第二十話「魔導書との繋がり」






 まだ陽が出ている時分にカーテンを全て閉め切り、外界からの光を遮断する。物理的な遮光手段に加え、ユーノ・スクライアの結界魔法を使用し、外部からの光、加えて音を、そして念話等の通信手段を遮断する。
 八神はやての家のドア、外界と行き来する手段であるそれに鍵を掛け、閉ざす。無論、窓にも全て鍵を掛けて閉ざす。
 さらにはサイとキョウにより、結界魔法ラインリッパーをユーノ・スクライアの結界の外部に展開。魔法的知識等を持ち合わせぬ物からの認識を遮断。
 室内にある有線固定電話、テレビアンテナからテレビへと繋がる線、あらゆる家電製品のコンセントを引っこ抜き、繋がりを断つ。携帯電話等の外部から電波を受信する機器類全ての電源を切り、双方向片方向関わらず繋がりを断つ。
 水道やガスの元栓を締め、ブレーカーを落とし、換気扇にタオルを詰め込む。風呂場、台所の排水溝にはホームセンターで買って来た栓をする。
 他にも、考え得る限りの八神はやての家内部と外界との繋がりをことごとく断つ。
 そうして、準備は整った。
「面倒な準備ご苦労様。さて、説明するわね」
 キョウがやや畏まった口調でそう言った。
 訳も教えられずにともかく外界との繋がりを出来るだけ断て、なんて無茶な指示に従ったなのは達に一応は感謝している。特に、限定生産のアイスや足の早い魚介類、消費期限の近い肉類の仕舞われている冷蔵庫のコンセントを抜く事を許可したはやてには感謝している。明日の朝、ニュースで食中毒騒ぎが伝えられない事を祈っておく。
「今から行うのは、闇の書の防衛プログラムと転生プログラムを闇の書本体から切り離す行為。簡単に言えば、ゲーム機からコントローラーを引っこ抜く行為に近いわ。闇の書というコントローラーが防衛プログラムに起動命令を出しても、繋がって無いんじゃ動かないからね」
 キョウは淡々と、しかし場を重くする事無く冗談を交えて言った。真面目に取り組む者からすれば不謹慎かも知れないが、分かり易くはある。
「そして、プログラムを切り離した後はすっごく簡単。見張りがいないんだもの、どんな改造だってやりたい放題よ。はやてとのリンクを完全に無しにしちゃう事だって、おやつを食べる片手間で出来るわ」
「そんな事出来るの? もし出来るなら、もうやってる気がするけど」
 キョウの言葉になのはが疑問を持つ。
 闇の書とプログラムの関連を切るなんて手段は誰でも考え付く。ヴォルケンリッターがそれによってはやてを救おうとしないのは、出来ないからである。
「プログラムに強制干渉しようとすればプログラムは動き出すわ。本来、直接プログラムを操作出来るのは管理者だけだから。安全装置みたいなものが働いてしまうのよ」
 シャマルがなのはの疑問に答えた。
 防衛プログラムという、本来は魔導書とその主を守る存在が立ちはだかり、手を出せないからヴォルケンリッターは闇の書を完成させようとしていた。手を出せるなら既にそれは行われ、はやては闇の書の呪縛から解放されているのだ。
「まぁ落ち着きなさいよ。防衛プログラムを作動させずに切り離すのは、普通にいったら無理よ。けどね、こっちには魔力構成体が、つまるところ魔力の塊が居るの。疑似肉体を動かす事が、自分の頭で考えた通りに質量を持つ濃密な魔力を操る事が出来る人がね。それの応用で魔力の流れを変えればいい」
「つまり、どういう事なの?」
 なのはが先を促した。
「簡単よ。何かがプログラムに干渉した際、安全装置はプログラムに"動け"と命じるわ。つまり、安全装置がプログラムに向かって"動け"と魔力を流すの。その流れを、ローグにちょちょいと操作して貰って辿り着かない様にすればいい。流れる魔力をミスリードして間違った道に招き入れるのよ。そしてその隙に、プログラムを切り離す」
