第七話「平穏時間数十分」 白い空、白い大地、それだけが埋め尽くす視界の中にユーノ・スクライアは居た。 降る雷と描く爪。二つの衝突がこの状態を引き起こした。 末恐ろしい。 心底そう思った、全力で恐怖した、知識の根底を覆された。 彼にとって魔法や力とは長い年月を掛けて培い養うものであった。 その認識を否定するものなどいないだろう。何故なら、それは世界の中で最も多くの人間に当てはまるだろう法則だからだ。 けど、それを白い少女と黒金の少女が否定した。 長い年月など掛けられるだけ生きていない。外見年齢から察するに魔法に専心できる年月は5年と無いだろう。 そんな短期間で、彼女達は街一つを消しかねない力を行使するまでに至ったのだ。 しかもなのはの場合、年単位で無くここ数日に出会い、知ったばかり。なのにこの実力だ。 感服し、敬服させられた。そして信じた。 今までは存在を認めながらも世迷言と何処かで思っていた存在。 本当の天才というものが居るという事実。 その天才同士がぶつかった今回の騒ぎ。それはもう終わりだろう。 白い景色の中に黒金の少女が放つ怖気を催す魔力は感じず、なのはの優しい魔力だけが微弱に感じ取れる。 弱っている様ではあるが、倒れる程ではなさそうだ。 兎にも角にも、ユーノはアリサ達の頭に手を触れて呪文を唱え、なのはの元に走り寄った。 「いやー、それにしても不覚だったわ。陽射しが気持ち良くって寝ちゃうとはね」 「全くだ。お陰で体が動かせてない」 「ふふふ。二人の寝顔可愛かったよ」 「「シャラップ、何時か寝顔を見てやる」」 三人の漫才をBGMになのはは壁に背を預け、フェレット姿のユーノと秘密の会話をしていた。 【ユーノ君、これでいいの?ちゃんと聞こえてる?】 【大丈夫だよ、思ったより簡単でしょ】 【うん。最初は念で会話するなんて言われてビックリしちゃったけど、意外と簡単なんだね】 【それで説明するけど、まずは謝らないとね。ごめん】 【うわわ!どうしちゃったの?ユーノ君に謝られるような事ってあったっけ?】 【また君を巻き込んじゃったからね】 【気にしなくていいよ】 【そう言ってくれると助かるよ。それで今日の事なんだけど】 【うん】 【まずあの魔導師は僕と同じでジュエルシードを狙ってるみたいなんだ。目的は分からないけど、聞いても答えてくれないから油断しない方がいい】 【でも悪い子には見えないんだけどな】 【彼女自身が悪く無くても利用されてるかも知れないからね。もしまた会う事があれば注意した方がいいよ】 【うん、分かった】 【それで、なのはが持ってるレイジングハートの事なんだけど、それはなのはにあげるよ】 【ええ!いいの?これって大事なものなんじゃないの?】 【確かに大事だけど、僕が持っててもきちんと使いこなせないしね。それよりはなのはが持って。自分の身を守る為に使ってくれた方がいいと思うんだ】 【そういう事なら、今は私が預かっておくね】 【それと、凄く言い難い事なんだけど……実はレイジングハートにジュエルシードが一個封印されてるんだ】 【え、ジュエルシードってユーノ君が持ってるんじゃないの?】 【僕が今持ってるのはシリアル[。なのはが持ってるのはなのはを操っていたシリアルYなんだ】 そう言ってユーノは宝石の様なものを取り出した。きらりと光る宝石の中に確かに『[』と刻まれている。 【あ、ほんとだ。でもそれってしまってなくていいの?大事なものなんでしょ】 【実は、その事で君にお願いがあるんだ……】 そう言って、少し間を開けてからユーノがゆっくりと口にした。 「ええーーー!!!」 「ん?どうしたの、なのは」 突如として素っ頓狂な声を挙げたなのはを見る三人。 どうやら漫才はまだ続いていた様で、アリサがハリセン、すずかがピコピコハンマーを持っている。 ローグは一方的に殴られているみたいだ。 「ううん、何でもないの。ちょっと用事を思い出しただけ、急ぎでも無いから気にしないで」 そう言って誤魔化し、苦しい言い訳をあっさりと信じた一同は漫才に戻った。 【ユーノ君、どういう事?私に手伝って欲しいって】 【今説明した通りだよ。ジュエルシードを封印する為にはレイジングハートの力が必要で、それを使いこなせるのは君だけなんだ。僕が持ってるシリアル[は運良く動物に干渉している途中の不安定な状態を狙ったからなんとかなったんだけど、そんな幸運は続かないし、なによりあの魔導師の事もある】 【でも……】 【お願い!頼めるのは君だけなんだ!今日僕は一人で行動する事の限界を悟って、この為に戻って来た。