第四話「心に響く音色」



光る雲、光る空、光る大地、光に覆い尽くされる視界。
その中に、少年は立ち、またなのはも立っていた。
白銀の衣装で無く、白い聖祥小学校の制服を纏って立っている。
ぱちぱちと眼を動かし、やがて口を開く。
「あれ……アリサちゃんの家……だよね」
状況が呑み込めずに呆けるなのは、その余りに常識的な反応に少年は成功を確信した。
「良かった、ひとまずは成功みたいだ」
「え、え、何?……あなた誰?なんで私アリサちゃんの家に、えぇ?」
「混乱するのは仕方ないけど、今はここから離れよう。人も来たみたいだ」
なのはが耳を澄ませば、慌てた様な声に交じり聞いた事のある声がする。
こちらもやはり慌てた様な声ではあったが。
「えーと、うん。良く分からないけど、何かこのままだと不味い事だけはなんとなく分かる」
「今はそれだけで十分。行こう」
少年はなのはの手を取り、走りだした。全力だった。
思い切り走り、塀を良く分からない方法で乗り越え、また思い切り走った。
なのはの家に比較的近い公園に着く頃には息が上がって、もう走れないと体中が告げていた。
「はぁはぁはぁはぁ」
「ふはぁ〜」
二人共息を整えるまでの間に考えていた。
なのはは先程の塀を乗り越えた不思議な何かの事、何故自分がアリサの家にいたのか。
少年は今までの事をどう説明しようか、どう謝ろうか、これからどうしようか。
やがて息を整え終わると口を開いた。
「「あの」」
二人同時に発した音は重なり、同じ意味合いを持ち、お互いを黙らせた。
どうしたものか、そんな空気にまごつきたく無かったなのはは思い切って声を掛ける。
「あの、さっきの事……説明してくれるかな?」
「うん、そのつもり」
これ幸いと少年は応える。
そして説明の前に、少年はユーノ・スクライアと名乗った。
簡単な自己紹介も含めて、まずは対話の前の礼儀を果たした。
「つまり、ユーノ君は遺跡とかを調べる仕事をしている人。う〜んと、考古学者さんでいいのかな?」
「それでいいよ。それで、君は高町なのは。この近くに住んでる小学生」
「うん。そう」
お互いの呼び方に困らなくなったところで次に話に映る。
「まず、最初に言っておかないといけない事があるんだ」
「なに?」
「ごめん!無関係な君を巻き込んじゃって、その上君の友達にまで迷惑かけちゃったみたいで」
そう言うなりユーノは思い切り頭を下げた。
30°や40°どころでは無い全力の振り切り。70°はいっていようかという程の急角度だ。
今のユーノの眼には自分の足元とその後ろに広がる光景の一端が見えているに違いない。
「わわわ!そんなに頭下げなくてもいいよぉ。それに、何の事だかさっぱり分からないし」
「そうだったね、まず詳しい事情を説明するよ」
そう言って語り始めたユーノの説明はなのはにとっては信じ難いものの筈だった。
なのになのははすんなりとそれを理解し、事実だと受け止めた。
無意識の内に、ジュエルシードのした事を見て記憶し、自己を守る為に忘れた。
それがジュエルシードの束縛が無くなった事とユーノの魔法を見た事で受け止められる内容だと精神が判断し、思いだしたのだろう。
そうユーノは告げた。
「つまり、私はそのジュエルシードってものに操られていろいろ危ない事をしてたんだね」
「大雑把に言えばそうだね。でも君が倒した怪異達は別に問題じゃ無いんだ。あれは元々居てはいけなかったもの、ジュエルシードの魔力に充てられて変質しただけの存在だから。君が無事ならそれに関しては何も言う事は無いよ」
「じゃあ、アリサちゃんの従兄弟のローグ君については?」
「それは……」
これまで淀み無く運ばれて来た会話が停滞を見せる、その理由を二人は理解していて、それ故に今ここで明確な結論は出せないと知っていた。
それでも確かめたくなる。事実を知っていても、それが真実だとは余り信じたくないから。
無駄だと分かっていても、疑いたくもなる。
「私が怪我させちゃったんだよね、ローグ君に」
「うん、ジュエルシードに操られてだけど」
「関係無いよ、例え操られていても私が怪我をさせた事に変わりは無い。アリサちゃんがあんなに怒るのは当然だよね、私が悪いのに、知らないなんて言っちゃった」
「違う!君は悪くないよ!知らないのも当たり前だ!だってその時に君の意識はなかったんだろ?それなら……」
「でも、謝らなきゃ。明日……ううん、今日の内に」
そう言ってなのはは公園の出口に向かう。
行って、会えるかは分からない。アリサは家の中に居るかも知れないが、ローグの方はさっきの騒ぎが原因で、もしかしたら寝込んでいるかも知れない。
けれど歩を進めずにはいられない。悪足掻きでも、しないで後悔なんてしたくは無い。
どう説明するか、どう謝るかなんて二の次だ。
まず成すべきは会う事、その一点。
それが出来なければその後の行動をどれだけ上出来なものに仕立て上げても無意味なのだから。
ただ、強制的に排出されたあげく閉じ込められるなんて仕打ちを受けたのに、意思を持つジュエルシードが大人しくしている筈が無い。
「うわ!」
なのはの後方で驚愕の声を挙げるユーノ。
その服の内側からは眩い光が溢れている。
「くそ、急場凌ぎのやり方じゃ完全な押さえ込めなかったか!」
光は公園の砂場へ移り、やがて収まる。
その時そこにあったのは、平坦な砂場に子供が忘れたまま帰ってしまったシャベルやバケツのある、極珍しくも平凡な光景では無かった。
「ひ……と」
「その通りさ。少しばかり無理があるが、出来損ないの魔導師と戦闘の役に立たない子供の相手をするには十分」
立っていたのは砂の人。砂場の砂を全て寄せ集めて形作られた成人女性の形をしたジュエルシード・シリアルYの体。
彼女のねっとりと粘着くような不快な喋り方に思わず眉根を寄せるなのはとユーノ。
これは誰がどう見ても非常によろしくない状況だ。
事実としてユーノの額には冷汗が見え、なのはは視認という手段で初めて捉える怪異。
ユーノが塀を乗り越える時に使った魔法は記憶がおぼろげで造詣が曖昧だが、これははっきり分かる。
何せ目の前に立っているのだから。
「ユーノ君、どうするの?」
「君は逃げて、僕は戦う」
そう言って一歩前に進むユーノ、足が震えているのは見ない振りを貫くべきであろう。
