第二十七話「それぞれの役割」 鼓動が速くなる、血が沸騰する、筋肉が逸り骨が鳴る、異常事態でしか無い身体機能の変貌を極自然な事と受け止めて男は既に人間では無かった。故にその食指は人間であれば拒否反応を起こすものへと向く。同じ、人間に。 ただ新鮮な肉を求めて走るそいつは、餓えた獣の様だと表現すれば獣に失礼だ。獣は生きる為に他生物の肉を食らうが、この男は快楽として食らう。その欲望はこの衝動に目覚めたばかりの男にとってまだ一度も満たされた事が無く、それへの興味は尽きない。周囲に何か良い獲物は居ないかと探ってみれば、お誂え向きに生きの良い少年少女が異彩な魅力を放ってそこに居るではないか。 興奮した男は勇み、止めようとする者達を吹き飛ばし、薙ぎ払い、そこに辿り着く。もうすぐ、未知の快楽を得られると思っている。だがそれは勘違いだ。 八神という少女とローグウェルという少年は、たかが操られた人間程度に屈する様な脆弱じゃない。その証拠に、ほら、瞬く間にローグの拳が男の腹を突き破らんばかりに打ち込まれている。 「げぶぅ!」 「あんたは不幸だ。だからせめて他の人を殺さない内に、まだ犠牲者を出さない今なら後悔は少なくて済むだろう」 今はただ拳を打ち込んだだけ、ここから威力重視の魔力拳であるディープインパクトを使いつつ押し込めば男の体はバラバラに砕け散るだろう。 「ローグ、その人はまだ戻れる!やったらあかん!」 「なっ!」 驚き、思わず動きが止まる。今八神はなんて言った?“戻れる”、そう言った。 「八神、お前」 「何がどう戻るとか私にはよう分からん、けどその人は戻れる、そう読めるんや!」 “読める”。先程月天物語を読んだ時といい、八神にはそういう力があるとでもいうのだろうか。それこそなのはみたいに。 いや、今は考えている時では無い。とにかく目の前の男を気絶させるのが先だ。 「せいっ!」 右足を軸に回転を掛けて男の側頭部に蹴りを入れる。脳震盪を起こして脳の活動を強制的に休止させて床に転がす、衝撃が強過ぎて後遺症が残ったらごめんと心の中で謝りつつも、ローグは八神の事が気になって仕方が無かった。 「八神、お前読めるって言ったよな。それって、あれの大本が何処に居るか読めるか?」 うつ伏せに倒れている男を見てローグが言う、八神が男の方を見ると異常なまでに発達していた筋肉は通常の人間のものと言えるくらいに収縮して、身に付けている病人服が急激な伸縮でびろーんと伸びて、現実は慣れした体の変化の為か全身が痙攣している。そしてその耳からはピンク色のどろりとした、液体というよりはゲルといえる何かが流れ出ていた。恐らくはジュエルシードの影響を受けた何かの一部、考えられるのは薬品とかそういうのにジュエルシードが作用して、それでこうなったとかいうことだろう。 なんにしてもこの程度の相手が大本な筈は無い、この病院の何処かに大本が居て、それをどうにかしない限りはこの件は解決しないだろう。 「って言うても、私もどうしたら読めるのか分からんしな」 「取り敢えず見るだけみてくれ。無理なら無理で構わない」 「なんや、ちょっとは期待してくれてもええやん」 「自信があるのか無いのかどっちなんだよ」 なんだかどっちつかずとも言える八神の態度を気にしながらも、ローグは考えを巡らせていた。 もう八神に魔法に関わるなというのは無理だろう、何せ本人がそれ関係の能力を有している確率は既に烏が黒いというよりも濃厚なのだから。ならば次に考えるべきはこれからどうするか、具体的な先の事など考えてもローグには答えは出せない。ここはユーノに相談すべきだろう。でもそれよりもまずは今のこの状況をどうにかしなければならない。 今度のは厄介だ、今までみたいに大本が何処に居るのかが分からない。そしてそれを解決出来そうな現状で最善と言える案が八神との役割分担だ。八神が見て探り、ローグが討つ。 その為には共に前線に出て戦わなければならなくて、当然八神は何かの影に隠れてもらえばいいのだが、それでも危険が無い訳では無い。 そうこうしていると八神が視線を向けている事にローグは気付いた、視線を合わせると彼女は頼もしい事を言ってくれた。 「大本ってゆーのの場所は分からんけど、これは麻酔が何か強い力を受けて変わった物みたいやな」 「おお、そりゃもう場所が分かったも同然じゃないか。麻酔って事は薬品庫か何かにあるもんだろ?幾つあるか分からないが、それを巡っていけば辿り着ける」 「うん、きっとそやな」 僥倖だ。八神の読む能力は予想以上に強力だったらしく、これならば八神をわざわざ危険にさらしてまで付き合わせる必要は無い。ローグは八神に礼を言ってさっそく薬品庫を探しに行こうとした。 「待って。私も連れてってくれへんかな?」 「八神、お前何を…………」 何時からそんなアグレッシヴになった?