線路の上を鉄の塊が走る音がすれば、カンカンカンというけたたましくも耳触りで、それでいてまぁ悪くないと思える音が鳴り響く。道路をなぞって走る四輪駆動がゴムの擦れる音を高く鳴らせて、それを耳にする。ふとそちらを見れば、なんて事の無い赤色信号。
交通の便が良く、尚且つ店が多い街の中心地。休日には人でごった返すその中の一角、全国展開のメガネ店に、なのはとユーノは来ていた。
「ほらなのは、この色なんてどうかな?」
ユーノが手に取り進めて来たのは、薄いライトグリーンのフレームで形作られたオシャレなメガネ。形状記憶やら軽量化やらの技術がふんだんに盛り込まれた最新モデルだ。
「ダーメだよ。それは予算オーバーなの」
なのはは恋人の選んだメガネを視界の端に一瞬収めただけで見限った。それはユーノの事を邪険に扱う訳でもなく、メガネを邪険に扱う訳でもなく、自分の好みを知り尽くしたユーノが選んだメガネを見ればそれにしてしまいたくなるから。さりとて予算という絶対のラインは超えられず、正直言ってそれを買ってしまうと生命の危機にさらされかねない。
「そっか、これ似合うと思うんだけどなぁ」
「うぅ、そんな事言ってもぉ」
ユーノの言葉に後ろ髪惹かれるなのは。自分の好みを知り尽くした人が、自分に身に付けてその姿を見せて欲しいと言っている。それも、知りあって十年来の友達、同時に付き合い始めて一年の恋人の言葉なのだから、どうにも弱い。
「あーもう、これに決定」
なのははそんな誘惑を振り切るべく、眼の前に陳列された中でも自分に一番近いメガネを無造作にとり顔の前に持って来る。眼の位置に合わせ、身に付ける様にしたそれを持ってユーノが立つ方へ向き直る。
「どう、似合う?」
「なのは、買う物は良く見てから決めるべきだよ」
「ん?」
似合う似合わないでなく、良く見ろというその意味を計りかねたなのはは、丁度自分のすぐ隣に在った鏡に映る姿を見た。
「な、なにこれ?」
それは、本当に売っているのか?というか現実に存在したのか?と疑いたくなる物体。漫画などに登場する意地悪な家庭教師や女教師、教育ママが身に付ける、二等辺三角形の形をした赤いフレームのメガネがあった。
「ザマスメガネかな?」
「あー、確かに言いそうだね。こういうメガネ掛けたお母さんは」
買う人いるのかな?という疑問を抱きつつも、なのはは頭を過ぎった言葉を我慢出来ずに言ってしまった。
クイッ。
「ヴィヴィオ、勉強するザマスよ」
「ぷふっ」
店員に思い切り聞かれたのだった。



「ありがとうございましたー」
なのはのザマス発言をしっかりと克明に記憶に刻み込んだ店員の声に送り出され、二人はメガネ店を後にする。
「うっわ、すんごく恥ずかしい」
「自業自得……とも言えないかな、僕も原因の一つかも知れない」
結局あの後速攻で無難な形の手ごろな安さのメガネを買い、店を出た。ただし、色にだけは拘り、薄いライトグリーンのものにした。
「なのは、約束の時間までまだ余裕あるよね」
「うん。今からきっかり四時間後、階段杉の根元だよ」
ユーノは約束の時間も場所もしっかりと記憶しているし、携帯電話にメモもしている。そんな確認するまでもない事を改めてそうだと頭に認識させる行為は、この日が絶対に遅れてはならない約束の日だから。
さりとて、遅れない為に四時間もの余裕を棒に振ってただ会話を続けながら待つという手もなく、ユーノは上着の内ポケットから二枚の紙切れを取り出す。
「じゃあさ、映画でも行かない?ちょっとその辺りで時間を潰してから行けば、上映が終わる頃にはいい時間だから」
そう言って彼がなのはに差し出すチケットには話題のアクション映画のタイトル。断る理由など無く、なのはは二つ返事で了承する。



