目が覚めると、そこは真っ暗闇だった。音は聞こえるのに、何も見えない。手を伸ばせば柔らかいものに触れた。恐らくは自分が寝ているベッドだろう。

 そう、高町なのははベッドに寝ていた。上半身だけを置き上がらせ、ちょうど入院患者が見舞いの客と話をする格好、というのが一番近い。なのはは自分の態勢をそんな風に、想像した。

「誰か居ますか?」

 おっかなびっくり、そう声を出してみた。誰か居れば応えてくれるだろうし、誰もいなければ何も返っては来ない。そんな当然が、今のなのはには怖かった。きっと、何も見えないから。

 数秒待っても、なのはの言葉に対して返って来る言葉は無く、それらしい物音も無く、病室は静寂を保っていた。清潔感のある、逆に言えば生活感の無い、真白い天井と壁と窓と、ベッドと最低限のインテリア。それだけで構成された部屋に自分は居て、多分入院患者用の寝巻き、名前は分からないが、よくドラマなどで見るあの服を着せられているのだろう。なのはは自分と周囲をそんな風に、想像した。

 どうして視界が真っ暗なのかは疑問に思わなかった。だってそれは当然の事。なのはは瞼を閉じているんだから。

 車に轢かれそうになっている男の子を助けたまではいいものの、急な激しい動きとあやふやな視界。それらに伴って生まれるバランス感覚の一時的な欠落による転倒。きっとそれは立ち眩み程度のもので、壁や手すりといったものに手を置けばなんなく転倒を免れる事が出来たのだけど、なのははそれが出来なかった。

なのはの眼には、世界は常に擦りガラスの向こうの様な景色としてしか映っていなかった。最近は特に酷くて、時折人の顔の輪郭すら怪しくなる。大好きなユーノの顔だというのに、メガネをかけてさえはっきりとそれが本人だと判別出来ない。それでも普段からメガネを着用していなかったのは、心配をかけない為だった。けど、こういう突発的な出来事の前では逆効果だったみたいだ。

「ん…………せーの」

 独り言。自分に勢いを付ける為だけの独り言。次いで、指で瞼を開ける。

「う…………」

 世界はまだあった。ぼやけた輪郭と定まらない色と、棒みたいなもの。考えるまでもなく、その棒みたいなものとは自分の指だと分かる。だって動かそうとすると、思った通りに動いてくれるから。

「高町さん?」

 見知らぬ人の声が聞こえた。きっと病院に勤める看護師のものだろう。まだ年若い女性の声でなのはの事を呼んだ。

「あ、は…………い」

 その声に応えようと、なのはは声のした方を向く。その先には、線の存在する世界は無かった。













「なのはが眼を覚ましたって?」

「そうや。さっき看護師さんが言うてた。体のどこかが痛いとかは無いみたいやで」

「そっか、無事なんだね」

「良かった。それだけでも一安心ですよ」

 ユーノの問いかけ、はやての応え、スバルの安堵。忙しなく変わる三人の表情を見て、周囲の仲間達も安心していた。病院に居るのは、士郎を始めとするなのはを除く高町家の四人、ヴィータを除くシグナム達八神家の五人、そしてユーノとスバル。車で何往復もして全員を運んだアリサとすずかも居る。実際に車で運んだのはバニングス家の執事、鮫島だという事は公然の秘密だ。

現在の時刻は午後9時。遅い時間と言うかは人それぞれだが、小学生くらいの年では余りよくないだろうと、ギンガがヴィータとエリオとキャロを連れて帰った為だ。秋と灯藍とティアナの三人は、なのはが起きるまで帰らないと駄々をこねるヴィヴィオの相手をしている。

 病院に留まるには過ぎた大所帯だが、幸いにしてこの日の病院の待合室は比較的人が少なく、大きな迷惑をかける事は無かった。看護師からの伝言は、なのはが眼を覚ましたというものだけでは無かった。なのは本人から、“あの事”を知っている人達だけを呼んで欲しいとの言葉もあった。それを聞くなり、該当する人物は自分がそれだと知る。逆に知らない人物、運悪く今現在ではスバル一人なのだが、当然の様に頭に疑問符を浮かべるだけだ。

