現在の時刻は朝の6時。これは、ユーノ・スクライアが目覚める時間帯としては普段とはかけ離れたものだ。朝早くに起きたからと言って、特に何かやる事がある訳では無い。だが、この日ばかりはこんな時間に起きても暇でも無い。理由は早めに着替えるからだ。

 寝巻きを脱いで洗濯機に放り込み、下着だけの姿になる。クローゼットを開き、今日を過ごす服を選ぶ。

「これでいいかな」

 ユーノは無造作に一番端の服を手に取った。デートでも特別なイベントで無いのだし、着飾る理由は無い。いや、なのはの見舞い、そしてヴィヴィオを連れて行くとなると、少々特別な日なのかも知れない。

 そうやって漠然と考えを巡らせながらも、眼を凝らして衣服を見詰める。シャツの模様を注視し……

「ユーノって、結構派手な趣味なんだね」

「っわ!」

 シャツに眼を近付けるユーノのすぐ隣、同居人であるなのはが不在なので一人しか居ない筈の部屋に居る人物。ストレートに流れている腰まで届く髪が揺れてユーノの肩に触れる。若干のくすぐったさを覚えながらも、突然の事に対応出来ないでいると。

「驚き過ぎだよ、ユーノ」

 問題の人物が、異性の着替えシーンに出くわしたのにも関わらず平気な顔でそんな事を言った。如何にもユーノが悪いと言わんばかりの口調だが、それはちょっと待って頂きたい。

「そんな事言われてもね、どうやって入ったのさ?」

「合鍵だけど?」

 当然の様に言って合鍵を見せびらかす。歪な形の、小さな白いキーホルダーが付いたそれは、ユーノには鉄の塊にしか見えなかった。

「んー?」

「はい、メガネ」

 視界が不明瞭なユーノに、彼女はメガネを掛けさせる。ユーノは黙ってそれを受け入れて、再びキーホルダーを見る。成程、歪な形のキーホルダーは竜のキーホルダーで、鉄の塊は確かに鍵だった。

 そして今度は彼女に視線を向ける。

「そっか、そういえばこっちに越して来てすぐの頃になのはが配ってたっけ」

「そうだよ。私だけじゃ無くて、兄さんもスバルもティアナも持ってる」

 そう言って彼女、フェイトは微笑んだ。走って来たのだろうか?その頬はうっすら赤く上気していて、ユーノは少しだけ可愛いと思ってしまう。

「でもさ、だからって断りも無しに入るのは問題じゃない?」

「大丈夫。“私が出来ない時は代わりにユーノ君のお世話お願いね”ってなのはに頼まれてるから」

 確かになのはとフェイトの間でそんな会話が交わされて、その場にユーノも居た筈なので言いたい事は分かる。だが、それはちょっと違う気がして、ノックもチャイムも無しに突撃して着替え中の男の隣に女が立つ理由にはならない気がするんだが。

「だから」

 短く言ってフェイトはユーノが手にしていたシャツを奪い取る。ひらりとそれをはためかせ、パッと横に伸ばして広げる。まるで洗濯物を干す時の様に。

「私がユーノの着替えを手伝うよ。ね?」

 男性であれば誰もが好感を覚える様な柔和な微笑みのフェイトに、しかしユーノは余り嬉しさとかそういったものを感じなかった。素直に感謝はするが、なんとなく後ろめたさが残る。

「着替えくらい一人で出来るよ。お世話してくれるって言うなら、コーヒーでも淹れてくれた方が嬉しいんだけどな」

「仕方ないなぁ。じゃあ、特製のコーヒーを飲ませてあげるね」

 意気揚々と台所へ向かうフェイトは、台所はおろか家じゅう探してもお湯にパックを浸すだけの超インスタントしか無いと知って絶望するのだった。

 そうこうする内に着替えを終えたユーノ。なんだか暗く、多少打ちひしがれた感のあるフェイトを余所にコーヒーを口にする。ちゃんと、美味しいよ、と感想を言われるとすぐさま暗い雰囲気が吹っ飛ぶ辺り、大人になってもその素直な部分は変わらないみたいだ。