「へぇ、役に立たない子供が私に歯向かうのかい?そっちの出来損ないなら少しは楽しめそうなんだけど」
「子供が僕で」
「魔導師が……私?」
シックスの物言いに疑問を抱くなのはと、驚きながらも納得してしまうユーノ。
勝敗は決した。そうなのはの頭に言葉が流れ込んで来る。
「そう、逃げるしか出来ない子供さ!」
砂で出来た体躯が駆ける。幾千幾万もの砂粒の集合体は繋ぎ合わせる物など無い筈なのに四肢を動かしている。
それは瞬く間にユーノに肉薄し、拳を繰り出す。
「とっとと消えな!」
言葉と動作の刹那、赤い光が二人の間に割って入る。
「そんなの駄目!そんな事しちゃ駄目!」
ユーノの、シックスの、なのはの視界が赤色で一杯になる。
360°どこを見渡しても赤いその景色の中で、声が響いた。
Master――
それを聞いた瞬間。なのはの頭の中に呪文が流れ込む。
余りに唐突で、余りに一般人の感覚から掛け離れた事象を、なのはは当然の様に受け止めた。
受け止めた時に知った。先程の言葉の意味。
そう、勝つのは強大な怪異であるジュエルシード・シリアルYで無く、ユーノ・スクライアで無く、高町なのはなのだ。
「我、使命を受けし者なり。契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を……」
この胸に収められた力。ジュエルシードの束縛を解く為にユーノが使った手段。
それはインテリジェントデバイスによる妨害だ。
シックスに操られていた原因とは体内に寄生していたジュエルシードから発せられる魔力だ。
それを乱し、取り出す為にユーノはデバイスを使用し、契約という形で体内に魔力を流し込んだ。
その結果なのはは無事束縛から解放された。その時から、高町なのははレイジングハートのマスターなのだ。
だから準備は全て整っていた。出来損ないの魔導師が、強大な怪異を打ち倒せるだけの魔導師へと変貌を遂げる準備は。
「レイジングハート!」
「そんな!こんなに大きい魔力を持ってたなんて」
ユーノがこの日驚くのは何度目だろう?
それ程にこの日はとんでもない事続きで、彼となのはにとっての起点なのだ。
操られた訳じゃ無い。
強制された訳じゃ無い。
自分の意思でここにいる。
「セットアップ!!」
そう、白いバリアジャケットを身に纏った魔導師はここにいる。
「なんだ、どうしてそんな事が出来る……いきなり何の説明も無しでデバイスを起動させた、呪文を知っていた……何故だ!」
ヒステリックに喚く砂女の声に答える者は居ない。
なのはは一歩、踏み出る。
「あなたには、謝って貰わないといけないね。あなたは、悪い事をたくさんしたから!」
「五月蠅い!私は、私はぁ!」
なのはの一歩にシックスが感じたのは恐怖か、それとも絶望か。
右手に力を込めて思い切り振り抜くなのは。
なんて事無い、素人の拳打。
なのに――
「うぁ、あぁあぁ!!」
砕ける、崩れる、潰せる。
なのはは一歩進んでその度に左右どちらかの拳を繰り出した。それだけだった。
四肢に当たれば砕け散り、肩や腰に当たればそこから先が崩れた。
何度も何度も一歩を踏み出し、何度も何度も繰り出した。
その度に砂の塊は砂を吸い上げ、再生していった。
「はぁっ!」
胴体を殴る。砕けずにふきとんだ。
失敗かと思えばそうでも無かったようで、ジャングルジムにぶち当たって停止、動けずにいるシックスの元へ跳んだ。
予想より遥かに高く上昇し、折角なのでそこから脚を振り子の様に使い、蹴りを叩き込んだ。
「あ、ぐあぁぁぁぁ!!」
動けず居たシックスはどってっ腹に食らい、結果胴体を潰した。
それでも再生された。
「これじゃキリが無い」
戦況を見て思わずユーノが呟く。
だが、これは彼の錯覚に過ぎない。
実際はなのはの圧倒的有利なのだ、完璧なまでのワンサイドゲームだ。
砕かれ、崩される度に再生されるシックスの体。
確かに、砂の塊は砕いても砂粒に戻るだけで、それを回収されれば実質無限の肉体である。
だが、そこには神経の代替物が確実に存在する。
意思を伝え、駆動を伝え、行動する為の神経の代替物。恐らくは魔力。
本来生物の肉体になり得ない砂を寄せ集め、使うのだからそれを欠いているという事はまず無い。
で、あれば。痛覚も当然存在するだろう。
数ある神経の中から痛覚の代替物のみを取り外し、砂の肉体を形作るなどという高等技術を成せる技量を持つ者であれば、最初から他人の肉体などに寄生していない。
だから、勝てる。確実に。
「せいっ!せいっ!せぇいっ!」
何度も何度も何度でも、拳と脚を繰り出す。砕く。
その度にシックスは感じるのだ、四肢が砕ける痛みを、文字通り身が引き裂かれる痛み。いや、引き千切られる痛みを。
そうだ、
“砕けない筈は無い”
「てあぁっ!」
“崩せない理由は無い”
「はぁっ!」
“潰せない道理は無い”
「せぇぇぇぇぇぇいっ!!」
減り込む拳が、次の瞬間に砂の肉体を砕く。
もう、何度繰り返した映像だろうか。
“この身、この心、この魔導は”
下から振り上げる拳が顎を打つ。
顎が砕け、浮かび上がるシックス。
その胴体は、防ごうとする手はおろか、攻撃を予期した心構えすらされていない完全に無防備なものだった。
“今自らの意思によって確立しているのだから”
「ああああああああああああああ――」
思い切り、全力を込めて右足に魔力を流し込む。
教科書を読んだ訳じゃ無いから正しいやり方なんて知らない。
けど今この瞬間に出来る精一杯を込めて創った一撃は、高町なのはの持つ一撃の中で並ぶもののない至高だと言えるから。
それを放つ。
「――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
パァン。
そんな乾いた音が響いた、目の前の砂の塊は余りにも呆気無く中空に舞って、不愉快な落下音を奏でる。
その中に混じって中核を成していたであろう小さな光が見えた。
どうにも、命を奪うという行為は、悪人相手でも良い気分がしない。
例えそれが自分にとって掛け替えのないものを失うかもしれない、その切っ掛けを引き起こした者でも、命の壮大さは変わらない。
その思考を境に、なのはの意識は途切れた。