そう問いたくなる提案、彼女ははっきりと理由を告げた。 「私が“読める”って事、ローグの役に立たんやろか?私、ローグを手伝いたいんや」 それは願っても無い事だ。事実として八神の能力は様々な事を節操無く“読んで”いる。それは恐らく敵の弱点とかも読めるんだろうから、一緒に来てくれるのなら頼もしい事この上ないのだがだからと言って八神を危険にさらす事は出来ない。 「だ――」 「駄目って言っても行く」 ――ああ、もう。 「お前、危険なのは分かってるだろう」 「分かってる。この男の人は明らかに普通やなくて、それがとても危険だなんて事は当たり前や。けどローグはそれを止めようとしてるんやろ?ならそない危険な事を一人でたら駄目や」 ――ああ、全くもう。 「俺はいいんだよ、お前よりはこういう事に慣れている。説明が欲しいのなら後できっちりするから今はここで待ってろ」 「ローグ、一瞬考えたやろ。私が行くって言った時確かに考えた。それは私が居たら助かるなって思ってるか迷惑だなって思ってるかのどっちかや、だから私は一緒に行く」 それはちょっとおかしくないか?そう言いたい気もするが、伝わってくる。 八神は自分の為に行くと言ってくれている。それが危険な事でも、意地でも行くと。助かると思ってるか迷惑に思ってるかのどっちかだから行く、なんて矛盾を突きつけてまでそれを示している。 ――こんなに心意気が伝わって来たら、来るなとは言えないじゃいか。 「八神、どうしてお前はそうしたいんだ?」 ――だから、無意味な問いをした。 「私に出来る事があるならしたい、お医者さんが病人を助ける様に、私も誰かの役に立ちたい。それに…………」 一瞬の躊躇いの後、八神は言った 強い決意の前に問いの意味は無く、ただ八神を守るという意思を固めるだけの時間がほんの少し欲しかった。 「私は、ローグの役に立ちたいんや。ローグと一緒に居たいんや。私はローグの事が、その、な…………」 「え…………」 けれど、それは割とハードな展開になりかねない言葉をもたらした。 その言葉の意味が何なのか、続く言葉が何なのか、ローグはうっすらと分かった。それは自分も同じだから。自分も、ただ一人の傍に居たいと願った者だから。多分八神はその意思を明確に持ってる訳では無くて、気弱になってる所を励まされたとかそういうのもあって、一時的なものなのかも知れないけど、無視出来る想いじゃなかった。 「私じゃ…………駄目やろか?」 答えを、求められる。八神が望むであろう答えを返せば、彼女は笑うだろうか?きっと、笑ってくれるんだろう。でも、それは誓った人に対する裏切りに思えて、ローグは言葉を紡げない。 「俺は…………」 どうするどうするどうするどうする?…………答えを誤れば、どうなる?それ以前に、誤った答えとは何だ? 「きゃああぁぁぁぁぁっぁぁあぁ!」 そんな思考の袋小路に陥っていた時、ローグと八神の耳に悲鳴が聞こえて来た。この声には覚えがある。それはよくよく考えれば当然で、何で自分は思い至らなかったんだと己を叱責した。でもそれに1秒も時間を掛けていられない。 速く行かなければいけない。 「悲鳴や!」 「すずか!」 ――――――――――― 先日、ジュエルシードの影響を受けアリサと共にメフィストという怪異へと姿を変えたすずかは、二人の魔導師により救い出された。それから一時間後、ローグは眠ったまま眼を覚まさないアリサを家に送り届けた後、すずかを家に送り届けるべく歩いていた。 「んん…………ここどこ?」 「お前の家の前だよ。まあ正確にはすずかは俺の背中に居て、運んでいる俺がすずかの家の前に居る訳だが」 「うわ!ローグ君!」 深い眠りから眼を覚ましたすずかは、自分自身に何が起こっているかが分からない。自分は確か部屋で猫と遊んでいなかったっけ?とか考えても、ローグの背中に居ては説得力皆無だし、時間はまだ夕方じゃなかったかな?と思っても、どっぷりと夜闇に染まった空は、今の時間夕方説を否定する。 「えーと、これはどういう事なのかな?」 「俺にもよく分からないな。お前とアリサは気を失って道端で寝ていたから」 「あ、アリサちゃんもなの?」 ジュエルシードや魔法の事をすずかに話す訳にはいかないので、それを隠す為に嘘をついた。とはいえ、アリサの事は黙っておくべきだったかなと思っても後の祭り。苦しいが強引に納得させてしまおう。そう思ったけど。 「寝てるし」 怪異へと姿を変えられてしまった事で体力の消耗が激しいらしい。まだまだ眠り足りないらしく、すずかは夢の世界へ旅立った。聞かれたく無い事を根掘り葉掘り聞かれないのは助かるけど、これはこれで後で困るんだろうな、とローグは思う。 「ひとまず起きてくれ。