば救いでしたが、真っ当で平凡で健康で一般な少年と少女には呪いでした。
 これまで幸せと呼べなくもない生活をしていた二人の日常は呪われ、不幸せになりました。
 今日生きて、明日生きて、最果て無く永劫の時間。肉体的死を持たない呪いを患った二人は、幸せではありません。
 長くて100年。それだけしか生きられない人間にとって、不平等で公平に、確実で曖昧に、誰にでも訪れる幸せ。
 短くても1000年、あるいは永劫。それだけ生きる二人にとって、不平等で公平に、確実で曖昧に、二人には訪れない幸せ。
 物事の、幸せを感じられる時間。その尺度を変えてしまう呪い。永く生きられるけど、幸せを感じられる事の少ない命。



 すずかはこの物語を理解出来なかった。永く生きられるなら、たくさんの時間があるのなら、それだけ楽しい事は多いんじゃないかと思った。辛い事も多いだろうけど、楽しい事だって同じくらい多くなると思う。
 そう考えたのに、ふと一人の少年の顔が浮かんだ。ローグウェル・バニングス。
 人とは違う体を持った人。決して腐敗する事の無い疑似肉体。もし自分やなのはやアリサが死んだ後も、生き続けるのが彼の命なら、大切な人が去っても自分は永らえるその時間。
 それは、幸せ?
「難しく考えちゃ駄目だよね」
 すずかは唐突に、そう言ってぐるぐるな思考を打ち切った。
 答えには、きっと辿り着けない。辿り付けるとすれば、それは当事者だけだろう。そう思ったらなんとなく当事者に会いたくなった。その当事者、ローグウェル・バニングスは、用があるから先に帰ってくれと言っていた。けれど、何時もアリサとすずかとローグの三人で帰っているので、一人だけ残すのも可哀そう。なので、待つ事にしたのだ。この日最後の授業が終わって既に一時間以上が経っている。幾らなんでももう用事は終わっているだろうとアリサが迎えに行ったのだが、まだ戻って来ない。
「ふぅ」
 すずかがアリサとローグを待ち初めて20分が経った。屋上へ迎えに行くだけにしてはかかりすぎだ。何か用事でも出来て先に帰ったのだろうか?だとしても連絡も無しにというのはおかしい。となれば、連絡も出来ないくらいのトラブルか、それともローグは既に屋上には居らず、探し回っているのか?答えがどれだとしても、昇降口で靴を見れば帰ったかどうかくらいは分かるだろう。すずかはそう思い、一人で歩きだした。一応、道中に二人の姿を探しながら。
 数分後。すずかが昇降口まで辿り着いても二人を見つける事は出来なかった。というか、誰も見つけられなかった。生徒に先生に外来の人に事務員。人と呼べる人が誰もいなかった。それを不思議に思いつつも、二人が使用している下駄箱を覗く。二人の靴は、無い。
「もぅ。酷いな、二人共」
 眼の前には居ない友達相手に文句を言い、すずかは一人で上履きから靴へと履き替える。迎えの車は無い。アリサの父の、子供はやっぱり歩くべきなんじゃないかって提案にすずかの家族も賛成した為だ。歩いて通うには少々遠い道のり。普段は三人だから退屈する事も無く、むしろ歩いている時間が短く感じられるくらいだった。けど一人だと、なんだかちょっと憂鬱になりそうなくらいに遠い。
「すーちゃん!」
 ちょっと暗い気分でいざ帰ろうとしたら、いきなり誰かに手を握られた。握られた手を目線の高さまで上げて、視線に映り込む自分以外の手の持ち主を見た。ここ最近に転校してきた女の子、キョウだった。
「一緒に帰ろ!」
 眩しいくらいの微笑み。なんだか、こうやって登下校する事すら楽しくて仕方無いというくらいの、本気で嬉しそうな顔だ。キョウの後ろには彼女の弟であるサイも居た。彼はキョウとは違って微笑んでいなかったけど、心なしか楽しそうな空気を纏っていた。
