第二十二話「変わらないもの一つ」 星の見えない暗い空、フェイトとアルフはまるで童話に出て来る西洋の城にありそうな長い長い廊下を歩いていた。 フェイトが真っ直ぐ前を見て歩いているのに対し、アルフは何処か落ち着きが無く、キョロキョロと辺りを見回している。 「何回来ても好きになれないね、ここは」 「確かにちょっと広過ぎるけど、私は嫌いじゃないよ」 「フェイトはそうかもしれないけど、なんてゆーかこう、肌に合わない感じがするんだよね、ここは。まるである筈の無いものがある様な」 二人が会話をしながらほの暗い通路を歩いていると、やがてその先に明かりが見えてきた。フェイトの身長の倍はありそうな大きな入口を抜けてその通路よりは幾分かマシな明りの灯った部屋へ入ると、大人の女性の声が出迎えた。 「お帰り、フェイト」 「ただいま、母さん」 迎えたのはフェイトの母、プレシア・テスタロッサであり、その視線はフェイトのみに注がれている。アルフが何も言わないのを不思議に思い、フェイトが振り返って見ると、そこにアルフは居なかった。先程通った入口の辺りにアルフの尻尾が見えたので、アルフは母さんに会うのが嫌で来なかったんだろうと予測した。 何故アルフがプレシアを嫌うのかは不明だが、それはだいぶ前から、ジュエルシードの探索が始まった時から既にアルフはプレシアと顔を合わせていなかった。 その理由は不明で、フェイトが聞いてみても「なんだかおかしい」という様な不明瞭な答えしか返って来ず、フェイトは既に諦めている。 例によって今回もアルフはプレシアに会わず、プレシアはそんな事最初から気にしていないかの様にその事を話題にした事は一度もない。 「フェイト、ジュエルシードは?」 「ここにあります」 プレシアの問いかけに答えたフェイトは自分の所有するジュエルシードをプレシアに渡す。その数を見てプレシアは眉をひそめた。 「まだ、足りないな」 「ごめんなさい、でも必ず全部集めるから」 プレシアの不満そうな声に弁明の声を挙げるフェイト、それは母に叱られまいとする子供そのもので、母はそんな健気な子供を見向きもしない。 「例の白い魔導師と、生き返った魔導師を倒してか?」 「それは……」 再度の不満の声に、今度は返す言葉を失うフェイト。それもその筈で、プレシアが危惧する魔導師、なのはとローグに勝てる自信がフェイトには無かったからだ。 自分はバルディッシュの力を使い、ジュエルシードを使っている時よりも強くなった。出力の向上のみを考え、結果を得たいが為の強硬手段はもう取っておらず、本来の自分の力を発揮している。 以前はなのはの前に怯えた、けど今なら、バルディッシュと共にいる自分なら怯える事無く戦えると確信している。だがそれだけでは駄目なのだ。 相手は一人では無い、三人なのだ。なのはとローグとユーノで、ユーノはアルフに相手をして貰えばどうにかなるだろうが、残りの二人を同時に相手にするとなると、途端に“今ならやれる”という自信が瓦解する。 群青色のバリアジャケットの魔導師、ローグは近接戦闘に長けており、それしか出来ない故の強さがある。白いバリアジャケットの魔導師、なのはは遠近共に強い力を発揮し、以前プレシアから伝えられた情報によれば大威力の集束砲を使いこなすという。その二人を同時に相手にするというのは幾らなんでも自殺行為でしか無い。 「二人を同時に相手にして勝つ自信が無いか」 フェイトに重くのしかかるプレシアの言葉を、母を見つめる視線を逸らさず受け止める。 「…………はい」 嘘を言っても仕方が無い、強がりを言っても意味が無い。事実は事実、あの二人を相手にして勝てる自信ははっきり言って皆無だった。 「でも倒さなくてもジュエルシードを手に入れる方法はきっとあります」 「どうやってだ?」 「それは……」 正直言って、フェイトに妙案など無かった。だが真正面から向かって通じない以上はそれ以外の手段しか無い、フェイトにはそれしかない。 だが具体的な方法を聞かれれば、今は分からないと答えるしか無い。 「私に考えがある」 「どんな考えですか、私に出来る事ならなんでも」 「生き返りの魔導師を味方に付けるのさ」 プレシアの言葉は、目の前で聞いていたフェイトのみならず入り口付近毛繕いの片手間に聞いていたアルフの思考をも独占した。 「準備はしておく、お前は合図を待って行動に移れ」 殺意の波動は本当に恐ろしいものだと実感した日から数日、土曜の午後を自室で気だるく過ごしていたローグ。床にごろんと寝転がり、クッションをマクラ代わりにしてお気に入りの漫画の最新刊を読んでいる。 