第二十六話「奇跡なんてものは」



「私の足は、もう治らないんかな?」
「そんな事無いわ、必ず私達が治して見せるから」
少女の嘆きと女性の嘆き、これは似て非なるものだ。
女性のそれはまだ幼い者に手を差し伸べてやれない事への焦りと申し訳なさ、少女のそれは先の見えない絶望的状況に対する悲観。
到底届きそうにない場所にさえ手を伸ばそうとする者と、先の見えない不安で進めない者とでは、同じ悲観でも意味合いが大きく違う。けど少女が悲観するのも無理は無い。
女性の嘆きの理由は届かないという事で、それは手を伸ばすべき場所が見えているという事だ。だが少女のそれは、先が見えないから踏み出せないというのは、もしかしたら一歩踏み出せばそこは奈落へと続く穴が大きな口を開けて待っているかもしれないと予想させる。そんな事ある訳が無いと一笑に付しても、一度傾いた心はネガティブな想像を捨てきれない。
女性は悩んだ、どうにかして少女の心から不安を取り除いてあげたいと考えて、でも答えが出なくて。だから、いっそ勘に頼ってみようと思った。大丈夫、勘と言っても全くの無根拠では無い、むしろ世界的に有名なカウンセラーが赴くより、それは効果的だろう。






「つまり、お前は自分の足が治らないかも知れないから怖いんだな」
彼は言った、ちょっとした確認事項。
「そんなのこの世にある全部の病気や怪我に当て嵌まる。絶対に治るなんて事は無い」
弱っている精神を叩き直す。鉄は熱い内に打てと言う様に、心も悲観にくれるという動きをしている熱い内に打ってみた。打つなんて言っても、彼は人を叱った事なんて無いからやんわりとしたものになるのだが。
「それは極論や。そういう言い方だったら世の中全部が不確かになってしまう」
お互いに言っている事は正しい。これは簡単には崩せないかな?と思った彼は、いっその事もう勢いで行ってみた。
「じゃあさ、取り敢えずやってみろよ。それで駄目ならその時に考えろ」
だから取り敢えずそれっぽい言葉で発破掛けて、後は勢いに任せて言えばいい。なぁに、誰も子供に御高説を期待などしていない、要は心意気が伝わればいいのさ。諦めるなって心意気が。
「けど、私の足はもうずっと動かなくて、この前急に意識が無くなった事もあって、もう私の体は足をいらない物として見てるのかなって思えてきて。こんな状態でやってみるなんて出来へんよ。いっそ奇跡でも起きて明日の朝には歩けるようになってたらええのにな」
急に意識が無くなった。それは図書館で起きたジュエルシードの騒ぎの事で、彼女、八神はやてはは一番の被害者だ。巻き込まない為とはいえ、それを説明出来ないのが心苦しい。
「お前がそう思えばそうなるさ。その体はお前のだ、お前がその体にとって唯一の絶対だ」
出来れば泣かれる前に冷えて固まって欲しいんだが、割と望み薄である。
「そうやけど、そうやけど…………」
「ああ、ったく。これ言うの結構恥ずいんだがな」
一瞬の躊躇いも、それでこの少女が勇気を持ってくれればと考えるのなら問題にならない。伝えるべきは自分が友達に言われたものとほぼ同じだ。
「もっとワガママになれよ、お前は何かしたい事は無いのか」
「なんやろな、したい事って?私にはそんな大それたものは無いな」
ああ、どう言えばいいか分からない、どうしてあいつはこんな事出来たのか。この際自分が単純という考えは切り捨てて、彼は告げる。
「無くていい、無いなら作れ!作る為に足を治せ!なんでもいい、取り敢えず治せ!」
もうなんだ、論理だの正論だの、感情論だとかいう“なんとか論”は全て却下だ。魔導師ローグウェル・バニングスに出来る事は至極単純な一点突破。ただ最強の一をぶつけるのみ。
「そんな無茶苦茶や、そんな事が出来たら苦労してへんよ」
「じゃあ…………じゃあ足治したら、俺とその友達がお前を笑い殺してやる!」
ただ、たまにちょっと勘違いした方向に行ってしまう場合もある。
「へ?」