 キョウの誘いはすずかには願ったり叶ったりだった。どこまで帰り道が一緒なのかは分からないが、わざわざ誘って来たんだから5分も歩けばもうお別れ、という事にはならないだろう。一人で退屈な帰り道より、三人での賑やかな帰り道が好き。一緒に帰る相手が常とは違うのも、たまには新鮮で面白そうだ。
「いいよ。一緒に帰ろう」



「それにしてもすーちゃんてさー、運がないよね」
「どうゆう事?」
「だってさー、体育の時間でバレーしてたら隣の組がやってた流れドッジボールが飛んで来るし。お昼ご飯食べてたらお茶をこぼされるし、しかも今日は全部の授業で先生に指されてたじゃん。こう、ドスーッと!」
 ドスーッと指されたのなら、それは指し示すのでは無く刺し殺すになってしまうんじゃないだろうか?ともあれ、この日のすずかの運が悪かったのは本当だ。キョウの言っていた事は全部事実なのだから。とはいえ、別に毎日毎日こんな運の無い不幸生活を送っている訳では無い。誰にだってたまに訪れる、運の無い日に過ぎない。
 どんな話題でもオーバーリアクションで乗りにノッて来るキョウと、隙を見てここぞとばかりにボケを挟んで来るサイ。すずかは退屈する事も無く、終始顔が緩みっぱなしの楽しい時間を過ごした。
 そうこうしている内にふと気付く。もうだいぶ長い事一緒に歩いているが、まだ彼女達の家への分岐点には辿り着かないのだろうか?それとも、自分と向かう方向がそれこそ何処までも一緒なんだろうか?気になって尋ねて見れば、解答はなんともあっさりとしたものだった。
「私達の家?あそこよ」
 キョウが指したのは小高い丘。天をも突かんとばかりに聳える大きな杉の木が佇み、風で葉が揺れている。
「あの丘の近くなの?」
 丘の名前はなんといっただろうか?あの丘も杉の木も、自己主張が強い為毎日視界の中に入って来るんだけど、なんでか今までその名前を気にする事は無かった。あの丘の名前を気にしたのも何かの縁だろうと、すずかはキョウに訪ねてみた。
「あの丘の名前ねぇ……サイ、知ってる?」
「知らない。付けてないからな」
 サイの返事に、キョウは納得したように頷く。だがそれで納得出来たのはキョウだけで、すずかには理解出来なかった。好奇心は加速して、再度問う。
「んとね、あの丘に名前がないのは、必要無いからだよ。誰も気にしないから」
「必要無い?誰も気にしない?」
 随分ともまぁおかしな話だ。物には名前があって然り。他と区別する為、そのものの役割を示す為、名前を付ける事そのものに意味を見出す為、理由を挙げればすぐに思いつくだけでもこれだけあるのに。それに、キョウはあの丘の名前を誰も気にしないと言う。だが、現にすずかが気にしている。何時もあの場所にある筈の丘と杉の木の名前を。そうなると、キョウの説明は破綻する。一人でもあの丘と杉に名前を求める人が居れば、そこに必要は生まれるから。
「すーちゃんがあの丘を気にしたのは、見たのは、魔法を知ってるからだよ」
 極自然に会話の中に含まれたその言葉は、すずかにとってはそう慣れ親しんだものでは無かった。勿論、画面の向こうや紙の上に想像された世界でなら何度も見た。けどそれが自分の眼の前でとなると、今までに数える程しかない。数える程にでも眼の前で魔法を見た、という事自体が既に稀なのだが。
「人の視界と意識を遮る結界魔法があって、それを使って隠してるんだよ。でもこの結界魔法には弱点があって、魔法という事を見聞きしたりして少しでも理解してると見えるし意識出来るって事なんだ」