「なのは、もう始まっちゃうよ!早く!」
余裕を持って移動し過ぎたのがいけなかったのか、二人が映画館に辿り着く頃には上映開始時間の数分前。折角二人で映画館に来たのだから、映画そのものが始まる前の予告から見たい、というか映画館で流れる予告が大好きだ、と豪語するなのはは、何故か一人売店の前で悩む。
「うーん、こっち?いや、それともこれかな?あ、このぬいぐるみ可愛い!」
見ればパンフレットやら現在公開中の子供向けアニメ映画のマスコットぬいぐるみ等の物販品に目を引かれているのが分かる。それを買っていて見たいと言っていた予告を見逃しては意味がない。仕方が無いので首根っこ引っ掴まえてずるずる引き摺って席に着いた。
が、そんな事をすれば不満タラタラのだっらだらのぐだーになるのは当然だった。
「もう、パンフレットが売り切れたらどうするの?他じゃ売って無いんだよ」
「パンフレットが売り切れるなんて流石に無いよ。それよりほら、代わりにこれあげるから」
なので、ユーノはなのはが物販品に目移りしている間に買って置いたキャラメル味のポップコーンをオレンジジュースと一緒に差し出した。ユーノ的にはポップコーンは塩派なのだが、なのはは最近キャラメル味のものに凝っているのでこういうセレクトになった。
「うん、グッジョブだよユーノ君」
ビシッとサムズアップを決めるなのは。いいから予告始まるよー、などと大画面を促せば、その途端になのはの視線は流れ始める映像に集中し出した。もちろん、ポップコーンを一定のペースで口に放り込み、時たまジュースで喉を潤す事も忘れない。
「ほぅ、ほうほぅ」
予告を見ながらなのはが何度も頷いている。あぁ、これはまた今度来ないといけないな、そう心の中で思うユーノ。毎度のパターン、なのはが映画館で頷きを繰り返すと、翌週には何かしらの映画に誘われる。それが、映画館デートでの二人の大体のパターンだった。
映画が始まって一時間。物語は進行を見せ、派手なアクションシーンや小さな笑いを誘うコメディシーンを織り交ぜている。
物語がどんどん進み、いよいよ最終決戦の前。このタイミングでお約束とも言えるラブシーンに入った。
「うわ……」
「こ、これは……」
二人の間に、というよりは客席全体が少々気不味い雰囲気に包まれる。派手なアクションをバンバン決めるヒーローと、ヒーローに負けず劣らずのアクションをこなしながらも美しさを損なわないヒロイン。様々な出来事の中で、当然と言っていい程に二人は恋に落ちて、そうすれば自然とあるだろうラブシーンもバッチリ抑えている。
だが、なんというか。
「ねぇ、なんか凄い事になってるよ」
「僕に振らないでよ」
周りの客に気を遣って小声で話す二人。だが、仮に少し大きめの声で話をしても周りから返って来るのは“静かにしろ”という注意では無くて“これいいの?”といった風な戸惑い、あるいはなのはの意見に賛同する声だろう。
それだけこの映画のラブシーンは過激だった。
もう首筋にキスの嵐から始まりあんな事やこんな事とか、この映画年齢制限とか無いけど子供見てもいいのかよ、ってなくらいの過激っぷりだった。
ラブシーンが終わって最後の決戦が始まり、ヒーローが悪の組織を滅ぼして映画は終わる。内容としては、“今話題の”とか言われるだけあって、満足出来るものだった。
ただし。
「ユーノ君、今度ああいう事してみる?」
感受性の強い人に、こういう後遺症を残してしまった。
「な、なのは!」
“ああいうの”が何を指すかと言えば、第一に思い浮かぶのは過激なラブシーン。なのははユーノに、子供に見せてはいけさそうな過激なアレコレがどうとかこうとかを求めているというのか?
