第十一話 「生まれたての炎」



雲が空全体の半分を占める半端な青空。
蝉の鳴くむせ返る暑さのあぜ道で泣く少女が一人。
「うっ……ああ、ああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
泣きながらも、暴れる事を知らず、他人にすがる事を知らず、ただひたすらに泣き続ける。
地面に落ちた涙が途端に蒸発して、それを何度も何度も繰り返しても少女は泣きやまない。
これは懺悔なのだ。
少女は謝る術を、償う術を知らないから、ただ泣く事で悲しみを表し、謝辞とする。
それくらいしか出来ない小さな子供、年の頃は恐らく5、6歳だろう。
この日、少女は日付が変わるまでこの場で泣き続けた。丁度日付が変わった頃、迎えに来た家族に連れて行かれ、帰り着くまで涙が消える事は無かった。
帰りついた頃に少女はまた泣き出し、その感情の高ぶりは止まらなかった。激しく強く弱く悲しく、少女は泣き続けた。
まるで自分の信じていたもの全てに裏切られたかの様に、世界に絶望して泣いていた。ただ一つが失われただけでも、少女にとっては終わりに等しかった。



「さて、そろそろ頃合いか」
夜道の散歩を終え、サーカステントへと向かう女性、イリス。
彼女は期待に胸ふくらませていた、一体あの少年はどんな最後を迎えたのだろうと、どんな思いを書物にして逝ったのだろうと。
入口から、奥へ向かう。
無駄に広い作りになっているテントの最奥を目指して進む、どうやら少年はすぐに見える位置で執筆作業を行っていなかったらしく、少し面倒だと彼女は思った。
だが、これはこれで趣があって悪くない。イリスは好物を最後まで取って置くタイプだから。
と、目的の場所で在ろう本が散乱する地点へと辿り着いた。やはり、生存のチャンスを得た少年の姿は無い。
それにしても妙に奥で作業をしていたものだなと思う、一番奥の本棚がこんなに近いなんて、これではやりにくかろうに。
「随分と足掻いたみたいだが、書き上げた書物は7冊。まぁ頑張ったと評価してやってもいいか」
この魔法を試した者は過去に万の桁に上り、命尽きるまでに書き上げた書物の平均冊数は5冊。
魔法に全く関わっていなかったものにしては上出来といえる。
それにしても、邪魔な本棚だ。
無駄に高い、縦にも横にも幅を取っている。他の本棚は側面をテントの隅に押しやるように置かれているのに、この本棚だけ離して置かれている。
「ん?」
と、そう思ったところで思考が疑問を弾き出した。
本棚とは、角の四隅が斜面になっていたか?
イリスの記憶では、ごく一般的な本棚の四隅は直角。下部のそれは地面に安定している状態で設置する為であろうし、上部のそれは具体的な理由は分からないがとにかく直角であった。上部に物を置く為か、はたまた別の何かか?
ともかく、テントに設置されている本棚は全部長方形の、一般家庭にあるものを単に大きくしただけのものだった。
それはこのテントを創り上げたイリスが一番良く知っている。
だがこの本棚はどうだ?上部の角が斜面になっているだけでなく、下部の角は山の裾の様になっているではないか。
「なんだというんだ、これは」
言い、見上げる。暗くて良く分からない。
そう思ったところ、タイミングよく月明かりが本棚を照らし出した。
月を覆っていた雲が、晴れたらしい。
「なん……だと」
イリスは驚いた、何にといえば本にだ。
本棚では無く、本。
本棚がある筈の場所には、途方も無い高さに本が積まれていた。
その数はどれ程になるのか?少なくとも、常識的な数では無いだろう。
「これは、あいつが創ったのか?この量を、僅か一時間程度で」
イリスが知った事を切っ掛けに、本のページがパラパラとめくれ出した、その全てがあるページで止まる。
目的のページを開いた本は浮かび上がり、空中に制止する。
圧倒的な数が並んでいた、浮かんでいた、羅列していた。
「30万……30万冊だと」
分厚い百科辞典みたいなハードカバーの本が30万冊。イリスには分かった、それだけの数があると、だってその一冊一冊が例外無く巨大な魔力を放っていたから。
「なんだ、これは……人の、名前……か」



