第二十ニ話「私は姉か、別人か」






 意識はまどろみの中に沈んでいた。
 窓から射す朝日に刺激されて、頭は徐々に覚醒へと向かって行く。だけど、頭の中、奥の奥では、まだとろんとした甘いクリームに包まれた様にふわふわしている。
 朝だから起きなければいけないと思うのだけど、意識は甘いクリームを取っ払えずに包まれたまま。起きよう起きようと無意識に体を動かそうとしても、なんだか上手くいかない。
 寝不足だろうか?
 夢うつつな少女。昨晩は貰ったばかりの本を妹と一緒に読んだ。妹にはまだ読めない文字ばかりだったから、少女が読んであげた。そういえば、それが原因でついつい夜遅くまで起きていたんだっけ。
 もう寝よう。まだ早いよ、続きを読んで。そろそろ寝ないと、朝寝坊するよ。大丈夫、朝には強いの、だから続きを読んで。私が眠くなって来たんだけど。お願い、もうちょっとだけ。
 そうやって眠る様に促されては猫なで声でおねだりをして来た。妹のおねだりに弱い姉は、どうにも断り切れずに続きを読む。妹に、自分で読め、と言って本を渡す事はしない。妹に甘い故に突き離せないのか、それとも夜更かしが過ぎて寝坊する事を心配してか、姉はずーっとずーっと、しょうがないなぁって顔で妹のおねだりを聞き入れる。
 そうやって穏やかな時間が過ぎて、姉妹で枕に顔を埋めたのは何時頃だっただろうか? 時計の短針が2よりも3に近かった事は覚えているんだけど、結局その後もまたおねだりをされてしまったので、意識を睡魔に持って行かれる頃の時刻は分からない。
 そんな理由があってか、普段は寝坊する事の無い妹と、妹の手本となるべく必ず先に起きる筈の姉。今日に限っては、二人揃って夢うつつ。
「アリシア、フェイト。もう朝ですよ」
 ふかふかのベッドに全身を預け、暖かい布団に包まれた姉妹に向け、起きる様に促す声が飛ぶ。
 少々呆れ顔で姉妹を見下ろす女性の名は、リニス。
 プレシア・テスタロッサの使い魔であり、プレシアの娘のアリシアとフェイトの世話をしている。
 アリシアとフェイトは普段から寝坊する事はほとんどない。稀にあったとしても、こうしてリニスが声をかければ寝ぼけ眼を擦りながら上半身を起こすのだが……この日はどうやら特別に稀らしい。フェイトどころか、お姉ちゃんであるアリシアまでがピクリとも反応しない。
 何事か、とリニスが僅かに心配するのだが、枕もとに置いてある一冊の本を見て合点がいった。
 先日、仕事で忙しく満足に姉妹と会えないプレシアが二人にプレゼントした本。確か、童話だっただろうか? 幼い騎士見習いと一国の姫君と竜使いの少女、三人の子供による淡い恋の物語だ。主要登場人物は主に子供三人なのだが、ストーリーは騎士と姫との身分差とか、通常の家庭環境で育たなかったが故に恋を知らない竜使いとか、内容は割と複雑だ。
 それでも、元から頭が良くて、背伸びをしたいお年頃な姉妹にはちょうどよかったらしい。母からのプレゼントという事もあって、のめり込むように読んでいた。
 恐らくは、これが寝坊の原因だろう。
 リニスは額に手を当て、胸中でやれやれと少し呆れてから姉妹の寝室を出た。無理に起こして、朝食の場でベーコンエッグの黄身を真白い寝巻きに飛ばされては敵わない。それに、寝不足は健康上よろしくないのだ。