 突然に説明を始めたサイによれば、つまり一度も魔法を見た事の無い人限定で効果を発揮し、見えなくしてしまう魔法らしい。自由に使えればかくれんぼにさぞ便利だろう。間違い無く無敵だ。
 ともかく、これで合点がいった。地球には魔法を扱う文化なんて無いから、ほとんどの人間があの丘と杉の木を見る事が出来ない。であれば、意味や役割を示す名前は不要なんだろう。
「驚かないねー、すーちゃんって」
「何に驚くの?」
 なんとも怖い反応だ。キョウは、すずかが既に魔法の事を知っていると聞き及んではいたが、こうも当然といった反応をされるとは。もうちょっとこう、驚いてキャッとか言って一瞬だけ怖いものを見る眼でも向けてくれた方が、人では無い姉弟としては慣れているのだが。
「いーや。別に驚く様な事は無かったわね」
 すずかはキョウの不貞腐れた物言いに微かな笑みで応えた。面白いのだろうか?そりゃ面白いだろう。一応は一般人からして畏怖の対象に成り得るだろう自分達があっさりと認められている。そんな肩すかしを食らった様な表情は、さぞ愉快だろう。
「それで、私に何か用なのかな?」
 彼女は相当に肝が据わっているらしい。しかもよく気が付く。わざわざキョウとサイの、魔法を扱う者達が一緒に帰ろうと誘って来たのだ。しかも結界魔法の説明付きとなれば、何かあって然り。
 こうもよく気が付くすずかは、将来は良い奥さんになれる事だろう。
「その前に、あの丘に行ってみない?」
「何かあるの?」
「私達の家があるの」
 そう言うとキョウはすずかの両手をひとまとめにして握り、両足に力を込めて跳躍した。すずかからすれば、腕が引っこ抜けんばかりの強力で突然の加速。驚く暇も抵抗する暇も無く、キョウとすずかは大空を舞った。
「う、うわぁぁぁぁ!飛んでる!」
「しっかり手を握っててね。当たり前だけど、すーちゃんは落ちたら死んじゃうから」
 言われなくてもしっかり握るに決まってる。すずかは必死になって両手に力を込める。そうするまでもなくキョウががっしりと握って離しはしないのだが、それでもやはり心情的には握って居たいのだ。
 最初の跳躍以後は飛行魔法を行使したらしく、キョウは空を緩めの速度でスイスイと進む。緩めの速度とは、自転車を軽く漕いで進む程度の速度。スピードを出し過ぎてすずかの腕に過剰な負荷が掛るだけの速度では無く、かといって目的地までに時間のかかり過ぎない丁度良い速度。そうこうする内にすずかも少しだけ引っ張られるだけの飛行に慣れて来たのか、余裕が生まれた。普段見ているものを普段見れない角度から見るというのは、中々に新鮮で楽しいものがある。
 自分達が暮らす街並みを空から眺めるすずかの視線が、ある一点に達したところで止まった。
「アリサちゃん?」
 すずかを置いて何処かへと消えてしまったアリサの姿だ。何やら急いでいるらしく、かなりの速度で走っている。どうしたことか、バランスを崩しては立て直し、またバランスを崩しては立て直し、となんだか見ている方が不安になる危なげな走り方だ。周りが見えていないのか、通行人に何度かぶつかっている。
 気になる。非常に気になるのだが、現在すずかは飛行中の身なので声は届かないし手も届かない。周囲を見渡しても、アリサ以外の知り合いの姿は見受けられないのですずかの中の気になる度は鰻登りに上がっていくのだが、ここで降ろせなどと言える筈も無い。そうこうしている内に、アリサが並木道へ入った。気が邪魔で姿が良く見えない。
「すーちゃん、もう少しで着くよ」
「え?」
 不意に話しかけられ、すずかは呆気に取られた様な声を挙げる。初めて見る、身近な空からの景色に呆けていたとでも思われたのだろうか?キョウは苦笑した。
「ほら、着地するから転ばないでね」
