第二話「変身欲求」



空は晴れ晴れとしていて、雲一つ無い快晴。
もうすぐホームルームが始まる時間、校庭に人影は殆ど無い。
担任が到着するまでの僅かな時間に友達といろんな話題で盛り上がる教室内。
そういえば今朝はアリサとすずかと一度も顔を合わせていない、その理由は自分が普段よりもずっと早い時間に家を出たからだと気付くなのは。
現実逃避は止めにしよう。
日常と呼んで差し支えなど在るはず無い時間の中から見える光景に、非日常では済まされない異常が侵食している。
大蝙蝠。
校庭の隅に在る大きな木の枝に逆さまになってぶら下がる人間の大人くらいの大きさの蝙蝠。
大蜘蛛よりは幾分か常識的だけど、それでも蝙蝠として見れば明らかに異常。そう思うまでも無く感じ取ったなのはは、無言で教室を後にする。
扉をくぐる際にアリサとすずかと擦れ違った。
「あ、なの……」
聞こえなかった。
否、聞いている余裕など無かった。
足早に教室から離れるなのはに、何か異様な雰囲気を感じ取ったアリサは口を尖らせこう言った。
「変ななのは」
それに答えるすずか。
柔らかな笑顔でなのはが去った廊下を見て言った。
「多分お腹が痛かったんじゃ無いのかな?」
どうしようもなく、日常でしか無い。



「なんで?」
最初は早足だったのに、角を曲がったところから我慢出来なくなって走っていた。
がむしゃらに、周囲になにも無いかの様にめちゃくちゃに腕を振り回して駆けた。
「どうして?」
何人もの生徒と擦れ違っても一度も視線を向けず、人にぶつかっても謝罪せず、それに腹を立てた上級生が振り返ってぶつかった相手に怒鳴ってやろうとした。
ぶつかってすぐ、時間にして1秒無いくらいだ。
なのに、そこにはもう誰も居なかった。
「嘘、だよね」
何度も似たようなニュアンスの呟きが漏れる。
共通しているのは信じたくないという思い。
だって、だって、だって、だって、だって。
「なんで、私は嬉しいの?」
大蝙蝠の出現。歓喜に打ち振るえる心に戸惑う。
でもこれは、誰も否定できない真実。
「もうすぐ」
昇降口に差し掛かる。
上履きを脱ぎ棄て、靴を履く。
歓喜が真実ならするべき事はたった一つだけ。
「もうすぐ、逢える」
歓喜の理由を探る事。
それがどんな理由か、恐怖は尽きないが確かめないという選択肢はなのはの中に無い。
放って置けば、それは取り返しいの付かない事になりそうだから。
「もうすぐ、出来る」
駆ける。
校庭の隅、大きな木の前へ。見えた、そして辿り着いた。
「大蝙蝠!」
良く解らない感情が渦巻く中、精一杯の敵対心を込めて叫び、見上げる。
けど、そこにさっきまで居た筈の獲物は居なくて……
チキィィッィィィィィィィィィィッィ!!
背後に広がる蝙蝠の羽と奇声に振り返り……
ィィィィィィィィィィィギッ!!
その鼻っ面に裏拳を打ち込んだ。
「逢えて、嬉しいよ」
裏拳の衝撃で吹き飛ばされ、教室の窓からは影になって見えない場所へ移動させられた大蝙蝠。
歩む、ゆっくりと。
「ちゃんと、壊してあげるからね」
そう呟くなのはの眼は異常で、海鳴市遥か上空に在るジュエルシード・シリアルYが光を放って飛ぶ。
