第二十四話「ワガママになればいい」



メフィストの前、ローグの前に立ち塞がるなのは、それはローグの今まさに魔法という形で強化されている拳が直進すればちょうど右腕に当たる位置で、確かなのはの能力は掌で触れないと使えないんじゃ無かっただろうか?既に振り抜きかけている拳は止まってくれないし、なのはは立ち塞がるという格好な為に回避は不可能、その上防ぐ気は皆無と見える。
ちょっと待てよ、ふざけんなよ、どうしてなのはを殴らなきゃいけないんだよ!そんな理由は無いだろう!殴られるならすずかを見捨てようとした奴の筈だ、それが何故!なのはは自分の身を呈して止めようとしている!止める方法なら他に幾らでもあっただろうに、横から腕掴んだっていいし、魔力の塊をぶつけたっていい、前みたいに腕を切り落としたって、この体なら容易に再生出来るのに!どうしてそんな事をしているんだ!
「――っ――っ!」
止まれ、止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれよ!なのはを殴っていい理由なんてないだろ!
ローグの思考を嫌悪感が支配する。どうして自分は、大切な友達を裏切ろうとしているだけでなく、もう一人の大切な友達を傷つけようとしているんだろう?その答えは無くて、現実が嫌になりかけている彼の耳に鈍い音が伝わって来る。それと同時にミシッと嫌な感触がした、握った拳は白いバリアジャケットが包むなのはの右腕に減り込んでいて、それは本来関節の無い部分の癖に曲がっていやがったんだ。
「おい、なの――」
「ローくんの馬鹿!」
なのはを心配して、思わず出る予定の声がせき止められる。
これは、痛みによる声では無く、友達を見捨てようとした事を怒る声でも無く、ただ純粋に人を心配している声。
自分が一番痛い筈なのに、なのははそれを全く表に出していない。
「どうしてそんな事考えるの!」
なのはの言いたい事は明白だ。どうしてアリサだけを助けようとするのか、すずかを見捨てようとするのか。
「どうしてって、そんなの決まってるだろ。俺はアリサを助ける為に、アリサだけを確実に助ける為にやってるんだ」
なのはのこの声は、不味い。致命的な一言を吐き出される前に流れを止めないといけない、言わせたら、ローグは自分の気持ちに負ける事になる。
そんな事、あってはならないのに、なのに――
「それで満足なの?」
――彼女には、なのはには敵わないから結局のところ言われてしまうんだ。
「ああ、そうだよ、俺はそれで……」
「違う、満足してない!ローくんは、人はたった一人だけじゃ満足出来ないんだよ!」
否定される、敗北する、惨めだ、壊れる。このままではなのはに壊される、アリサを最優先として行動するローグの論理が、彼の生き返った理由が否定される。
「ローくんはさ、アリサちゃんだけ居れば満足?そうだよね、その通りだろうね、でも違うでしょ!」
「何を言いたいのか分からないな。取り敢えず退け、俺はアリサを」
「分かってるでしょ、分かってるから取り返しのつかない事をして自分を追い込もうとしているんだ。ローくんは満足出来ないよ、人間なら誰だって満足出来ないよ、例え世界で一番好きな人と一緒になれたって!他に何も無いんじゃ満足出来る筈が無い!」
やめろ、やめてくれ。
「分かってるんだ、ローくんは。アリサちゃんが一生危険な目に会わなくて、ローくんがその隣に居れたとしても、友達の居ない場所なんて嫌だって!」
そうだ、そうだよ、だからやめろ。もう“それ”だけにさせてくれ、たった一つを考えていればいい駄目な自分にさせてくれ。
「アリサちゃんが居て、すずかちゃんが居て、私が居て、そこにローくんが居る。そんな幸せと比べたら、アリサちゃんとローくんしか居ないなんて世界は寂し過ぎるでしょ。ここですずかちゃんを見捨てたら、それは絶対に叶わないんだよ!」
「それでも、それでアリサが確実に助けられるなら俺は!」
「満足しない!絶対に!」
駄目だ、駄目だ、駄目だ、なのはは強過ぎる。心が強過ぎるんだよ、なのはは。
凡人でしか無い彼に、これ以上を強要してやるな、一度生き返って守る為に戦うってだけでも、彼は一生分以上の責務を果たせる筈だ。これ以上何を望む?
