第二十六話「二人は一人」






 この場には、これまでの戦いに関わる者達がほぼ全員揃っていた。
 ローグ、アリサ、すずか。なのは、ユーノ、フェイト、エーティー、アルフ。はやて、リインフォース、シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ。そしてサイ、キョウ、イリス。
 僅か数分前に始まった、イリスとそれ以外全員の対立、その戦い。場は、混迷を極めていた。
 二十以上もの数が召喚されたシャドウコモンと戦っているのは、ヴォルケンリッターとイキョウである。シャドウコモンとは、かつてイリスが召喚し、使役した竜。古代ベルカの大戦時に存在した竜、コモンをイリスが月天物語を使用してコピー、生成した存在だ。
 過去、共に戦った経験のあるヴォルケンリッターやイキョウが相手をするのは半ば当然である。
 本来であれば一対一でさえ苦戦する相手を、各々は一対複数で立ち回っている。ヴォルケンリッターには過去の記憶が明確には無い。故に、かつて共に戦ったコモンの戦闘スタイルを思い出してそれを元に戦う事は不可能な筈だった。だが、遠い昔にとはいえ命を張って肩を並べたからか、相対した時、自然と相手がどう動くかをイメージ出来た。頭が覚えていなくとも体が覚えている、というやつだろう。そのお陰か、一対複数の状況では攻撃に転じれないまでも、シャドウコモン達の攻撃を防ぎ続ける事は可能だった。勿論、過去の出来事を忘れずに居るイキョウは頭でも体でも覚えているので、問題は無い。
 しかし、防戦一方ではいずれ体力が尽き、敗れるだろう。イリス達は数で勝る。しかも相手にするのは有象無象では無く、単体で十分に戦力となり得る竜。正攻法で勝てる見込みは、この戦いに存在しない。
 即ち、この戦いは初めから王を如何に早く取るか否かの戦い。シャドウコモン達の召喚者であるイリスを打ち倒せば、全て決する。ヴォルケンリッターとイキョウの役目は、イリスを倒す邪魔をさせない事だ。
 後方ではなのはとはやてとすずかが待機し、戦況を見守っていた。
 なのはは誰かが怪我をした時に治癒魔法を、すずかは包帯や傷薬といった物理的な応急処置を、はやてはすずかを手伝うと共に応援である。はやて自身は自分も戦いたいと願っていたのだが、如何せん状況が悪い。闇の書の影響が無くなった為、両足が回復傾向にあるのだが、だからといって戦える体でもない。その事を分かってだろう、はやては自分も戦いたいと口にする事は無かった。
 そして混迷極まる戦場の中、フェイト、エーティー、アルフ、ユーノが最大の障害とも言える竜を前に立っていた。
 既に死した竜、ヴィクス。過去にヴォルケンリッターとサイとキョウが、七人がかりで総力を挙げて倒した竜を、たったの四人で食い止める。それがフェイト達の役割だった。
 正確に現状を述べるなら、この采配は誰もが無茶だと断じる馬鹿げたものだ。
「ユーノ、結界張って。最大級に頑丈で大きくて、集束砲を100発はぶち込んでもビクともしないクラスのやつ」
「無茶言わないでよ。個人でそんな規模の結界を、しかもすぐになんて用意出来ないよ」
「じゃーどうすんのよ。今私が言ったクラスの結界を張らずにあれ相手にして、街に被害が出ない、ましてや誰にも気付かれない様に、なんて不可能よ」
 エーティーが"あれ"と指し示した対象に他の三人が視線を注ぐ。
 街灯の無い道へと明かりを注ぐ月も、夜空を見上げる者の眼を楽しませる星も、いっそ夜という景色そのものを覆いつくしてしまいそうな巨大な竜。死竜・ヴィクス。
 誰もがこれ程の大きさだとは想像していなかった。過去に対峙した事のあるサイやキョウは分かっていたが、二人は何も言わない。言っても何も変わらないからだ。
 蝙蝠の羽を連想させる翼は数本の骨子の間に被膜を張った形状。ユーノは知識上のものとして、アルフはすずかやアリサがやっていたRPGの中で、フェイトとエーティーは初めて、その竜の翼を眼にした。最初に抱いた感情は、恐怖でもなんでもなく、"デカイ"だった。
 ヴィクスは現在、夜空へと羽ばたき、滞空している状態だ。具体的な高度がどれ程かは分からないので正確に測る事は不可能だが、目算でおおよその大きさを予想する。翼を最大限広げた状態で、右翼の端から左翼の端までの距離、約500メートル。