 ヴィヴィオはまだフェイトの家で眠っているらしく、ひとまず迎えに行く事になった。それならわざわざ移動するだけフェイトは手間なのだが、何故だかユーノにはそれが必要な事に思えた。さりとてそれについて考える暇も無く、フェイトは矢継ぎ早に会話の種を提供し、ユーノは終始それに応える形で道中を過ごす。

「ただいまー」

「あ、フェイトママ、おかえりなさい」

 フェイトの部屋に着くとヴィヴィオが出迎えてくれた。

喜色満面。そういった表現がとても良く似合う笑顔でフェイトの腰の辺りを目掛けて飛びかかり、フェイトは掴まれてなるものかとキャッチする。

「もう起きてたんだね」

「私早起きだからね!」

 フェイトの手から離れたヴィヴィオはエッヘンと胸を張る。腰に手を当てた、年齢よりも幼く見える可愛らしいポーズだ。

「ヴィヴィオ、その服なんだかダボダボじゃない?」

 ふと、ユーノはヴィヴィオの服の袖が余り、手が出ていない事に気付いた。スカートも同様で、膝下どころか足の3分の2を覆い隠していた。もう少し長ければ、ファンタジーな世界観に似合うパーティードレスのスカート、といった風だ。

「あ、これキャロお姉ちゃんの服だから。ちょっとおっきいみたい」

 言って、ヴィヴィオはスカートの裾を両手で摘まんで持ち上げる。サイズの合ったスカートであれば少女の健康的な白い足が半ば以上に露わになるのだが、言葉通りに少々大き過ぎるスカートはそれでもヴィヴィオの足を半分以上隠している。

 そう言えば、ヴィヴィオは着替えも何も持たずに急遽フェイトの家に泊まる事になったと、昨夜遅くに聞いた。ともすれば、これは仕方の無い事だ。

「大丈夫だよ、ヴィヴィオ。私がユーノパパの部屋からヴィヴィオの服を持って来たから」

 すると、フェイトは手にした大きめのバッグからヴィヴィオのものと思われる服を次々と取り出した。その数は数着では収まらなくて、数十着はある。あの搭載量はなんだ、戦艦クラスか。

「物理的に無理があるよね、それ」

 ユーノのツッコミは黙殺される。

 しかし、これでフェイトが朝早くにユーノの元を訪れた理由が分かった。ヴィヴィオは度々なのはとユーノの部屋に泊まりに来たりするので、あの部屋にはヴィヴィオの着替えや最低限の生活用品が置いてあるのだ。勿論、これから家族となって一緒に生活するのだから、細かに足りないものも買い足していた。となれば、ヴィヴィオの生活用品は全てあの部屋で揃うのだ。

 それならそうと最初に言えば準備を手伝ったし、前日の内に電話なりメールなりあれば用意して置いたというのに。でも多分、なのはの事で頭がいっぱいになっているであろうユーノに負担を掛けない為の配慮なんだろう。そう思うと、着替え中の不意を打った登場さえも狙ったものに見えるから不思議だ。







 本日は日曜日。何事かの行事でもなければ学校はお休みの日である。つまり普段は小学校に通っているエリオとキャロは家に居る訳で、フェイトもこの日はなのはの見舞いに行くという理由で大学の図書館で勉強したりしない。ユーノも同じだし、ヴィヴィオに至っては現在学校に通っていない。

 そしてフェイトの部屋とは元々一人暮らし用。そこにエリオとキャロが多少の無理をして一緒に住んでいるのだ。つまり、一人暮らし用の部屋に五人も居るととても狭いのだ。

「ほら、ヴィヴィオは僕の膝の上においで」

「キャロ、私の方に来て」

 横に狭いなら縦に重ねればいい。土地の高い場所で広いフロアを確保する理論でヴィヴィオはユーノの、キャロはフェイトの膝の上に座る。エリオは男の子なので放置されてしょんぼりだ。

そんな風に、まるで大家族の団欒風景を連想させる構図。フェイトの留守中に子供達が野菜を洗ったりの簡単な準備をしていたものを使い、朝食となった。メニューはトーストと目玉焼きとサラダとコーヒー。そして焼鮭。

