第三十一話「離れる事の意味」 朝、温かな日差しがローグの網膜を染めていく。自然な流れで眼が覚めて、普段と同じ様に着替えて朝食を取りに向かう。つい先日、なのはから言われた言葉が結構衝撃だった。 ――――――――――― 「私、ジュエルシードの事件を解決する為にちょっと行って来るね。その間、学校のみんなとすずかちゃんと、言わなくても平気だろうけどアリサちゃんをお願いね」 「行って来るって、お前学校はどうするんだよ」 「ん、休むよ。それと、ローくんはこれ以上この事件に関わらない方がいいよ。私は今魔法関連の、警察みたいな人達と一緒に居るんだけど、ローくんはちょっと事情が特殊だから目立たない方がいいと思う」 それだけ言うとなのははそそくさと行ってしまった。向こう側に見えた緑色の髪の女性がその警察みたいな人なのかと思ったが、聞く気にはなれなかった。 意外とショックを受ける。なのはが友達を守る為とはいえ、友達の元を離れるとは思わなかった。大袈裟に言えば衝撃的で、正直頼もしいと思った。 ――――――――――― 「俺はアリサとその周囲を守っていればいい。いや、ジュエルシードが絡まなければ、ひょっとしたら戦う事は無いのかも知れない」 不安なのは、自分自身の存在意義。守る為に外道たる魔法で生き返ったのなら、守る必要の無い世界、魔法の驚異の無いアリサの生活が戻った時、自分が傍に居ていいのか分からない。とにもかくにも、考えても明確な答えの出ない事をぐるぐるぐるぐる考え続ける趣味は無い。とっくに着いている朝食の席、テーブルに並べられた食事に手を付ける。 「どうしたの?今日は食欲無いみたいだけど」 「んー、別になーんでも無い」 「嘘言わないの。私にローグの好調不調が分からない訳無いでしょ」 敵わない。アリサはローグを誰よりも見詰めているから、些細な心情の変化さえ汲み取れる。それを素直で正直にぶつけてくるから、痛いけど嬉しい。 「そうだな、ちょっと悩み事。なのはが行った事とかあってな」 「なのは?なのはが何処に行ったの?」 まさかこんなところに地雷が隠してあったとは。地雷地帯であれば警戒はするが、流石に市街地に地雷を仕掛けられてはうっかり踏んでしまうのも仕方ない。なのはさん、アリサに何も言ってないならそう教えておいて貰えませんか?そんな苦情も届きゃしない。 というか、ここは家族旅行にでも行ったと誤魔化すべきか?それとも適当にぼかしてそれなりに本当の事を伝えるべきか。 そもそも家族旅行に行ったと誤魔化しても、なのはの家族が経営している翠屋は開店しているんだから超速でばれる。 「なのははちょっと大変な事件に巻き込まれてな。時間はちょっと掛るけど、その内戻って来るってさ」 「何よ、それローグにだけ言ったの?なのはめ、やるわね」 どうやら、アリサは黙って行ってしまった事に加えてローグにだけ伝えたという事に引っ掛かりを覚えたらしい。別にアリサが危惧する様な事では無いのだが、説明出来ないのはそれなりに厄介なものだ。 「心配とかしないのか?詳しい事を何も言わずに行ったのに」 「ローグが落ち着き払って言ってるんだから、大丈夫でしょ。ローグはね、友達が危ない目にあうのを放って置かないって知ってるんだから」 それが危ない事かどうか分からなかったらどうなるんだ?とか言わないのはマナーみたいなもの。こんな信じ方をされたら、文句など言えよう筈も無い。 「そっか、それもそうだな。まぁどうにかなるだろ」 「うん、そのテキトー加減がローグよ!やっと戻って来たじゃない」 一体普段どんな目で見られているのか、なんてローグが頭の片隅で考えていると、ふと面白いものが眼に入った。 「そうだな、テキトーやってアリサの傍に居よう。でないと、マヨネーズを口の周りに付けたアリサがそのまま出掛けて周囲の視線を独占するしな」 指をゆっくりと、それでいて遅過ぎない速度でアリサの唇を這わせ、付いていたマヨネーズを直接拭う。その指でそのまま皿に残った瑞々しい野菜を一切れつまんで口に入れる。 「な、ななななななんあななななんあなな!」 彼の大方の予想通り、面白い事になっている。ただこの手には三つの弱点がある。 「ローグの馬鹿ー!」 スコーン。 一つ目はアリサが恥ずかしさを誤魔化す為にスプーンを投げて来る事。フォークじゃ無かったのが幸いだ。 そして二つ目と三つ目は。 「あー、顔がにやける」 自分も恥ずかしい事と、アリサの反応が可愛くてついつい変な顔になる事だ。 その日の午後、すずかからローグだけにお呼び出しが掛った。アリサには話すなと言うからには魔法関連なのだろう。 急ぐでもなくゆっくりするでもなく、まったりと普通のペースで歩いて目的地に着くと、予想以上に面白い光景に出くわした。 