第九話「知りたくなかった事と知らないといけない事は同じだった」






 黒い斧が振り回されれば、双剣が振り回される。
 三つの刃が交差すれば、火花が散る。
 そんな一般人の処理能力を超えた行いをする事で、何度でも彼は彼女を恐怖させる。
 それでも、背負うものは何より大切だから、魔導師は戦う。
「ソウガエイセン!」
「振りが遅い、踏み込みが浅い、思い切りが足りない。素人の攻撃だ」
 ローグの振り降ろす二つの刃を、イリスは一つの刃で受け止める。自分の身長程もある大斧を、まるで重量が無いかの様に軽々と扱う。その上逐一ローグの攻撃を評価しては、やれ単調だやれ未熟だと酷評ばかり。当たり前だ。ローグは戦闘訓練なんか受けていないただの子供。これまでの相手は、単に力押しでどうにかして来たに過ぎない。事が技術面に及ぶのならば、彼は誰よりも弱い。シグナムやフェイト相手に真正面から切り合ったのなら、瞬く間に地に顔を付けている事だろう。
「ほら、これは受けきれるか?」
「それくらい!!」
 イリスが遊ぶように斧を振り下ろす。加減されたその速度ですら、ローグにとっては斧という像の残影しか捉えられない。彼が見ている光景は数瞬前のもので、実際は眼に映る光景の一歩以上先へ進んでいる。だから眼に映る光景をそのまま信じはせず、斧の残影とと少ない経験から攻撃の軌道を予測し、そこにソウガを滑り込ませる。
 耳を貫く金属音。どうやら拙い戦闘技術でもどうにか防げたらしい。それが運なのか、はたまたイリスがわざと防がせたのか、知る由は無いが。
 衝突して鍔迫り合い状態となった刃が、チリチリチリチリと擦れて行く。接触し続ける三つの刃がお互いの刃の上を滑り続けるならその分だけ正確に、魔力の塊同士が擦れて弾け力が周囲へ飛び散る。
「くっ」
「ふんっ」
 一呼吸。やけに長く感じられた刃の触れ合っていた時間は僅かに一呼吸分。ローグはそれを勘で、イリスはそれを自分の呼吸が刻むバラバラなリズムを測って知る。
「温いな。そんなものであのアリシアに勝てたとは思えん」
「そんなのどうでもいいだろ。第一、なんであんたが仕掛けて来るんだよ」
 二人が距離を取り、会話を始める。戦闘が開始してからおよそ数分。初めてアリサが状況の認識に使える時間だった。
「これは……何?」
 アリサが、眼に見えるもの一つ一つを確認していく。
 大切な男の子、ローグ。何時か何処かで見た大人の女性。ローグの持つ、肩から指先にまでもある双剣。大人の女性の身長と同じくらいある真っ黒な大斧、女性の身長が170だとしてそれと同じくらいの鋼の塊。
 少年が、女性が一歩踏み込むだけで数メートル動くのは当たり前。自分の眼に止まらぬスピードで、アスファルトを一撃で砕く力で、人の命を一瞬で奪える刃を振るい、その光景をさも当然の様に受け止める二人。
 ただただ、怖かった。
「ローグ……なんなの?」
 だんだんと訳が分からなくなって来た。脳は考える役割をゴミ箱に放り投げるし眼はモザイクだか砂嵐だかよく分かんない視覚妨害するし耳は鼓膜をゆるゆるのだぼだぼにして空気の振動をろくに拾わない。足はコンクリートで膝まで塗り固められたかの如く動かない。心臓の鼓動が不必要に詳細に渡り伝わる。血流さえ感知する。気付けば掌を硬く握り締めていた。きっと、指が寒さで震えるから、それを隠す為に。
「目的の為だ」
「目的か。あんたの目的が何か知らないけど、アリサを巻き込むな」
「拒否させてもらうよ」