 言われてからすぐに、すずかは地面を踏んだ。慣れない空中からの着地という事でたたらを踏むが、持前の運動神経でなんとか転ばずに済んだ。けれどやっぱりバランスは崩してしまい、あわあわと転ばない様に腕を振り回して姿勢を立て直そうとする。
 とんっ、と肩を掴まれた。
「平気か?」
 肩を掴んで支えてくれたのはサイだった。飛んでいる時は見えなかったが、ちゃんと着いて来ていたらしい。すずかは小さく礼を言うのだが、それは意地の悪いキョウの言葉に掻き消された。
「なーによ、サイ。飛ばないで着いて来るなんて、すーちゃんのパンツでも覗いてたの?」
 冗談なんだろうけど、なんだか恥ずかしくって思わずスカートを抑えるすずか。そういえば空を飛んでいる間は地上からは丸見えだったんだよね、と今更ながら気付く。サイは、「バーカ」と軽く一蹴して否定していた。それもそうだろう。たいして高く飛んではいなかったものの、それでも地上から見上げればかなり小さく映る。そこからピンポイントで捉えるなんて、まず無理だろう。
「見ようと思えば出来たけどな。俺が飛ばなかったのは、空を飛ぶなんて目立つ事はしたくなかっただけだ」
「み……見たの?」
「や、だから見てないって」
 信用ならない。余計な一言が微妙にすずかの不安を買う結果になってしまったサイだった。
「飛んでも誰にも見付からなきゃいいのよ。実際に見つかって無いでしょ?」
「ああ。どうせなら俺も飛べば良かった」
 姉に振り回される弟の構図、である。
「それじゃ駄目よ。飛んでる間は見つからない様に誰かが見張ってないと」
「分かったから。次は交代な、次は。俺もびゅいーんびゅいーんと飛びたいんだ」
「あんたじゃすーちゃんの腕引っこ抜くくらいのスピード出すから駄目。すーちゃんは私達みたいに再生出来ないんだからね」
 帰りは腕を引っこ抜かれる。そんなすずかの不安をまたも買ってしまうサイだった。
 会話の折り合いを見て、キョウがそろそろ家の中に入ろうと提案して来た。
 すずか達が現在いる場所は、名前の無い小高い丘にある名前の無い大きな杉の木の根元。どうやらこの場所はサイとキョウが別の次元世界とやらから持って来たものらしい。パッと見、家らしきものは見当たらないので何処かに隠してあるのだろうかと思えば、なんとサイとキョウは杉の木を登り始めた。大きな枝から枝へとピョンピョン飛び乗り継いで行き、杉の木の中腹付近まで登る。だが、すずかには着いて行く術がなかった。
 木登りが出来ない事は無いが、スカートだし遠慮したい。二人の様に超人的脚力もバランス感覚も無いわけだし。その旨を伝えるとサイが降りて来て、お姫様抱っこの要領で抱え挙げられて杉の木の中腹付近まで一気に運ばれた。お姫様抱っこという態勢は、運ばれる方は楽だし運ぶ方からすれば両手で抱えるので安定していて、大層やり易いのだろう。彼の様に人間を超えた力を持っているなら、相当な腕力を必要とするこの態勢も難なくこなせる。
 そうやって三人で登ると、なんと杉の木の中腹には家があった。木造りの小さな家。まるで子供が作る秘密基地みたいな、そんな印象を受ける。
「ここが私達の家よ」
「見た目こんなだけど、空間を弄る魔法で細工がしてあるから結構広いんだ」
 二人に促されて入った家の中、すずかが見たものは、ファンタジーと言うに相応しいものだった。意味不明な形状をした調度品、埴輪みたいな顔の人形に、試験管の中で沸き立つ緑色の液体。まるでお土産物屋の中の様な光景に紛れて、一般家庭にもあるテレビだとか、木製のベッドだとか、国民の誰もが持っていそうな家庭用据え置きゲーム機に携帯ゲーム機、DVDレコーダーに映画のDVDにアニメやドラマのDVD。本棚には少年漫画と少女漫画がずらり。部屋の隅にはコンロに鍋にやかんに米櫃。冷蔵庫もある。床には脱ぎ散らかした服も数着散乱しており、その隙間からは女性用の下着も見えた。しかも大人用の、だとしても結構なサイズのものが。