眼を開ける。見慣れた天井がそこにはあった。
けれどそれが不思議で、首だけを動かして周囲を見回す。
「眼は覚めたみたいね、平気なの?」
声の主はアリサで、見なれた天井はアリサの部屋のもので、ここに居るのが不思議でならなかった。
「え……アリサちゃ」
戸惑い、ほぼ反射的に名前を呼ぼうとして、
「平気なの?」
二度目の問いかけで遮られた。
気不味いのはお互い様、という事らしい。
アリサの傍にある数枚のタオルと何時の間にか自分の服がアリサのパジャマに変わっているのに気付けば、気不味いも何も無いが。
「うん、体はどこも痛くないから、平気かな」
「そう、じゃあ……良かった」
二人はケンカ染みた状態の筈なのに体の心配をするアリサ、これは不思議な事では無い。
一大事にまでケンカ状態を継続したがる親友などいない、というのも、二人の陥っている状態が特殊なのと、仲介役がいたからこそなのだろう。
そうでなければ大事な家族を傷付けたかもしれない親友が眼を覚ますまで傍で待っているなど、どうにもやり切れない。
双方が欠かす事の出来ない程アリサにとって大事だからこその状態だ。
だから、このケンカはここで終わりにしよう。
「なのは」
「アリサちゃん」
名前を呼び合い、手を出し合って、固く結び合う。
そして一言。
「「これからもよろしく」」
この、心に響く音色の中で、綻び掛けた絆はより強く結び直される。



第四話 完


『友達と、好敵手と』





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