「あら、二人は?」
 姉妹の寝室を出て、朝食の場へと向かったリニスを出迎えたのはプレシアだった。
 出迎えた、とはいっても情報端末を操作して数多ある次元世界の最近の出来事を閲覧しながら、視線を一度向けたに過ぎないが。
「まだ眠っています。あなたが昨日渡した本の所為でしょう」
「もしかして、徹夜で読んでいたの? 無茶するわね」
「仕方ありません。一週間ぶりに会った母親からのプレゼント。それも、内容があの子達の好みのものだったようですので」
「耳が痛いわね」
 リニスは皮肉や嫌味を言ったつもりはないのだが、プレシアにはそう聞こえたらしい。まだ幼い子供達にかまってやれない事に罪悪感を覚えている、という事だろう。
「でしたら、一日も早い研究の完成を。もしくは、あなたの代わりになるだけの研究者の育成を急ぐべきかと」
「難しい事を簡単に言ってくれるわね」
 プレシアが忙しい理由は、彼女が現在手掛けている研究が完成間近だからだ。研究の完成はプレシア含め、彼女と共同で研究を進めている者達の悲願だった。とある次元世界のエネルギー問題を解決すべく、ある特殊な物質からエネルギーを効率良く抽出する方法の研究。数多くの次元世界の住民てから求められる程の重大なもの。
 完成間近の状態でプレシアが離れる訳にはいかず、必然的に忙しくなってしまうのだ。
「でも、今回の研究が終わったら休みが貰えるの。今まで働き詰めだった分、一ヶ月くらいの長期よ。それだけあれば、あの子達が飽きるまで一緒に居られるわ」
「子供が親と一緒に居て飽きる事などありません。どうか、以降は同様の忙殺される母親では無き様、お願いします」
「本当、手厳しいわね」
「あの子達の事を思えばこそ、と考えていただければ」
「分かっているわ」
「では、朝食の準備を致します。もうそろそろ出発の用意をしなければならない時間ですので」
「あ、ごめんなさい。もう少しだけ待って貰える?」
「何か問題でも?」
「いいえ」
「承知しました。では、三人分、すぐにでもお出し出来る様にして置きます」
 リニスは多くを語らないプレシアの考えを予想した。
 あくまでも、予想。だから確実では無いし、間違う場合もある。けれど、事が姉妹に関するものに限り、どうしてかリニスの読みは外れない。



 姉の目覚めは快適では無かった。朦朧とする頭、開き切らない瞼、体を動かすのがどこか億劫だ。
 明らかな寝不足の状態に、アリシアは『ああ、やっぱり』と思った。フェイトのおねだりに弱くって、どうしても本を読んでというお願いを断れなかった。こうなる事は分かっていたのに。甘いだけでなく、駄目な事は駄目だと言える姉でなければ、とアリシアは姉であらんと普段から行動して来た。
 だけどまぁ、やっぱり弱点が妹って時点でそれは相当に困難な道程なのだが。実際、今こうして失敗してしまっているのだから。