 頭部は基本的に人間と同じ構成。眼があり、鼻孔があり、口がある。人間のものとは形状はまったく違うが、耳らしきものもあった。頭部形状は全体的に尖った印象を受ける。全体的に角ばっていて、まるでブロックを組み合わせたかの様な固い印象。頭部の中では顎が最も前面に突き出されている。顎の先端から尾の先端までの距離、約1000メートル。
 ヴィクスには腕もあった。細くて小さい腕に三本か四本の指が付いていてそこに鋭利な爪が、なんてレベルでは無い。剛腕だ。まるでビルを肉壁で包んだ様な、馬の足を丸焼きにした様な肉の塊。仕上げは鱗だろうか。ともかく、馬鹿みたいに太くて阿呆みたいに長い腕が二本。手もちゃんとあって、そこには五本の指。先端には日本刀もかくやと言う程の鋭くて美しい爪。そんな剛腕が細長い体から生えてるんだからアンバランス甚だしい。
 体躯は、長い。まるで蛇だ。だが決して細過ぎる訳では無い。鉄の棒に何十匹という蛇を巻きつかせたかの様な屈強した体躯。それが細く見えるのは、逞し過ぎる腕の所為だろう。
 その容姿どれもこれもが特大に凶悪。やつが寝ころんだだけで都市は壊滅的な打撃を被るだろう。まるで存在そのものが災厄の様な巨大さ。ヴィクスと比べれば鯨だって可愛いものだ。
「というか、イリスだっけか、あの魔導師。一般人に気付かれないように、とか全然考えてないじゃないのさ!」
「そうよ。てゆーかあれの攻撃を一撃でも地上に通せば、死人が1000人単位じゃ済まないわよ」
 アルフの文句、エーティーの文句。どうすればいいのか全然分からない状況じゃ、素直に頑張りましょうなんて気分になれないのが普通。それに、まるで世界の終わりすら想像させる竜相手に、こうでもしないと平静を保っていられないのも事実。はっきり言えば、一分でも足止め出来る自信が無い。
「気付かれないようにとか考えてない……いや、どうやら彼女はちゃんと処理を施しているみたいだよ」
 目の前の事を真面目に考えるのが嫌になる状況。それでもユーノは冷静に物事を見ているのか、先程のアルフの発言を否定する。
「処理? それって、気付かれないように結界が張ってるって事?」
「確証は無いけどね。月も覆い隠すくらいの巨体が空に出現したって言うのに、誰も気付かないなんておかしい」
「そっか。じゃあこれは結界か何かの効果で、既に隠蔽されているって事ね」
 けれど結界が張られているのであれば、アルフが気付かないのはおかしい。あくまで、普段であれば。
 視覚的に結界が認識出来ないのは、使用されている魔法がライン・リッパーだとすれば納得がいく。魔法を知っているものには効果が無い、魔法を知らぬ者には視覚聴覚への阻害効果をもたらす結界魔法。そして魔力的に気付けなかった理由、これははっきり分かる。単に、ヴィクスの存在感が圧倒的過ぎて他の事に気が回らないだけだ。
 しかし、これである程度は楽になった。
「よっし。じゃあ周りの事は気にしないで思いっ切りやればいいのね!」
「気にしなきゃ駄目だよ。あの竜の攻撃がどれ程のものかは分からないけど、もし街へ向かう事があれば結界諸共破壊してしまう事だってあり得るんだ」
「分かってるわよ。要は空中戦ね。あいつの上に居れば下には攻撃しないでしょ」
 単純な事だ、という風に言い切り、エーティーはアルアイニスを構える。
 何故、空中に留まるヴィクスが攻撃を開始しないのかは分からない。が、そのお陰である程度の平静を取り戻せた。
「フェイト。さっきから黙ってるけど、平気?」
「あ、ユーノ? 平気……だとは思う。ただ」
「ただ、何?」
「あの竜は、もう死んじゃってる筈の竜なんだよね」
「うん。そうらしい」
 ヴィクスを見上げるフェイトの胸中は複雑だった。
 死んだ筈の者が活動している。それは、家族を失った経験のあるフェイトには、とても形容し難い感情を与えた。妬ましいのか、羨ましいのか、憎いのか、共感出来るのか、ともかく感情が定まらなかった。
「なーんか悩んじゃってるみたいね、フェイト。そんなあなたに一言だけ」
 急に会話に割り込んで来たエーティーが、薄い笑みを湛えていた。
「あの竜が自分の意思でここにいるのなら、本気で向き合って戦う。自分の意思じゃ無く、イリスに強制されたのなら戦って倒して眠らせてあげる。結局ね、やる事は同じなのよ」
 エーティーの言葉を受けて、フェイトは無言で竜を見上げる。