「俺とアリサとなのはとすずかが、お前の腹筋が割れるまで腹筋運動させて笑い転げさせて……そんで、えっと…………とにかく笑い殺す!」
「な、何を」
「五月蠅い!お前が悩むからこうなるんだ!いいか?奇跡はとんでもなく都合のいい偶然だ、だから頼るな!これ結論その一!」
「え……っと」
「復唱!」
「はい!えー、奇跡には頼りません!」
「次、やりたい事が無ければ治してから作る!その為に足を治す!結論その二!」
「つまり、何をするにもまず治ってからちゅう事やな」
「その通り!んで最後、治ったら俺と愉快な仲間達がお前を笑い殺す!」
「足が治ったら私は笑い殺される!って殺されたら駄目やん!」
「駄目でいい!笑い殺されたくなければ走って逃げろ!お前の足で全力で走って逃げろ!俺は追い掛けない!」
「いや、そこは追い掛けて欲しいんやけど」
途中からなんだかどうでもよくなって、鉄は熱い内に打つだとかってやり方は誰が言い出したんだとか思って、なのはの真似をしようとしたけど駄目で、結局は馬鹿みたいな理屈になって無い何かで強引に押し込んだ。
でもまぁ、悪くない状態くらいには持ち込めたみたいだ。
「ローグ、ありがとぉな」
そんな風にお礼を言って、なんだかすっきりしたという意味合いも込めてにっこり微笑む柔らかい表情は、少年の心を一撃で撃ち貫く。ただ、相手がローグでは通じない。
「礼なんかいらん、俺はなんとなく立ち寄った病院で偶然八神を見つけて、これ幸いとばかりに見舞って、なんでか知らんがこんな展開になってただけだ」
色々と言葉を並べ立てたのが恥ずかしいのか、ローグがそっぽを向いて文句みたいに言う。なんだか体が熱くって、窓を勢いよく開け放てば病室に風が舞い込んだ。
「そっか、じゃあローグがここに来たのは奇跡や、とんでもなく都合の良い偶然。私は奇跡をもう貰ってしまったから、足はちゃぁんと自分とお医者さんで治さなな」
「言ってろ」
ますます追い詰められて窓から身を乗り出すローグ、それを微笑みながら眺める八神。そのずっと後ろの彼女の病室の入り口で、白衣の女性が男性看護師と内緒話をしていた。



「凄いわね、あの子。本当に八神さんを元気付けちゃった」
「本当ですね。いやぁ、先生の勘には敵いませんね」
「ふふふ、まぁね」
白衣の女性、八神の担当医である石田医師はかすかにほくそ笑んだ。原因不明の足の機能不全、それが八神の病状だ。病名は無く、原因不明であればそれも当然。今回の一件は、この女医の企みである。きっかけは一人の来訪者、金髪メガネの少年で、少年は受付にこう言った。
「車椅子使ってる八神って子、いますか?」
この病院には車椅子を使用している八神という人物は一人しかおらず、受付が病室を伝えるとすぐに向かったそうだ。ローグが八神の病室へ着くと、ちょうど検診を終えた石田医師が出てきたところで、石田医師はローグに割と驚いた。
金髪でメガネを掛けた少年、それは最近検診に行く度に八神が話す図書館の男の子の姿そのままだった。見舞いに来た少年が図書館の男の子と同一人物だという確証など無いが、そんなものは二の次だ。
彼女はこのチャンスを逃さなかった。
考える事、実に0,05秒。人、それを脊髄反射という。彼女はローグを物陰へと拉致し、協力を願い出た。それというのも、全く病状が良くならない上に何時まで経っても原因不明の自分の足に、八神の精神が疲弊してきているのだ。
長い間車椅子で不自由な入院生活を送り、何時まで経っても解決の糸口が見つからないともなれば心は酷く摩耗する。このままでは良くない、どうしようかと悩んでいたタイミングで噂の少年の御登場、地獄に仏と言っても過言ではないかもしれない。
今まで彼女が八神の話しを聞いた中でも、図書館の男の子の話は取り分け楽しそうに語っていた節がある。これを逃す手は無いとローグに八神を元気付けろと脅迫。その結果ローグは詳しい事情も知らぬままに一対一で説得する事になったのだ。
その成果は上々、彼女の勘が見事に当たったのだ。



