八神はやての横には、長方形の薄い箱が平積みにされている。AやB、CやD、何故かいきなり飛んでZなんてマークが表記された箱。合計で20本以上からなるその、そんなに高くも無いタワー。
その一番上に置かれている箱を手に取り、開いてディスクを取り出す。それを目の前にある黒い機械にセットして電源を入れる。端子が繋がれているテレビにロゴが表示されて、機械が正常に起動した事を示す。

データがありません。

はやてをすぐさま残り19の薄い箱からなるタワーの上から三つ四つばかりをいっきに鷲掴み、連続して開く。パカパカと音が鳴っては口をほんの少しだけ開ける箱。その口から中を覗き見たはやては、残念そうに四つの箱を閉じる。
同じ事を何回か繰り返すと、やがてタワーはなくなった。テレビに表示される文字は以前として“データがありません”だ。
「むぅ」
顎に手を当てて、ありもしない髭を撫でる様に指を動かし、考え込む。
そしてはやて、閃いた。
「そうや!」
昨日の晩、ヴィータとこの機械を使ってゲームをしていた。遊んだのはヴィータの持っているゲームだ。別に同じ家に住んでいるのだから、誰のものとかは割と関係無い気もするが、友達と遊ぶ時にでも使うのだろう、ヴィータはそのゲームを自分の部屋に持って行った。
バーン。盛大な音を響かせてヴィータの部屋のドアを開けると、掃除機をかけているシャマルに構わず侵入。テレビの横に立てかけられている薄い箱を手に取り、開ける。
パカッ。
「あったー!」

ずぞぞぞぞぞぞぞーーーーー。

「あーだだだだだ!シャマル!髪抜ける!ツルピカになってまう!」
ヴィータの部屋に入るなりの激痛。髪の毛が思いっ切り頭上に引っ張られる感覚、というよりは吸われる感覚。強烈な風が耳元を通り過ぎて行く。
「なりません」
「でも痛い。急に何するんや」
「もう、毎日ゲームばっかりして。はやてちゃんに割り当てられた家事は済んだの?済んでたとしても、ゲームより勉強した方がいいんじゃないの?」
ヴィータの部屋を掃除していたのだろうシャマルが、掃除機で吸っていたはやての髪の毛を開放する。どうやらシャマルははやてが毎日ゲーム三昧なのを気にしている様だ。
幼い頃に患った病気が尾を引いてはや十年。10歳に満たなかった頃に判明したその病気、当時は原因が良く分かっていなくて痛み止めや解熱剤を使って騙し騙し過ごして来た。だが、2年前程に治療法が発見された事で、はやては当初予定していた大学への進学を諦め、高校卒業と同時に療養に専念する事にした。
その後の治療は順調に進み、つい最近では数年前は多発していた急な高熱や不可解な痛みも無くなり、身体的には十分に健康体と言えるまでに回復した。担当の石田医師からは、念の為にもう少し様子を見ようといってはいるが、彼女もほとんど心配はいらないと考えているだろう。約一年の療養の末になのはやフェイトとは一年遅れで大学へ進学するべく勉強に忙しい日々を送っている筈なのが、八神はやての現状だ。
だが、はやては自分が受験生だという事を本当に分かっているのか、シャマルと分担して行う家事の他にはほとんどゲームばかりやっている。
「ええやん、別に。私勉強は夜やないと気が入らんのや。な、ええやろ?」
両手を顔の前で合わせて拝み倒すポーズ。対してシャマルは掃除機のスイッチを『強』にしてはやてに向ける。

ぶおおおおおおおおおおおおおおおおお。

「おっと、もう吸われへんで!」
シャマルの恐るべき掃除機攻撃を撃ち破るべく、はやては傍にあったヴィータのベッドの上から枕を拝借。掃除機の吸い込み口に突っ込む。
「ああ!何を!」
「残念!折角探してたセーブデータが見つかったんや!1時間だけ、やって来まーす!」
ドタドタと廊下を揺らして去って行くはやてに、シャマルはやれやれと肩をすくめる事しか出来ない。全く、あれで高校時代は成績優秀で、学年でもトップクラスだったというのだから、世の中とは全く持って不思議なものだ。
「ま、気持ちに余裕があるのは良い事かな」

ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞっぞぞっ、ぶほっ。

「あ」
掃除機が掛け布団を吸いこもうと頑張り過ぎて変な音を上げ始める。これが原因で、三日後に掃除機逆噴射事件が起こる事は誰も知らない。






夏の暑い日、忙しく風を吐き出すエアコンの下で、はやては参考書とノートを広げてペンを握っていた。それというのも、1時間のつもりがついつい3時間ばかりゲームを続けていたが故にシャマルに家から放り出されてしまったのだ。フェイトを見習って図書館にでも行って勉強して来いと追い出され、帰りに夕食のおかず買って来てとまで言われた。夕食のおかず買って来てとまで言われた。夕食のおかずはシャマルに任せると、とんだカオスになってしまいかねないのでどのみち自分で行く気だったはやてだが、図書館で勉強というのは気が乗らない。勉強するなら自分の部屋で自由気儘にやりたい。どうせなら涼しい部屋で、音楽でも流しながら、より快適な環境で勉強した方がはかどるというものだ。
「で、なんではやてさんはウチに来てるんですか?」
「さっき説明したやん。シャマルに追い出されたって。最近体重が増えたシャマルに」
「それはウチに来る理由にはなってません」
はやての前には漆黒の髪色をした少女が椅子の背もたれに胸を預ける様にして座っている。その顔は不機嫌そのもので、頬をつっつけばぷしゅーっと空気でも抜けてしまいそうだ。
「あっはっは、ええやん別に。ここが一番近かったんやもん。最近体重が増えたシャマルに追い出されたしな。体重がな」
「隣ですからね、近くて当たり前です。それと、あんまり体重の事言うと掃除機でずぼずぼ吸われますよ」
彼女の名前は赤坂灯藍。これで『とうあい』と読むのだが、その珍しい読み方から初対面の相手は必ず読み方を聞いてくるか間違えた読み方になる。苗字から連想出来る通り、赤坂秋の家族、双子の妹だ。
赤坂兄妹ははやての様に両親が既にいない為、二人だけで暮らしている。はやてが何度も一緒に暮らそうと言っているのだが、灯藍が頑なに断るのでそれは実現していない。
「で、愛しのお兄さんは?今日もバイトか?」
「そうですよ」
「成る程、それで不機嫌なんか。相変わらずやな」
「放っといて下さい」
ふてくされる様にそっぽを向いて頬を膨らませる灯藍。はやてはそんな彼女を微笑ましいと思いながらノートにペンを走らせて、時折参考書に眼をやる。
「シグナム達はどうしたんですか?フェイトさんでも、勉強するなら相手になりそうな人達はいっぱいいるでしょ。何もウチに来なくたっていいのに」
「大丈夫や。お兄さんとの時間は邪魔せえへんよ。実はちょっと手伝って欲しい事があってな」
「手伝いですか?」
「そや。なのはちゃんがちょっとしたイベントを企画しててな。それで、赤坂兄妹のお二人さんにやって貰いたい事があるんや」
「いいですけど、なんですかそのイベントって」
「それはまぁ、今から言うからええやん。イベントは丁度一週間後、来週の土曜日なんやけど、翠屋の飾り付けを手伝って欲しいんや」
「それは構いませんけど、何をするのかくらい教えて下さいよ」
はやての勿体ぶった言い方に、灯藍は不満を隠しもせずに問い掛ける。それでもはやては尚勿体ぶった言い方で、片目だけのウインクを混ぜて応える。
「二人の知らない子の誕生日や。だから、飾り付けの他に二人にやって欲しい事があるねん。誕生日を迎える子の知り合いじゃない二人だけにしか務まらない役目がな」
「知らない人にしか務まらない役目?」
その言葉の意味するところが考え付かなくて、灯藍は首をかしげるばかり。首の傾きが徐々に急になっていって、それに合わせて彼女の腰まで届く長い髪が揺れる。
訳が分からないと言いたげな表情に満足したのか、はやてはようやくはっきりと何をして欲しいのかを答えた。
「その子はヴィヴィオっていって孤児院で暮らしてて、まだヴィータより小さいんやけどな。誕生日と同じ日に、その子の住む孤児院のゆりかごっていうところが無くなってしまうんや。もう人が居ないから、施設を維持する意味が無いんや」