「なぁ、そんな事本当に出来るのか? 安全装置ってのもプログラムってのも闇の書の内部にあるんだろ? そこに干渉するなんて、その上本来とは違う道筋をなんて、出来るとは思えないけど」
 ローグがキョウへ訪ねる。はやてを救う為の行為に自分の力は必須らしいのだが、どうにもここまであっさり言われると不安になる。
「だから言ったじゃない。簡単だって。闇の書の中には魔力を走らせる為の道が無数にあるわ。魔法検索機能とかそういうのに使う道がね。こっち行くな、あっち行け。それでいいのよ」
 なんとも単純な理論だ。だがしかし、単純であるが故に結果は疑いようがない。分かれ道で左右どちらの道へ行くか。たった一つ、分岐を違えてしまえば行く末はまるで違う場所なのだから。
「切り離したプログラムは煮るなり焼くなり好きにすればいいわ。都合が悪くなければ管理局の施設で研究してもいいんじゃない? こーんな貴重な手土産を持って土下座して謝れば、管理局の人も意外とあっさり許してくれるかもね」
 キョウが茶化す様にして言った言葉は、 冗談なのか本気なのかいまいち判断出来ないものだった。



「さて。さっきの説明の通り、この作業にはローグか、もしくはエーティーだっけ? あなたの協力が必要になるわ」
「私は遠慮しておく。この体には不慣れだから、ひょっとすると手先が狂うかも知れない。はやての友達で私よりもこの魔力の塊歴が長い人に任せるわ」
 キョウの提示に対し、真っ先に拒否の意を示すエーティー。この弁には場の全員が納得し、自然と魔力のミスリードを行うのはローグの役目と成る。
「次、なのはにも手伝って貰うわ」
「え、私?」
 よもや自分にお鉢が回って来るなど思っていなかったのだろう。なのはがやや間抜けな声を挙げる。
「そう。ローグが流れる魔力をミスリードするだけじゃなく、誰かがプログラムに繋がる道を埋める必要がある。その役目はありとあらゆる事に干渉し、原因をすっ飛ばして結果を与えるあなたのレアスキルが最適なの」
「そっか。カスタマイザーって、そういう使い方もあるんだ」
 なのはは自分の左掌を胸の高さまで上げ、見詰める。
 触れる事で原因と結果、所謂因果という物を無視してしまうトンデモ能力。こんな形で役立つなんて思ってもみなかった。
「プロテクションとか、魔力障壁系の魔法を使うイメージをすればいいわ。壁で全部遮る感じね」
 なのはは広げた掌を勢いよく、グッと握って視線を上げた。
「分かった。その役目は任せて」
「後はシャマルがサポートに入るわ。闇の書内部は複雑だから、ちょっとばかし案内して貰わないといけないの」
「私は内部の様子の見張りもするから、もし何か問題が起こればすぐに分かるわ」
「何も無いとは思うけどね」
 一通りの説明が終わり、後は実際に作業に入るだけとなった。その折を見て、すずかが手を挙げる。
「キョウちゃん、いいかな?」
「なーに、すーちゃん?」
「あのー、私達は?」
 すずかの質問に呼応する様に、隣でアリサがコクコクと頷いている。この場に居る全員ははやてを助けるべく集まったのだ。となれば、すずかやアリサにも当然役割がある筈だ。
「応援係。ただし静かに」
 だが、古代ベルカから生きる守護騎士さんは非情だった。いや、ある意味では優しいのかも知れない。余計な希望を持たせずにばっさりと、後ろで見てればいいです、と伝えたのだから。
「ちょっと! じゃあ私達はどうして集められたのよ!」
「だって、仲間外れにしたら怒るでしょ?」
「うぐっ」
 キョウの言葉は核心を突いていた。自分が関わった物事の結末を見れないのは非常に歯がゆいものがある。それが自分の友達に関係するとなれば尚更。事は街で無数にすれ違う自分の人生とは余程縁の無い、その他大勢な通行人Aとかの事情ではないのだ。
「さ、早くやりましょう。折角外界との繋がりを断って集中しやすくしたんだから」