「それにしてもどうしたんや?急にお見舞いに来てくれるなんて」
「言ったろ、たまたまだよ」
ローグは何となく窓から身を乗り出して応えた。ジュエルシードがこの病院にあって、何か騒ぎが起こるかもしれないから、とは言えない。
来たはいいがどこにジュエルシードがあるか分からず、闇雲に歩いて探しだせるくらい小さな病院ではないという事も分かっているので、ローグは何かしらの良い案。もしくは切っ掛け的なものが起こるまで八神の病室に居ようと思った。
「私はこれから簡単な検査があるんやけど」
だというのに、タイミングの悪い。ローグが渋々と部屋を出ようとすると、それを八神が制した。
「あのな、私が戻って来るまで待っててくれる?」
渡りに船とはこの事か、部屋の主が待てと命ずれば、所詮は待つ事しか出来ないただの子供は一も二も無く頷いた。
「ああ、見舞いの品でも食って待ってる」
「あ、そこのお菓子は食べんといてな、楽しみにとってるねん」
八神が指さした先を見れば、小さなビニール袋にお菓子がいっぱいに詰められていた。ぎゅうぎゅうだ。
「八神、犬スナックはビニール袋に入れない方がいい。これは袋の角が鋭いから破れるぞ」
八神はきょとんとした顔をしている、それはそうだろう。でも、すぐに笑顔になった。面白いものを見つけた子供みたいな邪気の全くない笑顔。
「じゃあビニール袋から出しといてくれるか?そんで戻ったら一緒に食べよう」
「ああ、そうしよう」
それだけ言うと、八神は看護師と共に病室を後にした。
King――
「分かってる」
本当はこんな事をしている場合では無いのだが、それを承知でやれと言うデバイスに辟易しながらやる気無く答える。
「分かってるけどジュエルシードは探しに行かない、代わりにお前に目を通させて貰うよ」
返答が無い、という事は了承という合図だ。ローグはインテリジェントデバイスの事を余り知らないが、それでもこいつは無口だと思う、少なくともなのはのレイジングハートは、声を掛ければ返事くらいする。
声を掛けても応えてくれる人も物もデバイスも居ない空間で、ローグは持ってきた鞄を開いて月天物語を取り出す。小学生の腕には少々辛い重さを持つ分厚い本、ユーノはこれを魔導書だと言った。ローグのデバイス、ソウガの待機状態は2パターンあってその内で面倒なのが他ならぬこの月天物語の形態である。もう片方の待機状態は三日月型のシルバーアクセサリーみたいな物で、普段は持ち運びやすいという理由でこちらだ。
ただし、なんとなく恥ずいので持ち歩くだけ。身に付けてはいない。
今回わざわざ重くて持ち辛い本の形態にしたのはこの本の記述に目を通す為だ。なんでも大昔の地球とは違う世界で、どこかの王様と共に戦った時の記録とかが書かれているらしい。
前回読もうとした時は意味不明の文字の羅列でしか無かったのだが、ソウガの正式なマスターとなった今であれば読めるらしい。
「まやかしの柱時計の記述、九つの死を与える者の記述、呼び声の秘術についての記述、侵食の記述、転命法の記述……………………意味が分からん」
目次が見当たらないので取り敢えずは初めから読んでみたが、なんだか荒唐無稽極まり無い記述が満員御礼お引き取り懇願のオンパレードでしかない。時間を超えるだの、想像上の兵士だの、これは何処のファンタジー小説なのかと言いたくなるが、自分自身がファンタジーの産物なので言えない。しかも詳しい内容になるとやっぱり読めない。それは文字がどうとかじゃなくて、見ると画面がぼやける、視力が悪いのに無理に遠くの物を見ようとした感じ。きっと何かしらの事をしないと読めない仕様になっているんだろう。