赤いペンキで屋根が塗られた、日曜大工という言葉以外に表し様が無い犬小屋。ご丁寧にも“あるふ”という表札付き。地面には骨、首輪に鎖、ドッグフードも完備。 本気ペットだった。 「はっははっははははははははっははははは!!!犬だーーーー!」 「うるっさい!私だって嫌なんだよ!」 「アルフさん、喋っちゃ駄目ですよ。犬の振り犬の振り」 どうやら動物として巨大過ぎるアルフが道行く人に警戒されない様に、ペットの大型犬に見立てているらしい。まぁ見た目は巨大な犬そのままだし、犬小屋と首輪に鎖があれば誰も怖がったりしないだろう。 一通り笑ってすっきりしたところですずかに散歩に行かないかと誘われた。どうやら詳しい話は散歩中にという事らしい。 「実は、話があるのは私じゃなくてアルフさんなの」 「犬か」 「犬言うな!」 「というか、それなら室内とかの方が良かったんじゃないのか?」 「私の家は人が多いから誰が近くに居るか分からないし。それに、公園とからなそんなに大声とかでも無い限り周りも気にしないでしょ?私と話してるみたいにしてくれれば大丈夫だよ」 すずかの考えは、分からなくもない。すずかが黙ってローグを見てて、アルフが口元を隠しながら喋る。ローグはそれに普通に対応すればいいだけなのだから。日陰にでも入っていればすずかがずっと口を開かなくても見咎められる様な事は無いと言っていい。 そんな訳で、木陰になっているベンチを適当に見繕い、二人で座る。アルフはすずかの足元に鎮座、腹を地面にべったり付けて顔を伏せた格好だ。まんま犬。 「それでローグ、あんたに頼みがあるんだ」 「頼みね、お前が言えた事か?アリサとすずかをどうしようとしたのか、俺は忘れてないぞ」 今はこうして落ち着いて話しているが、ローグはアルフが奇妙な動きを見せようものならすぐさま首くらい撥ねてしまいかねない心情だった。それを辛うじて留めているのはすずかの存在。もしそれが無ければ、会った瞬間に全力を持って倒していただろう。アルフは、アリサとすずかを危険な目にあわせたんだから。 「その事は謝る、悪かった。償いは必ずする。だけど今は私の頼みを聞いてくれないか?」 「ひとまず、聞くだけは」 「ありがとう。頼みってのはフェイトに似たポニーテールの魔導師、エーティーって奴の事なんだ」 「なんだ、あいつはお前等にもちょっかい出してたのか」 なんだか凄く納得出来る。あの気紛れそうでいて、その実内側に激情を秘めている魔導師、自分と同じ匂いのする人を、ローグは読めない奴だと思っている。何を目的に動いているのか、それが全く分からない。 「知ってるなら話が早いよ。実は私がこうしてすずかの世話になってるのは、エーティーにやられて満足に動けないからなんだ」 「それはまた、過激だな」 「ローグ、あんたに頼む。エーティーを倒してくれ」 アルフがゆっくりと、重々しく告げた言葉は、木陰に包まれた公園のベンチで軽く一蹴された。 「何でだ?」 「え、なんでって、あいつ怪しいし。それにほら、私も怪我させられたし」 「だからって倒す程の理由か?お前を攻撃したのは、きっと気紛れだよ」 そんな事は思っていないのにそれを軽口で覆い隠す。そうしながらローグは思考を高速で回転させていた。エーティーとは何者か?その目的は何か?答えなど出しようの無い事をぐるぐると考えていた。 「茶化すんじゃないよ。あいつは時の庭園に、フェイトの母親しか居ない筈の場所に何故か居た。それに顔を合わすなりいきなり私を撃った。危険人物じゃないって考える方が変だよ。あんな奴が居たらフェイトが危険かも知れない、だからどうにかして欲しい」 「いや、俺に関係無いし。それにほら、あいつ強そうで嫌だし」 いくらエーティーが怪しいからと言っても、ローグがフェイトを危険から守る為に戦う理由など無い。そう言われてはアルフは反論出来ず、押し黙るしか無かった。 「ローグ君、もうちょっと話を聞いてみようよ。アルフさん可哀相だよ」 すずかの援護攻撃にほんの少し、もう少し詳しく聞いてみてもいいかな、なんて思うローグは、すずかって犬好きだっけ?なんてアルフに聞かれたら怒鳴られそうな事を考えた。まぁ、すずかが援護攻撃せずとも、エーティーの情報を聞き出したいので話は続ける気だったが。 「ま、事情をちょいと詳しく話してくれたら、何とかする気になるかもな」 ほんの少しだけ意地悪く、アルフの出方を窺う様な言葉。 「それが条件なら話すよ、私達の事情と私のエーティーに対する疑いを。ちょっと長くなるけどね」 彼はこの時微塵も思っていなかった。まさか、ここでアルフの話を詳しく聞いたばっかりに、やらなきゃいけない事が増えるなんて。 