「そ、そそそそそそそれはだね!」
そんな台詞を聞いてユーノが想像したのは、所謂一つの恋人同士のあれなのだろう。赤面して慌てふためく彼を、なのははしたり顔で眺めている。
「冗談だよ。私達にはまだ早いよね〜」
「な、なのは!」
からかわれたと悟るのに一秒もいらなかった。くっくっくっと声を押し殺して笑い、小走りで先に映画館を出て行ってしまうなのは。
その背中を見ながらユーノは考えた。からかわれた事に対する怒り、というものではないが、何か仕返しはしたい。じゃあどうしようか?晩御飯には香辛料たっぷりの激辛麺類でもごちそうしてやろうか、いやいや、なのはならそのくらい予想するだろうから回避されるに決まっている。じゃあどうする?
「あんまりそんな事言うと、本当にあの映画みたいなことしちゃうよ」
「はにゃ?」
ユーノの呟きを見事に捉えたなのはの動きが止まる。
「ほ、ほほほほほほほほほ本気で?」
ユーノの先を行くなのはが、グギギギギ、と錆びたペダルを無理矢理押し動かす様に首を回す。視線が彼の顔の端を収めた時点で動きが止まる。
「しちゃうの?」
何度も確認するのは、決して否定の態度ではない。なのはの性格上、嫌ならばそう言い切る。つまり、何度も確認するのは予想外の展開に驚くものの微妙に嬉しいんだけどどうしよう、といったものな筈。
「いや、嘘だよ」
一拍。
二拍。
三拍。
「ゆ、ユーノ君!」
それだけの間を空けて、ようやくなのはが動き出す。彼女がした様に、ユーノはくっくっくっと笑いを押し殺してなのはの隣に並ぶ。非難の言葉は、してやったりな気分が掻き消した。
でも、嘘だと言った事に多少の後悔と不甲斐無さを感じるユーノではあった。






午後五時、約束の時間。
「ヴィ〜ヴィオ!待った?」
「ううん、今来たところだよ」
まるで恋人同士のそれである二人の挨拶は、まぁ馴れたものである。
「おみやげ、キャラメル味のポップコーンだよ。はい、かじかじ」
「かじかじ〜」
なのはが手に持つポップコーン。ヴィヴィオは差し出されたそれを受け取らずにそのまま齧り付く。かじかじかじかじと噛み散らかしてなのはの指に着いたポップコーンの破片を、ヴィヴィオは丁寧にハンカチで拭きとる。
「なんかそうしてみると、親子っていうよりはペットって感じに見えるんだけど」
血の繋がらない親子二人のやり取りは、どうやっても餌付けにしか見えない。別にその行為を非難する訳では無く、率直な感想。
「私はなのはママとユーノパパの子供だよ?」
素で返されてしまった。
「いやんもうヴィヴィオったら、私とユーノ君はまだそんな子供が出来ちゃうような事はしてないよ。でもこれから先どうなるかは…………」
「子供の前で何を言ってるんですか」
なのはのちょっとだけ危険な発言を止めたのは、ヴィヴィオの住む孤児院ゆりかごに出資している教会のシスター、カリム・グラシアだった。
「ああ、カリムさん。姿が見えないと思ったらそんなところに居たんですか」
カリムが現れたのは、階段杉と呼ばれ親しまれる大きく長い一本杉の影から。午後五時という夕陽の現れる時間帯、その眩しい色から逃れる様に、カリムは陽の当たらない杉の木の影に居たのだ。
「眩しいのは苦手なもので。夕陽自体は大好きなんですが、どうにもここは陽の当たりが良過ぎますね」
困ったものです、と最後に付け足し、カリムはヴィヴィオの横に並ぶ。
「確かに、眩しいですもんね」
なのはは、普通ならその直視出来ないくらい強い色に真っ直ぐ眼を向けた。それをじっと見つめて、真上を見上げる。
「でも、私はこれくらい強い光の方が好きですね」
なのはが感慨深げ、という感じで呟いた。首を真上に向け、有に50メートルを超す巨大な杉の木の葉を仰ぎ見て。
