第十九話「不自然が自然になっていく」



アスファルトの上で目立ち過ぎる格好を晒して声を張り上げたのは魔導師イリスで、声を掛けられたのは高町なのは。相も変わらず透き通り過ぎる声で名前を呼ばれると少々恥ずかしい。まるでこいつはここに居るぞ、なんて街行く人々に言いふらされている気分。
そんな恥ずかしい事を断固阻止すべくなのはは彼女の元へ向かい、ひとまずは制止の言葉を投げかける。
「イリスさん、やめて下さい。恥ずかしいですよ」
「そうか、それはすまなかったな。ところで今時間はあるか?」
全然すまなさそうにしてない風に言ってくる。こういう類の人にはちょっとやそっとじゃ意味が無いと思ったなのはは、ひとまずイリスに「大丈夫です」と答えて案内されるがままに歩いた。
「うん、ここでいいだろう」
イリスに連れられて来たのは彼女に魔導師について尋ねた公園だった、指でベンチに座るよう促し、イリスは自販機の前まで歩く。
そしておもむろに殴った。
ガンガンガンッ!
「うわ!イリスさん、何してるんですか!」
「いや、ジュースを飲もうと思って」
「買って下さい!叩いても出ませんから」
「じゃあ、手ぇ突っ込んで引っ張り出すか」
そう言って左手を肩の位置まで上げるイリス。なんだか強大な魔力を纏っている彼女の腕なら自販機くらい紙屑みたいに突き破れるだろう。白昼堂々とそんな事をされた日には国家公務員がやってきかねない。とにかく全力で阻止するべくなのはは240円を財布から取り出した。
「んっく、んく、んっく、んく」
「はっはっはっは、悪いな、奢らせてしまって」
「ぷふぅ。そう思うなら出かける時に財布くらい確認してください、それとお金が無いからって自販機叩かないで下さい」
「ああ、覚えていたら次からはそうしよう」
これは絶対に覚える気が無いとなのはは思った。次は自分の周りでやって欲しくない、けど誰か止める人がいないと大変な騒ぎになりそうだし、でも巻き込まれたく無い……
なんて思考が延々とループを始めそうになった時イリスが飲み終えたジュースの缶を30メートルは離れているゴミ箱へ投げ捨てて、ついでになのはのまだ少しだけ中身が残っている缶も投げ捨てて本題に入った。
「私のオレンジジュースゥ」
「お前、名前はなんだ?」
「え!あ、言ってませんでしたっけ?」
なのは、オレンジジュースに心奪われておりました。
「聞いた気もするが聞いて無い気もする、聞いてたとしても忘れた、だから教えてくれ」
「なのは、高町なのはです。それで、イリスさんってフルネームはなんていうんですか?」
「ん、私か?私のフルネームはイリス・ブラッディリカ・サタン・サクリファイスだ」
「な、長いですね。覚えられるかなぁ」
予想以上に長い名前で少々面食らうなのは、その長い名前の中にある“リカ”という部分から“リカちゃん”というあだ名を想像したが怒られそうなので言わなかった。
「ふむ、私も常々長いと思っているからな、ここは一つ小桃ちゃんと呼んでもいいぞ」
「み、見てるんですか?『ストレート小桃』」
「学校の宿直室でな、ああいうのは少女の心に響くのさ」
宿直室という言葉が気になったが最早この滅茶苦茶な人には何を言っても通じないだろうと思い、諦めた。余談だがイリスの身長はどう控えめに見ても175以上はあった。スリーサイズはモデルをやっても十分に務まるくらいの素晴らしさで、女性というならまだしも少女というにはかなり無理がある容姿をしている。
「はははは……」
「それでなのはの戦友よ、お前の名前はなんというんだ?」
「戦友ですか」
確かに、共に手を取り合い戦う者同士としてはレイジングハートはなのはの掛け替えの無い戦友だ。わざわざそんな言い方をするのは、イリスがなのはとレイジングハートに戦う事を求めている、そう取るべきなのだろうか?
「レイジングハートっていうんです」
イリスはその名を噛んで含める様にゆっくりと受け止め、やがて口を開いた。
「そろそろ中身に入ろうか、なのは団に居る男は何処に居る?」
「ローくんの事ですか?金髪でメガネの子」
なのは団という言葉が引っ掛かったが、気にせず自分が最近一番一緒に行動している男の子の名前を挙げてみる。
イチイチツッコミ入れてられない。
「ああ、きっとそいつだ、何処に居る?」
「分かりません。家に居るかもしれないし、もし居なくてもアリサちゃんなら知ってるかも」
「なのは団のナンバー2か、だがあれは相当にからかわれてばかりいたぞ、仲が悪いんじゃないのか?」
「いいえ、仲良いですよ。ケンカする程ってやつです」
もうなのは団についてはガン無視を決め込んだなのは。まだほとんど話した事は無いが、イリスは綺麗な見た目に反して強引にでも我を通す性格だと知ったのだろう。触らぬ神に祟り無しだ。
「なるほど、まぁそうだな、でなければ摂理を覆すなど出来まい」
「なんの事ですか?」
「気にするな、なら私はアリサのところへ行って聞いてくる、それじゃあな」
そう言って立ち上がり、とっとと行ってしまおうとするイリス。ちなみにアリサの家とは反対方向を向いている。
場所を知らないのに行こうというのか、この人は。
「あ、待って下さい」
「どうした?」
「いくらなんでも会った事もない人にローくんの居場所を教えてくれませんよ。イリスさんみたいに大人の人だとローくんの友達だって言っても信じて貰えそうにないですし」
「む、それもそうか」
それは正論、という風な顔をして、すぐに思案顔になる。どうやらどうやって聞き出すか考えている様だが、考えるまでもない選択肢が目の前に居る。
「私、一緒に行きますよ」
見ず知らずの人間が相手でも知り合いが間に立てばなんとかなるだろう。そう考えて言い出し、またなのはには別の考えもあった。
「いいのか?」
「はい、用事もありませんから」
この人を放っておいたらどんな事が起こるか心配で仕方無い。貧乏くじだと分かっているが、分かっていても引いてしまう人種もいるのだ。