 どんな滅茶苦茶だって、とても簡単に言う癖に、イリスの言葉はどうあっても動かないくらい重く固い。それを肌でこれまで何度も感じ取ったローグには分かる。こいつは、何があってもアリサを巻き込む気だと。
「俺ならいい。あんたに救って貰った命だ、あんたが本当に必要だと思った時に使われても文句言わないし言えやしない。けど、アリサは関係無いだろ!」
 ローグもイリスも、目の前の相手に集中しているのかアリサの様子に気付かない。いや、気付かないのは戦闘に意識を持って行かれているローグだけだ。イリスはチラチラとアリサの様子を窺ってはその精神の混乱状況を探っている。
 観察しながらもイリスは圧倒的な速さで大斧を振る。フェイトやシグナムの刃以上の速度で、なのはの砲撃以上のパワーで、ローグの双剣以上の連撃を。
 不敵な魔導師は、あらゆる面でローグを上回る。攻撃は速いし重いし予測不可能。防御の技術だって比べ物にならなくて、振る刃も打ち込む拳も脚も、全部全部受け流される止められる。魔法の技術だって、確かめてはいないが比べ物にならないだろう。なんせ相手は、人の腕を丸ごと一本造り替えるだけの魔法をいとも簡単に扱うんだから。
 明らかに手加減されていると、ローグは肌で感じ取っていた。自分とイリスのスペックを比べると、自分は何一つイリスを上回る事が出来ないと知らされる。
 これに勝つ手段があるとすれば、時の庭園で行った魔力素の過剰摂取をもう一度行うしか無い。だが、あの行為は時の庭園という狭い空間だから出来た芸当であり、海鳴市、ひいては日本、地球という大気で繋がる一個の超巨大なフィールドでは魔力素を取り込む効率が悪過ぎる。時の庭園の再現は、可能だが不可能だ。
 二人が斧と双剣を何度も交差させていると、不意にイリスが微笑んだ。
「ねえ!」
 それは、堪え切れなくなった恐怖が爆発する合図だった。
「ローグ、何してるの?それに、そっちの人…………確か、イリスさん。あなたも、何なの?」
「アリサ……」
 突然の声に驚き、振り向く。そんなローグを無視して、イリスは質問に対して正確に答える。
「私は悪い魔法使い、イリス・ブラッディリカ・サタン・サクリファイス。君達の敵で、そこのヌシ、ローグの命の恩人さ。普通とはちょっと意味合いが異なるがな」
「おい、イリス!」
「私は今、そこのアリサと会話しているんだ。割って入るというのは礼儀に欠けるぞ」
「知るか!いいから止めろ!お前の相手は俺だろ!」
「ローグ!」
 いきなり、いきなり彼の背筋に悪寒が走った。曖昧だけど、とても確かな悪い予感。
 致命的な問いの予感。
「それは……何なの?」
 アリサの言う"それ"とは、無論ソウガの事だろう。突如としてローグの持つアクセサリが変化した双剣、とても現実味の無いもの。そう考える事こそ一般的な推測だろうけど、ローグにはどうしても"それ"という言葉が自分自身を指している様に思えた。
「答えよう。アリサ・バニングス」
 ローグはアリサの質問に答えない、動けない。だから代わりにイリスが答える。
「ローグの持つ双剣、ソウガはデバイスというもので、要は魔法使いの杖と捉えればいい」
「何よ、魔法使いの杖って。じゃあローグは魔法使いだって言うの!」
「その通りだ。ただし」
 ようやく、ローグの体が動く。ここから先だけは言わせてはならない、知られたくないと本能的に察知したから。会話中に割り込もうと卑怯な不意打ちだろうと構わなかった。

