第十七話「yes sir」



熱い肌に冷たいシーツが心地良い。
頭を包む大きめの枕がふかふかで、足を思い切り伸ばしても余裕のあるベッドの幅が緊張感を嫌でも解く。
「フェイト……フェイト」
またフェイトを心地良くさせるものが増えた。聞いていると自然と頬が緩む声、そんなお互いを知りつくした様な相手の声。
「フェイト……フェイト!」
「起きてるよ、どうしたの?」
フェイトが眼を開け、声の主を見る。声の主はフェイトの使い魔のアルフという女性である。
「ジュエルシードが見つかったよ、幸いこの前の魔導師二人は気付いていないみたいだ」
ベッドに沈めていた体を起こす。すぐ近くに置いてあったジュエルシード・シリアルZを手に取る。
「まだそれを使うの?」
「うん、当然。だってこっちの方が強いんだよ、これ自身が持ってる魔力と私の魔力を合わせれば誰にも負けないだけの力が出せる」
そう言ってフェイトはジュエルシードを胸に抱く。
ドクンドクンと脈動している様な錯覚に囚われ、この小さな宝石の持つ力の大きさを感じ取る。
「だからって、それじゃフェイトの体が壊れちゃうよ。強い力はそれだけ負担も大きい、特にフェイトは成長期なんだから、今無理をすると後でどんな事になるか分からないんだよ」
「それでも、母さんの為だから」
頑ななフェイトの心は解けない。母さんの為、そう言って何時も心と体を酷使し続けて、その内壊れてしまうんじゃないかと思わずにはいられない。せめてジュエルシードを使っての戦闘はやめて、通常のデバイスを使ってくれれば……
そう常に思っているアルフだが、ひた向きなフェイトの姿を見ていると言い出せない。まるで自分がフェイトの枷になっている様な幻覚に襲われているみたいで。
「行こうか、アルフ。場所は?」
「森林公園の辺りだよ、人目につかない所を移動してるみたいだ」
これが正しいのか間違っているのか、アルフに判断はつかない。近過ぎる者は時としてそれの危機に気付けない。普段から隣に居て、一歩引かなければ全体像が見えないという問題は、お互いを信頼している分だけ深刻なのだ。だからこの日アルフは後悔した。どんな事をしてでも止めるべきだったんだ。