自室の中で、アリサは嬉々として憂鬱だった。そんな言葉の矛盾を吹き飛ばすくらいに、胸の奥が変だった。ローグと仲良くなればなる程、彼の手に触れれば触れる程、この異常な感覚は強まって行く。それは何故か、アリサには分からない。 コンコン。 不意に扉をノックする音が響く。うんざりするくらい静かな部屋の中で、それは警報同然の異質感。 「アリサ、居るか?」 「あ、ローグ。どうしたの?こんな夜遅くに」 時刻は深夜の12時を回ろうとしている。夜更かしに慣れていなければ少し辛い時間帯だろうし、何よりアリサは余り夜更かしをしないので、彼女的にはかなり眠い状態。それでも起きていたのは、何故か急に昔死んだ従兄弟の事を思い出したから。どうしてだか心がざわついて、鎮まってくれないから。 「俺さ、ちょっと出掛けないといけない」 「こんな夜遅くに出掛けるの?明日にすればいいじゃない」 ――ドクンドクンと、鼓動が速くなる。それはなんて嫌な胸騒ぎ。 「まぁ実際出掛けるのは明日なんだけどさ、朝早くに出るからその前に」 「学校はどうするの?」 ――頼むから止まって、そう思ってギュッと胸を掴んでも鼓動は加速をやめてくれない。 「適当に誤魔化しといてくれ」 「うん、分かった。それで、何処に行くの?」 ――もう誰も居なくなって欲しくないのに、そう願い続けているのに、人は簡単に消えたりしないって分かってるのに、こんな日は不安が消えない。ねぇ、どうして私はこんな気持ちになっているの? 「そうだな、この前窓から来て窓から帰って行った奴のとこかな。多分なのはと同じになる」 「そう。お土産話を期待してるね。家での事も学校での事も全部私がどうにかしておく」 ――神様、どうか、どうか、ワガママなこの願いを聞き届けて下さい。好きな人も友達も家族も、そうでない人も知らない人も、全部全部を望む私の欲張りな願いを、叶えて下さい。 「それは無理な話だ。俺は体験談を面白おかしく話して聞かせるというのは得意じゃない。期待するな」 「そう、じゃあお土産そのものをお願いね。ローグのセンスには期待していないから下手に悩んで受け狙いとか買って来ないでよね」 ――祈ります、願います、想います。それらを、聞き届けて下さい。 「それで、発売日なんだけど」 「え」 「まちに待った大作RPGの続編、その発売日までには帰って来る。予約して無いからな」 ――記憶に蘇る、ローグの部屋で見たカレンダー。次の木曜日、今日から数えて四日後に、確か印が付けられていた。その日までに、帰って来る。聞きたくても、聞けなかった事。何時、帰って来るのかを伝えてくれた。それが知りたいけれど聞けない、そんな気持ちを分かってくれた。 「俺は居なくならない、必ず帰って来る。だからその日まで、これを預かっててくれ」 ――そう言って、ローグは何時も身に付けている度の入っていないメガネを外す。ランの形見の、レンズが砕けて無くなって、フレームだけで発見された黒縁メガネ。 「約束の日になっても帰って来なかったら、私の物にするからね」 ――そのメガネを受け取った時、理解した。何故か不意に訪れた胸のざわめきの正体。それはきっと、ローグがランみたいに居なくなってしまうんじゃ無いかっていう漠然とした不安。 「大丈夫。こういう約束は絶対に破らないから」 ――人は簡単に消えたりしないけど、奇跡見たいなとんでもなく都合の悪い偶然が起きれば消えてしまうから。見知らぬ何処かへ行こうという好きな人の心を、どうしてか知った私が、不安になった。 「そうね、ローグはそういうとこだけきっちりしてるから」 ――そう言って私は眼を瞑った。ほんの少しだけ大きい体に包まれた。これだけで、この時間があるだけで私はこの四日間を耐えよう。消えるかも知れない不安に耐えよう。 「もう日付が変わったから、これで残りは三日だな」 ――ねぇ、大好きだよ。だから必ず帰って来てね。そう…………もう何処にも……消え……な…… 「ウェル、遅れたらただじゃ……おか……ないから、ね」 だんだんとゆっくりになってくるアリサの言葉。ローグの帰って来るという言葉を聞いて安心したのか、睡魔が急に襲ってきたようだ。普段よりずっと遅くまで起きているのだし、無理もない。 「アリサ…………寝たか」 抱きしめられたまま眠ったアリサをベッドに運び、電気を消して部屋を後にするローグ。 「しっかし、ランだけが使ってたウェルって呼び方、覚えてたんだな。女の子みたいなんで、やめて欲しいんだけど」 少しだけ懐かしいものに触れて、成すべき事の為に旅立つ。 扉の向こうの、少しばかり大き過ぎる犬と共に。 「行こうか、アルフ」 「ああ、行こう」 「「時の庭園へ」」 第三十一話 完 次 『渇望』 |