 ごしごしと強めに眼を擦って、壁にかけられた時計を見上げた。時刻は、普段起きてる時間よりも30分程遅い。
「んー……もうこんな時間。ふぇいと〜、朝ご飯残さず食べてね。私は先にじゅんびしてるからね〜」
 それは日常のルーチンワーク故か。
 アリシアはご飯を食べるのが遅いフェイトよりも一足早く、魔法学院へと向かう鞄を用意する。必要な物は前日の内に入れてあるので鞄は持つだけでいいのだが、そこは立派なお姉ちゃんを見事にこなす為。万一の場合のチェックがあるのだ。
 ただこの日の場合は、着替えて身だしなみを整えて朝ご飯を食べて、という部分を完全にすっ飛ばしてしまっている。
 いやはや、寝起きとは恐ろしいものだ。特に低血圧の人。
 と、そんな悠長な事は言ってられない。このままではアリシアはパジャマ姿、寝癖で若干ぼさぼさした髪、右手に就寝のお供である可愛い熊さんぬいぐるみを携えて魔法学院へ向かってしまう。
 そうなればアリシアは笑いものだ。
 危うしアリシア。危うし、姉の威厳。
「か〜ば〜ん〜」
 アリシアは就寝のお供の熊さん――名前はクマオ――を鞄に詰め込もうとする。
 が、当然ながら旅行用の鞄でも無いそれにぬいぐるみなど入る筈も無く、クマオは顔を教科書ひしめく山脈地帯にぐいぐい押し付けられるばかり。
 危うしクマオ。危うし、クマオの鼻。潰れてしまう。
「入らない」
 ぬいぐるみは入らない事を悟ったアリシアは、何を思ったのかクマオを壁に向かって投げ捨てた。
 ビッターンと背中から壁に叩きつけられるクマオ。彼が生きていたら、眼をこれでもかってくらい見開いて痛さに身悶えたかも知れない。仮にこれがバトル漫画のワンシーンであれば壁に亀裂が入り、クマオは血を吐き出していただろう。
 クマオを手放したアリシアは鞄を持ち上げ、逆さまにした。中に入っていた教科書や筆記用具類は重力に引かれてどさどさと床に落ちる。そしてぽっかりと空いた空間に目的のものを詰め込もうと手を伸ばす。
 だがクマオはアリシア自身の手によって壁に打ちつけられ、息も絶え絶えだ。距離もあり、当たり前だが人間の手では届かない。
 だからアリシアは立ち上がり、歩み、むんずと掴んだ。
 フェイトの頭を。
「準備……」
 ゆっくりと意識が覚醒して来たのか、最初は回っていなかった呂律が徐々に整い始めた。
 しかしまだ認識能力は夢うつつ。掴んでいるのはクマオだと信じて疑わない。実際は妹だが。それも頭。
「んー」
 流石に自分よりも背の高い人物を、頭だけとはいえ持ち上げるとなれば重いのだろう。アリシアは唸る。唸りながらもフェイトの頭を肩の高さまで掲げたアリシア。ずるずると引きずり、鞄の前まで運ぶ。
 危うしフェイト。危うし、頭。それと姉妹の仲も危ういかも。
「っとー!」
 アリシアはついに鞄目掛けてフェイトの頭をダンクシュート!
「アリシア。もう時間ですよ」「あぎゃっ!」
 フェイトの悲鳴とリニスの登場はほぼ同時だった。