「あー、それはイリスの服ね。あのぐーたら、脱いだ服はそのままにしておくんだもん」
 キョウが慣れた手つきでひょいひょいと拾い上げ、幾つかある扉の内一つの向こうへと運んで行った。恐らくあの先に洗濯機があるのだろう。
「う、うーん」
「どうした?珍しいものでもあったか?」
 入って30秒間だけファンタジーだった空間は、実はものすごく生活感に溢れた空間だった。
「ううん。不思議なものとかあるんだろうなって思ってたんだけど、逆に何処でも見るものばかりで」
「当たり前だろ。俺達はここで生活してるんだから」
「だよねー」
 よくよく考えればその通りだ。家とは即ち生活の場。そこに生活感が溢れているのは、むしろ必然と言っていい。
「あ、でも玄関先にあった不思議なものは他じゃ見ないね」
「ああ、あれは北米とかいう地域に行った時の土産だ」
「お土産!」
「結構楽しかったぞ。電車で大陸縦断する観光旅行」
「しかも観光旅行なんだ!」
 何故観光旅行なんてしていたのか、それを聞く勇気はすずかにはなかった。
 そうこうしている内にキョウが戻って来た。それじゃあここに来た目的でも、と相成る。すずかにしてみればいきなり連れて来られた訳だから、特に目的なんてものは無い。だがサイとキョウにはあるらしい。
「あー、そだ。取り敢えず座ってくれよ。立ったままってのも疲れるだろ。椅子無くて悪いけど、ベッドにでも」
 この家にベッドは二つ。どちらも大人用のものだった。先程の服からしてもどう考えてもこの家に住んでいるのは最低三人。となればベッドが一つ足りない。
 尋ねてみようか、それとも立ち入った事かも知れないのでやめて置こうか。少しだけ迷うすずかだが、その疑問は視界に入って来た二つの枕の文字によって解かれた。saiとkyoという、姉弟の名前がプリントされた古ぼけた枕二つが、片方のベッドの上に置かれていた。この姉弟、見た目以上に仲が良いらしい。
 すずかの視線を見て取ったキョウが、おもむろに自分の名前がプリントされた枕を手に取る。
「この枕がどうかした?」
「珍しいと思って。名前が入ってるし」
 すずかがそう言うと、サイがバツの悪そうな表情をした。余り見られたくなかった、という感じだ。
「変だろ。キョウはともかく、男がこういうの使ってると」
「そんな事無い。可愛いよ」
 それは褒めてない。サイの非難などなんのその、すずかは気にしない。
 姉弟が自分達のベッドへ座ったので、すずかは自然ともう片方のベッドに座った。聞く側と喋る側、である。
「じゃあ、私達のお話聞いてね」
「面白いお話なの?」
「考古学とか歴史とかに興味がある人にとっては面白いだろうな」
 サイが身を前に乗り出した。キョウはといえば、枕を手元に手繰り寄せてクッション代わりにしてすっかりと聞く態勢だ。どうやら語り部は彼女ではなくて彼らしい。
「キョウは下手だから、俺から話すよ。電車で大陸縦断した時の思い出を」
「それはそれで聞いてみたいかな。けど、そっちは学校で話してくれればいいいよ」
「あー、やっぱこっちは違うってばれるか」
 観光旅行の話をするだけなら、無理に家に連れてくる必要など無い。魔導師たる姉弟の家へと招かれた理由は、そこが他に立ち入る者の無い場所だから。
 そうしてサイが語り出したのは、古代ベルカの戦争について、という話。
 始まりの月天王と始まりの夜天の王と不出来な魔導師。守護騎士と呪われた姉弟。彼と彼女と彼女の、悲恋と戦争の物語。






