第十八話「悪くない関係」



学校の帰り道、普段一緒に帰っているアリサ達と別れて、彼は一人図書館にやって来た。
固い床をカツカツと音をたてながら歩いて行く。目的の場所は本棚で、図書館の入口からはかなり遠い場所にあるものだ。
特にそれ以外の目的も無いので真っ直ぐ進み、目的の本棚に辿り着く。
「んっと」
本棚のほんの少し高い位置に収められたターゲットは、幸いな事に少し背伸びをすれば届いた。特に問題無くターゲットを手に入れ、一番近くの空いている席に座って開いた。
「無理」
10秒と開いていなかっただろう、彼は内容をほとんど見ないまま本を閉じてしまった。
「これは無いだろ」
彼が閉じた本の表紙を見ればそこには何処の国の文字かすら分からない言語が並んでいた、ユーノはこんな本を読めと勧めたのか、無茶にも程がある。
「けど、これが駄目だった場合なんて聞いて無いしな」
彼、ローグウェルが一人で図書館に来たのには訳がある。前回の学校での一件、七不思議をモチーフにした何者かの起こした騒ぎでローグは自分の知識の無さを痛感した。
もっと自分の体の事を分かっていれば、もっと魔力を効率的に運用する方法を知っていれば、あそこでなのはに無茶をさせずに済んだかもしれない。
もちろん、自分一人が頑張ればどうにかなったなんて思っていない。けどあの状況なら頑張った分だけなのはとユーノの負担を軽減する事は出来た筈なのだ。
自分はどれだけ傷付いても再生できる馬鹿げた体を持っているのだから、それを生かさない手は無い。
そうユーノに相談したところ、帰ってきた答えは芳しく無かった。
「魔力構成体が完成したという実例は過去に無く、それに近付いた者達の情報も抹消されていてどうにもならない……か」
魔力構成体とは元々あってはならない魔法、世間に認められていない方法で辿り着く境地だ。その情報を詳しく残しておいても得は無い。それを消すというのは納得のいく話で、それだけにどうしようもないというのは事実だった。
そこでユーノが提案したのが図書館で資料を見て魔法と間接的に関わる事から勉強する事だ。自分は特訓があるからと言って、本のある場所以外何も告げずに消えてしまった。
それでユーノの言われた本棚の、言われた位置の本を見てみるとこれだ。
「タイトルを言わずに本の位置で教えたのは、自分も読めないからか?」
そうだとしたら何を考えているんだか、いくらなんでも小学生が読めるものではないというのは分かりそうなものだが。
「んっと、んっしょ」
そうやってこれからどうしようかなー、もう帰ろうかなーと考えていると、何やら必死に手を伸ばしている人の姿が見えた。
どうやら本棚の丁度真ん中辺りの高さにある本を取ろうとしている様だ。
この図書館の本棚はそう高い方では無く、子供でも背伸びをすれば一番上とまではいかなくとも結構な位置まで手が届く。
無論、一番高い位置にある本を取る為に台も用意されている。だというのにその人、少女は座ったままの体勢から必死に手を伸ばしている。それは立ち上がれば楽に届く高さだけど、車椅子を使用している事から立ち上がる事が出来ない、仮に出来ても簡単にはいかないであろう少女にとってはかなり手強いものだ。
なんだかそれを見てるだけというのも悪者になってしまう気がして、ローグは席を立ち上がって少女に歩み寄った。
「どの本だ?」
「え……」
突然見知らぬ少年にどの本を取ろうとしているのか?なんて質問を受けた少女は思わず固まってしまった。
いきなりどの本だ?などと聞かれれば、思考停止もやむなし。数秒間の間が空いて少女がローグの言葉を理解し、ちょっとだけ驚いたような表情になる。そのすぐ後、少女は答えた。
「本棚のちょうど真ん中の段、その左から三番目」
言われた通りに目で探すと、それらしきハードカバーの小説がある。重々しいそれは他の本に比べて異彩を放っていた。
「これか?」
「うん、それや」
ローグがハードカバーの本を指差すとすぐさまそれに答える少女。
さて、頑張り時である。
「くすぐったいかも知れないけど我慢しろよ」
「え?」
断りになってない断りを入れるとローグは車椅子の少女を背後から持ち上げ、本に手が届く高さまで持って行った。
「わ!わわわわわわ!」
「さ、取れよ」
「そんな事言われてもー!」
そんな事言われても無理。そう言いたいのに、持ち上げられている状態がすぐったくて恥ずかしくて、少女は大慌てで本を抜き取る。
「はーっふぁー、君酷いな」
車椅子に降ろされて大きく息を付く。そのまま非難を浴びせるが、ローグは意に介さない。
「自分で取った方がさ、なんだかいい気がしてな」
「なんやそれ。ま、なんとなく分かるけど」
こうして特に問題も無くその本を取り、一番近くの席まで二人で歩く。
「ごくろーさん。運ぶのはやってくれるんやね」
「まぁ、こんなデカイのを持って車椅子なんて面倒に決まってるんだしな」
「君は優しい子やね」
少女の口から出た意外な言葉にローグは“はい?”なんて表情になり、言ってやった。
「俺は従妹から意地悪な奴と言われる程の悪者だ、少なくともいい奴じゃ無いぞ」
「その従妹の子はきっと口に出していないだけや、きっと心の内では優しい子やと思てるよ」
無駄だった。
特徴ある喋り方で恥ずかしい事を全く気にした風もなくつらつらと並べ立てる少女にまいってしまったローグは早々にこの場を立ち去る事にした。
目的の本がまともに読めないのだ、家でインターネットを使って調べた方がマシだったと早く気付けば良かったという考えの元に手を挙げて“帰るぞ”と動きで告げる。
「待って。ちょっと、私とお話していってくれんかな?」
くりくりとまん丸い眼を輝かせた少女の視線に、ローグは無条件降伏するしか無かった。
降伏したんだから丁寧に扱ってくれなんて願いは彼女には通じず、子供とはいえ常日頃溜まる愚痴や病院での出来事、近所の本屋の品揃えの悪さからはては服の話、さらには今晩の夕食まで、家でじっとしているより外で遊びたい年頃の男の子にはついて行けない話題ばかりだった。
「それでな……」
けれど不思議と退屈では無く、むしろ楽しいとさえ感じていた。少女は頷いたり相槌を返すだけで全く話に乗って来ないローグに構わず喋り続けた。家ではアリサが待っている筈なのに、何故か帰る気が失せて行く。会いたい会いたいなんて思っても、目の前の少女の話が耳から離れない。なんだか、心地良い。
「なぁ」
「ん、なに?」
これまで延々と喋り続けてきた少女の言葉の合間に初めてローグが口を挟んだ。少女はもちろん、何か話してくれるのだろうと思ったが、期待通りにはいかなかった。
「もうすぐ閉館だぞ」
「あ……そやね」
少女は気付いてたけどあえて言わなかった、タイムリミットの問題。流石に閉館まで10分を切ればローグも止めない訳にはいかなかった。
「じゃあ……これでバイバイやな」
何処か名残惜しそうな寂しそうな少女に、ローグは言ってやった。今度は無駄にならない様に。
「次会ったらまた相手になる。だからそんな顔するな」
「うん、ありがとう」
少女の言葉を確認すると、ローグは読めなかった目的の本を取り敢えず借りて帰途に着いた。自分で読めないならユーノに頼んでみよう、そう考えながら歩いているとふと気付いた。
「あの車椅子の子の名前、聞いて無かったな」
結構な時間話していたのに自己紹介すらしていなかった事に気付き、お互い何をそんなに急いていたんだろうなんて思う。
でもよくよく思い出せば、少女が持っていた図書館の貸し出し用カードに書かれた名前を見た気がする。
「確か……八神だったかな」
ま、たいして問題にはならないだろう。そういう事にしておいて、急いで帰ってアリサでもからかうとしよう。別に、名前を知らなくてもお互いの顔を覚えていれば問題などないだろうから。
こんな関係もきっと悪くない。