「フェイト、和風なのか洋風なのか統一しない?」

「美味しいからいいんじゃないかな?」

 否定は出来ない。和風でそろえなけりゃ駄目とかの拘りでもなければ、大体は“美味しければ良い”が正義だ。ユーノだって洋風の朝食の中に焼鮭があったのが嫌なのでは無く、ただ疑問に思っただけなのだし。

 鮭の身が上手く解せないヴィヴィオの代わりにユーノが身を解し、そのままヴィヴィオの口に運ぶ。箸につままれた焼鮭を大きく開けた口で待ちうけるヴィヴィオは、さながら餌を待つ雛鳥だ。キャロもどうやら上手く身が解せないらしく、食べさせて貰うまではいかなくてもフェイトに手伝って貰っている。

だが、エリオは放置されてぽつーんだ。頑張れ男の子。

 そんな感じで和やかな朝食が進む中、ニュースを垂れ流していたテレビからこれまでのBGMとは全く違う曲が流れて来た。

 その変化に何気なくテレビを見ると、そこには日曜の朝にやっている変身特撮ものが流れていた。ベルトを付けて変身するあれだ。この番組はどうやらエリオが毎週見ているものらしい。ほとんど食べ終わっている朝食、トーストの最後の一切れに手を付ける事無くテレビを食い入る様に見詰める。

「エリオ、トーストの残り食べちゃってくれる?片づけちゃいたいんだ」

「あ、はい」

 生返事という言葉がこれ程良く似合う状態を、ユーノは初めて見た。フェイトの言葉はまさに意識の外。その様子に、しょうがないなと苦笑する四人。

家族になった今でもフェイトやクロノといったハラオウン家の面々に対して丁寧な言葉使いを続けてしまうエリオ。そこら辺はもう癖になっているというか、習慣というか、体に染み付いてしまってるんだろう。だから実年齢よりもちょっと上に見えてしまう時もあるのだが、こういう場面ではそんな普段とはかけ離れている。

賞味30分。ユーノもやはり男なので、こういうヒーローというものが嫌いなわけでは無い。ついつい見入ってしまい、時間は瞬く間に過ぎた。そして変身特撮ヒーローものの番組が終わった後、今度は女の子向けと思われるアニメが始まった。案の定、今度はヴィヴィオとキャロが先程のエリオ状態になる。

「おぉ」

「ふわー」

 小さな歓声を挙げながらアニメを見る少女達は可愛らしいものがある。ヴィヴィオが膝の上に座っている状態で熱中されるとしばらく動けなくなるんだが、その程度の事でこんな光景が間近に見れるなら十分にお釣りが来るだろう。

 きっとフェイトもそんな感じなんだろうな。ユーノはそう思い、フェイトに視線を向ける。

「……………………」

 そこには、無言でアニメを齧り付く様に見詰めるフェイトが居た。

 物凄く集中しておられる用なのでユーノは見なかった事にした。

 ドカーン!という派手な効果音と共に、“五体合体のロボットが敵を倒した場面”で、“少女向けアニメ”は終わった。驚いた。今時のはロボットに乗って合体したり、竜を呼び出したりビームを撃ちまくって敵を倒すんだなぁ。ユーノは時代を感じたが、流石にロボはやり過ぎだと思った。

 時計を見ると、そろそろ病院が開く時間に差し掛かろうとしていた。今から出ればちょうど良い頃合いだろう。前日は時間帯が遅かった為、なのはに会っていないエリオとキャロも伴って全員で病院に向かう事にする。

 和やかな空気の中、フェイトは密かに思った。もうそろそろ、このゆっくりとした時間は終わるかもしれない、と。













 真っ白な病室の中、なのはは暇で暇で仕方が無かった。このままじゃ暇死するという謎な言葉をぶーたれて、誰か来ないかと入口を何度も見る。

 こういう時、携帯電話のありがたさを痛感する。今のなのはは眼がまともに見えていない。となると、漫画や小説を読むにも不便だし、かといって入院中の身では買い物になんか行けやしない。テレビだってBGMを奏でるくらいしか役に立たず、音楽プレーヤーは手元に無い。看護師さんにお願いして持って来て貰ったラジオも、普段からラジオを滅多に聴かないなのはには大した暇潰しにはならなかった。