 シン……と静まり返った薄ぐらい室内。余計な物音は勿論、不意に射す陽光や宅配便、電子機器の充電完了音に炊飯器のアラーム、冷蔵庫の低い唸り声さえ握り潰された空間。さらには儀式めいた雰囲気によって生み出される場の空気。精密な作業にはそれに適した空間を。魔的作業には魔的作業に適した空間が求められる。
 遊園地の賑やかさ、祭りの喧騒と祭囃子、アーティストのライブで最高潮に達した一体感、恋人同士の生み出す他人が近寄ってはいけない感じのムード。行動にはそれに適した空気が求められる。今の八神家は、映画上映直前で携帯電話の着信音が鳴り響く、そんな空気をぶち壊す要素の無い空間だ。



「ローグもキョウちゃんもサイ君もシャマルも、ありがとうな。私の為にこないしてくれて」
「気にするなよ。友達が困ってて、俺が力になれるなら手伝うのは当然だろ」
「そうそう。困ってる人は放っておけないよ」
「私達はずーっと昔の約束を守ってるだけだし」
「だな」
「私ははやてちゃんの家族だから。当たり前よ」
 はやての言葉にそれぞれが思った事を口にする。ここまで来て畏まった言葉なんて欲しくない。それよりも欲しいのは、はやてが闇の書の呪縛から放たれる事実なんだから。
 それぞれに返されて、はやてはなんだか温かい気持ちになった。不思議なものだ。一年も前は、足の所為でろくに学校に通えず、その所為で友達もいなくて、家族さえいない寂しい毎日だったのに。気付いてみればこれだけたくさんの人と知り合って、家族になり、友達になった。未来の事など、今日では分からない事なんだろう。
 そうやって安心みたいな気持になったはやての胸中、ふと一つの考えが浮かんでしまった。足を治す事が出来る。その事実に浮かれていて失念しかけていた事。闇の書の呪縛から解放される。即ちそれは、自分が闇の書となんの関係も無い一般人へと戻る事。そうなればシグナムとヴィータとシャマルとザフィーラは、はやての家族とはなんの繋がりもなくなってしまうのだろうか?
 一瞬、そんな漠然とした、けれど目の前に迫っている不安に気付いてしまった。
 ああ、いや、今さっきシャマルが言ったじゃないか。家族だから、と。
 疑うな。別にはやてがヴォルケンリッターの四人と家族になったのは闇の書があったからじゃないだろ? 切っ掛けはそうだったにしても、些細に過ぎる。重要なのは切っ掛けじゃなくて、今とこれから。はやてとその家族がどうしたいかだ。
 そうそう、ついでに一つ思い出した。ヴォルケンリッターの面々は、はやてに黙って蒐集行為を行っていた。
 自分の為にしてくれた事だけど、人に迷惑をかけるてしまったんだから後でちゃんと怒らないと。うん。みんなの食事から各自の好物だけ抜き取って置くというのはどうだろうか? 割と効果的な怒りの表現方法かも知れない。一日や二日では気付かないかも知れないが、一週間も続ければ気付くだろう。そうして知って貰わねば。八神はやては怒っている。人様に迷惑をかけた事と、危険な事をしたその両方に。心配で心配でしょうがないから、どうしても知って貰わないと。
「八神、こっち居ると危ないかも知れないから離れてろよ」
「うん、そやな。そうする」
 ローグの声で思考の海から引き揚げられたはやては、シグナムの手を借りて他のみんなの元へと向かった。
 ヴィータとザフィーラはローグ達の作業が始まるのを今か今かと凝視しながら待ちかまえている。ユーノは作業の準備を興味深そうに窺っていて、アリサとすずかは特別に心配している訳では無いのだろうか? アルフとお喋りをしている。
 エーティーはフェイトにべったりくっつく様に座って、フェイトの顔をずーっと見詰めている。どうして見詰められているのか分かっていないフェイトが少し困っていて、けど悪い気分では無さそうだ。
 やがて準備が整ったのか、キョウが声を挙げた。
「始めるわ」