身勝手なのは分かってる、だけど僕にはこれしかないんだ!】 【…………】 【駄目かな?】 【いいよ。今日の騒ぎが大事にならなかったのも、アリサちゃん達があの出来事を夢だと思ったのもユーノ君の魔法のお陰みたいだし。それに、あの子を止めないとね】 【ありがとう。この恩は必ず返すよ】 【いいよ、私は自分でやるって決めたんだから】 【あ、そうだ。その事でさっそく一つだけ頼みたい事があるんだ】 【いいよ、何?】 【ローグ君に僕の事を覚えてるか聞いて欲しいんだ】 【どうゆう事?】 【実は彼には一度魔法とかの事情を話して協力して貰った事があるんだ。でも無闇に巻き込みたく無いからさっきのどさくさに紛れてその記憶だけ消したんだけど、その確認をして欲しいんだ】 【分かった、聞いてみるよ】 ユーノとの会話を打ち切り、漫才が一段落したアリサ達の元へ向かう。 「ねぇ、ローグ君。ちょっといい?」 「ん?なんだ」 「ユーノ君って人知ってる?なんかこう、魔法がどうとか言ってた人」 「いや、知らないな」 「ってゆーかなのは、魔法って何よ?ゲームや漫画じゃ無いんだからそんなのある筈無いでしょ」 聞き方が不味かったと思った瞬間には遅かった。なのはは三人に周りを囲まれてしまう。 「変な事言うなのはちゃんにはこうだ☆」 漫才でピコピコハンマーの味を占めたのか、嬉々としてなのはの頭をピコピコする。 「うわ〜!やめてよすずかちゃ〜ん」 「えい!えい!」 制止の声も虚しくピコピコされ続けるなのは。それをアリサとローグが遠巻きに見て笑っている。 本当に平和だ。 【これじゃ私変な子だよ〜】 【なんか……ごめん】 ひとしきりピコピコして満足したすずかとそれを一切止めなかった二人に非難がましい眼を向けていたところ、アリサの、「そういえば、さっき用事を思い出したんだっけ」? というアリサの発言にてなのはは帰途に着く事になる。 ユーノとの会話を変に思われない為の発言とはいえ、もう少し考えるべきだったと反省するなのは。 まだ一緒に居たかったが、嘘の用事だとしてもそれを心配しての言葉には逆らえず、時間も夕飯時に差し掛かっていた為にこの日はこれでお開きとなった。 アリサ達が眼を覚ましてからこのやり取りを終えるまでの間、約数十分。 これにて平穏は剥ぎ取られる。 切っ掛けとなったのは一滴の落涙。 滴らせるは人の形をしておきながら異形と言える存在。 左腕が無く、そこからは醜い肉片がぶら下がっているだけで、その代わりと言わんばかりに右腕が不自然に膨れ上がり、それは胴体よりも大きい。 頭髪は無く、唇も無く、瞼も無い。 常に剥き出しの歯と眼球。どす黒い肌。 フリーズした頭で考える。 映画の撮影?確かにホラー映画なら、見受けられそうな姿形。 ぬいぐるみ?それにしては些か趣味が悪過ぎる。通報されても文句は言えない程に。 立体映像?臭気と寒気を漂わせる立体映像など、どれだけ未来ならば可能なのか。少なくともそう思わせるでは無く、実際に肌で感じ取れるレベルで漂わせるには既知の科学では届くまい。 魔法?認めたくは無いがそれが正解に最も近いであろう回答。魔法、ひいてはジュエルシードに関与した何かのなれの果て。 「ひっ!」 「なのは!」 なのはが脅え、ユーノが叫ぶ。 見た事無かった、こんな化け物。感じた事無かった、こんな恐怖。 だって初めて魔法と逢った時、大蜘蛛と会った時には既に半ば操られていた。自分では無かった。 思えば直接的に吐き気を催すだけの怪異と遭遇するのは初めてだ。 砂の塊も黒金の少女も、どちらも超常ではあったが異形では無かった。 日常の中で目にする蜘蛛や、テレビで目にする蝙蝠や、アニメやゲームの中で目にする特殊な人型生物と魔法少女。 それら全てが受け止められる範疇だった。 でも、ホラー映画を現実に目の当たりにするなんて事はこれまで無かった。在る筈が無かった。 グロテスクな化け物を相手にしろなんて言われても、嫌だ、嫌に決まってる。 それに本能が逃走を要求するくらいには、怖い。 だから振り上げられる拳に反応出来ない。 「オオオオオオオォォォォォォォォォ!!」 「くっ、なのはー!」 怪人の叫び声、ユーノの叫び声。 成す事は破壊と制止とで正反対な怪人の拳とユーノの魔法障壁。 その結果次第でなのはの生死が決まる。 とても意識出来ない、レイジングハートを使う事も自ら障壁を展開する事も。 パリンと、音がした。 それはガラスが砕けるなんて響きじゃ無くて、まるでお菓子を噛み砕いた時見たいなとても簡単そうな音。 フェレットの小ささ故にユーノに拳は当たらず、なのはの眼の前に迫る怪人の拳。 