第三話「亀裂をもたらす者」



曇天。
数時間前までは晴れ晴れとしていた青空は見る影も無く曇り、今にも泣きだしそうだった。
それはこの事態を憂いての事なのか?
そう思える人物など存在せず、またその事態とは、ローグウェル・バニングスの事故の件か。
はたまた、人影の背後に立つ暴虐者の件か。
答えは必要無く、ただ天は傍観するのみである。
そんな事情はお構い無しに彼女は問う。
「ねぇ、君はここで何をしてるの?」
人影がそれに答える。
しゃがみ込んだ姿勢から立ち上がり、彼女と目線を合わせて。
「ちょっと調べ物をね。ところで君は、誰なんだい?」
人影が立ちあがった事で顔が見えた。
なのはとそう年は変わらないであろう少年だ。
「私?私は高町なのはっていうんだよ。よろしくね」
「そうじゃない、器じゃなくて中身。精神を乗っ取ってる方の名前」
少年は問う。
高町なのはにでは無く、それを操る者へ。
「ジュエルシード・シリアルY。これでいいかな?」
少年が思うよりも随分とあっさり答えた事で、少年は疑問を覚える。
いや、疑問であれば最初から持っている。だがこれはその中でも特大のものだ。
何故この世界の人間を乗っ取ったのか?
この世界は少年の居た世界と違い、魔力資質を持つ人間は極端に少ない。
仮に持っていたとしても訓練も無しでいきなりジュエルシードという特大を扱えば、肉体が保たない。
折角乗っ取った相手を簡単に放りだす程馬鹿な筈は無い。
この世界で魔力資質を持つ人間を見つけるのがどれ程難しいか知らないくらい馬鹿な筈も無い。
「君は何を企んでいるんだい?」
「暴れたいの。変身したいの。血に塗れたいの」
「君は、何故人格を持っているんだ?」
「さぁ?気付いた時には持ってた。というか、持ってたから気付けたんだし」
暖簾に腕押し。
そう表現するのがしっくりくるだろう、何を言ってもろくな答えが返って来ない。
ここで取るべき一手。
それを少年は逃走と判断した。
勝負は次の会話。
それで隙を作れるか否かが少年の生死を決定付ける。彼女は少年を一瞬で殺せるだけの能力を有するが故に。
発する。
「君は、寂しくないのか?その生き方で」
「寂しい?私にはその感情は解らない。よければ教えてくれない?教えてくれたら痛くない様にしてあげるからさ」
「そうだね、今の君そのままさ!」
言い放ち、振り返り、走りだす。勝負は塀を越えるまで、学校の外へは騒ぎが大きくなり過ぎる為追っては来れない筈だ。
「ナニソレ?意味解んない、知らない、ツマンナイ!」
激昂一閃。
一蹴りで少年の頭上まで跳び、手刀で薙ぐ。
自然の流れを乱された空気が刃と成り、線を描きて質を断つ。
地面を深々と抉るそれは、人体に当たれば一刀両断。当たり所によっては即死だろう。
本来の彼女であれば、戦闘を命のやり取りと共に遊びと感じ取る彼女であれば外しはしない。
一般の領域を出る事の無い運動能力の少年を逃す原因が見付からない。
けれど少年の言葉を受けて心は躍らず、どうにも楽しみを見出せないその精神は肉体に判別出来ない程に些細な異常を来たし、それが逃す原因と成った。
発光する少年の掌。
否、発光しているのは掌の前面に展開された魔法陣。緑の光によって真空の刃が流される。
それが直進であれば少年の体は魔法陣如切り裂かれていただろう。
だが異常を来たした肉体はミリ単位でのミスを犯し、そこに付け入る隙が出来た。
生死を分けるタイミングで起こった火事場の馬鹿力的能力で少年は真空の刃を受け流したのだ。
彼女にはそれが何よりもショックで、殺す対象が逃げる事など頭に無く、どうしてあの程度の言葉で自分が揺らいだかを自問自答するだけだった。



「はぁ、危なかった」
切れた息を整える少年は、手を膝に着いて必死で頭を巡らせる。
考える事は二つ。
あのジュエルシードの事と、ジュエルシードに乗っ取られた少女をどうやって救いだすかだ。
けれど簡単に答えが出る事は無く、余計な事を考えてしまう。
「それにしても、あれは奇跡だった」
呟く。先程の攻防、正直上手くいく根拠なんて無かった、完全な博打で、生き残る可能性は五分に満たなかっただろう。
その状況から生還した事に心の底から安堵し、停滞していた思考を再開させる。
同時に二つの事に答えを出すのは不可能だ。
であれば優先すべき事柄を決めて一つずつ片づけるしか無い。
そうなれば当然、優先すべきは少女の救出だった。ジュエルシードが何故意思を持ったかなど、捕獲してから調べればいい事だ。
それよりもあの少女の肉体が限界を迎える前に何とかしなければ、取り返しのつかない事になる。
「また賭けになる」
知らず、声が漏れた。不安の表れ。
「ごめんね、君に頼る事になる」
これは意図して話しかける声。
一人で会話は出来ないのに、周囲には誰も居なくて、ただ少年の上着に付いているポケットの一つから声が聞こえた。
All right、と。