 瞬間、今まで十分に静かだと思っていた空間が一層静まり返った。静寂が過ぎて、鼓膜が振動を一切拾わない。耳が痛い程の静けさと、時間が正常に流れている事を疑う程に静止している物体。何時の間にか全員の視線は闇の書を前に構える五人に向いていて、身じろぎ一つしない。
 そうして、作業は始まった。



 テーブル等の大きな物を移動させて十分にスペースを取った居間の中央。
 そこに闇の書を置き、表紙にローグが右手を乗せる。力は込めずに、あくまでも乗せるだけ。
「心を落ち着けて。あなたが失敗すればプログラムが動くんだからね。転生に巻き込まれたり、防衛プログラムに殺されたくなかったら失敗しないこと」
 アドバイスのつもりなのか、プレッシャーを与える気なのか分からないキョウの言葉に、ローグは頷きすら返さない。ただ真っ直ぐに闇の書を見つめ、右手に全ての意識を集中させる。
 頭の中に構築される映像は、トンネルだ。上下左右を壁で覆われたトンネルは、分岐点以外では前に進むしかない強制力を持つ。故にトンネルの映像をイメージしつつ、道を構築する。
 真っ直ぐ、真っ直ぐ続く、闇の書に組み込まれた安全装置から防衛プログラムまでの道。その道中に一点、分岐点を、道を構築する。繋がる先は、大量の魔力が流れ込んでも問題の少なそうな魔法検索プログラムのある場所へ。
 死んだ様な静けさの中で行われる儀式的行為は、執り行う者達以外にはどんな状態なのか窺い知る事は出来ない。
 だからローグが道を構築し終えても誰も知る術は無い。ただし、何事にも例外は存在する。その例外とは、この場ではサイとキョウを指す。月天王の守護騎士たる二人は、月天王であるローグと無意識下で常にリンクしている。そのリンクを伝い、状況を知るのだ。
 キョウがゆっくりと、生まれたての赤子を抱く慎重さでローグの背に触れ、瞼を閉じる。瞬間、キョウの脳裏にローグの触れる闇の書の情報が流れ込む。
 安全装置とプログラムを繋ぐ道の途中、確かに本来は存在しない筈の分岐点が構築されている。確認が終わるとキョウは瞼を開け、ローグの背から手を離す。そしてなのはに向き直り、仕草で指示を出した。
 なのはは頷きだけで応え、闇の書に手を触れる。
「お願い。私のレアスキル。はやてちゃんを助ける力を貸して」
 誰にも聞こえぬ様に口の中で呟き、神経を研ぎ澄ませる。イメージするのは、壁。力士の体当たりもトラックの衝突もミサイルの直撃もRPGに置ける最強攻撃魔法も寄せ付けぬ壁のイメージ。果て無く果て無く強固なイメージ。
 想像するのは勝手だ。どこまでそのスペックを伸ばそうと自由だ。故になのははイメージする。絶対砕けない、というあやふやな言葉では無く、はやてを助ける為に砕けない、という壁を。
 カスタマイザー、起動。
 高町なのはの魔力を使用し、高町なのはのイメージする壁を構築。対象、闇の書。本来は干渉不可領域の為、高町なのはの掌と闇の書内部とを繋ぐショートカットを作成。高町なのはのイメージした壁を出力。ショートカットを介し闇の書内部に固定。
 そうやって壁を作り終えた後、なのはは闇の書から手を離す。
「出来たよ」
「壊れない壁になってる?」
「うん。大丈夫」
 なんの根拠も無いなのはの言葉を疑わず、キョウはなのはを闇の書から離れさせる。
「シャマル、手伝って。今から防衛プログラムを闇の書から切り離すわ」
「ええ。任せて」
 シャマルがキョウの右手を取り、キョウは左手を闇の書へと向ける。既にローグの手が置かれている場所のすぐ隣へ手を置いた。
「さーて、いよいよだけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。八神の為だし、成功させるよ」
「うん。それでこそ、私達の主よ」
 キョウが左手に意識を集中させる。
 右手から常に送られてくるシャマルの魔力。それが示すのはプログラムの在りかだ。案内を頼りに意識を闇の書内へ潜らせ、深く、深く進む。やがて目当てのものに触れると、大きく息を吸い込んだ。