「維持する意味が無いって、そのヴィヴィオって子が住んでるんなら意味はあるじゃないですか」
「そうも言ってられん。悔しいけど大人の事情って奴や。たった一人の子供の為に維持するには、施設ちゅうもんは費用が掛かり過ぎるからな。それに街には最近になってゆりかごよりも大きな施設が出来た。だから、ヴィヴィオはなのはちゃんの所に引き取られて、ゆりかごは無くなるんや」
こう言われてしまっては黙るしかない。子供の生活の為と言っても、現実問題として費用という言葉は付き纏う。そこで生活する子供が一人で、しかもその子供に良い引き取り手が居るのならば、施設を取り潰すという選択は十分にあり得るんだろう。引き取るのはなのはらしくて、灯藍はあの人なら大丈夫なんだろうと思った。なのはの傍にはユーノも居るし、今の住まいからは少しだけ離れているけど同じ街に家族もいる。そして、大勢の友達が居る。引き取るのはなのはだとはやては言ったけど、この街に居る限りは“全員で”と言っても過言では無い。だけど灯藍はまだはやての言葉の意味を把握しかねている。
「でもそれなら元から顔見知りでも無い私達には直接は関係無い話なんじゃないですか?困っている事があれば出来る限り手伝いますけど、いきなり知らない顔が祝いに来てもそのヴィヴィオって子は困るだけだと思います。小さい子なら尚更です」
「いや、実はな、ヴィヴィオには一つだけ心配事があるんや」
「心配事ですか?」
「そや。ヴィヴィオは今までなのはちゃんを始めとする私達と友達で、そういった人達とばかり接して暮らして来た。極度の人見知りって言っても、言い過ぎやないかも知れん。杞憂ならええんやけど、もしかしたら知らない人と接するのは怖いと思うんや」
そこまで聞いたところで、灯藍ははやての考えが理解出来た。ヴィヴィオという子はこれまで知り合いにだけ囲まれていて、しかも孤児院というものの性質上外部の人とはそんなに関わりが無いだろう。その上ヴィータよりも年下、つまり学校にもまだ行っていないんだろうから、余計に外の人との接触は少なくなる。はやてはヴィヴィオと面識が無くて、その上でヴィヴィオ以外の、恐らくは誕生日を祝う人間全員と面識がある灯藍と秋に声をかけて来たんだ。
「二人にヴィヴィオの友達になって欲しい。そして、知らない人だからって無暗に怖がる事は無いって教えてあげたいんや。おせっかいかも知れへんけどな」
お願い、と両手を顔の前で合わせて灯藍を見るはやて。灯藍は、小さく微笑んで応えた。
「いいんじゃないですか?そういうのもありですよ」
「ごめんな。友達になってくれなんて、頼む様な事やないのは分かってるつもりやけども」
「別に、そのヴィヴィオって子と友達になる機会がたまたまこんなタイミングで来たってだけですよ。私達自身がヴィヴィオへの誕生日プレゼントって事ですね?」
ヴィヴィオを知っている人には絶対に出来無くて、知らない人だからこそ出来る。今まではやて達と色々な付き合いはあったものの、ヴィヴィオに会う機会には恵まれなかった二人だからこそ出来る事。
はやてなりの気の回し方。別に無駄ならそれでいい。少なくとも祝う人間や友達が増える事で、損なんてありゃしないんだから。
「兄さんには後で言っておきます。ところで」
「ん、なんや?」
「さっきからシャマルさんの携帯と繋がってるこの電話の向こうから、扉を開ける音がしました」
机の上に置いてあった携帯電話を灯藍が左手でつまんで、ひらひらと揺らす。青色の携帯電話には通話中を示すランプが灯っている。なんて冷静に観察している場合で無い事を、はやては悟った。
バターン。
「敵襲か!」
「はやてさんの発言が敵にしたんでしょ」
ドカドカと派手な音を鳴らせてシャマルが灯藍の部屋までやって来る。その間、はやては逃げる事も出来ずに戦々恐々としていた。
「壁とか壊さないで下さいよ〜」
「はやてちゃん、電話の向こうで聞いていたわ。ヴィヴィオの事、私も賛成よ」
「そ、そうか。それは良かった」
「けどね、それと私の体重が増えた事をバラしたのは話が別よー!」
「言ったの随分最初の方な筈やん!なんで今更!」
ご丁寧に話が一段落するまで我慢していた様です。