「スバル、ごめん。ティアナ達がヴィヴィオと向こうの方に居るから、そっちで待っててくれないかな?」

 フェイトがスバルに言うと、スバルは少々納得のいかない顔をしながらも頷いた。

「分かりました。けど、後で教えて貰えますか?」

「うん。必ず」

 スバルの問いにフェイトははっきりと、明確に答える。それを見ると、スバルは何も言わずにフェイトの指した方、自動販売機や売店のあるフロアへと移動した。













「なのは」

 ユーノの声が真白い病室に響き渡る。時刻が午後9時を過ぎれば大抵の病院の面会時間は終わってしまうのだが、今回は場合が場合なだけに、短時間ながら許可されている。だから、短時間の内にユーノは確かめないといけなかった。

「あ、ユーノ君。みんなも居るの?」

 声がしたからユーノが来たと分かった。他に誰が居るのかは、なのはには判別がつかない。

「私達八神家一同も居るで」

「遅いのでヴィータは帰らせましたがね。他は全員居ますよ」

 はやての声に、リインフォースが補足を加える。

「娘が事故にあったんだぞ。駆け付けない父親が居るものか」

「そうよ、なのは。とても心配したんだからね」

「全く、無茶をする奴だ」

「でも車に轢かれそうになってた子供を助けたんでしょ?お手柄だよ」

 士郎に桃子に恭也に美由希。次々と声が掛けられる。

「お父さん達も、はやてちゃん達も、みんな居るんだね」

「ちょっと、私達も居るんだからね」

「そうそう。忘れないでね、なのはちゃん」

「大丈夫。今から聞こうとしてたんだから」

 アリサとすずかの声に笑って返すなのは。誰に対して言葉を返す時も、なのはの眼はどこか虚ろだった。

「なのは、私も居るよ」

 最後に声を出したフェイト。茶化す様に言う。

「フェイトちゃんは絶対に居てくれるって分かってたからね、あえて聞かなかったの」

 フェイトはなのはの言葉に何も返さなかった。そして、一瞬前までの和やかな空気の中、なのはが重々しく口にした。

「聞いて欲しい事があるの」

 その声は努めて明るく振る舞っているけど、とても沈んだ響きだけを含んでいた。

「私、ヴィヴィオの誕生日プレゼントの絵本、破っちゃった。車に踏み潰されちゃったみたいで、ぐしゃぐしゃ」

 なのはがゆっくりと言った次の瞬間。カツカツカツと床を叩く音がする。そして…………

 スパーン!

 アリサのハリセンがなのはの脳天に決まった。

「いやあんた、眼は?」

 左手でハリセンを持ち、右掌をぽふぽふと軽く叩く。まだまだ行きますよ、ってポーズだ。

「それはその、見えないって程じゃないんだけど…………ほっとんど見えなくなりました!」

「明るく言うな!」

 スパーン!

「うにゃ!」

「あのね!こっちはあんたが眼の事で落ち込んでると思って心配してるってのに!なーにを、財布落としちゃいました!みたいなノリで言ってんのよ!」

 財布を落としたとしたらそれはそれで大問題な気もするが、ともかくまぁ、予想より思いっ切り明るく言われてしまったのは確かだ。なのはの眼の事情について知っていたアリサ達、今現在病室に居る人間全員にとっては少々拍子抜けである。

「だってぇー、手術すればなんとかなる可能性は高いんでしょ?今までもそれを知っててやって来た訳だし」

「確かにそうなんだけど、今のはちょっと不謹慎だよ、なのは」

 フェイトが軽くいさめる様に言うと、なのはは舌をちょこっとだけ出して、ごめんなさいをした。

「それで、どんな感じなんだ?」

 明るい雰囲気でもどういう妹が状態か気になるのは当然で、恭也が心配した様な声を出した。

「うん、全部が滲んだ絵具で描かれてるみたいに見えるんだ。みんなの顔の輪郭とか壁とかベッドとか、全部の線があやふやなんだ」

 なのはの言葉に、各々がその光景を想像するが、誰の想像したものもいまいち“これだ”と明確に想像出来ていない。なのはが言う通りの、あやふやな滲んだ絵具の線で描かれた世界なら、きっと明確な形を想像出来ない方が正しい。

「しっかし、もっと落ち込んでると思っとったけど、全然なんやなぁ。心配して損したわ」

「それでいいんじゃないかな?心配なんて余計なもので終わるに越した事は無いよ。それに、なのはは大学を長期間休むのが嫌で治療を先送りにして来たんだし、ここで暗くなる方が変だよ」