「どうしてそんなにすぐに諦めるの?自分の為で、アリサちゃんの為でしょ!すずかちゃんが居ると居ないで、どれだけアリサちゃんの笑顔が違うのか、分からない訳無いよね」
だって怖いから、アリサとすずかの両方を助けようとして、どちらも助けられなかったらって想像すると怖くて堪らない。だから片方だけを確実に助けるという手段に逃げたんだ。すずかを見捨てて、“自分はあの時友達を見捨てたから”って諦める。これから先にあるだろう同じような状況で悩みたく無かったから、逃げたかったから。
「もっと、もっとワガママになればいい!欲張って、ワガママ言った事を手に入れるのは大変だけど、その分大きいものが掴めるんだよ!ローくんは、すずかちゃんを欠いた世界が、今よりも幸せだと思うの?違うでしょ、だったらワガママになって、全部手に入れればいい!」
「それは、子供の理屈だろう」
「それの何がいけないの?子供の理屈程ね、強いんだよ。けど強い分叶えるのが難しいからみんな諦める。けどローくんはそれを叶えるチャンスを持っているんだよ。他の誰もが一生掛っても手に入れられないチャンスを、それを生かさないでここで諦めて、正しい大人の理屈に従える程にローくんは弱くない」
それは過大評価だ、彼はなのはが言う程に強くない。誰もが諦める子供の理屈を手に入れられる奴じゃないんだ。
「俺は弱いよ、アリサの為だけに戦うなんて楽をしようとしてる。世界中に生きている他の誰もが、いろんなものと戦っているのに、俺は他の全てから逃げて一つにしようとしているんだ。生き返れたのは、それが美しいなんて思うこの世界の偏った趣向のおかげだ」
「それも違うよ。世界の趣向は偏ってなんかない、ローくんはとても純粋で怖がりだから、そう思ってるだけ。いい?ローくんはアリサちゃんを幸せにする為に生き返ったの、だからその為に誰よりもワガママになって誰よりも欲張らないといけない。ローくんがすずかちゃんを見捨てていいのは、そうしなければ絶対にアリサちゃんが助からない時だけ。今は違う、全部手に入れるチャンスがある、それがある内はもっとワガママになって手に入れる!」
本当に強い。たった一人の為に生き返ったのなら、誰よりもワガママになって幸せにしろ、その為にはどんな苦労も苦難も試練も厭わず戦えと?
それだけの存在だっていうのか、アリサが?

