第十話「純粋なる願いより」 月の夜。空は雲一つ無く、嫌味ったらしい綺麗な光を惜しげも無く降らせている。 光に濡れて歩む黒金の少女は、白い少女と対峙していた。 フェイトの眼光となのはの眼光、交錯するそれは共に獰猛な獣のように思えて、まるでそれは獣。 「シーリングモード!」 杖の形をとっていたレイジングハートが左手の指と融合する。肉と一体化し、骨と結合し、神経を繋げる。 そうやって生み出された指を覆う金と赤い刃から成る五爪。 「魔力、集中」 対するフェイトはただ魔力を拳に集中させただけ。ジュエルシードの力を使っているフェイトには具体的な形を持った武器を使う事は出来ない、あれは魔力を与えるだけのものだ。 ましてや形状を変えるなんて真似は不可能の二乗でしか無い。 それでも、十二分に強い。 今の二人はジュエルシード・シリアルYに操られていた時のなのはの様であり、つまりは彼女達本人では無い様に見えた。 「うぁぁぁぁぁぁぁ!!」 「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」 数瞬の内に何度も何度も拳と爪を交わらせる。 生物の命を根こそぎ抉り取る爪と、無機物を容赦無く破壊する拳。 双方がただの一度も致命傷も、深手も、ほんの僅かな傷すら相手に負わせる事出来ずにぶつかる。 弾ける魔力の火花が飛び散り、互いの頬を焼いても、神経を集中していいのはただの一ヶ所、己が必殺の一撃のみ。 ただの一度でもそれをまともに受ければ絶命確実の命の奪い合い。それを年端もいかぬ少女同士がしている、自ら望んでそうしている。 フェイトは思った、やはりこの白い少女は強いと。 自分の方が魔力も、戦闘技術も、武器の性能に於いては圧倒的に上なのに、互角でしか無い。 なのはは思った、黒金の少女をどうにかしてしまいたいと。 止める為に来たのに、目的は擦り切れて替っている。 何時から?答えがあるなら、きっとそれは最初からだ。 失策だったのだ、ローグの死を見た後、フェイトを追い掛けるという事は。 だってその時なのはは衝動に駆られていたから、強い相手に向かって全力で力を振るいたいという衝動、それ以上のものに。 「せぃっ!」 「くぅっ!何で!?」 使い魔では食い足りない、第一殺していない。欲求不満も甚だしい、もっと暴れさせろとなのはの心の底が言っている、もっと振るわせろと力が語りかけて来る。 それもこれもどれも全部、目の前で友達の死を見せたからいけないんだ! 「ふっ!」 「どうして!」 だから、体の奥底に入り込んだジュエルシードが残したこの凶暴性が眼を覚ましたんだ! 「ネイル・オブ・ラインダッシュ!」 「っ!」 切り裂く爪は線を描き、それは空中を凄まじい速度で疾走する。肉を骨を生命をコンクリートを地面を魔力を障害全てを物ともせずそこにある。 膨大な魔力を爪という五点に集約させて放出。それで薙ぐ事によって完成する斬撃。 詠唱など元より必要無い、体の中のパイプを循環する魔力を集めただけだ、儀式的な呪物も型にはまった段取りも自分に対する暗示による思い込みの力も必要無い。 ただ力を込めて振るうだけの動作に特別などいらない。 線から直線的に押し出された魔力の刃が黒金の少女を襲う。それは瞬く間に少女を吹き飛ばし、瓦礫の下敷きになるまで路地裏の地べたと建物の壁を引き摺り回す。 「まだ、生きてるでしょ。責任とってよね、あなたがローくんを殺したから……人をそうしたらどうなるか分かってるのにそんな事したから!」 走り、振り下ろす爪。 「それはっ!」 弾ける金属音、爪と鉄パイプがぶつかり合った音。 「あの子が私を見てしまったから」 魔力を物体の許容量以上に込めて無理矢理に強化した鉄パイプはすぐに自壊し、猫に引っかかれたみたいに抉れた地面にバラバラと落ちる。 「でも、殺さなくたって良かったじゃない!」 もう何がなんだか分からない。 なのははローグを殺したフェイトに、同じ事を繰り返させない為に来た筈なのに、その手段は説得だったはずなのに。 ジュエルシードに一度汚染された精神がそれを狂気にした。力を振るう事に躊躇いを無くさせていた。 