エリオとキャロの手を引き、なのはとヴィヴィオの待つ病室までの短い道中、ユーノは黙ったまま考え事を続けていた。
 どうして自分は、健康診断の結果などをスカリエッティ教授に渡したのか?そんな事をすれば、眼の事を直接書かれていなくても何かしらの異常がある事は分かってしまう。事実、それが理由で教授はユーノの眼に懸念を持ち、今回の行動に出た。即ち、教え子に対しての心配と、少々の悪戯心だ。
 この事をユーノに告げるならば、何もこんな騙し討ちに近い形で無くとも良かった筈だ。なのにそんな手段を選んだと言う事は、それなりの理由があるんだろう。自分の体の不調を隠していた事、自分の身に降りかかる危険な出来事の可能性を考慮せずに海外遺跡調査などに行こうとした事。教授はそれに対して、こういった形で灸を据えてやろうと考えたんだ。
 最も、これは全てユーノの推測なので別の理由でも不思議は無いが。
「ユーノさん、病室ってここですよね?」
 遠慮がちなエリオの声に俯き加減だった顔を挙げれば、高町と書かれたプレートが見えた。なのはの病室の前を通り過ぎようというところだったらしい。どうにも、考え事を始めると周りが見えなくなる。そんな自分にやれやれと呆れながらも、ユーノはエリオに小さく礼を言って病室の扉に手を掛ける。
 そう言えば、フェイトもクロノも居なくなっている。ふと頭の中を掠めたそれも、今から辛い事が起きるかも知れないと思えば気にする余裕も無い。さて、なのはと同じ眼の不調を隠していた事に対する家族の怒りは、ビンタ一発くらいで収まってくれるだろうか?
「なのは、お待たせ」
「おっめでとー!ユーノ君!」
 パーン!パーン!パーン!と炸裂音が何度も鳴り響く。病院には似つかわしくない派手な音は、扉を開けたユーノの眼の前、八神はやての手に握られたクラッカーからしたものだった。
「いっやー、水臭いやないの。こんなおめでたい事を隠してたやなんて」
 右手を顎の下にあて、すりすりと撫でながら不敵な笑みを浮かべるはやて。それはいいからまだ使い切って無いクラッカーを向けないで下さい。
「おめでとうございます、ユーノ。お幸せに」
「良い場面に出くわしたものだ。シャマルの所為でバスに乗り遅れたのも、これならば感謝してもいいかも知れん」
「そ、そうでしょー!実は私はこれを狙って……」
「いや、嘘だな」
 そこに居るだけで騒がしく楽しくやかましく面白いという八神家の面々が次々に言葉を投げかける。
 はやて、シグナム、シャマル、リインフォース、四人の顔はどれも笑顔で、晴れ晴れとしたという表現が良く似合う。
「なんだかよく分かんねーけど、おめでとう」
 周囲が騒ぎたてる中、ヴィータ一人だけが意味をよく分からないままに祝福してくれた。実はこのヴィータの心中こそ今のユーノの心中そのものだと誰が知ろう。
 このまま取り残されて騒ぎたてられても相手が大変なので原因を知っていそうな人物に声を掛ける事にした。ユーノが一歩近付く度に、“やっべー、やっちまったー”って感じの表情を増し続けるなのは。
 その膝の上にはヴィヴィオがちょこんと座っていて、なのは同様にユーノを見ている。こちらは“やっちまった”な表情では無いけど。
 一応周りに聞こえない様に、小声で話し掛ける。
「なのは、この騒ぎは一体何なの?祝福される覚えはないんだけど」
「あはは…………怒らないで聞いてね?」
「内容によるよ」
 ユーノの疲れた様な表情に言うのを躊躇いつつも、なのはは口にした。
「私達、結婚する流れになっちゃった」
 突然降って沸いた言葉に、ユーノはただ首を傾げるばかりである。それを見て、なのはは足りない部分を補おうと説明を続ける。
「分かりやすく言うとね、ユーノ君が出て行ったすぐ後にはやてちゃんが来て、ヴィヴィオにお話聞かせてるところを見られたのね」
 訳が分からないままに状況説明が開始される。取り敢えず黙って聞いておこう。