「もう、お姉ちゃんてば酷いよ」
 頬を膨らませてぷんぷんと怒るフェイト。焼きたてのパンにかぶりついたり、紅茶を喉を鳴らして飲んだり、やや乱暴に朝食を取っている。
「うぅ。だからごめんってば〜」
 まるでフェイトと対極を成すかの様に、アリシアはしょんぼりしている。パンにかぶりつく事は無く、指で千切ってジャムにつけてちまちまと、紅茶は申し訳程度にすするの、物凄く静かな朝食だった。
「ふふ。二人ってば」
 プレシアはそんな姉妹の姿を見て微笑んでいる。常日頃はアリシアが姉として強気にリードしてきたものだが、この日ばかりは強気の所在地が違った。
「笑っている場合ではありませんよ。良き母親として、姉妹のケンカを収めてください」
 プレシアからすればもう少し見ていたかったのだが、アリシアもフェイトもこの後は魔法学院に向かわねばならない。そこまでこの空気を引きずっては、同じクラスの子供達に迷惑だろう。案外、普段と違う光景におおはしゃぎするかも知れないが。
 仕方無しにプレシアは席を立ち、ケンカを止める為に姉妹の間に向かう。
 ここには、穏やかな空気だけが流れていた。






「ふぅん。これが、防衛プログラムが考えたフェイトの望む心地良い夢、か」
 僅か吹きすさぶ風に長い金糸を揺らめかせ、彼女は言った。
「反吐が出るくらい、気に入らないわ」
 右手を前に突き出す。
 呼ぶのは己がデバイス。アルアイニス。リボルバー式の、けれど拳銃では無くランチャー砲。
 長い長い砲身故にその重量は大部分がグリップから遠い位置にあり、必然的にバランスは悪い。このリボルバーキャノンのデバイスで正確な射撃、狙撃等を行うのであればそれには台座が必要だった。銃身を安定した場所に置き、その上で右手でグリップを握り、左手を銃身に添えるスタイル。
 ただし、射撃訓練場でもなんでも無い極平凡な一般家庭の庭に台座なんて存在しない。
 右手でグリップを握り、右腕の筋力のみでアルアイニスを持ち上げる。彼女の腕力がザフィーラ程あったとしても、片手で狙いを正確に付ける事は叶わないだろう。重たいリボルバーキャノンを持ち上げられても、銃口がブレては意味がないのだ。
 だから彼女は手頃な木を見繕い、太い枝を一本選んだ。余計な細い枝を折り、葉を散らし、銃身を固定する。
 右手はグリップに、左手には弾丸。
 慎重に慎重に、狙いを定める。
 ターゲットは、アリシア・テスタロッサ。眼を細め、足目掛け狙いを定める。そうしたなら、引き金を引いた。
 轟音。耳を劈く音。鼓膜を揺さぶる音。三半規管に叩きつけられる音。振動だけで鼓膜がぶち破られるんじゃないかってくらいの轟音だった。
 次いで、もう一度引く。
 轟音。耳が遠くなった気がする。キィーン、キィーンとやけに高音で喚き散らす耳鳴りが煩わしい。
 逃げるように、もう一度引く。
 轟音。耳が慣れたのか、先程よりも音が随分と小さい気がする。耳鳴りも余り気にならなくなって来た。
 眼を更に細め、もう一度引く。
 無音。音などしない。耳鳴りもしない。この方が集中出来るから都合が良い。
 汗ばんだ指が、もう一度引く。
 世界が揺れた。どうした事だろう。自分は不安定な足場になど立っていない。台座として使っている太い木の枝はとても低い位置にあるもので、自分はしっかりと地面に両脚を付けている。なのにさっき、世界が揺れた。
 まぁいい、もう一度引く。
 世界が地震に見舞われた。なんだ、闇の書の防衛プログラムの中にも地震はあるのか? おいおい、それはリアル嗜好過ぎないだろうか? 幾らなんでも不要だろうに。そんな楽しくも無い要素は。
 左手に握っていた弾を装填。今度は引かずに、アルアイニスを持ち上げて移動するべく一歩前に踏み出した。途端、視界が青草で埋め尽くされた。
「ちぇっ、格好悪いな」
 彼女はそう呟くと、自分の疑似肉体の一部を分解し、再構成した。
 分解するのは鼓膜と三半規管。破れて空気の振動を拾わなくなった鼓膜と、あんまりにも馬鹿デカイ轟音を立て続けに叩きつけられて異常を来たした三半規管のリフレッシュ。
 極度の集中状態であった為か、彼女の頬には汗が幾筋か流れている。汗が唇の端に触れる。塩を一つまみの半分程度、口に含んだ様なしょっぱさ。べーっと舌を出して風に撫でさせれば、心なしかしょっぱさは引いた気がする。
 頬に張り付いた髪をそのままに立ち上がり、彼女は駆けた。
 目的地に辿りつくまでの時間は僅かに数秒。
 ここからが、本番だった。



