コトコトコトコト。
沸き立つ鍋から流れる音は、食欲を刺激する小さなもの。大きな鍋を満たす黄色の液体を、物凄い笑みで掻き混ぜる。先端部が球状になった杖的物体を握り、「うううぅぅぅぅぅぅ」などと不気味な呻き声を漏らしながらじっと鍋の中身と格闘する人物。
「う、うぅぅぅぅぅぅぅ。あづい〜」
水滴で眼を濡らしながら一心不乱に液体を掻き混ぜる。その行為が行われている台所の傍ら、剣道着に身を包み、竹刀を構えたシグナムが画面に映るデジカメ。それを時折横目で眺め、操作しつつ、けど集中を切らす事無く液体を掻き混ぜる。
「はやてちゃーん。かぼちゃスープの出来はどう?」
と、鍋と格闘する女性、はやての背中にリビングから声がかかる。淡い色のスカートとノースリーブのシャツを着た女性。大人びたスタイルの彼女が身に纏うと、人々、主に男の視線を引き付ける。
「ああ、シャマル。出来はバッチリや、期待してええよ」
現われたのは、八神シャマル。鍋に向かっている八神はやての親戚で、現在は八神家に居候している5人の内の一人だ。八神シャマルというのは本当の名前では無く、この八神家に居候するに際してはやてが命名したものだ。命名理由は、その方が家族っぽいから。
普段八神家で仕事をしている彼女は、食事の準備をするはやてを気にかけて良く声をかけたりする。
「は、はやてちゃん!その顔どうしたの!」
シャマルは大量の水滴でぐしゃぐしゃになったはやての顔を見るとハンカチで目元を拭う。
「ああ、これ涙やなくて汗や。台所暑いねん」
「あ、汗ね」
よくよく見れば額や頬から顎の先、はては耳まで、顔に付属するパーツ各所に汗が見受けられる。どうやら夏の暑い日に熱いスープなんて作っている事が原因の様だ。
「どうしてわざわざそんな熱いものを選んだの?こう、冷やし中華とか涼しいものでもいいんじゃない?」
「いや、暑い時にこそ熱いものを食べるべきなんや」
シャマルは分からないでもないといった顔をしながらも、やはり複雑な顔でいた。
「それはいいんだけど、自分の体は大事にしなくちゃね」
優しい微笑みがはやてを見据える。はっきりと、彼女に対しての気遣いが見て取れた。
「ここは私が見てるから。ほら、リビングはエアコンがガンガンに効いてて涼しいわよ」
シャマルは、はやてが手にしていたおたまを強引に奪う。そうするやいなや台所の鍋へ向かっていたはやてを反転。リビングへと背中を押しやる。
「わ、分かった。分かったから押さんといて」
仕方ない。そういった風に見て取れる表情ではやては了承の意を伝える。本当は、感謝しても仕切れないくらい大量の感謝の念で一杯なのに。堅苦しくて重くて息苦しい感覚も空気も好きじゃないし苦手だから、あくまでもお願いされて仕方なく、という風を貫く。
それを分かってるから、シャマルはその態度を最大限の感謝として受け取る。
「あ、けどな」
リビングへ向かう際に、一つだけ言い残す事があったのを思い出す。これだけは絶対厳守だ。
「鍋の中身、掻き混ぜる以外の事したらあかんよ」
「ちぇっ」
「シャマル」
「な、なんでもないから。ほら、はやてちゃんはテレビでも見てて」
不安なら売る程に残るが、善意だけで固められた行動には敵わない。はやてはそれ以上何も言う事無く、シャマルが付けたままのテレビとエアコンが動くリビングへ向かう。ひとまず自分好みの番組でもないかと適当にチャンネルを回す目的でリモコンを探す。
が、探し物とは往々にして必要な時に見つからず、必要無い時にひょっこりと出てくるものである。ちょっとした忘れ事もまた然り。
「み、見つからん」
素直にテレビについてるスイッチから直接チャンネルをいじればいいものの、一度意地になったはやては中々に強情だ。リモコンを使ってチャンネルを回し、見たい番組が無いか物色する。そうと決めたらなんとしても探し出す。
「どっかに落ちてへんかな?」
テーブルの下を除いて、ソファの傍を見回して、本棚の上に加え床全体を見渡す。
「な、無い」
だが、敵の自己隠蔽能力ははやての索敵能力を上回っていた。
「敵はステルスか!ステルスなんか!」
そんな訳が無い。一体何処の家電メーカーがテレビの付属品たるリモコンにそんな軍事目的で使用出来そうなギミックを仕掛けるというのか。しかもそれが原因で必要な時に見つからないとあれば本末転倒。いや、そもそもステルスは不可視の機能などでは無いし、人間であるはやてがレーダー機能なんて備えている筈が無いのだから、もう関係無いの極みだ。
でも、はやてはもしあるのならそんな家電メーカーは3日で潰れればいいと思った。
だが、そんな家電メーカーはどうまかり間違っても存在しないので効果は無かった。
「はい」
不意に、床に落ちてないかと探しまわるはやての眼の前に目当てのリモコンが出現した。
「おお!私の気迫に観念して自ら出て来たか」