ぶおおおおおおおおおおおおおおおお。

「そ、掃除機!復活してたんか!」
「当たり前よ!ビバ文明の利器!」
「復活と文明の利器は関係無いんじゃ……」
「くっ、こうなれば」
ガシッ。はやては横に立っていた灯藍の肩を掴んだ。
ポイッ。はやては灯藍を掃除機目掛けて投げ付けた。凄い腕力だ。
ズボッ。
「うわああああああ!いだだだだだだだ!!!」
灯藍の頭が掃除機に吸い込まれようとしている。
両手両足をばたばた動かしても、吸い込まれる髪の毛は抑えられない。
「ああ、灯藍ちゃんが掃除機の餌食に!」
「さらばや!二人共!」
はやては逃げ出した。しかし、左足首を掴まれてしまった。
「ぶほっ!」
はやては前のめりに倒れて顔面をぶつけてしまった。鼻が痛い。
「はやてさん、よくも」
玄関へと向かおうとするはやての左足首を灯藍がしっかりと掴んでいる。その眼には心なしか涙が浮かんでいて、掃除機が相当に痛かったんだろうという事を思わせる。
それを見てシャマルが掃除機のスイッチを切る。
「あ、あははは」
はやては死を覚悟した。
「じゃあはやてちゃん、これを指の間に挟んで」
シャマルははやての指の間に鉛筆を挟んだ。
そしてはやての指を五本まとめて思いっ切り握り締めた。
ぎゅうぅ〜。
「あぎゃーー!」