「アリシアーー!」
 食堂に、朝の穏やかな雰囲気を持っていた筈の食堂にプレシアの絶叫が響いた。
 プレシアは膝をつき、床にいる筈の愛娘を涙目で見詰めている。
 両手を伸ばす。だがその両手は愛娘を掴めない。
 アリシアは、プレシアの最愛の娘は、消滅、していたから。
「あ、あああああ…………」
 絶望に打ちひしがれたようにプレシアが声を挙げる。目の前の光景が信じられない。いや、その可能性すら信じない。けれど事実として、アリシア・テスタロッサは死んだ。消滅する事で死んだのだ。
「悲しいの? 居なくなったのは偽物なのに」
 目的の場所に辿りついた彼女は開口一番にそう言った。
 絶望するプレシアに冷たい瞳を向けて、吐き捨てる様に。
「あなたがやったのですね」
 彼女の登場に、リニスが声を挙げる。
「へえ。あなたは冷静なのね」
「冷静という訳ではありません。正直言ってこうして言葉を出せるのが不思議なくらいです。本当ならば今すぐにでもあなたに飛びかかってしまいたい」
「どうしてそれをしないの?」
「プレシアが、私のマスターが錯乱状態だからでしょう。主を守るべき使い魔は、マスターの危機にこそ冷静でなければならない。私を生み出したプログラムに怒りを覚えます。何故、我を忘れて戦わせてくれないのかと」
「こっちとしては助かったわ。まともに話が出来る相手が居て。私としても、黙々と乱射しまくるのはなんだか気が引けるから」
「そうですか。一つ、訪ねても?」
「どうぞ」
「あなたは、何故アリシアと同じ顔をしているのですか?」
「さあ? 他人の空似じゃない?」
 彼女は悪びれも無く言う。
 アリシア・テスタロサを狙撃する事で消滅させた彼女。リボルバーキャノンのデバイス、アルアイニスを持ち、月天王・ローグウェル・バニングスの守護騎士として疑似肉体を得た魔導師。エーティーは冷めた眼で見る。
 闇の書の防衛プログラムが創り出した心地の良い、幻の世界を。
 ここにはプレシアが居て、アリシアが居て、リニスが居て。時間軸の設定故だろうか、アルフはまだ居ないが、ここにはフェイトの理想があった。
 母が、姉が、使い魔が、みんなが家族として仲良く暮らす都合の良い世界。
 防衛プログラムは、フェイトにそういった世界を見せ、その中にフェイト本人を置く事で無力化を図った。
「フェイト。眼を覚ましなさい」
 エーティーがフェイトに告げる。
 偽物のプレシア。偽物のアリシア。偽物のリニス。その中で唯一の本物、フェイト。
 一時的な記憶操作魔法により幼児退行、記憶改竄されたフェイトはこの世界を本物と疑わずに居た。

 昨晩はお姉ちゃんに本を読んで貰った。お母さんに貰った本だ。とても面白かった。私じゃ読めない文字がたくさんあったからお姉ちゃんにお願いしないといけなかった。二人で読む本はとてもとても面白かった。翌朝、気付いたら鞄に頭をぶつけられていた。寝ぼけたお姉ちゃんの仕業だ。私は怒った。だって痛かったから。本当はそんなに怒ってないんだけど、私が威張れるチャンスだから怒った。しょんぼりしているお姉ちゃんはなんだか可愛かった。その後、お母さんとリニスと、もちろんお姉ちゃんも一緒に朝ご飯を食べた。この後は魔法学院に行く。友達のたくさん居る、魔法学院に。今日は、お母さん早く帰って来るかな?