この世界は満ちている。

――さて、思えば書けると言っていたが、何を思えばいいのか。

満ち過ぎている。

――取り敢えず“生きたい”でいいかな?うん、これが一番シンプルだ。

人間、動物、感情、精神、自然、気候、季節、有機物、無機物、魔法、科学、ありとあらゆるものに満たされて、その結果隙間が無い。

――生きたい、生きたい、生きていたい。

隙間が無ければ世界を侵す事で失われた自らの命を得るなど叶わず、正面から力比べすれば侵せる程に想いが強くともそれは不成立と成る。
あくまで侵せるというのは世界という液体に対して割り込む事であって、器に空きが無ければ成り立たない。コップに満杯になっている水に氷を溶け込ませても溢れてしまう様に。
変質させるのでは無く介入させるという手段ではそれは絶対だ。
そして世界という液体は、脆いくせに極端に重く、器から追い出す事は出来ない。水の中に氷を入れたら水ではなく氷が追いやられる様なもの。

――生きたい、死にたく無い、まだ駄目なんだ。

で、あるならば、世界を侵す強い想いでは死を覆す事は出来ない。

――違う。

だからこの魔法を成功させた者は今まで誰一人として居なかった。
目的を果たす為の手段がそれに適していなかった。

――これじゃ無理だ。この創り方じゃ届かない。

ローグはそれを本能的に察した、これは今までの誰も成しえなかった事。

――単純に強く想っても無理だ。理由は分からないけど、そうだと分かる。

だからやり方を変えた。世界を侵す強い想いを用いず、自分を侵す強い想いを用いた。

――強い想いが鍵なのは間違い無い。問題はその方向だ。

氷の介入を是とせず、氷の改変を是とした。

――世界に捻じ込むんじゃ無い、世界に受け入れさせるんだ。

変質させるは己、求められる己。

――欲しい。そう世界に願わせる、世界にローグウェル・バニングスよ自分の中に居ろと願わせるんだ。

呼び起こす、自分の中の何かを。世界が狂おしい程に、自らの中のルールを破ってまで得たい一点を。

――他を求める理由、人の尺度では無く世界の尺度で考える。当てはめろ、世界がもし一人の人間だったら、どんなやつと仲間でいたい?

これは昔話。

――家族、恋人、憧れ、羨望、そんなものにはなれない。もっと別種で違う求められ方をするもの。

昔、とはいっても3年前、一人の少年が居た。その少年は人気者で、友達が多く、みんなの輪の中心に居た。

――くそ、人に当てはめるといっても余り似せる必要は無い。もっと大きな枠で考えろ、人にとっての恋人は世界にとっての月。家族は世界の住人、憧れは太陽、羨望はもっと大きな枠の世界。

少年には従妹が居た。ゴールデンウィークやお盆、クリスマスに来れば年末年始まで滞在し、それらを一緒に過ごす可憐な少女。

――人が友達として欲しがるのは?楽しい奴、趣味が合う奴、気が休まる奴、競い合う奴、一緒に同じ目的を目指す奴。それこそ千差万別いる、じゃあ世界は?

ある夏の日の事だった、少女がいつもの様に遊びに来た、避暑を主目的とした夏の長期滞在。
そしてこう言った。
「河原に行こう!ランも誘ってさ!」

――世界が魅力を感じる奴。能力の高い者、新しいものを発見開発する者、幸せな者、不幸せな者、定める者、歴史に名を残す者、開拓する者、英雄や勇者といった伝説的存在。どれも駄目だ、俺はそんなものにはなれない。

“ラン”というのは少年の弟の愛称で、本名はもっと長い。ランは少年に比べて病弱で寝込む事も多く、余り外で遊べず、必然的に外を元気に走り回る遊び盛りの子供達との交流は浅かった。
少年は何度か一緒に居ようか?と言ったものだが、ランにとっては兄の自由な時間を奪っているみたいで、それを断り続けていた。

――俺がなれるのは精神的に求められる存在のみ。体が無いんじゃどんな能力者もそれをアピール出来ない。

けれどこの少女は別だった。
誰にでも分け隔てなく接し、笑った。ランには、それが普段の自分を知らないからだと分かっていたが、それはどうでも良かった。
同い年の子供と遊べる、それだけでランにとっては至上の喜びで、兄である少年も従妹の少女が滞在している間はそれを理由に他の友達と遊ぶ事無く、それに加わっていた。
だから、兄と自分を一緒に居させてくれる上に、幸福な時間をくれる少女が、ランは大好きだった。
だから無理をしたんだ。少女と居られるその間に、次会えるまで心が元気でいられるだけの栄養を摂取する為に、何より、幼い恋心故に。