 一瞬、フェイトとヴィクスの視線が交差した……気がした。それが戦いの合図となったのか、ヴィクスは鼓膜を破る様な咆哮を挙げた。






 フェイト達と死竜の戦いは、エーティーの砲撃によって幕を開けた。
 建築物の届かぬ高空。ヴィクスの真下に位置を取ったエーティーはアルアイニスを向ける。炎や雷といった小細工は通じない。風の弾丸はやつにすればそよ風、氷の弾丸は涼を取るのにすら足りない。ダメージを与える事など初めから期待していない牽制の魔力弾を六発。的はとびきりデカイので外し様が無い。なるべく意識を一ヶ所に集める為に狙いを定めるが、ほとんど意識する事無く弾丸はヴィクスの右腕に吸い込まれていった。
 閃光が視界を塞ぎ、爆風が気流を乱す。一瞬の後、念の為効果の程を確かめるべく着弾点を見るが、どこに魔力弾が命中したのか分からぬ程に綺麗な鱗しか見えない。
 ショックだ。エーティーは素直にそう思った。幾ら通用しないと分かっていたとしても、並の魔導師であれば障壁諸共吹き飛ばすだけの攻撃だったというのに。しかも攻撃を当ててもヴィクスは着弾点にまったく意識を向けない。無駄弾に舌打ちすると、エーティーは上空へと飛んだ。
 エーティーの攻撃とその結果を見ていたユーノは驚愕する。これ程とは思わなかった、という表情だ。目的は倒す事では無く、時間を稼ぐ事。イリスを倒すまでの間、引きつけて置けばいいので致命傷を与える様な攻撃は必要無い。だからといって、こちらの攻撃を全く意に介していないというのは問題だった。これでは子供の足元を這う蟻程にも興味を持たれない。
 アルフはエーティーとユーノと別行動を取り、ヴィクスの頭部目掛けて飛行していた。注目を集める最大の方法は興味を持たれる事。第一段階として、その存在を印象付ける。アルフはヴィクスの眼の前に現れ、鼻っ面に拳を叩き込んでやろうとしているのだ。
「おらおらデカイの! 私はここだよ!!」
 大声に対して意味は無いと考えつつも、叫ばずにはいられない。自分を鼓舞し、アルフはヴィクスの眼前に姿を現した。一気呵成、拳を叩き込もうとする。しかし、拳を振り上げた瞬間に体全体が猛烈な勢いで後ろに引っ張られる感覚に見舞われる。いや、これは引っ張られているのでは無く、押されている。前へ突き進み、殴ろうとしたアルフの向きが逆さまになっている。
 アルフが吹き飛ばされる様を見たフェイトは余りにも突然の事に動揺するが、攻撃を受けた訳では無さそうだと判断すると、すぐさまアルフに代わってヴィクスの眼前に向かう。
 右手に魔力をチャージし、バルディッシュのサポートを含めて極めて短い時間で魔法を完成させる。
 ヴィクスの眼前、アルフが居た場所よりも少しだけ離れた位置から右手を振り抜く。
「サンダースコール!!」
 巨大な眼に狙いを定め、雷の雨が降り注ぐ。強烈な光で視界を殺し、尚且つ雷によってダメージを与える策。どの程度視界を殺していられるかは分からないが、これで地上で戦う他の者へヴィクスが攻撃を仕掛けるという事は無くなっただろう。眼の前に敵がいるというのに無視する低脳では無い筈だ。
「よし、これで……っくぁ!」
 突如としてフェイトの背中に衝撃が走った。衝撃といっても、攻撃を受けたという訳ではない。何かにぶつかった、それもそんなに硬くはないものにだ。
「っと、ごめんよフェイト」
「アルフ! なんで……」
 フェイトの背中にぶつかったのはアルフだった。おかしい。フェイトは、ヴィクスから離れてしまったアルフに代わってヴィクスに接近したのだ。だったら、フェイトとアルフは離れた位置に居る筈なのに。
 今はそんなつまらない事を考えている場合では無い、とフェイトはヴィクスの眼前から離れる。続いてアルフも。
「フェイト、ごめんよ。何だか分からないけど、急にコントロールが効かなくなっちゃったんだ」
「コントロールが?」
「ああ。前に進もうとしたのに後ろに押されて、ようやく止まったと思ったら今度は前に引っ張られるようになって……」
 要領を得ない。前へ進もうとしたら後ろへ押され、止まったと思ったら引っ張られた。まるで何かに操られているかの様だ。
「気にしないで。とにかく今は、ヴィクスの注意を私達に引き付けないと」
「おっと、そうだね。じゃあ私はバインドであいつの口を閉じてみるよ。なにか大きいの出されちゃたまんないからね」
「うん。なら私は関節を狙ってみる」
