第三十三話「都合良くはいかない世界」 白い清潔なベッド、花瓶に挿された青い花、読みかけの本に手鏡とクシ。そんな日常的に存在していて不自然さを感じさせない、当たり前の風景。そこに、開け放たれた窓から風が吹き込む。 その風に乗って声が聞こえる。とても綺麗なその声は、一人の少女を大空へと招き、海へと連れ出した。 連れ出した少女と連れ出された少女、お互いに迷いも疑問も無かった。ただ必要だったからそうした、それを受け入れるのは必然だった。 「ユーノ、なのはを知らないか?」 時空管理局執務官、クロノ・ハラウオンが民間の協力者であるなのは達とジュエルシードを探し始めて3日。先日ジュエルシードの封印に成功し、残るジュエルシードは一つとなっている。それ以外のものはなのはと、フェイトが持っているかプレシアのどりらかが持っている。この二人のどっちが持っていようと大差はないが、なんにせよ半分程が敵対する者の手の中にある。 この日は残り一つとなったジュエルシードを前にフェイト達がどう動くか、それについて各々が意見を出し合う集まり、要は会議みたいなものなのだが、そこになのはの姿が無い。 「なのはは昨日の戦闘でちょっと体力を消耗し過ぎちゃったみたいで、今はベッドで横になってるよ」 「そうか、それは大丈夫なのか?」 「うん、軽い過労みたいなものらしい。ここ最近魔法の技術を向上させようと訓練に根をつめていたところに昨日いきなり戦闘だったから、疲れが出たんじゃないかな?」 「そうか、軽いもので良かった。これから先の事を考えるとね」 「相変わらず、遠回しだね」 クロノの物言いは冷たい様で、けれど長期的に見れば優しい言葉。 これから先の事とは、勿論ジュエルシードを巡っての戦闘の事もあるだろうが、それが終わってからのなのはのこれまで通りの日常の事も含まれる。幾ら訓練を積んで技術が向上して、その結果今回の事件を無事解決出来たとしても、彼女の日常に戻れなければ意味が無い。そういう意味では、ながーい眼で見て長期的だ。 クロノがあんまり素直に気を使わないのは、普段そういう事を言い慣れないからか、それとも性格か。どちらにしてもクロノは優しい人物というユーノの考えは的を外さない。 「それじゃあ、なのはさん抜きで始めましょうか」 十数人は座れるであろう大きな会議用の、テレビなどで見受けられる中央に穴の開いた円形の机。それに肘を着き、手元の資料を見ながらリンディ・ハラウオンが告げる。 ここはアースラの中の一室。広い空間に大きな机、綺麗に配置された椅子と大きなプロジェクター。それらが兼ね備えられたこの部屋の用途としては、邪魔な物をどかして広い空間を利用して枕投げ、などという事は無く、もちろん会議の為だ。今回の会議はまだ封印されていないジュエルシードが残り一つという事で、タイミングとしては重要。ただし、内容としては重要と言い難い。 「えー、いよいよ残るジュエルシードも後一つとなりました。それではみなさん気を引き締めて頑張りましょう。以上、終わり」 「そ、それで終わっていいんですか?」 リンディの発言に対して当然の疑問を持ったのはユーノだった。ユーノしか居なかった。他の会議参加者は皆、クロノでさえもさっさと部屋を出ようとしていた。 「いいのよ。ジュエルシードは残り一つ。だけど特別な事をする必要がある訳じゃない、むしろ不必要に気を這っていざという時に体調不良でも起こす方が問題。これまで通りが一番よ」 言っていることは正しい。確かに、これまで出来る限りの手を尽くして捜索を行って来たのなら残り一つだからと言って特別な事は何も必要無い。余計な事にまで気を回していては疲れるだけだ。 「で、ですけどね。最後の一つを封印するぞ、おー!とか、そういうのは無いんですか?なんというかこう、集まったのにそれだけで終わるというのは拍子抜けで……」 「諦めた方がいい。これは何時もの事だ」 説明に納得がいかず、食い下がろうとするユーノだったがクロノがそれを制した。ユーノはこの手の会議に参加するのは初めてなのだが、周囲の人間、真面目なクロノまでリンディの一言が終わった瞬間に帰ろうとするのは、これが毎度の事だと雄弁に物語っている。それをあまり認めたくないからユーノは食い下がっていたのだが、どうやらそれはもう無理の様だ。 「毎回こんな調子なの?」 