――出来る事はこの心を曝け出す事だけ、何を曝せばいい?求められ、願わせる想いとは……

豪雨と濁流、それが耳に五月蠅い。
予報と予想と期待を大きく裏切り、快晴の筈の午後の空は激しい雨。
三人が遊んでいた河原は、少々の雨であれば問題は無いが、記録的豪雨であるこの日ばかりは氾濫を起こした。

――ある筈だ、俺の中に、何かある筈なんだ。それは、それは……俺は……

日頃から活発な少年と少女は氾濫した河原の濁流から逃れ、高台に立っていた。
だが、ランは濁流に飲み込まれていた。

――この身は何の為に在る?この心は何の為に在る?

出来事は一瞬だったのだ、突如として豪雨が降り、氾濫し、逃げ惑う中で病弱なのが祟ったのだろう、ランだけが転んで飲み込まれた。
二人が高台に避難した頃、丁度大人達が河原で遊ぶ子供達がいたら危険だと、様子を見に来ていた。
助けに向かおうとする少年と少女は、大人達の手の中で押さえつけられていた。

――生きる為?そんな曖昧なもんじゃ無い!もっと強いものがある!

豪雨から三日後、少年の家にある報せが届けられた。
ランの水死体が発見されたというものだ。

――“突き通せない筈は無い”

その時まだ少年の家に滞在していた少女は走り出した。
涙を流しながら、全力で駆けた。

――“守り通せない理由は無い”

少年はそれを追った。
知っていたから、少女の心の内を。だからそれを救わないといけないと思った。
駆け、追い付き、言った。
「あいつは体が弱かった!お前は雨が降りそうで、疲れたと言っていたあいつと強引に遊び続けた!だからあれは、お前にも原因がある!」
言わないといけなかった。そしなければこの心優しい少女は何時までも後悔して、助けられなかったという自責の念に駆られ続けらるから。

――“果たせない道理は無い”

「う、う……うあああああぁぁぁぁぁ!!!!」
一度壊さないと駄目なんだ、こんな悲しい事は。
ランは少女が遊びに誘ったからあそこにいた、それは死んだ原因の一端。紛れもない事実。
少女は、助けられなかっただけじゃなくて理由も作ったんだ。
「でも!」

――“この身、この心、この魔導は”

「それは俺も同じだ!!」
逃げ出さずに全部二人で受け止めるんだ。
今までを壊して、今までの二人じゃいられなくなるものを背負って、それでも進むんだ。
「うっ……ああ、ああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
泣きながらも、暴れる事を知らず、他人にすがる事を知らず、ただひたすらに泣き続ける。
地面に落ちた涙が途端に蒸発して、それを何度も何度も繰り返しても少女は泣きやまない。
これは懺悔なのだ。
少女は謝る術を、償う術を知らないから、ただ泣く事で悲しみを表し、謝辞とする。
それくらいしか出来ない小さな子供、それは少年も同じで、だから少年は泣かなかった。
この日、少女は日付が変わるまでこの場で泣き続けた。丁度日付が変わった頃、迎えに来た家族に連れて行かれ、帰り着くまで涙が消える事は無かった。その間、少年はずっと少女の傍に居て、泣かなかった。
帰りついた頃に少女はまた泣き出し、その感情の高ぶりは止まらなかった。激しく強く弱く悲しく、少女は泣き続けた。少女が泣いているのに、自分が泣く訳にはいかない。
少年は誓ったんだ、ランが大好きなこの少女、自分が大好きなこの少女を…………
少女はまるで自分の信じていたもの全てに裏切られたかの様に、世界に絶望して泣いていた。ただ一つが失われただけでも、少女にとっては終わりに等しかった。
…………絶対に一人にしないって。

「全て!アリサ・バニングスの為に在る!!!」
彼は生まれたての炎。
30万冊という書物を書きあげ、自らの心の在り方を世界に求めさせた魔導師。
ローグウェル・バニングスなのだ。



第十一話 完


『既死の肉体、不死の魔力』





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