 なのはは過去に起こった事故により強い衝撃を受けて、それが原因で視力、正確には違って、見る機能とでもいうべきものが損なわれていった。医者からは手術をすれば高い確率で機能の低下は止められると言われ、医者の言う事は難しくて分からなかったのだが、ともかく何かしらの手を打てば日常生活に支障は無いとも言われた。なので本来は早期に手術してしまうべきなんだろうが、その頃はちょうど大学受験の真っ最中だった為に本人の希望で見送っていたのだ。

 それから先、なのははなんやかんやと理由を付けては手術を拒み続けていた。定期的に病院には通って治療していたので突然事態が悪化するという事は無く過ごしてきた。多分、このままだったらなのはは次の夏休みか冬休み辺りにでも手術を受ける気だったんだろう、ユーノは前にそう聞いた気がする。だけど、偶然とはいえこんな事態になれば後回しや先延ばしは周囲が許さない。

「けどね、なのは。こんな事が起こるのは二度とゴメンだ。だから大学を長い期間休む事になっても手術を受けて、万全の状態にして貰うよ」

 なのはをフォローする言葉を放っていたユーノが突然方向を変える。治療を先延ばしにする恋人に前々から困っていたのでこの機会に無理矢理にでもやって貰おうという腹だ。

 なのはを含め周囲の誰も反対する事は無く、例え手術の後に大学に復帰するのが遅くなろうともここで治療すべきだという結論になった。

 はっきり言ってしまえば、なのはの眼に関する問題はこれで終わりだ。元より原因も解決方法も分かっていた。先延ばしにしていた予定を早めた程度に過ぎない出来事は、この場の誰にとっても大問題では無かった。あくまでも、それ自体は。

「ねぇ、この事って、ヴィヴィオは知ってるよね?」

 なのはが確認する様に言った。言葉の最後に疑問符を付け加えてはいるが、半ば以上に確信した声色。

「うん。知ってるよ」

 フェイトはそれに躊躇い無く応える。

「私、謝って来る」

 ガクン。

 いきなりベッドから降りようとしたなのはは、ベッドの端に着こうとした手を外して前のめりに倒れ込む。だがそれを予期していたかの様にユーノが支え、事なきを得た。

「あ、ありがと。ユーノ君」

「なのは、今日はもう遅いし、君もヴィヴィオも疲れてる。なのはに会いたがってたヴィヴィオには悪いけど、明日また来るから。明日までに謝る時の言葉を考えて置いて」

 ユーノの諭す様な言葉に否応無く頷くしか無いなのは。彼の言葉に隙は無く、どれを取っても正しい。だから余計に感情が先走りそうになる。頭で分かっていても、なのはの感情はそれを許そうとしなかった。

「けど!んんっ」

 なのはの反論の言葉を、ユーノはキスで塞ぐ。周囲から挙がるはやし立てた様な声も、士郎の心底ショックを受けた声も二人の耳には届かない。

「父さん、二人の事は認めたんじゃなかったのか?」

「それでも目の前でされるとショックなんだよ。お前もだろ?」

「ま、まぁ少なからず」

 士郎と恭也の、なんとも言えない会話を余所に、ユーノは再度なのはを説得する。

「落ち付いていられないなら、僕がここに残るよ。それでなのはが眠るまで手を握っててあげるから」

 言って、ユーノはなのはの手を握り締める。なのはは握られた左手を見て呟いた。

「ううん、大丈夫。ユーノ君はヴィヴィオのところに行ってあげて。パパもママも居なかったら可哀相だから」

 完全に二人の世界に入っているなのはとユーノを残し、他の者は病室を後にした。ある程度病室から離れたところで、フェイトが声を低く、言い切った。

「士郎さん、ヴィヴィオとみんなになのはの事を話します」

「ああ、フェイトちゃんがそうするべきだと思うならそうしてくれ。なのはの親友であり、あの子のもう一人の母親はなのは君だけだからな」

 それは問い掛けでは無く確認でも無く宣言。それを本気でするべきだと思い至った方こその行動。士郎はフェイトのその明確な意思に応えて背中を押す。ヴィヴィオのもう一人の母、という言葉で。













「ごめん、お待たせ」

 ジュースでも買って適当に話でもして、あまり落ち着けない場所で過ごしていたヴィヴィオ達の元へ現れたのは、フェイト一人だけ。そしてフェイトはその場で意外なものを見た。

「あれ、兄さん?」

「やあ、フェイト」

 ヴィヴィオの誕生パーティー兼エリオとキャロのハラオウン家入り記念パーティー。なのはが倒れたという知らせが入った時はその場に居なかったクロノは、後になって連絡を貰い、直接病院に駆け付けたのだ。最も、連絡を受けるのが遅かった為と渋滞が原因で面会の場には立ち会えなかったが。