「まぁね。最初の頃こそみんな面食らっていたけど、言ってる事自体は間違っていない。特別な事をする必要がありそうな時だけみんな何かしらの意見を言うけど、今回は必要無いし、現在判明している事以外は何が起こるか分からない。だから普段通りが一番だ」 何が起こるか分からない。ユーノはその言葉に対し、全くその通りだと思った。だからクロノの言葉に納得して、そのまま会議室を出た。 この会議の意味は、ただの事実確認。きっとそれが一番良い。みんなが自分のやるべき事をして物事を進めて、その結果が望む物になれば良い。そういった意思を確かめるだけの集まり。 「なら、僕が今するべき事は何だろう?」 会議みたいな偽会議を終えた後、クロノはエイミィの元へ訪れていた。 「何か変化は?」 「何も無いよ。本当に平和なもの」 挨拶も無しにいきなり本題に入るクロノに、エイミィは特に気にした風も無く答える。気さくな挨拶からジョークを交えて和やかに会話、そのまま自然な流れを保って本題へ、なんていう話術を期待していたりはしない。 「やっぱり気になる?」 「それは、昨日の今日だし」 「ま、そうだよね」 文字通り、クロノの言葉の通りにアースラで偽会議が行われたこの日の前日、とある次元世界がちょっとした滅亡の危機に瀕していた。 水と空がほとんどない大地とうず高い岩ばかりの世界、そこに最後のジュエルシードが突如として出現した。ジュエルシードは大地と岩の世界に水を恵んだ。恵んだと言えば聞こえはいいが、実際に水を与えられた世界は滅亡の危機に見舞われた。 海と呼べるものも湖と呼べるものも、池と呼べるものさえ殆ど無い世界。空からは常に強烈な光と熱が浴びせられ、世界がまるまる砂漠の様な状態。そんな場所に急に水を与えればどうなるだろう?普通の水で一般常識の範囲内の量、例えばプールだとかそういった器を満たすだけの水であれば即座に乾いて終わりだっただろう。だが相手は高純度にして強力な魔力を持ったロストロギア。普通、一般常識、そんな言葉を当て嵌められる規模では無い。 それは、蒸発しない水。それは、地球に例えれば海を創り出せる割合の量の水。 液体という名称を無視した液体が、世界の七割を満たす。それは紛れも無く滅亡。今まで乾いているという条件で成り立っていた大地と岩の形が崩れ去り、海底に沈む。水に呑まれて海底となった場所にも生物は居て、それらは元々が水の殆ど無い世界の生物という事で、例外無く溺れて死んだ。 その異変を察知して最後のジュエルシードを封印するべく向かったアースラだったが、相手の規模が大き過ぎた。 ジュエルシードは水を生み出し、海を創り出した。即ち、最後のジュエルシードとは海という広大に過ぎるフィールドに存在する。その中に存在する掌で覆い尽くせる程の物体を探し出すなど、到底不可能な話だ。どうなるかは分かっていたが、それで簡単に諦める様な者はアースラには居ない。その姿勢は時として痛手を負う原因になるのだが、今回の場合はそれ程でも無い。広大過ぎる敵を相手にしたなのはが疲れ果て、寝込んだだけに留まる。海という、人が届かない存在を相手にした事を考えれば、だいぶマシと言える。 「さて、どうしたものか」 ユーノは会議とも言えない会議を終えた後、なのはの部屋を訪れていた。ジュエルシードの事を省けば特別大きな問題は無い様に思えるアースラの住人。その中で唯一ユーノだけはちょっと深刻な悩みを抱えていた。 ひとまずユーノは当面の間を誤魔化す為にぬいぐるみを用意したり、枕を使ったりといろいろ工夫したのだが、やはりどうしても違和感が残る。この違和感を解消しない事には誰かがこの部屋を訪れた暁にはモロバレなので、早急になんとかしたい。クロノ辺りであればどうにか真っ当そうな言い訳を考えておけば追い返せるだろうが、エイミィが来た場合はお手上げだ。彼女には時として、というか結構な割合で理屈が通用しない。良くも悪くもだ。 なので当面の問題はエイミィなのだが、ユーノはもしかしたら彼女にならバレてもなんとかやり過ごせるんじゃないだろうか?とも思う。そう考えると、唯一絶体絶命となる状況は、クロノとエイミィのコンビが現れた場合だ。 それが起きない事だけを切に願うユーノの耳に、ノックの音が届いた。 コンコン、コンコン。と容赦無く連打される。