「それよりカリムさん、この階段杉の謎を解明してくださいよ。普通に成長しても絶対にここまで育ちませんし」
一言前のセリフを無かった事にしたくて、なのはは無茶な事を言ってのける。学者でもなければ近所の植物博士でも無い、教会のシスターには土台無理なお願いだ。そのお願いに応えたのは、カリムでは無くヴィヴィオだった。
「私知ってるよ。階段杉はね、お空をもっと近くで見る為にあるんだよ!」
「うん、素敵な考えだね、ヴィヴィオ」
ユーノがヴィヴィオの頭に手を乗せ、優しく撫でる。眼を瞑って気持ち良さそうにそれを受けるヴィヴィオは、誰から見ても眼に入れて痛くない純粋無垢な子供だった。
「そうかも…………知れないね」
階段杉は海鳴市にある高い丘の頂上に位置する非常識なまでに大きな杉の木で、ただでさえ高い丘の上にあるもんだから海鳴市に存在するどんなビルもその高さには敵わない。正しく、空をもっと近くで見る為にある木だ。
「それでは、行きましょうか」






カリムに促されて歩いて少し、辿り着いた場所は孤児院ゆりかご。
「台所にあるものは好きに使っていただいて構いません。調味料等の詳しい場所は、私よりもお二人の方が知っていますし、問題はないですよね」
「はい。大丈夫です」
カリムの簡単な確認に意気揚々と応えたのはユーノだ。それを見てヴィヴィオがほんの少し嬉しそうに尋ねる。
「今日のご飯はユーノパパが作るの?」
「そうだよ。悔しいけど私よりもユーノ君の方が料理上手だからね。ここはヴィヴィオにより美味しいご飯を食べて貰う為に健気な私は身を引くの」
よよよ、と顔を袖で隠して泣きマネをするなのは。
「どうしてそこで時代劇みたいに泣き崩れるのさ」
「ユニーク?」
ヴィヴィオの質問。
「いいえ、違います」
カリムの返答。なのはは精神的に少し傷付いたようだ。
「それで、アイナさんのお婆さんは大丈夫なんですか?結構酷いって聞きましたけど」
「ええ、大丈夫ですよ。ただ、流石にご年齢らしく、近くに頼れる人が居ないと不安という事ですので、アイナさんにはそちらを優先して頂きました。お二人の都合がついたからこそアイナさんは気兼ね無くそちらにいけるんですよ」
本来、孤児院ゆりかごとに住まう人々の世話はアイナ・トライトンが行っているのだが、一人暮らしの祖母が風邪を引き、思ったよりも具合が悪い為に彼女が身の回りの世話をする事になった。アイナの祖母は普段とても健康なので、医者の見込みでは2日もあれば治ると言われている。
そこで問題になったのが、孤児院ゆりかごで暮らす人間の世話である。アイナの代わりを務められる人間が居れば一日や二日くらいはさして問題にはならないだろうが、生憎と急な事なので手配が間に合わなかった。
その上現在ゆりかごに住まう人間はヴィヴィオだけなので、一人にする訳にはいかない。ほんの一週間やそこら前までは一緒に住んでいた、エリオやキャロはもうフェイトの家族だから。
なので、この日はなのはとユーノがゆりかごに泊まり、ヴィヴィオの家族となる。今はたった一夜だけだけど、これから先ずっと家族になれる事を祈って。
「それじゃあ、今日は腕によりをかけてご飯作るからね!」
ユーノが腕まくりをして気合を入れる。その姿を微笑ましく思いながら、カリムは教会で仕事が残っているので、と言って去ってしまった。
ヴィヴィオが手を振って送ると、三人は手を繋いでゆりかごの中へと入る。なのはが左、ユーノが右、ヴィヴィオが真ん中。
眩しくて強い夕陽は、階段杉が隠してて、地面を照らす色は丁度良い明るさ。それをバックに、三人は玄関をくぐった。





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