「フェイトママ!なのはママは!?」

 慌てた様子で、実際この場のどの人物よりも慌てているヴィヴィオはなのはの所在をフェイトに聞く。けれどフェイトから返って来たのは、期待していた“もうすぐ来るよ”という言葉では無かった。

「ごめんね、ヴィヴィオ。なのはママはまだ体調が良くないんだ。だから明日、会いに行こう」

「え…………でも」

「ほ〜ら、ヴィヴィオ、なのはママだって大変なんだから少しだけ我慢だ。大丈夫、寝て起きたらすぐにユーノパパが会わせてくれるさ」

 納得がいかない、というヴィヴィオに、秋が缶に入ったキャラメルミルクを差し出す。同時に頭を撫でてしゃがみ込み、同じ目線で言葉を掛ける。努めて優しい声で、不安を取り除いてあげる様に。

「そうそう。ユーノは気が効く奴だし、君の事もなのはの事も大事に思ってる。だから安心するといい」

 続いてクロノもヴィヴィオを慰める。十年来の友の言葉であれば、これ程信用出来るものはそうない。

「それにね、ヴィヴィオってば泣いてたから眼が真っ赤でしょ。どうせなら綺麗な顔でママに会おうよ」

 灯藍はヴィヴィオの眼元に軽く指を這わせる。眼元を優しくなぞって微笑みかける。

「なんならさ、私がお化粧してあげるよ。リップくらいならいいよね?」

「スバル、あんたそんなの持ってたんだ」

「失敬な、私だってそれくらい持ってるよ」

 語尾に、ギン姉のお下がりだけど、が付く事は伏せて置く。

「うん。我慢する。なのはママにしょんぼりした姿は見せなれないしね!」

 四人の騒がしい波状攻撃にヴィヴィオ陥落。元気を取り戻した姿は普段と変わらぬ少女のものとなった。その光景を見て、フェイトが小さく「ごめんね、みんな」と呟くが、誰の耳にも届いていないみたいだ。

そして。

「もう帰って下さい!」

 と、もう面会時間も終わった病院でこれだけ騒げば追い出されるのは当然だ。へこへこと頭を下げつつ病院を脱出した六人は歩き出す。アリサかすずかに頼めば車を手配してくれたのだろうが、フェイトはそれをしなかった。話をする時間が欲しかったから。

「スバル、ティアナ、秋君、アイちゃん」

 そこで一端言葉を区切って。

「ヴィヴィオ」

 クロノを除く、なのはの事情を知らない全員の名前を呼んだ。

「なのはの眼の事、その原因について話すね。あれは、私達が旅行に行った時の事なんだ」







―――――――――――――







 ポーンという音が聞こえて、スピーカーからアナウンスが流れて来る。流暢な女性の声でまずは日本語、その次に英語で。

 高町家、ハラオウン家、八神家、月村家、バニングス家。ユーノを高町家の一員として数え、それぞれが全員参加という超大所帯での年末年始海外旅行。バニングス家が海外に持つ別荘を提供して行われた旅行ももう終わり、現在は帰りの飛行機の中となっている。騒ぎ過ぎて疲れたのか、大半の人間は眠っている。

 なのはは隣に座る恋人に声を掛ける。

「ユーノ君疲れてない?みんなに大分連れ回されてたみたいだけど」

「平気だよ。疲れてないって言うと嘘になるけどね、みんなみたいに眠っちゃう程じゃ無いし、何より寝ちゃうとなのはが退屈でしょ」

「そんな、気を使わなくていいのに」

 なのはと会話をしながらユーノが周囲を見渡す。ざっと見ただけで、起きて話をしている人間はなのはとユーノだけ。仲間内は全員眠っているし、他の乗客も大半が眠っている様子だ。