「そしたらはやてさんがね、“なんやもうとっくに家族やな。ユーノ君と結婚せえへんの?”って言ったの」
 なのは説明を引き継いだヴィヴィオの舌ったらずな関西弁を聞きつつも、なんとかユーノは頷く。正直、先は読めた。
「それでね、じゃあ結婚しようかな〜って答えたの」
「そしたらはやてが冗談だっていう可能性も考えずにみんなを巻き込んであの騒ぎなんだね」
「そ、そゆ事です」
 なのはの言葉と同時にヴィヴィオがこくんと頷き、母親の方は眼を逸らして、私は悪くないですというアピールをする。まぁ、諸悪の根源が誰なのかは非常に微妙なラインなので置いといて、病院でこの騒ぎは不味かろう。ユーノははやて達一行を制止にかかる。
「はやて、ひとまず落ちつ……」
「おめでとーございます!」
「なんか急展開ですね。おめでとうございます」
 ユーノの言葉は敵増援によって掻き消された。
「秋君にアイちゃん。何時の間に」
「今さっきですよ。病室に着くなりはやてさんが、今夜は赤飯やー!パーティーやー!って騒いで、聞く前に事情をマシンガンみたいに捲し立てました」
 秋の解説にユーノは頭が痛くなる思いだった。彼女は余計なものを広める拡声器か何かか?
「それでですね、ユーノさん!式は何時ですか!もう入籍は済ませたんですか!」
「アイちゃん、落ち着いて」
 兄とは違って興奮中の灯藍。秋が馬にする様にどうどうとなだめるが、その興奮は止まらない。
「あー、すんません。こいつこれで意外と女の子してるんで、結婚とかそういう話題に敏感なんですよ」
 灯藍の愛読書は少女漫画であり、複数の雑誌を購読している。幼い頃からそういった恋愛ものの話ばかりに触れて来た彼女は、そういった話が大好きだ。少々過剰だけど、まだまともな反応なだけ今のユーノには救いだ。
 この二人になら話は通じるから事情の説明は簡単だろうけど、灯藍の喜びっぷりを見るとなんだか事実を伝える事が悪く思えて来てしまう。何よりも優先するべきは、あの生きている拡声器である八神はやての鎮圧だった。
「はやて、少し静かにしてよ。ここは病院なんだからさ」
「なんやもー、恥ずかしがってー!お祝いは素直にされとくべきやでー!」
 バンバンとユーノの肩を叩くはやて。見かけに似合わず結構力が強いのであんまり叩かれると痛い。気は引けるが、本当の事を黙ったままにして後でバラす方が落胆は大きいと思い、真実を伝える。
「僕となのはが結婚するっていうのは、はやての勘違いだよ」
「んもー!そんな照れ隠ししてー!」
 バンバン!
 駄目だ、この拡声器止まらねー。電源何処だ?誰かコンセント引っこ抜いてくれ。電池を抜いてもいいからさ。
「誰か助けて〜」
 ユーノの願いが天に届いたのか、はたまた病院内で騒いだから当然の事なのか、騒ぎを聞きつけてやって来た数人の看護師によって事態は鎮圧されたのだった。
 
 
 
 
 
 
「ふぅ」
 病院を出てすぐ近くには、そう大きくない公園がある。ユーノはその公園のベンチに座って一息ついていた。
 大騒ぎしすぎて病院を看護士達に追い出されたユーノが追い出されてまず最初にやった事は、はやてに事情を説明し、納得させる事だった。
 はやての「そんなのつまらーん。結婚してまえー」という文句は良いとして、気の毒なのはシグナムとリインフォースと灯藍の三人だ。彼女達は割と本気で信じて祝福の言葉を掛けてくれていたので、なんだか気落ちした表情を見るのは少々辛かった。あんまり分かっていなさそうだったヴィータも、なんだか落胆した表情だったし。
 今日はもう病院には入れないと踏んだ一同は解散。八神家御一行は、一人だけ仕事の都合が付かなかったザフィーラに弁当を届けに行くそうだし、赤坂兄妹は灯藍がデートなどと言って秋を連れ去って行った。だがヴィヴィオだけは例外で、なのはの一人では退屈だという主張が通じて病院に居る。