そうしていれば、こうはならなかった。
「フェイトーーーー!!!」
流れ出る血が温かい、生きているって分かるけど、その生きているっていう証が流れ出てるんだとも分かる。
止まれ、止まれ、止まれ!なんでもいいから止まれ!どうしてどうしてどうして、こんな事になったんだ!
「アルフ……ジュエル……シードは?」
「そんな事気にしてる場合じゃないだろ!いいから逃げるんだよ!」
そう言っている内にも怪異は迫って来ている。フェイトの攻撃を悉く溶かし、一撃の元に行動不能にした怪異が。
「ちくしょう!反則だろ、そんなの!」
敵は下半身が馬だった、その上頭が鹿で、胴体と右腕が熊で、左腕が蛇そのもので右目から蜘蛛が沸いて尻尾がぬめりを持ってて背中に鳥の羽が生えてて今さっき右腕が別の……
「なんだってのさ!こいつは本当にこの世界の生物なのかい!」
そんな事を言いながらフェイトを抱えて全力でモンスターから遠ざかるアルフ、後は振り返らない。今度見れば何処がどう変わっているか分からない。こんな光景今まで見た事無かった。
「アルフ、逃げたら……駄目……」
「頭から血を流して、右腕を焼かれて、足も覚束なくて、一体何が出来るってんだい!」
そう言うアルフも満身創痍だった。衣服が所々破けて血が流れ出ていた。
肩はフェイトの右腕と同じように焼かれていて、でも一目で炎の類による焼け方ではないと分かる。
ジュウジュウとモンスターの居る方向から音がする、地面が溶けているんだ。モンスターの体液は硫酸みたいなものらしく、それは特濃だ。
「あんな奴を相手にしてられるか!放っておけばその内あの二人の魔導師がなんとかするさ、ジュエルシードならそっちから奪えばいい!」
「駄目だよ、あいつよりあの二人の方が手強い。今がチャンスなんだ」
いじっぱり。そう言って引っ叩いてやりたいなんてアルフは思った。けどそんな事をしているくらいなら逃げろと本能が言っている、あのモンスターには並の魔導師じゃ勝てない、それこそあの二人くらい強い魔導師でも無い限りは。
「さっきバリアがドロドロに溶かされたの見て無かったのかい!あいつの体液は魔法を熔かす、効かないんだよ!」
あんなの認められるか。魔法を、魔力素を溶かしてこちらの攻撃を無効化し、その上大岩を一撃でカチ割るだけのパワーを持ってる。魔法と物質を溶かす体液があり、かつ身体能力が高く、肉体構造が分単位で変化する真実モンスターと呼べる存在。物理的魔法的攻撃が効かないなんて、それは何処のチート野郎だと言いたくなる。
正直言ってあの二人の魔導師なら確実に勝てる。けどジュエルシードを使い続けた所為で体がボロボロのフェイトと、遠距離からの攻撃手段がほぼ皆無のアルフでは勝ち目が無い。あいつを倒すには遠距離からの、それも魔法では無い何かでの攻撃が必要なんだ。触れたら溶ける相手を殴ってなんていられない。
「ちくしょう!なんであんなに足が速いんだよ!」
フェイトが万全であればまだ策は在ったかも知れない、万全じゃない状態で戦場に出してしまったのは自分のミスだと、使い魔が主人の体調を気遣えずにどうするんだと思っても、もう手遅れなんだ。
「アルフ、降ろして。私が戦う」
「馬鹿言うんじゃないよ!その体で何が出来るのさ!」
「いいの、これは私の責任だから。あんなモンスターに後れを取る私の未熟さの所為、だから私が乗り越えないといけない」
「違う!フェイトはお母さんの事になると自分の体の事なんて気にしないって、すぐ無茶するって知ってた私が止めなきゃいけなかったんだ!それをしなかった私の責任。だから絶対にこのまま逃げ切る!そして、次は絶対にこうなる前に止めるんだ!」
「アルフ……」
そうは言っても目の前の事実はどうにも先行きが不安だ。事実、移動速度はフェイトを抱えて走るアルフよりモンスターの方が速く、追い付かれるのは時間の問題だ。
「うぁっ!」
だというのに、こんなタイミングで蹴躓いて転んでしまうなんて、とんでもない不運。これは死んだかも知れない。
「フシュルルルッルルルルルルッルルルルウル」
「このぉ、不気味な声出しやがって!」
追い付かれた。
起き上がる間もない程に速く接近され、地面に尻を着いた態勢で吠えるアルフ。幸運にもフェイトはアルフの腕の中から放り出されてアルフよりはモンスターから離れている。
さて、御主人さまを守って散る勇敢な使い魔にでもなるとしましょうか?
「ああああああ!」
自分を奮い立たせる為に叫び、握り拳に力を込める。手が溶けてしまってもいい、もう二度と使えなくなってもいい、大切なものを守れるならそれでもいい。
「アルフ!」
フェイトの叫び声も聞こえない振り。大丈夫、自分はやれる、せめて愛する御主人様が逃げる時間くらい稼いでやる。