「じゃあ私が送ってあげるから、あなたも同じ場所に行けばいい!」 そしてフェイトもまた、ジュエルシードの強過ぎる力によって狂気に侵されていた。 「ふふふ、面白い事になっているな」 舞う、黒一色のワンピース。 円を描くステップ。 くるくる、くるくる、ふわりふわりと泳ぐスカートの裾が、男を魅了してやまない艶やかな彼女の脚をチラチラと見せ付ける。 「ははは、なんて楽しい夜なんだ。こんな狂気は久方ぶりに見た、いいぞ、これは極上のエンターテインメントだ!もっと!」 ステップが止まり、月を見上げる。 「もっと楽しませてくれ、この退屈が死滅するくらいに」 ピチャピチャと血が滴る路地裏で、彼女はまた舞い始める。 雷光が煌めき、爆風が吹き荒れ、建築物が瓦解する。 幾つものビルが倒壊しては戦場は移り、また幾つものビルを、道路を、ありとあらゆる建築物を破壊して回っている。 だけど誰も気付かない。 時間はまだ深夜とは呼べない、午後10時くらいだろうか?その時間帯であれば少ないとはいえ人通りは在ろう駅前のビル街。 傍から見ればただの静寂であり、魔法について知る者が領域に踏み込めばそこは戦場になる。 結界魔法、ラインリッパー。 点と点を結び線を形成し、線と線とを結んで面とする。その面に囲まれた領域を外界からの光景を不変のものにし、かつ魔力を知らず持たずの者であれば領域に入ろうとも変化無く、変わらぬ光景である。 だが、それは魔力を微弱にでも持つ者であれば気付いてしまう。強く脆い結界魔法。 少年が見る駅前の全貌は酷いものだった。 ある筈の建築物が悉く存在せず、光が走り瓦礫が飛ぶ。まるで地獄絵図だ。 ここに生物がいればどうなるだろうか? そう、こうなる。 ローグウェル・バニングスの様に死に、息絶えるのだ。 「驚いたな、精神だけでまだ生きているのか」 ――なんだ?これはなんの冗談だ? 「冗談では無いぞ、少年よ。お前は死んだのだ、あの魔導師二人の内、どちらかに殺されたと見るのが妥当だろう」 ――ああ、そういえばそうだったな。俺は金髪の女の子に殺されたんだったな。 「ほう、事実を受け入れるか。だが、それは意味が。何せお前の肉体は死んでいるんだ、肉体から離脱した精神がその存在を保っていられるのは長くて数時間、今宵を超える事は叶うまい」 なんでだろう?そう思うだけの間もなく、ローグは納得した。 全て事実だと、自分の死も、この光景も、今精神だけが自分の命を繋ぎ止めていて、もう残りの時間は少ないという事を。 それは、少なからず魔法に関わったからとかほんの少しだけ魔力を持っていたからという訳で無く、ローグウェル・バニングスという一個人の特性。 「そこでだ、死に逝くお前にチャンスをやろう。本を創れ」 ――本?俺に文才なんか無いんだけどな。 突然出て来た場違いな言葉に、何故か全く疑問を持たない。もう頭もろくに動いていないみたいだった。 「なぁに、そんなものは必要無い。これは心創書物という魔法でな、お前の思った事がそのまま本になる、ただし現実を侵食する程の濃密な想像が必要だ」 ――へぇ、世の物書き達が泣いて喜ぶか怒るかする代物だな。 「そして、この書物に描かれた事は現実に影響を及ぼす。簡単に言うと、お前が生きているという意味を込めた書物を……そうだな、1000冊も創りあげられればお前は死を超越する事が出来るかもしれん」 ――やけに都合の良いものだな。 「ああ、都合が良いのは当然だ。これはお前の様になるのを恐れた者達が生み出した術、生き汚い人間の足掻きだ」 ――それ、どうすれば出来るんだ? 「ふふふ、いいぞ、それでこそ私の娯楽が振るえるというものだ。私が場所を用意する、そこにお前を放り込む、あとはお前が思い描いた本を創れるか否か、それはお前次第だ」 ――人が死にそうだってのにあんたにとっては娯楽か、外道め。 「そうだ、私は外道だ。で、やるか?」 ――ああ、まだやり残した事があるんでな。 「以前あなたは言った。私を助けないといけない気がするって」 廃墟の中で立つ二人の魔導師、その距離は余りに近く、見据えればフェイトがなのはの頭を鷲掴みにして持ち上げていた。 