「アクセス」
 キョウの声を合図に左手から闇の書内へ魔力が流れる。プログラムを他の全てのプログラムから切り離す為の魔法。
 己が内部を変質させんとする管理者以外の何者かの魔力を感知して、安全装置が作動する。
 外敵を排除せんと"動け"と命じる安全装置。しかし、その為の道筋は壁で塞がれ、魔力は本来辿るべきでは無い道へ流れる様に仕組まれている。
 キョウの施す魔法が、プログラムを完全に切り離す為に必要な時間は僅かに10秒。
 短い時間だ。そんな短い時間で交わせるのは挨拶程度なものだろう。朝目覚めて、家族におはようって言って、おはようって返事されて、そのくらいの時間だ。
 指折り数えてすぐに過ぎる時間、たったの10カウント。
 カチカチと時計の針が音を鳴らす。針の音が10を過ぎても、キョウは手を離さなかった。代わりに彼女は悲鳴染みた声を挙げる。
「闇の書内部の魔力が強過ぎる……これじゃ私の魔法が正常に動作しない!」
「キョウちゃん、これは!」
「シャマル! 手伝って! 闇の書内で暴れまわる魔力を抑えつけて!」
 言われてすぐさまシャマルは握っていたキョウの右手を離し、闇の書に触れている左手へと自分の手を重ねる。
「駄目! 魔力の流れが強過ぎる! 私じゃ抑えられない!!」
「なのは! 壁の強化! 魔力が壁にぶつかって揺れてるの、壊れないだけじゃなくて揺らがない壁を、もっと硬くて強い壁を作って!」
「う、うん!」
 キョウの叫びに応えてなのはも闇の書に触れる。
 作業を行う当人達からすれば切迫した状況の様なのだが、生憎と離れて見ているだけの者達にはその様子は現実味を帯びない。
「ちょっと、何か大変そうなんだけど、どーなってんがっ!」
「アリサちゃん、静かに」
 アリサの大声をすずかが口を塞いで制したが、ほとんど全員がアリサと同じ気持ちだった。
 何がどうなっているのかが分からない。自分達にも手伝える事があるのかも知れないが、それが分からない。手伝えるか聞くにしても、残念ながらキョウもシャマルも答えている余裕は無さそうだ。
「多分、なんですけど」
 そんな中、ユーノが口を開いた。
「キョウがプログラムを切り離す魔法を使おうとしたけど、今はそれが出来ない。きっと原因は、安全装置からの"動け"という命令を伝達する為の魔力が強過ぎるからなんです」
「もう少し詳しく頼めるか?」
 シグナムの頼みにユーノは頷いて応え、先を続けた。
「これはあくまでも僕の想像ですので、そのまま信用はしないで下さい」
「どうせお前以外は分かってねーんだ。早く教えてくれ」
「個室を想像して下さい。例えば、手術室。手術室の中ではキョウがプログラムを切り離す為の魔法を使おうとしている。けど、安全装置が発した"動け"という命令が手術室の扉を、なのはが作った壁を叩いて破ろうとしているから、キョウは集中出来ずに魔法が上手くいっていない。恐らく、そういった状況です」
「成程。精密作業に騒音は大敵、という事か」
「ええ。もし今、なのはの作った壁が破られれば、防衛プログラムか転生プログラムのどちらかが起動してしまいます。どっちが起動したにしても、ただでは済みません」
「ちょっと待てよ。そうならねー為にローグが別の道を作って逃がそうとしてんだろ? それでもダメなのかよ!」
「きっとそれが上手くいってないんだ。だから負担が全部なのはの壁に行っている」
 ユーノがそう言った時、場の全員がどうするべきか迷った。
 この作業は、流れる魔力をミスリードする作業はローグにしか出来ない故に彼に任された。誰も代われないし、手伝えもしない。となれば、いくら今の状況が分かったとてただ見ている事しか出来ない。
「手はあります。ローグは魔力をどう操作すればいいのか分からないから上手く出来ない。どうやればいいのか的確なアドバイスが出来れば、あるいは」
「無理よ。そんなのが出来るなら、元からその人が今の作業をやってる。黙って見ていましょう」