この部屋には軽度とはいえ過労の人間が寝ているのだからもう少し遠慮してもいいんじゃないだろうか? そう思いながらもユーノがドアを開けると、やはり考えうる限り最悪の状況にだった。 「やっほー!来ちゃった!」 「何だ、君も居たのか」 クロノとエイミィのゴールデンコンビ登場。ユーノは凍り付いた。 「ってあれ、どしてユーノ君固まってるの?」 「僕に聞かないでくれ」 振った話を軽やかに流されたエイミィは、「そんな事言ってもユーノ君固まってるんだから他に聞ける相手いないじゃん」といった顔をして黙った。 ふと、彼女は気付く。 「あ、じゃあなのはちゃんに聞けばいいんだ」 これは名案とばかりに過労で寝込んでいる筈の人物のベッドへ直行。丸まって寝ているのか、ベッドの不自然なふくらみ目掛けて一直線に走る。そこでユーノが目覚める。 「ちょっと待ったーーーー!!!!!」 「ユーノ君、なのはちゃんは疲れてるんだから静かにしなきゃ」 それは正論ですけど、あなたは今疲れている人物に何をしようとしました?ベッドから引きずり降ろそうとか思ってませんか?そう言いたい衝動を抑えてユーノはエイミィの制止に掛かる。 「なのはは今寝てるから起こさない方がいいですよ」 「あ、寝てるんだ。じゃあ寝顔だけでも」 そう言って手を掛けるエイミィ。 「ちょ、ちょっと待って下さい」 ユーノはそれを阻止する為に、今にも丸まりの正体を暴いて少女のあどけない寝顔を脳内回路に収めようとする人物の手を取った。 「いやん、ユーノ君たら大胆!いきなり手を握るなんて!」 からかう様におどけて見せるエイミィだが、今のユーノにはそれは通用しない。人間必死になれば、大抵の事は乗り越えられるのだ。 必死になって乗り越えるものが、からかいの言葉というのはどうにも悲しいが。 「そんな事したら起きちゃいますよ」 「大丈夫だって、そっと覗くだけだから」 手強い。 「寝顔とか見られるのは恥ずかしいんじゃないかと」 「平気平気、女同士なんだし。それに、二人が黙ってればバレないって」 手強い。 「ここで見るのは人としてどうかと」 「ここで見ないのは男としてどうかと」 ものっすごい手強い。 「ところで、何故このベッドにはなのはでは無くぬいぐるみが寝ているんだ?」 やられた。 「なるほど、つまりなのはは最後のジュエルシードを手にする為に一人で出て行ったと」 「うん、そうなる」 「何故止めなかった。あれ相手に一人で挑むなんて無謀だぞ」 最後のジュエルシード。それはこれまでのものと比べて遥かに強力な力を持つ、自然そのものと言っていい相手だった。なのはは一度手に入れられなかったそれに一人で挑む馬鹿では無い筈だ。事実、アースラ内では今もそれに対する為の会議が行われているのだから、その結果を待つというのが最善だと思える。 「何かあるんだろ、理由が。それも僕達に言えない様なものだ」 「流石に鋭いね。分かった、話すよ」 クロノの言葉に、ユーノは言い訳不要の逃げ場無しと悟り、一枚の紙を渡す。 「でも、話すって言っても僕も直接なのはが出て行く所を見た訳じゃないんだ。今朝なのはの様子を見に行ったら、ベッドの枕元にこれが置かれていたんだ」 ユーノから渡された紙に綴られた文字を眼で追うと、クロノの表情が呆れとも諦めともとれるものになった。 「なるほど、納得はいったよ」 文章は短く簡潔に、こう書かれていた。 フェイトちゃんと一緒に最後のジュエルシードを封印しに行ってきます。ユーノ君、ちょっとの間だけ誤魔化しておいてね。 誤魔化しておいて、と書かれているのは、フェイトのことがあるからだろう。なのはは個人的にフェイトを嫌っている訳では無い。だがクロノ達は立場上敵に成らざるおえない。だから、いざジュエルシードを前にした時に場が混乱しないようにという事なのだろう。ユーノはその意を汲んだのだ。 「今更どうこう言っても仕方ない、とにかく今は一刻も早くなのはの居る場所へ行こう」 今までジュエルシードを探す為にゆっくりと、時には停止しつつ進んでいたアースラが、全速力で移動を始める。向かうはなのはが向かったと思われる世界、ついさっき強大な魔力反応が現れた世界。地表のほとんどが水に覆われた惑星へ。そこに集うなのは、フェイト、時空管理局、最後のジュエルシード。一波乱無しでは済まないだろう。 第三十三話 完 次 『負ける筈が無いのさ』 |