「いや、あたしが見つけたんだ」
当たり前だがリモコンは自分で動かない。リモコンはしっかりと肌色の掌に握られており、その掌は随分と小さい。なので、はやては相手が誰なのか気付いた。
「冗談や冗談。ありがとな、ヴィータ。もう帰ってたんやな」
リモコンを持った少女、八神ヴィータ。私立聖祥大学付属小学校に通う小学三年生の女の子。明るく活発で友達も多い、クラスの人気者らしい。シャマル同様、八神ヴィータははやてが付けたものだ。
普段は小学校が終わってから陽が暮れるまで友達と外で遊んでいるのだが、この日は特別だった。
「今日はシグナムのお祝いだから早く帰って来たんだ」
「よしよし、偉いな。家族を大事にする子は好きやで」
ぐりぐりとヴィータの頭を撫でるはやて。
「じゃあもうすぐシグナムも帰って来るし、泥だらけの服は着替えてしまおな」
「うん。着替えて来る」
「一人でも平気か?手伝おか?」
「あたしはそんなに子供じゃないぞ」
はやての発言が不満だったのか、ヴィータは駆け足でリビングを出て行ってしまった。
それを見たはやての口元に、小さく笑みが零れる。
「うんうん。もう小学三年生やもんな」
早いものだ、とはやては思った。ヴィータが、シグナムやシャマル、ザフィーラ、リインフォース達と八神家へ来て既に6年。初めて会ったヴィータはこんなに小さかったのにな、そう思い、出会った当時のヴィータと同じくらいの大きさの物に眼をやる。
「はやて、何故携帯電話を見詰めている?」
「お、おお!シグナム!帰ってたんか!」
八神シグナム。海鳴市内の公立高校の剣道部に所属する高校三年生。先日行われた他校との練習試合で、全国区の選手を打ち負かしたという実績を持つ。この日は、シグナムが全国区の選手に勝利したお祝いの日だ。名前に関してはシャマル、ヴィータと同じく。
「ああ、ちょうど今着いたところだ」
はやては慌てて自分の掌で覆い隠せそうな携帯電話から眼を放す。幾らなんでもこのサイズではまだ母親のお腹の中だ。
「そか。お腹減ってるやろ?夕食もうすぐ出来上がるから」
「今日は大会直後という事もあって練習はそう厳しくは無かったんだ。だから余り減ってはいない」
はやての質問に正直に答えるシグナム。その答えを聞いて肩を落とし掛けるはやてだが、シグナムはほとんど間を開けずにこう言った。
「だが、私を祝ってくれるという席で遠慮するのも無作法だろう。なので昼食は普段の半分程度に抑えて置いた」
途端、はやての顔が輝く。それを見てなんだか愛しい気持ちになったシグナムは、なんだか恥ずかしくなり早々にその場を離れる。
「ただいま、はやて」
それを待っていたかの様に、玄関から声が聞こえる。声は一人分だったが、帰って来たのは二人だろう。普段の習慣からそう思ったはやては、大きめのタオルをそそくさと用意し、出迎える。
「あれ、リインだけか?ザフィーラは?」
「ああ、ザフィーラは家族を代表して祝いの品を買いに行ってもらいました。だいぶ前に分かれたのでもうすぐだと思いますよ」
八神リインフォース。なんだか名前が長くてバランスが悪いと、冗談だとしても言おうものならその鋭い眼差しで射抜かれ、死の恐怖を味わうとまで言われる女性。普段は高町なのはの家族が経営する翠屋で働いている。シフトの関係上、工事現場で働いているザフィーラと一緒に帰って来る事が多く、この日もそうなりそうだと聞いていたのだが、はやての予想は良い方向で外れた様だ。
「そうか。なら心配無いな。シグナム達はもう全員帰って来とるからザフィーラで最後や」
「そうですか。では私は着替えて来ますね」
「ああ、そうしたらええ」
「ところではやて」
「ん、何や?」
「シャマルが先程から呼んでいるようですが、いいのですか?」
「え?」
耳を澄まして見れば、シャマルの声で「はやてちゃーん!なんだか変な臭いしてきたー!」なんて声が聞こえる。そういえば、かぼちゃスープを任せ切りにしていたと思いだす。同時に、このまま放って置くとかぼちゃスープ、ひいては食卓が危ないと悟った。
シャマルは以前、ちょっと離れないといけないので鍋を見ていてくれ、そう頼まれた料理に対し謎の調味料を混入。八神家を壊滅の危機に陥れた事もある名の在るポイズンメーカーなのだ。
「一般的な調味料しか無いのにそれらを絶妙な分量で混ぜ合わせる事で生まれる謎調味料。それを天然で、かつ善意で生成するシャマルが台所で一人。しかも火にかけ過ぎでどうにかなりそうなスープというメインディッシュが目前に!これはあかん!」
「叫んでないで行った方がいいと思いますよ」
「そやな!シャマル!待ちぃー!」
リインフォースの言葉を最後まで聞かぬまま、はやては台所へと向かってしまう。見送る顔には、やれやれといったものと、その体を気遣う二つのものがあった。