なんとなくこの前の図書館へ足を運ぶ。自室で燃えてしまった月天物語をどうしたものかと考えていると、今からなら閉館までまだ時間的余裕は大分あり、あの八神もいるだろうという思いに至った。
「アリサ、なんでついて来るんだ?」
「いいでしょ、そんなの私の勝手なんだし」
「いや、そうなんだけどさ」
アリサの胸中は複雑だった。
図書館に出かけると言ったローグに対し、アリサが二日連続なんて珍しいと思い聞いてみると、彼は八神って女の子が暇そうだから話し相手になんて答えた。そう言われてはアリサの嫉妬心が黙ってはいない。
アリサがずっと前から想っていたローグに近付く同性は、なのはやすずかでさえ敵なのだ。もちろんこの二人は普段から一緒に行動しているし、とても優しい人達だと知っているから無用な接触を避けるべく眼を光らせるだけに留めているし、もしなのはとローグが二人で出掛けるとしてもそれは友達なのだから問題じゃないという事にする、だが何処の誰とも知らぬ女が相手ではそうはいかない。いざとなれば強引に別の場所へ連れて行く事も辞さない覚悟だ。
というか二人っきりで話す為にローグが図書館に向かう、なんて状況になってる八神とやらが羨まし過ぎて仕方ないから意地でも邪魔してやる。
「私が二人で出掛けようって言っても断る癖にさ」
「ん、何か言ったか?」
「別に」
ローグの胸中は複雑だった。
月天物語をどうにか治す方法でも見つからないかなと考え、そのついでに八神に会いに行くというのに、アリサの前で他の女の子とっていうのはどうにも気不味い。なのはやすずかであれば別に普段から行動を共にする事が多いので気にならないのだが、どうにもアリサの知らない人と、それも隠してるみたいなのはどうにもやるせない。
そんな事を集中して考えている二人なので、当然些細な変化には気付けない。並んで歩く内に偶然二人の手が触れた。
「あっ」
「あ」
ほんの少し驚いて声を上げるも、アリサはなんでもないように触れた手同士を絡ませていく。
ぎゅっと握りしめる、大切な人の手。
「アリサ……」
「何よ?」
「いや、なんでも」
そう言って、ごく自然な感じを装ってローグも手を握りしめる。
ぎゅっとぎゅっと、離れない様に。
そしてアリサはローグに一歩近付い…………
「いやー、なのはの言っていた事は本当だった。実に仲が良い」
「い、イリスさん……今声を掛けるのはちょっと……」
「「…………」」
固まる二人と苦笑いする一人と笑顔が弾ける一人。気付いたら、そこは図書館の前だった。
「よしアリサ、取り敢えず中に入ろうか」
「ええ、そうね。少しゆっくりしていきましょう」
「こらこら、無視をするな。大人を敬えとは言わんがあからさまな無視はいかんぞ」
空気読めよ、とか言っても絶対に反省しない人物を相手に互角に戦うにはそれなりのテクニックが必要だ。とにかく、次までに極めて自然に無視する方法を身に付けようと思った。
「あんた、何の用なんだ?」
「人を呼ぶ時は名前で呼べ」
「聞いて無いものは呼べん」
「む、そうだったか、私の名(省略)」
こうして嫌々ながらも自己紹介を終えたイリスとローグとアリサ。そこになのはを加えて三人で図書館へと入って行った。
元々図書館に用があったのはローグだけだったので残る三人は別行動となる。ローグの用はと言えば燃えた月天物語をどうしようか八神という子に相談する事だけなので、彼は八神を探しに行った。
ローグに付いていこうとするアリサは“ステイ”の掛け声となのはとイリスというジェットストリーム攻撃で引きつけられた為、三人で待つ事になった。
「それで今日はどうしたの、なのは?」
「うん、実はこのイリスさんがローくんに用があるらしくて、それでアリサちゃんの家まで一緒に行って家に居たらそれでいいし、居なかったらアリサちゃんに聞こうと思って」
そう言ってイリスを手で示すなのは、なんとなくアリサの視線が凶悪にイリスを貫いた気がした。なのはは冷や汗ものだった。
「その道中にお前達を見付けた訳だ、用が終わったらヌシを借りるぞ」
「ヌシ?ヌシってなによ、釣りでもするの?」
既にイリスの奇行にも奇抜な人の呼び方にも慣れたなのははあっさりと流したのだがアリサはそうでは無かった。何やら不穏なものを感じたアリサはイリスに喰ってかかる。
「私は釣りはしない、ローグウェルはヌシだからヌシと呼んでいるのだ」
全く持って説明する気が無い、取りつく島もない対応にアリサも沈黙せざるおえなかった。