「うう、嫌だー!戻るー!」

 そんな中、やかましいという程では無いにしろ子供の大きな声が聞こえた。

「ほらヴィヴィオ、あんまりワガママを言わないで。ここはもう飛行機の中なんだから」

 大声を挙げる子供をなだめる女性が一人。その人はユーノ達の知り合いで、孤児院ゆりかごに出資をしている教会のシスター、カリム・グラシアだった。

「あれ、カリムさん?」

 驚きと共に声を挙げるなのはに、カリムが反応した。まるで信じられないものを見た、という風に表情を変える。

「なのはさんですか?ユーノさんも。奇遇ですね」

「奇遇ってレベルじゃないですねー、これは。もう運命ですよ」

 カリムの驚きとなのはのおどけた態度と。予想外の場所で知り合いに会い、少しだけテンションが上がるなのは。

それもそうだろう。海外旅行に行った帰りの飛行機で偶然顔見知りに会うなんて、一体どれくらいの確率なんだか。

「カリムさん、この人達誰?」

 いきなり現れた見知らぬ人に、先程大声を出していた少女が疑問の声を挙げる。オッドアイの、可愛らしい少女だ。

「こちらの人達は高町なのはさんとユーノ・スクライアさん。私の知り合いなんですよ」

「初めまして、高町なのはです」

「ユーノ・スクライアです。初めまして」

 カリムの紹介に続いて二人が少女に挨拶をする。精一杯の笑顔でした挨拶に、少女は同じく精一杯の笑顔で返してくれた。

「初めまして。ヴィヴィオっていいます」

 席に着いた態勢から左手を挙げて元気良く。とても明るくて、見ている方が嬉しくなる笑顔に、なのはは思わずヴィヴィオの右手を取っていた。

「えーと?」

 急に右手を握られて困惑するヴィヴィオ。その不思議そうな顔に、なのはは言った。

「握手だよ、ヴィヴィオ。お友達になったら握手するんだ」

「はい!」

 なのはの言葉を受けて元気良く返事して、勢い良くブンブンと手を振るヴィヴィオ。

「ヴィヴィオ、返事は“はい”じゃないよ。友達同士はもっと気軽に“うん”でいいんだよ」

「うん!」

 なのはとヴィヴィオの一種奇妙とも言えるやり取りの外、ユーノとカリムはヴィヴィオについて話していた。

「カリムさん、あの子は?」

「名前はさっき自己紹介にあった通り、ヴィヴィオです。実は海外にある教会の支部の方がこの度無くなる事になりまして、そちらで預かっていたあの子を引き取る事になったんです」

「預かっていた?」

「捨て子だったらしいんです。雨の降る来客予定の何も無い日に扉を叩かれて、開けると扉の前にヴィヴィオが居たらしいんです。名前の書かれた紙を抱いて、綺麗な布に包まれて」

 ユーノはカリムの説明を聞いて、不謹慎にもお伽話か何かの様だと思った。本人にすれば自分の出自をお伽話扱いされたとあっちゃぁたまったもんじゃない。ユーノは心の中で密かに詫びて話を続けた。

「これからは教会で生活するんですか?」

「いいえ、ゆりかごに預けます。あちらなら同じ年頃の子供もいるので、幾分かは過ごしやすいかと。ただ、やはりこれまで生活していた場所を離れるのは嫌な様で、さっきまで駄々を捏ねていたんです」

「そうか、それであの大声を」

「はい」

 ユーノとカリムの話なんて何処吹く風。なのはとヴィヴィオはやかましいくらいに騒ぎ立てて喋っている。

「それでね、私は今まで住んでた場所からお引越ししないといけないの!酷いよね!」

「うーん、それは確かにちょっと酷いかな。でも、理由が理由だし」

 流石のなのはも、事が事だけに会話は慎重だ。

「この飛行機が落ちたら帰れるかな?」

「ヴィヴィオ〜、それは無いよ。飛行機が落ちたら私達全員死んじゃうよ」



――なのは達の乗る飛行機が落ちたのは、この会話のすぐ後。なのはと喋って騒いで疲れたヴィヴィオが深い眠りについた時だった。非常事態を告げるアナウンスが流れて、飛行機の翼が火を噴いた。



「ヴィヴィオ!危ない!」



――原因とか、そういった詳しい事はどうでも良かった。重要なのは飛行機事故という、確率で言うと車や電車に比べて最も低く、そして助かり難いものに当たったという、非現実的なのに現実以外の何物でもない状況。



「なのはさん!」



――幸いにして、飛行機は海上への着水に成功した。ただその中で問題なのは、自分の住んでた場所を否応無しに離れればならないという事は周囲の予想以上の負担をヴィヴィオにかけていて、ヴィヴィオは飛行機事故という大騒動にも眼を覚まさなかったという事。そして着水の衝撃によって機内の至る所が破壊され、破壊された席か何かが、眠っているヴィヴィオに向かって跳んで来た事。