でないと、お前の家族にどう説明すればいいか分からん」 起こすだけ起こしといて、眼を覚ましたら玄関前に放置しよう。そうしよう。 ――――――――――― アリサはまだ一人で外出するだけの体力は無くて、それはきっとすずかも同じ。けど一人が無理なら誰かに付き添ってもらえばいいだけの事だし、すずかが居る事に疑問点を探す事は不可能に近い。 「もう、俺と同じ目にあう奴はいらないってのに!」 愚痴って走って、病室を出た所で見た光景は尻餅をついて動けないすずかと今にも襲い掛かりそうなさっきと同種の男。戻れる戻れないなど、考えている場合じゃない。 「ソウガ!」 Yes king―― 八神の病室に月天物語の状態で置かれていたソウガが消失し、ローグの手元に現わる。それは瞬く間に本から双剣へと形を変えて、ローグは群青色のバリアジャケットに身を包む。放つは鋭利なる一閃。 「ローグ!右肩や!」 ナイスタイミングってやつだろう、今ならまだオーダー受け付けております。 「ソウガエイセン!」 振るう刃は必殺の斬撃。元が人間である男の肩であれば難なく斬り落とせる。男の右肩が本体から離れて地に着くと、途端に男は気を失って倒れた。 鼓動が加速する、毎秒倍になると言ってもいいくらいの心肺機能の限界を疑う速さ。血液が沸騰する、ボコボコと激しく沸き立つそれは蒸発なんて生易しいものじゃなくて自らを包む血管を溶かして外へと流れ出ようとする、そんな錯覚。筋肉が伸縮する、ギシギシと無理矢理に伸びて縮んで酷く痛い、特に普段ほとんど使われていない両脚の筋肉が訴え掛ける痛みは身悶えるくらい強い。異常事態でしか無い身体機能の変化は極自然な事だった。八神は読んだから、月天物語とソウガの二つの情報、己が内に眠るものと同義の存在を。 それは違える事無く双方、“書”であり、“力”なのだ。 「おい、八神!どうした、八神!」 「はぅ!……………………え、何?」 「どうしたんだよお前、いきなり気を失ったみたいにボーッとして」 ガクガクと八神の体が揺さぶられる、肩にはローグの手があって、先を見ればさっきまで暴徒と化していた男が倒れ、一人の少女が八神とローグを見ていた。 「ああ、うん。ごめんな、なんかローグの使ったさっきのあれ見た途端急に意識が………………」 「ソウガの事か、なんだか知らないがその読める力は意外と不便なものらしいな」 深く考えている暇は無いと簡潔に結論だけを述べるローグ。ひとまずはこれ以上八神の前でソウガは使うまいと決め、すずかの元へと歩み寄った。 「あ、ローグ君?」 「ああ、そうだよ。お前にピコピコハンマーで散々ピコピコされたアリサの従兄弟のローグだ」 「ねぇ……これは何なの?その人、死んじゃったの?それに、その子は?」 状況が理解出来てない。当たり前だ。混乱しているが錯乱も狂乱もしていないだけマシだろうと至り、八神だけでなくこちらもどうするかという問題まで発生した。だが取り敢えずは、説明するべきだろう。 「俺は魔法使い、この人は悪いものに操られた、んで死んで無い。そこの車椅子の子は友達。これでいいか」 あくまで、簡潔にだが。 「え…………えぇ?」 余計混乱した。 「詳しくは後で説明する。とにかく今は危険だから看護師の人達と一緒に避難してろ」 「それは、本当?」 後で説明するという事に対してか、それとも危険だと言う事に対してか、その“本当?”という質問に明確に答えられはしないが、すずかはとても不安そうに見えた。それは病院に来たらあんなとんでもに襲われれば不安にもなるだろう。 「ああ、本当だ。間違い無く説明するし間違い無く危険だ、だから今は避難しろ」 「…………うん、そうするね」 思いのほか素直に聞き入れたすずかはそこら辺に居る看護師へと声を掛けた。ローグと八神は、自分達まで避難させられては溜まらないと身を隠す。 入院患者が暴徒と化した、それが立て続けに二回だ。余裕のあるゲーマーがいれば謎のウイルスの蔓延を疑う頃合いか? とにかく、そんな中で見つかれば強制避難確実だ。ローグはともかく八神は車椅子、俊敏な動きとは離れた位置に居る為見つかる訳にはいかない。潜入で有名な“蛇”の気分だ。 「八神、体は平気なのか?」 「うん、大丈夫や」 「ならいい。それでさっきの男、なんで右肩だったんだ?」 「さっきの人は右肩にゲル麻酔がついとったんよ、だからそこをどうにかすればと思って。でもあのゲル麻酔、人に付いてから時間が経つと戻れなくなるみたいや。まだ自分でも戻れるって意味がよー分からんけどな」 ホントに頼もしいね。そうであれば加減する相手としない相手を見分ける為にも八神の存在は必須。いよいよ本番だ。 「じゃあそろそろ行こうか、とっととゲル麻酔の大本を倒して場を収めないとな」 「うん。私の事、守ってな」 「ああ、もちろん」 第二十七話 完 次 『召喚士』 |