 Vanishing step――

 全力の踏み込み。神速の一歩。あるだけの力全てを注ぎ込んだ彼の瞬間的最高速度を導き出す魔法。ただ体ごとぶつかる為のがむしゃらな突進。
「そいつは本物のローグウェル・バニングスでは無い。オリジナルの完全なるコピーだ」
 ローグの全力の突撃。しかしイリスはそれが牛歩に見える速度で避け、言った。
 彼も知らない、彼の真実を。
「ぐっ」
 舞い上がる土埃。
 後先考えずに敢行した突進を避けられ、たたらを踏む。転びそうになるのを必死に堪えて制止し、振り向き、睨む。
「それは……」
 アリサの声に。
「どういう事だ!」
 ローグの声が繋がる。
「そのままの意味だ。訳してやるとな、お前は月天物語という超大容量ストレージデバイスに記録されたローグウェル・バニングスの人格をロードしたものだ」
「ロード…………人格を、読み込む」
「そう。お前が初めて月天物語に触れた時、お前の全情報は月天物語というデバイスに記録された。そしてお前はフェイト・テスタロッサに殺されて、死んだ。というのは誇張表現だがな、外れてはいない」
「――っ!」
 イリスの言葉にアリサが息を呑む。フェイト・テスタロッサとは、最近友達になったなのはとローグの友達の名前ではなかったか?もしそうだとしたら、もし同姓同名の別人では無く、アリサの知るフェイトの事であれば、それは……
「フェイトがお前の体を貫いた時、お前は死んだ。そしてお前は後にこう言った。"自分はきっと今、精神だけで生きている"そんな夢物語」
 また、出て来た。フェイトという名前を聞く度に、自分の知っている少女の顔がアリサの脳裏に浮かぶ。それは違うと否定したいけど、否定しきるだけの要素が無い。
「確かにお前は生きていたよ。ヌシの精神は、記録されたローグウェル・バニングスという人物の全情報の一部。それが存在するという事は、即ち生きているという事だ」
 かつてイリスは、ローグに心創書物という名の魔法を課した。それは試験。月天物語から人格をロードする権限を得る為の試験。即ち、魔導書の主となる為の試練。月天物語と言う魔導書は、主の人格を保持し、死を拒否させる。
「訳が分からないな。もう少し優しく教えてくれないか?」
 ローグは、これから自分にとって良くない事を聞かされると分かっていながらも、好奇心を抑えられない。その恐怖混じりの好奇心は、傍らに存在するアリサの存在感を希薄にする程強烈だ。
「ヌシは、既に死んだローグウェル・バニングスの人格を完璧にコピーした同一の別人だ。何度砕けても蘇る疑似肉体、魔力構成体という形無い器に入れられた、何度殺されようともその度に記録を読み込み誕生する存在だ」
 その言葉の意味を薄く理解した時、ローグとアリサの思考は止まった。
「ヌシは、疑似肉体を再構成する度に別のローグウェル・バニングスとして生まれ変わっている。そうそう、時の庭園で魔力素となって移動をしていた時も、魔力素移動というあの転移魔法の使用一回ごとに記録をロードして、別の"自分"となっていたんだぞ」
 その言葉を前に、彼は必死に口を動かす。
 恐ろしいまでの現実感を伴った、最悪な予想。
「じゃあ、俺はなんだ?俺は…………俺でいいのか?」
「ああ、間違い無くヌシはヌシさ。ただ、真っ当な存在ではないがな。あれだよ、人間一個人を映像や音楽のマスターとすれば、今のヌシは販売用に作られた量産型だ。ただ、常に世界に一つしか存在しない、な」
「それじゃあ!」
 喉の奥から声を絞り出す。掠れた叫びが、イリスの耳にだけ届く。
「それじゃあ俺は、偽者じゃないか!」
「本物だよ。全情報を一切の漏れなく記録したデータを読み込んでいる。そしてそれは万分の秒単位で更新され、常に最新のローグウェル・バニングスを更新し続けている。完全な記録からの完全な読み出し、完全なるコピーだ。中身が同じなのに偽物という事はあるまい。コピーが偽物なら、デジタルな世界は偽物だらけだし、アナログだって偽物ばかりだ。雑誌なんて偽物の塊になってしまうぞ」
 イリスの言っている事は正しい。何を持ってそれが偽物とするか、考えは様々あるだろうが、彼女の言っている事が間違っていない事なんて分かり切っている。
 でも、感情はそれを認めない。
「なら、俺とアリサの約束は、ランが死んだ日の約束は…………今の俺は、していないのか?」
「その約束とやらが何時の事かは知らんが、少なくともフェイトと出会うよりも前の出来事ならば、同一の別人がした事になるな。確実に」
 例えば野に咲く花の様に。本当の本物はそれ一つだけだと感情が伝える。確かに、野に咲く花は、どんな場所に咲いていたって花だ。何回も枯れたって、何回も種から育ち花開いたって間違い無く花だ。けど、この場所この日付この時間この人の前で咲いている花はたった一輪だけだ。その場所に何度同じ種を蒔いて芽吹いて育って花開いても、それは同じなだけの別物だ。
「俺は…………俺は!」
「ヌシは、ローグウェルだよ。正真正銘の。何人目かは知らないがな」
 冷たくて崩れない薄い笑みのイリスと、熱くて崩れそうなローグの表情とを遮って、理解の範疇どころか頭の許容量を超えた声がした。
「なんなの!もう、訳分かんないよ!なにがなんなの?どうして、どうしてローグはそんな顔してるの?何があったのか分かんないよ!」
「そうか、私の言葉では理解出来ないか。ならば高町なのはに聞いてみるといい。あいつなら、私よりはお前に理解させやすいかも知れん。それとも、月村すずかが適任か?」
 その名前を、"高町なのは"という名前と"月村すずか"というを聞いた途端にアリサの中で何かが弾けた。全て、全て自分のすぐ近くで起こっていたと思った。
 なのはも、すずかも、フェイトも、ローグも知っていた。自分が知らない何かを知っていた。それが、死んでいるだの同一の別人だのといった理解不能な言葉の中に居た。自分だけ、そこにいれなかった。
「アリサ!」
 ローグの言葉を背に、アリサは走り出していた。もう何が何だか分からないから、何が何だか分からないままに走った。
 呆然と、何も言わず、動かずにその光景を見詰めるローグ。不敵な笑みのイリスが話しかける。
「追わないのか?」
「追って、それでどうしろっていうんだよ。俺は、今までアリサを騙してきた上に、本物じゃないんだぞ」
 その言葉が吐き出されたすぐ後に、イリスは何処かへと消えてしまった。
 後に残ったのは、過激な戦闘行為で破壊された路上の風景と、どうすればいいのか、自分が何なのか分からなくなったローグだけだった。