 嵐は一瞬で過ぎ去った。ちょっと性急過ぎる気もするが、これが彼女達の、いや自分達のペースだ。基本的に楽しければいいし、暗い雰囲気を好まない。それは小学生の頃から続けて来た変わらぬ空気。
 しかし、隠し事をしていたから謝ろうとした矢先の出来事にしては、あの騒動は少しばかり大き過ぎでタイミングが悪い。お陰で出鼻を挫かれてしまった。
 僕もなのはと同じ病気なんだ。そう言うだけなのに、何故だか妙に気が重い。
「こんな事なら隠さなきゃ良かったなぁ」
 誰も居ない公園のベンチに腰掛け、誰に向けるでもなく空を仰ぎ見て呟く。これはユーノが心の底から感じている事だ。
 最初はなのはに余計な事を気負わせたくないから隠していた。要はなのはがヴィヴィオにしていた事と基本的に同じなのだが、ユーノの場合は事情が少々違う。
 なのはが自分の事をヴィヴィオに伝えなかったのは、ヴィヴィオに無用な気負いをさせたくなかったからという理由と、まだ子供だからという理由がある。多感な子供に大きめなショックは良くないだろうという考えなら、伝えなかった理由としては十分納得出来る。
 けど、ユーノが自分の事をなのはに伝えなかったのはなんでだろう?相手はユーノが最も大切にしていて、最も信頼している筈の恋人。なのはなのに。
「ここに居たんだね」
 ここのところ考え事に没頭しがちなユーノの頭上、聞き慣れた声がした。
「フェイト」
 ユーノは彼女の名前を言う事しか出来ない。それ以外の言葉が見つからないのは、きっとバツが悪いから。だって自分は、彼女の事を泣かせたから。そう考えてしまうのは思いあがりだろうか?けど少なくとも、原因の一端ではあるのだから間違いじゃ無い。
「その顔は悩んでる顔だね」
「何があったかは知ってるんじゃないの?エリオとキャロから聞いて無い?」
「聞いたよ。私はこれで良かったと思ってる。隠し事なんてしないに限るしね」
 やっぱり聞いていた。当然か。エリオとキャロが何かを相談するとすればまずフェイトだ。ユーノの秘密らしきものを知ってしまった二人が向かい、話をするのは自然な流れ。ただ分からないのは、つい一時間くらい前まで泣いていたフェイトが普段通りの表情で立っている事。それも、ユーノの前でだ。
「私がここに居るの、不思議そうだね」
「そりゃあね。僕としては肩身が狭いよ」
「気にする事ないよ。私はまだ振られてすらいないんだし」
 少しだけ可笑しそうにフェイトは笑う。告白もまだなんだから、あれは自分が勝手に泣いただけ。フェイトの中ではそういう位置付けなのだが、それは本人以外には分からない事なので、ユーノにとってはただ不思議でしか無かった。
 フェイトは確認も取る事無くユーノの右隣に座ると、何処からともなく缶のお茶を取り出した。
「どっちがいい?」
 右手に緑茶、左手にウーロン茶。掲げて見せられたユーノは、特にどちらが好みという事は無かったので、無造作にウーロン茶を選ぶ。
「手品でも覚えたの?」
 立っている時は何も持っている様に見えなかったからひとまずそう言ったけど、どうせ肯定はされやしない。
「うん。ヴィヴィオの誕生日の余興としてこの前覚えたんだよ」
 驚いた。まさか本当に手品だったとは。ユーノは是非に種を明かして貰いたいと思った。人に気付かれずにキンキンに冷えたお茶を出せる手品なんて、夏場は重宝するだろう。
「どうやるの?教えてよ」
「えーとね、まず自販機を用意して、それを持ち運び出来るだけの力を付けて、自販機を隠しながら移動出来れば完璧だよ」
「電源も必要だね」
「充電式のバッテリーってどのくらい持つかな?」
「さぁ?専門の業者じゃないと分からないんじゃない」
「んー、そういう方面に強そうな人って居たかな〜」
 フェイトの真面目そうな表情に、思わず笑いを零すユーノ。まさか彼女と真顔でこんな話をする日が来るなんて思ってもみなかった。