学校が終わり、それぞれが帰途に着く時間帯。
家へと急ぐ者、友達と遊びに出掛ける者、学校内でクラブ活動を行う者。
それぞれの横を通り過ぎて無言のまま昇降口を出て、校門まで。
迎えの車に乗り、自宅へ。
その間、終始無言だった。
誰が何を問いかけても無言で、何も答えない。
ただ一人の例外を除いては。
「なぁにそんな暗い顔してんだよ、正月以来の再開だってのに」
「え……」
喜び、戸惑い、心配、驚愕。
様々な感情渦巻く中でアリサが探り当て、真っ先に口を出た言葉はきっと彼女の本心。
そう、
「ローグ!」
アリサは他の誰よりも彼の名前を呼び、その手を取りたかった。
ずっとずっと、夢にまで望んだ光景。同じ家に居てこれから一緒に暮らせるという関係。
例え相手がベッドの中に居ても、その頭に包帯が巻かれていても、彼がアリサを見詰めるこの時こそが、待ち望んだ関係は事実だと告げている。
「ローグ!ローグぅ……」
感極まって、涙を流しながら笑い、ローグの手を取って必死に握りしめているアリサに彼は戸惑いながらも微笑みかける。
「おい、いきなりなんだよ。そんな泣かれると困るんだけどな」
状況を理解してか、理解せずか、どちらにせよその軽い発言にアリサは嬉しくなり、また泣く。
本当に、本物の彼が目の前に居るのだと知ったから。
「良かった、良かった、私もう駄目かと思って……」
「いやな、ちょっと落っこちたくらいでそんな大袈裟な」
彼の掛けている黒縁メガネが陽の光に反射する。呆れるくらいに普段のローグウェル・バニングス。
「大袈裟じゃ無い!ローグに何かあったら私どうすればいいのよ!」
その発言に一瞬間が空き、彼は答えた。
「どうもするな、逢えなくなる程の何かなんて起こらないさ」
反省と決意と。
こんな事態になれば、アリサが家族を心配するのは当たり前だと、彼は気付いた。
自分の事で二度と大事な従妹をこんな気持ちにさせない、させたくないと願うローグの心は強く、子供だった。
それから十五分程が過ぎて、ようやく落ち着いたアリサにローグが事情を説明するともう日が暮れかけていた。
「じゃあなに、実は大した事無かったの?」
「ああ、脳震盪だかを起こしただけらしくてな。傷の手当てして、検査して大丈夫だって分かったら即帰宅。手続きとかは後日改めてだってさ」
「でも全治一週間だって……」
「ああ、そりゃ手首だが、こっちに来る前なってたのをさっき捻ったと思ったんだろ。心配するな、こっちのは薬があるから」
ローグの軽い物言いに思い切り呆れた、安心した、心配して損した。
けれど、嬉しい。
そんな気持ちがアリサの心を満たした。
「まぁ、何事も無くて良かった。これでベッドに伏せるローグに扱き使われなくて済むわね」
「お前な、俺が怪我を理由に人を扱き使う酷い奴だと思ってるのか?」
「私は体験したからね」
過去の思い出を引き出し、なんでもない雑談を交わす二人。
何時までも何時までも続くかのような時間は、ほんの数秒間が開いただけで崩れた。
アリサが、聞くべき事を思い出したからだ。
それがどんなに怖い問いでも、確かめずにはいられない。親友と呼べる者の為に。
「ねぇ、ローグ。聞きたい事があるの」
「ん、急になんだ?」
口の中が粘着く、それは客観的に見ると質問を躊躇う心が起こした擬似的な感覚だけど、アリサにとっては本物だった。
それ程に怖い。
虚構が現実を侵食するくらいに。
それを振り切る意思は、何よりも笑い合える日常の為に。
「ローグは、どうして階段から落ちたの?」
口を出てから音が耳に届くまでの時間。人間が知覚出来ないレベルの速度が、今のアリサにはもどかしい程遅く感じた。
10秒待った様な感じがして、でも実際ローグの返答はほぼ即答だった。
「知らない。なんか気付いたら落ちてた。という事を病院で知った」
彼の返答に対する気持ちは安堵か、疑惑か。
「本当に?その、誰かに突き落とされたりぶつかったりはしてない?」
「そんな事があったら気付いてるさ。まぁ足でも踏み外したんだろ」
「そう」
この回答がアリサの望むものだったのかは彼女自身分からない。
なのはが関わっていないという確信が得られないこの回答では、まだどうすればいいのか解らない。
そもそもアリサは自分が何を望んでいるのかすら知らず、先の見えない迷路にそれと知らずに入ってしまった様な気分。
思考の海を漂っていたアリサをローグの言葉が引き戻す。
「アリサ、俺ちょっと外行って来る」