「こんな世界は無い!!」
 アルアイニスを構え、魔力を込め、引き金を引いた。
 命中したのは壁。炎の弾丸イフリートの力により壁は瞬く間に燃え上がり、炎は壁を伝ってプレシアの屋敷を包んだ。
「こんな都合の良い物語は無い!!」
 魔力を込め、引き金を引いた。
 命中したのはプレシアの情報端末。雷の弾丸ヴォルトの力により回路は焼き切れ、余りある雷は有線を伝い屋敷中の電子機器を破壊した。
「プレシア・テスタロッサはこんなに優しい人じゃない!!」
 引き金を引いた。
 命中したのは床。大地の弾丸ノームの力により隆起した地面が床を破壊。どこまでも続く地面は屋敷中の床を破壊して回った。
「リニスはもういない!!」
 引いた。
 命中したのは天井。風の弾丸シルフの力により巻き起こった暴風は、屋敷を包む炎諸共天井を全て吹き飛ばした。
「これ以上は、させません!」
 エーティーの攻撃が止んだ一瞬の隙を突き、リニスが攻撃を仕掛けた。手に持っているのは食事用のナイフ。だが喉元にでも突き立てれば十分に人を殺す事の出来る凶器と成り得る。
 けれどエーティーはリニスの攻撃がまるで亀の歩みに見える速度で背後に回り込む、引き金を引いた。
「アリシアは! もう死んでいる!!」
 狙い違わずに弾丸はリニスの背に命中した。
 その弾丸はこれまでエーティーが扱ったどの弾丸とも違う能力を持っていた。
 先の狙撃の際に、偽物のアリシアを消滅させた弾丸。ディスペルバレット。キョウの持つ対魔剣ディスペルートを参考に作り上げた、簡易対魔弾。
 効力の程はディスペルートには遠く及ばない。AMFの剣であるそれとくらべれば雲泥の差だ。
 だからといって脆弱という訳でも無い。命中した対象の魔力を確実に削り取るこの弾丸は、いわば魔力障壁にとっての大敵。受けて防ぐ障壁を、破壊するのでなく削る事によって弱体化させる事がこの弾丸の本来の使用法。
 偽物のプレシア達は、幻術の様なものだ。受け防ぐ事を前提とした障壁を削り取る弾丸を持ってすれば、見てくれで騙す事を前提とした幻術モドキなど、砕くに容易い。
「もう、あなたに血の繋がった家族は残っていない」
 偽物のリニスを消滅させたエーティーはそう言い、プレシアに銃口を向けた。
「ダメ!」
 そして、エーティーとプレシアの間にフェイトが割り込んだ。
「「退きなさい! フェイト!!」」
 エーティーとプレシアの言葉は同じだった。
 殺す側と殺される側。現状に置ける180度違う立場ながら、二人の発した言葉も意味も同じ。どちらもフェイトを死なせたくないからこそ発した言葉。
「なんで! なんでこんな事するの!! あなたは誰なの!?」
 フェイトの口から次々に言葉が溢れ出る。現状に対する不満、不安、恐怖。そういったものを全部まとめあげたかの様な言葉。
 そんな言葉の中で、エーティーの心を揺さぶった言葉があった。
 それを聞いた瞬間、周囲の人物の思考とエーティーの思考はその速度にずれを見出した。
 頭の中身が加速する。他人が1秒分考える間に10秒分は考えられるだろうか? 具体的な数字は分からないが、エーティーの思考は確実に加速していた。周囲の誰よりも、速くなる。やがて、エーティーの眼は景色を止めた。

 "あなたは誰なの"

 誰……なんだろうか。
 エーティーの立場は非常に複雑だ。通常の肉体を持たず、魔力のみによって構成され、その上に魔導書の主を守護する騎士という名目で存在している。エーティーだってほぼ思い付きで決めた名前だ。アルファベットのAとT、アリシア・テスタロッサのイニシャル、AとT。繋げて、エーティー。ふざけた名前だ。こんな記号染みた名前、誰も好まない。でもだからこそ、彼女にとってこれは大きな意味を持つ。
 エーティーと名乗る前、彼女の名前はアリシア・テスタロッサだった。
 事故で死んだプレシアの一人娘、アリシア。死んだ娘をプレシアがジュエルシードと驚異的な技術で蘇らせたアリシア。けれどアリシアを蘇らせた装置は不完全で、最終的には暴走してプレシアを事故死させた。その時から、蘇ったアリシアを知る者は誰も居なかった。
 アリシアと遺伝子を同じくするフェイトは、その事故以前にプレシアによって生み出されていた。プロジェクト・Fというものによって。ああ、フェイトの名前も、そのプロジェクト・Fの"F"からとったんだった。じゃあ、エーティーという名前を記号染みたものだというのは訂正しなければならない。持って生まれた名前が記号染みた、なんて言われたら可哀相だ。
 とにもかくにも、こうしてエーティーはフェイトの存在を知り、フェイトはエーティーの正体を知らないという状態が出来上がった。それはエーティーがフェイトの前に姿を現した今でも変わらない。

 "あなたは誰なの"