なのはの後頭部は破壊されたビルの外壁にこすりつけられ、留まる事無く血が滴り落ちていた。 ミシミシと音がする、それは骨の軋みか外壁の軋みか分からない。 「そんな事は必要無い。私は助けられる理由なんて持って無い、持っている筈が無い」 フェイトは思う、何が理由かは分からない。けれど切に想った、自分は助けられる側では無いと。 地形を変えかねない戦いの中、フェイトの狂気は飛び散り、本来の彼女に戻ろうとしていた。それはまだ彼女がジュエルシードの力に飲み込まれていないから建築物の破壊という桁外れのストレス解消でその衝動を一時的に抑え込んだのだ。 「五月蠅いな」 だが、なのはの中に眠るジュエルシードの、力を使いたいという破壊の衝動は収まらない。 いや、それどころか面白みの無いただ崩れるだけの建築物の破壊にストレスを溜めている。 なのはの衝動は、この先を求めているのだから。 「そんな過去の事を言う暇があったら……」 この衝動は、奪わないと止まらないだろう。 「とっとと……」 頭を鷲掴みにしているフェイトの手を握る、そこに思いきり力を込めて。 「なっ!」 ミシミシと、無理矢理に開かれる掌が音をたてる。 「戦いを続けようよ」 そしてそれを、自分の額に出来た傷が広がるのも厭わずに引き剥がす。 「なんで!」 驚き、後ろに飛び退くフェイト。 どうしてなんだ?どうして、強い方が弱い方に負けるんだ? 考えても考えてもその答えは出ない。 全部全部勝っているのに、勝てない。 一般人を巻き込んでの一度目は、自分が優勢だったのに引き分けた。 目撃者を始末した後の二度目は、完全に互角だった。 それから戦いを続けて、今優勢を覆された。 「どうして、あなたはそんなに強いの!」 フェイトの手から雷が迸る。並の魔導師なら、ただのビル程度なら一撃で塵になるそれを…… 「詰まらない」 片腕の一振りで薙ぎ払った。 「なんで!」 何度撃っても、何度打っても、どうしても勝てない。 ビルを塵にする雷も、人の数倍はあるサイズの生物を砕く拳も、何故通じないんだろう。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」 「うわぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」 フェイトは、それが純粋に怖かった。 「ここがお前の為のテントだ。精々頑張れよ」 ――ああ、そうするよ。 如何にして精神という不確かなものを連れて行くという行為を成したのか、ローグには分からないし興味も無かった。 ただ今は眼の前の事に集中していたかった。訳の分からないまま死んで、それを挽回出来るチャンスを得た。 こんな幸運は人生で一度だってあり得ない。まともなら。 「ま、足掻けるだけ足掻くんだな」 ローグを巨大な本棚が乱立する奇妙なサーカスのテントに残し、一人廃墟へと歩き出すプラチナブロンドの女性。 道化師を嘲笑い、ゆっくりと歩を進める。 「しかし素直でいいね。あんな話を信じるとはな」 感慨に耽る様に空を見上げる、戦いの音はまだ鳴りやまない。 「生み出されて於きながら、今まで万の人間が試しながら、ただの一度も成功した事の無い魔法」 確認事項、現実を侵食するだけの濃密な想像による執筆など出来る筈が無い。それ故にこれは忌み嫌われる術であれど禁忌であらず、成功しないと分かっているものを禁じる意味は無い。 現実を変えうる想像。そんなものは存在し得ない。 だって現実の一部である人の心が創り出した想像は現実の一部だから、自らの毒で体組織を変質させて死ぬ毒蛇など間抜け過ぎる。 「お前は道化だ、名も知らぬ少年よ。故にサーカスのテント、ピエロにはお似合いだろう?」 そう言って小さく小さく笑う。 一時間、それだけしたら見に行こう。期待に応えて書物を残し、されど願い叶う事無く潰えていて、誰も居なくなっている事だろう。 いいねぇ、心躍るよ。 この世で、生きたいという純粋な願いよりも切なるものなど無く、それ故に散った時は美しい。 それは花と同義で、散った時こそ最高に輝くのさ。 第十話 完 次 『生まれたての炎』 |