 アルフは両の拳を胸の前で叩きつけて、フェイトはバルディッシュで魔力刃を形成。お互いに頷き合ってから別れた。



「硬いなんてレベルじゃないわね。こいつ、どんな皮膚してんのよ」
 エーティーはひたすらに魔力弾をばら撒きながらぼやく。既に数十発もの魔力弾を撃ち込んでいるというのに、ヴィクスはまるでダメージを受けた様子が無い。まるで素手で岩石を殴っているかの様な絶望的強度の差。ヴィクスが単なる魔力の塊であれば、ディスペルバレットで制圧できるというのに。
 効果がまるで無いのでは、これ以上は弾丸の無駄だと判断したエーティーはアルアイニスを別の形態へと変化させる。
「アルアイニス・セカンドモード」
 巨大なリボルバーキャノンの形状から変わった結果は、小さな宝玉。レイジングハートの待機状態に似た、球状である。透き通った黄金色がアップルジュースを思い起こさせる。エーティーはアルアイニスを握り締め、念話で他の三人へと指示を飛ばす。
 一言。ヴィクスから離れろ、と。
 ヴィクスの剛腕と肩の付け根に魔力刃を突き立てていたフェイトと、顔からやや離れた位置で口目掛けてバインドを放っていたアルフはすぐに離脱。ユーノは、エーティーが指示した時、既に離れていたのでそのまま。
 唱える。
「最大最強!!」
 地球の大気圏外、衛星軌道に存在するアルアイニスの本体へ向けて。
 一直線に、撃ち貫けと。
「天よりの落涙!!」
 魔法が成立した刹那、エーティーの、フェイトの、アルフの、ユーノの視界が真白で染まった。とんでもなく強大で暴力的な魔力が過ぎ去り、映像も音も全て奪い去る。数秒、自分以外の認識全てを殺された状態が続いた後、ようやく正常が訪れる。
 耳は音を拾い、眼は映像を受け入れる。自分以外に誰かいるんだと感覚的に認識する。
 フェイトは直感的にこの魔法を理解した。これはスターライトブレイカー級の砲撃。しかも超長距離かつ短時間での発動を可能にしたもの。どのようにして使用しているのかは分からないが、つまりこれは高町なのはの全力をぶち込んだのと同じだけの威力があるという事だ。
 しかし。
「――――ォォォォォォォォォォォォ!!!!」
 ヴィクスは無傷で存在する。
 この咆哮はどれくらい長いものなのだろうか? 四人の耳を劈く衝撃波に似た咆哮。ヴィクスは、天よりの落涙を受けて尚無傷。エーティーの持つ魔法の中で、最大の威力を誇るものを、集束砲を受けて初めてこちら側を敵と認識した。
 そう、人を芯から戦慄させる声は痛みに喘ぐものじゃなくて、怒りに震えるものでも無くて、戦いの前に己を高ぶらせる為のもの。誰もがそう感じた。
 理解する。
 死竜・ヴィクスとは、想像を絶する化け物なのだと。
「今のが……効いて無いってのかい?」
 アルフが驚愕に眼を見開く。信じられない、と。
「効いて無い……ううん、意に介して無い。気にも留めて無い」
「ちょっと、卑怯にも程があるでしょ。これで無傷って、どーすりゃいいのよ」
 フェイトもエーティーも、どうすればいいのか分からないでいる。
 アルアイニスは所有者の存在する次元世界へと自動で転移し、その星の衛星軌道を周回する。星の上空を高速で巡るアルアイニスは、自己の中に存在するプログラムを起動し、大気圏外から大気圏内に存在する魔力素をひたすらに回収する。そして、回収して内部に溜めた魔力素を使用する事で魔力を集束させる時間を要せずに放つのが天よりの落涙である。
 その威力はフェイトが感じ取った様に、集束型砲撃魔法であるスターライトブレイカーに引けを取らない。だというのに、ヴィクスには傷一つ無い。
 今回は地上へ落とす事が出来ない為、空中に位置するヴィクスの真横から撃った。それも顔面直撃だ。だっていうのに意に介してさえいない。
「おかしい」
 ユーノが呟く。
 ヴィクスはかつて真竜と呼ばれた存在だ。その強大さは彼とて理解しているつもりでいる。だがしかし、如何に強大な竜であろうとも、ここまで頑強だという事があり得るか? 幾らなんでも頑丈過ぎる。
【フェイト、試して貰いたい事があるんだ】
【試す? いいけど、何をするの?】
【バルディッシュには管理局で強化された際にモードが追加されている。知ってるよね?】
【うん】
【それで攻撃を仕掛けて欲しいんだ。どこでもいい、当ててくれればそれで】
【分かった。やってみるよ】
 ユーノの真意は分からない。だが、純粋に攻撃力の高い手を切っても通じなかった今、考えのある者の指示に従うのが最良だろう。