「すいまない、遅くなった」
はやてがシャマルの待つ台所へ向かってから数分、玄関から男性の声が聞こえた。この八神家の住人の中で唯一の男であるザフィーラのものだった。
「ああ、おかえりザフィーラ!ちょっと待っててな!」
「ごめんね、今ちょっと立て込んでて!もうすぐご飯出来るから!」
それを何やら慌てた様子で迎えるはやてとシャマル。どうしたものかとザフィーラが視線を僅か巡らせる。すると、すぐ近くで座り込んで暗い空気を醸し出しているシグナムと、それを慰めるヴィータの姿があった。
「ど、どうしたんだ、シグナム」
普通は達位置が逆な気がしてならないのだが、ザフィーラはそれをひとまずベランダでもなんでも、とにかく眼の届かない所に置いて措き、尋ねた。
「ああ、それが、シャマルがシグナムの写真を」
「うわああーーー!先生が撮ってくれた写真がぁーー!」
二人の言う写真とは、シグナムが試合で勝利した記念に撮影されたものだ。撮影をした人物は4月の時点で定年退職してしまった剣道部の前顧問であり、シグナムに剣道を教えてくれた人でもある。
「それを私がかぼちゃスープの餌食にしてしまって」
はやては料理をしながらデジカメ内のデータを整理していた。何故わざわざ料理しながらそんな事をしていたかと言えば、写真を早くプリントアウトしたかったから。その作業中、シャマルがはやてと鍋の番を交替し、そしてやっちまったという訳である。
「私が悪いんや。料理しながらやる必要無かったし、何よりそんなに急がんでも写真は逃げへん」
「いいえ、私が悪いのよ!私がかぼちゃスープをつまみ食いしようとしなければ!」
自分の所為だと言い合うはやてとシャマル。ひたすら落ち込むシグナムとそれを撫で慰めるヴィータ。リインフォースはどうやら自室に居る様子で、ザフィーラは自分が場を収めねば、と思った。
「それで、データが無事かどうかは確認したのか?」
ピタッと、全員の動きが止まる。
「でも、デジカメはうんともすんともぽんとも言わないのよ」
「いや、ぽんと言ったら、多分それは壊れているんだと思うが。ともかく、中のデータが壊れたとは限らない、まだ確かめていないのなら確かめるのが先決だと思うが」
途端、シャマルがデジカメを持って猛ダッシュで駆けて行く。目指すは八神家で唯一パソコンとプリンターがある場所、リインフォースの部屋だ。
「リインちゃん!ちょっとパソコン使わせて!」
ドーンッと豪快な音を響かせて扉を開けると、そこには下着姿のリインフォースが居た。
「え?」
「起動!スイッチオン!今すぐ!ナァーウ!」