キィィィィィィィィィィィッィ!!
なのはの思わぬ反撃に戸惑いつつも、自分が狩る側だと認識する大蝙蝠は攻撃の態勢を取る。
大きな羽で宙に浮き、両脚の爪を光らせる。
「来て」
人間ではとても追い付けない速度で飛び迫る大蝙蝠。
これは絶体絶命の危機である。
「そう……」
ただ、一般人にとっては、という前提条件が必要だ。
「さぁ……」
なのはの頭上でその頭蓋を切り裂こうとする爪。
一閃。
「速く!」
ミシッ、という音と共に軋む筋肉。
歪む表情。
「そして、この手に!!」
大蝙蝠の顔面を殴打して一転、急激なカーブを描いてなのはの手の中に収まるジュエルシード。
唱えるは、呪いの文。
「変、身」
輝く。
彼女が、ジュエルシードが、大気が。
そしてそれらが収まる前に咆哮を挙げ、襲い掛かる。
ただ、その生身の拳を持ってして。
「あああああぁぁぁぁぁ!!!」
強い輝きを受けて視界を奪われていた大蝙蝠は嘔吐した。
腹部に受けた余りにも強烈に過ぎる拳打の所為だ。
大蝙蝠は一つの勘違いをしていた。
それは狩る側がどちらかというものでは無く、相手の力量でも無く。
彼女と視線を交わした時点での選択。
食うか見逃すか。
では無く、殺されるか逃げるかの選択。
「ふぁっ!」
ズンッ、比喩では無くそういう音がした。
肉が凹み、骨が砕け、血管を破裂させる。
夥しい量の血が腹部から溢れるのを見て、彼女は壮絶に顔を歪めた。
それは決して美しいとも可愛らしいとも表現出来ない。
だが、紛れも混じりけも無い極上の笑顔だった。
これに比べればどれ程上手い俳優の演技でも陳腐に見えるだろう。だってこれは、心の底からの笑顔なのだ。どれ程技術が在ろうとも、届かない位置に居る本能的極上の笑顔。
キィッと大蝙蝠が鳴いた。
これまでの様な威嚇的意味合いは微塵も無く、想像出来る意味合いはたった一つ。
助けてくれ。
これは命乞いだ。
でもそんな事が通じる相手では無い。
白銀の暴虐者。
聖祥小学校の制服を纏っていた筈のその身を包むのは白銀の衣装。
まるでお伽話にでも出て来る王侯貴族の婚約者みたいな、そんな雰囲気を醸し出す。
これは昨日には無かった変化だ。つまり、彼女は昨日とは違う。
どう違うか?そんなのは簡単だ、彼女を視界に収めればそれだけで解る。
「じゃあ、壊すね」
一歩、大蝙蝠に近付く彼女。
脅え、逃げだす大蝙蝠。
その背に、一言。
「逃げるの?いいけど、それならちゃんと逃げてね。でないと次の楽しみにならないし、なにより……」
地を蹴る。
たった一度の跳躍で数十メートルを跳ぶ。
一瞬で、大蝙蝠の上へと辿り着く。
「半端に逃げられると苛々するんだよね。潔くやられるか、そうでもなければ向かってくればいいのに」
そう言って右脚を振り上げる。凡そ人間が空中で出来る芸当では無い。
そんなくだらない枠は、彼女には存在しない。限界まで脚を伸ばし、力を思い切り溜めて、放つ。
この間、一秒と要さない。
「はぁっ!!」
風切り音が大蝙蝠の耳に届いた頃にはその頭部は原型を留めて居なくて、飛び散る肉片と割れた頭蓋と血と何かが汚くて。
彼女は苛々してその場でもう一回、反対の脚で蹴った。