命からがら、シャマルの鉛筆フィンガーブレイクから逃れたはやて。最初に言われた通り図書館に赴き小一時間ばかり勉強した後、スーパーフルカワで夕食のおかずを買う。その際バイト中の秋に会ったので、妹さんは時に恐ろしい、と伝えたら頭にハテナマークを浮かべていた。
そんなこんなでもう夕方。夕食の準備はしていなかったので、このままでは結構な遅い時間になるだろうと考え、以前リインフォースから教えて貰ったお勧めの屋台の焼き鳥を買い食いして夕食までの繋ぎにする。
ゆっくりと、のんびりと歩く帰り道。
「眩しいなぁ」
不意に空を見上げれば、綺麗だけど強過ぎる光を放つ夕焼けがあった。眩しくて眼をちゃんと開けていられず、はやては眼を細めて眺める。これを直視出来る人は眼がどうかしてるな、そう思いながらも串諸共咥えた焼き鳥を咀嚼する。
「珍しいな、君が一人で外に居るとは」
聞き覚えのある声にその方向を見れば、やはりそれは知った人物だった。
「お、クロノ君やないか。帰りか?」
「ああ。しかし一人で出歩いて大丈夫なのか?君は現在療養中と聞いたが」
「みんなそう言うねんけどな、別に私の病気は体が弱くなるものやなくて、熱が出たり体の節々が痛くなったり立ち眩みを起こしたり……」
「体が弱くならなくてもそれじゃあ意味がないだろう。誰だって心配するさ」
「でももうほとんど治ったんや。一応まだ完治はしとらんけど、もうみんなと変わらないんやで。特別扱いは逆に寂しいて」
「そうか、それは悪かった」
それっきり、クロノは一言も喋らなかった。どうして黙りこんだのかと聞けば、多分この人は「特に話題が無かったから」そんな風に応えるんだろう。
多分、はやてを病気の事で特別扱いした、それを気にして発言を控えたって事なんだろうけど、少しばかり気にし過ぎだ。
はやては買い物袋からヴィータへのお土産用に買っておいたスナック菓子を一袋掴むと、クロノに放り投げる。驚いて、慌ててスナック菓子を受け取るクロノは訝しげな視線をはやてに向けるけど、はやては素知らぬ顔で居る。
「じゃあ、私もう帰るわ。来週の土曜、忘れんといてな」
それだけ言って、いきなり投げ付けられたスナック菓子に対しての質問も何も許されず、クロノは去って行くはやての背中を見守るしか無い。その背中が夕焼けの中に溶け込んだ頃、ようやくクロノは自分が言葉を発していいものだと思った。
「鞄には入るスペースなんてないのに、いきなり渡されても」
クロノが仕事に持って行く鞄は、必要最低限の物を持ち運びする為だけのとても小さなものだ。大きくて重い鞄は便利だが、移動には不便だという事で選んだのだが、こんな場面で小さな鞄を選んだ事を後悔する事になるなんて思いもよらなかった。
「おっと、いけないな」
小さな鞄を選んだ事を後悔した一瞬前の自分を、頭を振る事で追い払う。この鞄は就職祝いにと、フェイトが選んでくれたものだ。大きさの割に値が張ったのでプレゼントとはならなかったのだが、そのお陰で兄妹二人で半額ずつ出し合って買った、ある意味プレゼントよりも貴重なものだ。後悔なんてある筈無い。
「しかし、これをどうしろと……」
片手に持ったスナック菓子の袋を見れば、『超激辛涙腺崩壊スナック!レベル1』とある。レベル1って、じゃあレベル2もあるのか、成長限界は一体何レベルだろうか?どうでもいい事を考えながら鞄に入りきらないスナック菓子の風を開けて食べながら帰る事にした。行儀は悪いし周囲の注目を集める行為だけど、剥き身のまま持って帰るのも変な気がしたので仕方無い。そう思い、真っ赤なスナックに緑色の粉がふんだんに振りかけられた食欲を一気に削ぐカラーリングを一つ口に放り込む。
「っー!」
どうやら宣伝文句に嘘は無いらしい。とんでも無い辛さがクロノの舌を襲って、本当に涙腺崩壊したみたいに涙が止まらなくなる。しかも辛さは徐々に痛さへと変化し、次いで舌の感覚が麻痺し始める。これは人間が食べても大丈夫なものなのかと本気で疑ったクロノは、しかし人の好意を無下に出来ない。
ザラザラザラ。
地獄を長く味わう必要はない。舌の感覚が麻痺している今の内に、スナックを一気に腹の中へと流し込む。胃粘膜が辛さでやられる予感がしたが、流石にそんな事は無いだろうと自分を勇気付けた。
「ぐふっ。もふにふぉとくひひにしたくなひ」
辛さの影響か、呂律が回らなくなっているクロノ。取り敢えず空の袋を近くの公園のゴミ箱に捨て、水を飲む事と休憩の二つを目的として、そう遠くない翠屋へと向かう事にした。






「たっだいまー!」
「お、お帰り、はやて」
「お帰り。早かったな」
はやてが家に帰り付くと、昼間は家に居なかったシグナムとヴィータに出迎えられた。シグナムは剣道部へ、ヴィータは友達と遊びに行っていたのでもう少し遅くなるとはやては睨んでいた。けど結果はこの通り、二人の方が早かったらしい。
「私の勘も鈍ったか?ま、ええわ。アイス買うて来たから二人共選んどき。風呂上りになってからやと大変やで」
八神家名物、アイス争奪戦。主に三人以上で風呂に入った場合に繰り広げられる、風呂上りの栄冠を掴む為の闘いだ。ルールは、風呂上りのアイスは早い者勝ち、という以外は特に定まっておらず、とにかくさっさと着替えてさっさと冷蔵庫まで辿り着き、目当てのアイスを奪えば勝ち。この勝負の為にはやては同じ種類のアイスは選ばない。アイスバーやソフトクリームなど、常に一つきりなのだ。通常はヴィータとはやて、そしてシャマルの戦いなのだが、モナカアイスがある場合はシグナムが参戦し、あずき系のアイスがある場合はリインフォースも参戦する。
だが、いずれにしても風呂に誰かと一緒に入る事の無いザフィーラ圧勝で、誰一人として勝てた試しがない。八神家唯一の男性のささやかな勝利、工事現場で働くザフィーラは一日の汗を流す為に一番風呂なのだ。
そんな苛烈な争いは毎日繰り広げられる訳では無く、たまにはこうして各々が自分の食べるアイスを決めておく日もある。