 ユーノの提案にエーティーが余りに冷静な言葉で、それは不可能だと言い切る。
 誰だって自分の出来ない作業について的確なアドバイスなんか送れやしない。ユーノの提案はこの場で最良の打開策だが、実行出来ない。
「ローくん! 聞いて!」
 ユーノの言葉を聞いていたのだろう。なのはが大声を挙げた。
 何を言うのか、一同が一瞬だけ息を呑む。
「ローくんは、電車乗った事あるよね。線路、線路を思い浮かべて」
「は? 何を急に……」
 余りに場違いな質問に、ローグは黙って集中していたにも関わらず声を出してしまう。
「うわっちょ! 揺れが強くなったー! ローグ、しっかりやりなさーい!」
「いいから!」
 キョウの文句など無視してなのはが続ける。
「あ、ああ。線路。電車が走る線路な」
「うん。じゃあ次は分岐点。電車っていろんなところに行くでしょ。別の駅へ行く為に線路を切り替えるの。分岐点。スイッチの役割を持ったレバー! 思いっ切り引っ張って! 勢い余って折っちゃうくらいに引っ張って!! がこんって!!」
「スイッチ。思いっ切りレバーを引っ張って切り替える。そっち行くな、あっち行け」
 なのはのアドバイスをローグが反芻する。
 果たしてこれでなのはの言いたい事は伝わったのか、伝わったとしてそれで成功するのか。
 全員が固唾を飲んで見守る。
「ミスリード……いや、そんな器用な事は……なら別の道へ行かせる為に……切り替える、道を、がこんって」
 ローグの意識が闇の書の中へと沈む。一瞬にしてキョウよりも遥かに深い位置に達したローグは線路とレバーを思い浮かべた。
 棒。金属の棒。引っ張れば線路の続く先を切り替えるスイッチ。思い切り、力を込めて引っ張る。そっち行くな、あっち行け。
 そういう、想像。
「嘘……負担が軽くなってく。たったあれだけで? 魔法の理論も効率的な魔力の移動に関する知識も無しに、ここまで」
 キョウが驚きに目を見開く。
 ローグがこの魔力のミスリードを行う場合、上手く出来ない可能性は考えていた。それを踏まえてキョウはこの作業を簡単だと言っていたのだが、実際は違った。想像よりも闇の書内の魔力の流れは強く、負担は大きかった。だから防衛プログラムをすぐに切り離せなかった時、失敗するかも知れないと思っていた。
 だが、結果はこれだ。
 なのはの、魔力の流れをコーヒーに例えたアドバイス。誰でも分かる身近なものに例えたのは見事だと思ったが、まさかこれ程の効果を生むとは思っていなかった。アドバイスによってやり方をなんとなく掴んだとて、やはりしっかりとした基礎無くして精密な操作はあり得ないからだ。
 だがローグは、精密とまではいかないもののそれに近い事をやってのけた。これは偶然か、それとも才能か。キョウにそれを計る術は無かったけど、確かな事があった。
 今代の月天王は、真面目に丁寧に用意された儀式の場よりも、気を楽に持たせた方がよく動く事。
 そして、今代の闇の書の主、八神はやて。彼女が、呪縛から解放された事だ。
「なーんか納得いかないけど、まぁいっか」
 八神はやてをこれまで悩ませてきた足の麻痺はこれから回復の一途を辿るだろう。闇の書の影響か、はやての眼は魔力を光の線として捉える事が出来る様になっているが、別に日常生活に支障を来たすものでも無い。きっちり説明して無害だと伝われば解決するだろう。
 キョウは疲れたのか、安堵したのか、背中を床に付けて真っ暗な天井を見上げた。
 そうして、呟く。
「見てる? 初代様。何百年も続いた呪いは、ようやく無くなるよ。闇の書は消えて、夜天の書に戻る。あなたが愛した、夜天の王が生きた証。取り戻したよ」



第二十話 完
次『簡単にいかない事ばかりで』





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