第八話「心の拠り所」 夕焼け空に雲が流れ、烏が鳴き、影が飛ぶ。 その影こそが先の一件にてなのはを窮地から救った人物。 名をイリス、そう聞いた。 人を酔わせる為の精錬された美声を持ち、美しいプラチナブロンドを靡かせる大人の女性だ。 ――「イリスさんはどうして魔導師になったんですか?」 そう聞いたら、こう答えられた。 「私は生まれた時からそうだった。そうなると決まっていたという運命では無く、気付く前からそうだったんだ」 その答えに要領を得なかったなのはは次の質問をした。 ――「魔導師ってなんですか?私は自分でやるって言ったけど、良く分からないんです」 即答された。 「理不尽で理不尽を砕く者、言ってしまえば自分にとっての正義の味方だ。最も、成る者の正義が大衆にとっての正義とは限らないがな」 なんとなく、要はみんなの為に特別なものを使って頑張れる人なのだと、思った。 それは当たらずとも遠からず。 力は一過性に有らず、様々な側面を見せる。それは力に限らずあらゆるものに言えるが、力とは取り分け分かりやすい部類に入ると思われる。 ――「そのジュエルシード、どうしてイリスさんの所為なんですか?」 イリヤは公園に赴く前、怪人を殺す際に言っていた。私の所為だと。 これに対する回答はこれまでよりも遥かに軽い口調で言われた。気が抜けた。 「私が変な魔力を感じ取ってその場所へ向かって見れば、妙な事が起こっていてな。面白そうだから見てたらあの怪人が生まれて何処かに走って行ってしまった。腕を落としはしたが逃げられた。途中で殺さなかった私の不始末だ」 納得のいく、けれどいかない回答だった。 面白そう。 その言葉が酷く執拗に胸に残る。 まるでこれくらい刺激的じゃなきゃ面白くもなんともないと言ってるみたいだ。 最後に聞いた。 ――「私は、どうすればみんなの為に戦えますか?」 今までで一番長く考える時間を要し、イリスは告げた。 「ただ一つ。信じるものを定めろ」 それを最後に、彼女は夕陽へと飛んだ。 彼女は高く高く舞い上がり、魔力を持たぬ人間には見えなくなるという魔法を使い(あとでユーノから聞いた事だ)、何処かへ去っていく。 なのはは今日彼女から聞いた事を一生忘れないだろう。 ただ一つ、守りたい日常の為に。 「はふぅ、なんか疲れたー」 家に帰り、夕飯を食べ、風呂に入り、ベッドに倒れ込む。 体中に疲労感が蔓延していた、眼を瞑れば今すぐにでも朝までの体感時間をスキップ出来るだろう。 けれどそれをする前に、やる事があった。 「ユーノ君、私が着替えてる時はそこから顔出しちゃ駄目。それと家の中では人の姿にならないでね」 「大丈夫だよ。僕はなのはの着替えを覗いたりしない、人の姿には外で必要な時だけなるよ」 大丈夫だとは思うが、一応の確認。 帰り道に聞いたユーノの事、人間とフェレットの姿について。 なのはには理解出来なかったが、ユーノはそういう人、つまりは魔法でどちらにもなれるらしい。 それだけなら問題無いが、行く当てが無く自分の部屋に泊めるしかないとなれば問題は発生する。 小学生といえどもなのはも女の子。男の子に着替えを見られれば恥ずかしいし、それは絶対に避けたい事態なのだ。 だからこう約束した、着替えの時はユーノ専用のベッド(果物用の籠)に被せた厚手のスカーフから顔を出さない事。 出せばどうなる、などと言ってはいないが、どうなるかは予想が付く。着替えを覗くなどの蛮行に出ればいくら争いを好まないなのはとて反射的に手が出ないとは限らないのだ。 ちなみに、感情の激しい起伏によるレイジングハートの誤作動という本来使うに当たってクリアしなければならない制御面をなのははまだクリアしていない。 魔法に関わってからの経緯を考えれば当然だが、それによる弊害はこの際無視して、危険なのはユーノである。 もし万が一前回の爪型のシーリングモードなど発動すれば、ユーノはたちまちスライスハムになってしまう。 いくらなんでも着替えを覗いて死んだ、では余りに情けない。 それもあって、着替えの通達と不可視は双方絶対遵守のルールが誕生する事となった。 それだけを終えるとなのはは眼を瞑る。もういい加減に限界だった。 前日に砂の塊と戦い、今日黒金の少女と戦い、怪人と会った。常人なら自分の精神がおかしくなったか心配する頃合いである。 それを受け止め、一先ずの休息を得る為に、なのはは眠りに付いた。 様々な事件があった翌日の日曜日。 この日なのはは、これまでにない高揚感を覚えていた。 電話があったのは午前中の事だった。 