はやての帰宅から一時間。ザフィーラも帰って来て、後はリインフォースの帰宅を待って食事なのだが、前日に聞いていた時間を過ぎても帰って来ない。翠屋でウエイトレスをしているリインフォースは、お客の入り次第では予定された時間に終了とならない事もままあるが、それにしたって普段は電話の一本も寄越すのに、この日に限ってはそれも無かった。
「以前のヴィータや私の様に、誰かに捕まっているんじゃないか?」
「うーん、そんな事しそうなのはなのはちゃんくらいやけど、なのはちゃんは今日はゆりかごに行く言うてたからな、多分それは無いで」
「とすると、リインフォースに限って事故や事件に巻き込まれたなんて無いろうから、大方翠屋の方が忙しいんだろ」
「そうね。電話を入れる間も無いくらい忙しいのかも知れないわよね」
「腹減った」
帰って来ない理由はそんなところだろう。場の空気がのほほんとしつつも、腹減ったから早く晩飯食いたいんだ、帰って来てくれ、というものになりつつある。ちょっとだけ殺伐とした空気を壊す様に、はやての携帯電話に着信が入った。
ディスプレイには相手の番号と名前、クロノ・ハラオウンと表示されている。
「もしもし、クロノ君?」
「やあ、はやて。今時間は大丈夫かい?」
「それより口の中は大丈夫か?あれ辛かったやろ」
「その件に関しては後でじっくりと話し合おう。それより、翠屋の方が人手不足なんだ」
クロノの声に交じって、聞いた事のある声ばかりがはやての耳に届く。声はクロノの位置からはかなり離れている場所の物の様で不明瞭なんだが、どうやらほぼオールキャストらしい。
「大変やな。何で今日はそんなに繁盛しとるん?」
「近くでバンドか何かのコンサートがあったらしくてね、そのメンバーがここのケーキは最高だと褒めたそうだよ。多分それでだろうな」
「おお、人気者の力は凄いな。でもクロノ君、やけに詳しない?」
「ああ、今眼の前に座ってる人から聞いたんだ」
「クロノ君客かい!手伝ったらええやん!」
「冗談だ。皿洗いとかの裏方を手伝っているよ。それよりはやて、君の家族を引き連れて応援にこれないか?フェイトに、接客を手伝えないのならせめて助っ人を呼んでくれって脅されてるものでね」
クロノのルックスなら、女性客には結構ウケが良いと思ったはやてだが、流石にエイミィが怒るのかな?などとも思ったので黙っておく事にした。
そして、少しだけ違和感を覚えた。
「どうした?特別扱いするなと言ったのは君だろう?」
そう、はやては一応病人なので、ここ一年程はこういう体を使う事で手伝ってなんて言われなかった。だから少しだけ違和感を持ったけど、特別扱いするなと言ってから一日も経たない内にそう来るというのは予想外だった。
けれど、自分からそうしてくれと言ったのだからその迅速な行動はむしろ嬉しいもので、クロノの真面目さと、素直さはこういう場面で顔を出すのだとはやては感じ取った。
口の端をにやりと歪めて、嬉しそうに、しかし悪そうに笑う。
「ええよ。それじゃ、八神家総出で応援や!」
話の内容も訳も分からないままに連れて行かれるシグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ。その顔は、困った様でいてどこか楽しそうだった。





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