「不満だ」 何が不満かと言えば、お気に入りの漫画を読んでくつろいでいる癖にアリサがいないのが不満なローグ。しかもアリサ不在の理由が稽古事があるからという様などうにも出来ないものであれば諦めるしか無く、だからといって納得出来る訳では無い正直言ってしまえば図書館での一件を引き摺ってここ数日アリサの機嫌が悪かったので、そろそろ禁断症状でも起きてしまいそうなのだ。 「ま、禁断症状は過剰表現だとしても、不満だって事は変わらないよなー」 「そんなにのんびり出来るのに不満だなんて、私から言わせれば生意気よ」 ふと頭上から声がしたと思えば、視界の上隅にひらひらの白い布、カーテンでは無くてスカートの端が見えた。 「何が生意気だ、暇そうにしてる奴に言われる筋合いは無いぞ」 寝転がったままの態勢で答える、窓から風が入り込む度にふわふわとスカートがはためく。 「これでも忙しいの。すぐに行かなきゃいけないんだから」 「ならどうしてこんなトコに来たんだよ、ってゆーかなんで場所知ってんだよ」 トンッという音と共にスカートの端が見えなくなり、代わりにヘソが見えた。上下を白で固めた衣服の、金髪ポニーテールの少女のものだ。 「あぁーら、久しぶりに会ったっていうのにそれはないでしょ♪」 「久しぶりなのはお前がずっと行方知れずだったからだろ、エーティー」 ローグは起き上がり、窓辺に居るエーティーの方を向く。朗らかに笑う少女の、庭の緑に映える金色の髪が綺麗だった。 と、思ったのにエーティーは無言で机の上に置いてあったローグの飲みかけのジュースを一気にあおった。 「だー!何飲んでんだお前―!」 「オレンジジュースの……60%?」 「濃さはいいから!俺はどうして勝手に飲んだのかと聞いている」 「飲みたかったから!」 ふんぞり返って指差して言っていた。 「喉が渇いてんなら何か持って来てやるから、次からはいきなり人のジュース飲まない事」 「もういいの、私は満足した」 そんなに大きくないコップに三分の一程度しか残っていなかったのに満足したとは、実は大して喉渇いて無かったけど嫌がらせでやったとか? そう考えながら取り敢えずこの不届き者をどうしてくれようかとローグが唸っていると。 「じゃあ私もう行くから」 「いや、早いな!」 「言ったでしょ、忙しいって」 だとしても限度がある。この程度の時間しか居れないのであれば最初から来ない方が良かったんじゃないかと思っても、知らない振りをするべきなのだろうか? 「と、それはいいが窓から帰るな、そして今さらだが窓から入るな」 「気にしないの、この方が演出効いてていいじゃない。それより、最後に言っておくことがあるの」 「なんだ?ジュースのリクエストなら受け付けんぞ」 「あなたの大切な人が秤にかけられる、あなたらしい判断を期待してるから」 そう言った途端エーティーは二階の窓から跳び下り、眼下に消えた。 そして、ローグの疑惑は確信に変わる。 「あいつ、やっぱ魔法絡みか」 始めはただテンションが高いだけの奴だと思っていた、けど七不思議に巻き込まれた時、あの奇妙な木綿人形から一緒に逃げたその時からおかしいと思いだしたんだ。 ローグはあの時全力で走って逃げた、意図して魔力を付与したりはしていないがそれでも普通では無い者の全力でだ。魔力構成体であるローグの身体能力は基本的には彼の本来持つ能力そのものだが、意図して上昇させる事が可能だ。それは筋肉や神経を全て魔力が代替わりしているからで、筋肉の代わりになっている魔力量を多くしてやればその分強くなる。 だがそれ以外にも、無意識下で身体能力は変化し、それは精神の高ぶりによって上下する。それは酷く落胆していれば下がり、高揚していれば上がる。要はテンションが高ければ上がり、低ければ下がる。あの時のローグはまだ魔力構成体という状態に慣れていないというのもあり、逃げる際に無意識下で能力を上げていた。 その上下の幅がどれ程なのか彼には計りかねるが、少なくとも全力で逃げようとしていた精神状態から推測するに、常人が追い付ける速度では無かった筈だ。それに平然と付いて来ていたエーティーが一般人な訳が無い。 しかも、あの一件が片付いた後に行方不明になっていたエーティーを探したが発見できず、翌日に教師に訪ねて安否を確かめようとしたら、そんな名前の生徒はいない、との答えが返って来た。 疑うなという方が無理である。 しかも。 「あいつは名乗る時に言っていた、ほとんど聞こえないくらい小声だったけど」 “名前、エーティーで、いいよね” それは、エーティーとは本当の名前では無い事を示す言葉に相違無い。 考えてもこれ以上はどうにもならない、そんな結論に達したローグはずっと眺めていた窓の外の景色から視線を外す。