昼近くまで寝続けるというユーノの大方の予想を裏切り、なのはは普段と変わらぬ時間に眼を覚ました。 日曜の習慣である朝のアニメ、『魔法少女・ストレート小桃』を見ながら朝食を頂いた。 このアニメは日曜朝の時間帯にやっている魔法少女もので、内容は大雑把に言うとヒロインである小桃が抱きしめるとまふまふしてそうなどと言われる良く分からないマスコットを従えて知恵と勇気と魔法と格闘技で事件を解決する王道的?少女向けアニメだ。 決め台詞は『私の正義は負けません』であり、フィニッシュブローは左ストレートだ。 決め台詞は余りにお決まり的だが、少女向けにしては少年漫画的テイストが入っていてなのはは好んで視聴していた。 この番組を見ながら思う。 まさか自分が魔法少女になるなんて、私の相手もあれくらい可愛ければいいのに、と。この番組は放送の時間帯もあり、なのはがこれまで相手にしてきた様なグロテスクだったりするデザインでは無い。 『ストレート小桃』を見終わり、そんな益体も無い事をボーッと考えていると、母の桃子から電話だとお呼びが掛った。 そういえばお母さんはヒロインの小桃ちゃんと名前が似てるなと思いながら電話に出ると、なんと相手はローグだった。 アリサかすずかからの電話だという予想を裏切ってのご登場だ。 「お、なのは。おはよ」 「おはよう。どうしたの?ちょっと驚いちゃった」 「まぁそうだろうな。俺が電話してくるなんて思わないだろう、俺もする事になるなんて思わなかった」 「どういう事?」 「出かける前は準備が忙しいとの事で、アリサに電話しろと言われた。今日は暇か?」 「え、うん。予定は無いけど」 「そりゃ良かった。アリサがみんなで映画に行こうってさ、すずかはもう誘ってあるんだけど来れるか?」 「大丈夫だよ。駅前に行けばいいの?」 「ああ、11時の上映に間に合わせたいらしいんだけどいいか?」 「11時だね」 告げられた時間を呟いて時計を見る。針は今から10分後には家を出ないと間に合わない時間を指示していた。 「えーと、頑張ってみる」 「すまん、アリサがワガママで」 「こんなのワガママの内に入らないよ」 そう返答すると受話器を通して、「コラー!誰がワガママだー!」 という声が聞こえた。初めて会った時から思っていた事だが、アリサとローグは本当に仲が良くてちょっとだけ羨ましくなる。 「じゃあ準備するからもう切るね」 「ああ、チケットはアリサが用意するとかいってたから財布とか持たずにそのままでもいいぞ。連絡が急なお詫びに昼はアリサが奢るって」 アリサが奢ると言った瞬間にまた声が聞こえた。どうやらローグが勝手に言ってるだけらしく、アリサのお怒りを買ったらしい。でも、財布を持って行かなくてもいいというのは本当だろう。 その部分を訂正しない所を見ると、恐らくは弁当でも用意して貰っている筈。 これ以上長くなると時間に間に合わなくなるので、電話を終わらせて着替えて、ユーノを置き去りにして走って出かけた。 胸の内は、とてもウキウキしていた。 それから少しして、なのははなんの問題もなく待ち合わせ場所に着いた。 これからどんな映画を見るのかとか、お昼はどうするかなんて考えていると少々の待ち時間などあっという間だ。 ふいに、なのはな肩に手が掛けられた。 「な〜の〜は♪待った?」 振り返ると、そこに居たのはやけに上機嫌なアリサだった。鞄も何も持たずに満面の笑顔でなのはの返事を待っている。 「ううん、今来たとこ」 まんま常套句。彼氏を待つ彼女の様に答え、アリサの後ろに人がいるのに気付く。確認するまでも無くローグとすずかだと分かり、三人にひとまずは朝の挨拶。 「みんな、おはよう」 「うん、おはよう。なのはちゃん」 「おはよう!」 「さっき電話で言ったが、おはよ」 口々に挨拶を返し、一様に柔らかな笑みを浮かべている。それだけで今日のこの時間が益々楽しみになって来るなのはだった。 「それでアリサちゃん、今日はなんでいきなり映画なの?」 「え?私は何も、すずかが言ったんでしょ」 「ふぇ!私は何も言ってないよ。なのはちゃんじゃないの?」 「え、でも私はアリサちゃんがみんなで映画に行こうって誘ってくれたってローくんから聞いたけど?」 「私もローグから聞いたわ」 「私もだよ」 その言葉を境に一番後ろに居たローグに視線が集中する。 ローグは燦々と照り付ける太陽を眺めてこう言った。 「ボクハシリマセンYO」 怪しさ満点である。誰が見ても彼の企みだと一発で見抜ける。 「白状しなさいローグ!あんた何を企んでんの?」 