――当たり前だ。

例え他の誰に無くとも、ローグウェル・バニングスという者にはアリサ・バニングスはそれだけの価値がある存在だ。そうでなければどうして生き返れるだけの意思を持てたのか説明が付かないじゃないか。
そうだ、ローグの考えは間違っていない。アリサを守る為に、自身にある他の全てを捨てて戦う。その為に犠牲が必要であればそれがアリサの親友であろうとも迷わず切り捨てる。
ただ、今はまだその時では無い。
もっとワガママになれ、自分一人で出来ないのなら他人に手伝わせれば良い、それだけのワガママを要求出来る奴が、すぐ近くに居るのだから。
「なのは、アリサとすずかを助けるぞ」
「うん!」
そうだ、これでいい。アリサの為に生き返ったのなら、生きていて貰うだけじゃ駄目なんだ、幸せであってもらわないといけない。
だから脅威を打ち砕き、友達を守る。それを成す為に必要であれば、友達だって利用しようじゃないか。それはとても怖い事だけど、それをしてでも笑顔でいて貰いたい人が居るから此処に居る。
ワガママになれ、他の誰の為でなくアリサの為に。アリサの最高の笑顔を見続ける事で、彼は初めて心の底から満足出来るんだ。
そしてもっと正直に成れ、アリサが一番なのは絶対だが、友達が居る事を求めたって悪い事は無いだろう?だって、一緒に笑っていられる奴が多いと嬉しいじゃん。
「物事は至極単純。要は一番好きな人と一緒に居たい、けど友達だって欲しい。尽きる事の無い欲、それでこそ人間」
イリスが二人のやり取りを見て静かに笑う。面白いものを見た、そういう顔だ。
子供だと言いたいんだろう、でもそれでいい、だって彼等は事実として子供だ。
「二人共助けるという結論に達したのはいいがな、その腕でやるのか?」
イリスの視線を辿ると良く見なくてもハッキリ分かる程になのはの右腕は折れ曲がっていて、少なくとも今すぐ無茶な事が出来る状態では無い。
「なのは、行くぞ」
「うん」
けど“止めよう”とは言わないし“やれるか?”なんて聞かない。ほんっとーにワガママだが、自分が炊きつけたのだから最初の一回ぐらいは無茶を通り越して手伝って貰わなければいけない、なのはもそれを望んでいる。
「あー待て、ここで無茶をされて後々退場されては私の楽しみが減るだろうが。治してやるからこっちに来い」
なのはがカッコ良く決めようとしたのに横やりを入れてきやがった。まぁなのはの腕が治るというのはこの場の誰にとっても最善と言っていいので、文句があるべくもないが。
「イリスさん、治せるんですか?」
「出来ない事を言いはしない。ヌシ、ちょっと右腕寄越せ」
「それはあれか、ひょっとしなくても俺の事だな」
ローグの経験上、ヌシと呼ばれたのは初めてで、何を思ってそんな呼び名にしたのか分からないが、今は些細過ぎて気にしていたく無い。
「そうだ、いいから右腕を寄越せ、プラモの腕を折るより簡単だろ」
ここで腕をご所望という事はなのはの腕を治すのに必要なのだろう。ローグは自分が折ったという負い目もあり、文句を言わずに右腕の魔力結合を解除、外して差し出した。傍から見ると自分の腕をもぎ取っているとしか思えないのだから恐ろしい、というか実際もぎ取っているのと変わらないのだが。
「何度見ても変な光景だね」
この一言でなのはが相当に無理をしていると分かる。なのはは普段、絶対にローグの体の事を言わない。それは一度死んだ人間に対して、例え本人が気にしていなくても死んだという事実を実感させたくないという思いから。
それを冗談めかしてとはいえ口にするという事は、相当に折れた腕が痛くて気を抜けば倒れてしまいそうだからだろう。それに無理をして耐えているのだから、普段自然にやっている事に気が回っていないのも道理だ。
「さて、これからこのヌシの腕の情報をベースになのはの腕の細胞うんぬんを全部組み替える。つまりは再構成だ、なのはの肉体という材料をヌシの腕という部品に組み上げる」
「それはなんだ、つまりなのはの腕が粘土で、俺の腕は設計図って事か?」
「ああ、そういう解釈で構わん」
人の腕を粘土扱いしないで欲しいと思ったなのはだったが、文句を言う気力はとっくに無い。そうこうしている内にイリスはローグの右腕を魔力の状態に戻し、それをなのはの右腕に押し当てた。