その日の満月が昇る夜、悪戯された事に怒って突撃して来たアリサを避けて自室へ戻った時、ローグは異変に気付いた。
「本が光るってありかよ」
今まで体験した事を考えれば大した事は無いのだが、日常的に触れる物が変わる、この場合は日中はただの読めない本だっただけに余計に大きな怪異に思えた。
見たところ危険は無さそうなので裏表紙しか見えなかった本をひっくり返すと、昼間は読めなかったタイトルが読めるようになっていた。
「げっ……てん、物語」
月天物語。本にはそう記されていた。よくよく見ればその本は以前、まだ自分が人であった頃に図書館に立ち寄った時にアリサに奪われた本だった。
何故今まで気付かなかったのか、そんな事はどうでもいい。
King――
声が聞こえた、王を呼ぶ声、それは書物の中から溢れ出て、現実になる。淡い光が眩しくて眼が眩むほどの光になり、やがて収まる。
光が収まった時あったのはローグの腕よりも長い一組の双剣。
「はは、ユーノのやつまさかこれを見越してって事はないよな」
Halo――
「ハロー♪って悠長に挨拶してられるか!お前なんだよ!」
Souga――
「ソウガ、それがお前の名前か」
Yes king――
ローグをキングと呼ぶ声、それには何処か聞き覚えがあって、ちょっと考えるとすぐ分かった。今まで魔法を使うと聞こえて来た声、自分自身が強くイメージした名前に力を与えていた声。
それが形を成して今ここに在る。本という殻を破り、王の前に現われたのだ。
「キングなんて呼ばれるのはなんだか変な感じだが、取り敢えず……この本どうしようか」
ローグの机の上には、魔力の光によって焼けてしまった月天物語の燃えカスがあった。