キーンコーンカーンコーン。
学生には馴染みの音が流れ、学校全体がゆったりとしたムードに包まれる。
それもその筈、時間は真昼。
誰が見ても文句の付けようが無い程に昼休みである。
各々が仲の良い友達を誘い、様々な場所で昼食を取る。
退屈な授業で溜まってしまったストレスを発散させ、食欲を満たす至福の時間。
なのにこの場の空気は重くて、それを察してか誰も部外者は立ち寄らない。
なのはの席に集まった三人。
席の主の高町なのはと、その友達であるアリサ・バニングスと月村すずか。
沈黙に満ちた食事のし辛い時間。
普段であれば楽しい時間になるのに、この日に限っては憂鬱だ。
原因は席の主のなのはに在って、アリサとすずかは説明を求めているのになのはは何も答えない。
いや、答えられる筈も無い。
それはなのは自身、身に覚えの無い事なのだから。
「ねぇ、やっぱり私がやったんだよね?」
沈黙に耐えかねて、なのはがぽつりと呟いた。
なのはにとってはただの確認事項。
ただ、それはアリサにとっては激昂の火種でしか無い。
「あんたは!人の従兄弟を突き飛ばして置いてなに言ってんのよ!」
怒声が教室中に響き渡る。
アリサの怒りの理由はなのはの不可解な行動だ。
朝のホームルームどころか一時間目の授業をまるまるサボって、二時間目の授業が始まるギリギリに教室に現れたなのはは何処かおかしかった。
目は虚ろで足元は覚束なくて、それでいて何を言っても反応しない。
クラスの友達も授業を受け持つ教師も、普段のなのはが明るい元気な少女である事は知っているので単に体調だ悪いだけだろうと思い、具合が悪ければ遠慮無く言えとだけ告げるに留めた。
この時に深く追求していれば良かった。
アリサは心の底からそう思った。
もしも過去に遡り、過ちを正せるならなのはを殴ろうと、自分を殴ろうともそうしただろう。
なのはには、話せ。自分には、聞きだせ。
そう叫んだ事だろう。
でもそれは出来ない。だからアリサの従兄弟で、来週にはこの聖祥小学校に転校して来る従兄弟の惨事に気付けなかった。
アリサの従兄弟、ローグウェル・バニングス。
彼は全治一週間の怪我を負った。
そう、他ならぬなのはが原因だろう。
事が発覚したのは二時間目の授業が半ばを過ぎた頃だ。
来週の転校の手続きなどの用事で学校を訪れていたローグウェルは二時間目の授業が始まった辺りに階段の踊り場で発見された。
予定の時間になっても職員室に現われないローグウェルを、慣れなくて迷っているのだろうと担当の教師が探しに出た。
その際に頭を強く打ち、脚を捻り、気絶した状態で発見されたのだ。
そのローグウェルの近くに落ちていたのが、なのはのハンカチ。
周囲の教室で尋ねると、休み時間の終わり際に大きな物音となのはらしき生徒の姿を見たという情報が大多数の生徒から得られた。
この時間は、なのはが教室に現われた時間に近い。
教師達の見解はこうだ。高町なのはが授業に遅れない為に急いでいたところ、ローグウェルに気付かずに衝突。
バランスを崩したローグウェルは転落、なのははそのまま授業に参加した。
というものだ。
だがそんな事があるのか?
ぶつかった事に気付かないという事は無いでも無いが、ぶつかった相手が転落した事に気付かないなど考えられない。
転落したとなれば大きな音がするだろうし、実際それを聞いている者もいる。
それに加え、ローグウェルの体格はなのはよりも大きく、誤って少しぶつかった程度で転落などしないだろう。
だから疑惑がアリサの頭から離れない。
なのははローグウェルと衝突したんじゃ無くて、突き飛ばしたんじゃないのか?
でもそんな事はあり得ない。
一度も顔を合わせた事の無い人を突き飛ばす理由なんて無い。
なら当の本人に聞けばいいじゃないか。
そう思ったのはアリサだけで無く、教師達も一緒であった。
それに対する返答はこうだ。
「よく分からない、私はホームルームが始まる時からずっと教室に居た筈だよ」
それはあり得ない事なのだ。
ホームルームになのはが居なかったのはクラス全員が確認している。担任も何度も名前を呼んだが、返事は無かった。
次ぐ一時間目の授業もそうだ。担当の教師が何度呼びかけても、何処を探しても、なのはの姿は無かった。
ローグウェルはアリサにとって掛け替えの無い家族だ。
家は遠くて頻繁には会えなかったが、休日となれば彼に会う為だけに何度も通ったものだ。
休日を彼と遊ぶ事に費やし、思い切り笑い合う。いたずらやいじわるもされたけど、それすらも素晴らしい思い出の一部。
そんな彼を、両親の出張に合わせて、一時期アリサの家で預かる事になったのだ。
アリサは喜んだ。ローグウェルの話題が出ると、食事中にも関わらずもうすぐ一緒に暮らせるという事を思い出し、ついつい顔がにやけては注意された。
ここ数年は学年が上がった事があり、休みの日でも稽古などの用事が増えて余り会えなくなっていた為だ。
とてもとても心待ちにしていた再開を、今日果たす。
彼は家から学校へ来て、手続きを済ませ、そのままアリサの家に住む手筈になっていた。
なのに……
「ローグは、ローグは楽しみにしてたんだよ。私が話すなのはやすずかの事を聞いて、今から楽しみだって言ってくれてたんだよ。なのに、どうしてこんな……」
悲しいという感情が溢れ出し、アリサが俯く。
広げた弁当箱が床に落ちて乾いた音を立てる。殆ど手が付けられていない中身が、ぶちまけられる。
なのはは、ただ押し黙る事しか出来ない。
なのはには本当に身に覚えが無いのだ。だから、この場で言うべき言葉も見つからない。
すずかはアリサを宥め、床に散乱した弁当の中身を拾い集めている。
それを見詰めるなのはの瞳には、まるで何も映っていないかの様で。
「どうして?どうして昨日から変な事ばかりなの?」
思わず漏れた言葉に、アリサが憎しみに近い視線を向けた時、なのはの姿はもう無かった。



同時刻、校庭の隅で動く人影があった。
「これは、ジュエルシードの影響を受けた動物の死体」
人影はバラバラにされた大蝙蝠の死体を見詰め、痛々しい表情でそれを調べる。
「一体誰が、いや、どうやってこんなに……」
言葉は空中に呑み込まれ、消えて。
人影の背後には――
「嬉しいな、今日は二回も力を使える。すっごく、心躍るよ」
白銀の衣装を纏った少女が一人。



第二話 完


『亀裂をもたらす者』






あとがき

こーんにちわー。
いやなんかもう、一話目に分かりにくい始まり方とかしちゃってすいません。
一応これってなのはがユーノと出会う前、魔法に関わる前から話がスタートしてまして、一期のなのはをオリキャラ入れて書くものです。
一言で表せば本編再構成ものですね←最初に言えばいいのに。
それでは、気が向いたら続きとかも読んでやって下さい。





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