呟く不可思議な呪文を聞いていると、なのはの折れた腕の感覚が、“痛い”から“無”に変わる。銀色の光が奔ったかと思えば、なのはの右腕はパッと見なんの違和感もなくそこにあった。
「数日間は腕の形がヌシのものそのままだ、だが放っておけば勝手にお前の体に合わせてくれる」
「あんた、ほんとに何でもありだな」
そうやってちょっとだけぼやいた後、なのはは右腕の感触を確かめながら、ローグはイリスに渡して無くなった自分の右腕を再構成しながら、すでに完全な再生が成されたメフィストと向き合った。
そして、なのはがローグの目の前に飛び出す直前になのはによって黙らされていた人物、フェイトが視線を向けていた。
「ローグ、どういう事?あなたは確実に助けたいんじゃ無かったの?」
「悪いな、でも俺はなのはに教えられたんだ。本当にアリサの為を思うなら、なのはもすずかも、そして俺自身も居なきゃいけない。でないとあいつは、あの時の様に泣くだろうから」
視線をそらさずに二人は言葉を交わす。それは単なる確認事項。
最早、二人は完全な敵同士だ。
「それじゃあフェイトの相手は任せたぞ」
それともう一つ、確認事項。ちゃんとやれよ、これはなのはの為でもある。
「ユーノ」
「酷いね、さっきまで別の相手と戦ってたのに」
フェイトの背後には様々な傷を負ったユーノが居た。遠くで倒れているアルフを見る限り、どうやら前回のリベンジは果たせたみたいだ。
ユーノの額からは止まる事無く血が流れ出ていて、息も荒い、状態は間違っても良くないみたいだがそれで退場する様な脆弱な男ではあるまい。
「けど、ここは無茶のしどころだろ?なのはにカッコいいとこ見せてやれよ」
風に乗って微かな声が聞こえた、「そう言われたら退けないね」、覚悟を決めた者というのは多少の実力差は覆せる。もう放って置いても構わない。
「点、点、点、点、点」
ユーノの声と共に空中に無数の点が現れ結ばれ線となる、フェイトもそれに対し身構え、なのはとローグを止める余裕はない。元よりなのはに手酷くやられていたのだ、蓄積ダメージとしては差はほぼ無い。
「サンダーレイジ!」
フェイトの声と雷鳴を背に左手を振り上げるローグ、右手を振り上げるなのは。
「俺は魔力を無理矢理流し込んでジュエルシードとの繋がりを解いて引き剥がすけど、お前はどうする?」
「力を使うよ、すずかちゃんとジュエルシードとの関連を極限まで削ぎ落とした上で力ずく」
「よし、やるか」
「うん」
メフィストの両腕がなのはとローグに迫る、それが余りにも遅過ぎて、障害になどならない。
「「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」」
二人同時に踏み込んで、打ち込んで、魔力を流し込む。桜色と群青色の魔力光が明滅する。メフィストの腹をぶち破るくらいの意気込みが必要だ。アリサの体に魔力を流し込んで、すずかの体全部になのはの能力を及ぼして、ジュエルシードとの繋がりを極限まで希薄にする。
(くそっ、予想以上にジュエルシードの力が強い!こいつ弱い分アリサ達と深く繋がってやがる)
予定通りに進むとは思っていない、多少のアクシデント程度を乗り越えられなくてどうする、ユーノが無理をして時間を作ってくれて、イリスがなのはの腕を治してくれて、なのはが自分の腕を犠牲にしてまで導いてくれたこの状況で、屈する理由など無い
【ローくん、アリサちゃんにも能力を使うよ。隙が出来たらすずかちゃんの方にも魔力を流し込んで】
【お前、そんなことしたら】
【もうやっちゃってるから、何を言っても遅いよ!】
本当に何処までも何処までも、今日のなのははローグにとって最高にカッコ良く見える。
だから応えよう、その心意気に。
「今日は来て良かったよ、良いものを見た」
桜色と群青色の入り混じる網膜を焼く閃光が収まって行く、閃光が完全に収まった時にただ傍観するだけのイリスの目に映るもの、それは安らかな寝息を立てる二人の少女と疲れ切った顔をしている二人の魔導師。
そして奔る――
「サンダースコール!」
――雷。



第二十四話 完


『魔竜眼』





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