「本当に御主人さまを守りたいなら、性格くらい把握しておくべきだよ」

雷光一閃。
不意に聞こえた声と共にアルフの目の前を通り過ぎた雷はモンスターを吹き飛ばして大木に叩きつけた。
「その様子だと、あなたをほっといて逃げるなんてしないよ。ね、ごしゅじんさま♪」
「なっ!」
「それと、魔法を溶かすといっても一瞬で全てを溶かす訳じゃない。なら大威力を持ってして一気にダメージを与えればいいだけだしね」
「あなたは誰?」
アルフとフェイトが驚愕する中、声の主は立っていた。
金色のポニーテールを揺らして微笑む少女は、とても戦いの場にいるとは思えない朗らかさ。
「あれは、デバイス?」
その彼女が手にしているのは黒光りする長い筒。
それには引き金があり、発射口らしきものがあり、まるでリボルバー式拳銃の銃身だけを巨大化させたようなもの。全長は少女の身長程もある巨大なものだ。
「これは私のデバイス。ランチャー型って言えばいいのかな?名前はアルアイニスっていうんだよ」
悠長にデバイスを紹介する彼女、状況が分かっていないなんて事は無く、ただ余裕なだけ。
「ウルルルルルルルッルルルルルッル」
「あー、売る売る言わないの。そんなに商売したきゃ店でも開けばいいじゃん」
軽口を叩きつつ銃口を向け、引き金を引く。トリガーが引かれる音と共に魔力の光が溢れ出す。
スカッとするね、これ。
「あはは、やっぱいいなー。暴れてるとさ、生きてるって感じるね」
ゾッとする。心底フェイトとアルフはそう思った。
この少女は本気で戦いの中に生を感じている、そう肌で感じ取れる分余計恐ろしい、今ほど自分が鈍ければいいと思った事は無い。
これは、生理的嫌悪をもたらす類のものだ。
「ウルルルッルルルルルルルルルルルウル!!!」
吹き飛ばされたモンスターが立ち上がる。名前のイメージ通りしぶとい。
「弾丸セット、必殺呪砲」
リボルバーを回しながら弾丸をセットする、、妙な幾何学模様の入ったものから大きな魔力を感じた。
「くらいなさい、とろけるサンダー!」
ふざけた名前の魔法を唱えつつもその眼は本気で相手を討とうとするもので、お気楽な空気が漂うノリなだけに余計性質が悪い。
「なんちゃって♪」
「ウルガッ!」
しかもその威力は相当なもので、モンスターの左半身を吹き飛ばした。
でも、まだ立っている。
「ほら、今度はあなたがやりなさいよ」
いきなりそう言って彼女はフェイトに金色の球を投げて寄越した、一瞬さっきの弾丸かとも思ったが、形が違う。
「これは……」
「バルディッシュ!なんであんたが!」
「あなた走ってる時に落としたでしょ。駄目よ、大切なものはしっかりしまわないと」
そう言われて自分の服のあちらこちらを探しまわるアルフ。
無い。どうやら逃げる途中で落とし、それをこの少女が拾った様だ。フェイトに使う事を何度も進め、ジュエルシードを使って戦った方が魔法の出力は高いからと断られ続けて来た。
それを使えと言って簡単に使うようならアルフはここまで苦労していないし、今日のこの状態も無かっただろう。
「あなたの考え、ジュエルシードによる魔法の行使は確かに高出力よ。けどその分調整が難しくて、大きくなり過ぎるか小さくなり過ぎるかのどちらかに傾いてしまいがち。だから体の調子が悪かったあなたは大きな力を出せず、小さい魔力で使用した魔法はあいつに溶かされた」
悔しいけど、言われるとその通りだとフェイトには分かった。だからこんなに素直に頷いたんだろう、そうでなければアルフの言葉を聞かず彼女の言葉を聞く理由にはならない。
「バルディッシュ、セットアップ」
yes sir――
なんだか心地良い。
熱い肌を冷やすシーツより、頭を包む大きめの柔らかい枕より、思い切り伸ばしても余裕のあるベッドの幅より、ゆったりと硬く結ばれた心を解いて行く。
これが、焦って力を求めた自分よりも上に在る自分。
そうだ。
“超えられない筈は無い”
「サンダーレイジ」
押し潰す。
“負ける理由は無い”
「サンダースコール」
押し流す。
“立ち止まる道理は無い”
「プラズマスマッシャー」
焼き潰す。
“この身、この心、この魔導は”
「ウルルルルルルルアアアアア」
「あれだけ受けてまだ向かってくる!フェイト!」
手にする戦斧は形を変える、漆黒の衣装のその足へと装着される拘束具。
これを付けると足首の動きが極端に制限されて凄く不便なんだけど、代わりに一つだけ使える魔法が増える。
“真っ直ぐだっていう事にかけては誰にも負けないから”
「フォトンペンデュラム」
ズシャッ、ボトリ。
「足首の拘束具、そこから魔力刃を発生させてそれを振子の要領でぶん回して首を狩る。中々なやり口ね」
この結果は至極当然だという感じの物言い。彼女にしてみればそうなのだろうが、生憎と先程までとんでもなく強い敵と思っていたアルフにはそうでは無かった。
「凄いや!フェイトってばそんな魔法を隠し持ってたなんて!」
「ううん、隠し持ってた訳じゃないよ。今考えたものだから」
「へっ、そうなんだ。まぁどっちでもいいけどね」
なんだかフェイトに危険が及ばなくなった途端に気楽になるアルフ、まぁ何時までも深刻な風を引き摺られても空気が悪くなるだけなので、それも良しか。
「体はちゃんと休めないと駄目だよ、それからもうジュエルシードを使わない事」
「そうする。もう焦らないよ、バルディッシュ。あなたをないがしろにしちゃったこんな私だけど付いて来てくれる?」
yes sir――
「あと、ちゃんと封印しといてね」
「へ?ああ!そういやそうだ!フェイト、ジュエルシード封印してよ」
「うん。でもその前にあなたの名前を聞かせてくれない?」
フェイトは事が済んだからとっとと帰ろうとしている彼女の背中に声をかけた。何故だか無性に彼女の名前が気になったから。
彼女は首だけ振り返り、こう言った。
「エーティー」



第十七話 完


『悪くない関係』




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