「なのはー!」



――そして、ヴィヴィオを庇ったなのはの顔面にそれが衝突した。次いで降りかかる様々な機材からなのはとヴィヴィオを守る為、ユーノもまた二人を庇った。



 この事故は、奇跡的に一人の死者も出さずに済んだ。怪我をした者は何人か居たが、重傷という程の大きなものを負ったのは二人だけだった。

 その二人、高町なのはとユーノ・スクライアも病院で治療を受け、大きな問題も無く日常生活に戻っている。







――――――――――――







「それが、私の知ってる全部だよ」

 フェイトが話が終わった後、残ったのはなんて言葉を発すればいいのか分からずに歩き続けるティアナ、スバル、秋、灯藍。フェイトは四人の表情を一瞥した後、まるで怖い物を見るかの様にヴィヴィオの表情を見るべく視線を向けた。

「あわわわわわわわ〜」

「よーし、ヴィヴィオ、もういいぞ」

 そこには、ヴィヴィオの耳を大きな掌で塞いでどかして塞いでどかして、といった行為を連続で繰り返すクロノと、“あわわわわわわわ〜”とか適当な事を言い続けているヴィヴィオが居た。

 これはあれだ、フェイトの話の一部始終をヴィヴィオは聞けていないに違いない。しかも状況から見るに、これはクロノが始めた事らしい。

「兄さん、何を……」

「それを話すのはフェイトの役目じゃないよ。もうすぐ、いや、もうヴィヴィオの母親はなのはなんだ。残念だけど、それを伝えていいのは、なのはかユーノかのどちらかだ」

「そうかも知れない。けど、今の二人に負担を掛ける訳にはいかないよ」

「大丈夫、なんじゃないですか?」

 危うく言い争いになりそうなタイミングでフェイトとクロノの間に言葉を挟んだのはスバルだった。

「なのはさんならきっと大丈夫ですよ」

 スバルは無根拠に続ける。彼女は病室でのなのはの明るい姿さえ見てないというのに。

「きっとスバルの言う通りだ。なのはとユーノとヴィヴィオの三人ならこの程度の事どうとでもなるさ」

「スバルも、兄さんも、どうしてそんな事が言えるの?理由も無しに」

「理由ならありますよ」

 今度はティアナが入った。

「だって、なのはさんとユーノさんにはフェイトさんが付いています」

「え?」

 自信満々に言い切るティアナに、フェイトは意外そうな声を挙げる。

「それに、はやてさんも居ればシグナムさん達も。俺と灯藍が知らない人達もいるだろし、微力だけど俺達も居ます」

 秋がティアナの言葉を引き継ぐ。その顔は、迷いも何も無く強く言い切る顔だった。

「なのはさんとユーノさんは、多分みんなの中心です。けど、中心っていうのは周りがあるから中心なんです。だから困った時は周りがお手伝いすればいいんです」

 灯藍が言う。それは紛れも無い事実だと、輪の中に入ったのが最も遅い兄妹にすら分かる。

「そしてその最たる人物が、君だ」

 クロノの言葉に、フェイトは何も言えない。

「君は多分、心配し過ぎていたんだよ。大切な親友だから無理も無いけど、もう少し肩の力を抜いても良い。もうちょっと兄を頼ってくれないか?」

「兄さん」

 クロノの行動で飛行機事故の話をまるで聞いていなかったヴィヴィオは会話の意味が全く分からない。けど何故か割って入ってはいけないような気がして、黙って居た。

「ヴィヴィオ」

「なーに、フェイトママ?」

 急に名前を呼ばれても、ヴィヴィオは慌てずに声を返す。フェイトの真剣な表情が大切な事だと物語る。

「ずっと前、なのはと初めて会ったのが飛行機の中だって覚えてる?」

「うん、覚えてるよ。けど途中で寝ちゃって、起きたら病院だった。どうして病院に居るの?って聞いてもカリムさん教えてくれなかった」

「なら、その事を明日なのはママが教えてくれるよ。だからね、今日は私の家に行こう」

「うん」

 フェイトはヴィヴィオの無邪気な笑顔を見て決意を固める。この事を解決するのが当人達でなければならないのなら、自分に出来る事は励ます事と、ほんの少しだけ手伝う事。だから朝までヴィヴィオと一緒に居て、ヴィヴィオが寝ている内になのはに会いに行こう。そして伝える。大切な言葉を。



















あとがき

 この話もいよいよ終盤です。多分残り2、3回で終わるんじゃないかと思ってます。そしてその後に時間があれば目立たなかった他のキャラが出る番外編的なものが書ければいいなーという感じです。

 ではまた。





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