「ディバインシューター!」
なのはの前方に合計14のスフィアが浮かぶ、狙いを定め撃つ。
「行って!」
ターゲットのサイズは人間の子供、絶えず動き回りなのはを撹乱するそれはディバインシューターの出現を見て動きを変える。強く踏み込み前進、ディバインシューターの群れに突撃する。普通ならば無謀な行為、魔力スフィアが集中する場所へ跳び込むなど自殺行為でしか無い。
だが、彼にとってはそれは勝利へ繋がる踏み込みなのだ。
Vanishing step――
なのはのフライアーフィンの3倍の速度を持ち、その分移動距離が極端に短い高速移動魔法。瞬発力にかけてそれは右に出るものの無い最速。
無論、一回の移動距離が短い為一度の使用ではスフィアの目の前で止まるに留まる、だが続けざまにもう一度使う事によってその群れを一気に超える事が出来る。
「くっ!」
接近された瞬間、ディバインシューターを引き戻そうとして、考えを瞬時に改める。そうなれば相手の思う壺だ。引き戻した瞬間に高速移動魔法で避けられ、自分に向けて放つ事になってしまう。
ならば下に向けるまで。地面にぶつかり高まった魔力が弾け、土煙を巻き上げる、それを煙幕に接近し右拳を叩き込む。当然のことながらただの拳打では無い、ディバインシューターの操作と並行して行っていた魔力拳、ディバインバスター・パニッシュのチャージは既に完了している。
「せぃっ!」
何処に当たるかは分からないが、命を奪う危険があるからと言って加減はしていられない。躊躇えばやられるのは自分なのだから。
けれど、なのはが拳を振るうよりも速く腹部に打ち込まれた敵の拳が意識を希薄にする。吹き飛ばされる刹那、なんとか意識を繋ぎ止めて立ち止まる。その勢いのまま吹き飛ばされた事で後ろにそれた首を戻し正面を見据える。
ディバインシューターで出来上がった土煙はもう無く、敵の姿ももう無い。
「居ない!」
所在不明、高速移動、高攻撃力。なんて危機だ、これでは次の策を練れない。そう悟ったなのはは空中へ退避して攻撃の届かない場所からの探索を試みる。敵は空を飛べない、遠距離への攻撃手段を持たない、狙うならそこだろう。
Master――
だというのに、レイジングハートが告げていた。
そこに居ると、飛べない筈の敵がすぐ近くに居ると。
「ディバイン……」
速攻で展開する魔力のスフィア、それを盾代わりに侵入不可能なくらいの魔力スフィア密集領域を自分の周りに作る。大丈夫、接近戦しか出来ない敵にこれを突破する術は無い。
だが、それも展開しきれればの話だ。
Deep Strike――
「こっち!」
ミシミシとレイジングハートが音をたてる、敵の拳を咄嗟に受け止めた事で折れようとしているのだ。なんて攻撃力だろう、接近戦しか出来ない代わりにこの威力では遠距離攻撃が出来ないなど大した問題じゃなくなってしまう。それに敵が空中まで来た手段、下を見れば分かる。敵は薄い魔力の壁を作り出してそれを乗り継ぎ、跳び、やって来た。
飛べない事も問題にならない。
「ディバインバスター――」
強い。
掛け値なしにそう思う、けど負けてはいられない。自分にだって守るものがある、その為に今強くなろうとしているのだから。
「――パニッシュ!」
Out crush――
「あっ!」
その想いを込めた一撃も、届かなければ意味が無いのだ。なのはの拳よりも圧倒的に速く重い蹴りを受けて、なのはの意識は暗闇に落ちて行った。



You loose――
レイジングハートの声がなのはを呼び覚ます。なのはは自分の部屋のベッドで横になっていて、全身からは大量の汗が噴き出ていた。
「あーあ、負けちゃった」
Nice fight,master――
「にゃははは、ありがと」
なのはは夜の学校から帰って来てからというもの、レイジングハートに仮想の敵を作ってもらい、それと頭の中で戦うというトレーニング。要はイメージトレーニングの延長線上のものをやっていた。
先程の相手はローグ。近接戦闘しか出来ない代わりにそれを最強まで昇華させようという者との戦いだった。始めから結果は見えていたんだ。学校でのローグの戦いを見て、彼を強いと思った、たった一つに賭ける彼を勇気ある者だと思った。だから勝てないと知っていた。
たった一つに戦いの全てを賭けるが故に、その一つは最強で、その一つが敗れた場合最弱となる。遠距離戦も近距離戦もという風に戦っているなのはではどうしても突破されてしまうのだ。なのはには頼れるたった一つが無い、というかあるにはあるのだが時間のかかる大火力というのは得てして速攻に弱いものである。
だからそれを補う何かが必要なのだけど、それを見つけられない。仮想の敵としては黒金の少女も居る。そちらはローグに比べれば情報が少なくて実物と比べるとどうなるかは分からないが、そちらも勝率は五分五分まで。そんな風に自分ならやれるという自信を持てないまま過ごすなのはにを呼ぶ声が窓の外から聞こえた。
「おーい!そこの少女!」
プラチナブロンドの奇妙な魔導師、イリス。



第十八話 完


『不自然が自然になっていく』










あとがきかも。

はーい、やってしまいましたー。
なんかね、気付いたら居たんだよ、八神さん。八神家のあの人が。
名前を伏せてる意味は別に無いですよ?
それでは、また次の話で。





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