振り向き、扉の方へと一歩を踏み出した時に後方から声が聞こえた。 「ねぇ、今平気?」 どうやら今日は窓からの来客ばかりの様だ、それも魔法絡みでだけ。 「そういえば、お前あいつと似た声をしてるな」 「声が似てる人なんて何処にでもいるよ、それよりもちょっとお話いいかな?」 「いいけど、名前くらい教えてくれないか?呼び辛いんだ」 「フェイト。フェイト・テスタロッサ」 同時刻、なのはは妙に緊張していた。 「あれー?出ないなー?」 ガンッガンッ! そしてデジャヴを感じていた。 「アルフさん、これどうぞ」 黙って財布から240円を取り出してアルフに渡した。 「ああ、悪いねー」 事の始まりは30分程前、狙ったかのようにイリスと同じように窓の外から大声で呼び出され、話があるというので公園へ行ったら自販機を叩き出した、出費もまるまる同じで、アルフが選んだジュースまでイリスと同じだった。 偶然とは恐ろしい。 「それで、お話ってなんですか?」 「うん、単刀直入に言おう。あんたとフェイトが……ああ、フェイトってのはあんたとジュエルシードを奪い合ってる魔導師の事だけど、フェイトと初めて会った時に一緒に居た子達」 なんだかなのはが予想していた人物像よりもずっと軽い調子で、とても敵対している相手の前とは思えないラフな喋り方で話し始めた。 ひとまず、あの黒金の魔導師はフェイトという名前だという事だけは分かった。 「アリサちゃんとすずかちゃん、それにローくんですか?」 「名前は言われても分かんないんだけどね、その中の男の子じゃない二人」 「アリサちゃんとすずかちゃんの事ですね」 何を話したいのか要領を得ないアルフに対して、なのはは努めて冷静に相手が必要としている情報のみを出していく。 「ああ、多分そうだろうね。その子達がジュエルシードに付かれた」 「え……」 「要点だけ言うよ。アリサ・バニングスがジュエルシードに付かれた、月村すずかも一緒に」 突然窓からやって来た人物の言葉は衝撃的で、信じたく無いけど信じてしまう。フェイトの言葉にそれだけの説得力があったから。 「それは、本当なんだな」 それでも嘘ではないかと疑いたい。ローグは、細部聞き漏らすまいと集中してフェイトの声に耳を傾ける。 「うん」 「それで、俺に何をさせたいんだ?」 今すぐに走り出したい衝動を我慢し、問う。 「あなたの友達である二人は別々のジュエルシードに付かれ、二つの怪異となった。そしてそれは融合した」 「それで?」 「生きたままジュエルシードから引き離せるのはどちらか一人」 そう言われて嫌になるほどすぐに理解した。ジュエルシードから無事に解放する術が魔力を流し込んでの強制離脱しか無いとすれば、それを同時に二人分行うのは不可能だろう、そして片方だけを解放すれば、もう片方は助けられない。 ジュエルシードから人を解放するには大量の魔力が必要で、一日に二回は不可能。二回というその行為はローグのリンカーコアの限界を超えているからだ。 ましてや同時などあり得ない。ユーノがなのはに対して行ったデバイスを使うという手段は、相手に魔力資質あってこその方法だと先日聞いた。元から魔力を通す為の道を持っている者には出来るが、持っていなければそれは出来ない。 ローグが八神に対して取った手段は強制的に相手の体に魔力を流し込む為、魔力を通す道が在ろうとなかろうと関係無い。その分受けた者の体力は大きく消耗するが、死んでしまうよりは遥かにマシというものである。 「無理に二人共救おうとすれば二人共助からない、けどあの白い魔導師はきっと二人共救おうとする」 「そうだろうな、それが一番あいつらしい」 なのはなら、可能性が極端に低くても全てを救おうとするだろう。例え自分が出来る筈の無い方法、現実を侵すだけの質量を持った魔力構成体であるローグだからこそ可能だった、魔力の大量流動によるジュエルシードの強制排除という方法を。 「それで、あなたはどうする?」 秤にかけられたのは、友達と最も大切な人。 「アリサだけを助ける」 ローグにとって変わらないもの一つ、それは絶対的なアリサを守るという決意。それは彼の存在理由故に。 「私が白い魔導師を抑える、代わりに」 「ああ、ジュエルシードはお前にやろう」 「話が早くて助かるよ」 フェイトにとってはどちらが助かろうが、どちらも助からなかろうがどうでもいい事。それをあえて協力するといっているという事は、見返りが必要という事だ。 これで、ローグはフェイトの側に付いた、と言っても間違いでは無い。 第二十二話 完 次 『誰も思い通りにいかなくて』 |