「誰か来ないかなー?」

 ベッドの上に仰向けに転がり、呟く。魔法の呪文じゃないんだから、そんな都合良く誰かが来てくれる訳は無い。だから、これはただの偶然なんだろう。

「なのは、居る?」

 声がした。小学校の時からの親友で、今も親友で、これからもずっとそうである人の声。なのははその声を嬉しく思った。

「居るよ、フェイトちゃん」

 だが、扉の向こうのフェイトは返事を嬉しく思えなかった。これは、もう逃げられないという宣告だから。

 観念した様に、フェイトはヴィヴィオとユーノを伴って病室に入る。途端、なのはの表情が僅かに曇り、全身が固まる。やはり、折角の誕生日を祝えなかった罪悪感があるのだろう。

 事故なんだから仕方がないと言えばそれまでだが、良心の呵責なんてものは仕方ないでは片付けられない。そんななのはの心情は知らず、ヴィヴィオが久しぶりに会う母親の姿に満面の笑みを浮かべて走り寄る。

「なのはママ!」

 何か言いたい事がある訳で無く、何かしたいんでもなく、強いて願うなら、ぎゅっと抱きしめて。それがヴィヴィオのして欲しい事だった。怪我をして病院に担ぎ込まれて、誕生日だって言うのに会えなかった。祝って欲しかったとかそういう感情は全部無くて、ヴィヴィオの頭を占有するのは“なのはママ”という存在だけ。

「ヴィヴィオ、元気そうだね!」

 それを感じ取ったのか、なのはも精一杯の元気な声で応えて、跳び付くヴィヴィオを抱き止める。すっぽりと腕の中に収まる小柄な体を愛おしく見詰める。

「元気だよ!誕生日が来て少しお姉さんになったもん!」

 グッと握り拳を突き上げて宣言するヴィヴィオ。まるで少年の様な元気っぷりで、なのに少女らしいとしか言えない表情。

けど、その無邪気な言葉と表情がなのはの罪悪感をほんの少し煽り立てて、表情を曇らせる。些細な変化に、ヴィヴィオが気付いた。

「なのはママ?」

 疑問の声に応える行動も言葉も無く、戸惑うなのは。それを救ったのはフェイトだった。

「ヴィヴィオ、なのはは一応入院してるんだから、あんまりはしゃいじゃ駄目だよ」

「ぶー、一応って何さー」

「間違ってないんじゃないかな?なのはは元気過ぎるからね、一応でいいよ」

「ユーノ君までそんな事言う〜」

 一瞬にして明るくなった場の空気のまま、しばらく会話は続いた。しばらく、とはいっても実際は10分少々。だけど、フェイトにはそれが実際の時間以上に感じられるくらいの長さだった。穏やかな、それでも少しだけ騒がしい会話の後、フェイトが唐突に切り出した。

「なのは、飛行機事故の事をヴィヴィオに話してあげてくれないかな?」

 その言葉を聞いた瞬間、なのはとユーノの動きが止まった。

「フェイト、それは……」

 まず最初に言葉を発したのはユーノだった。先の言葉を撤回して欲しくて言ったのだが、フェイトの中に何らかの覚悟を見て取ったユーノは途中で言葉を切り、黙る。数秒後、なのはが口を開いた。

「やっぱり、私が言わないといけないのかな?」

 なのはだって分かっていた。今回の事故の理由、遅かれ早かれヴィヴィオの耳にその理由は入るだろう。ならばいっそ、自分の口から伝える方がマシだ。けどなのはにはそれが辛かったから、出来ればフェイトかユーノに言って欲しかった。でも、それは甘えなのかも知れない。

「私はユーノでも良いと思う。けど、この問題に今直面しているのはなのはだから、今話すなら、なのはがするべきだよ」

 自分が話そうとしてクロノに止められた事は伏せて置く。それは今この場では余計な事だ。

フェイトの言葉を受けたなのはは何かを言おうとして、でも言えないでいる。それをなんとなく、本当になんとなく感じ取ったヴィヴィオが言った。

「なのはママ。お話、聞かせて」

 ヴィヴィオの言葉が引き金になって、なのははゆっくりと語り始める。

 飛行機事故の事とその事故で負った怪我が原因で今こうしている事。元よりヴィヴィオは事情をある程度知っている。なにせ当事者の一人だ、ニュースなんかで伝えられた人よりはよっぽど理解が早い。欠けているのは事故の直前と直後だけで、なのはとユーノがヴィヴィオを庇って怪我をして、それが原因で眼が悪くなった事を言えば済む。