「くっそ、アリサは何処だ?」
 アリサが屋上から何処かへと去ってしまってから10分。彼はひとまず学校内に居ないかを確認するべく一般人が居ようがお構い無しに加速魔法を使いまくって移動。一応隠れて行動はしたので誰にも見つかっていないが、その代わりと言わんばかりにアリサも見つからなかった。だからローグはひたすらに走っていた。
 屋上でアリサが好きだって言葉を聞かれて、どうしてだか逃げられて、それから結構な時間が経った。もう近くにはいないだろうし、何処へ行ったのか見当はつかない。家に電話してみてもまだ帰っていないという返事しか無かった。もう闇雲に探して見付けられるレベルじゃない。
 子供の足だし、そう遠くへは行っていないだろうが、だからといってあても無く探し続けるのにはこの街は広過ぎた。だから素直に家に帰って待てば良い。どのみち夜には帰って来るだろうし、もしかしたらもう家に向かっている頃なのかも知れない。
「だーもう!何処だよ!」
 けど、何故か探していた。
 非効率的だし、疲れるし、時間の浪費かも知れない。そもそも追い掛ける理由すら曖昧で、けどここで追い掛けないなんていう選択肢は無かった。そんな風に探しまわっていると、突然見覚えのある公園に辿り着いた。
 ここがどの辺りかなんてもう分からなくて、出鱈目に走っていたから多分家からも学校からも遠い所なんだろうと思う。そんな家からも学校からも遠くて、その上ローグは普段から公園に行ったりしないので見覚えがあるのは至極不思議だった。いや、見覚えだけじゃない。明確な記憶がある。これはそう、アリサと初めて会った場所。もうずっと前の事、まだ夕陽という漢字すら読めない頃に来た、夕陽星公園。ユウヒボシと読む、陽と星という同時に空には無いだろうそれをまとめて名前にぶち込んだ、なんとも名前の由来が気になる公園。
「あ」
 呆けた様な、単音の声。
 これは偶然か奇跡か?多分あり得ないくらいに都合がいいから後者、奇跡だ。夕陽星公園に探し求めていた人が居た。普段から奇跡なんて信じないと、欲しいものは自分で手に入れろと考える彼にとってはいささか信じられない光景だ。だけどやっぱりそこに彼女は居て、これは奇跡なんだ。
「アリサ!」
 大きな声で、名前を呼んだ。周りには公園で遊んでいる小さな子供も、その親もいて、そんな状況で大声で名前を呼ぶなんて恥ずかしいだけだ。でもなんでだかそうしていた、そんな事されてアリサも恥ずかしい筈なのに、名前を呼ばれて顔を向けたアリサは、嬉しくも悲しそうで辛そうで、でも何処か幸せそうな顔をしていた。
「遅いじゃない、ローグ」
 辿り着くまでの時間なんて関係無い。辿り付いた事実だけが重要だ。そう自分を強引に励まして、申し訳ない気持ちを誤魔化して、ローグは悪態を吐いた。
「お前がこんな場所まで来るからだろ」
「そんなの、私の勝手でしょ」
 アリサはそれを微笑みで一蹴した。その表情はまるでローグの心を透かしたみたいに、嘘を吐くなそんな事考えていないだろ、と言っていた。どうにも普段は散々なまでに弄り倒せるというのに、こういう時だけローグはアリサに常勝不敗の真逆で、強引に文字にすれば常敗不勝だ。
「なあ、アリサ……」
 どう言葉を紡げばいいのか分からなかったけど、とにかく名前を呼んだ。臆病な少年が言葉を続ける前に、開き直った少女が口を開いた。
「屋上での事、恥ずかしかった。会うなりいきなりあんな事言われて、どうすればいいのか分かんなかった。分かる?一緒に帰ろうと迎えに行った矢先に好きですとか言われたのよ私!どうするの?あそこでどうすればよかったのよ!あそこで嬉しさの余り抱き着いて"私も好きです"って言うの?そんなベタにもならない展開なんて漫画でも見た事無いわよ!!」