「ふふっ、ようやく笑ったね」
「あー、もしかして僕って相当暗い顔してた?」
「うん。楽しみにしてたドラマの留守録に失敗したみたいな顔だった」
「それは相当だね」
 額に手を当てて溜め息を吐く。フェイトにあんな形で気を使わせる程とは、重傷だ。なんとかしたいとは思うものの、怪我の事をなのはに黙ってた理由が分からない限り踏ん切りはつけられそうにない。
「で、どうして悩んでたの?」
「理由は分かってるでしょ。僕は、どうして眼の怪我やそれによる病気の事をなのはに黙ってたのか、自分で分からないんだ。それらしい答えは考え付くけど、どうにも違う気がしてならない」
「教えてあげようか?」
「フェイトは分かるの?」
 自分ですら分からない自分の内面を誰かから教えてもらえる機会があるというのは、ユーノにはかなり意外だった。フェイトの言葉が本当にユーノが黙っていた理由なのかはともかくとして、今は少しでも答えに辿り着くヒントが欲しかった。だからユーノはそれに飛びつく。
「もし分かるなら教えて欲しい。僕がどうして自分の事をなのはに黙っていたのか」
「いいよ。ユーノが自分の事をなのはに教えなかったのはね、なのはが好きだからだよ」
 眼が点になった。
「あのー、それはどういう事でしょうか……」
 何故か若干丁寧な言葉遣いで訪ねるユーノに、フェイトはすっぱりと、これ以上無いくらいはっきりと答えた。
「ユーノはなのはが好きだから、余計な心配をかけたく無くて隠した。そういう事でしょ」
「それは僕も考えたよ。けど、そう考えると変なんだ。一番好きで、一番信じてる筈の恋人に嘘を吐くなんて」
 言ってすぐ、ユーノは失言に気付く。何も、自分を好きでいながら応援してくれているフェイトの前で言う事は無いだろう。ユーノが一番大切にしているのがなのはだという事に変わりは無いが、自分を想ってくれている人の前でこの言葉は余りにもだ。
「好きって想いはね、たまに空回りするんだよ」
「え?」
 けどフェイトは平然とそう言ってのけた。
「ユーノはなのはが好きで、心配をかけたく無かったから隠してた。それは一方で納得出来るけど、もう一方で納得出来ない行動だった。私がユーノを好きだって事と同じなんだよ。ユーノが好きだから一緒に居たいけど、ユーノが好きだから幸せになって欲しい。相手が私以外の人でも、不幸になんて、なって欲しく無いから」
 全部を理屈で説明しようとするな。ユーノはフェイトの言葉の中に、そんな意味があるんだと思った。
 好きだから心配を掛けたくないけれど、そうすると隠し事をする事になる。それで悩む事すら、その人を好きだという証。なら、ユーノが取るべき行動は一つ。病室でもう見せて貰った、なのはとヴィヴィオの再現を。
「自分が悪い事したと思ったら素直に謝って、もし問題があるならその後にみんなで解決すればいいだけ。それでいいのかな?」
「正解は誰にも分からないよ。けど、私はそれが一番だと思うな。何もなのはを好きなのはユーノだけじゃないんだよ?」
 そう言った後に手にしたお茶を一口飲むと、フェイトはベンチから立ち上がってユーノに手を差し伸べた。なのはの親友である彼女が言うと、他の誰よりも説得力がある。
「うん。まずは謝るところから。後の事は、それから考えればいいかな」
 優しく微笑むフェイトに向かってユーノは言った。幸せなんて漠然とした形、追い求められやしないけど、漠然としてる分だけ決まった道を進まなくてもいい。多少躓いたり転んでも幸せになれる。それに、このくらいの事は石に蹴躓いた程度にも劣る、軽過ぎる障害だ。止まるだけ時間の無駄なら、一気に解決してしまおう。
 そうやって意気込み、病院へと向かうユーノの背を見て、フェイトは溜め息を吐く。
「上手くやらないと、怒るからね」
 
 
 
 
 
 
「ねぇ、スカリエッティ教授の遺跡調査ってどんな事をしに行く予定だったの?」