 伝える事を躊躇っていても、実際に口にすると実にあっけない。なのはが言葉を出し終えた後、ヴィヴィオは泣きそうな声を僅かに漏らした。泣きそうな瞳でユーノを見て、なのはを見て、今度は言葉を漏らすのでは無く、はっきりと言った。

「ごめんなさい。ユーノパパ、なのはママ」

 絞り出す様にゆっくりと。その悲痛な声を聞いて、二人は胸が締め付けられる思いになる。酷く重い空気が場を支配する直前、フェイトがヴィヴィオに気付かれない様に、音を断てずそっと鞄から紙切れを取り出し、なのはの見える位置まで持ち上げる。

まともに見えない眼で見たそれの正体とフェイトの意図を、なのはは理解した。

「ヴィヴィオ、ごめんね」

 突然の謝罪に、ヴィヴィオはただ驚くばかりだった。何故、怪我の原因となったかも知れない自分が謝られているのか?怒鳴られても仕方の無いんじゃないのか?そう思ったけど、なのはは謝っていた。

「私、ヴィヴィオの誕生日プレゼントの絵本を破っちゃったんだ。だからごめん」

 そんな事、ヴィヴィオにとってはどうでもいい事だった。重要なのは、自分がなのはとユーノの怪我の原因になったかも知れない事。何も言わなければ、ひょっとしたらあの飛行機は落ち無かったんじゃないのか?飛行機が落ちそうになった時、寝てしまっていなければ、すぐに起きていれば、誰も怪我せずに済んだんじゃないのか?

そんな考えばかりがヴィヴィオの頭にはあって、なのはが自分へのプレゼントを誤って破ってしまったなど二の次だった。

「なのはママと、ユーノパパが怪我したの、私の所為かも……」

 そんな事、なのはにとってはどうでもいい事だった。子供の誕生日に、しかも自分の家族となる日に祝えず、プレゼントも渡せず、挙句周囲に多大な心配と迷惑をかけてしまった。さっさと眼の治療を受けておけば良かった、子供を助けに行く為に走ったとしても鞄は歩道に放り投げて置けば車に引き裂かれずに済んだ。そもそも、絵本をもっと早くに完成させていれば当日に持って行くなどせずに済んだ。早めに完成させて箱に詰めてラッピングして、翠屋にでも置いておけば一番確実だったんだ。

 そんな考えばかりがなのはの頭にはあって、ヴィヴィオが原因で怪我をしたかもしれないなんていうのは二の次だった。

「はい、おしまい」

 フェイトがパン!と手を叩き、終了を宣言する。その光景をキョトンと見詰める三人。

「暗くなってもつまらないし、楽しくないよ。なのはもヴィヴィオも、自分が悪いと思ってる事は言ったでしょ?」

 フェイトのそこまでの言葉で、なのはとヴィヴィオは次に言うべき言葉を見つけた。二人の瞳に、不安とかそういったネガティブなものは一切なくて、瞳はただ澄んでいて。

「「気にしてないよ」」

 ――二人の声が重なって、同じ言葉を紡いで。

「なのはママ」

「ヴィヴィオ」

 名前を呼んで。手を取り合って。

「二人だけでそれはずるいよ」

 ――ユーノも加わって、重なる手は三人分のものになって。

「これからパーティーしようか?みんなも呼んで、ここでさ」

「流石に病院では不味いよ。退院までお預け。代わりに、なのはの好物を用意するからさ」

「あ、ユーノパパ、私も」

「じゃあついでにユーノ君の好物も用意しようよ。一人だけ無いと寂しいでしょ?」

 ――誰が見ても疑えない。

「ところでさ、なのは」

「んー、なーに?」

「僕の書いた話って覚えてる?絵本のストーリー」

「絵を描く為に何度も読み返したからね、覚えてるよ。それで?」

「ヴィヴィオに聞かせてあげなよ。絵本は破れちゃったけどさ、見えないだけなら伝えられるでしょ」

「なのはママ!お話聞かせて!」

「よっし!じゃあユーノ君が考えたお伽話、なのはエディション!いっちゃうよ!」

「改変は程々にね」

 ――家族という形になる。













 なのは、ユーノ、ヴィヴィオ。三人が確かな家族となった事を見届けたフェイトは一人静かに病室を後にする。適当な理由を付けて待合室に待たせているエリオとキャロを迎えに行かなければいけない。そろそろ痺れを切らす頃だろう。