「あ、ああ」
 まるでマシンガンを彷彿とさせる言葉の連射。考えて出した言葉では無いだろう。少なくとも台本を用意でもしなければ考え抜いた言葉で機関銃並みの連射は出来まい。流石にあれだけ一息に吐き出せば息も切れる。ぜいぜいと肩で息をするアリサを前に、ローグは曖昧に答える事しか出来ない。
 少しして荒れた呼吸がやがて鎮まる頃、意を決したかの様にアリサが口にした。
「私もローグが好き!」
 心臓が、跳ねた。
 マシンガンの弾丸は切れていたらしい。銃口から吐き出されたのは爆薬だった。考え無しの言葉による照れ隠しの機関銃では無く、考え無しの言葉による告白。何も考える事も無く、率直に、一番に出て来た少年に対する少女の感情。同じ考え無しであろうとも、その意味は天と地程に離れている。
「好き」
 同じ言葉を繰り返すアリサ。鼓動が、速くなった。
「……………………うん。ありがと」
 ようやくといった風にローグが絞り出した言葉は、そんな短くて消えてしまいそうな小さなものだった。
 思えば、これはアリサとローグに取って初めての経験。どちらもがお互いを好きだと感じていて、けど明確に言葉にはしていなかった。当たり前だ。相手は家族だし、二人はまだ子供だし、好きだとかの言葉を紡いで雰囲気を出すなんてしやしない。
 だからきっと、これは事実確認。ずっと前からあった出来事を今更ながら確認した、それだけの事。けど、単なる事実確認である筈の行為が、信じられないくらいに嬉しい。
「なーにお礼なんて言ってるの?こういう時は違うでしょ、小学生だからって知らないとは言わせないわよ」
 案の定というかなんというべきか、アリサはその返事にご不満の様だ。であれば必要な、求められる言葉は一つ。子供でも大人でも持っている気持ち。文字にすればアリサの口にしたそれと同じ、けど少しだけ違う意味を持つ。女の子から男の子へのではなく、男の子から女の子への言葉。
「好きだ、アリサ」
 その言葉に、アリサは最高の笑みで返事をした。
 二度目の事実確認も、すごく、嬉しかった。
 もう、どうして逃げ出したとかそんなのどうでもよくって。ただ二人は、自然と手を繋いで帰り路を歩き始めた。



「なぁ、アリサ」
「なに?」
 二人で手を繋いでの帰り道。ローグは一つだけ確かめて置きたい事があった。
「あの公園ってさ、なんなんだ?行った事無い筈なのによく覚えてないんだ」
「うっわ、信じらんない。あの公園の事忘れてるなんて」
 聞いてみたら、すっごいしかめっ面で返された。言葉が足りなかったか、と少し付け加える。
「あそこがお前と初めてあった場所なのは覚えてるよ。夕陽星なんて名前珍しいから忘れる訳ないし。分からないのは、どうして俺とアリサがあそこで会ったのかだよ」
「ふう、仕方無いわね。一回だけ教えてあげるわ」
 嘆息して、アリサはローグの手を強く握り締めて言った。この事実、忘れるなと言う様に。
「ローグが初めてこっちに遊びに来た時にね、私が迎えに行ったのよ」
 ああ、そういえばそんな事もあったな、と記憶が蘇る。今よりもまだ全然幼い頃の記憶、そんな曖昧な筈のものが何故か詳細な映像と音と質感を持って再生された。大袈裟な程にリアルな情景が頭の中に浮かぶ。
「本当は鮫島と車で迎えに行ったんだけど、途中の道で工事しててね。知らない場所で待たせて不安がらせるのが嫌だったから、私は止めようとする鮫島の言う事を聞かずに車から降りたの」
 自分は見ていない、聞いていない場所の出来事。まだ自分自身も、公園も出て来ていないのに、言葉が紡がれる度に記憶がリプレイする。