「これはまた、とことん謎な本だな」
ローグの目の前には月天物語が、完全な状態で存在していた。
勿論、ローグが修復した訳でも元から二冊あった訳でも無い、第一問題の本は今はローグの机の上にある筈だ。けれどこの本は完璧な状態でここにあって、それはもうどうしてくれようかってくらい意味不明だった。でも、その本は半透明だった。試しに手に取ろうとするローグだが、彼は本に触れられなかった。その時理解する。
「魔法。多分視覚を誤魔化す類のものだな」
結界魔法・ラインリッパー。
これをローグは一度、内部から見た事がある。魔力を持つ者には全く意味を成さず、持たぬ者には絶対不認識の結界、本来ここにない物を見せる力は無いが、適当な本の背表紙にでも月天物語と書いて本棚に突っ込んでやれば魔力の無い者にはそれは本物だと思わせる事が出来るんだろうと、ローグは考えた。イリスが何を考えているか分からないが、少なくとも害は無い様だ。
「ま、都合がいいから問題は無いんだが」
ふと視線を左に動かせば、さっきまで探していたのに見付からなかった八神が簡単に見付かって、前とは違う席で荒い息を付いている。その手元にはジュエルシードがあって、八神を取り込もうとしていた。
「そういや人間にも影響あるんだったよな、しかもそのまま倒したら人間の方も一緒に死ぬ」
あれはもう止められない、ジュエルシードが半ば以上に八神の体と一体化している。無理に引き剥がせば逆効果だろう。
「ま、なんとか助けますか。八神は良い奴だしな」
king――
これから戦友となる者もやる気の様だ。
「ユーノ、結界頼むよ」
「気付いてたのかい?」
ローグの声に反応してユーノが本棚の影から顔を出す。恐らくジュエルシードの放つ異彩な魔力を察して来たのだろう。
「図書館にフェレットがいれば誰でも分かるって」
それもそうだね、といった風に頷いて結界を張り巡らせるユーノ。瞬く間に景色の色が変わって行く。群青色のバリアジャケットを身に纏い、双剣を構えるローグ。
「ここは俺に任せてなのはの方を頼む」
「分かった」
言い切るより早く駆けだすユーノ、それを見送る事無くローグは目の前の怪異となった八神と対峙する。
ローグの持つ双剣、ソウガは刃物の持ち方で言うなら逆手に構えるのが正しい構えだ。握った柄から伸びる刃が日本刀の様に若干の反りを持っていて、刃渡り80センチ程のそれは酷く生き生きして見えた。陽の光を眩しいくらいに反射する極上の手段。
「八神、お前の中にあるジュエルシードは俺が必ず取り出す。少し痛いかもしれないが、後で幾らでも話し相手になるから勘弁しろよ」
そう言って彼は車椅子から生えた無数の手の群れに刃を向ける。数えるのに嫌気がさす三桁に上るそれは総じて腕に当たる部分が長く、掌が大きい。
ローグはその中央に据えられた八神へと突進して行った。



第十九話 完

『継ぎ足し削ぎ落とす者』





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