 けど、どうしてだろうか。視界が滲んで、上手く歩けない。前が見えない。

「うっ…………」

 嬉しいけど、なのはもヴィヴィオも好きで、ユーノが大好きだから三人が幸せになる事は嬉しいけれど。でも、大好きな人が自分以外の人と家族になる、そんな決定的瞬間の、幸せの引き金とも言えるものを自分で引いたから、悲しい。もう二度と、ユーノ・スクライアという人に自分の想いは届かないのだと、届かせないのだと自分で決めたから。

 不意に、フェイトの視界が黒に染まった。後頭部を包む、大きくて逞しい掌。

「兄さん、仕事は?」

「押し付けて来た」

 その一言で、フェイトが少しだけ微笑む。純粋に嬉しい。自分の仕事に誇りを持っていて、何よりも熱心に勤めるそんな人が、自分の為に来てくれて。

「ありがとう」

「気にするな。これまで兄らしい事はほとんど出来なかったんだ。このぐらいはさせてくれ」

 クロノは右手でフェイトの頭を自身の胸に埋めさせ、左手でその背中を撫でる。そんな事をしていると、病室からユーノが出て来た。その顔は、全部知ってる顔だった。

「人の妹を泣かせたんだ、君には彼女達を幸せにする必要がある。けどこれは義務じゃ無い。君が自分の意思でしないと意味がない」

「分かってるよ。誰に言われ無くてもそうする。僕はなのはとヴィヴィオが、仲間達全員が大好きだからね」

「ならいい。それじゃ代わりにエリオとキャロを頼む。こっちはまだかかりそうだ」

「うん。分かった」

 クロノとユーノの会話はフェイトには聞こえなかった。それはフェイトの耳をクロノがさり気無く塞いでいるから、フェイトが泣いているから。

だからユーノは去る。それが今の自分の役目だから。













 ユーノがエリオとキャロを迎えに待合室まで行くと、そこには意外な人物の姿があった。

「スカリエッティ教授じゃないですか」

「やあ、ユーノ君」

 思わぬところで意外な人物と出会ったユーノは、ひとまず挨拶でも、と考えた。ざっと待合室を見渡したところ、エリオもキャロも居なかったので、二人の事を尋ねる目的もあって。

「意外ですね、教授が病院に居るなんて」

「おや、君は私がそんなに健康体に見えるかね?生憎と、不健康ならば大学一である自信があるよ」

 病院関係者でもないのに、病院で白衣を着た一種知的な男性。そんな、初めて訪れる者には医者と間違われそうな風体のスカリエッティは仕草で長椅子に座る様提案する。断る理由は無く、ユーノはそれに従った。

「そんな自信は捨てて下さい」

 ユーノの言葉もスカリエッティの言葉も、どちらも事実をそのまま口にしたものだ。普段から大学内の不健康王とまで呼ばれるスカリエッティは、その称号とは正反対に今まで一度も病院に行った事が無いと噂されて止まない。

 なんでも、家には12人の娘がいて、病気になった場合は娘達総出で看病が始まるらしい。で、優秀な娘達の看病のお陰で病院に行かず完治らしいのだが、この話の信憑性は、雪男は存在するか?レベルのものみたいだ。

「善処しよう。それで、今日は君に用があって来たんだよ」

「僕にですか?よくここに居ると分かりましたね」

「ああなに、娘の一人がこの病院に勤めていてね、それで君の姿を見たと聞いたものだから」

 専門職を抱えるとは、侮りがたしスカリエッティ一家。

「それで、僕に用とは?」

 尋ねる筈だったエリオとキャロの事はひとまず置いて措き、先に用件を聞く事にした。電話やメールで無く、わざわざ出向く辺り、重大な事なのだろう。

「うむ。実は君には、今度の海外遺跡調査のメンバーから外れて貰いたいんだ」

 なんの前置きも無く投げ出されたその言葉に、ユーノは多少の動揺を覚えた。けれど取り乱す事は無い。例えその理由に心当たりがあっても、まだ彼の口から聞いてはいないのだから。