「え!何言ってるのよ、怪我人は大人しくしてなさい!」
急に何を言い出すのかと思うアリサに構わずローグは続ける。
「庭を散歩するだけだよ。元々体を動かしてる事は多いからこのままじゃ調子が出ない、それはお前も知ってるだろ」
「まぁ、それならいいけど。でも私も付いてく、無茶な事しようとしたら止めるからね」
「残念だったな、お前はもう稽古事の時間だろ」
「え、まだそんな時間じゃ……」
言われてアリサが時計を見れば、確かにもう出かけなければ稽古に間に合わない時間になっていた。
何より先程から扉のすぐ外に誰かいる様な気がするのは、時間になって迎えに来た誰かが気を利かせている証拠。
制限時間一杯まで使い切ったアリサは退場するより他無い。
「無茶な運動はしないって約束する。だから行って来い、晩飯は一緒にな」
「絶対だからね!」
そう言ってずんずんと扉へ向かい、八つ当たり気味に開け放ち、あっという間に見えなくなってしまう。
多少会わなくても変わらないものだなとローグは思い、着替えて庭に出た。
「うん、やっぱり変わらない」
帰ってくるなり必要以上に心配されて部屋に押し込められ、少々窮屈していたローグは外の空気を胸一杯に吸い込む。
ここがしばらくの間、自分がアリサと、その家族と生活する場所だと思い、無性に嬉しくなった。
「うん、うん、なんか良いな」
地面を噛み締める様に踏み締めて、お気に入りのスニーカーが汚れる心配の無い手入れされつくした庭を散策し、不運に出会う。
どうにも、この少年はツキに見放されている様だ。
立ちはだかる銀色の少女は、ローグを鋭い眼光で見つめた。
「えっと、始めまして。って雰囲気じゃないか?」
「うん、自己紹介に意味は無いよ」
そう言って眼光を強める。
なのに、
「でも名前くらい教えてくれないか?話し辛いしさ」
全く怯む事無く、平然と会話を続けるローグに、彼女は苛立ちと好意を覚えた。
「私は、そうだな……シックスとでも呼んでもらおうかな」
「あからさまな偽名だな」
「呼べればいいんでしょ、なら文句言わないの。それよりさ、階段の時は悪戯で済ませたけど今度は苛々してるから殺すよ」
眼光で無く殺気を放ち、ローグをそれで射抜く。
非日常と、知らずの内に二度目の邂逅を果たしたローグは、今日の出来事を悟る。
「もしかしてアリサが言ってた突き飛ばすうんぬんはお前の仕業か?」
「正解。ご褒美は私の手でーす♪」
陽気に言い放ち、走る。
眼にも止まらぬその速度で一瞬にして二人は肉薄し、シックスは鋭利に研ぎ澄まされた手刀を走らせる。
それがローグの肉体を切断する直前、その刹那に、爆風を巻き起こしながら赤い球体がそれを阻む。
「これは!」
ガリガリと音を立てて削れる球体は怯む事無く、声に呼応する。
「汝、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を」
「お前!」
声の主は数時間前になのはと、いや、シックスと対峙した少年。
驚愕を全身で表すシックスに対し、ローグは沈黙を保っている。
沈黙といえば聞こえは良いかも知れないが真実を言ってしまえば単に気絶しているだけである。
理由は単純、赤い球体がローグを守る際に手刀との衝突で生じた爆風により吹き飛ばされ、頭を打って気を失ったのだ。
本当に、彼にとって今日この日は厄日としか言いようが無い。
「レイジングハート――」
「この!」
全ては出来過ぎた程に少年の願望に沿って進んだ。
事の打開策を探していた少年は運良くシックスがちょっかいを出しながらも悪戯程度だった為生きのびたローグに纏わりつくシックスの魔力を感知した。
他に手は無く、その少年の近くで監視を続けたところ、シックスがやって来て、好都合にも会話とローグに意識を集中している。
これを出来過ぎた事態と言わずなんと言う?
その流れを組んだのは果たして本当に偶然なのか?誰かの意思が介入しているのではと疑いたくもなる。
でもそんな事は、今の彼女達にとっては些末事に過ぎない。
「邪魔するなぁぁぁぁぁ!!!」
ローグに向けたのとは反対の手で少年を切り裂かんとするシックス。
だが遅過ぎた、既に起動呪文の詠唱は成された。
「セットアップ!」
閃光の奔流に、庭全体が包まれた。



第三話 完


『心に響く音色』





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