「なんでも、古代から伝わる星の歴史に関して調べる為だとか。僕は専門じゃないんだけどね、一回体験してみるのもありかと思って同行しようとしてたんだ」
「そっか。でも、教授も知らないだろうね。海鳴市にこんな場所があるなんて」
「だろうね。秋君と昔のクロノに感謝だ」
 ユーノがなのはに眼の怪我や病気の事を打ち明けてからしばらく後、二人は海鳴市内にある高い丘の上、常識外れな成長を遂げた杉の木、通称階段杉の中腹付近に来ていた。
「あ、また流れ星」
「やっぱりここからだと良く見えるね。高いからってだけじゃなさそうだ」
 ユーノがなのはに「ごめん、実は僕も事故の時に眼を怪我していて、なのはと同じ状態なんだ」と言ったところ、返って来た返事は「あ、やっぱり」だった。
 何の事は無い。なのはは最初から知っていた、というよりは予想していたのだ。それもその筈で、ユーノは普段の生活で新聞に異常に顔を近づけて見る等、老眼で視力の落ちたお爺さんみたいな事をしていた。
 それだけなら良かったのだが、着替えの時に冬なのに半袖のシャツを持っていたり、夏に冷房じゃなくて暖房付けたり、その上一度なのはが入浴中に風呂場に乱入した事もあった。そのどれもが、文字が見えない、袖の長さが良く分からない、何のスイッチかを示す文字が見えない、脱衣所の籠に入っている女性物の下着に気付かないとかの理由だ。
 なんだか単に視力が悪かったり注意力散漫なだけの気もするが、なのはが疑問を持つには十分な理由である。だからなのはがユーノの事を掛かり付けの医者に聞いたところ、あっさり事は露見したのだ。同じ病院の同じ医者に診て貰っていたという辺り、迂闊過ぎる。設備が整った病院がそこくらいだったという事もあるが、口止めくらいするべきだ。
 なのはが知っていた事を黙っていたのは、気遣いという奴だろう。
 何にしてもそんな感じで相も変わらずあっさりと問題は解決。どうにも変わらぬなのはとユーノにヴィヴィオを加えた、一つ屋根の下の明るくも軽いノリでの生活は続いている。
 そんな生活の折り、スカリエッティ教授が以前から予定していた海外遺跡調査に発った。ユーノはなのはとヴィヴィオを連れだって見送りに行ったのだが、その帰りになのはが「せっかくだから何処か行こうよ」と言いだした。
 で、良い場所はないかと探しに探したところ、秋からこの階段杉を紹介されたという訳だ。
「ヴィヴィオも連れてくれば良かったね〜」
「流石に危ないよ。というか、僕達も危ないもん」
 現在二人が居るのは、階段杉の中腹にある、クロノが小学生の時に結成していた正義の組織スペースガーディアン(クロノにとっての黒歴史)の秘密基地跡だ。この場所は太い枝が複数集まっている場所に頑丈な木の板を張り巡らせて作った、まさしく子供の秘密基地である。数年前までは屋根や遊び道具が放置されていたのだが、何時だかの嵐の際に全て吹き飛んでしまった。
 階段杉の全長は50メートル以上。秘密基地跡があるのはその中腹付近とはいえ、落ちたら死んでもおかしくない高さだ。流石にそんな場所にヴィヴィオを連れて登る訳にはいかず、現在は階段杉の根元でちょっとだけ待って貰っている。
「で、ユーノ君は何を企んでるのかな?」
「何も企んでなんかないけど、急に何さ」
「嘘を吐いてもバレバレだよ。ユーノ君、嘘が下手だもん。電話で秋君に場所を聞いてる時、変に長かったよね。それに、ユーノ君がヴィヴィオを一人で残そうとするなんて、普段じゃ絶対にないもん」
 バレている。予めこの日取りに階段杉へ来ようとしていた事も、秋にある事を調べて貰って何かを企んでいる事も。ユーノは諦めたように息を吐き出すと、観念して話を始めた。
「なのはには敵わないね」
「ふふふっ、簡単には勝たせないよ」
 別に勝つ気も何も無いし、そもそも勝敗つけられるんだろうか?