「――はあはあはあはあはあ」
 アリサは全力で走った。目的地を決めないで、ただ目の前の道をひたすらに走った。考えをまとめる時間が欲しかったけど、そもそもまとめられるだけの知識があるとも思えない。少し話を聞いただけでもとても理解出来ないと分かったから。少なくとも、今のアリサにはデバイスだの魔法だのという事を余りに漠然としか知っていない。
「はあはあはあはあはあ」
 だから走った。動けなくなるまで走れば、少しは気も晴れるかも知れない。でも、そもそもどうして気分が沈んでいるのかも分からない。だから走った。
 がむしゃらに、前も確認せずにただ走っていただけのアリサは何時の間にか知らない道に迷い込んでいた。並木道を抜け、石畳の長い坂を上り、草の生い茂る坂を下り、疲れ果てて止まり、でも息を整えて走った。
 とくにかく遠くに行きたかった。何に対して遠くなのか、分からない。けど何度疲れて立ち止まっても、必死に息を整えてまた走りだす。
 しばらく走った後、ようやく疲れ果てて、息を整えるだけの体力も無くなり、誰も居ない道の脇に倒れる様に膝を着く。次いで両手を着き、四つん這いに近い姿勢になる。ぜいぜいと息を吐き、狂った呼吸を整えようとする。だが、それは叶わない。
「……あ…………あぁ」
 漏れる言葉は意味を成さない。ここが何処なのか、そういう事を考える程度にも頭は働いてくれなくて、壊れたラジオみたいにノイズ混じりの音を、まとまらない理解不能な情報をぐるぐると回転させるだけ
 アリサは呆けたまま、しばらく時間が過ぎる。
 夕焼けの空。夕陽が沈みかけて、もう陽が暮れる刹那に僅か煌めく一番星。
 暗闇の空。夕陽が沈みきって、もう陽が暮れて次に陽が昇るまで輝く無数の星。
 寒い。
 夜になって気温が下がったからか、身を震えさせる程に肌寒い。アリサは寒さでようやくまともな思考を取り戻す。
 帰らなければ。
 何処に?家にだ。
 誰が居る家?家族だ。
 家族って?父と母と使用人と――
 アリサの思考は正常では無い。酷く沈んだ気分で、動かない頭で、でも帰らなければと歩き出す。疲れているので、もう走る事は出来ない。とぼとぼと歩を進め、曲がり角に差し掛かる。自分が今何処にいるのか分からない事も忘れて無意識に曲がる。その時、ちょうど曲がり角から人が出て来た。
 アリサはぼーっとしていたから、必然、その人物に衝突した。体重全てが曲がり角から現れた人物にのしかかり、二人で地面に倒れ込む。痛みは無かった。二人はちょうど重なる様にして倒れ、アリサは覆いかぶさる側だったからだ。
「え」
 小さな可愛らしい声が聞こえた。どうやらぶつかった相手は女の子らしい。アリサはぶつかった事を謝罪するとか、普段であれば当たり前に考え付く事が今は出来ない。ひとまず両手を地面に付き、立ちあがろうとする。
「アリサちゃん?」
 だが、上半身を起こした時に聞き慣れた声に名前を呼ばれた事でその動きは制止する。
 アリサがぶつかった人物は、すずかだった。
 何か良く分からないけど、尻餅をついたその態勢から立ち直っていないすずかの上に馬乗りみたいな状態になった。意図してでは無いけど、まるですずかを逃がすまいと押さえつけている様な態勢になる。ふと、混乱したままだった頭が導き出したのは、イリスの言葉。すずかならば、ローグの事を教えてくれるのかも知れないという怖い期待。
「すずか…………教えて」
 知らず、声が漏れていた。
「アリサちゃん?」
 いきなりのそんな言葉に困惑するすずかだったが、どうしてとかそういう疑問よりも何よりも、まず彼女はスカートのポケットからハンカチを取り出した。すずかはハンカチでゆっくりとアリサの眼元をなぞる。本人も知らぬ内に流れていた涙が拭われ、ハンカチを少しだけ湿らせた。それから壊れ物を取り扱う様にアリサに立ち上がる様促したすずか。
「どこか座れる場所に行こう。私が知ってる事ならなんでも応えるから」
 アリサはその言葉に、頷きだけで返事をした。



第九話 完


『負けないよ』






あとがき
 どうもー、なんかオリキャラばっかり目立ってなのは達置いてきぼりな状態になってしまいましたギャバです。アリサもメインで出てはいるんですが、今のとこあんま目立って無いので頑張らねば。
 もう一、二回分したらなのは側に戻る予定です。
 というかはやて達の出番が少な過ぎて、ちゃんとキャラを回せてないなーって思ってます。や、オリキャラが目立ちまくってるからか。
 ともかく、これからも頑張りますので。ではー。





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