パシーン。

怒られた。
「で、どういう訳です?」
リインフォースが着替え終わるまで頭を撫でさすっていたシャマルは、噛み付かんばかりの勢いで捲し立てた。
「あのね!先生が写真でシグナムがドーンでヴィータちゃんは良い子でシグナムがガーン!でザフィーラがデータはって言ってはやてちゃんがあーもう!」

パシーン。

怒られた。
「つまり、写真のデータが消えていないか確かめて欲しいと」
「そうなのよ。お願い出来る?」
「ええ、簡単ですよ」
リインフォースは馴れた手付きでパソコンを起動し、デジカメのメモリーを読み込み、写真データを表示する。数十枚ある写真の中、シグナムがかつての恩師に撮って貰ったという写真は確かにあった。
「良かった、あった!私これだけ無くなってたらどうしようと思って」
「この写真のデータだけ消えるなんて事無いですよ。1か0、全部あるか全部無いかだけです」
「そうよね、そうよね!あーんもうリインたら大好き!」
ぎゅうっとシャマルがリインフォースを抱き締める。別に自分はあるかないかを確かめただけだし、特別何もしていない。だから褒められる理由も感謝される謂われも無いのだが、感激で打ち震えるシャマルには一向に関係が無かった。ただただ、無邪気な子供の様に喜びを全身で表現している。
リインフォースは、それをやれやれといった表情で受け止めた。






「しかし、これでようやく夕食にあり付けるな」
写真騒動が収まった後、八神家の一同はリビングに会していた。
これから全員で夕食な筈なのだが、何故かそこには八神家で一番幼い少女、ヴィータの姿が無かった。
「ヴィータは何処かに行ったんですか?」
「ああ、ヴィータはちょっとなのはちゃんのところへお裾分けに行ったんや。炊き込みご飯を用意してたんやけど、ちょっと張り切って作り過ぎたみたいでな、夕食が終わってからお裾分けに行っても意味無いと思って」
成程、とリインフォースは納得する。一番幼いヴィータが行ったのは、部活や仕事、家事で疲れているだろう家族を思ってのヴィータの気配りだろうと、自分の中で付け加えて。
「けどおかしいな、シャマルがリインのところへ行ってからすぐに出たから、もう戻って来ててもいい時間なんやけどな」
リインフォースとシャマルは、写真のデータが残っている事を確認した後、今後同じ騒動が無いようにとバックアップを取ったり、妙にハイになったシャマルの相手をしていたりする内になんだかんだで時間が経っている。八神家から現在なのはが暮らしているアパートまではそう距離は無いので、時間帯的にはもう戻る頃だ。なのに、20分以上待ってもヴィータは戻って来ない。
「これは、もしやヴィータに何かあったのか?」
「いや、そうとも限らないだろう。単に友達を見つけて遊びに誘われたのかも知れない」
「けどもう何処の家でもご飯の時間やし、それは無さそうやな」
色々と意見が出るが、どれも予想の域を出ないものばかりだ。こういう場合、直接連絡を取るのが一番良いのだろうが、生憎とヴィータは携帯電話を持っていない。
「私が探して来よう」
ザフィーラがいの一番に名乗りを上げ、上着を手に取る。
「ちょい待ち、ザフィーラ」
「何か?」
「ついでにお使い頼む」
ザフィーラの手にメモ用紙と財布が手渡される。
「あ、ああ、分かった」
ザフィーラは、女って逞しいという感想の元にヴィータ捜索とお使いに出た。



それから少し経って。



「ああ、ヴィータもザフィーラもおらんようなってしまったー!」
「くっ、私がしっかりしていればーーーー!!」
「もしもし、国連ですか!何者かの陰謀ですーー!!」
「お茶が美味しい」
取り乱すはやて、シグナム、シャマルを尻目に一人お茶を飲んでいるリインフォース。
家族の声をBGMにリインフォースは考えていた。みんな、本気で心配はしていない。なんだかんだ言っても、ここは治安もいいし、八神家からなのはの住むアパートまでの道のりには知り合いも多い。なにより、なのはの家に向かったヴィータが度々拉致られるなんて今までに何度もあった。主になのはによって。だから今回もそうなんだろうとリインフォースは思い、ザフィーラはその巻き添えだろうなという結論に至った。三人が取り乱して置きながら自分も探しに行くという行動に出ないのは、二人もそれを分かっているからだろう。
「もしもし!秘密組織ですか!ヴィータちゃんとザフィーラがー!」
ただ、シャマルだけは違うかもしれないと思った。
このシャマルの電話の20分後、ヴィータはザフィーラと共に帰って来た。はやてに頼まれたお使いの品、その約半分を失って。






「取り乱して電話してくるのやめて貰うにはどうしたらいいかな?なのはがヴィータを連れ出す度じゃ堪らない。それと秘密組織ってなんだ」
「何時も大変ね〜」
「なのはかユーノに電話すれば済む話だから大変ではないんだけど、それでもなぁ」
とあるハラウオン家の光景。クロノとリンディは、複雑な笑みを浮かべていた。頼られる事に対して悪い気はしないが、毎回はちょっと勘弁して欲しい。そんな顔だった。





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