「いやいや、俺は何も……」 「私に隠し事なんてしないで。いい?もししたら四六時中付け回すわよ!」 「それお前も大変なんじゃ……」 「何か?」 「イエ、ナンデモアリマセンYO」 「でも、本当にどうしたの?ローグ君て嘘を付くようには見えないんだけど」 「えーとな、この前俺が階段から落ちたとかでなのはとアリサに迷惑かけたみたいだからな。すずかも間に立って苦労したみたいだし……それでその、なんとなくな」 ここまで聞けば馬鹿でも分かる。要するにローグは階段から落ちて怪我をした件でなのは達に迷惑をかけたと思い、お詫びとして映画に誘った。 隠したのは、ただ単にそれが照れくさかったからか、はたまたそうと気付かれたく無かったか。どちらにしても怒る様な理由では無い。 「そんな、ローくんは何も悪くないのに」 「そうだよ、あれは偶然が運悪く重なっただけだよ」 「そうよ、何もローグが責任感じる事無いじゃ無い」 三者三様に彼をフォローする。そのなんとも嬉しく、居心地の悪く、心地良い空間だろうか。 結局、初めからお詫びだと言って誘うよりも恥ずかしい目に合ってしまったローグだが、隠し事が出来なかったと思えばそう悪い事では無いのかも知れない。 「なんでなのは相手だとあんなにすぐ喋るのよ」 ただ、こうやって誰にも聞こえない様に呟く彼にとってのお姫様の機嫌は少々損ねてしまった様だ。 とはいえ、この場でこれ以上言い合っても始まらず、なのは達は映画館に入って人数分のジュースを買って席に着いた。 「これなんて映画なの?」 「日曜朝にやってるアニメの劇場版だったかな?タイトルは……なんだっけ?」 「『魔法少女・ストレート小桃』、私今日の朝見て来たよ」 「ローグ君そういうの見るの?」 「見ない。どんな映画がいいか分からなかったから取り敢えず、俺は特に見たいの無いし」 「あんたホントに私達と同い年?その気の使い方は何よ、遠慮せずに自分が見たいの選べばいいじゃいない」 「だ〜か〜ら、特に見たいのは無かったの。それにお詫びのつもりだったんだから、三人が楽しめる、少なくともホラー選んで苦手だなんて言われる様な事の無い選択にしたんだ」 「まぁまぁ、アリサちゃん。ここはローグ君を私達の趣味に引っ張り込むチャンスだと思って」 「え、二人もこのアニメ好きだったの?」 「少なくともアリサの部屋でこれのらしきステッキを見つけたからな。かなり好きな筈だ」 「うわー!何で人の部屋に勝手に入ってるのよ!」 ローグの不意打ちに慌てふためくアリサ。この二人の形は他のお客には迷惑だがなのはとすずかにとってはずっと見ていてもいい、とても素晴らしい形をした関係。 お互いがお互いを信じて、それを意識していないとても無邪気な少年少女のもの。 なのはとアリサとすずかの三人共がこの映画を楽しんで見られるなんてローグが思ったあたりでブザーが鳴った。 流石にアリサも上映直前になってまで暴れる気は無い様で、大人しく席に着いた。正味1時間弱の知恵と勇気と魔法と格闘技のストレートな世界へ浸る四人だった。 映画を見終わり、公園で弁当を食べ、ひとしきり騒いだ後、すずかが借りたい本があるという事で一同は図書館へと向かう事になった。 公園でたくさん食べ過ぎた後に動いたのが悪かったのか、ローグは歩いている途中お腹をさすっている。 「ローくん平気?お腹痛くない?」 「あー、なんとか」 「ガッつくからよ。もっと落ち着いて食べれば良かったのに」 「でもあの食べっぷりは見てて気持ち良かったよ」 「あーもー、どうして二人共すぐにローグの肩を持つかな」 なんて事無い日常会話の背で、夕陽がだんだんと沈んでいく。もう暮れるまであまり時間が無い様で、自然となのは達は足を急がせた。 閉館30分前に着いた一同は、それぞれの目的の為に思い思いの場所へ向かう。 すずかは目的の本があるであろう本棚へ、アリサはそれを手伝いに、なのははなのはで読みたい本があるらしく、それを探しに行った。 そしてローグは…… 「うぅ、あれは無茶だったか」 昼の状況を見ていた者がいたらこう思うだろう。やっぱりか、と。 どうあっても食い過ぎで腹痛直行コース、図書館に着くまでは気合で我慢&着いたらトイレへまっしぐらのコンビプレー。 それを終えて一安心。トイレから出て三人の内誰か一人でも良いから見かけないかなと辺りをキョロキョロと見回す。 近くには居ない様で奥まで歩いてみた。 すると、夕陽の差し込む窓辺の本棚で不思議な光景に出くわした。 「本が……浮かんでる?」 第八話 完 次 『黒金の少女再び』 |