 気を取り直してユーノは夜空を指差した。
「あれを見てくれるかな?」
「あれって、どれ?」
 なのはとユーノはどちらもがまだ手術をしていない、まだ眼がまともに見えない状態だ。だから何を見てと言われても正しくは見えないのだが、今回は眼の良し悪しはそう関係無いみたいだ。
 ユーノが指差したのは星。夜空に輝く無数の星の内のどれか。余りに多すぎるその数の中、ユーノの示す星を見分けるのは簡単じゃない。けど不思議と、自然となのははユーノが指差した星がどれなのか分かる気がした。
「あの赤い星?」
「そう。なんでも最近発見されたばかりの星みたいなんだ」
「そうなんだ。それで、あれが何?」
 最近発見されたばかりの星となれば確かに珍しいが、わざわざこんな危険な場所に連れて来てまで見せるものとも思えない。不思議そうになのはが視線を星空からユーノへと移せば、彼は真剣な表情で言った。
「あの星、名前がまだ無いんだってさ。それでね、僕は名前をつけようと思うんだ」
「星に名前を?」
「そう。学会に認められる正式な名前とかじゃなくてさ、僕が付ける僕達だけの間で通じる名前」
「なんでそんな事を?」
「ああ、それはね」
 星に名前を付けるというのは中々にロマンチックな響きだが、失礼だがユーノがするとなると若干イメージから離れてしまう。漫画に出て来る様な夢見がちな少女でもあるまいし、まるで特別な出来事でもあるみたいだ。
「今日が僕となのはの結婚記念日に、いや、婚約の記念日になるからだよ」
 そう言ってユーノはなのはの両手を自分の両手で包みこむ。
 板が床代わりに張り巡らされた秘密基地跡は子供用に作られたものなので、当然ながら大人には狭い。だから、体を密着するくらいに寄せた。自分が本気である事を示す為に。
「ふぇ!?」
 案の定、なのはは思いっ切り意外な顔をしている。
「僕はずっと考えていたんだ。なのはが居て、ヴィヴィオが居て、このままでいいのかって」
 なのはは言葉を返せない。嬉しさで思考が停止している。
「ヴィヴィオの生活費、今は僕となのはの仕送りでなんとかなってるでしょ。でもそれだと駄目だと思うんだ」
 今のユーノとなのはの生活は、スクライア家と高町家からの仕送りで賄われている。学費等は奨学金もあるのでなんとかなるのだが、生活費は家族に頼んで出して貰っているのだ。勿論、働き始めた暁には少しずつでも返していくのだが。
「このままじゃ、僕はなんだか周囲に頼りっぱなしで、自分が大変な時に周りに頼るのは悪い事じゃないと思うけど、でもそればっかりだといけないと思うんだ」
 勢い込んで一息に捲し立てるユーノの言葉に、なのはは僅かに頷く。なのはは落ち着きを取り戻してきたが、ユーノの方が若干興奮気味になっている様だ。
「だから、僕は明日からバイトを始めるよ。働き先は秋君に紹介して貰ってもう決めてあるんだ。図書館の司書のバイトなんだけど。それで少しでも、ヴィヴィオの分だけでも生活費を稼ぎたいんだ」
「ユーノ君」
 なのははその言葉に強い衝撃を受けていた。自分はヴィヴィオとの問題、眼の問題を解決して安心していたけど、ユーノはもう次の事を考えている。
「僕は、今はまだ情けないけど、絶対に君とヴィヴィオを守れる立派な人間になる。だから、大学を卒業したら僕と結婚してくれないかな?」
「…………嫌だ」
 なのはの言葉に、一瞬だけ息を詰まらせるユーノ。
「ユーノ君にだけ働かせるのは嫌だ。私もバイトする!」
「な、なのは?」
「だからユーノ君!」
「は、はい!」
 押して押して攻めるつもりだったユーノだが、何時の間にか立場が逆転してる。恐るべし高町マジック。
「大学を卒業したら、お嫁に貰って下さい。私も、その時までに絶対に頼れる人間になるから」