「それは何故ですか?」

「私よりも君が一番良く分かっているだろう?」

 言って、スカリエッティはユーノのメガネを外し、眼前に掌を出す。

「何本に見えるかね?」

「五本です」

 例えメガネを外されても、見間違う筈など無い。掌を広げたその形、指は間違い無く五本だ。一本も曲げられていない、真っ直ぐに伸ばされた肌色の物体が五本。

「残念、六本だ」

 そう言い、スカリエッティは指の間に挟まれた合計六本のボールペンを白衣の胸ポケットへ仕舞う。

「親指と人差し指、薬指と小指の間に二本ずつ。人差し指と中指、中指と薬指の間には一本ずつ」

 声を出せずに居るユーノに、スカリエッティは追い打ちをかける。

「差し出された私の掌の内で数えられるものは指とボールペン。ユーノ君、一般的にこの状態で“何本に見えるか?”と聞かれれば、大抵の人はボールペンの数を数えると思わないか?引っかけを疑う人物がいたとしても、指とボールペンのどちらを数えるか尋ねる筈だ」

 ユーノの背筋を寒いものが走る。それを雰囲気で察しても、スカリエッティの口は動く事を止めない。

「君が引っかけを疑って、それでもこれをゲームと捉え、敢えて勘に頼って答えたと言われれば、私はそれを否定し切れない。だがそうでない場合、私の予測が正しい事になる」

「予測ですか?」

 ユーノは観念した様に呟く。この予測は正解だという結果だけがユーノの頭にはある。

「これは高町なのは君と同じで、物の線がぼやけている状態だ。済まないが、以前の健康診断の結果を調べさせて貰ったよ。遺跡調査はまず健康でなければいけないのでね」

 理由としては十分だろう。スカリエッティ教授は海外遺跡調査の責任者。同行する者の健康状態のチェック、最も簡単なのは以前の健康診断の結果を調べる事だ。しかもユーノには以前の健康診断の記録を提出した覚えがあった。あれは何時だったかと考えると、つい最近。それこそ、ヴィヴィオへのプレゼントとして絵本を作っている時だ。

ともすれば、ユーノの状態を知っているのは当然。

「今はまだ彼女程では無い様だ。だが、何時悪化するとも知れない君を連れて行く訳にはいかない。若い芽は摘みたくないのだよ」

 スカリエッティの決定に不服は無かった。無茶をして遺跡調査について行き、挙句大怪我でもしてしまえばそれこそ事だ。だから、この決定には感謝していた。

 ただ惜しむべくは、待合室から何処かへと消えていたエリオとキャロがこのタイミングで戻って来た事だ。

「済まない。チンクに話し相手になっていてくれと頼んでおいたんだが、どうやら忙しくなってしまったみたいだ」

 チンクというのは、病院に勤めているというスカリエッティの娘の事なのだろう。恐らくは、この話を内密なものにするべく取り計らってくれての事。

「いえ、十分です。その気持ちだけ頂ければ」

 病院とは何が起こるか分からない場所だ。子供達の話し相手をずっとしている訳にはいかないだろう。急患が出てしまえば、それこそ呑気に話している場合では無いのだし。

ともなれば、その行為だけで十二分の感謝に値する。ユーノは深く一礼すると、エリオとキャロへ向き直る。

 二人の顔は、事情をよく知らないが故の困惑に満ちていた。

「行こうか。なのはもフェイトも待ってる。そこで、全部話そう」

 これまで上手く誤魔化して来たつもりだったけど、上手くいかないものだ。ユーノはそう胸中で呟くと、二人の手を取った。













あとがき

 はい、スカリエッティ地味に登場の回でした。

嘘です。なのはとヴィヴィオ、フェイトとユーノについての回でした。スカリエッティはオマケの筈が目立ちました。

なのははヴィヴィオと仲直りというか、結局問題は何も無かったという事で一件落着です。

でもって、ユーノが自分の事を隠していた理由は次回へ。

ではまたー。





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