「バルディッシュ・アサルト。フルドライブ!!」
 ――Yes sir
 フェイトがバルディッシュを前方に突き出し、魔力を流し込むと、斧の形状をしたアサルトフォームから大剣への変形が始まった。柄が長く強固な斧といった形状から巨大な剣の柄へ。両手で握り締め、一振りすると魔力刃が形成された。
 長い。そして大きい。フェイトの身長より長く、胴体より太いその刃。バルディッシュ・アサルトの本体破損を防ぐ為の出力リミッターを解除したからこその強大な力。その出力故に使用法を間違えればフェイトとバルディッシュの双方に多大なダメージを与えかねない武装。
 フェイトがシャドウコモンとの戦いの時に使用したアタッカーフォームが高速戦闘と対象の破壊を目的とした形態であるならば、このザンバーフォームは大威力とその応用を目的とした形態。
 視覚的には余りにも不釣り合いな大剣を構え、フェイトがヴィクスへと突撃する。
「ソニックムーブ」
 加速魔法を使用し、文字通り目にも止まらぬ速度で移動するフェイト。
 だが驚いた事に、ヴィクスはフェイトの居る方向を一瞥し、尾を振り回し、進行を妨害して来た。
 たったの一薙ぎで気流を派手に乱すとんでもなく長く太い尾は、あろう事かフェイト目掛けて移動している。高速移動中だというのにその軌道を読み、先回りするかの様な動き。
 かつてシグナムがフェイトに放った鞭状連結刃での攻撃とは違う。シグナムの攻撃は、加速魔法による加速が終了するタイミングを狙ってのものだった。だがヴィクスのそれは明らかに加速中に叩き落とす為の軌道。反則としか言いようの無い行動だ。
 相手の目的が分かっているのにその通りに行動してやる必要は無い。フェイトはヴィクスの異常なまでの行動にも動揺を見せず、進行方向を僅かに変更する事で尾をやり過ごそうとする。
「いけない。あれじゃギリギリだ」
 フェイトの軌道と尾の軌道。二つの軌道の向かう先を予測したユーノはそう呟いた。
 確かにフェイトはヴィクスの尾が直撃するコースを避けている。高速での移動中、相手の信じられない行動に対しての冷静な判断と対処は見事だ。だがしかし、フェイトは本当にほんの僅かにしかコースを変更していない。あれでは直撃しないまでも、ヴィクスの尾の上を滑る様に交差する事になる。
 巨大な物体が動けば風が巻き起こる。空中で、ビル並の太さの物体が振り回されればそれは想像を絶する乱気流となるだろう。そんなものの傍を飛んで抜けるなど、不可能だ。
 ユーノはフェイトに向けて警告しようとした。けれど間に合わない。今、ユーノが双方の軌道を計算して予測出来ている事でさえギリギリ。デバイスによるサポートの賜物なのだ。指示も援護も間に合わない。
「フェイト!! 走っ……」
 エーティーが何事かを叫ぼうとしているが、間に合わない。ヴィクスの尾が巻き起こす乱気流に呑まれ、フェイトが吹き飛ばされる。そう思った刹那、フェイトの姿が一瞬だけブレて見える様になり、次の瞬間にはまた見えないくらいの速度へと切り替わった。
「え?」
 おかしい。
 如何にフェイトが卓越した飛行技術を持っていても、強烈な乱気流の中で飛ぶ事は不可能な筈だ。だが、フェイトは平然とヴィクスの尾に沿う様に移動している。
 フェイトの姿が一瞬だけ見えたのは、加速魔法による高速状態が終わったから。次の瞬間にまた見えなくなったのは、再度加速魔法を使用したから。乱気流の中を飛ぶだけでは無く、同時に加速魔法を行使する。出来る筈が無い。
「走ってる。フェイトってば、私が言わなくてもどうすれば接近出来るか気付いてた。それも、あれを目の前にして実行するなんて……」
 エーティーの声でユーノも気付いた。そうだ、フェイトはヴィクスの尾に沿う様に飛んでいるんじゃ無い。あのビル並に太い尾の上を、走っているんだ。
 バルディッシュの刃を尾に当てながら走っているのか、バチバチと黄金色の閃光が走っている。しかしその程度ではダメージにはなっていないようだ。相変わらず攻撃の痕さえ残っていない。
 あっという間、フェイトはヴィクスの尾の上を走り、背を駆け上がり、首筋に到達した。フェイトが取り付いて初めて分かる、体躯の差。ユーノは、以前なのはとの他愛ない会話の中に出て来た怪獣映画というものを思い出していた。願わくば、自分達も映画の様に怪獣を撃退したいものだ。