 なのはのその言葉を、ユーノは心の底から嬉しいと思った。断られるとは思って無かったけど、でも嬉しい事に変わりは無い。
 激しくなる心臓の鼓動を押しのけて、ユーノは努めて冷静に次の言葉を紡ぐ。
「それじゃあなのは、あの星を見て」
「赤い星。名前の無い星を?」
「うん」
 二人は夜空を見上げ、赤い星を見る。
「教授が行った遺跡の地域にはね、大事な約束事をする時に星に誓う習慣があったんだって」
「星に誓うって、どうやるの?」
「名前を付けるんだ。他の誰かが呼ぶ為じゃなくて、僕達だけが呼ぶ為の名前を」
「だから名前の無い星を選んだって事なんだね」
「ま、別にどれでもいいんだけどさ。シリウスとか有名なの選ぶよりはいいと思って。それに赤い星なんて特別でしょ」
「そうだね。それで名前はもう決めてあるの?」
「うん。レイジングハートっていう名前にしようと思う」
「ちょっと変わってるね」
 なのはは星の名前について詳しくは無かったけど、心を名指す星なんてのはそう無い筈だ。どうしてユーノがそんな名前にしたのかは後で聞くとしよう。
「よし、じゃあ降りようよ」
「え、降りるの?」
 なのはの提案にユーノは驚きの表情を見せる。今二人が居る場所は、海鳴市で一番高いと言っても過言では無く、つまり海鳴市で一番多くの景色を見渡せる場所。そんな雰囲気作りには最適の場所、少しばかり危険だが、誓いの言葉なんて飾った事をするには最適だと思えるのに。
 でも、なのははユーノの手を引いて、ここまで登るのに使った枝を次々に伝い、降りて行く。
「確かに雰囲気出ていい場所だけど、私はこっちの方がいいな」
 見る見る間に地面が近付いて行く。時が過ぎて深まり行く夜闇の中、ユーノのまだ正常でない眼でも捕えられる、少しだけ目立つ無数の線が風に靡いた。
 サラサラとサラサラと靡くそれの正体は近付くにつれて明確になる。なんの事は無い。一番星に遅れる事数分、何時の間にか現われた月明かりに照らされたヴィヴィオの髪だった。
「私!高町なのはは大学を卒業したらユーノ君と結婚します!」
 杉の木を駆け下りながら、いきなりの誓いの言葉。ユーノは慌てて追い縋る。
「僕!ユーノ・スクライアは大学を卒業したらなのはと結婚します!」
 階段杉の根元で待つヴィヴィオ。ユーノに、ちょっとここで待っててと言われ既に十分以上が経過。元気な盛りの子供には我慢ならないその折にやって来た家族の楽しげな言葉に、一も二も無くそれっぽく参加してみる。
「私!高町ヴィヴィオは!えーと、結婚します!」
「「まだ早いよ!」」
 娘の発言に夫婦ツッコミをかます二人。もう何がなんだか分からないまま、三人は階段杉の根元、手を取り合った。
「ユーノ君!あの星の名前なんだっけ!?」
「さっき言ったばかりでしょ。レイジングハートだよ」
「よし、せーのでいくよ!」
 いくって、何を?そんな事なんか聞く暇を与えずに、なのはは言った。
「せーの!」
 ユーノとなのはとヴィヴィオ。三人は手を繋ぎ、空に瞬く赤い星を見詰め、自分達も仲間達も含めて全員の“これから”を誓った。
 
 
 
 
 
 
 あとがき
 という事で最後らへんはちょっと駆け足になってしまいましたがこれにて普通人間リリカルなのはは終了です。
 魔法少女な部分を無視した魔法の無い、そんでもって大事件とか何も無い話でしたけどやりたい事がいろいろ出来て結構楽しく書けました。でもヴィータが過剰に幼かった気がします。
 ナンバーズとか出せたらもっといろいろ出来たんでしょうけどね、話の流れ的に強引になりそうですし、処理し切れそうに無かったので。
 時間があれば目立たなかったキャラメインの外伝でも書ければと思ってます。





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