「で、約束の場所に行ったんだけどね、そこに居たのはローグのお母さんとランだけだったの」
 記憶がリプレイする度に、情景の中覚えている筈の無い部分すら鮮明に明確になって行く。自分の歩いた道、ふとみた時計の針の位置、道行く人達の表情や数。すれ違う人達がどんな服を着ていたのか、耳を傾ける筈の無い他人の会話まで明確に聞こえる。まるで録画した映像を再生しているような、記憶のリプレイにしてははっきりし過ぎているものが見える。
「ランに話を聞けば、ローグも私達を迎えに来ようとしていたらしいの。けど知らない土地だからね、迷子になったみたい」
 ラン。ランナウェイ・バニングス。事故で死んでしまった大切な弟の顔も、まるで眼の前に写真がぶら下げられているくらいはっきりと思い出せる。
「体の弱いランを連れて探し回る事も出来ず、かといって置いて行く事も出来ず、おばさんは困っていたわ。だから私が代わりに探しに行ったの」
 もう全部思い出していた。夕陽星公園に辿り着いた理由も過程も、どういう風にアリサとそこで初めて会ったのかも。でも彼女の話を止める事はせず、それをずっと聴いていた。
「で、探して探して探してようやく見つけたのがあの公園だったって訳」
 思い出した?そう瞳で訴え掛けて来るアリサに、ローグは頷きで応えて。
 ギュッと手を握り締める事で詫びた。もう絶対に忘れない。初めて出会った、なんて事ない出来事を忘れないと。
 だけど、二人の幸せはここまでだった。
「うん。なんとなく、来るだろうとは思ってた。そろそろ一時間だし」
 イリス・ブラッディリカ・サタン・サクリファイス。生贄の名を持つ者。嫌らしい微笑みで立ち、ローグとアリサを冷静に見つめる魔導師。
「さて、ヌシ。始めようか」
 会うなりそう言って、イリスは自分の足元の影から出て来た棒を掴み取る。半ば以上に影の中に埋もれているそれを、ぐいっ、と影から引き抜く。在るのは、大きな大きな斧だった。
 ヒュンヒュンヒュンという風切り音を走らせて斧を回し、調子を確かめる。うんうんと何度か頷き、やがて一振り。
「うむ」
 空気薙ぐ斧が、とても恐ろしかった。
「帰ってくれないか?後にしてくれないか?やめてくれないか?手加減してくれないか?」
「全部却下だ」
 そんな事は初めから分かっていた。だから全部纏めて応えられるように一息で言ったんだから。だからその一息で言い切るまでの短時間で、アリサとのこれまで通りの時間がもう無い事に対しての覚悟を決めた。
 覚悟を決めた、と思いこんだ。
「ソウガ」
 ローグは掌にシルバーアクセサリーを模っていた月天物語を握り締める。もう片方の手は、アリサの手を握ったままで。一瞬群青色の閃光が煌めいたかと思えば、彼の片手には書物が握られていた。
「セットアップ」
 その声を最後に、二人の手は離れる。
 顕現する、双剣の端末。
「始めよう、ヌシ」
 どうしてイリスがこんな事を考えたのか、実行したのか分からない。元よりこの命、イリスに拾われたも同然なのだから彼女の好きにしてもいいと、彼は半ば以上本気でそう思っている。
 けど、アリサ・バニングスを巻き込むというのであれば、それは敵だ。排除すべき障害。打ち倒すべき悪。彼にとっての、敵だ。
「アリサ、離れてろ」
 敵は、討ち滅ぼさなければ心残りが強過ぎておちおち死んでもいられない。
 構える影の斧と、双剣。大気震わすその強大な魔力の揺さぶりが、決戦の合図となる。



第八話 完


『知りたくなかった事と知らないといけない事は同じだった』





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