 フェイトがバルディッシュを振り上げ、その巨大な魔力刃を首筋に振り下ろす。
 刃という形に魔力を集束、半実体化させたザンバーは、局所的な攻撃力であれば集束砲のそれを上回る。事実上、一点に対する攻撃としてはメンバー中最強となるだろう一撃。フェイトにとって、四人にとって奥の手と言えるそれが、なんともあっけなく折れてしまった光景は、悪夢としか言い様が無い。
「魔力刃が……折れた」
 アルフが絶望に打ちひしがれた様な声を絞り出す。ザンバーが折れた。それはつまり、ヴィクスにはありとあらゆる攻撃が通じない事を示している。少なくとも、鱗に覆われた外面への攻撃は無意味だろう。
 ではどうする? セオリーどうりであれば、弱点部位を探すべきだろう。完全無敵の生物などいない。ヴィクスは事実として過去に一度倒されているのだ。
「くっそ。どうすりゃいいのさ」
「今の僕達に考え付く限りの方法じゃ、通用しないかも知れない。確か、過去にヴィクスを倒したのはシグナムさん達だったから、彼女達に聞けば何か分かるかも」
「シグナム? って事は、下で戦ってる連中ならあいつの倒し方が分かるんだよね? ならなんで私達があいつの相手をしてるのさ。経験があるやつの方がいいに決まってるじゃないか」
「そっか。アルフの言う通り、そうだよね。ならシグナムさんはどうして僕達にヴィクスの相手を……」
「それは、今のヴォルケンリッターとサイとキョウじゃあ、あいつを倒すのは無理らしいからよ」
 ユーノの疑問に答えたのはエーティーだった。どうやら件の結論についてはもう既に出ているらしい。
「ヴォルケンリッターは過去の記憶が無いらしいわ。あっても不鮮明。だから、あいつと戦った記憶はあるにはあるけど、不鮮明過ぎて役に立たない。加えて今のサイとキョウの二人は、戦闘力が全盛期以下。ヴィクスと戦ったのは全盛期、しかも方法は真正面からの潰し合い。工夫も何もありゃしないわ」
「それ、なんで今まで黙ってたのさ」
「知ってて得がある? 少なくとも私は無いと思うわ」
「でも!!」
「いい? 目的はあくまでも時間稼ぎ。攻撃が通じないとなればやり方がかなり限定されるけど、やれない事は無い。で、降りる? 降りない?」
「っんの! あんたは嫌いだ。理屈っぽくてやってらんないよ。とてもフェイトとそっくりな顔してるとは思えないね!」
「意味が分かんないわ」
 エーティーとアルフの口喧嘩を余所に、ユーノは高速で思考を回転させていた。
 確かに、エーティーの言う事は真実だ。過去にヴィクスを討伐した方法が、真正面から攻撃してダメージを与えたのであればやり方を聞く意味は薄い。如何にヴォルケンリッターといえど、先程のフェイト以上の一撃を軽々と繰り出す事は出来ないであろう事から、やはり攻撃するのは鱗の上からでは駄目。必然的に眼や口腔を狙う事になる。
 サイとキョウが下に居るのには納得出来る理由がある。あの二人は、イリスという魔導師を明確に知る人物だ。であれば、どの様な魔法を使用するか分からない今、サイとキョウがイリスから離れた位置に居るのは得策では無い。
 結局は、創意工夫の元にヴィクスの気を引き続けなければいけないという事。
 どうすればいいか、具体的な案が全く無い訳では無い。ヴィクスには魔力を使用した攻撃は通じない。その耐魔力性は、鱗に覆われていない部分を攻撃しても健在だろう。となれば……
「ちょっとフェイト!! 何してるのさ!!」
 唐突に響いたアルフの声で、ユーノの思考が中断される。
 驚き、アルフの視線を追えば、ヴィクスの眼に狙いを定め、再構成したザンバーを向けているフェイトが見えた。
 無茶だ。眼球は確かに攻撃の通じる可能性の高い部位ではある。だが可能性が高いというだけで保障は無く、反撃がある可能性も高い。
 ユーノの不安が現実のものになったかの様に、フェイトの動きが止まる。ヴィクスの眼球の真ん前、前進しようとしていたフェイトが猛烈な勢いで吹き飛ばされて行く。いや、吹き飛ばされるというよりは後ろに進んでいると言った方が近い印象をユーノは受けた。
 息吐く間も無く、ヴィクスの口腔の中に赤い光が見える。
 燃え上がる灼熱。ユーノが、アルフが、エーティーが、フェイトが、四人の誰もが今まで見た事も無い様な強大な炎を目の当たりにしていた。まるでマグマみたいな熱さ、自分自身すら焼き尽くす怒りの如き炎。数瞬の内にそれは炎では無くなり、赤い光となった。