前半部分はこの月天物語に記されている魔法に関する記述の様で、ローグには理解出来ない。ソウガが言うには訓練を積めば使える様になるらしいが、元々は才能が皆無であるローグにそれはまず望めないだろう。
「月天は異なる王の戦友。喰い散らかし貪欲に集める異なる王の障害を滅ぼす為、月天は生まれた。それは生贄を求め、力を蓄え、やがて異なる王と並んで月天王と呼ばれるに到った」
この本のメインであろう物語も曖昧だ。まとめるとこの本は月天王って奴が使う魔導書、魔法の倉庫みたいなもので、月天王は異なる王とやらのお友達らしい。
だからなんだ。
それを知ったとしてもこの本に記された魔法をローグが使える訳で無く、これからもローグは魔力構成体となった際に体に刻まれた魔法、つまりはローグの体そのものにインストールされた魔法のみで戦う事になる。これはデバイスのサポートが無くても万全の状態で魔法が使えるという事だが、結局のところデバイスでちゃんと制御しないと燃費からなにから非常に悪いでの余り得で無い。
天才のなのはと違って、凡人以下の無才な少年がこの本に記された魔法を使えるようになるには、まだまだ年月が必要だ。
だからといってのんびりもしていられない、ローグにはなのはやフェイトの様に様々な距離に対応出来る訳では無い、それをなんとかしなければこの先…………
「ローグ、何を読んでるん?」
「んぁ……何でも無い」
意外とお早いお帰りで。
「うっそやぁ、なんかすっごいの読んでるやん」
「これは無口君に進められたんだがな、無茶苦茶な内容だ」
そう言って重たい本を手近な場所に置き、ローグは約束の犬スナックに手を伸ばす。ビニール袋から取り出しておいたそれの封を開けようとした時、意外な言葉が耳を打つ。
「くぅー、でっど?それに胡桃割り人形?何が言いたいかよう分からん本やなー」
「お前、読めるのか?」
「んん?読めるよ。ただ言葉の前後がおかしくて、文として成立してへんから意味まではちょっと」
おいおいおいおい、それはマジモンですか八神さん。あなた一体何処で学んで来たの?ちょっとその英会話スクールの名前を教えなさい、絶対流行るから。いや、流行っても別に嬉しくないけど。
「なんて考えてる場合か!」
「うわ!どないしたん!」
魔法に関わる記述であれば直接使えなくても何かの役に立つ可能性が高い、遠距離からの攻撃に対する手段が無いローグはなんでもいいから手掛かりが欲しかった。
「八神、意味とか分かんなくていいからそれちょっと読んで聞か……」
ローグが八神に声を掛けようとした瞬間、病室の扉が派手にぶち破られて椅子が飛んで人が飛んで、椅子や人を飛ばしたであろう現況が居そうな場所には、人間の限界を見るからに超えまくった筋肉をした男が居た。
鍵はかかって無かったんだから、普通にノックして開けていただきたい。最も、あの筋肉ではノックですら壊してしまいそうだが。
「このタイミングで起きて来たか、ジュエルシード」
奇跡なんてものはそいつにとってとんでもなく都合の良い偶然を賛美する言葉だと思うのだが、このタイミングで入ってくる明らかに何かに操られた男の登場は、逆奇跡と呼ぶべきか?



第二十六話 完


『それぞれの役割』





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