レイジングハートが主を守ろうとしても、先の戦いで魔力を消費し尽くした為に残りの力では足りない。 障壁を展開するならなのは自身の意思を持って残りの魔力を全て使わなくてはいけない。 けど、恐怖に支配された体はそれが出来ない。 Master―― その声も虚しく迫る拳は、なのはの顔面まで1mmも無く。 砕け散る。 「オガァァァァァァァアアアアアア!!」 ビシャビシャと顔に血飛沫が掛る。 変だ、顔面を殴られたなら顔面は潰れている筈だ、血飛沫なんて掛からない。 生温い極めて不快な感触に体が拒否反応を起こし、強制的に意識を覚醒させられる。 「ふぅ、一応は間に合ったか。運が良いな、少女よ」 とても綺麗な声が聴こえた。黒金の少女の声も奇麗だったけど、それとは若干違う趣の綺麗さ。 黒金の少女が旋律を奏でる楽器ならこの声は精錬された美声。 人としての心地良い声。 「ところで異形よ、お前は殺すぞ」 光り輝くピアノ線が揺れた。 ほんの少しあとになってそれは彼女の髪だと気付く。 そう、声の主は女性だった。 黒一色のワンピースを身に纏い、豪奢なアクセサリーに引けを取らないプラチナブロンドの女性。 豊満な体のラインが大人の女性なのだと頭に訴え掛け、地を削りながら異形に迫る大斧が彼女もまた怪異なのだと告げる。 「もう逃げるなよ、追い掛けるのが面倒だ」 「オオオオオオオオオォォォォォォォォ!!!」 強気で迫る女性と威嚇する怪人。 「息が臭い、声が五月蠅い、顔が醜い、というよりも全身が醜い、不快だ。喋るな!散れ!」 容赦の無い罵詈雑言を浴びせながら一歩一歩と怪人に近付く。 怖い。 「グルァ!」 怪人が右腕を振り回す。なのはにしたそれよりも大きな動きで、豪快に。 怖い。 「目障りだ。動くな」 バキッバキッズリュッ。 怪人の右腕が引き抜かれる。女性がやった。ただ無造作に引っ張っただけの様に見えた。 怖い。 「貴様の悲鳴など聞きたくもない。とっとと散れ」 一閃両断。 プラチナブロンドの女性は自分の体よりも大きい大斧を軽々と、それこそまさに重さなど無いかの様に振り上げて怪人を両断した。 その刹那、何度も怖いと思った。 これらは全てなのはの感情では無く、怪人の感情。 生物の本能に植えつけられた生存本能が警告を挙げても、もう引き返せぬ場所に居た怪人の最後の感情。 二つに分断されて地に落ちた怪人の死骸に無造作に手を入れ、輝く宝石を抜き出す。 宝石には\と刻まれていた。 「あ……ありがとう、ございます」 その光景を見たなのはの第一声はそれだった。 状況から考えれば適切なのに、どうにもしっくりこない。 この場で礼を述べるというのは眼の前の現実を全て受け止めたという事に他ならない。 自分の状況と、女性が成した行動の双方を理解して初めて言える言葉。 あれはかつて普通の人だったと予想し、それが殺されたと認識したから言える言葉。 「いや、これは私の不始末だからな」 そう短く告げて女性はユーノを見る。 ユーノは半ば反射的に言っていた。 「あの……そのジュエルシード、僕達集めてるんですけど、譲って貰えませんか?」 まともに考えれば、この時の選択は馬鹿だったと後にユーノは思った。 この場面で説明もせずにいきなり譲ってくれはないだろう。それにもしかしたらこの女性は黒金の少女の仲間で、競争相手なのかもしれないのに。 この場でのベターな選択など知りはしないけど、何も考えずに口にする言葉にしては余りにも馬鹿馬鹿し過ぎた。 「いいぞ、ほれ」 なのにこの女性は微塵の躊躇いも見せずにジュエルシード・シリアル\を放って寄越した。 「え、いいん……ですか?」 「お前が言い出したんだろう。それに私はそんな物に興味は無い」 存外問題無く、あっさりと手に入った。 ここまで話が進んだ所で、ようやくフリーズから脱したのだろう。なのはが会話に参加した。 「あの、お姉さんも魔導師なんですか?」 当然と思っても聞きたかった。だって魔導師と落ち着いて直接話すのはこれが初めて。 黒金の少女とは聞きたい事など聞けなかったし、なのははユーノを魔導師として見れていない。 今のなのはの認識は不思議なフェレット人間といったところか。 「まぁ、そうだな」 「あの、お話を聞かせて貰えませんか?私、まだ魔法とか良く分からなくて……聞きたい事があるんです」 「いいぞ、お前には迷惑をかけたからな」 そう言って女性は歩き出した。その方向には丁度公園がある。 どうやら腰を据えて話を聞いてくれるらしい。 なのはは期待と不安を胸にその後を追った。 その後ろをユーノは複雑な気持ちで追った。 第七話 完 次 『心の拠り処』 |