 余りにも高熱で燃え上がる炎。それが魔力の渦に飲み込まれ、溶け、変質し、光となったのだ。既存の魔法に例えるなら直射型の砲撃魔法。想像力を働かせて名付けるなら、炎熱照射型咆撃。
 不味い。そう誰もが直観した。あれを受ければ、フェイトは死ぬ。消し炭なんて生易しいものでは無い。ヴィクスの口腔には、既に物質昇華を引き起こす程の炎熱が存在している。
 障壁や結界、即座に用意出来るもので防げるレベルでは無い。次元空間航行艦船に装備されるくらいの、桁外れな障壁が欲しいところだ。無論、そんなもの用意出来はしない。
 では避けるしかないだろう。しかし、フェイトは後ろに進んでいる状態だ。それも自分の意思では無い様に見える。なんらかの魔法で動きを制限されているのだろう。となれば誰かが助けにいかなければならない。誰だ? 誰なら間に合う? ユーノが知り得る限りの最速はフェイトないしローグ。どちらの速度でも間に合わない。ならば転移魔法。そう、転移ならば間に合うかもしれない。けど旅の鏡を使えるシャマルも、ブラックゲートを操るローグも、ブラックゲートの下位互換であるブルーゲートを操るキョウも、下にて戦闘中。つまり、手詰まり。
 いや、そもそも、転移ですら間に合わないだろうタイミングだ。座標を指定して空間同士を繋げるなんて事をしていては遅過ぎる。座標を指定して、次の瞬間には辿り着いていなければ間に合わない。いや、そもそも攻撃前にフェイトの元へ辿りつけたとして、攻撃範囲から脱する事は可能なのか?
 ユーノは己の頭の中で考え得る全ての選択肢に、不可能だと結論付けた。
 つまり、フェイトは死――「フェイトォォォォォォォォォォ!!!」――絶叫、だった。
 ユーノが、フェイトは死んでしまうのかと諦めかけた瞬間に、エーティーの絶叫が響いた。フェイトと同じ顔で、同じ声の少女の絶叫は、まるでフェイトが死にたくないと願うかの様な咆哮。
 そうしてエーティーは、姿を消した。



 DUAL SYSTEM Set up――Sonic Move――



 消えてから現れるまでの時間がどのくらいかなんてのは、本人にも他人にも分からない。分かる必要も無い。
 大事なのは間に合ったかどうかだけ。フェイトがヴィクスの放たんとする炎熱照射型咆撃を受けて死んでしまう前に、魔力素移動を行使したエーティーが間に合ったか否か。
 肉体の動きを制限されているだろうフェイトを抱えて移動する時間は必要無い。ただ行うべきは、空を蹴って暴力的な炎熱の照射を避ける事だけ。それが終われば大きく息を吐き、心を落ち着ける。次いで、視線をヴィクスの眼球へ向ける。意識せずに彼女の瞳が告げていた。本当の戦いは、これからだと。
 グルル、とヴィクスが喉を鳴らした。それが彼女の瞳が告げた言葉への返答なのか、はたまた強大な魔法を行使した後の気を落ちつける為の行為なのか。どちらかは判別出来ない。
 そんなヴィクスの姿を、一人の少女が見ている。髪を左右で束ねた、美しい金色の髪。漆黒のバリアジャケットは薄手のもの、背に付けられているマントが高空に吹きすさぶ風になびいている。斧を連想させる黒いデバイスを握り、けど戦う態勢を取らずに彼女の唇が動きだして、まるで唄う為にあるかの様な声で喋り始める。唇の動きは、とても早い。まるで一人で二人分の声を出しているかの様に。けど、彼女から紡ぎだされる声は同じ色。少しだけ、喋る時のトーンは違ったけど。
「なんだか違和感があるね」
「そう? 私としては別に何も違和感とかはないんだけど。強いて言うなら、動かなくてもいいから楽になったかな?」
「これが、ローグとアリサがやっていた融合なんだね」
「正確には融合じゃなくて、デュアルシステムとかいうのを使ってるらしいんだけどね。ま、月天物語に記された大昔の魔法なんて知ったこっちゃないけど。重要なのは、これで私達がどうパワーアップするかって事よ」
「パワーアップ……うん、なんだか力が漲って来る感じがする。なんでだろ、エーティーと一緒だと暖かいね」
 フェイトにヴィクスの炎熱照射型咆撃が迫るその刹那、エーティーが魔力素移動によってフェイトの元へ辿り着いた。けれどたかが一個人が辿り着いたところで、桁外れの魔力量と熱量を誇る咆撃を防げるものでも無い。ならば逃げるのが最良の一手だろう。ただし、子供とはいえ人間を一人抱えて移動するには時間が掛る。相手を抱えて、その上で移動するのだ。どうしても僅か一瞬遅れるだろう。