 で、誰だ?
 エーティーとは誰だ?
「私は、あなたの、姉」
 エーティーはフェイトの姉。
「ううん。私は、あなたとはなんの関係も無い他人。あなたの姉に似た別人」
 エーティーはアリシアと違う別人。
 で、どっちだ?
「私は姉か、別人か」
 エーティーの思考が失速する。周囲とのずれが無くなる。
 後、エーティーの眼が景色の中に動くものを見つけた。
「さぁ、ね。どっちでもいいわ」
 右手で握るアルアイニスのグリップ。人差し指でトリガーを引く。あらかじめ決められた手順通りにアルアイニスが駆動し、装填された弾丸を撃ち出す。
 銃口の前に、直線状に立つフェイト目掛けて、その弾丸は放たれた。
 一瞬の間も無かった。放たれた弾丸は真っ直ぐに突き進み、フェイトの眉間へと命中する。その衝撃は強大で、決して軽くは無い頭をまるで風船みたいにはね飛ばした。衝撃は頭をはね飛ばしその勢いで体を引っ張り、あっという間にフェイトの全身を吹き飛ばす。
 どさりと床に何かが落ちる音がした。
「フェイトォォォォォォォ!!」
 フェイトが撃たれたと認識したプレシアが絶叫する。まるで喉に拡声器でも仕込んでるんじゃないかってくらいの大声量。耳を劈く音にも顔を一切しかめる事無く、エーティーはフェイトの居なくなった直線状。プレシアに狙いを定める。
「じゃあ消えて貰うわ」
「うわああああああああああ!!」
 こういう状態を半狂乱、あるいは錯乱状態と呼ぶのだろうか。そういった知識の無いエーティーに判断は付かなかったが、どうでも良い事だった。そして、どうでも良い事が頭を過ぎる程度の余裕はあると知り、安堵した。
 ここで精神を乱してはならない。闇の書の防衛プログラムの内部では何が起こるか分からないのだから。それになにより、ここで取り乱してはこの家庭を崩壊させるというエーティーの目的が達成されない。
「さよなら。プレシア・テスタロッサ」
 乾いた轟音が響いた。
 一発。二発。三発。四発。五発。
 リボルバーに装填されていた弾丸全てを撃ち終えた後、深く息を吐く。
 やけに長い息だった。肺の中にもう空気は無いのに、それでも吐き出し続けている様な、そんな錯覚に見舞われるくらいに長かった。
「…………さて」
 息を全て吐いて、腹いっぱいに新しい空気を吸い込んだエーティー。一言呟き、寝転がるフェイトに視線を移した。
「起きなさい、フェイト。後がつっかえてるんだから」
 そう言ってアルアイニスの銃口で肩の辺りを小突く。そうしたらフェイトは一唸り。
 小突く。唸る。
 小突く小突く小突く。唸る唸る唸る。
 小突く小突く小突く触れる。唸る唸る唸るうな……らない。
「うわ、ちゃんと分かってる」
 小突く小突く小突く殴る。唸る唸る唸る「痛いよ!」と叫んだ。
「ふむ。ちゃんと頭は戻ってるみたいね」
「あ……えっと、エーティー?」
 ようやく我に還ったのか、フェイトは目の前の人物の名前を口にした。
「そうよ。あなたはどーしてか動き出した闇の書の防衛プログラムに幻覚を見せられていたの。でも安心していいわ。私のディスペルバレットできっちり頭の中を撃ち抜いておいたから」
「ええっと、よく分からないけどありがとう。お姉ちゃん」
「誰が姉か」
 ゴツッと鈍い音がした。エーティーがフェイトの発言に不満を持ったので、アルアイニスで脛を叩いたのだ。
「あ……あうぅっっ」
「なによ、もしかしてディスペルバレットの影響で記憶でも混乱してるの?」
「え、そんな効果あるの?」
「いや、ないけど」
「だよね。うん、ごめん。なんかよく分からないけど、すっごくぽわぽわした夢を見てて。それで、お姉ちゃんって呼んじゃったんだと……」
 ゴツッ。
「あぅぅぅぅぅぅ」
「要するに寝ぼけてたんでしょ。OK。忘れてあげるから早く行きましょう。なのはとか他の人達も助けないといけないんだし」
「う、うん!」
 フェイトに背を向けて、エーティーは歩き出した。ずんずんずんずん早足で。決して前は譲らない。横にすら並ばせない。だって前を歩かれて不意に振り向かれたりしたら、横を歩かれたりしたら、"お姉ちゃん"って呼ばれて嬉しい様な困った様な、そんな表情が見られてしまうから。



第二十二話 完

『祝福の風は夜天の元に』





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