 防げず、抱えて逃げられず。二人だからどうしようもない。その状況から脱したい。答えは何より単純だ。二で多いのなら一になればいい。幸いにして、フェイトとエーティーは二人から一人になる術を持っていた。
 本来、月天物語内に存在するデュアルシステムの使用は、ローグとアリサの様に魔力構成体とリンカーコアを持たない人間という一と無の組み合わせでしか成立しない。しかも一と無の組み合わせであっても、双方が肉体を所有していては不可能なのだ。デュアルシステムとは、魔法と道具を組み合わせる為に生み出されたシステムなのだから。アリサ・ローグウェルという人物は、存在する筈の無い者なのだ。
 一と無という条件。フェイトとエーティーではこれは満たせない。双方がリンカーコア持つ魔導師だからこそ、この場で共闘しているのだから。リンカーコアを持つ者同士がデュアルシステムを使おうとすれば、リンカーコア同士が反発しあって失敗する。通常であれば。だが、エーティーとはアリシア。エーティー=アリシアであれば、つまり肉体の構造的にはエーティー=アリシア=フェイトだ。
 フェイトはアリシアのクローン故に、エーティーはアリシアから変わった者故に、それは同一の別人。考え方も、感情の起伏も、好きなものも嫌いなものも、ちょっとした仕草の違いがあっても、彼女達は同一の別人。少なくとも、DNAという側面から見れば、フェイトを生み出した方法が完璧であればある程に完全な同一。
 だから、フェイトとエーティーは一人になった。フェイトは肉体を持ち、エーティーは肉体を持たないから。フェイトとエーティーのリンカーコア、その根本は同じ故に反発は起きないから。アリサ・ローグウェルとは別の形で、存在する筈の無い者。それが、フェイト・アリシア・テスタロッサ。
「行こう、エーティー」
「ええ、あの竜に私達の強さを見せつけてやりましょう」
 エーティーは念話を使い、ユーノとアルフに自分達は無事だ、と告げる。その際ユーノから、ヴィクスへの有効な攻撃方法を教わった。その攻撃方法は、あくまでも自分の予想だという前置きをされて説明されたのだが、聞いてみれば成程と思わず納得してしまうものだった。
 試してみよう。ユーノが唱える、ヴィクスの倒し方を。
「フェイト。バリアジャケットやその他諸々、一式整えるわよ」
「うん。バルディッシュ・アサルト、アタッカーフォーム。アルアイニス、サードモード。バリアジャケット、ソニックフォーム」
 彼女の声音に反応し、バルディッシュとアルアイニスが形状を変える。
 バルディッシュは一つであったボディが二つに分かれ、それぞれがフェイトの両脚へと装着される。重厚なブーツを思わせる形、両脚のくるぶしの辺りにはシリンダーが装備されており、カートリッジシステムが使用可能となっている。
 アルアイニスは基本形態であるリボルバーキャノンと特定の魔法を行使する為の宝玉の形、本来はこの二つしか使用しない。今回変形する第三の形態は、念の為にと用意しておいた形状である。エーティーは近接戦闘をほとんどしないので、まさか実戦投入する事になるなんて思いもしなかっただろう。思い描くのはグローブ。鋼鉄の、相手を殴り倒す為の拳打。フェイトの指にフィットする様に、と描かれたアルアイニスは所有者の思考を正確にトレースし、形を成す。
 バリアジャケットは、これまでの状態からして十分に薄手だったフェイトのものが、さらに薄くなった印象を受ける。背にあったマントも取り払われ、外見から判断出来るだけでも防御力の低下は著しい。防御力を犠牲に速度を追求した、まだ未完成の余りにも極端なバリアジャケット。ソニックフォーム。
 殴る拳、蹴る脚、高速で駆動する肉体。フェイト・A・テスタロッサにおける、完全なる近接肉弾戦闘用の姿である。
「「行こう。バルディッシュ、アルアイニス」」
 寡黙な二つのデバイス。片方は自立した思考を持つインテリジェント型。片方は自立した思考を持たないストレージ型。けど、何故か両者は主達の言葉に揃って返答した、Yes sirと。そんな気がした。



第二十六話 完
次『雷光の竜』





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